猛暑続く9月の始まり

9月になっても相変わらずの猛暑です。朝晩はいくらか空気に秋を感じますが、日中はまだまだ真夏の気温です。今月は涼しくなることを信じて、週末は長く工房に留まって制作に没頭したいと考えています。陶彫部品をどんどん作っていかなければならない1ヶ月です。秋は創作活動には大変いい季節です。また美術展も多く開催されます。自分の後輩も公募展に出品します。企画展も華やかになり、制作の合間をぬって美術館を駆け巡るかもしれません。充実した1ヶ月にしたいと思います。

猛暑8月の終わりに…

記録的な平均気温を残した8月も今日で終わります。この猛暑はまだ続きそうです。今月を振り返ると、工房に居る時間が当初思っていたより少なく、それが原因で制作は滞りました。春先に準備していた陶土がすべて硬くなっていて、水を打ち、再度土錬機にかけなければならない誤算もありました。再来年の作品を少しずつ始めていき、イメージがだんだん掴めるようになってきているのが今月の収穫です。そろそろ再来年の制作を止めて、来年の制作に取り掛からねばと思いつつ、ついエアコンのきいた自宅でRECORDをやっていました。暑い工房で汗を流している自分の姿を見かねて、母が工房にエアコンを入れてあげようかと言ってくれましたが、なにぶん倉庫建築で内装がない場所なので、エアコンは無理と言って断りました。明日から9月ですが、秋はやってくるのでしょうか。今月の制作の進み具合の悪さは暑さのせいと考えても許されるような大変な猛暑を経験しました。

快さを求めて

生きていくうえで、自分はいつも快く清々しい風に吹かれていたいと感じています。快適な気分で過ごすためには、どんなことをすればいいのかよく考えますが、自分にとって創作活動はそんな快さを求める手段なのかもしれません。たしかに自分が日々取り組んでいる彫刻制作は労働の蓄積です。完成するのかしないのか見当がつかないこともあります。ただし、自分が思い描く環境(空間)に、自分のイメージしたカタチが置かれた状況を思うと、ワクワク感が沸きあがります。それはよく眠り、よく食べ、通じもよくなるという自分の生理現象に現れるのです。陶彫はそうした自分の感覚に強く働きかけてきます。土のざっくりした肌、それをきっぱり規制する幾何的な面と、ゆるやかに光を受け入れる曲面のハーモニーが自分にこの上ない快さをもたらすのです。陶彫に巡りあえてよかったと思える瞬間です。彫刻制作は苦しみ悩むだけではなく、快い達成感があるということを忘れてはならないし、そもそも徒労に終わるかもしれないこんな仕事をずっとやっている意味を考えたいと思うこの頃です。

今年の個展お礼状

今年7月の個展のお礼状を出しました。あれから早いもので1ヶ月が経ちました。画像は個展会場で撮影した「構築~包囲~」の部分で、床に落ちる影が印象的だったので、それを取り入れてみました。今日は朝から工房に行ったのですが、やはり酷暑に勝てず早めに切り上げてきたのです。午後から自宅のパソコンに向かって、お礼状の宛名印刷をしていました。ギャラリーせいほうの方で招待した人は芳名帳でも住所がわからず、この場を借りて御礼申し上げます。また来年同じ時期に個展を開催いたします。暑い中、多少無理をして工房に出かけるのは来年の新作のためです。まだどんなものになるのか具体的には見えていませんが、イメージだけは固まっています。今年並みに大きな作品を展示することになります。どうぞ、ご期待ください。

出入りの多い一日

夏の終わりは毎年不調になることが多く、虫垂炎で入院した年もあった自分ですが、今日という日は妙にフットワークが軽くて一日のうち自宅を6回も出入りしました。ブログは日記の役割も担っているので、この6回の出入りをメモしておこうと思います。今日は内向きな話題で申し訳ありません。まず1回目は朝7時に工房に出かけ、陶彫部品の成形に手を入れました。自宅から朝食の連絡を受けて帰り、2回目は朝10時頃、職場にやり残した仕事を片付けに行きました。職場から帰ったのが午後1時頃で、自宅で昼食を済ませました。3回目は近隣のスポーツクラブに汗を流しに出かけて、自宅に戻ったのが午後3時半。4回目は地域の祭礼に挨拶に出かけ、自宅に戻ったのが午後5時。そこで家内が邦楽器の修理が出来ているので一緒に東神奈川まで行ってくれと言うので車を出したのが5回目。夜は再び近隣のスポーツクラブに行って水泳をしてきました。これで6回目。こうして書いていくと、決して多忙というわけではなく、時間刻みでゴチャゴチャ動いている自分に気がつきます。週末にやろうとしている創作活動は、今日はほんの2時間程度。野暮用ばかりで過ごした一日でしたが、これで不調から抜け出られればいいと思うことにしました。

陶壁への思い

今ここで言う陶壁というのはレリーフ(浮き彫り)とは多少ニュアンスが異なります。レリーフは古代エジプトやギリシャ等で盛んに作られた表現方法で、僅かな肉厚で立体を表す正面性の強い彫刻のことです。自分のイメージにある陶壁の作品は、たとえば市街図を上空から見たような情景で、凹凸がそのまま丸彫りとしての彫刻に通じる表現方法です。いわば地図にある等高線に近いものです。再来年に向けて制作を開始した作品は、まさにそんなイメージです。自分の旧作に「発掘~鳥瞰~」という陶壁による屏風があります。「発掘~鳥瞰~」は凸部分だけを陶彫で作りましたが、新作は凹部分も陶彫で作る予定です。大地である壁に埋め込まれた陶彫。マイナスの発想。そんな思いから今回は取り組み始めました。明日はまた新作の陶彫部分に挑もうと考えています。

マッキントッシュの椅子

今夏、飛騨高山美術館にあるマッキントッシュの部屋を見てから、時折マッキントッシュのシャープなデザインが頭を過ります。あの市松模様に見られる直線的なデザインは、家具や室内装飾において簡素で斬新な印象を与えるのです。とくにマッキントッシュの背もたれの長い椅子は有名です。白い壁の前に置かれたマッキントッシュの椅子は、それだけで究極の美を生み出しています。学生時代に図版で見て、それからしばらくして実際の家具に触れました。市販もされているようですが、購入しても置く場所に困るくらい完璧なカタチをしているのです。以前のブログに書いた記憶があるのですが、オブジェとしての椅子に自分はとても興味があります。椅子は座ることの出来る彫刻だと考えています。座りやすさ等の機能性を追究した椅子は、とくに近代から現代に至る建築史や美術史に多くの秀作が登場しています。一方で純粋に美的なカタチを追求している椅子も多くあります。マッキントッシュの椅子もそのひとつです。ガウディの木製の椅子も動物的な動きが感じられて面白いと思います。自分はそうした日用品をテーマに美的価値を求める仕事に、楽しさと余裕を感じてしまうのです。

モチベーションの維持

前にヴァイオリズムのことをブログで取り上げたことがあります。おもに創作活動に限定していて、作業の進行具合で一日のうちのヴァイオリズムのことを考えたように記憶しています。このヴァイオリズムは一日という単位ではなく、もう少し大きな流れの中で捉えてもいいのかもしれません。たとえば今日はあまり調子の出ない一日で、職場に居ても無気力感が漂いました。ちょうど季節の変わり目で、夏の終わりのこの時期、自分は不調なのかもしれないと思い起こしています。毎年そうだったように思えるのです。10数年前のこの時期に虫垂炎で入院したことがありました。8月中苦労していた陶彫が上手くいかず放り投げていた時期でした。その時盲腸が破れていて手術が長引きました。自分にとっては最悪な時期だったのかもしれませんが、翌年の夏に「発掘~鳥瞰~」がようやく完成しました。災い転じて…という当時のことを忘れかけていました。今は当時のような極端な不調はありませんが、何とかモチベーションを維持していきたいものだと考えています。

2つの新作の同時進行

今年の個展で発表した「構築~瓦礫~」の発展したカタチは、来年の個展に発表する予定ですが、それはそれとして、さらに先をいく新作を考えているところです。今回は時間が許す範囲で来年と再来年の新作を同時に進めていく計画があります。もちろん来年の新作を優先しますが、作り始めとして現在は再来年の陶彫部品をやっているのです。先日ひび割れが生じて、早くも一つ陶彫部品を潰したことをブログに書きましたが、実はこれは再来年の作品なのです。再来年のメドを一応立てておきたいと考えて、まず最先端の考えを大雑把に具現化しておこうとしています。来年発表予定の「構築~瓦礫~」の発展したカタチは、かなり自分の中で煮詰まっていて、後は作業をするだけをいう按配なので、ここはあまり心配していません。むしろその先をどうするのかが問題です。方向が決まれば来年の作品にも取り組みやすくなります。そこで2点同時制作をいう方法をしばらくやっていこうと思います。

09‘RECORD1月・2月アップ

一日1点ずつポストカード大の平面作品を作っているRECORD。何かと悩むことが多い課題ですが、何とか現在も制作を続けています。時に緩慢になったり、時に自分でも満足できると思える作品が出来たりしていますが、全体的には当初の勢いが衰えてきたように思っています。でもここで止めることはしません。意地でも継続をして、この小品に対して悩み抜いていこうと決めています。そのRECORDの昨年制作したものをホームページにアップしました。まだ1月と2月分ですが、ご覧いただければ幸いです。この2009年から単年制作に切り替えました。その前までは2月から翌年1月までの年を跨いでの制作でしたが、2009年から1月スタートの12月ゴールにしてあります。なお、ホームページにはこの文章の最後にあるアドレスをクリックしていただけると入れます。よろしくお願いいたします。Yutaka Aihara.com

週末 成形に苦難あり

昨日から新作の成形を始めていますが、工房の暑さのためか乾燥が早すぎて、所々にひび割れが生じています。陶彫は陶芸では考えられない無理なカタチを作るので、多少の欠損はあります。ただ今回は陶彫を始めた途端にひびが見つかってしまい、どうも出鼻を挫かれた感じです。昨年はもう少し涼しくなってから陶彫をやっているので、今は焦りはありませんが、例年個展間近になって焦っていることが多いので、つい先走ってしまうのです。それにしても工房は蒸し暑く、長く留まることが出来ません。外の方が風があって涼しく感じるのです。大型扇風機2台を稼動していても熱風が来るだけで暑さを凌ぐことにはなりません。今年の酷暑は特別です。8月も後半になっていますが、初めに立てた目標どおりにはなっていません。暑さを言い訳にしたくはないのですが、朝からずっと作業して午後になってくると能率はどんどん下がってきます。結局早めに切り上げてしまうことが多いこの頃です。

週末 新作の成形始める

先日、陶土でタタラを作っておいたので、今日から新作の陶彫を始めました。まず2点。成形をしていると時間が経つのを忘れます。工房内の暑さも忘れます。自分は陶土に触れるのが大好きなんだと改めて思います。今日のところは手の込んだ陶彫はやめにして、比較的単純な直方体をベースにした作品をやりました。追々複雑で大き目の作品をやっていこうと考えています。陶彫をしばらく続けた後は、RECORDの彩色をやっていました。工房内で過ごす時間のうち陶彫とRECORDを交互にやっていく方が自分には合っています。陶彫成形もRECORDも表現こそ違えどもイメージの出所は同じで、直線が立体では平らな面になり、曲線が曲面に変わるだけのものです。ただし、立体では面と面が支えあって重量をもたせることに気を配らなければなりません。そこが面白いところでもあるのです。

「ウィーン工房」について

今夏、岐阜県高山市の美術館で見たウィーン工房の部屋。家具や椅子等の収められた空間に懐かしさを覚えました。自分がウィーンに滞在したのは1980年から85年までの5年間でした。ウィーンに行くまではウィーン工房の存在を知らず、20世紀初頭を彩った画家クリムト、シーレ、ココシュカだけは知識として頭にありました。ウィーンで生活をしていくうちにウィーンの近代化に興味が沸き、前述の画家のみならずユーゲントスティール(アールヌーボー)全体の絶妙な象徴化に魅かれていったのでした。ウィーン工房は建築家ヨーゼフ・ホフマンとデザイナーのコロマン・モーザーによって設立された革新的なデザイン工房で、ウィーン工芸美術館に作品が残されていました。滞在中はそれを研究しようという意図もなく作品を眺めていましたが、帰国後に興味が出て、ウィーン工房に関係のある展覧会が開催されれば必ず見に行っていました。まとまった作品が見られたのは、日本では高山の美術館が初めてで本当に驚きました。当時自分は生活費を切り詰めて、ウィーン工房に関する書籍を買ってきました。次第にドイツ語に疎くなっていく自分をどうしようもなく思いながら、図版に表れたウィーン工房のデザイン性・象徴性を考えながら、自分の中にある抽象衝動の参考にしているのです。

コトバに喘ぐ時

自分のホームページの画像の所々に僅かなコトバを添付しています。添付と言っても解説や説明の文章ではなく、イメージから捻り出したものです。学生時代から詩や散文が大好きで、今でも当時の詩集が書棚に眠っています。たまには書物の埃を叩いて読むこともあります。それは詩の一文に魅かれることが多いからです。具象から非対象まで幅広く流派が興った現代美術のように、詩もその歴史の中でさまざまな広がりを見せているのは理解しています。ただし、自分が詩紛いなものを作ろうと思うと、うまくコトバが操れません。造形的なイメージとコトバのイメージは同じところから生まれてくるように思えます。ただ技巧的なところでコトバに対する自分の稚拙さが出てしまうと感じることが多いのです。詩を書いたからと言って、造形が文学的な叙情性に流れるとは思えませんし、また幾何抽象の作品の根底にも、詩的世界がないとは思えません。今晩はコトバのイメージに喘ぎつつ過ごしています。目の前のRECORDの画面を眺めながら…。

怒涛図「男浪」「女浪」

何年か前に長野県小布施に行きました。確か麻績の池田宗弘先生宅にお邪魔した帰り道だったように思います。目的は葛飾北斎の足跡を辿ることで、小布施にある北斎館を見たかったのです。そこで感動をしたのは祭屋台の天井絵でした。北斎の肉筆画では最大級の大きさです。その中でも怒涛図「男浪」「女浪」を見た時は、視線が釘付けになり、食い入るように見つめてしまいました。有名な富獄三十六景の中にある「神奈川沖浪裏」で表現された襲いかかるような浪頭。そんな浪の表現が、やや抽象性をもって怒涛図「男浪」「女浪」に描かれているのです。その構成たるや驚くべきスケールをもって、浪の渦の中に我々を誘っているかのようです。この浪の表現を何とか自分のものにできないものか、書棚から何気なく取り出した北斎館の図録を見ながら、来月のRECORDで試したい欲求に駆られています。

ウィークディの工房にて

工房に行くのは週末だけですが、昨日と今日はたまたま仕事を早めに切り上げたので、夕方工房に立ち寄っています。倉庫建築の工房の暑さは凄いものがあって、居るだけで汗が滴り落ちてきます。陶土のタタラの乾燥具合を確かめているのですが、もはや作業できる状況ではありません。もう少し涼しくなったら再度タタラを作り直そうと考えています。RECORDの彩色も絵の具を塗るとすぐに乾いてしまいます。アクリルグァッシュは乾燥すると耐水性になるので、絵の具皿に常に水を与えていなければなりません。いずれにしても作業しにくい気温です。この残暑はいつまで続くのでしょうか。

見つからない一冊

現在読んでいるのは「瀧口修造全集Ⅷ」(みすず書房)。Ⅰ巻から読み始めて現在Ⅷ巻ですが、実はⅦ(7)巻がありません。まとめ買いをした訳ではないので仕方ないことですが、知り合いの書店に頼んで調べてもらったら、出版社には在庫がないという話でした。ネットでも見当たらず、結局Ⅶ巻を飛ばして読んでいるのです。Ⅶ巻は「実験工房/アンデパンダン」という章で一番読みたい一冊です。心当たりの人がいれば連絡をください。毎年夏の時期にまとめて読書をする習慣が自分にはあって、昨年はアンドレ・ブルトンを読んでいました。今年は早い時期から瀧口修造にハマッています。シュルレアリスム系と言ってよいものやら、とにかく興味のある作家や時代が文章にやたら登場するので、じっくり読んでいるわけです。瀧口修造全集ばかりではなく、現代彫刻やアートに関する書籍は時々読んでいます。浮気のようなもので、また違う切り口で論じられるところがいいのです。たまには小説や詩歌も読んでみようかと思うこの頃です。

墓参りの一日

実家の母は盆には迎え火や送り火を焚いています。そういう風習が横浜ではなくなってきたように思います。親戚を探しても、玄関先で茄子や胡瓜に足をつけて迎え火や送り火を焚いて先祖を迎えることをやっている家はありません。今日はその母と家内とで、近くにある菩提寺に墓参りを兼ねた掃除に行ってきました。菩提寺である浄性院の庭園はいつも奇麗に手入れがしてあります。鐘楼の周辺にある大きな百日紅の古木は紅い花をつけていました。いつの頃か菩提寺に来ると自分は妙に清々しい気持ちになるのです。手入れの行き届いた庭園のおかげでしょうか。若い頃は退屈だった墓参りが今はそうでもありません。工房の周辺もこんなふうに奇麗にしたいものだと思いつつ菩提寺を後にしました。親戚が集まって会食をした後、いつものように制作のため工房に行きました。亡父の残してくれた植木畑に建てた工房ですが、周囲は雑草がいっぱいです。なかなか寺院のようにはいかないものですが、退職すれば時間が出来て、周囲に気がまわるのではないかと思っています。

EXHIBITION2010アップ

ホームページのEXHIBITIONに、今回の個展の様子を撮影していただいたものをアップいたしました。EXHIBITIONは、ギャラリーせいほうの室内風景を自然に近い状態のまま載せているので、作品の置かれた状況がわかります。自分のホームページは演出された画像が多く、そんなデジタルな世界を楽しめるように工夫していますが、実際の作品はこのEXHIBITIONのページで確認することができます。今回の個展にも大勢の方にいらしていただいて大変嬉しく思います。EXHIBITIONの画像を見るたびに個展の様子が眼に浮かびます。来年もこの時期に個展を開催します。来年もよろしくお願いいたします。なお、ホームページにはこの文章の最後にあるアドレスをクリックしていただけると入れます。Yutaka Aihara.com

白川郷・五箇山にて

「世界文化遺産としては、すでに法隆寺と姫路城が決定している。が、白川郷合掌造り民家とその集落には、それらとは決定的にちがった文化的価値がある。それは、大自然の草木に依拠しつつ、庶民が自らの知恵と工夫と技術でもってつくりあげた住まいであり、いま現にそこに住みくらしつづけている庶民文化、生活文化の結晶の場だということである。それは、時の権力者や富貴者がつくった単なる記念碑的存在とは比ぶべくもない重みと貴さをもっている。」(姫田忠義著 1995年白川村教育委員会発行)前述の文章を読んだ自分は、合掌造りの民家に住み続けている人々のいる白川郷や五箇山の集落を一度は訪ねてみたくて、今年は飛騨高山方面にやってきました。すでに世界遺産となっているところなので、観光化されていることはわかっていましたが、そこに行ってみたいとずっと思っていました。来てみて感じたことは周囲を奥深い山々に囲まれて孤立した集落だったこと。そのため生活の利便化が遅れ、古いまま取残されたこと。そんなことが幸いして合掌造り民家が多く点在することになり、自分たち日本人が生活の原点を振り返る場所と機会を与えられているのだと思いました。また五箇山は箱庭のように美しく、絵本の世界のように思えました。

飛騨高山美術館へ…

台風4号の影響で予定していた世界遺産白川郷や五箇山の集落行きを明日に延ばしました。今日は雨の高山市内を散策することにしました。昔訪れた時にはなかった美術館を見つけ、そこに出かけることにしました。実は自分は観光地で新たに作られた美術館にあまり期待していないことが多く、収蔵品も観光化された奇異なモノという印象がありました。乗り気じゃなかったところを家内に誘われて、気分転換になれば良しという程度の気持ちで出かけましたが、ここの美術館には正直言って驚きました。それはエミール・ガレ、マッキントッシュ、ウィーン工房によって装飾された部屋がそれぞれ作られていて、その雰囲気を直に感じることが出来たからです。家具や調度品、工芸品をばらばらに見る機会はあっても、常設として一堂に集められ、しかも部屋を形作っている演出は初めてです。とくにマッキントッシュは図版でしか見たことのないものを実際に見ることができて、それだけでもここに足を運んだ甲斐があったと思いました。アール・デコは自分の大好きな様式です。とは言えアール・デコのこんな部屋で実際に生活をしたならば、自分なら疲れが癒されないと思いながら、それでも理知的で構成的なデザインスタイルが好きなのです。日常品は機能的ですが非日常的な空間がそこにあります。アール・デコに対してそんな感想を自分は持っています。

飛騨高山へ向かう

盆休みの時期に夏季休暇を3日間いただいて、気分転換に飛騨高山方面を目指して横浜を出ました。高山市内のホテルを予約しているので、どうしても今日中に到着しなければならず、出来るなら早朝出発したかったのですが、「トラ吉」を動物病院に預かってもらうことになっていて、それに手間取って出発が遅れました。思っていた通り国道16号は八王子まで渋滞、それに続く中央高速も渋滞。一時はどうなるのだろうと思っていましたが、相模湖ICを過ぎたあたりから渋滞が俄かに解消して、長野道の松本ICまで快調にやって来ました。ここまでは師匠の住む麻績によく出かけるので勝手知ったる道なのです。でもここから先の上高地経由の高山行きは初めての道で、ナビを頼りにうねうねとした峠越えをして何とか目的地に辿り着けました。高山は10数年前に来たことがあります。古い町並みを保存している地区があって、当時の記憶を頼りに夕方散歩に出ました。そこで外国人観光客の多さにびっくり、しかもヨーロッパの人がほとんどでフランス語やイタリア語が飛び交っていました。造り酒屋が営んでいるレストランで、夕食に飛騨牛のステーキを食べて、気分転換の旅の第一日目が終わりました。

明日から夏季休暇3日間

今日の午前中、出張先で初任者グループによるディスカッションの助言を行ってきました。これから横浜市を支えてくれる人たちに期待する意味をこめて自分も微力ながらサポートしていこうと考えています。午後は職場に行かず、休みをもらいました。明日から続けて丸3日間の夏季休暇に入ります。今までの夏の休日は工房にいるか美術館に行くかどちらかの選択で過ごしてきました。昨年は越後妻有トリエンナーレを見に新潟県に出かけました。今年はどうするか、どこかへ出かけないとリフレッシュできないので、いきなり思い立って飛騨高山方面に行くことに決めました。飛騨高山はかつて行ったことがあります。久しぶりに風情ある保存地区を見てみたいと思ったからです。美術を離れて旅行に出るのも久しぶりです。お盆の時期に入り、また台風も近づいていて、あまりいい条件とは言えませんが、職場や工房を離れるだけでも気分転換になると思います。もうひとつ例年と違う点は、飼い猫を動物病院に預ける手間があることです。

仮面に魅せられて…

先日、千葉市立美術館に「MASKS-仮の面」展を見に行き、改めて自分の仮面好きを認識しました。どうして自分はこんなに仮面が好きなのか、人間や動物の表情を戯画化したものにユーモアを見出したのか、原始的で民族的なものに造形的な生命力を感じたのか、さまざまな要素が絡まって自分の趣味趣向が形成されているのだと思っています。そもそも仮面の起源は、宗教的な儀礼から演劇や舞踏へ発展していったものと考えられます。自然に対して無力だった古代の人々は、超俗なモノによって邪悪から己を守ってきました。人が通常ではない超俗な世界を獲得するための装置が仮面だったのではないかと思われます。世界各地の仮面を見ると、その民族性や神々の多様性が見て取れて、自分にはプリミティヴで豊かな人間集団が感じ取れて、そこに思わず魅せられてしまうのです。自分とは違う自分になりたいという欲求は現在でもあります。仮面が古代の信仰から離れて、現代でも美術的演劇的な世界に登場していることに自分は大変興味があります。自分には仮面劇を創造したい願望があります。そんなことを思い起こさせる展覧会でした。

週末 新作の土練り開始

昨日、土錬機の分解掃除をしたので、今日はさっそく新作用の土を練りました。やはり土はいいなぁと思いました。自分には陶彫が合っていると感じます。イメージも崩れかけた幾何形体のようなものが出てきています。これを他の素材で作ることは難しいと思います。また来年の夏に向けて陶彫の第一歩を始めることになります。本来なら陶彫で雛型を作りたいところですが、ウィークディは公務員という身分なので時間が足りず、今回も雛型はやらずにいきなり本制作に入ります。陶彫は当然粘土による制作なので可塑性があります。少し乾いてから表面を磨くこともできます。自分が調合している陶土は鉄のような風合いがでますが、鉄より軽く細工も自由です。割れたカタチは鉄では巧く表現できませんが、陶彫なら容易です。こんなメリットがあって陶彫を作り続けていると言えます。ただし、陶土は時間との戦いで、長い時間放置しておくと使いものになりません。今日から土練りを開始したので、これから時間を見ながら、そして陶土の乾燥具合を見ながら制作をしていきます。

週末 土錬機の分解掃除

今年の春に「構築~瓦礫~」が完成し、図録撮影やら個展出品を行いました。「構築~瓦礫~」の陶彫部品の窯出し以来、土錬機は使わずにいました。土錬機の中に陶土が残っていたのでビニールで密閉していましたが、やはり時間が経ちすぎていたのと、夏の暑さのため、土錬機内の残土が固まってしまいました。新作を始めるにあたって今日はまず土錬機の分解掃除を行いました。自分の持っている土錬機は作りが単純なのでメンテナンスは簡単です。工房は今日も暑く汗が滴ってきましたが、工具の管理だけは時間を割いてやりたいと思って半日かけて行いました。こんな状態では念願の真空土錬機は扱えるはずがありません。週末だけの作業が続く現状なら、いつもどおり単純な土錬機にかけて、そのあとは手で菊練りをして成形しようと思います。新作に使う陶土を作るのは明日からになりそうです。

8月RECORDは「増殖する」

一日1枚ポストカード大の平面作品を作っているRECORD。その時の意欲がどうであれ気分が乗る乗らないに関わらず、とにかく一日1枚の課題をずっとやってきています。いつからか月ごとのテーマを決めるようになり、その中で5日間で展開できるような表現方法を考えるようになりました。一日ごとに新たにイメージを考えるよりは、初日から5日目を目指して展開するような継続したイメージがあった方がよいと思ったのです。今月のテーマは「増殖する」に決めました。比較的イメージしやすいテーマかなと思っていますが、果たしてどうでしょうか。日によっては上手くいかない時や、難なく過ぎてしまう時もあります。懲りずに続けることが大切と思い直して、今月もやっていきます。

「誕生!中国文明」展

このところ展覧会情報ばかり続いていますが、今日は東京上野の国立博物館平成館で開催されている「誕生!中国文明」展を取り上げます。中国河南省の出土文物で構成された展示内容で、その装飾や細工に眼を見張るものがありました。とくに鋳造による青銅の文物はその技術の高さに驚きました。連なる楽器の美しさ。そこに施された抽象文様が美しく、自分は何とかこれを自分の表現に出来ないものかと大それたことを考えていました。文様にはそれぞれ意味があるのはわかりますが、純粋に造形作品として見ても美しいのです。その密度の状態が自分の感覚と合ってしまったのかもしれません。自分は古いものに新しさを見ることが多いのですが、まさに自分にとっては典型的と言える展覧会でした。

「有元利夫展 天空の音楽」

昨日のブログに「鴨居玲 享年57歳」と書きましたが、今日取り上げる画家は38歳の若さで急逝した有元利夫です。折りしも同時期に別々の美術館で、両人とも没後25年の展覧会が開かれていたので、先日「有元利夫展 天空の音楽」を見に東京都庭園美術館に行ってきました。このアール・デコ調の美術館は有元ワールドにとても合っていて、その環境の素晴らしさがとても心地よく感じられました。38歳と言えば、まだ自己表現の確立に至っていない場合が多く、自分を引き合いに出すのも恥ずかしいのですが、自分が38歳の頃は創作活動に自信を失いかけていた頃でした。有元利夫はそういう意味では早熟で、バロック音楽に触発された静謐な世界を形作っていて、その説得力は驚くばかりです。展覧会にはアトリエを写した大きな画像がありました。そこには大小の画布が壁一面に掛かっていて、途中で筆をおいてあれこれ眺めては、壁の中から1点を選び出し筆を入れるという制作方法が採られていたようです。実はこんな制作風景が自分には気になるのです。まだ有元が生きていれば、どんなに素晴らしい世界を築いたことか、それを考えると残念でなりませんが、時折このような展覧会を開催して、私たちの目に常に新鮮な感動を齎せてほしいと切望してやみません。

「鴨居玲 終わらない旅」展

画家鴨居玲、享年57歳。先日横浜のデパートで開催されていた「鴨居玲 終わらない旅」と題された展覧会を訪れた印象は、画布に己を塗りこめた壮絶な画風で観る人を圧倒するといったものでした。57歳と言えば働き盛りで、画家としてはこれからさらに邁進できると言っても過言ではありません。鴨居は若いときから己と格闘し、自身が納得のいく表現を打ち立てたと思ったら、あまりにも短い創作生活に自ら幕を引いてしまった画家でした。鴨居は海外に滞在し、そこに住まう人々をテーマに取り上げながら、常に自画像が投影されて、自分の内面を絵画によって見つめ続けた画家でした。自分はそんな独特な人物表現のみならず、鴨居の描く教会の空漠たる風景にも興味があります。傾いた塊となった教会。装飾もなくただ存在している建造物。孤独な中で確固たる主張を続ける表現世界が、自分の中に根を下ろしてしまったようです。

「ブリューゲル版画の世界」展

先日、東京渋谷のBunkamuraギャラリーで開催している「ブリューゲル版画の世界」展に行ってきました。猛暑の中、涼しい美術館で名画を鑑賞するのは贅沢な時間です。同じような考えを持っている人が多いためか展覧会は大変混雑していました。人混みの中で小さな版画の世界を堪能するのはちょっと厳しい状況でした。それでもブリューゲルの風刺の効いた版画の世界にどんどん引き込まれていって、版画の中に隠されている古来の諺を知る仕掛けを見つけて歩きました。ブリューゲルは大好きな画家の一人です。自分は1980年から85年までの5年間をウィーンで過ごしましたが、ウィーン美術史美術館にあるブリューゲルのコレクションは世界有数のもので、滞在中は数え切れないほどブリューゲルの部屋を訪れました。美術アカデミーの学生証があれば無料で入れる美術館なので、散歩の途中にちょっと立ち寄るという習慣ができて、ブリューゲルの絵画はいつもさらっと見渡せる日常の中に存在していました。今思うと何て素晴らしい環境だったのか改めて感じている次第です。今回日本にきている版画も、自分にとって馴染みのある画風で、初対面とは思えない懐かしさがありました。