映画「ヒトラーへの285枚の葉書」雑感

先日、横浜のミニシアターに「ヒトラーへの285枚の葉書」を観に行きました。お盆の時期のためかミニシアターは観客がほぼ満席状態でした。自分は意識していなかったのに結果的には終戦記念日に相応しい映画を観たことになりました。「ヒトラーへの285枚の葉書」は実話に基づいた映画です。原作はドイツ人作家ハンス・ファラダで、ゲシュタポの記録文書を基にした「ベルリンに一人死す」に記されたハンペル夫妻の行動を映画化したものです。映画では原作にない周辺人物たちが登場していますが、戦時下におけるベルリンの市民生活を今に伝えるための工夫と解釈しました。時代は1940年、フランスに勝利したナチス政権で、戦況に沸き立つベルリンが舞台です。軍需工場で職工長をやっているクヴァンゲル(実話はハンペル)の元に一人息子の戦死を伝える手紙がやってきます。忽ち喪失感に打ちひしがれる夫妻、やがて夫はペンを手にしてカードに怒りのメッセージを書き始めます。政権を糾弾するメッセージを街のあちらこちらに置く夫妻、その数は285枚に上り、ゲシュタポの警部の捜査が始まります。大佐の圧力から誤認逮捕をしてしまい、追い詰められた警部がついに夫妻のところに現れるのでした。解放や自由という人間の尊厳を取り戻した夫妻が凛として刑場に向かうシーンで終わりますが、逮捕した警部もまた束になった葉書を前に自らの命を絶つラストがありました。平凡な労働者階級の夫婦がペンだけでナチス政権に抵抗した実話を知ると、ヒトラーに反感を持っていた人々が多く存在し、何らかのレジスタンスがあったと考える方が妥当でしょう。日本の近隣にも独裁国家がありますが、果たしてそこに生活する人々はどうなのか、現代にも通じる課題が突きつけられた映画だと思いました。

Exhibitionに2017年個展をアップ

ホームページのExhibitionに今夏の個展をアップしました。Exhibitionは毎年個展会場をカメラマンに撮影していただいて、コトバをつけています。ギャラリーせいほうの白い空間の中で、彫刻作品が自然に見える状況がとても良いと思っていて、その雰囲気を出しているExhibitionのページは私のお気に入りです。彫刻作品は周囲の環境によって変化します。野外工房の太陽の下で撮影した時や、工房の室内で撮影した時もそれなりに気分が高揚しますが、何と言っても東京銀座のギャラリーせいほうで見る彫刻作品は格別です。彫刻作品がステージでスポットライトを浴びる役者のように凛々しく見えるのです。まさに私から旅立った作品が、歌舞伎で見栄を張る一場面のように感じさせるのは、作者冥利に尽きるというものです。Exhibitionのページは、また個展の記録としても意味をもっています。1回目から12回目までを一覧できるので、作品の制作順序を知ることが出来ます。過去を辿ると、毎年2点ずつ大きめの作品を展示しているので、現在まで24点の作品があります。その時その年代の思い出も甦ります。毎年何らか苦労して、搬入までの危うい綱渡りをして発表に漕ぎつけてきました。個展は回を重ねても慣れることはなく、毎回刺激的なのです。そんな世界を12年間も持てたことは幸運でした。でもまだ振り返る余裕はありません。来年も個展は続くので、次のゴールに向かって現在も作り続けています。来年も同じ時期に13回目の個展がExhibitionのページを彩るはずです。Exhibitionのページを見るには左上にある本サイトをクリックしてください。ホームページの扉が表示されますので、Exhibitionをクリックしていただければ、そのページに入れます。ご高覧いただければ幸いです。

休庁期間最終日は美術館へ…

職場で設定した休庁期間が今日で終わります。休庁期間と言えども職場に行くことはありましたが、休みを取得し易い環境を整えた関係で、この一週間は創作活動に没頭することが出来ました。今日は休庁期間最終日のため、年休をもらって東京の美術館に行くことにしました。制作と併せて鑑賞をも充実させたいと考えたのでした。午前中は工房に行って、昨日からやっている木彫に取り組みました。新作のテーブル彫刻の脚は木材で作り、そこに陶板を貼り付けていくのです。脚の床に接する部分は細くするため、彫り跡を残したまま木を彫っていきます。来年の作品はテーブル彫刻を複数作る予定で、木彫はこの時期にまとめてやっていこうと思っています。午後は東京広尾にある山種美術館に「川端龍子展」を見に行きました。お盆で高速道路が渋滞している情報が流れ、電車も若干空いている印象がありましたが、どのくらいの鑑賞者がいるのだろうと思いながら恵比寿駅を降りました。雨がどしゃ降りになっていました。日本画家川端龍子は人気があるためか、雨でも大勢の鑑賞者が来ていました。大作の日本画が並ぶ中で、眼に留まったのは「草の実」という紺地金泥の絵画でした。確か2012年に東京国立近代美術館で開催されたコレクション展で見た「草炎」という同じ紺地金泥の絵画が、私の印象に残っていて、今回の「草の実」は「草炎」に再会したような気分になりました。その他にも印象的な絵画がありましたが、別の機会に書こうと思います。

映画「ブレンダンとケルズの秘密」雑感

9世紀のアイルランドの物語を描いた長編アニメーション「ブレンダンとケルズの秘密」を横浜のミニシアターに観に行ってきました。ヴァイキングに両親を殺された若い修道士ブレンダンが、厳しい修練の果てに「ケルズの書」の最も神々しいページを描くことを縦糸に、ケルズ修道院長である叔父とブレンダンの葛藤を横糸に、「ブレンダンとケルズの秘密」は物語を紡いでいます。「ケルズの書」を書くためのインクの実を探しに魔法の森を彷徨うブレンダン、そこに妖精アシュリンが登場してブレンダンを助けてくれます。さらに細かい文様を描くためにクリスタルが必要で、森の中にある「嘆きの地」へ足を踏み入れたブレンダンは、アシュリンの必死の救済でそれを手中にするのです。ケルズ修道院にはヴァイキングの侵略が迫っていて、修道院の壁の内側では人々が混乱と闇に打ち拉がれていました。ブレンダンが書き上げた「ケルズの書」で人々の心に光を灯すことが出来るのか、聖なる本が人々の魂や慈しみと秩序を与えていけるのか、この物語はブレンダンと叔父の和解を結末として、神秘と伝承に満ちたファンタジーに仕上がっていました。ケルト文化はヨーロッパでは異質なものではなく、ヨーロッパの中心文化であるヘレニズム的市民社会やヘブライ的宗教性や道徳観では説明の出来ない、ヨーロッパに息づく文化の一つなのだということをどこかで読んだことがあります。日本に馴染みのある自然信仰や多神教がヨーロッパにもあったというもので、ケルト文化の組紐文様や渦巻文様は生命の継続や再生を意味していることもどこかで聞いたことがあります。ケルト文化の渦巻文様が縄文土器の装飾に似ていると指摘している書籍もあります。ケルト文化に興味関心が湧くのも、日本人の自分には自然なことのように思えます。アニメーションの背景を彩る装飾の美しさに心奪われたのは、きっとそんな日本人としてのアイデンティティがあるためかもしれません。

三連休 土錬機分解掃除

三連休の最終日になりました。今日も朝から工房に行きました。中国籍のスタッフも来ていました。彼女は工房の床に畳大のパネルを置いて、下塗り材を施していました。現在も大きめの平面作品をやっていますが、さらに大きな作品に取りかかるようで、彼女の静かな意欲を感じました。美大の助手を勤めて3年経ち、アーティストとしてここで何とかしなくてはならないという気概を持っているのが私にも伝わってきました。私は先日から不具合を生じている土錬機の分解掃除をしました。この土錬機の分解掃除は2回目です。前回は中に詰まった陶土が固まって、それを取り出すために分解したのでした。今回は業者に電話したところ、モーターに付加がかかっているのではないかという返答があったので、やはり詰まっている陶土を全て取り出すことにしたのです。動力部分と土連部分を連結するボルトナットが錆びていて、これを外すのに一苦労しました。土連部分はプロペラ周囲に陶土がこびりついているため、プロペラとそれを覆う金属を本体からはずすのにも苦労しました。こびりついていた陶土を剥ぎ取り、漸く掃除が終わったところで、土錬機を元に戻しました。業者の指示通り、暫く電源を入れて動かしてみました。とくに問題がなく1時間程度モーターは普通に動きました。土錬機の生産元の信楽町にお盆明けに連絡して、専用油を送ってもらおうと思っています。それにしても今日は疲れました。汗が噴出しシャツがびっしょりになりました。次回からは新作の木材部分に取りかかります。陶彫はもう少し時間を置いてから再開したいと思いますが、このまま土錬機が元通りになるのかどうか不安もあります。

三連休 RECORD解消&映画鑑賞

三連休の中日です。今日も朝から工房に篭って、昨日作った陶彫の成形に彫り込み加飾をやっていました。これで新作の陶彫部品は2点目になり、乾燥を待つことにしました。昨日から土錬機の不具合があって、今月の目標にしていた陶彫部品6点は出来そうになく、今日までの2点で陶彫は暫し休むことになりそうです。今日も朝から中国籍のスタッフが来ていました。彼女も自身の制作に熱心に取り組んでいました。今日特筆すべきことは工房の陶彫制作のことではなく、自宅で夜の時間帯にコツコツやっているRECORDのことです。一日1点ずつポストカード大の平面作品を作ることを自分に課して10年以上が経ちました。これをRECORDと称していますが、最近は下書きだけを毎晩終わらせて、彩色や仕上げを後日に回す傾向にあり、それが山積みされていました。休庁期間に入ってから一念発起をして、山積みされたRECORDの彩色と仕上げを懸命に進めていました。今晩やっと追いつき、山積み解消となりました。初心の頃のように毎晩しっかり完成させていたら、こんな思いをしなくても済んだのにと思いつつ、これからは気持ちを改めていこうと決めました。RECORDは4000点近い作品があります。ここまでくると陶彫に匹敵する表現活動になっていると言っても過言ではありません。夕方は家内を整骨院に車で迎えに行って、そのまま横浜のミニシアターに映画を観に行きました。私は前からアイルランドに伝わるケルト文化に興味を持っています。古代の渦巻模様が残る遺跡を図版で見たときから、その装飾性にも関心があります。ダブリン大学図書館に所蔵されている「ケルズの書」も一度見てみたいと思っています。そんなテーマを扱った長編アニメーション「ブレンダンとケルズの秘密」が上映されているのを知って、早速観に出かけたのでした。アニメはあらゆる場面で画面構成が美しい一言に尽きると感じました。デザインの水準の高さも然ることながら、緻密な中世絵画を見ているような錯覚を持ちました。平面性を追求した画面が滑らかに動いていく完成度の高さに驚きました。内容や感想は後日改めますが、ケルト文化に関する興味が益々湧いてきて、本腰を入れて研究してみようかなぁと思います。

三連休 陶彫成形続行

今日は山の日です。今日と週末を足して三連休になりますが、職場は休庁期間に入っていて、そのおかげで今週は年休を取得して休んでいるため、三連休の有難味は半減しています。工房での制作は良い具合に進んでいて、充実した夏季休暇になっていると実感しています。今日は久しぶりに若いスタッフが工房にやってきました。彼女は度々NOTE(ブログ)に登場している中国籍のアーティストで、大きなパネルに波型をモティーフにした作品を作っているのです。先日、彼女は家内と懇意にしている呉服屋さんで浴衣を購入して、八王子のお祭りに出かけたようです。彼女が言うに自分の部屋ではなかなか制作が進まないので、今日は工房に顔を出したのでした。私は先日大きなタタラを5枚作っていたので、それを使って陶彫部品の成形をやっていました。新作の陶彫部品としては2点目になります。明日は成形した部品に彫り込み加飾を施します。さらに陶土を土錬機にかけようとしたところ、モーターの不具合が生じました。時折、動力が停止してしまうのです。これはいよいよ分解掃除をして、業者に見て貰うしかないと思いました。今はお盆休みに入っているので、今月下旬に連絡を取ろうと思います。この土錬機は工房にやってきて何年経ったのでしょうか。動力に変速ギアもないし、単純な作りなので滅多に壊れないはずと思っていましたが、いざ使えなくなると大変不便です。今が来年の個展からすると一番遠い時期なので、修理するとなれば不幸中の幸いなのかもしれません。新作の陶彫は暫く休んで、木材の加工を進めようと思います。来年の新作は、大きなテーブル彫刻の他に小さめのテーブル彫刻を複数作っていくイメージがあるため、近々木材店に素材を見に行こうと思っています。今日作った陶彫部品は明日も作業続行です。

新聞より抜粋「合掌の姿」

祈りを捧げる時、人は両手を合わせて合掌します。その姿は宗教や宗派を超えて祈る姿の美しさを内面から醸し出して、信仰の薄い私ですら感銘を受ける時があります。両手を合わせる合掌は、どんなところからきているのでしょうか。このお盆の季節に先祖の墓参りに行って自然に手を合わせる行為に、何故このようなことをするのか疑問をもったのは私だけでしょうか。今朝、自宅に配達されていた朝日新聞の小欄に、偶然目に留まった箇所があり、合掌のもとになったであろう一文がありました。それは「折々のことば」欄で、筆者は鷲田清一氏です。宗教学者山折哲雄氏の一文を取上げて解説した箇所が、私の心に引っかかりました。短いので全文掲載させていただきます。「永平寺で坐禅の手ほどきを受けた宗教学者は、雲水たちが沢庵をかじるときも汁をすするときも一切音を立てないのに驚く。それはすぐに見習えたが、食器をお膳に戻すときにどうしてもカタッと音がする。見れば雲水は食器にいつも両手を添えていた。そして、何かを両手で大切にいただくその作法が合掌の姿に結晶したのではないかと思い到る。」この小論の中で、何かを両手で大切にいただくその作法云々、という箇所が私の気持ちにストンと落ちました。相手に両手を添えて書類を渡す、相手から何かを受け取るときは両手を差し出す、それは職場でよくある行為で、人を敬う無言のコミニュケーションなのかもしれません。合掌に到る行為は何も信仰だけではなく、人間関係の中でも通用すると考えます。寧ろこんなちょっとした気遣いが職場環境を円滑にするとも考えられます。

六本木の「ジャコメッティ展」

スイス人の彫刻家・画家アルベルト・ジャコメッティは、NOTE(ブログ)に幾度となく登場しています。それほど私が気になって仕方がない芸術家なのです。学生時代に針金のようになったジャコメッティの人体像を見てから、30数年もずっと惹かれていました。理由もなく惹かれるのは彫刻家若林奮にも言えることで、彼らには私を捉える何かがあると思っています。ジャコメッティにはデッサンや油絵もあって、とくに油絵は灰色の画面に現れてくる正面を向いた人体に、対象を描いては消し、また更新しては消去する繰り返しが見て取れます。その追求した痕跡が印象に刻まれてしまい、完成よりも途中過程の方に彼が求める芸術があったのではないかと思うほどです。針金のように量感を削り取った人体塑造も、初めから細く作ろうとしたのではなく、眼に見えるカタチを追求した結果、あのようなカタチに辿り着いた感じがしています。そんなジャコメッティの展覧会が東京六本木の国立新美術館で開催されているので見てきました。私は20代の頃に人体塑造をやっていたおかげで、ジャコメッティの人体像がある程度理解できます。空間に粘土でデッサンするよう指導を受けて熱心に人体塑造をやっていた私は、人と競って巧みに作ることに拘っていましたが、ある日、学生たちが作った人体像がビニールをかけられて林立する大学の工房の雰囲気を見て、亡霊のように存在する像そのものに、空間とは何かを自問したことがありました。それは街の中をすれ違う人々の空気を感じ取った瞬間でしたが、ジャコメッティの世界にも共通する空間解釈があるように思えます。幻のようでいて確固たる存在がある空間造形、それがジャコメッティかもしれません。図録にこんな一文がありました。「存在を限界まで削り落としつつ存在を限界まで主張するという逆説を孕むがゆえに、さまざまの社会を規定する文化的構造の一切を乗り越えて、人間の運命を表現するという次元に到達している。」(マーグ財団美術館館長オリヴィエ・キャプラン著)ジャコメッティについては、また別の機会にNOTE(ブログ)で取上げたいと思います。

昼夜を通して創作活動

休庁期間の2日目です。私は昨日に引き続き年休を取得していて、朝から夕方まで工房で陶彫部品の成形をやっていました。窯に入るサイズとしてはギリギリの大きさの陶彫部品なので、ひとつ作るのに骨が折れました。今までに作った陶彫部品の中で最大級のものかもしれません。彫り込み加飾は後日にしました。工房内は相変わらず猛暑で、今日も汗が噴出してシャツがびっしょりになりました。10年前と違い、現在の年齢でこれを連日続けるのは厳しいかなぁと思っています。ただし、陶彫をやっている時は、精神が研ぎ澄まされてフロー状態になっていることがあり、猛暑の不快感が消えてしまいます。我を忘れる瞬間がやってくると心が満たされるのです。これは比類のない充実感で、他のことをしてもこの充実感を得ることは出来ません。数日前、箱根に研修会で行っていた時に、多くの家族連れを見ました。家内にそのことを話すと、一般的に休暇はそういうふうにして楽しむものだと言われました。一般的な楽しみが私には楽しくなく、自宅で家内とテレビを見ていても退屈するばかりです。夜は専ら食卓でRECORDを描いている私は、昼夜を通して創作活動をしていると言えます。社会人としての仕事は責任職なので、それなりに割り切ってやっていて、神経を使う時も多々ありますが、創作活動で得られる充実感とは違う仕事上の達成感があります。仕事から帰って我に戻ると、何をしても楽しめず、創作活動に勤しんでいるのです。それでは創作活動は楽しいのかと言うと疑問も残ります。創作には刹那の楽しみがないからです。モノを創作することは苦しみを伴うことも少なくありません。それでも充実感があるので、魔力にでも憑かれたようにモノと格闘しているのです。

夏の休庁期間始まる

昨年から私の職場では、山の日やお盆の時期を含めた1週間を休庁期間にしています。私たち職員は休庁期間と言えども勤務を要するのですが、仕事を減らして年休を取得し易い環境を作っているのです。電話も留守電対応にしています。私は昨年から思い切って仕事を休むことにしていて、この休庁期間を創作活動に充てることにしました。今日から始まった休庁期間ですが、晦日や正月の休庁期間と同じく毎日工房に通う予定です。家内が先日から整骨院に通いだしたため、この期間中は私が車で送り迎えをしています。これは都合がよかったと思っています。ただし、休庁期間と言えども職場に出なくてはならない日もあります。今日は工房に篭りました。空調がない工房は大変な暑さで、水分を取りながら作業をやっていますが、それでも滴る汗の量が半端ではありません。朝9時から午後3時までの間にシャツを4回着替えました。シャツは汗が搾れるような濡れ具合です。12時に自宅に戻って昼食を取りましたが、味噌汁や漬物が妙に美味しかったのは塩分が不足しているせいかもしれません。今日の作業は陶土を土錬機にかけて、その後に手で菊練りをしてビニールで包む作業で、制作工程の中では肉体労働になります。汗が噴出したのはその作業のせいだろうと思います。畳大のタタラも6枚作りました。陶土を掌で叩いていると汗が陶土に染み込んでいきました。今までも夏の作業は似たり寄ったりで、仮の作業所で制作していた時も、日々暑さとの闘いでしたが、不思議と健康に過ごせていました。でも10年前とは違うなぁと感じていて、こまめに休憩を取って、最近は空調の効いた自宅に帰るようにしています。自宅で休んでいると、工房に戻ってくるのが辛くなるので、一日のノルマを決めて作業をしています。

週末 新作の制作再開

大変な暑さに見舞われている毎日ですが、朝から工房に出かけました。新作である大きなテーブル彫刻は、今夏の個展で発表した「発掘~宙景~」の制作時に併行して作っていたので、テーブルの下に吊り下げる陶彫部品12個は既に出来上がっていて、先週末に修整を終えています。柱陶も半分くらいは出来上がっているので、残りの陶板を作れば、それほど手間をかけずに出来上がっていくはずですが、新作は「発掘~宙景~」とは完成イメージが異なり、テーブルの床に置かれる陶彫部品があるのです。吊り下げられた陶彫部品と床から立ち上がる陶彫部品が中間地点で繋がるようにしたいのです。繋がるというのは接着することではなく、上から降りてくる陶彫部品の真ん中の空洞に下から立ち上がってくる陶彫部品が入り込むようにしたいと思っているのです。そのために床から、どのくらいの大きさと高さで一段目を作っていくのか、先週末はあれこれサイズを測ってみました。一段目の陶彫部品について、先週末考えた設計図を今日は手直しをしました。当初8分割としていた設計図を6分割に変えました。窯に入るギリギリの大きさですが、細かく分けるより、多少無理をしても大きく作った方が重量感があります。その一段目の陶彫部品からテーブルの外へ迫り出してくる樹根のような造形も、逞しく太く作ることが出来ると判断したのが6分割にした理由です。陶彫部品は大きくなればなるほど罅割れや歪みを心配しなければなりません。それでもこれは効果を狙った完成イメージへの挑戦とも言うべきもので、可能な限り妥協をしたくないと考えたのでした。いよいよ陶土を使おうとしたところで、以前土錬機にかけて作り置きをしていた陶土が、かなり硬化していたため、もう一度土錬機に入れ直さなければならないことになりました。ここまでで私のシャツは汗が滴るような按配になっていて、酷暑の中での作業に厳しさを感じました。うーん、今日はここまでで引き上げようと思い、持っていた水分を飲み干しました。また次回頑張ります。

週末 宿泊研修から帰って…

昨日から宿泊を伴う管理職研修があって、今日帰ってきました。毎年この時期に、横浜市の私が所属する職種の管理職は宿泊研修をやっているのですが、費用は自己負担です。せいぜい他に気を使うことがなく、箱根の温泉に浸かれるのが自己負担のいいところかなぁと思っています。今日の午前中に帰ってきましたが、工房に行く元気が出ず、自宅で休んでいました。数年前までは時間の余裕さえがあれば工房に行って制作に励んでいましたが、今は緩くなっています。ゴールが近づけば気合が入って、常軌を逸した制作になることは間違いなく、ゴールから一番遠い今は比較的緩い状態で過ごしているのです。この機会に山積みされた過去のRECORDに手をつけようとしましたが、これも気持ちが入らず、今日は全ての制作を諦めることにしました。家内が左足の膝に痛みがあって、胡弓の演奏に影響が出ています。私は車で家内を整骨院まで送り迎えをすることにしました。骨には異常がないようで、膝の裏側の筋に炎症を起こしていることがわかりました。胡弓の演奏は中腰で行うため、それを何時間も続けてやれば、足腰に変調を起こすことは分かっていましたが、野外の街中で多くの人々が見守る中で、途中で演奏を放棄することが出来なかったと家内は言っています、このところ何日も演奏が続いたので、この事態になったのでしょう。家内も私同様に休息が必要だと思いました。私は明日こそ制作を行います。

東京駅の「不染鉄」展

先日、東京駅にあるステーションギャラリーに立ち寄り、日本画家不染鉄の展覧会を見てきました。没後40年を記念して開催された回顧展でしたが、私は不染鉄という日本画家を知らず、初めて見る作品ばかりでした。まず、民家の立ち並ぶ俯瞰した風景画に魅了されました。墨の濃淡や暈しを利用した「朦朧体」や南画の影響が見て取れましたが、その画力の高さに驚きました。ポスターにもなっている「山海図絵(伊豆の追憶)」は富士山を描いた大作ですが、ちょうど箱庭を見るような独特な構図と描写が際立っていて、集落や手前に広がる海岸線、波間に泳ぐ魚や漁をする船もあり、俯瞰と接近描写が一つの世界を形作っていました。雪を頂いた富士山を描いた日本画の中では、独自の視点をもつ不染鉄の代表作とも言えます。不染鉄は、各種展覧会での数々の受賞歴があり、若い時は大島に渡って漁師をやっていたり、奈良では教職に就いたりして、エピソードの多い変わった生涯を送った人のようでしたが、画壇とは一線を引いていたので、知名度は実力ほどになかったのではないかと感じました。今回の展覧会には多くの人が訪れて、不染鉄ワールドに酔いしれていました。描写力と様式美が混在する画風は、見ていて分かり易い一面もあって、今後人気の出る画家かもしれません。私は個人的に不染鉄ワールドに度々登場する大海の波の表現が好きで、そこに点在する島々との描写対比が面白かったし、超絶技巧とも言える集落の表現に惹かれました。さすが漁師をやった人だけあって、海を人一倍見て過ごしていたのでしょう。絵画が単なる様式にならず、説得力をもっているのは、実体験からくる海の観察があればこその表現であろうと思います。

映画「残像」雑感

ポーランドを代表する映画監督アンジェイ・ワイダが昨年10月に亡くなり、遺作「残像」が上映されました。東京の岩波ホールでは既に上映が終わりましたが、横浜のミニシアターはこれから上映する予定になっています。映画では実在した前衛画家ストゥシェミンスキを主人公にしていますが、ワイダ監督自身もクラクフ美術大学を中退し、ウッチ映画大学に転学したことがあり、当時美大を席巻した社会主義的リアリズムを拒んだ経緯があるようです。ストゥシェミンスキは、自国ポーランドがソビエト連邦の勢力圏に組み込まれ、一党独裁体制が確立される中で、死に至る最後まで自由を求め抵抗し続けた画家でした。ストゥシェミンスキは革新的な造形理論でも国際的に評価されていて、ウッチ美術館や造形大学の創設にも関わった実力者だったようですが、政治によって葬り去られた画家でした。私もその名を聞いたことがなかったので、現代美術史の中では忘れられた存在なのでしょう。映画では芸術家としての英雄像を描くことがなく、寧ろ次第に社会的にも経済的にも追い込まれていく人間を描き出しています。映画のあらゆる細かな場面にも全体主義国家の危うさが描かれていて、その対岸にある前衛芸術との狭間が埋められることなく映画は終わります。観ている私たちに強烈なメッセージを残して…。ワイダ監督自身の生涯揺らぐことがなかったたったひとつの主張が心に残りました。「残像」とはストゥシェミンスキの絵画の題名から取っているようですが、映画全体の印象が残像として刻まれたように私には思えました。

8月RECORDは「ひびく」

響くというコトバから連想されるのは、音楽の音色です。若い頃はウィーンにいて、彼の地の国立歌劇場に通い詰めていた時期がありました。一流のオペラが立見席から僅か数百円で観られたので、毎晩出かけていたのでした。当時、冬場は下宿先の暖房費がかかるので、歌劇場で過ごしていた方が経済的だったこともあり、貧乏と贅沢が表裏一体を成していました。私は特に音楽好きではなかったのですが、毎晩オペラに通っていると指揮者によって音響が微妙に異なることが分かってきました。ウィーン国立歌劇場のオーケストラを基準に他国のオーケストラを聴くと、音の強弱や長短も微妙に違って聴こえたりしました。音楽家にとっては当たり前なことが、私には発見の連続でした。その頃、毎晩親しんでいたオペラや交響曲は、現在はまるで聴いていません。放送やネットからデジタル音響を取ることは可能ですが、30年前に帰国してから生のオーケストラを聴くことがなくなりました。音楽会には、私は美術展や映画のように気楽に行けず、声楽家の叔父も加齢のためリサイタルを開くことが難しくなり、家内の胡弓を聴くことはあっても、西洋的な音楽の響きは本当にご無沙汰しています。今月のRECORDのテーマを敢えて「ひびく」にしました。私の頭の中にはオーケストラの響きがあります。これを視覚化したい欲求は昔からありました。画家カンディンスキーの非対象絵画がイメージの源泉になっていて、カンディンスキーやクレーのように音楽を連想する絵画を私も作ってみたいと思っています。今月も頑張ってRECORDを継続していきます。

新作に邁進したい8月

8月になりました。学生時代は長い夏休みを楽しみにしていましたが、社会人になっても夏季休暇が取れるこの時期は楽しみなのです。ここ数年は、毎年8月に東南アジア各地を旅行しています。世界遺産に触れることが目的で、旅行の楽しさと同時に創作活動に体験を生かす喜びもあります。アジアの世界遺産は残すところ中国やインドといった大きな国ばかりになって、とても5日間の夏季休暇では時間が足りないと考えています。今夏は世界遺産を巡る旅行をちょっと休んで、アジアの存在感のある博物館に行こうと決めました。それは台湾の故宮博物院で、一日かけてじっくり鑑賞してくる予定です。鑑賞で言えば東京でも大きな企画展が開催されています。今月は日本内外で鑑賞を充実させたいと思っています。制作の面では、新作に邁進する1ヵ月にしたいと考えています。大きなテーブル彫刻の床置き陶彫部品の一段目の成形と彫り込み加飾を終わらせるのが目標です。昨年より職場では8月に閉庁期間を設けています。夏季休暇や通常の年休が取得し易い環境を整えてあるのです。この閉庁期間を利用して旅行だけではなく、創作活動もこの時期に集中して行いたいと考えています。陶彫に明け暮れたい8月ですが、RECORDも頑張りたいと思っています。行動が活発になると読書を置き去りにする傾向が自分にはありますが、夏季休暇を有効に使うためにも読書を含めた自分の時間を大切にしようと思っているところです。

7月の成果を振り返る

毎年夏に東京銀座のギャラリーせいほうで個展を企画していただいている関係で、個展開催までの準備や開催中の接待、最終日の後片付けがあって、7月は毎回充実した1ヵ月を過ごすことになります。今月も例外ではありませんでした。個展は、自分が彫刻家であるという実感、若い頃の滞欧生活のあれこれが甦ってきて、公務員とは違う自分の原点を見つめる貴重な機会になっているのです。ひとつゴールを突破して、次のステージに向かう飛躍の7月が今日で終わります。新作への取り組みはもう始まっていて、日曜日だった昨日も頑張っていました。実技の両輪である鑑賞は、展覧会と映画をひとつずつ観てきました。展覧会の方は勤務終了後、東京駅まで出かけて、ステーションギャラリーで開催している「不染鉄」展に行ってきました。「没後40年 幻の画家」という副題が示す通り、私の知らない日本画家でしたが、不染鉄ワールドの魅力に憑りつかれてしまいました。こんな画家が埋もれていたなんて信じ難いくらいその画力の凄さに驚きました。詳細な感想は後日に回します。映画は岩波ホールでアンジェイ・ワイダ監督の遺作「残像」を観てきました。全体主義国家に翻弄され、己を貫く前衛画家の姿勢を垣間見て、久しぶりに硬質な映画に接することができた喜びがありました。これも詳細な感想は後日に回します。RECORDは毎晩1点ずつ下書きをしていますが、今まで溜めてしまった過去の作品の彩色や仕上げを少しずつ片づけて、山積みが徐々に解消しつつあります。読書は19世紀末のフランス絵画に関する書籍を読んでいるところです。いずれにせよ今月は個展があったため充実した1ヵ月でした。

週末 市長選挙と新作準備

私は横浜市公務員管理職として仕事をしていますが、横浜市長が誰になるかは業務上大変重要なことです。私たちの業種がどういう方向に向かうのか、市政と密接に関わりがあります。とりわけ予算や人事面で厚遇をしてもらえる配慮があるのか、私たちの業種が横浜市の未来を担う人材育成を図っているので、市政が大きく変わることは芳しいことではありません。今日は横浜市長選挙に、朝早い時間帯に家内と出かけました。私は工房での制作、家内は胡弓の演奏で東京まで出かけることになっていて、お互いスケジュールが詰まっていたので、選挙は早朝に済ませたのでした。私は午前中から工房に行って、新作の準備を始めましたが、昼ごろの1時間を使って近隣のスポーツ施設に出かけました。ここにはよく水泳に出かけていましたが、五十肩をやってから水泳から遠ざかっていました。最近筋肉の衰えを感じ始めていて、スポーツ施設通いを再開しようと思っていたのでした。いきなり泳ぐことは出来ず、プールの中をひたすら歩いてきました。これで自分のペースを掴んで、追々水泳を始めたいと思っています。午後は工房に篭りました。新作のテーブル彫刻の床に置かれる陶彫部品の大きさと数を割り出しました。原寸大のトレーシングペーパーを用意して、土台となる一段目の陶彫部品の面積と高さを決めました。陶彫は窯に入れるので、窯内の大きさを測らなければならず、それによってどのくらい分割して作っていくのかを決めていくのです。土台となる一段目の陶彫部品は8つに分割して作っていくことになりました。この一段目の陶彫部品には根を張るように四方に伸びる陶彫部品があるのです。嘗て「発掘~増殖~」を作った時に、いつかこの表現を応用しようと思っていたのです。新作ではテーブルから吊り下がる陶彫部品に加えて、床から立ち上がる陶彫部品があって、これらが繋がる構成にしています。床から立ち上がる陶彫部品は四方に根が張っていて、テーブルの枠から外へ迫り出していくのです。今月発表した「発掘~宙景~」より大きな作品になる予定で、手間も2倍かかりそうです。今夏はこの新作に没頭することになりそうです。

週末 墓参りと新作準備

家内の亡父が17回忌となり、今日は横浜の久保山墓地に花と線香を手向けに出かけました。親戚も高齢化してなかなか集まれない状況の中で、私たちだけでも墓参りをしてきたのでした。横浜市南区にある久保山墓地は古い墓地で、第二次世界大戦で戦死した慰霊墓地もあり、歴史を感じさせるところです。新しく出来た公園墓地のように、分かり易く区分けされているわけではないので、茶屋の傍まで車で行くのは難儀しますが、暑い中を歩くのを避けて今日は車で行きました。私の母方の祖父母も久保山墓地に眠っています。家内の両親や私の父が他界したのは全て7月でした。法事といえば今まで茹だるような暑さの中でやってきました。今日の墓参りも猛暑で汗が滴りました。午後は工房に出かけましたが、新作に手をつけられずに早めに自宅に戻ってきました。新作の大きなテーブル彫刻は、今年個展で発表した「発掘~宙景~」と一緒に作り始めていたので、3分の1くらいは出来上がっています。ただし、途中からイメージを変更したので、「発掘~宙景~」より、さらに力の篭った作品になる予定です。新作は宙吊りされる陶彫部品だけではなく、床置きの陶彫部品があって、宙吊りと床置きとが繋がっていくイメージなのです。以前発表した「発掘~増殖~」に似た床置きの部分になるのかなぁと思っています。それを今夏、成形まで終わらせておきたいと考えていて、それはそれで制作工程からすれば厳しいノルマを課すことになっています。7月も終わりに近づき、RECORDの未完成も気になっているところです。自宅の食卓に山積みしているRECORDの彩色や仕上げを急ぎたいと思っています。

金曜夜は映画鑑賞へ…

今日は勤務時間終了後に映画を観に行くことに決めていました。夕方になって私一人で東京神田の神保町まで足を伸ばしました。今晩は常連にしている横浜ではなく、ミニシアターの聖地とも言える岩波ホールに行ったのでした。アンジェイ・ワイダ監督の遺作「残像」が今日まで上映していたので、岩波ホールの最終上映時間に滑り込みました。アンジェイ・ワイダ監督が昨年10月9日に享年90歳で亡くなり、そのうちきっとワイダ・ワールドを上映するはずだと思っていました。私は20代の頃にいたウィーンの場末の映画館で「地下水道」をドイツ語翻訳版で観ました。その時、社会体制に歯向かう反骨精神に溢れたドラマに一気に魅了されてしまいました。映画は娯楽ばかりではなく、イデオロギーをもった表現であることを知って、そこから紡ぎ出す物語性に感動を覚えました。昨年アンジェイ・ワイダ監督の訃報を受けて、その思いをNOTE(ブログ)に書いたこともありました。岩波ホールで「残像」が観られたことが今日一日を充実したものにしてくれたと思っています。「残像」はポーランドに実在した前衛画家ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキの物語で、社会主義政権の弾圧に最後まで屈せず、芸術の自由な理念を貫いた半生を描いています。アンジェイ・ワイダ監督の言葉が残されています。「私は、人々の生活のあらゆる面を支配しようと目論む全体主義国家と、一人の威厳ある人間との闘いを描きたかったのです。一人の人間がどのように国家機構に抵抗するのか、表現の自由を得るために、どれだけの対価を払わなければならないのか、全体主義国家で個人はどのような選択を迫られるのか、これらは過去の問題と思われていましたが、今もゆっくりと私たちを苦しめ始めています。」キナ臭くなっていく世界情勢や日本の状況を鑑みると、冷戦当時とは違う手枷足枷が私たちに纏わりついているように思えてなりません。映画の内容に関する詳しい感想は後日改めたいと思います。そのうち横浜のミニシアターにも「残像」はやってくるでしょう。

「作ることは、壊すこと」

今朝、職場に届いていた朝日新聞を捲っていたら、表題の小欄が目に留まりました。生物学者福岡伸一氏が書いたもので、「伊勢神宮と法隆寺、どちらが生命的だろうか?」という唐突な冒頭の文に誘われて、つい読んでしまいました。伊勢神宮は20年に一度新たに建て替えるのに比べ、法隆寺は世界最古の木造建築をそのまま保存しています。ですが、法隆寺は部材を少しずつ更新しているのです。福岡氏は「ちょっとずつ変える後者の方がより生命的ではないか。」と主張しています。生命は絶えず分解と合成を繰り返しているので、全取り換えは生命的ではないというのです。これは小欄ながら面白いなぁと思いました。破壊と創造は芸術家の特権で、生命感溢れるものを作るためにどの時代の芸術家も粉骨努力しています。多くの芸術家は、常に自己表現を破壊して新しい境地に達そうと紆余曲折の毎日です。私のその一人ですが、今まで培った全てを破壊する勇気はなく、それでも小さい部分を更新すれば伸びしろがあるのではないかと信じています。小欄にこんな一文もありました。「ところで世間では、しばしば、解体的出直し、といったことが叫ばれるが、解体しなければニッチもサッチもいかなくなった組織はその時点でもう終わりである。そうならないために、生命はいつも自らを解体し、構築しなおしている。つまり(大きく)変わらないために、(小さく)変わり続けている。そして、あらかじめ分解することを予定した上で、合成がなされている。」絶えず小さな破壊を繰り返して再生していく生命体。私も私の作品も生命的でありたいと願う毎日です。

文筆家の恩師からの手紙

横浜に住む文筆家笠原實先生から、個展の感想が書かれた手紙をいただきました。因みに笠原實先生は私の恩師です。毎年東京銀座まで足を運んでいいただいて、その場でお会いできなければ、後日感想を手紙にしていただいているのです。今年もこんな手紙が届きました。「永年の地下構築作業も終わり、しっかりした台座の上に、いよいよ発展の時期を迎えましたね。地上の錯綜する想いに意識の架橋を試み、その統一の上に、未来への挑戦を託すかのように理解しました。」その後に論語の言葉が書かれていました。「不知命 無以為君子也」という書き出しだけがありましたが、これは「不知命、無以為君子也 不知礼、無以立也 不知言、無以知人也」の冒頭の部分です。つまり「天命を知らなければ、君子としての資格はない。礼を知らなければ、世に立ってゆくことはできない。人のことばを聞いて、その本心が見抜けないと、人物のよしあしを知ることはできない」という意味で、もうひとつの仕事である横浜市公務員管理職としての資質を問うコトバとして、私には響きました。作家と管理職、実は笠原先生も同じ立場を経験している恩師なのです。私の作る彫刻に未来への挑戦を見取り、それが管理職として組織を率いる指針になっているのではないかと思ってくれていると勝手に解釈させていただきました。有難うございました。このコトバを今後のパワーに変えて、さらに二足の草鞋双方で頑張っていきたいと思っています。 

「スーラとシェレ」読み始める

自宅の書棚に眠っていた書籍を取り出して、何を読もうか思案しました。「奇想の系譜」(辻 惟雄著 筑摩書房)は今も継続して読んでいますが、何か西欧の芸術に纏わるものが読みたくて、書棚を見たところ2冊の書籍に目が留まりました。「スーラとシェレ」(セゴレーヌ・ルメン著 吉田紀子訳 三元社)と「マルセル・デュシャン全著作」(ミシェル・サヌイエ編 北山研二訳 未知谷)です。書籍の薄さから言えば「スーラとシェレ」を鞄に携帯するのがよいと思って、まず「スーラとシェレ」を読み始めました。「マルセル・デュシャン全著作」も今日職場に持参してきて、休憩時間にでも折に触れて読んでいこうと思っています。因みに「マルセル・デュシャン全著作」はデュシャンの創作に関するメモや散文があって、目で活字を追うだけで難航しそうな気配ですが、「スーラとシェレ」は19世紀のフランスを席巻した多色刷りポスターや広告文化を、画家スーラとデザイナーであったシュレを中心に論じたもので、テーマになったサーカスや大道芸の特異な世界に視点を据えています。内容の理解では「スーラとシェレ」の方が通勤に向くのではないかと推察しました。最近は西洋と日本の二つの論評を交互に読んでいくのが、私の癖になっていて一冊集中主義ではなくなりました。この傾向はどれも中途半端になって、過去の学生時代の乱読癖に先祖返りしてしまうのを私は怖れています。ともかく「スーラとシェレ」を読んでいきます。19世紀印象派が登場したフランス気分に浸りながら…。

「聖別の芸術」読後感

「聖別の芸術」(柴辻政彦・米澤有恒著 淡交社)をずいぶん長いこと鞄に入れて持ち歩いていました。やっと読み終えました。「聖別」という西欧の観念をキーワードに現代美術を論じた本書は、自分にとって興味関心が尽きることがなく、度々読み返すことがありました。作家論ではNOTE(ブログ)に「土谷武論」を取り上げましたが、作家全員に感想を述べたい衝動に駆られました。とりわけ陶を扱っている作家には、自分の表現活動との接点を見出し、陶の面白みを再確認しました。「山田光論」の中にこんな一文がありました。「現代陶芸という戦後に樹立される初期の荒地を墾くために、陶にまつわる過去の情緒や知性や教養といったものを可能なかぎり切り捨てる方法に手こずりながら見つめ続けた甲高い寡黙と、しからばどうつくるか、つまり東洋的な造形の基調に迫った厳格のきわどさが染みでた歴々たる前人未倒の記録である」(柴辻政彦著)というもので、陶芸の脈々と続く情緒的な伝統を否定しつつ、新しい陶を模索した「走泥社」の一人である作家の、現代陶芸への誘導路が示されていて、興味が尽きませんでした。あとがきで述べられた一文にも気を留めました。「熟年の私たちともなると、芸術を含めて、あまりに目紛しい世情の動きに段々と野次馬的な好奇心を覚えなくなる。そしてむしろ、何かしら変わらないもの、重々しいものの方に関心が移ってくる。そういう荘重なものを人間はずっと『偉大』とか『聖』といった言葉で捉えて、次世へと伝承してきたのではなかったか、と思えてくる。」(米澤有恒著)というものです。現代美術が広範囲に及んでいる昨今、私も「聖別」に拘っていきたい一人なのです。

週末 個展の疲れを癒す日

昨日まで東京銀座のギャラリーせいほうで個展を開催していました。昨晩展示作品が倉庫に戻ってきました。今日からは通常の制作活動に戻り、来年に向けての作品をやっていきたいと思っていましたが、今朝から身体が動かず、疲れが一気に出た感じがしています。毎年個展終了の翌日はこんな疲労が残っていたのか、自分でも思い出せず、これは12年間の歳月の重みもあるのではないかと考えてみました。しかし個展会期中は、もうひとつの仕事の方も3日間多忙で、疲労は個展ばかりが原因ではなさそうです。火曜日に管理職仲間と暑気払いを行い、水曜日は勤務終了後に新車を受け取りに行ってきて、木曜日は職場での暑気払いと朝から夜までスケジュールが詰まっていたことを思い出し、この疲労は二足の草鞋生活双方のものと思い返しました。私には珍しく朝から引き篭もりたい気分が支配していて、これには素直に従うことにしました。幸い今日は工房に若いスタッフが来ない日だったので、個展でファンから頂いた大きな胡蝶蘭を工房の倉庫から自宅に運んだだけで、残りの時間はずっと自宅にいました。こんな日があってもいいのかなぁとぼんやり考えていました。彫刻家と市管理職はどちらも精神的な休息が取れないので、私にとって全てをオフにすることは出来ませんが、引き篭もりたい気分というのは心が全てをオフにしたがっているのではないかと認識しました。

17’個展最終日と搬出作業

今日が個展最終日です。午前11時の開館に合わせて家内とギャラリーせいほうに行っていました。毎年変わる東京銀座の風景ですが、週末になると相変わらず外国人観光客の姿が目立ちます。ギャラリーのある銀座8丁目は、新橋駅に近く銀座大通りと首都高速が立体交差する場所があります。そこにバスが何台も横付けされて、集団で乗り降りする外国人観光客の集合場所になっているようです。歩行者天国も大きな袋を抱えた観光客が闊歩していました。さて、個展の方ですが、管理職だった元同僚や、今の職場からも職員が来てくれました。驚いたのはウィーン時代の留学生仲間だった人が突如現れたことでした。私は美大でしたが、彼は音大に通っていました。当時よく遊んでいた思い出が甦り、暫し感慨に耽ってしまいました。彼は熊本県出身で、郷里の音楽大学の学長に就任しています。私立の大学経営をやっている傍ら、まだ作曲も続けていると言っていました。熊本の震災で校舎が倒壊し、甚大な被害に遭われたことも聞きました。彼のお嬢さんが宝塚に出演していて、東京の宝塚劇場に奥様と観に来ていたそうです。ちょうど個展の会期が合ったので銀座に足を運んでいただいたのでした。熊本で多忙にしている彼が、まさか来てくれることはないだろうと思っていましたが、それでも毎年個展の案内を送っておいて良かったと思いました。何かのついでがあったにせよ、遠路遥々来ていただいた方々に感謝です。川崎に店を構えるパテシエの方も来廊されて、当時のヨーロッパの話になりました。今の仕事に追われて、若い頃海外で暮らしていたことを忘れかけていた自分でしたが、確かにあの頃あそこにいたんだという実感が友人との関わりで甦ってきました。そんな意味でも毎年個展を開催していることは、人と人との繋がりを確認する上で幸運としか言いようがありません。多くの人の手を煩わせる個展ですが、また来年も企画していただきました。作品が一向に売れないのに、懐の深い画廊主の田中さんにも感謝です。搬出は運送業者2人と若いスタッフ3人、家内と私で夕方6時過ぎから行いました。陶彫部品を木箱に詰めたり、柱や台座をエアキャップ付きのシートで包んだりして2時間程度でトラックに積み終わりました。横浜の工房に戻ってきて、小さな部品はロフトに運び、木箱は1階の倉庫に収めました。これで漸く今年の個展終了となりました。明日から来年の13回目の個展を目指して頑張ります。

今日はギャラリーせいほうへ…

公務員の仕事が一段落したので、今日は年休をもらって東京銀座のギャラリーせいほうへ家内とやってきました。開館の午前11時にさっそく家内の友人たちが来てくれました。10人の来廊者の前で作品の解説をお願いされて、少々困りました。作品を見た人がそのまま何かを感じ取ってくれればいい、というのが抽象作品なので、作家が発したコトバが鑑賞の弊害になることもあります。そこを配慮しながら抽象にいたる動機を話させていただきました。「発掘」シリーズは自分が20代の頃、エーゲ海沿岸で遭遇した遺跡の数々が発想の発端になっています。西洋文化である彫刻概念を追いかけていた自分は、西洋文明の曙期の造形に接し、そこから自分の活路を見出したのでした。次に大手民間企業で長く働いていた方とも同じような話をする羽目になり、今日は現行の作品に至る思索を多少なりとも暴露することになったなぁと思いました。私の公務員の同業者も何人か来廊してくれました。病気を患い、夏以降の回復を願っている人や私と同じ再任用で頑張っている人がいて、私たちの業種はなかなか厳しい面があると改めて思いました。彫刻家の同業者も何人か来ていただきました。一日ギャラリーにいると、さまざまな人と会って刺激を受けたり、認識を改めたりして密度の濃い一日を過ごします。私が不在だった3日間にも多くの人が来ていて、その場を借りて失礼をお詫びするとともに、あぁこの人と話がしたかったと思うことがありました。毎年私の作品を見ていただいている文筆家の方々はそのうち何かしらのカタチで感想が届くのではないかと期待しているところです。その一人である紀行作家のみやこうせいさんは芳名帳に感想を書いていただきました。有難うございました。明日もギャラリーにおります。

職場の暑気払い

ネットによると「暑気払い(しょきばらい)とは、暑い夏に冷たい食べ物や体を冷やす効果のある食品、同じく体を冷やす効能のある漢方や薬などで、体に溜まった熱気を取り除こうとすること。『暑さをうち払う』という意味である。」という掲載がありました。梅雨明けが宣言され、毎日猛暑が続いています。私の職場では暑気払いを若い幹事が計画してくれました。4月から新しい体制で始まった平成29年度ですが、日常化してしまっている多忙な仕事や、時に困難な課題を職員全員で何とか解決してここまでやってきました。私たちは専門家集団で、個々違う仕事を抱えていますが、専門を超えたチームワークの良さが売りになっていて、そんな職員に支えられて私もここまでやってこられたと自覚しています。再任用管理職でもこの職場ならやっていけると感じさせるのが、職員集団が情報の共有やそれぞれが他分野の仕事をカバーする文化を築いているからです。今日の昼食で私は久しぶりに大鍋で鳥汁を作り、職員に提供しました。これはコミュニケーションを図る手段ですが、私から職員へのささやかな感謝の気持ちもありました。夜の暑気払いは、会話が弾んで楽しいひと時でした。私は現在の職場の人たちに余暇を有効に過ごすよう推進しています。現在は、多くの人たちの超過勤務によって支えられている安全安心な職場環境ですが、その良さを保ちつつ、多忙化解消に向けて施策を打ちたいと考えていて、それぞれが家庭を大切にして余暇を楽しむワーク&バランスを職場文化として定着させたいと思っています。暑気払いでは出来るだけ仕事の話はしないで、将来設計やら趣味の話が出来るように持ちかけました。

新車がやってきた日

私が現在乗っている光岡自動車は、富山県にしかない工場でハンドメイドによる車の生産をしている会社です。街であまり見かけない車体なのは、そんな会社のコンセプトがあるためで、購入から3ヶ月待たないと新車が手許に届きません。今まで乗っていたダークグリーンの「ビュート」も忘れた頃に連絡が来て、あぁ車を購入していたんだっけと思い返した記憶があります。NOTE(ブログ)のアーカイヴを見ると、今年の4月1日に横浜市都筑区にある光岡自動車の支店に出かけ、車を購入していました。それが今日手許にやってきました。実際は3ヶ月以上かかっているのですが、今日も以前と同じく、あぁ車を購入していたんだっけと思い返した次第です。私は通常の通勤に車を使っていないので、とりわけ不便を感じていないのと、早く新車に乗りたいという拘りもなかったので、のんびり待っていた感じです。新車は同じ「ビュート」で車体はワインレッドです。工房に来ている若い女性スタッフを駅まで送り迎えしているので、お洒落度を上げてみたのです。「ビュート」のベースカーは日産マーチです。今まで乗っていた「ビュート」は車内のデザインに凝っていなかったので、内装はマーチそのものでした。新車の「ビュート」は内装も凝って「ビュート」らしくしてみました。運転席は車体と同じワインレッドの木製にしました。現在再任用で働いている私は、いよいよこれが最後の自家用車かなぁという思いがあります。工芸品のような「ビュート」を大切に乗っていきたいと思っています。

個展開催中のもうひとつの仕事

昨日より東京銀座のギャラリーせいほうでの個展が始まり、初日には多くの関係者に来廊していただきました。有難うございました。今日から3日間は横浜市公務員管理職としての仕事が詰まっていて、私はギャラリーには行けません。残念ですが、二足の草鞋生活とはこういうもので、こればかりは仕方がないと思っています。彫刻家と公務員、この二つの世界を交互に行き来しながら私は30年以上もやってきました。彫刻家は自分ひとりの世界が基本で、自分の内面と対話して自らのカタチを探って創造していく世界です。自分を追い詰めていくこともありますが、それは他者にとってはどうでもよい世界で、社会的ニーズはありません。ただ創造した世界を具現化した時に、それを鑑賞していただいて、見た人の心に活力を与えることが出来れば本望と言えます。公務員としての仕事は、社会的ニーズに支えられ、業種ごとに組織を作っています。自分の内面を振り返ることはありませんが、組織を運営する上での各人の資質や能力が問われる世界です。組織を統括する私は、組織が有効に働くために施策を打ち出し、また部下の評価もやっていきます。自分の職場で適材適所に職員を配置しているか、それは自分の人事に関する自己評価もあります。人事を行うためにこの役職にいるという極論の人もいますが、私もその通りだと思っています。ある意味で職場は創造的な部分もあり、それが彫刻家としての能力と重なるかもしれないと思うこともあります。ですが、二つの仕事はまるで違います。私の中では矛盾することはなく、それぞれの仕事が私という人間を形成しているんだなぁと思うようにしています。人間は多面体で、その時や場所や場合によって表面に出す色合いが異なっているのです。私は長年にわたって二足の草鞋生活を営んでいるので、その使い分けが上手くなっていると自負しています。東京のギャラリーと横浜の職場、非日常と日常、個人と組織、時期によって二足の草鞋が噛み合わない時もありますが、個展開催中に思いを巡らした今日を振り返りました。