東京駅の「アドルフ・ヴェルフリ展」

東京駅内にあるステーションギャラリーは面白い企画展が多く、今まで私は幾度となく足を運びました。とりわけ2階の煉瓦壁に掛けられた作品の数々は、独特な雰囲気を纏って鑑賞する者に心地よさを与えてくれます。金曜日は遅くまで開館しているので仕事帰りに立ち寄ることが出来て、勤め人にとって有り難い配慮です。今日見に行った「アドルフ・ヴェルフリ展」は精神疾患を患ったスイス人画家の日本初の個展でした。画面全体に埋め尽くされた不思議な記号や文様、ほとんどパターン化されていると言ってよいほど執拗に繰り返される絵画は、どう見ても狂気を感じさせるものがありました。作者は31歳の時に精神科病院に収容されて、そこから66歳で没するまで延々と病院で絵画を描いていたようです。展覧会の副題は「二萬五千頁の王国」。その膨大な量はアール・ブリュットの絵画では括りきれない存在感がありました。ヴェルフリは1864年に7人兄弟の末っ子として生まれ、貧困家庭であったため里子に出されますが、なかなかの問題児であったようです。少女に対する性的暴行未遂で投獄され、その後に統合失調症という診断によって精神科病院に送られますが、そこでも暴力行為があって独房に入ったりしています。その頃漸く絵を描き始めていて、もしもヴェルフリに絵画表現がなかったら悲惨な人生が待っていたことでしょう。彼にとって創作活動は魂の救済だったのでしょうか。彼は連作を試み、「揺りかごから墓場まで」「地理と代数の書」「聖アドルフ巨大創造物」というテーマで、それぞれ多量な絵画や文章、作曲による作品が残されています。25.000ページの王国という、架空の世界を思い描いたヴェルフリは、確かに常軌を逸した芸術家であったと思いました。自分の辛い過去を自分の物語で作り変えて、創造の世界で遊ぶことは私も大好きです。それは常人にとっては現実逃避なのかもしれませんが、私も架空都市を彫刻しているので、ヴェルフリに通じる世界観を持っているのかもしれないと勝手に思い込んでいます。

葉山の「砂澤ビッキ展」

先日、神奈川県立近代美術館葉山で開催されている「砂澤ビッキ展」に行ってきました。副題に「木魂を彫る」とあって、生前巨木に挑んだアイヌ人彫刻家の痕跡を辿ることが出来る優れた展覧会でした。私は導入の部屋にあった「神の舌」と、海が見える部屋にあった「風に聴く」という大作2点に心を奪われました。「神の舌」は巨木全体に刻まれた彫跡が、作者の身体感覚を惹起させて圧倒的な存在感を放っていました。「風に聴く」は水平になった舟形の巨木に4点の立木が独特な空間を演出していて、これが何を象徴するものか考えさせられました。美術館が海辺にあり、大きな窓から眺められる景色と相まって、「風に聴く」は風を待つ船出のようにイメージされたのは私だけではないはずです。図録から気になったコトバを引用いたします。「(砂澤ビッキは)当初、渋澤龍彦周辺のシュルレアリスムへの傾倒を共有していたと思われるが、木彫に本格的に取り組む頃から、徐々に動物に触発されたバイオモルフィック(生命形態的)なかたちへの探求が本格的に開始されたと考えられる。~略~おのれの生活の原点を見つめ、幼い記憶を蘇らせ、自分自身の身体と動物たちを含む生命体のからだを作品の中で同調させる道筋を、より自由で大胆な木彫表現を駆使して探り始めたのだ。」(水沢勉解説)彫刻家砂澤ビッキは独学で彫刻表現を学び、希有な存在になった人でした。それは自身の生育歴とも関係し、北海道の広大な自然を背景に現代彫刻界の新世代を担った人でもありました。

映画「ムーンライト」雑感

先日、橫浜市中区にあるミニシアターで米映画「ムーンライト」を観てきました。この映画はアカデミー賞授賞式の際に作品賞を間違えられたエピソードがあり、賞レースで心躍る完成度の高いミュージカルに競り勝った映画です。映画を観た感想は「ラ・ラ・ランド」の対極とも思える内容に、賞はどちらが取ってもおかしくないのではないかと思いました。「ムーンライト」の場面設定は困窮した家庭と麻薬によって引き裂かれた母と息子、その息子を取り囲むいじめ集団が描かれていて、この上なく悲惨な環境がありましたが、それを超越する愛と美しい映像と情感のある音楽によって人間味溢れる傑作になっていました。主人公シャロンは小学校時代、仲間からいじめられていて、駆け込んだ廃墟でファンに助けられます。それが契機となりファンと同居している恋人のテレサがシャロンの心の拠り所となりましたが、ファンは麻薬のディーラーで、シャロンの母親にも麻薬売買を仄めかされていました。高校に入ったシャロンは相変わらず、いじめを受けていましたが、テレサに諭されたり、親友のケヴィンとの親密な関係で自分を保てていました。シャロンは同性愛者でもあったのでした。ところが親友が絡んだ事件を起こしたところで場面は一転します。大人になったシャロンはファンのような麻薬のディーラーとなって、筋骨逞しい男になっていました。久しぶりにケヴィンから連絡があり、2人は再会しますが、別の人生を歩んできた2人にもう一度訪れた親密な状況…。シャロンのアイデンティティを探し求める旅がこの映画の大きなテーマであろうと思います。黒い肌は月の光でブルーに輝くという詩情が、視覚的要素を伴い、深く印象に刻まれました。

京都の「戦後ドイツの映画ポスター」展

先日、京都国立近代美術館で見た「戦後ドイツの映画ポスター」展は、時代背景を考える上で興味をそそる企画でした。第二次世界大戦後、ドイツは東西に分断されました。1990年に統一されるまで、ドイツの映画は東西の社会体制の影響を受け、それぞれ独自の展開を余儀なくされました。私は1980年代にオーストリアにいましたが、西ドイツに出かけた折にギュンター・グラスの「ブリキの太鼓」(フォルカー・シュレンドルフ監督)を観て、ドイツ映画には内省的で表現主義的な要素があって大変気に入りました。戦前公開された「メトロポリス」(フリッツ・ラング監督)も再上映で観て、自分に衝撃を与えた作品でした。この時代に美しいアンドロイドを出現させている未来的な発想と技巧に驚きました。それら斬新な感性がポスターにも反映されているように思えました。東西に分断されたドイツの映画事情はどうだったのか、図録から文章を拾ってみます。「そもそも映画は自由に越境し移動していくものであり、一国内の映画史記述には収まらない。しかも敗戦とともにゼロから出発するわけでもなく、過去の時代との連続性の中にある。~略~1960年代は東西ドイツ間での大きな断絶の始まりである。まず1961年ベルリンの壁建設に象徴される東西ドイツ間の国境封鎖は、人的・文化的交流のとりあえずの終焉を意味した。~略~物理的および精神的な壁に分断されたとはいえ、東西ドイツそれぞれに1960年代の政治の季節、1970年代のポップ文化の台頭を体験し、ある種の世界的同時性の中で生きていたことはやはり紛れもない事実だろう。このような時代と空間を縦横に結び合うダイナミックな視野によって、国境や壁を越えて様々な影響関係を見出すことができるのは戦後の東西ドイツにおいても例外ではない。」(渋谷哲也解説)とある通り、東西ドイツのポスターを眺めても質的に変わるものは感じられず、独自の道を歩みながら、それぞれが新しい視覚表現を目指したことが今回の展覧会から感じられました。

京都の「杉浦非水展」

先日の関西出張の折に何とか時間をやり繰りして、京都の岡崎にある細見美術館に出かけました。同館で開催していた「杉浦非水展」に興味が湧き、デザイン分野がまだ定着していない時代に、三越の広報担当として活躍した画家の足跡を辿ることが出来ました。まさにアール・ヌーボーの時代で、杉浦は西欧から資料を入手し、総合百貨店を目指していた三越の経営戦略に合うデザインを提供したのでした。当時のモダンな服装や装飾を身につけた女性が、流麗なポスターとして描かれていて、現代の眼で見ても大変美しい作品です。こうした作品の礎はどこにあったのか、図録の文中から探すと「ひと足早く産業発展によって社会階層の変化が起きていた19世紀末のウィーンでは、『時代にその芸術をー芸術にその自由を』の主張のもと、旧弊なアカデミズムの支配から抜け出た『分離派』芸術家たちが新しい表現を生み出していた。」(伊藤伸子解説)とあり、杉浦は分離派の手法を取り入れたことを語っています。またデザインの仕事では「注目すべきは、当時一般的ではなかった更紗を用いた装本やニッケル箔や漆の活用など、見た目の美しさではなく、素材や技法を視野に入れたデザインを強く主張している」(前村文博解説)という一文が示す通り、杉浦は装丁デザインでも力量を発揮しています。それでは杉浦の図案の基本となったものは何だったのか、こんな杉浦自身の言葉も図録にはありました。「非水は図案作りにおいて終生『自然から学ぶ』態度を崩さず、『自然を離れて、自己を表現する何者をも、持たぬことは、当然であると思う』『図案は自然の教導から出発して個性の匂いに立脚しなければならぬ』と語っている。」(伊藤伸子解説)

週末 梱包開始&美術館散策

今日から個展のための梱包作業に入ります。まず「発掘~座景~」の4枚の台座をシートに包みました。シートの内側にはエアキャップをガムテープで貼り付けています。台座に施した砂マチエールが痛まないように作品が触れる表面には必ずエアキャップをつけているのです。工房での午前中の作業は、「発掘~座景~」の4枚の台座をシートに包んで終わりました。まだ先日の出張の疲れがあって、遅々として作業が進まなかったので、午後は車で美術館に行くことにしました。図録撮影まで後回しにしていた美術館散策を始めました。若いスタッフが来ていたので一緒に連れて行きました。行った先は神奈川県立近代美術館葉山で開催中の「砂澤ビッキ展」でした。横浜横須賀道路を南下し、逗子インターから逗葉道路を経由して同美術館に到着しました。彫刻家砂澤ビッキが亡くなって30年近く経ちましたが、アイヌ民族の血を引く独特な形態感をもつ逞しい木彫家は、今も光を放っているように思えました。彫り跡を残した有機的な物体は、その存在だけで周囲を圧倒するパワーを持っていました。詳しい感想は次の機会に改めます。次に向かったのは横須賀美術館でした。神奈川県立近代美術館葉山も横須賀美術館も海に面した素晴らしいロケーションがあって、多くの家族連れが来館していました。スタッフとカフェで休憩したいと思っても、どちらの店も人でいっぱいでした。横須賀美術館で開催していたのは「デンマーク・デザイン」展で、北欧のシャープなデザインを堪能することが出来ました。砂澤ビッキの土臭い世界とは真逆の洗練された世界に接しました。同じ木材を扱ってもアイヌの彫刻とデンマークの椅子では、まるで異なる世界が出現して、木材の放つ多様な表現の幅に面白さを感じました。「デンマーク・デザイン」展も詳しい感想は後日に回します。今日は久しぶりの美術館散策を入れたので充実した一日を過ごしました。

週末 梱包準備&映画鑑賞

やはり昨日思っていた通り、今日は3日間の関西出張の疲労が取れず、午前中は自宅で休んでいました。昨日京都のホテルから送った荷物が今朝届きました。衣類の他に京都の美術館で購入した書籍も入っていました。美術館近くにある書店にはアート関係の書籍が多く、短時間でも楽しい散策になったことを思い出しました。もしも京都に住んだなら、自分はこの界隈をウロウロするのかぁと想像しています。午後は作品の梱包材を買いに店に行きました。エアキャップやらシートを購入しましたが、足りないような気がしています。実際の梱包は明日から行います。梱包材を仕入れる店は、横浜のみなとみらい地区にあります。昨日まで古都の京都や奈良に行っていて、今日はみなとみらいにいる自分は、飛鳥や平安時代の木造建築から一気に現代の高層ビルまでタイムトリップをしている錯覚に陥ります。自分が住んでいる日本は歴史的にも凄い国だなぁと妙なところで感心してしまいます。夕方は工房で作業をする気になれず、そのまま横浜の中区にあるミニシアターへ出かけました。今回のアカデミー賞作品賞に輝いた「ムーンライト」が上映されているので観て来ました。「ムーンライト」は黒人しか登場せず、舞台はマイアミの貧困家庭、しかも麻薬中毒や同性愛を描いている映画と知っていたので、かなり暗いテーマだろうと思っていました。ところが美しい映像や物語を終始貫いている愛について考えされられた不思議な雰囲気と魅力を兼ね備えていた映画でした。詳しい感想は後日改めたいと思います。

関西出張③ 夏のような暑さの中で…

関西出張も3日目を迎え、今日は横浜へ帰ります。今日は奈良公園にいました。茹だるような暑さになり、鹿も木陰で休んでいました。大仏殿や二月堂は過去何回も来ていますが、久しぶりに来てみると何度も情緒に浸れる場所だなぁと思いました。京都や奈良は外国人観光客が多く、案内板も英語や中国語、韓国語が併記されていました。平成19年から我が国では観光立国推進基本法が施行され、外国人観光客を積極的に受けています。奈良公園はアジア諸国や欧米各国から来た多くの人で賑わっていました。修学旅行で来ている多くの中学生が、外国人たちと英語でやり取りしている光景を見るにつけ、今まさに国際化が進んでいる微笑ましい場面もありました。異国文化とのトラブルも聞かれますが、いずれ解消の糸口を見つけられるのではないかと思っています。3日間に及んだ関西方面への出張も無事終わり、夕方5時には横浜へ戻ってきました。横浜も夏のような暑さがあって、梅雨はどこにいってしまったのかと思いました。明日は通常通りの週末で、作品の梱包が待っています。きっと明日は疲労が残って動けないのではないかと思っています。

関西出張② 仕事の合間の散策

私が関西方面に行くことは滅多になく、現在の職場では1年1回しかありません。しかも3日間とも余裕のない仕事の行程なので、なかなか休憩時間を見つけるのは困難ですが、それでも何とか1時間程度は自由時間を確保しました。今日は京都にいました。昨年も行った細見美術館と京都国立近代美術館を見て回ることが出来ました。美術館が点在する平安神宮のエリアにやってくると、今年も京都にやってきたなぁとテンションが上がります。天気は曇り空でしたが、散策にはちょうどいい気候でした。細見美術館では「杉浦非水展」をやっていました。副題に「モダンデザインの先駆者」とありましたが、西欧で19世紀末に興った反アカデミズムの「ウィーン分離派」が杉浦非水の画業に影響を与え、杉浦は我が国初のグラフィックデザイナーとなったのでした。展覧会の詳細は後日にしますが、洒落た細見美術館の雰囲気と相俟って、杉浦非水ワールドが際立つ展示で魅了されました。次に京都国立近代美術館に立ち寄りました。「技を極める」というタイトルのジュエリーの展覧会をやっていました。私はジュエリーの展覧会はほとんど見ません。宝飾品に興味がないのです。それでもせっかく京都まで来たのだからという思いで、フランスと日本の両国の技を堪能させていただきました。その中で興味を持ったのは、陶や金属で動植物を模した日本の工芸による超絶技巧の数々でした。展示品の中に工芸家安藤緑山が作った牙彫による果物があり、高齢の女性が「これは東京中村屋で制作していたロクザンのことよ」と同伴の女性に説明していたのを耳にし、傍らで聞いていられなくなった私は「それは荻原碌山で、この安藤緑山とは別人です。差し出がましいことを言って申し分けありません。」とつい口を挟んでしまいました。次に私が向かったのは同館の上階で開催していた「戦後ドイツの映画ポスター」展でした。嘗て横浜で見たポーランドのポスターを髣髴とさせる表現があり、単純なタッチに強さを感じさせるものがありました。詳細な感想は後日に回します。僅かな時間を使って散策した京都の美術館でしたが、自分にはホッとできるひと時でした。

関西出張① 「奇想の系譜」読み始める

今日から関西方面へ2泊3日で出張します。行きの新幹線に中で読む書籍をどれにしようか思案していました。普段鞄に携帯しているのは「聖別の芸術」(柴辻政彦・米澤有恒著 淡交社)です。私には大変面白い評論で、時間をかけてとつおいつ読んでいるのですが、出張には軽量な文庫本がいいと思っていたので、別の書籍を探していました。自分が読もうと思って既に購入してあった文庫本の中から、今回は「奇想の系譜」(辻 惟雄著 筑摩書房)を読み始めました。本書の初版は1970年というから今を遡ること47年前になります。著者がまだ30歳代の気鋭の著作だったわけです。確かに日本美術史の中で埋もれていた傍流とも異端とも言われる画家の中に、現代に通じる斬新さを発見した本書は「眼から鱗」的な発想だったと思います。本書の中に「そして『奇想』とは『エキセントリックの度合の多少にかかわらず、因襲の殻を打ち破る、自由で斬新な発想』であることに思い至る。これは貴重な発見だった。このように考える時、雪村、永徳、宗達、光琳、白隠、大雅、玉堂、米山人、写楽といった、近世絵画の動向に大きな影響を与えた画家たちがいずれもこの系譜に含まれてくることに気づいた。」(服部幸雄解説)という一文があります。そうなれば「奇想」はまさに日本美術史の主流にもなり得るわけで、展覧会があれば私たちが大挙して訪れる伊藤若冲や歌川国芳も当時は埋没していた画家だったと言えるのです。毒々しさや卑俗さが古典的な気取りの殻を打ち破り、生き生きとした活力を伝えている「奇想」の画家たちは、本書のお陰で現代を生きる私たちの心を刺激する存在になっています。その着眼点を知ることは次世代へ繋がる橋渡しにもなろうかと思います。新幹線に揺られる僅かな時間に「奇想の系譜」に思いを馳せることは贅沢な時間とも思えます。

6月RECORDは「まざる」

6月のRECORDのテーマを考えたときに、多くの同質なモノの中に異質なモノが混ざるイメージがありました。それは人種であったり、障害の有無であったり、さらに目に見えぬ複雑な状況も考えられます。起源から遡って純粋を守っている民族は皆無です。他民族の血がどこかで混ざり、それでも環境がある程度影響して、長い期間に亘って混血がなかった民族は存在します。私たち日本人は島国という閉鎖的な環境があるので、その類いかもしれず、言葉で説明しなくても気分の共有が図れるのはその証拠と言えます。しかし世界がグローバル化している昨今、さらに時代の流れである個性化や孤立化が、日本人特有の気分の共有に微妙な影響を与えていることもあります。それでも長期的視野で民族間の「まざる」流れは続いていくでしょう。「まざる」前に摩擦が生じることは多々あります。それが戦争や紛争に繋がる恐れは常に存在します。民族は文化や宗教を纏って「まざる」ことを断固拒否することが少なくないからです。私たちが白に見えているモノが、他民族によっては黒に見えると主張されたことが暫しあります。と言うのも若い頃、私は海外で暮らしていて他国人と触れ合う度、俄に信じ難かったことが、今世界中で起きているように思えるからです。「まざる」というテーマを大きく捉え過ぎましたが、今月はこのテーマで頑張っていこうと思います。

撮影後の安堵感

月曜日から仕事が始まるので、本来なら今日のモチベーションは下がるはずですが、昨日の図録用撮影が何とか無事に終わって、今朝からストレスが脱けたようで心が軽くなっていました。昨晩は肉体的にも精神的にも疲労していて、今日はひょっとして出勤出来ないのではないかと心配しましたが、起床は不思議なほど爽快でした。個展はまだ1ヶ月先だと言うのに、この安堵感は何でしょうか。「発掘~宙景~」の組立てに、昨日までかなり精神的圧迫感を感じていたのでしょうか。スタッフたちの力にこれほど助けられたと思ったことはありませんでした。心強い味方がいてくれることに今も感謝です。まだこれからの作業では梱包があるし、搬入計画や搬出後の保管場所に至るまで、やるべきことはいっぱいあります。例年撮影後も週末は休めず、次から次へと作業をしています。今年も同様ですが、撮影までの道のりが大変だったために、梱包作業は緩く感じられるのではないかと思っているのです。来週から梱包作業に入ります。加えて手狭になった保管用倉庫を工夫しなければ、今年の新作が入りません。ロフトに上げられるモノは全てロフトに上げようと思っています。また一人でコツコツやっていこうと思っています。この時期からもう来年に向けた制作を始めようと思っています。幸い「発掘~宙景~」をA・B両方同時に作っていたので、もうひとつの作品が途中で放置してあり、それを継続すれば新しいテーブル彫刻が誕生します。現在の「発掘~宙景~」の完成する間近になって、もうひとつのイメージが降ってきました。昨日の撮影の興奮が冷めやらぬうちから、もう来年の新作に頭が飛んでしまっています。これも撮影後の安堵感あればこそイメージできるものかもしれません。

週末 図録用撮影日

いよいよ新作の図録用撮影日になりました。昨日深夜までやっていた準備が万全でないことに今朝5時に寝床で気づき、眠気が吹き飛びました。早朝の工房に出かけ、細かな陶彫部品に追加の印を貼り、ボルトナットの点検や作業台の片付けを行いました。スタッフを迎えに出たのが8時、車やバイクで来るスタッフもいて、全員が9時半には揃いました。家内と私を加えると総勢7人、そこにカメラマン2人が加わって、10時には野外での撮影が始まりました。「発掘~宙景~」を全員で組立てようとした時は、私は珍しく緊張しました。果たして陶彫部品の重量にテーブルが耐えられるかどうか、柱陶がグラつくのではないかと心配しましたが、逆に重量があるためテーブルは安定しました。私は安堵して、漸く完成された「発掘~宙景~」を眺めることが出来ました。ほとんどイメージ通りの出来栄えでした。「発掘~座景~」も補助柱のおかげで難なく組立てが終わりました。太陽の陽射しを受けて、新作2点は野外で面白い影を落としていました。図録だけでなく案内状の写真やポートレイトも撮影しました。昼食は例年通りピザの宅配を取りました。皆でピザを頬張ると個展が近づいた気分になります。所謂これは条件反射で、今年も多くのスタッフに囲まれて、図録撮影が出来て良かったと思いました。午後は工房の室内で新作2点を組立て直して撮影をしました。撮影が終わるとカメラマンやスタッフは三々五々解散していきました。撮影日はイベントのようなもので工房の年中行事になりつつあります。今日頑張ってくれた優秀なスタッフたちに感謝です。

週末 撮影前の追加制作

明日は図録用の撮影日になっています。「発掘~座景~」と「発掘~宙景~」、「陶紋」5点が今年の個展に出品する作品で、明日の撮影を予定している作品全てです。今朝7時に窯を開けて「発掘~宙景~」に吊るす3段目の陶彫部品6点、小品である「陶紋」5点の焼成が出来ているのを確認しました。朝食の時に、家内から「発掘~座景~」は柱陶だけではテーブルがたわむのではないかと指摘されました。家内は目覚めの時に頭を過ぎることが妙に鋭くて、私は一目置いているのです。確かに刳り貫いた穴が多い畳大のテーブルに、陶彫部品が数多く置かれるとたわむこともあるかなぁと思いました。補助的な柱が必要かもしれないと思い立ち、朝から木材店に出かけ、角材を仕入れてきました。柱陶と同じ長さに切断し、先端を細くするために木彫しました。追加した柱は12本になりました。柱陶と似た色彩を施してテーブルに接合するだけで6時間もかかりました。夜になっても作業は終わらず、「発掘~宙景~」の陶彫部品に印貼りをしたのは夜10時を回っていました。これで何とか撮影には間に合いそうですが、完璧ではありません。やり残したことはありますが、撮影では問題なく済みそうなので、明日は臨機応変するしか方法がありません。今日は疲れ知らずな一日になりましたが、撮影の後で大変な疲労に襲われるのではないかと危惧しています。スタッフは皆頼れる人たちなので、そこが救いです。明日を無事に乗り切りたいと心から願っています。

開港記念日は制作の日

横浜の公的機関は今日が開港記念日として公務を減らしているところが多いようです。私の職場も横浜市の組織に入るので開港を祝う日を特別な日として設定していますが、私たち職員は通常勤務です。ただし、年休を取りやすい環境になるので、ほとんどの職員は休みを取っているのです。私も例外ではなく、図録の撮影が迫っているため一日休みを頂きました。今日は朝から工房に篭りました。午前中は「発掘~座景~」の陶彫部品や柱陶、台座に番号を付けた印を貼りました。これで陶彫部品の配置場所が確定しました。「発掘~座景~」の台座は畳4枚分の広さになります。そこに陶彫による架空都市を作っています。考えてみれば今日初めて台座と陶彫部品を組み合わせたので、全体像が漸く見られたことになります。この台座は16本の柱陶で支える構造になりますが、完成された「発掘~座景~」は撮影日に初めて披露することになるのです。午後は「発掘~宙景~」のテーブルの上に乗せる板材の加工をやっていました。「発掘~宙景~」はテーブルの下に陶彫部品を吊り下げる構造になります。それはボルトナットで接合し、その金具で重い陶彫を支えるのです。テーブルの上には夥しい数のボルトが突き出るので、それを覆うための板材加工が必要なのです。明日は板材に塗装を施します。これで「発掘~宙景~」も漸く完成し、撮影日に披露します。「発掘~宙景~」の印貼りは明日です。「発掘~宙景~」は、まだ陶彫部品の一部が窯に入っていて、明日にならないと窯から出すことが出来ないのです。明日で全て撮影に準備が整うはずですが、忘れていることもあるかもしれず、もう一度確認しようと思っています。

6月をどう過ごすのか…

6月になりました。目先の目標は図録用の撮影が成功するように祈るだけです。撮影日は6月4日(日)です。天気予報では曇ったり晴れたりで、何とか野外での撮影も出来そうです。明日、横浜は開港記念日、明後日は土曜日なので、丸2日を新作の組立ての確認に使えます。最後の窯も明日には蓋を開けられそうです。スタッフも数人が来てくれる予定になっていて、準備は万全と思っていますが、それでも不安なのはどうしてなのか、新作の構造上の問題が心を悩ませているせいです。今日は図録のレイアウトを考えました。サイズも頁も例年通りで代わり映えのしないデザインですが、新作が毎年異なるので、図録の見応えは充分だと思っています。今日の昼頃、ギャラリーせいほうに電話をして日程の確認をしました。まず案内状が完成したらギャラリーに届けに行きます。撮影が終われば、新作は梱包作業に入ります。今年は翌年の作品もある程度作っているのですが、それは来月の個展終了時から再開しようと思っています。今月は、先月見たかった展覧会を今月に回しているので、展覧会巡りをしようと思っています。これが楽しみで仕方ないのです。散策に飢えている感じです。仕事では関西方面に2泊3日の出張がありますが、これは仕事なので自由にはなりません。何かがあれば管理職として責任問題に発展する可能性もあるので、落ち着かない3日間になります。何もなければ仏像や庭園でもゆっくり眺めていたい気分です。公務員管理職としての仕事も、彫刻家としての仕事も、自分の人生を豊かに彩り、成功すれば至上の喜びを与えてくれるものです。ただひとつひとつが気楽ではないことは確かで、散々苦心した暁に勝ち取る勲章のようなものです。鑑賞はそんな気持ちを充填するものですが、読書にも同じ役割があると思っています。RECORDは小さくても創作行為なので、彫刻家としての仕事の一端を担うものです。今月こそバランスよく仕事をしていきたいと思っています。

5月の成果を自己評価

5月の最終日になりました。来月初めにある図録の撮影日を新作の完成ゴールとして、今月は週末だけでなくウィークディの夜間制作も頑張ってきました。今晩最後の窯入れをしたので、まだ作品が完全に出来上がったわけではありませんが、それなりの成果を上げることは出来たと自負しています。組立てに関する不安は今だに払拭できず、こればかりは実際に撮影の時にスタッフと組立ててみないとわかりません。とりわけ「発掘~宙景~」のテーブルにかかる陶彫部品の重量が心配です。毎年、撮影日に初めて集合彫刻を組立てるので、撮影が無事終わるまで心身ともに落ち着かない日々を送っているのです。ただし、撮影時に一度組立てるために個展搬入と展示は、その方法がわかっていて精神的にはとても楽になります。ともあれ制作工程は計画通りにいきました。「発掘~宙景~」を当初2点作っていたところを1点に絞込み、高さを低く調整したことの変更を除けば、5月は満足の出来る創作活動だったと言えます。相変わらず陶彫制作の犠牲になっているのがRECORDです。一日1点のノルマは下書きだけになっていて、自宅の食卓には1か月分くらいの作品が彩色と仕上げを待っている状態です。就寝前に下書きを作るのがやっとで、毎晩睡魔と闘っています。ウィークディの夜間に工房に通うことがなくなれば、過去の作品にも着手できるのではないかと思います。鑑賞は美術館に行く時間的余裕がなく、見たい展覧会は後回しにしています。来月の撮影が終わったら、見たい展覧会を順次見てこようと思っています。映画は「わたしはダニエル・ブレイク」を横浜のミニシアターで観てきました。主張のハッキリした質の高い映画だったと思いました。書籍は「聖別の芸術」を読んでいますが、現代造形作家の作品を美学に絡めた面白い論考があって、じっくり楽しんでいます。これは自分の好きな分野です。来月は図録用の撮影日があって、その後に梱包作業があります。職場では2泊3日で関西方面に出張します。来月も頑張りたいと思っています。

落款印の彫りが完成

私は新作を始めるとその新作につける新しい印を彫ります。美術館や画廊でよく見かける書や絵画に押してある落款を自作しているのです。現在まで作った全ての作品にそれぞれ異なった印があります。印は陶彫に直接捺印できないので、小さな和紙に印を押します。印の上から番号を書き込み、それを陶彫部品ひとつずつの見えない部分に貼っていきます。番号をつける理由として、私の作品は部品が集まってカタチを形成する集合彫刻のため、組み合わせが分かるように順番に番号をつけているのです。それと同時に部品同士が混ざらないように印をそれぞれの作品で変えているのです。印には落款としての作者を明示する役割と、組み立てに必要な順番を示す役割があります。今回も「発掘~座景~」と「発掘~宙景~」の2つの作品に新しいデザインの印を彫りました。NOTE(ブログ)に幾度となく書いていますが、私の印は抽象絵画のような構成で、文字もよく印に使われる篆字ではありません。アルファベットあり、独自に変形した漢字ありで、何にも囚われず自由気儘にやっています。小品である「陶紋」は旧作から通し番号をつけているため、印も統一しています。今日、2つの落款印が完成し、和紙に押印しました。私が創作した落款印は、かなりの数になりました。この印だけで展覧会が出来そうです。ただ残念なことに、どの作品にどの印をつけたかファイルしていないのです。確かめるのには一つずつ梱包を解かないと分かりません。印は工房の棚にある木箱に並べて入れてあります。退職して時間が出来たら、これを整理したいと考えています。

早朝の窯の温度確認

早寝早起きは、若い頃から得意ではないと感じていた自分でしたが、最近は早寝早起きが習慣になっています。これは健康志向がそうさせているわけではないのです。早寝早起きは、きっと加齢のせいだと思っています。公務員になった30年前から辛い思いで早起きをして出勤していましたが、目覚まし時計が鳴る前に起きることはありませんでした。学生時代までは母に起こされ、社会人になってからは家内に起こされてきた自分でしたが、今は私が先に起きて朝食の催促をしています。高齢者の仲間入りだねと人生の先輩から言われました。このところ眼が覚めてしまうと気になることは陶彫制作のことばかりです。今朝も5時に工房に出かけ、窯の温度を見てきました。ブレーカーは落ちていないか、温度は順調に上昇しているか、他の作品の乾燥具合はどのくらい進んだのか、急きたてられるように工房内をウロウロ歩き回ってしまうのは、自分としては人に見せたくないみっともない姿ですが、個展出品作品が完成に向かって終盤に差し掛かっている状況からすれば、ゆったり構えていられないのが正直な気持ちです。ここで焼成が失敗すると6月4日に撮影が出来ません。綱渡りの状態は毎年やってきますが、次こそきちんと計画を立てて余裕を持って完成を迎えたいものだと思っています。

週末 制作ラストスパート

制作ラストスパートという表題をつけても、朝から晩まで執拗にひとつの制作に打ち込んでいたわけではありません。現在は新作の創作行為は既に終わっていて、集合彫刻としての組立てに関わる諸々の仕事で時間がかかっているのです。「発掘~宙景~」の柱陶に取り組んでいたら、ワッシャーが足りないのに気がつきました。テーブルの上部に飛び出るボルトの一部を隠すための木材も必要になって、作業途中で専門店に買いに走りました。店から戻ってきて再び作業に入りましたが、夜になって窯入れの時間がやってきたので、作業はそこで中断しました。陶彫という技法は長時間を同じ創作行為に費やすことはありません。成形では陶土の柔らかさによって放置をしなければならないことがあり、次から次へと仕事を変えながら、段階を追って制作が進んでいくのです。絵画のように同じ画面をずっと眺めながら筆を入れる作業とは異なり、作品の前でじっくり腰を据えることはないのです。制作に纏わる手順や方法が多様化していて、塗料や接合具を確認することは必須ですが、計画通りにいかないことが多く、ラストスパートでは右往左往してしまうことが毎回あります。店と工房の行き来が激しくなるのは完成に近づいた証拠とも言えます。窯入れは来週の途中でもう一度行います。それで撮影日に間に合わせる算段になっています。とまれ、ここでもう一度作品を組立てた場合の最終確認をしたいと思っています。幸い横浜は6月2日(金)が開港記念日になっていて、その日の仕事は減ることが判っています。私たちは勤務を要する日ですが、年休を取りやすい条件が揃っているので、休みをいただいて最終確認をする予定です。いよいよ完成が見えてきました。

週末 「発掘~宙景~」テーブルの組立て

今月最後の週末になりました。陶彫部品は焼成を2回やれば全て揃うことになりましたが、不測の事態も考えられるので予断は許せません。窯入れは何があるか分からないので精神的な圧迫を受けます。でもそれが面白いところでもあるのです。今日は「発掘~宙景~」テーブルの組立てを行いました。午前中は職場関係の仕事があり、工房に行けませんでした。その分を6時前の早朝に工房に行って、テーブル組立ての準備を行いました。午後になって工房に帰ってくると、久しぶりに若いスタッフが来ていました。大学院を修了したばかりの彼女は、千葉の市原や越後妻有の芸術祭のアシスタントをやってきたのでした。テーブルの組立てを手伝ってくれましたが、柱を立てるところが上手くいかず、どうしようか迷ってしまいました。彼女が4時に帰った後、作業台に柱を固定して、もう一度チャレンジすることにしました。スタッフがいなくなってしまったので、一人では何にも出来ず、私は自宅に戻っていました。家内が東京の演奏会場から帰ってきたので、テーブル組立てをお願いしました。今から工房に行って手伝うと言ってくれたので、夜の11時に家内と2人でテーブルを組立てました。2回目の組立ては何とか出来上がりました。これで「発掘~宙景~」の全貌が見えてきました。テーブルの下に吊り下げる陶彫部品の重量が気になりますが、私がテーブルに乗ってもビクともしないので、重さに耐えられるだろうと思いました。明日は「発掘~宙景~」の4本の柱に陶板を貼り付けて、陶柱にしていきたいと思います。今日は早朝から深夜まで骨の折れる作業があって心身ともに疲れました。明日は気持ちを新たにして頑張りたいと思います。

人形作家の講演会

人形作家与勇輝氏は、子どものちょっとした仕草を捉えた愛らしい人形作りで知られた人です。作家本人特有の屈託のない語りに会場が沸きました。本人の弁から、あと2ヶ月経ったら80歳という台詞が出てきて驚きました。頭と手を駆使する工芸家は、いつまでも歳をとらないのかもしれません。今日は、職場関係の専門家の集まりが川崎市民ミュージアムの映像ホールであり、私は会計監査役で総会に呼ばれていましたが、本会議より与勇輝氏の講演会が楽しみでした。与勇輝氏の作品はテレビ番組や河口湖にある個人美術館で見たことがありました。ノスタルジックな雰囲気を持つ子どものポーズと情景、それはどういう工程を経て完成するのか、ステージに設えた画面から、その様子が伺えました。粘土で頭部を作り、石膏で雌型にして張りぼてを作る工程は、分かっていても興味津々でした。服は古生地で自ら作り、メイクを施していました。このメイクによって人形の人格が決まると言っていました。人形に表情が現れると、人形が作者を鬩ぎ立て、無我夢中で作ってしまうようです。人形に作らされてしまうと言った方が適切かもしれません。数十年も作っているベテラン作家と言えども、人形一体作り上げると心身ともにガクっとくるそうで、今まで一度も楽に作れたことはないと言っていました。精魂傾けた作品だからこそ、人の心を虜にするパワーを持って私たちに迫ってくるとも言えるのです。人形は自分に似るとも仰っていました。作品は自分の分身だから、人形でなくても自分に似るのは当然だと私は思っています。翻って自作の「発掘シリーズ」は私そのものです。私も自分自身の内面世界に嫌気がさすこともありますが、与勇輝氏の「嫌ならやめればいい。」と断言したコトバに共感しました。好きでやっていることに苦しむことはない、嫌ならやめればいい、その通りです。明日の制作を頑張ろうと思った今日の講演会でした。

「聖別の哲学」について

現在読んでいる「聖別の芸術」(柴辻政彦・米澤有恒著 淡交社)の冒頭部分に米澤有恒氏による「聖別の哲学」の記載がありました。これは「聖別とは何か」を哲学的見地から論じたもので、具体例としてキリスト教を絡めていますが、主張は特定宗教に限らず人間が元来有する精神的な業を、偉大な哲学者の著作を礎にしながら、近代以降に人々が陥った世俗化に警鐘を鳴らすものとして私は理解しました。まず、カントの唱えた「趣味」の概念に心動かされました。「趣味」は個人の主観反映なのに、その普遍性や社会性を考査するカントの美学とは如何ほどのものか理解に苦しむところでした。私が親しんだニーチェやハイデガーも論拠を助ける部分で登場していて、頷ける箇所も数多くありました。19世紀以降登場した清濁併せもった芸術至上主義にも興味が湧きました。気に留めた文章をいくつか引用いたします。「福音書と黙示録が一つになって『聖書』ができ上がっているように、人間の善と悪の美を等しく実現することにおいて、芸術が芸術である。このように、芸術は人間のすべてを『人間的なもの』として明るみに出す力を持っているから、人間を全体として聖別する資格を有するのだろう。そして芸術にそのような能力や資格を認めることこそ、理性の寛容さ、合理主義の合理主義たる所以である。」「これまで『聖なるもの』と呼んだり神と呼んできたものは、決して特定の宗教神のことではない。人間が畏怖の念を以て臨まねばならない一切のもののことである。~略~私たちは『聖なるもの』を自然現象ばかりでなく、人為にも求めたい。人間が偉大と仰ぐものは、おのずから神気を帯びていると思うからである。」「今日、芸術は人間業としてすっかり世俗化してしまい、聖なるものと何の繋がりもないように見える。もしそうだとしたら、偉大な芸術が生まれないからである。偉大な芸術とは何か。聖なるものによって聖別されうる芸術である。聖なるもの、この非合理なものは人知図り難い水準で人間の勲しを嘉し、愛でて聖別してくれる。」

窯のトラブル

窯の出し入れを頻繁に行っている時に、ブレーカートラブルに見舞われることが毎年あります。昨年もありました。私の陶彫は釉薬を使わないので、窯の温度が上がりきらないうちにブレーカーが落ちても、幸い作品に大きな影響は出ません。もう一度スイッチを入れて焼き直しをしても大丈夫なのです。私は陶土の焼き締めによる焼成なので、基本的な陶芸より多少温度を高く設定しています。素焼きもしません。温度は緩やかに上がり、暫し高温を保ちます。一度ブレーカーが落ちると心配になって度々工房を見に行きますが、今度はトラブルなく焼成が進んでいます。初めの頃は漏電があるのではないかと疑っていましたが、どうやら何かの拍子でブレーカーが落ちるらしく、心砕くこともなくなりました。ただし、再度窯入れすることで今後のスケジュールが気になります。今回の窯入れを含めて3回の焼成が必要で、6月4日の撮影日に間に合わせなくてはなりません。余裕を見ていたところ、このトラブルで期限ギリギリになってしまいそうです。制作工程では毎回何かしらトラブルがあります。すんなり作品が出来上がったことは過去一度もありません。焼成中は照明が使えず、夜の陶彫制作が出来ません。小品の彫り込み加飾を施さなければならない作品が残り3点あって、これをやってから乾燥させることになります。乾燥が間に合うかどうか、これが問題なのです。救いなのは連日夏のような気温が続いているので、意外と乾燥が速いかもしれないと期待しているところです。祈るような気持ちで明日の朝も窯の温度を確認に行きます。

小品に壮大なイメージを見る

工房の窯が一段落したので、今晩から電気を復活させました。先週末に小品を5点成形したので、それらに今日から彫り込み加飾を施しました。今晩は手始めに2点行いました。小品はただサイズが小さいだけで、イメージは大きなものと変わりません。鑑賞者がどう感じ取るか自由ですが、私は彫刻の大小に囚われずに壮大なイメージを描いています。そういうふうに感じてくれるかどうかは鑑賞者次第ですが、図録では小品を野外で撮影する意図はそこにあります。野外ではサイズがわからなくなる錯覚が生じることがあって、撮影された画像に楽しさを覚えます。小品を作っている時の自分の頭には、広い風景が浮かんでいて、そこに建造物が聳え立っているのです。頭で考える世界に酔いながら、陶土を付け足したり、削ったりしているのです。私は架空都市や心象風景を具現化しているので、鑑賞者が眼でその中に入り込み、遊んでくれることを大切にしています。ドローンで天空から眺めた大地に近づこうとしています。説明的な都市機能や風景の細かい情景は省略して、抽象化したカタチとして表象していますが、イメージは具体的なものが思い浮かんでいて、私はこの陶彫による集合彫刻を作り始めた若い頃から、ずっと壮大なイメージの虜になっていると言っても過言ではありません。高さ30cmの小品ですが、そこに鑑賞者が壮大な空気を感じ取ってくれれば作家冥利につくと思っています。

音楽を聴きながら…

今晩は焼成中の作品があるため工房には行けませんでした。窯入れをしている最中は照明等が使えないのです。個展出品の陶彫作品が揃うまで、もう一息という段階まで達しました。今晩は陶彫制作ではなく、自宅でRECORDを集中して制作することにしました。今日の分のRECORDだけでなく、1ヶ月前からの彩色や仕上げが終わっていないRECORDが食卓に山積しているのです。何点かまとめてアクリルガッシュを塗り、カラーペンで仕上げをしました。下書きをした時に効果的な色彩がイメージされていたのですが、忘れてしまった作品もありました。絵の具を垂らしたり、吹きかけたりして再度イメージを揺り動かして具現化していきました。私は昔から音楽を聴きながら作業するのが好きで、工房ではFMヨコハマを流しています。自宅では平原綾香の「myClassics」の1~3までのCDを流しています。耳に心地よい音楽として、最近とくに気に入っています。クラシックの名曲に日本語詞をつけて現代風にアレンジして歌っているのがいいのです。ちょっと前までは古いフォークソングを聴いていました。学生時代を思い出して感慨に耽っていたのですが、若い頃は楽しい思い出ばかりではなく、憂鬱だった気分も甦ってしまうので選曲を替えたのでした。ジャズの名曲も自宅にはたくさんあるので、これも気分次第で聴いています。作業を邪魔しない音楽があれば、リラックスして制作に取り組めるので、効果が上がるのではないかと思っています。

週末 陶彫小品5点の成形

今日は朝から工房に篭り、昨日土練りをしておいた陶土を使って、個展に出品する小品を5点作りました。小品は毎年数点ずつ作っていますが、自分にとっては重要な作品群です。重要と言うのは自分の特徴である集合彫刻ではない単体彫刻だからなのです。小品といっても高さは30㎝あるので、それほど小さいものではありません。今年は矩形ではない表現にしようと思っていたので、最初球体を作り始めましたが、イメージがしっくりいかず、あれこれ迷った挙句に、円錐の尖塔を斜めに削り取ったカタチに落ち着きました。タタラと紐作りを組み合わせて成形をしました。彫り込み加飾はウィークディの夜の時間帯にやろうと思っています。今日のところは陶土がまだ柔らかいので、彫り込み加飾がうまくいかないのです。最近の温度上昇で前日にタタラを用意することは止めました。タタラが固まりすぎてしまうことを恐れたためで、今日はタタラや紐を用意しながら成形に挑んだのでした。気温が高いと陶土の硬化も早く、1点目と最終5点目に軟度の差が生じます。そこで水を噴きかけながら作業を進めました。5点全てをビニールに包んで保存し、彫り込み加飾時にひとつずつビニールから出して作業をしようと思います。その分、乾燥が速いので皹が入らなければ、焼成まで短時間で済む利点があります。陶の世界で言えば、急激な乾燥は好ましくないのです。冬場と夏場の陶土の扱いはまるで異なってきます。自分は梅雨の蒸すような季節が陶彫の乾燥には一番良いような気がしています。湿度が低い爽やかな季節は、陶彫の乾燥には向きません。それでもビニールで包んで、俄かに乾燥していくようにコントロールしているのです。小品5点は来週末に何とか彫り込み加飾を終わらせて、乾燥させたいと思っています。そうすれば6月4日の撮影日に間に合うと思っています。

週末 昨日の疲労を抱えて…

昨日は職場で野外イベントがあって、朝7時から勤務していました。夜は近くの店で振り返りの会を持ちましたが、成功を祝う打ち上げのようになりました。昨夜の遅い帰宅は今日の制作に響いています。私としては大きなイベントが無事に終わったことで安堵しましたが、創作活動になると心配の種が尽きず、今日は朝から工房に篭りました。作業を進めたい気持ちに、疲労を抱えた身体がついていかず、悶々として一日を終えました。個展に出品予定の大きな作品は、陶彫成形や彫り込み加飾が終わっていますが、残りの時間を使って小品を作らねばならず、土錬機を回して小品用の陶土の調合を始めました。今日のところは準備をして、明日から作り始めます。午前中は身体の動きが緩慢でどうにもならず、午後になって漸く身体が動くようになりました。身体に鞭を打って、というのはこういうことを言うのでしょうか。ともかく残すところ小品だけになったことは喜ばしいことです。窯入れはあと3回と見積もっていますが、果たしてそれで済むのかどうか、小品の数によって左右してきます。自宅の食卓に山積してあるRECORDも少しずつ作品が出来上がって、山の高さが3分の2程度になってきました。これも陶彫に負けないように頑張っていきたいと思っています。週末がやってくる度、全体計画を見つめ、残りの日数を指折り数えています。どんなに疲れていても制作工程を変えるわけにはいかず、今までも何とか無理して辻褄を合わせてきました。今年も同じ濃密な時間がやってきました。明日こそ頑張ろうと思います。

29年度初の野外イベント

同業者には今日のNOTE(ブログ)の内容が何のことか、よく分かっていらっしゃると思いますが、私の業種では年間に数回、職場全体で取り組むイベントがあります。イベントは儀礼的なものと体育・文化的なものに分かれます。今日は野外で行う体育的なイベントがありました。毎年天候に悩まされるイベントですが、今日は晴れ渡る青空のもとで、活気溢れるイベントを展開することが出来ました。私たちは普段専門性を生かした仕事に従事していますが、こうしたイベントでは専門性をこえた連携をして、一つの目標に向かって組織的に取り組む能力が求められます。全職員が一丸となる場面があらゆるところに散見され、職場の底力を見た思いがしています。私のような者でも管理職が務まるのは、優秀なスタッフに囲まれていることがその要因だと改めて実感した次第です。私たちの業種は公務員の中でも特殊なもので、超過勤務時間が社会問題になっています。今日も朝6時前から職場に来ていた者を初め、ほとんどの職員が7時から働き始めました。今日はイベントのあった特別な日でしたが、超過勤務が常態化している職員もいて、私の今年度の目標は超過勤務を減らし、多忙化解消に取り組むことです。なかなか改善されないのですが、朝早くから夜遅くまで働く職員のおかげで、今日のようなイベントが成功したのだと思っています。夜は職場近くの焼肉店でイベントの振り返りの会を持ちました。

朝起きて最初に思うこと

少し前までは朝の目覚まし時計が鳴ると、この世の終わりと思うような感覚になっていました。若い頃は休日の朝寝坊が楽しみでしたが、最近はウィークディだろうが休日だろうが、目覚まし時計が鳴る前に目が醒めてしまいます。これは加齢のせいだと人から言われたことがあります。私も例に漏れず、目覚めた時間を見ると5時を少し回ったばかりで、昔の自分からすれば信じられないことが生じています。二度寝をしたくても気になることがあると、もう寝ることが出来ません。そのせいか夜は眠くて仕方なく、RECORD制作やNOTE(ブログ)に影響しています。歳を重ねると睡眠時間が短くても大丈夫と言われますが、私の場合は少なくても6時間は寝ているので、深夜まで起きているのは到底無理です。これも夜更かしが好きだった昔の自分からすれば信じられないことのひとつです。高齢者は朝型人間という定番が漸く自分にもやってきた感じです。朝目覚めると布団の中で自分は何を考えているのか、大きく分けて2つです。年間の上半期は個展に出す作品のことで頭はいっぱいです。どうしたら期限までに間に合わせることが出来るのか、集合彫刻なので組み立てた状態のイメージと、最悪な事態に陥った時の焦燥感に囚われて痛々しい気分になります。下半期は職場の次年度人事のことで、来年度足りない部署があったらどうしようか、このままいくとどうなるのか、鬼が笑いそうなことを考え始めると心配の種は尽きません。早朝の布団の中ではポジティヴ・シンキングになれない傾向が自分にはあると思います。二足の草鞋生活を普段とりわけ意識しなくても、多少の圧迫を受けているんだなぁと思うこの頃です。

いつものように夜の工房通い

7月個展を控えた新作は、今までになく手間がかかっています。週末だけではやりきれず、ウィークディの夜の時間帯に工房で制作をしています。今晩も工房に行きました。乾燥した陶彫部品にヤスリをかけました。これは窯入れの準備です。2点同時に作っていた作品を今年と来年に発表時期を分けたことを、先日のNOTE(ブログ)で伝えましたが、窯の容量の関係で来年発表する陶彫部品も、今年の分といっしょに焼成していく予定です。幾度となくNOTE(ブログ)に書いていますが、一日仕事をして自宅に帰った時は疲れていて、とても工房に行く気が起こりません。ところが工房に行ってしまうと、不思議に力が湧いてきます。工房での1時間はあっという間です。創作の魔力でしょうか。自分の中のもう一人の自分が目覚めて、別の自分に代わってしまう錯覚を持ちます。彫刻家である自分は他人のことなど気にせず、自分がイメージした世界に向かって突き進んでいく朴訥で単純な男です。元来自分が持っていた性格はこんなものだったと振り返っています。ウィークディの昼間の自分は公務員管理職として、職員の気持ちを量り、意欲を高めるために助言を与え、まず己より部下のことや職員組織のことを考えています。これは真逆な自分になりますが、どちらも自分であると認識しています。夜の工房は何も配慮しなくていい開放感があって、そこに創作意欲が入り込むのではないかと思っています。今晩も私は一本気な男になり、創作活動に勤しみました。