「夢の漂流物」で思い出すこと

表題は白倉敬彦著「夢の漂流物」(みすず書房)です。「私の70年代」と副題がついている通り、作者が交流した美術家や文学者を通して70年代を回顧し、その時代の側面を分析したエッセイです。自分は大学を出たのが79年で、ちょうど新しい美術界の潮流に興味を持った頃でした。本書に登場する作家はメディアを通して知っている人たちばかりで、自分の20代を思い返す機会になりました。その中ですれ違ったことがある人は若林奮先生で大学の研究室におりました。ただその頃の自分は塑造による人体習作に明け暮れていて、あえて表現を広げようとはしていなかったので、若林先生に教えていただく機会はありませんでした。でも現代美術には敏感に反応していました。本書は当時の作家や評論家の交遊が克明に語られていることで、70年代に美術の世界でスタートをきった自分には、雲の上の存在だった人々が大変身近に感じて嬉しく思いました。今でも新しさを失わない表現や評論に改めて感銘を受けています。

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