映画「馬を放つ」雑感
2018年 5月 28日 月曜日
恐縮ながら私はキルギス共和国がどこにあるのかさえ知りませんでした。映画「馬を放つ」に出てきたキルギスの風景は自然が美しく、連なる山々や広大な草原を見ているだけで心が癒されました。登場した人々の雰囲気は、20代の頃旅したトルコの内陸で遭遇した村人たちに似ていて、宗教が心の支えになっていると感じました。物語は”ケンタウロス”と呼ばれている寡黙な男と言葉が話せない妻と5歳の息子の慎ましい生活を中心に進んでいきます。「かつて、向かうところ敵なしだったキルギスの騎馬戦士。強さの秘密は戦士を乗せた馬。馬に翼を与えたのは馬の守護神、カムバルアタだ。」という台詞を父は息子に伝えています。この通称ケンタウロスは、馬を疾駆させたいという制御不能な衝動があり、馬主の高価な競走馬を夜な夜な厩舎から逃がしていました。馬泥棒に間違えられた別の男の策略で、ケンタウロスは捕まり、罪を問われますが、ここでケンタウロスは夢に出てきた馬に関わる民族伝承を語ります。神話的な妄想は現実社会では受け入れられるはずもなく、村人から厩舎での労働とメッカ巡礼を義務付けられ、ケンタウロスは釈放されますが、妻と息子は家を去ってしまっていました。世界がグローバル化しているのはキルギスも例外ではなく、市場経済が優先される中で、民族のルーツを探る純粋な主人公がとる奇怪に見える突飛な行動が、この映画の主張したかった主旨ではないかと思います。市民社会の中でアウトロー化してしまう主人公。ギリシャ神話の中で人頭馬身であったケンタウロスという異名をもらい、疾走する馬に跨って、恍惚とした表情を浮かべる主人公を通して、私たちが忘れてしまった自己のルーツ。それを私の場合は創作活動を通して探しているのではないかと思った次第です。
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