ロースハウス

最近購入した新潮社「奇想遺産」。1980年から5年間暮らしたウィーンの街で毎日見ていた建物がロースハウスでした。「奇想遺産」によると出来上がった当時は市民のひんしゅくを買ったことがわかりました。バロック建築の街で、このロースハウスは装飾をなくした「のっぺらぼう」であって、ウィーン当局は工事中止命令を出したこともあったそうです。現代の眼からすると、ロースハウスは街に溶け込んで、むしろ目立たない存在だと思います。自分が住んでいた当時、何かの書物でアドルフ・ロースという建築家を知り、その代表的な建築がロースハウスだとわかって、改めて見に行きました。この何の変哲も無い建物が、完成当時物議を醸し出したことに不思議な感じを持ちました。それほどロースハウスは現代に繋がるデザインをもって登場したのだと思います。現在ロースハウスが普通に見えて、バロック建築が異様に見えるのが何よりの証拠でしょう。              Yutaka Aihara.com

HPに個展告知

ホームページに来月の20日から始まる個展の案内をアップしました。案内状は来月初め頃にお送りしますが、名簿にない方に関しましては、このホームページでご確認いただけたらと思います。案内には初めて木彫の一部を使いました。今まで陶彫ばかりだったので、今回は軽やかな印象でまとめています。木彫を一部接写すると、巨匠ブランクーシの彫刻のようです。これはまさに画像の魔力によるものです。例年ホームページで個展の告知をすると、いよいよ個展が始まるんだという自覚が芽生えます。今年は慌てて制作をしていない分、なおさら個展に向けての心構えが出来て、ホームページの有難さを感じます。告知を公開してしまえば、あとはやるしかないと思います。自分のホームページにはこの文章の最後にあるアドレスをクリックしていただけると入れます。よろしくお願いいたします。          Yutaka Aihara.com

カール・マルクス・ホフ

1980年から5年間住んでいたオーストリアの首都ウィーンでは、頻繁に地下鉄を利用していました。あの頃出来たばかりの地下鉄はとても奇麗でモダンでした。郊外のハイリゲンシュタットまで出かけた折、当時共産主義だった東欧でよく見かけた巨大なアパートが目前に広がっていたのが印象に残っています。褪せた赤色の壁に「カール・マルクス」と書かれていて、やはりここは西欧の東の端、つまり東欧との境にあるんだという意識を持ちました。そんなカール・マルクス・ホフが「奇想遺産」という本に出ていて、懐かしさと同時に、当時の自分の寂寥感が思い出されてしまいました。「奇想遺産」を読むと、このアパートには幼稚園や図書館、レストラン、共同洗濯場、共同浴場などの施設を備え「大衆のユートピア」を実現していたことがわかりました。自分の知らなかったウィーンがそこにあって、一面しか見えていないあの頃の学生生活に歯痒さを覚えました。           Yutaka Aihara.com

アートな車選び

新車の購入を決めたのは3ヶ月も前のことです。「お客様の注文を受けて車体をハンドメイドでやりますので、お待ちいただくことがあります。」と東京世田谷にあるディーラーは言っていました。しかも工場は富山県にしかないとのこと。日本で一番小さくて風変わりな光岡自動車を買おうとしたのは随分前のことですが、クラシカルな車体を持つ米国車にまず手が出てしまいました。そのクライスラーPTクルーザーを今日手放し、念願のミツオカ・ビュートがやってきました。自分は実用車としての車より、どちらかというと個性的なデザインの車に憧れます。アートな遊び感覚が好きなのです。価格は高級車の部類には入りませんが、エンジン等の機能を考えると高価なのかもしれません。価格のほとんどが手作りされた車体にあると思うからです。今回買い換えた車は通勤には使いません。いつまでも奇麗にしていたい車です。 Yutaka Aihara.com

スピード違反の厄日

このブログは自分の日記として活用しているところがあります。それで表題のようなことも記載するのです。4月から通勤は電車・バスに変更したのですが、週末は自家用車を使っています。たまに使う車だったのに、横浜の環状2号線60キロ走行のところを17キロオーバーで白バイに捕まってしまいました。どうして自分だけが…と文句のひとつも言いたくなるのですが、先を急いでいたので、何も言わずに罰金を払うことにしました。規則は規則と若い警察官は言っていましたが、それなら横を走り抜けていく車は全部が全部規則を守っているの?と捕まっている自分を見て急にスピードを落とす車を横目に見て、そんなことを考えていました。不運と言うべきか、法律違反を素直に認めるべきか。実は今日がクライスラー最後のドライブだったのです。明日は国産の新車がやってきます。車が変わっても交通法規を守らなきゃと自分を戒めた一日でした。 Yutaka Aihara.com

オブジェとしての椅子

機能を持たないモノがオブジェで、家具のように日用品として使われているモノはオブジェとは言いませんが、椅子には不思議な魅力があってオブジェとしても鑑賞に耐えうるモノがあるように思います。マッキントッシュの椅子は美しさを追求していて、座りやすさはどうなんだろうと疑問を持ちます。ガウディの椅子も同じです。今日アンコール放送されたNHK番組「美の壺」を見ていて、人間が一番使う椅子が彫刻的な美しさを持ったフォルムをしているのに気づきました。知り合いの美大生が2年前に独特なフォルムの椅子を作っていたこともあって、自分も俄に椅子に興味を覚えています。座りやすさを追求し、それでもなお美しいフォルムの椅子。工業デザイナーの中には椅子の魔力に憑かれている人もいます。自分も一度作ってみようかなと誘惑されそうな魔力です。                    Yutaka Aihara.com

車窓からみえる風景

通勤で電車に揺られている時は、ほとんど読書をしているので、車窓から外の風景を眺めていませんが、たまにボンヤリと外を見ていて思うことがあります。電車という箱モノに自分が入って、自分が歩いたり走ったりする何倍速のスピードで移動する状態が不思議でならない時があるのです。外に見えている風景はまぎれもなくリアルな世界ですが、その風景が飛ぶように過ぎ去っていく様子は、まるで仮想空間のようで、そこに自分が存在していないように思えます。存在を確かめるために走る電車から身を投じることはできませんが、一瞬で変わる風景が、次から次へと記憶を書き換えて、その流れの中では自分の存在を消しているかのような気持ちがしてきます。箱モノの内外の区切られた世界があるからこそ、外界に向けられた自分の存在を消しているとも言えます。自分の意識は、ただの眼だけになって流れる風景をキャッチしていると感じます。                   Yutaka Aihara.com

運動不足の解消法

一日中パソコンで文書処理や会計処理をしたり、郵便物に目を通したり、来客の接待で終わっています。難しい課題が持ち込まれて判断することもありますが、実際に身体を使って動く場面がありません。当然運動不足になり、このまま机にしがみついていると健康上深刻な事態になりかねません。神経ばかり使っているのもまずいなと感じています。そこで夜は近隣のスポーツクラブに行き、多少でも汗を流しています。前のブログに書いた水泳は習慣になって、週数回は欠かさずにやっています。電車通勤にしたのも運動不足の解消のためです。駅は出来るだけ階段を使って上り下りしています。わずかなことですが、長く創作活動に勤しむために健康を第一に考えるようになりました。                             Yutaka Aihara.com

夜の豪雨

梅雨の季節です。湿気の多い不快な時期ですが、陶の成形にとってはいい季節なのです。湿気が多いということは、成形してもひび割れが少なく、成形後もゆっくり乾燥するので、とてもいい状態を保てます。陶芸にはいい季節ですが、職場の行き帰りはいいとは言えません。このところ夜半過ぎに豪雨に見舞われることがあって、帰路はザアザア降りの雨の中を自宅に向っています。日本的な季節感ですが、仕事で疲れた自分には情緒を楽しむ余裕はありません。浮世絵の豪雨の表現の如く、雨は天から幾筋もの線を引いています。線を遮る自分の傘には夥しいノック音が聞こえます。インパクトがあるひと時ですが、これを作品化することは今の自分にはなかなか出来ません。身体ごと体感する表現であれば、こんな雨降りの状況をモチーフに、何か作品めいたモノが作れるのかもしれません。               Yutaka Aihara.com

案内状・図録の完成

職場から帰ると、親しい仲間2人(といっても仕事上ではカメラマンですが)が自宅に来ていて、個展の案内状や図録を1000部ダンボールに詰めて持ってきてくれました。私は印刷も彼らにお任せなのです。ポスターも作ってくれていました。プロとしての仕事なので、それらが上出来であるのはあたりまえですが、自分の作品が実物とは違った意味で、映像としての生気を与えられていることにやはり感動を覚えます。公務員とは異なる世界が自分にはあるという意識、多少何があっても自分だけの世界が持てることは幸せなことだと実感しています。個展の搬入では自己嫌悪に陥る時もありますが、写真で見る自分の世界は手放しで喜べます。今度こそいいものが出来たと思える瞬間なのです。少なくても個展の始まる前までは快く過ごせます。他者(カメラマン)の感覚が介入しているのは、自分からやや離れている状態のところに作品があって、生々しさがないため気持ちは平静を保っていられるのではないかと感じています。                  Yutaka Aihara.com

地形への興味

自宅近くの山林が開発されて介護住宅が建設されることになっています。山を削り取った崖にはコンクリートのブロックが積まれています。景色がみるみる変わっていくのを通勤途中に見ています。むき出しの崖の斜面は関東ローム層の赤土があって、ブロックが積まれる前に、その美しい姿を見せています。どうも自分はこうした地形に興味があるらしく、現場をしばらく眺めていたい願望に駆られます。バスの時間を気にしながら、やや立ち止まり、崖に穴を空けて人が住めるようにしたらどうだろうと思ったりしています。トルコで見たカッパドキアのように。日本は湿気があって、しかも赤土では無理なことはわかっていても丘陵を利用した建物が出来ないものかと思います。自分の陶彫がところどころ顔を出していたら素敵なのにとイメージを膨らませることがあります。地形を考えた作品の設置は、自分の今後考えたいテーマなのです。                          Yutaka Aihara.com

農耕タイプの生活

現在の自分の生活は横浜市公務員としての勤務が中心となっています。創作活動はもっぱら週末で、限りある時間の中で集中して発想を巡らせ、素材に向う作業をやっています。10年も経たないうちに定年を迎えると、きっと自分は創作活動一本になります。その時のスローな生活がどんな展開を見せるか自分には実感がありません。かつてブログにも書いた記憶がありますが、自分は多忙な中で創作を続けてきました。忙しいからこそ多面的な仕事もこなせると感じています。自分は朝から晩まで決まった時間の中で何かをやることが好きなタイプです。たまに変化を求めますが、ほとんど習慣化した中で創作をもやっていける性格です。いわば農耕タイプなのかもしれません。きっと定年を迎える時には、創作活動と併行してスポーツやボランティアをやって、きっと自分なりにリズムを作って多忙さを保ち続けるのではないかと想像しています。                       Yutaka Aihara.com

「瀧口修造」の周辺

以前読んだ白倉敬彦著「夢の漂流物」(みすず書房)や現在通勤中に読んでいる巖谷國士著「封印された星」(平凡社)に登場する瀧口修造という人はどんな人だったのか、美術家とのつきあいが多かった故人だけに、その周辺から発せられるエッセイで偉業を知ることができます。瀧口修造はシュールレアリスムの詩人で、ジョアン・ミロやアンドレ・ブルトンとの交流があった人くらいしか自分は理解していませんでした。当時、知り合いたくても、自分が幼すぎて、縁に恵まれなかったと感じています。周辺の作家や美術家の書いたもので瀧口修造の仕事を推し量り、いずれ全集を読もうと決めています。あと10数年早く生まれていたなら…と思うこともありますが、本人でなくても残された詩や評論や作品を通して、その人に近づくことはできるのではないかと思います。瀧口修造は気になる巨匠のひとりです。     Yutaka Aihara.com

個展用図録の見本

7月20日から開催するギャラリーせいほうでの個展。今年の個展用図録が出来上がってきました。自分にとっては4冊目の図録になります。一番気に入っているところは表紙です。自分が描いたラフスケッチをもとにカメラマンが映像を合成し、陶彫と木彫を組み合わせた表紙に仕上げてくれました。2点の異なる作品を組み合わせて表紙に使ったのは初めてです。作品が持っている色彩が暗いため図録も渋い色調になりました。陶彫は黒陶に近い色が焼成で出てしまい、また木彫は柱の下半分を炙って炭化させているために、作品は明度の落ちた暗い印象になります。ただ黒っぽい中に微妙な色調もあるので、それを捉えて図録に変化をつけています。これはもうひとえにカメラマンの努力によるものと思っています。図録の文章は今回書きおろしではなく、このブログから引用しています。今年の個展に関わるところを3日分採用しました。図録は個展会場で配布いたします。           Yutaka Aihara.com

「死と生の遊び」を読んで

表題は酒井健著「死と生の遊び〜縄文からクレーまで〜」(魁星出版)で、書店で本の中を捲ると自分の好きな作品ばかり集めた評論集だったので、早速購入しました。扱っている作品は絵画や建築や工芸など多岐にわたっています。それら作品を貫くものが全ての作品にある「死」の存在。それ故「生」が際立つことを論じています。自分の中には無かった死生観ですが、論じられている作品が自分の傾倒する分野と一致するのは単なる趣味の一致ではないような気がしています。自分の心の奥底にもそうした闇があるのかもしれません。自分はまだ頭で解っていても、感覚がそこまで到達し得ないのではないかと考えます。近代西洋から渡来した啓蒙思想が近代日本にも浸透し、自分もそうしたモラルを教育された一人として、その範疇を超えない生き方が身についていて、自分の中に眠る不可思議な憧れに似た何かに近づくことが出来ないと感じる時があります。あるいは、創作行為によってその何かが解き放たれる時を待ち望んでいるのかもしれません。そんな思いに掻き立てられた一冊でした。                      Yutaka Aihara.com

「ゲルニカ」を考える

通勤の車内で読んでいる美術評論集にピカソの「ゲルニカ」に関するこんな記述がありました。「ロルカ(スペインの劇作家・詩人)がもしもあと数年生きていたならば、[ゲルニカ]を「死の国」への哀歌として公表したピカソに対し、どのような思いを持っただろうか。とりわけ、絶叫の光景を見入る雄牛の姿をどう思っただろうか。めざとくそこに欺瞞を見出したにちがいない。国外で正義の人として活躍する強かさの裏に、道徳上の不安を解消し英雄的な画家として生き延びてゆきたいとするピカソの弱さがあることを見てとったにちがいない。(略)」(酒井健著「死と生の遊び」より)自分が「ゲルニカ」に感じていた単純な感想とは違い、こんなふうな洞察があるんだと思い知り、歴史が認めた偉大な絵画が描かれた背景や画家の置かれた社会環境などを調べると、幅のある解釈が成り立つことに驚いています。そこにこうした評論の面白さがあると言えます。              Yutaka Aihara.com

6月のRECORD

今年のRECORDは、幾何学的な図形の繰り返しを毎月ごとパターンを決めてやっています。今月は画面中央に4つの同じサイズの矩形を配置し、そこに要素を加えて展開できるような作品にしています。幾何学的な図形は、ともすれば形骸化する危険を孕んでいます。毎日同じサイズの作品を作っていると、前日の作品をやや変えて、ただなぞるだけの機械的な仕上げに陥ってしまい、途中で納得できずに悩むことが多々あります。公務の仕事が立て込んでいる時はなおさらで、夜RECORDの制作中に睡魔が襲ってきて、適当なところで妥協してしまうことがあります。それでも一度休んでしまうと、このまま気持ちが途切れてしまいそうな気がして、ひたすら作り続けているのです。今日出来たRECORDが今までのうちで最高と思えるように、本当に日々そう思えたらいいなと願いながら葉書大の平面に挑んでいます。                                Yutaka Aihara.com

RECORDの印

一日1枚のペースで葉書大の平面作品を作っています。RECORD(記録)と称して、自分のホームページにもアップしています。今年で3年目になりますが、RECORDはずっと継続していきたいと思っています。自分の作品には陶彫であれ木彫であれ自作の印を作品に押してサイン代わりにしています。RECORDも例外ではなく、過去2年間の作品には1点ずつ押印しています。今年といっても、もう6月ですが、やっと印が彫りあがりました。まとめて押印して日付をつけたいと思います。今回の印は自作の印の中では最小サイズです。「裕」の一文字を線描のデザインにして陰刻で彫ってみました。印は書道の世界ではひとつの領域をもっている表現ですが、自分は書道とは関係なく好き勝手にやっています。自分の中で印は絵画領域に入るものと位置づけていて、画面構成やデフォルメを考えながら楽しんで作っているのです。                           Yutaka Aihara.com

ミロ美術館の記憶

このところブログはバルセロナの話題が続いています。20数年前に訪れたバルセロナは自分にとって大変刺激的な街でした。市街から離れた小高い丘の上にミロ美術館がありました。美術館は青い空のもと、緑の丘に建つ白い建物という印象で開放感に溢れていました。空間が羨ましいと感じた最初の美術館です。学生時代によく出かけた穂高の碌山美術館は、その時まで自分の中では最高の美術館という位置づけをしていましたが、色彩が奔放に交差するミロの作品を、広い空間に展示するミロ美術館は、そのスケールで自分の中の個人美術館の先入観をひっくり返してしまいました。ロケーションもミロの作品の一部のように思えました。こんな美術館が自分にもあったらいいなと素直に思いました。当時はまだ自分が何者でどんな表現活動をしていくのか皆目見当がつかなかった頃なのに、まず美術館の空間に憧れていました。ミロ美術館の最初の印象から20数年。もう一度ミロ美術館を訪れる機会があったら、今度はどんな感想を持つのでしょうか。         Yutaka Aihara.com

ピカソ美術館の記憶

昨日のブログを書いていたら、20数年前に行ったスペインのバルセロナの記憶が甦ってきました。たしか9月ごろだったような記憶がありますが、結構暑い日でした。バルセロナ旧市街のピカソ美術館に入って、ピカソが若い頃に描いた具象絵画の完成度の高さに驚いた記憶があります。美術館は路地の建物が立ち並ぶ一角にあって、その何気なさが気に入ってしまいました。かなり市街を歩き続けていた後だったので、疲れた足を引きずって美術館を見てまわりました。でも美術館に掛けられたピカソの絵画に、ほっとした気分になりました。ピカソが生きた時代には、この絵画を見て、ほっとするような気分になれる人が何人いただろうかと思いつつ美術館を出ました。夕方居酒屋に入り、よくわからないメニューから適当につまみを頼んだら、魚の太い骨の揚げたモノが出てきて辟易した思い出があります。 Yutaka Aihara.com

ガウディを見た記憶

通勤電車で読んでいる本にアントニオ・ガウディに関する文章が出てきたので、自分も実際に見たことのある建築や公園が思い出されてきました。ガウディはスペインのバルセロナで活躍した建築家で、うねうねとした曲面を使った斬新なスタイルで知られています。自分は20数年前にバルセロナを訪れ、サクラダ・ファミリア大聖堂やグエル公園を見ています。サクラダ・ファミリア大聖堂は装飾を飽きずに眺めて過ごした思い出があります。塔の上の方まで螺旋階段が続き、先端まで登りつめました。危険な箇所がいくつもあって、日本ではこんなふうに公開できないと思ったものでした。グエル公園はモザイクのある広場が印象に残っています。執拗に繰り返されるカタチを見て、日本人の淡白さとの文化の違いを改めて思い知らされました。ガウディに同じスペイン人のピカソやミロやダリの血縁を感じ取りました。  Yutaka Aihara.com

家内の師範試験の日

家内は幼い頃にヴァイオリンを習っていて、学生時代は舞台美術に憧れて美大の空間演出デザイン科に入学しました。同じ美術を志す身として、その頃自分は家内と知り合いました。自分は美術しか出来ないのに対し、家内は当時から音楽性が豊かでした。ヴァイオリンは子どもの頃にとっくにやめていて、自分と所帯を持ってからは、もっぱらデザインの仕事をやっていました。最近になって地域の三味線教室に顔を出したかと思ったら、急速に演奏力をつけ、おまけに数少ない胡弓の演奏も手がけるほどになりました。自分のゆっくりした彫刻制作のペースとは大きな違いです。今日は家内の三味線の師範試験で合格を勝ち得てきたようです。演奏することが楽しいと言っている家内には、これが一番合っているような気がします。スピード出世が楽しさを物語っているようにも思えるし、ヴァイオリンの素養が役に立っているのかもしれません。師範になった要因は様々な要素が絡み合っていると考えます。もちろん私も含めて第一に楽しくなければやっている意味がない世界だと思います。 Yutaka Aihara.com

横浜の開港記念日

横浜港が開かれて今年で150年目だそうで、「Y150」というタイトルで、みなとみらい地区を中心に大きなイベントをやっています。今日は開港記念日で、このイベントも最高潮に達していました。自分はテレビで見ただけですが、イベントのあり方はともかく、自分の生誕地である横浜が開港150周年になったのは大変喜ばしいことだと思います。「ラ・マシーン」の上陸は実際に目にしましたが、動くところは残念ながら見ていません。まだ巨大クモはイベント会場にあると聞いています。先日は大桟橋まで行って、FUNEプロジェクトを見てきました。人を集めた祝祭も必要と思いますが、これからの横浜の街づくりや人づくりをどうしていくのかという課題が残されています。それを踏まえた次の行動が大切と考えます。横浜市で雇われて働く身分としては、今の祝祭よりも未来志向のプランに目が奪われていて、開港150年は祝祭で幕を引くのではなく、発展性をもったプロローグになって欲しいと願っています。                   Yutaka Aihara.com

6月の創作プラン

6月になりました。職場にも慣れてきました。まず、今月の創作プランですが、RECORDの現在のシリーズに捺印する落款を作らねばなりません。1月から始まっている3年目のシリーズですが、まだ印を作っていないのです。半年過ぎてしまいましたが、今週末に彫ろうと思います。来月の個展に出品する「発掘〜赤壁〜」は初めのイメージでは4点連作を考えていました。これは雛型にしてイメージを残そうと思います。もし、まだ時間が許せば、以前から温めていた「発掘シリーズ」の壁体を、これも雛型で残せればと思っています。雛型は厚紙を使って作ります。これは結構手間がかかり、雛型は雛型なりの世界があるように思えます。いづれ雛型展をやってもいいかもしれません。というのは、実物が雛型と同じになるとは限りませんし、こんなイメージを考えているという具体的なプランが眼に見えるカタチで表せるので、雛型は大変重宝なのです。6月はRECORDに加えて雛型作りをやってみようと思っています。

5月の終わりに…

今日は雨が上がり、久しぶりに日が差しました。倉庫建設中の畑を見に行って、その足でボランティアで個展の搬出入等を手伝ってくれている美大生に会いに行きました。作業場ではよく一緒に作業をしていましたが、現在彼女は教育実習中です。いろいろ話を聞いて、自分もひと昔、いや、ふた昔前を思い出していました。この週末も次作品のイメージをメモしながら過ごしています。今日で5月が終わります。そろそろ作業がしたくなっています。次作品は壁状の作品を予定しています。RECORDは5月分まで終わりました。6月はどんなテーマのしようか考えています。創作活動はどんな状況であれ継続しています。何よりも継続が大事と思っています。       Yutaka Aihara.com

個展が近づく足音

例年開催している東京銀座での個展が近づいてきました。今年も7月20日から企画展としてギャラリーせいほうの予定に入れていただいています。今年で銀座での個展も4回目。少し今までの陶彫とは違う発展した作品を出品いたします。また今までと違うところは締め切り時間に追われていないところです。だいたい現段階で作品が出来上がっているというのは、お恥ずかしいながら初めてのことです。例年は週末になると、焦りつつ作業に没頭していました。今晩はずっと付き合いのあるカメラマンが自宅にやってきて、図録やポスターの打ち合わせを行いました。確実に個展が近づいている実感が湧いてきました。先日も日程確認のためギャラリーと連絡を取りました。毎年個展をコツコツ積み重ねることで、作品が広報され、またご批評をいただき、それによって自分の内面にも変化が生じるといいなと思っています。 Yutaka Aihara.com

職場のメンタルヘルス

今日は管理職研修があって、最近職場で増えている「うつ病」等による心の病の話が出ていました。確かにメンタルな部分で休職する人は自分の近くにもいました。自分も4月から新しい職場に人事異動があって、仕事尽くめの毎日です。「生真面目で…仕事を抱え込み…孤立傾向で…」と講師の方に言われると、日頃職場でメンタルな相談に乗っている管理職だって、いつ「うつ病」傾向になるかわかりません。自分を振り返ると恐ろしくなるところですが、自分には公務の他に創作活動があり、それで自分の精神のバランスを保っていると言えるのかもしれません。モノ作りをしている時は、すべてを忘れて打ち込んでしまうのです。それはそれで思いつめると厳しいものがありますが、少なくても公務のストレスは発散しています。そこで創作に対するストレスが発生しますが、公務に戻ると逆に創作ストレスは消えてしまいます。自分には互いのストレスを回避する方法があると考えてもいいのかもしれません。                            Yutaka Aihara.com

「オブジェ焼き」を読む

表題は八木一夫著「オブジェ焼き」(講談社)です。八木一夫は前衛陶芸家として知られ、用途を持たない陶による作品を作った草分け的な存在です。陶彫を表現方法に選んだ自分としては、八木一夫の「ザムザ氏の散歩」等の前衛陶芸は避けては通れない世界です。本書は著者が生前に上梓した「懐中の風景」と没後に出た「刻々の炎」から編集された文庫版です。京都の窯元に生まれた著者が、中国や朝鮮の陶磁器研究や若い頃からの交遊録等を通して、オブジェ焼きに到達するまでの過程を、時に軽妙洒脱、また辛辣な口調で語る内容からは、自分などは足元にも及ばない伝統の分厚さを感じさせるものがあります。轆轤を挽くこともままならない自分には、土の土たる所以を知らしめてくれた刺激的な一冊になりました。60年という短い人生の中で様々な試みをして、後世に表現の何たるかを伝えた八木一夫。自分には飄々とした雰囲気が伝わってきますが、果たしてどんな人だったのでしょうか。Yutaka Aihara.com

横浜中華街へ…

義母の三回忌が来月に迫り、食事会の予約に横浜中華街へ行ってきました。ウイークディだというのに結構人が多くて驚きました。横浜の観光スポットではありますが、まるで週末のような賑わいでした。行きつけの中華飯店に予約を入れて、家内と散歩をしました。久しぶりの中華街です。行けば必ず立ち寄るところが「チャイハネ」という雑貨店で、アジアや中南米の色彩豊かな雑貨が所狭しと置いてあるのです。プリミティヴなデザインはなかなか刺激的です。扱っている雑貨を見ると、敢えてアート感覚に優れたものを選んでいるような感じがします。アフリカの古い仮面は姿を消してしまいましたが、「チャイハネ」系列の別の店でよく見かけた仮面が楽しく、行く度にひとつくらい購入しようかと思っていたところ、その店が別の雑貨を扱うようになってしまいました。それでもそこで鉄製の馬や扉のようなモノを購入しています。それはインドの工芸品でした。やはり近くにこうした中華街があるのはいいなと思いながら帰ってきました。             Yutaka Aihara.com

睡眠ばかりの代休

土曜日から二泊三日の出張があり、昨晩帰ってきて今日は代休です。出張でかなり疲労していたらしく、今日一日は眠気がとれず、ウトウトとした一日を過ごしました。創作活動をしようにもヤル気が起こりませんでした。眠っているような眠っていないような時間が流れ、何もせずに過ごしました。最近は珍しい時間の過ごし方です。このところ週末は本格的な作業はしないにしても、何か創作をやっているような状態です。今日は午前中は治療中の歯科病院に出かけ、午後は寝てばかり。こんな一日もあっていいと自分に言い聞かせています。                          Yutaka Aihara.com

縄文土器への思い

新潟県に行ったことで、もう一度縄文土器を見に新潟県に来てみたいと思っています。十日町に多くの出土品があると聞いています。縄文土器を芸術として位置づけたのは岡本太郎ですが、自分も縄文土器の魅力に取り付かれている一人です。粗い作りに始原的な力があり、人がモノを作る原点のようなものを感じます。ピカソやモディリアーニがアフリカの彫刻に魅せられたように、自分も縄文土器に魅せられるのだと思います。人間の営みの中で派生する美には、説明のつかない力が宿っていると思います。縄文土器の装飾が装飾で終わらず、器全体にまるで生き物のような動きを感じさせるのは、自分の陶彫制作の発想の下地にもなっているのです。自分は縄文土器そのものをモチーフにしていませんが、現代の造形であっても人がモノを作る原点は当時も今も変わらないのではないかと思います。