火焔型土器のかけら

昨日から出張できている新潟県は縄文土器が多く出土するところです。宿泊している民宿でも玄関ロビーに出土した土器の陳列棚がありました。ご主人に話を聞くと昔畑を掘ったら出てきたと言うのです。棚の中に、大きな甕があり、どうやら埋葬に使ったものだと言っていました。火焔型土器の一部と思われる波打つ模様のかけらがあって、欠損したものであってもデザインの美しさに魅かれました。この模様は何のために、どのような人たちが作ったのか。儀式のためというのが一般的だけど、模様に火焔を選んだのは何故か、当時は現代のようなアートとしての考えはなかったにしても、純粋な美意識はあったのか、土器を見ながらイメージがくるくる頭の中で旋回していました。作った人々は誰か、男が狩に出かけている間、女性によって作られたのか、この想像しているだけで楽しくなる土器を、しばらく時間を忘れて眺めてしまいました。                        Yutaka Aihara.com

南魚沼産コシヒカリ

横浜から数時間で新潟県南魚沼市の舞子高原にやってきました。南魚沼はやはり「コシヒカリ」が有名で、このコシヒカリが誕生するには様々な苦労があった話を宿舎のご主人から聞きました。ここの「コシヒカリ」は炊きたてはもちろん、ご飯が冷めた時も美味しいと言われ、宿舎でおにぎりを作っていただきました。時間をおいて冷めたおにぎりを食べたら、なるほど美味しいのです。そればかりではなく山菜の美味しさも特筆に価します。米は日本人の主食で、米の美味しさがわかることが世界の食通に通じると自分は思っています。自分の舌は米によって培われたものだとさえ思います。朝に昼に晩に「コシヒカリ」を食べました。白米で単純に焚いたものが一番美味しさがわかるような気がします。基本中の基本です。冷えてもふっくらとしてモチモチした歯ごたえを味わえたことが大きな収穫でした。

明日は地方に出張

明日は地方に出張です。新潟県南魚沼市に出かけます。NHK大河ドラマの舞台になっているところなので、かなり盛り上がっているのではないかと思います。自分は「魚沼産コシヒカリ」に魅かれます。宿で出る食事のご飯はきっと美味しいのではないかと期待しています。横浜の職場を離れるのは気分が変わっていいかもしれません。私は新潟県に行ったことがありません。仕事とは言え楽しめるところは大いに楽しんでこようと思っています。  Yutaka Aihara.com

イメージする力を保つ

創作活動から離れていると、イメージする力が衰えてきます。美術の制作であれ詩作であれ、それは同じです。イメージする力は漫然と生きていても、なかなか身につくものではなく、常に何事かをイメージしようと心がけていなければ出来ません。作品作りが佳境を迎えるときに、何か別の世界が見えてきたり、制作途中の作品の発展したものが忽然と現れたりします。心が何かを求めている最良の状態と言えます。コトバは自分にとって困難な表現のひとつですが、詩を作るのも同じではないかと思います。コトバがいつも心に用意されていないと、詩が生まれてこないのかもしれません。イメージする力を保ち続けること、モチベーションを下げないようにしたいと考えながら、職場を後にして帰宅しました。                  Yutaka Aihara.com

「金属」という素材

私の学生時代、ちょうど彫刻を始めた頃は野外展が華やかで、都市計画と連動して街の中に彫刻が置かれ始めた時代でした。鏡面のように磨いたステンレススティールの構成的作品が街の風景を映し出して、現代の空気を人々に伝えていました。高層ビルの庭には金属の巨大彫刻がよく似合います。自分の通っていた大学にも金属を素材に作品を作る売れっ子彫刻家が教壇に立っていました。自分は塑造をやっていたにも関わらず、そうした彫刻の潮流に浮き足立っていました。でも自分のイメージは錆びた鉄製の古い工場のようなところに向けられていて、どうもそういう泥臭い世界が自分にとって意欲を感じるものでした。溶接の資格を得たのも鉄で作品を作りたかったためでしたが、ずっとかなわぬ夢で今まできてしまいました。金属、とりわけ錆鉄は自分には憧れの素材です。憧れているからこそ未だに手が出せません。自分の作り出す陶彫は錆鉄のようだと人に言われます。これを鉄で作ったら当たり前だから逆につまらなくなるとも言われます。それでも鉄で作品が作りたいと願っている自分がいます。溶接の資格はとっくに無くなってしまい、時間が出来たら、もう一度講習を受けなおそうと思っています。     Yutaka Aihara.com

無限に繰り返す力

昨日、アーティスト草間弥生の作品に触れたブログを書いていて、草間弥生の持つ異様な世界は、水玉や網が繰り返される単純な作業によって生み出される世界なのだと改めて思いました。単純であるが故にどこまでも広がる世界。細胞のように増殖する生命体。ひとつひとつが地道で丹念な作業は、やがて爆発するような運動を形成していきます。まさに生命の進化と同じような過程を持つ造形物だから、自分がその世界に取り込まれて、やがて魅かれていくのかもしれません。自分も集合彫刻をやっていて、時間の許す限り広げていく可能性を持つ世界です。ギャラリーや美術館を丸ごと作品で覆いたい欲求に駆られます。制作という労働の繰り返しが、やがて大きな意味を持つことに自分も関心が高いのです。自分の作品は要素が単純ではないため彫刻以外の媒体に広がっていかない嫌いはありますが…。しかしながら無限に繰り返す力をさらに深めて保ち続けたいと考えています。 Yutaka Aihara.com

「無限の網」を読む

表題は草間弥生著「無限の網」(作品社)で、水玉や網が増幅していく大掛かりな造形作品をパワフルに作り出している女性アーティストの自伝です。草間弥生という作家は、ちょうど30年前の自分の学生時代に、南天子画廊から出版された「快楽宣言」(篠田守男著)の中にあった一文と写真で知った作家です。アメリカで大変な評価を受けた人で、確かに「無限の網」の本文にある通り、日本ではスキャンダラスな側面で捉えられていました。本書を読むと、かなり若い頃から神経を病んで、自己治癒のために芸術に没頭している有様が伝わります。常軌を逸した表現世界は見る側を圧倒して、その仕事量は凄いの一言に尽きます。自伝の中で面白かったのは、米人アーティストの評論家が書く評論ではなく草間弥生だけが知る彼らの生き様です。現代美術史に名が残っている人たちが、身近な存在として感じられたのがとても楽しく、また興味津々でした。草間本人が美術家か小説家になるか迷ったと本書にある通り、卓抜した文章に畳み掛けるような勢いがあって、瞬く間に一冊読み終えてしまいました。

5月の空に…

五月晴れというコトバがありますが、今日は荒れ模様の一日でした。週末の日課として、亡父の残した畑に行って倉庫建設の様子を見ますが、雨風で周囲の木々が大きく揺れていました。我ながら美しいところだなと思っています。ここで作業が出来るようになればいいなとも思います。現在は自ら作業にストップをかけています。頭の中でイメージを貯め込んで、ぐるぐる考えながら作品の種を精選しているのです。週末でなければ出来ないことです。5月の空を見ながら、太陽と雨が交互にやってきて、青葉若葉を芽吹かせて木々を育てている様子が、何もしない週末だからこそよく見えます。今日は雲が垂れ込め、遠くから風の唸り声が聞こえていました。雨が来るたび気候が変化して夏に近づいていきます。汗が滴る夏に向う気配を感じつつ、5月の空をずっと眺めていました。                    Yutaka Aihara.com

RECORD4月・5月アップ

RECORDの4月分と5月分といっても昨年作ったものですが、ホームページにアップいたしました。昨年は1ヶ月毎に幾何形体を選んで、それをもとに作品化していました。当然構成的な作品ばかりです。4月は円形、5月は六角形をやっていました。RECORDというシリーズは、葉書大の平面作品を一日1枚のペースで作り続けている総称で、今なお進行中の膨大な作品です。現在3年目に入り、とりあえず1000点を目指しています。さらに10000点達成が目標ですが、その頃の自分はどうなっているのか、80歳を超えるまでやっていけるのか、先のことはよくわかりませんが、イメージが枯れるまで続けようと思っています。自分のホームページにはブログの最後にあるアドレスをクリックしていただくと入れます。RECORD4月分と5月分をご高覧いただければ幸いです。             Yutaka Aihara.com

「石」という素材

オーストリアのウィーンで暮らし始めた頃、生活費を稼ぐため石彫のアルバイトをしていました。ハンス・ムーアという彫刻家がウィーン郊外に工房を持っていて、彼のデッサンをもとに鏨や電動カッターで石を切り出す仕事でした。ハンス・ムーアは室内に置く石の噴水を作っていて、注文がかなりきていたようです。使用する石の産地も様々で、本格的に石をやったことがない自分もそこで賃金を得ながら勉強させていただきました。ハンス・ムーアの彫刻作品はほとんど磨いていましたが、途中の割れた石肌にも自分は魅力を感じていました。割れただけの面と磨いた面。この対比を楽しむ彫刻家もかなりいますが、自分もピカピカに磨くよりは自然のままで残るところがあった方がいいと思います。石は素材の性格上、野外制作に向いています。騒音と埃にまみれた作業です。時間も必要です。重量があるためテコ等で工夫しなければ動かすこともままならない素材です。でも石の肌は大変魅力的で、大きい作品をいつか作ってみたいという願望はあります。

「陶」という素材

「陶」は語りつくせないほど思い入れのある素材です。彫刻を学び始めた20代初めから興味関心がありました。塑造を石膏で型を取り、そこに新たな石膏を流し込み、型を割って石膏として作品を残す方法に、当時はずっと疑問を持っていました。何とか粘土の状態で作品を保存できないものかと考え始めた時に、粘土を高温で焼いて石化させる陶芸は、そんな思いに応えるのに十分な技法でした。でも陶芸のことを何も知らず、作品を窯に入れてもことごとく割れて随分落ち込みました。でもどうしようもないくらい「陶」の魅力にとりつかれていて、何度もチャレンジしました。そもそも土肌が大好きで、縄文や弥生土器にプリミティブな力を感じていたので、自分の心に芽生え始めたイメージを何とか「陶」でやってみたいと思っていたのです。土から生まれる造形。人間が始めて無形な素材から作り出す喜びを味わったであろう造形。そんな「陶」とは一生をかけて付き合っていくのだと改めて思っています。                            Yutaka Aihara.com

「木」という素材

祖父が宮大工、父が造園業という環境で育った自分の周囲には木材が豊富にありました。でも木の美しさに触れたのは自分の生育歴からではなく、滞欧中に訪れたルーマニアのマラムレシュ地方に点在する木の家々を見た時でした。柱の抽象的な装飾は彫刻家ブランクーシそのもので、生活に密着した美を認めました。帰国後は鎌倉や京都の寺院を訪れ、日本人が育んだ木造の美を再発見し、そこで初めて自分の環境が木とともにあったことを思い起こしました。それから自分の作品に木材を使うことになりました。木は湿潤な日本の風土が生んだ造形素材です。肌理細やかな細工に適していて、表面は様々な仕上げの方法があります。風雪に耐える強さも兼ねています。自分はあえて彫り跡を残した抽象形態を彫り上げています。木を彫るという作業は健康な精神状態を保つのにいいのではないかと思う時がかなりあります。最近は焦がして炭化させる面白さを知りました。木は当分の間、自分が関わっていく素材だと思っています。

「砂」という素材

「砂」は小さな石が集った素材です。風や雨によって姿を変えていき、自然の齎す雄大な景観を作ることがあります。砂丘に現れる風紋に感動を覚えるのはきっと私だけではありません。「砂」はまた不毛なイメージと結びついたり、崩壊の美学を生んだりします。それは人が勝手に妄想することですが、人の手による造形作品に「砂」を使うとすれば、素材の持つ特徴を生かしつつ、「砂」のもつイメージに忠実に従うことがいいと考えます。地平への広がりを見せる「砂」。風化されたものへのオマージュ。そうした世界を具現化するために私はよく「砂」を使います。まだ海岸や砂丘でインスタレーションをした経験はありませんが、「砂」を硬化剤で固めて造形化するだけではなく、いづれ自然に還る「砂」を本来の姿のまま使ってみたいと考えています。

不安定な日常の小さな安定

横浜市の公務員でありながら不安定な日常とはどういうことか?と叱られそうな書き出しですが、収入が安定しているとはいえ、心が満ち足りているとは限りません。もちろん経済的な安定は生活していく上で必要なことです。それでも自分のやりたいことがやれて、それで生活が成り立っていくのが理想だろうと思います。元来地位にはあまり興味がないのに、何の因果か管理職になり、それに振り回されて、やりたいことが思うようにできないというジレンマはあります。管理職もつまらないものではなく、やり甲斐は感じていますが、自由な創作に比べると、たとえどんな身分であれ自分には色褪せて見えてしまうのです。不安定な心理状態の中で、唯一RECORDを描いたり、雛型を作ることが心の拠り所となり、小さな創作行為を大切にしながら少しでも心の安定を得るために日常を過ごしていると実感しています。

P・クレーの描写について

今朝NHK番組「日曜美術館」を見ていたら、ドイツ人画家P・クレーを取り上げていました。クレーは自分のブログにも度々登場していますが、しばらく記憶の隅にいたと思うと、また立ち現れてくる芸術家の一人です。自分が24歳の頃、初めて訪れたドイツのミュンヘンのレンバッハ・ギャラリーで、クレーが若い頃に描いた具象画に魅せられました。それ以来、クレーはずっと自分の中に住み続けています。その具象画は銅板でしたが、樹木の上にグロテスクな人物がいて、不気味な眼差しでこちらを見ていて、自分の心が抉られるような気がしました。クレーが幼児のような絵を描いても、自分にはあの銅板画がいつも頭にあり、何か恐ろしいものが潜んでいるように思えるのです。番組ではクレーが戦争に翻弄されていた時代背景を語っていました。記号のようなカタチを描いた抽象画であっても、私はクレーが外的な戦争や内的な心理描写をそのまま具象として表現したように思えてなりません。Yutaka Aihara.com

見せない彫刻

故若林奮先生の作品の中に、ほとんど土中に埋めてしまって僅かしか見えない彫刻があります。府中美術館の野外にある鉄の作品も上の部分しか見せていない彫刻です。それを見ると鑑賞者は唖然としますが、自分にはその考え方が多少理解できます。「存在」という概念は見えているものばかりではなく、見えていないものにもあると思うからです。以前から自分のイメージに度々立ち現れてくる作品は、壁体の中に陶彫を埋め込んだもので、砂か漆喰で覆い隠した陶彫作品が一部見えていて、鑑賞者に全体像をイメージさせるという作品です。陶彫は、だからといって全体をしっかり作る予定でいます。見せ方ではなく、彫刻のあり方を考える作品を作ろうと考えているからです。それは床に置くものでも壁を使ってもいいのですが、自分のイメージには壁が出てきます。ギャラリーの壁面全体を使うような作品を考えているのです。実現できるかどうかわかりませんが、デッサンか雛型で残しておこうと思っています。

週末の楽しさ実感

連休の後にくる週末。例年なら彫刻制作に追われていますが、現在はあえて作業を休んでいるので、週末をどう過ごすかという思いで、楽しさ倍増です。雛型を作ってみようとか、イメージデッサンをしてみようとか、時間の許す限り様々な可能性が広がっていきます。イメージの蓄積または充電期間はやはり必要で、頭の中で空間をイメージして試行錯誤を繰り返しています。以前のブログに書いた壁面を使った体験型の作品は、壁面を迷路のように配置して、自分の空間に鑑賞者を取り込んでいくような構成にしてみたらどうだろうと思うようになりました。いずれにしても週末の楽しさを実感して過ごせたらいいなと思います。

「夢の漂流物」で思い出すこと

表題は白倉敬彦著「夢の漂流物」(みすず書房)です。「私の70年代」と副題がついている通り、作者が交流した美術家や文学者を通して70年代を回顧し、その時代の側面を分析したエッセイです。自分は大学を出たのが79年で、ちょうど新しい美術界の潮流に興味を持った頃でした。本書に登場する作家はメディアを通して知っている人たちばかりで、自分の20代を思い返す機会になりました。その中ですれ違ったことがある人は若林奮先生で大学の研究室におりました。ただその頃の自分は塑造による人体習作に明け暮れていて、あえて表現を広げようとはしていなかったので、若林先生に教えていただく機会はありませんでした。でも現代美術には敏感に反応していました。本書は当時の作家や評論家の交遊が克明に語られていることで、70年代に美術の世界でスタートをきった自分には、雲の上の存在だった人々が大変身近に感じて嬉しく思いました。今でも新しさを失わない表現や評論に改めて感銘を受けています。

連休の終わりに…

この連休は例年のように土を練ったり木を彫ったりする作業をしなかったせいか普段とは違う過ごし方をしました。まず、RECORDの集中制作、さらに次なる立体作品のイメージをまとめる時間が作れたことです。立体作品では3月まで制作していた「発掘〜赤壁〜」の次なるシリーズ、以前作った陶彫を木箱の中に埋め込んだ「発掘〜住居〜」「発掘〜棟」の発展した風景彫刻、陶壁で囲まれた空間を提示する体験型の立体造形など、陶土と木材が組み合わされたイメージが生まれてきました。こんな風景が、あんな鳥瞰(俯瞰)造形が見てみたいと思ったことが契機になって、作品制作が始まるのです。まず、雛型を作る予定です。そうしたことがこの連休の収穫だと思います。

5月のRECORD

一日1枚のノルマを自分に課して、葉書大の厚紙に平面作品を作っています。3年目に突入しましたが、まだ継続中です。「RECORD」というタイトルは記録と言う意味をこめて付けたものです。今月は鋭角な三角形のパターンをベースして、毎日鉛筆と消しゴムで描いたり消したりして、パターンが展開していくように表現しています。技法はシンプルそのもので、アクリルガッシュを使い、平塗りをするだけという方法をとっています。色彩に拘っているところもありますが、塗り方は美大受験時代を思い出すようなアナログな方法です。手で面相筆を扱う作業は今となっては大変新鮮です。CGを使えば簡単に出来ることを、あえて塗り斑を作らないように、はみ出さないように塗るという作業に意味を感じているのです。どこまで続くのか見当もつかないRECORDですが、モチベーションを保っているうちはずっとやっていきたいと考えています。                  Yutaka Aihara.com

笠間の「伊藤公象展」

昨日出かけた茨城県笠間の陶炎祭。会場は芸術の森公園にあり、そこには県陶芸美術館や窯業試験所もあって、陶芸を中心とした美術工芸の文化が集まっています。県陶芸美術館で「伊藤公象展」が開催されていたので見てきました。この陶炎祭の時期は昨年が志野焼の「荒川豊蔵展」、一昨年が萩焼の「三輪壽雪展」と陶芸界の巨匠が目白押しで、今回も期待通り現代陶芸界の重鎮が登場していました。伊藤公象は「多軟面体」や「起土」のシリーズで知られる陶芸家ですが、陶芸家と呼ぶにはあまりにも表現の幅が広く、また自然と造形の関わりを根幹から問う作品ばかりなので、クレイワークの作家と言う方がいいのかもしれません。今回まとまった作品群を見て、土が凍結したり歪んだりすることをシンプルな在り様として床や壁面に並べられ、土そのものの存在が打ち出されていたことに強い感銘を受けました。まさに存在を問う作品群だと理解しました。でもこの存在は美しい景観を提示していて、古代から人間は土と様々な関わりを持ち、それ故に土に対する畏敬や感受性が自分の心のどこかに眠っていることを思い起こさせてくれました。 Yutaka Aihara.com

友人を訪ねて…益子・笠間

例年この時期に栃木県益子の陶器市と茨城県笠間の陶炎祭に出かけます。陶芸家として活動している友人たちが、今年はどんな作品を作っているのか見たいし、良ければ購入したいと思っているのです。まず、益子の「かまぐれの丘」で店を構えるホソカワカオリさん。日用雑器をシンプルなセンスでまとめていて、料理を盛った時の見栄えが良く、また使い勝手がいい器を作り続けています。今年も相変わらず細やかでサラリとした皿が並んでいました。ホソカワさんの深皿を購入。次に笠間の佐藤陶房の佐藤和美さん。家内の幼馴染で、ともにデザインを学んだ仲です。和美さんの器は土肌を表面にだしたナチュラルな作りで、それをモダンなセンスでまとめています。和美さんの茶碗を購入。しばらく佐藤陶房に居座って、つもる話をあれこれしました。笠間の陶炎祭はこの3日には夜祭りがあって、会場中央に設置されたステージで生バンドが演奏するのです。夕方6時過ぎにジャズバンドが登場。店を閉めた陶芸家や家族、また私たちのような旅行者が集まって野外コンサートが開かれました。陶炎祭ならではの違いは会場に大きな登り窯が設置してあって、夜空を火炎が舞う演出があることです。例年訪れるところですが、今年も楽しく充実した時間を過ごすことができました。      Yutaka Aihara.com

倉庫と言えども地鎮祭

亡父が残してくれた畑に倉庫を建てる計画があって、今日は工事関係者が一堂に会して地鎮祭を行いました。神主は雇わず、現場監督がその役目を務めてくれました。縄を張った四方に塩、米、酒をまいて土地を清め、建設工事の安全を祈願いたしました。地鎮祭は土俗信仰によるものと思いますが、こうした慣わしが施工業者や私たちに安心を与えるものだと考えます。父がきっと若い頃に植えたであろう木々がかなり太くなってしまっているので、それを避けるように倉庫が建つ予定です。これでやっと作品管理やその他諸々のことができるようになります。地鎮祭を行っていた朝の時間帯は、もう初夏の匂いがしていました。鬱蒼とした木々に囲まれた倉庫ですが、自分も傍で作業が出来たらいいと考えております。               Yutaka Aihara.com

どんな5月になるのか…

新緑に溢れ花咲き誇る美しい季節です。自分のヴァイオリズムから言えば、夏に向うこの時期が一番創作に励める時で、例年ならまず取り留めのないイメージにしっかりしたカタチを与え、それを具現化するための制作工程を考えているところです。その後で土を練ったり木を彫ったりする作業が始まるのです。現在もイメージはあります。具体的な手立ても出来ています。ただし今はイメージを溜め込もうとしていて、作業に待ったをかけているのです。今まで作業先行でやってきましたが、この5月は思考先行の1ヶ月にするつもりです。どんな5月になるのか、またどんな5月にしたいのか、週末ごとに自分の造形を振り返り、雛型を作ったり、エスキースをして、頭の中では充実した制作生活にしたいと考えています。

阿修羅と迦楼羅

昨日見た「阿修羅展」で八部衆像が興福寺から国立博物館に移されて展示されていました。阿修羅もこの八部衆像に含まれるわけですから、当然のことと思いました。阿修羅は三つの顔と六本の手を持つ異形ですが、自分が注目したのが八部衆像の中の迦楼羅です。昨年夏に行った興福寺見聞のブログ(2008.8.25)でも迦楼羅に触れています。頭部が鳥になっていて、シュールな感じを与えます。迦楼羅はもともとインドの神が仏教に取り入れられたものだそうで、インドではガルダといいます。昔行ったバリ島でもガルーダという奇怪な神が信仰されていて、繋がりがあるように思います。自宅にもガルーダの木彫面があって居間に掛けてあります。そんなことで迦楼羅の造形に魅かれるのかもしれません。マニエリズム絵画に登場してくるような独特な風貌とカッと見開いた眼が印象的な仏像でした。

東京の「阿修羅展」

連日多くの観客で賑わっている「阿修羅展」に行ってきました。混雑を避けて閉館間際に飛び込みましたが、開館時間が延長していることを知っている人たちも多く、入場してみるとやはり阿修羅像の周りはたくさんの人がいました。阿修羅像は昨年の夏に興福寺で見ていますが、東京の国立博物館で見る阿修羅像は印象がまるで違いました。まずライトアップ。金色に輝くと言っては言い過ぎかもしれませんが、阿修羅像が置かれている舞台がポゥと明るくて何か別の空間に置かれているような錯覚を覚えました。それから興福寺の宝物館では見られない阿修羅像の背後。正面の顔の左右にある二つの顔が背後から見ると左右に分かれた横顔になり、その美しさにしばらく時を忘れてしまいました。背中もすっきりとした美しい面をしていて、これを見るために東京上野までわざわざ来たかいがあったと思ったほどでした。   Yutaka Aihara.com

連休前のワクワク感

今月から職場が変わって休日が楽しみになりました。気分転換がどうしても必要で、そのために制作に拍車がかかる時があります。今はそうした意欲を溜め込んでいる時期と考えています。イメージがどんどん出てきていて、実際の制作はしなくても創作活動が確かに継続している感じがしています。そこで明日から連休が始まるので、今の自分はワクワク感に溢れています。30日と1日は勤務日ですが、やはり明日から創作に自分の心を駆り出していきたいと思っています。まずは美術館や博物館に足を運んで名品を鑑賞するところから始めようと思います。RECORDもしだいに自分のペースを取り戻してきました。少なくても連休中に描くRECORDだけは力作にしたいと願っています。                         Yutaka Aihara.com

豚インフルエンザ…

鳥インフルエンザに続いて豚インフルエンザ…。またしても人から人へ伝染する病気が蔓延しそうな気配で嫌な思いです。衛生管理が行き届いた社会にあっても、様々な病気が発生するものだと感じています。情報化社会は海外でこのような病気が発生すれば、たちまち世界に伝えられていきます。情報の共有はとてもいいことですが、誤った伝えられ方をすると大変なことになります。不安を煽られたり、過敏な反応が予想されるのは何としても避けなければなりません。毎日のように伝えられるニュースに我々も注意を凝らして、理由もなく不安を募らせることはしないで過ごしたいものです。   Yutaka Aihara.com

若葉繁れる日曜日

今週末は倉庫を建てる予定地の畑を整理している業者や新しい窯に付随する電気関係の業者と様々な打ち合わせをもちました。亡父の残してくれた畑はキラキラした陽を浴び、鬱蒼と繁る若葉に溢れ、そこで打ち合わせをしていると穏やかな気持ちになります。昨夜の雨から一転して、ミドリが一層美しくさらに濃くなったように感じました。横浜という都会にあって、こんな緑地が周囲にあることが本当に嬉しく思います。ここなら野外で彫刻の制作をしてもいいと考えています。倉庫が出来たら周囲に野外作業できる場所を作りたいと思います。作品は環境によって内容を変えてきます。ミドリの中で作る彫刻はどんなものになるのか、ちょっと楽しみでもあります。

RECORD 苦楽の日々

一日1枚のペースで小さな平面作品を作っているRECORD。葉書サイズでも、時として手間暇かけて丁寧に作ると、ほとんど一日費やしてしまうことがあります。自分の性分でこうしたものを雑に作ることが出来ず、自分が考える水準まで到達できないと気分が悪いのです。過去のRECORDにも手を入れたい作品は数多くありますが、それは自分を抑えてやらないようにしています。ホームページにアップしたRECORDについているコトバ然りです。今進めている4月のRECORDも時間をやりくりして、何とか日々ノルマをこなしている現状です。もう少し時間があれば…と思いますが、時間があっても同じことかもしれません。ヤル気がなくても、やってみると面白くなってイメージが次から次へ湧いてくることがあります。人間だから気分にムラがあって当然だと思いますが、怠けたい気分にカツをいれ、自分を創作に向わせる手段としては最適かもしれません。        Yutaka Aihara.com

歓送迎会の夜

現在勤めている職場と今年3月まで勤めていた職場の歓送迎会が重なって、二つの会場をかけもつことになりました。迎え入れられる方と送り出される方、いづれも自分にとっては感慨深いものがありました。迎え入れられる現在の職場の歓送迎会では、自分のことを知っていただくために一芸を披露し、送り出された前の職場の歓送迎会では思い出話に花が咲きました。もうこれで前の職場とは縁が切れますが、とは言うものの横浜市の公務員という狭い世界でのことなので、また次の転勤でかつての仲間と出会い、一緒に仕事をする可能性は十分あります。現在の職場できっぱりと頑張っていこうと決意できた夜でした。                        Yutaka Aihara.com