「日本流」読後感

「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)を読み終えました。著者松岡正剛氏はネット上の「千夜千冊」で知りました。「千夜千冊」は、所謂書籍のナビゲーションのことで、これを眺めていると氏の幅広い教養だけでなく、内容を語る視点のユニークさに特筆すべきものがあると思います。本書「日本流」もその路線を辿っていて、日本人としての「あるある」を浮かび上がらせていましたが、我が国の文化継承に一石投じているように思われます。あとがきから引用すると「読みすすむうちに何が見えてくるかという点については、最初は多様な一対の文様を追うように進み、そこでいったん失われたものに思いをいたし、ついではしだいに日本の文化の奥に眠る『スサビの動向』を浮上させるという曲想にした。~略~主題や引用のしかたや言葉づかいについては、いろいろな輻湊関係が丹念にくみこまれている。できればデュアルでポリリズムな音楽を聞くように読んでもらえるとありがたい。」とありました。私も多様な日本流について自分なりに思いを馳せ、祖父が宮大工、父が造園業という職人家庭に育った自分だからこそ思いつくことがあるのかもしれないという考えに至りました。本書の解説から文章を拾います。「『日本流』とはあくまで『日本の流儀』のことで、その現れは多様であふれんばかりだ。『日本流』とは、歴史上と今日とに現実に存在する、多様さに対応する言葉として初めて『発明』された表現であり、新たな視点なのだ。~略~本書に通っている隠れたテーマは、その、『質』である。日本らしさが重要ならば、ただそれだけのことなのだが、実は問題は質なのだと、本書は隅々で言っている。~略~『キワ』という言葉も本書の柱である。感覚をハシやキワにもっていって、ツメてゆく感覚である。その果てに『スサビ』があり、寂しさもある。寂しさや切なさの無い遊びは『ツマらない』のだ。」(田中優子著)

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