「日本は歌う 間と型から流れてくる」について

「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)の第七章は「日本は歌う 間と型から流れてくる」について取り上げています。本書「日本流」はこれが最後の章になります。著者が最後に取り上げたのが「間」と「型」です。私たちは普段よく「間がぬけた」とか「間にあわせる」という「間」を入れた会話をしていますが、この「間」とは何か、説明が難しい感覚的な言葉に思えます。「日本の伝統芸能はその大半が『間の芸能』です。能はまさしくその典型だとは思いますが、舞踊・狂言・歌舞伎はもとより、雅楽から常盤津にいたるまで、民謡から小唄にいたるまで、いずれも『間』が勝負になっている。」さらに説明が難しいものを取り上げるとすれば「加うるに伝統芸能や伝統工芸の多くは口伝です。武芸や武道というものもたいていは体得か、口伝です。~略~ようするに秘伝や口伝という様式には、われわれが説明しようとしても説明できない何かが宿っているように思えるのにもかかわらず、それが取り出せないのです。」とありました。「そもそも『間』とか『型』というものは盗むしかないようなもので、そして、それを盗んでみないかぎりは、そこには『過去からの伝承』が生きていることは当の芸能者にもわからないのです。~略~芸がつくられていくきわみに『間』があって、その『芸の間』あるいは『間の芸』が日本の芸能そのものの到達点なんだということです。」この言い回しは日本人なら納得がいきますが、外国人には曖昧模糊としたものに映るのではないでしょうか。「秘伝や口伝。『間』とか『型』。つまりは記憶の文化。これらは日本文化を象徴しているにはちがいないにもかかわらず、また、われわれはそのことを舞台の所作や三味線の手や、文楽の頭の動きや茶碗の深みにはっきり認めているにもかかわらず、いっこうにその姿を明確にあらわさないことによってしか、われわれをゆさぶってくれないもののようです。」では何故このような文化が生まれてきたのでしょうか。「日本にはいつ地震がくるかわからないし、いつ台風や大雪がくるかわからない。日本史の大半は早魃と飢餓の歴史です。~略~しかも資源にはかなり限界がある。季節も変化する。これが不安定でなくて、何でしょう。こういう国では一事が万事です。~略~そこには二つの工夫が生まれます。ひとつは万やむをえず諦めるという観念を維持しようという立場です。これは有為転変を見つめる無常観というものになります。~略~もうひとつは講や座や組や連などといった、小さなネットワークで経済や文化を組み立てるという工夫です。~略~いずれも不安定を宿命と見ているところは同じです。」日本という国の姿、環境から考えて、こんなことが述べられていました。最後に著者が本書の最初に登場した歌について振り返っています。「私がこんなことを書きのこすのは、冒頭にも示したように、西条八十の『かなりや』が、本書の心の一端を歌ってくれているように思っていたからです。~略~日本には歌を忘れてほしくない、後ろの山に捨てるのも、月夜の海に浮かべるのもまだ早い。しかし、そのように歌うことがかえって日本に必要なものを創発させるかもしれない、そういうことでした。」

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