「日本へ移す 見立てとアナロジー」について

「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)の第四章は「日本へ移す 見立てとアナロジー」について述べられています。日本は「見立て」の文化と言われますが、そもそも「見立て」とは何でしょうか。著者がさまざまな例題を挙げて説明していますが、「見立ては、『喩』あるいは『比喩』の作用のひとつです。」という一文がありました。欧米の美学や修辞学で言えば、メタファー(隠喩)、メトニミー(換愈)、シネクドキ(提喩)であるとも説明されていました。著者が示す例示の中で、私の興味関心は庭園と茶の湯、浮世絵に注目しました。「あらためて庭園における見立ての話になりますが、日本の庭園では、なにより枯山水が石組だけなのに、それが水や川や海の見立てになっていることに驚きます。石庭ではこうした見立てを総称して、しばしば九山八海とよぶ。~略~そのほか庭づくりでは水と石が見立ての対象になる。水ならば荒磯や州浜や布引が、石ならば三尊石・鶴亀石・補陀落石・須弥山石・座禅石・十六羅漢石などが欠かせません。これらは山や河原で本物の石を見立て、そこから運んだものでした。このような水や石の見立ては、これがさらに転じて、『州浜』『千鳥』『落雁』『吹き寄せ』『松襲』『雪餅』『月の雫』といった和菓子の見立てにつながります。」へぇ、と思わず頷いてしまうものばかりですが、茶の湯でも同じような見立てが罷り通っています。「茶の湯に使う茶碗の『銘』のほとんども、見立てで名付けられていたものでした。~略~茶の湯では釜も茶杓も水指もみんな銘がついている。やはり『立てる』の意識のせいかと思われます。」陶彫をやっている私は釉薬を使いませんが、釉薬の窯内での流れ方を見て、偶然出来た模様にどこかの風景に重ね合わせて、銘つまりタイトルをつけたくなる作者の心境はよく分かります。唯一無二のものがそこにあるからです。最後に浮世絵で一世を風靡した葛飾北斎に触れた箇所がありましたので、引用いたします。「北斎は本書に登場する日本人のなかでも、図抜けて多様性に富んだ人で、自分の画号だけでも三十以上はもっていた。だいたい『富嶽三十六景』にして、格別の見立ての能力がなければ、あんなにひとつの富士山を描き分けられるものじゃありません。加えて北斎の漫画の数々こそはまさに見立て絵の独壇場です。そこには『それが何に見えるか』というようななまやさしい視点だけではなくて、『何がどのように見えてほしいのか』という注文の予想までもが、ことごとく先取りされている。~略~北斎は六歳にして『物の形状を写すの癖ありて』と自分で癒しがたいほどのアナロジー癖を書いているほどの画狂人でした。」

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