猛暑のまま8月へ

猛暑のまま8月へ突入しました。なにしろ暑くて工房に長く居られません。そこで今日の午前中は千葉市立美術館に「MASKS~仮の面~」展に行ってみました。日本の古くからある仮面をはじめ世界各地にある仮面を集めた展覧会は、自分の土俗趣味も手伝って大変面白く見ることができました。自分も仮面収集癖があるので、こんな仮面が欲しいなぁと思いつつ眺めていました。詳細な感想は次の機会に書きますが、午後からの工房は相変わらず暑くて3時間ほどの作業で切り上げることにしました。今月はずっとこんな暑さのまま過ぎていくのでしょうか。今月は新作の土台部分をやりたいという目標があるのですが、涼しくならないうちは目標の半分もできないのではないかという危惧があります。今日も汗でぐっしょりになったシャツを何枚も替えて、熱中症にならないように水分をいっぱい取って、木材の加工や土いじりをやっていました。明日からまた職場に出勤ですが、出来れば夜に工房に行って土練りしたいと思っています。気温のことを考えるとちょっと無理かもしれませんが…。

週末 工房の蒸し暑さ

今日は朝から工房に行って新作の作業を始めましたが、あまりの蒸し暑さに耐えられず、午前中で切り上げることにしました。天窓を開け、工事用巨大扇風機2台を稼動させていましたが、汗が滴って素材の上にポタポタ流れました。とくに神経を集中させると、汗があふれるように出てシャツがびっしょりになりました。毎年のことなので仕方ないと思っています。かえって汗が出たほうが身体が動きやすくなるようです。水分を充分補給し、梅干と紅鮭のおにぎりを頬張って、3時間ほど作業を続けました。午後は自宅でゆっくり休んで、夜はRECORDの制作をしていました。明日も半日は工房で作業をしようと思います。

長野県の師匠宅へ

今日は一日夏季休暇を取って、長野県の麻績に住んでいる彫刻家池田宗弘先生宅に出かけました。毎年夏の恒例行事になっている先生の工房訪問ですが、聞くところによると池田先生は南米ペルーに1ヶ月滞在されて、体調を崩されたというので、今回はお見舞いをかねて行ってみました。池田先生はもう既に体調を回復されて元気いっぱいの様子でしたのでひとまず安心しました。長崎県からキリスト教関係の仕事がきていて、昨日まで長崎にいた話やペルーでの話、とりわけペルーの遺跡に見られる巨大な石組みの考察、彼の地の気候風土の感想等、お喋りに時間を忘れるほど楽しく過ごすことができました。先生が住まれているところは人里は慣れた森の中にあるので、ハクビシンが侵入してきたエピソードは自然の中に住まわれているからこそ起こることと思いました。相変わらず先生の彫刻をはじめとする作品の多さに触発を受けて、自分も創作への意欲が湧いてきました。例年先生の工房にお邪魔した後は制作に弾みがつきます。今年も例年に増して頑張ろうと思います。

「マン・レイ展」を見て

先日、東京六本木にある国立新美術館へ「マン・レイ展」を見に出かけました。20世紀美術を代表する旗手として知られたマン・レイですが、一般的にはどの程度知られているのか、観客動員で成功するのは印象派と世界遺産認定の遺跡展くらいと人から言われたことがあります。果たしてマン・レイはどうなのか、そんな興味もあって美術館に行ったのですが、観客はかなり入っていました。やはりマン・レイの知名度は相当なものかもしれません。マン・レイはポートレイトで世に出た作家ですが、それに留まらず現代美術に大きな足跡を残しています。自分は前からマン・レイのエスプリの効いたオブジェに魅力を感じます。そのオブジェが所狭しを置いてあるマン・レイのアトリエのビデオはなかなか楽しく、ジュリエット夫人へのインタビューも興味津々でした。マン・レイの写真の中に「黒と白」と題したポジとネガが一対になった作品があります。キキというパリのモデルとアフリカの仮面を構成したまさに白い顔(キキ)と黒い顔(仮面)のコントラストが美しい作品で、そのシャープな感覚に魅せられました。写真表現をはじめ、さまざまな分野に表現の可能性を求めたマン・レイの功績は現代に繋がるものとして強く印象に残りました。

「毎日書道展」への思い

義母は「毎日書道展」の「かな」部門の会員で、当時は東京上野の都立美術館へ義母に連れられて家内と行っていました。義母が亡くなって、「毎日書道展」に行く機会がなくなったと思ったら、自分と同じ横浜市公務員で管理職を務める友人が「毎日書道展」に出品しているというので、先日再び「毎日書道展」に足を運びました。会場は上野から六本木に移って、国立新美術館の広い空間を使っていました。まず出品作品の多さにびっくり。入り口の受付で出品者の氏名を言ってパソコンで検索してもらわないことには探せないと思いました。友人の作品は「漢字」部門で、流れるような筆致がとても気持ち良く感じられる作品でした。自分は「書」に関心があって自己流の文字を楽しんで作っています。それは画家パウル・クレーやホワン・ミロのカリグラフィ的な絵画が契機になっているわけですが、文字が絵画的に記号化していくプロセスに魅力を感じているのです。墨を紙に落とすことによって、墨と空白の部分に緊張感が走り、黒と白のせめぎ合いが始まります。その一瞬を永遠化するのが「書」だと考えています。「書」には空間があり、墨には多くの色彩が含まれていると感じます。そんな自己流解釈で、友人の「書」を楽しませてもらっています。今後、彼がますます精進して独自の世界を構築してくれることを期待しています。

六本木ヒルズの「恐竜展」

連日美術館巡りをしていますが、今日出かけたところは趣向が違います。今日は勤務日でしたが、出張があって職場には顔を出しませんでした。そこで勤務時間終了後に六本木ヒルズに出かけました。森アーツセンターギャラリーで開催されている「地球最古の恐竜展」を見るためです。夜10時まで開かれている展覧会と言うのは滅多にないので、それならば遅い時間に行ってみようと思ったのです。企画を考えると、家族連れで混雑しているかもしれないと予想したのですが、やはり遅い時間帯は人がまばらで、恐竜の骨等をじっくり見ることができました。アルゼンチンで発見された化石をもとに数々の復元模型が出来ていて、一部屋ごとに復元模型を配置した空間演出がありました。博物館の展示で見られるような学術的な羅列ではないのが新鮮でしたが、イベント性が強いためかテーマパークのような印象を受けました。家族で学びながら楽しめる企画として、また巨大な恐竜の骨の合間から見える52階の夜景も楽しめる企画として六本木ヒルズで開催する意図があったのだろうと思いました。

夭逝した2人の画家

今日は今月11日(日)出勤の振り替え4時間と年休を合わせて一日休みをもらいました。そこでまた美術館巡りに出かけました。昨日に引き続いて今夏見たいと思った展覧会を回るのです。午前中は近隣の方々に会わなければならない用事があって、今日も午後の炎天下の中を頭にバンダナを巻いて行きました。今日の展覧会は2つとも命を画布に塗りこめた渾身の作品を展示している画家の展覧会で、その重さと迫力、寂寥感にしばし夏の暑さを忘れてしまいました。一人は横浜のそごう美術館でやっている「鴨居玲」。57歳で急逝した画家で、酔狂した人物描写、命を削り取るような筆致、深い闇の中から浮かび上がる画面構成は一眼見て忘れない印象を残します。もう一人は東京都庭園美術館でやっている「有元利夫」。38歳で急逝した画家で、バロック音楽に導かれて、静謐で古い壁画のような画面を作り上げた画家です。2人とも亡くなった年が1985年。没後25年を経て、この同じ時期に展覧会を開催しているのは偶然でしょうか。詳細な感想は別の機会を持ちますが、何とも言えない感慨に耽ったひと時ではありました。

週末 今夏の美術館巡り

例年なら東京銀座での個展開催中に、東京の美術館を見て回っていましたが、職場から離れられない身分なのでそれが叶わず、今夏は今日から時間を作って見たい展覧会を回ることにしました。今日の午前中は工房に行って、新作の準備を行っていました。あまりの暑さに工房の作業を早めに切り上げ、午後は東京の美術館に行きました。まず六本木からスタートし、東京国立新美術館で開催している「マン・レイ展」、それから友人が出品している「毎日書道展」、場所を渋谷に移し、Bunkamuraで開催している「ピーター・ブリューゲル版画展」に行きました。今日は午後から出かけたので、3つの展覧会で終了となりました。まだまだ見たい展覧会があるのですが、別の機会に時間を作りたいと思います。それぞれの展覧会の感想については機会を改めますが、炎天下の中で充実した時間を過ごしました。

個展最終日・搬出

個展最終日である今日は、一日中在廊しました。朝から知人友人が訪ねてきて、ほとんど休む暇がなく過ごしていました。食事に出た時間にも知人が来てたらしく、芳名帳を見て気づきました。大変失礼いたしました。毎年来ていただいている先輩の彫刻家や写真家の方々から、自分に関わりのある日本を代表する彫刻家の消息を聞けるのも、ギャラリーせいほうで個展を開催しているからで、彫刻界が大変身近に感じられるひと時でもあります。個展は始まれば、あっという間に終わってしまいます。イベントとはこんなものでしょうか。毎年のことなので慣れてきましたが、夕方ボランティアの子2名と懇意にしている運送業者がやってきて、てきぱきと作品を解体・梱包してトラックに運びました。相原工房に到着したのは20時ごろだったか、作品を保管場所に置いて今回の個展が無事終了しました。また来年。もう既に新作を始めていますが、本格的には今日から来年に向けてスタートです。来年もよろしくお願いいたします。

今夏見たい展覧会

今夏の東京近郊の美術館では、自分の興味関心のある展覧会が目白押しです。2年ほど前までは自分の個展開催に合わせて東京の美術館を見て回っていましたが、最近はそれもできず、日を改めて美術館に行くことになります。時間をどう取るか考えながら、見たい順番をつけて行こうと思います。今読んでいる「瀧口修造全集Ⅵ」(みすず書房)の中に、マン・レイに関する文章があります。マルセル・デュシャンも瀧口修造の評論で詳細を知りました。そして今はマン・レイです。マルセル・デュシャンとマン・レイは昔から作品を知っていても、踏み込んだ理論を知ることもなく自分の中を通過してきています。でも興味があって今更ながら当時の前衛を振り返っているのです。そこに国立新美術館で開催されている「マン・レイ展」。これはぜひ行ってみたいと思っています。千葉の美術館でやっているマスク展にも行ってみたいと思います。これは自分の中にある土俗の趣向からきています。上野でやってる中国文明、渋谷でやっているブリューゲルの版画展…どれもこれも行きたい展覧会ばかりです。公務のスケジュールの間隙を縫って、どのくらい回れるのか楽しみではあります。

もうひとり恩師からの手紙

中学生の頃の恩師からきた手紙に関する内容を、昨日のブログに書きました。今日届いた手紙も別の恩師からのものでした。この人は横浜ゆかりの作家に関する本を出版している文筆家です。そろそろ80歳になろうかという年齢であるにも関わらず精力的に歩き回って、自分の個展にも足を運んでくれます。自分の「構築」シリーズを見て、「5年程前に訪れたバルセロナで見たガウディのサクラダ・ファミリアが連想されました。天空に伸びる塔の姿に祈りと希望と、それを同時に解決しようとする夢の構築を発見し…(以下略)」と手紙には綴られていました。この連想を大変嬉しく思います。自分はガウディを意識したわけではありませんが、ガウディの精神性は理解できるし、また自然の形態を独自な視点で取り入れた造形に尊敬の念を抱いています。少しでも近づければ幸いと考えます。個展期間中は仕事があって、なかなか銀座まで行けませんが、多くの人たちに支えられている実感はあります。

昔の恩師からの手紙

表題の恩師と言うのは、度々ブログに書いている彫刻家池田先生のことではありません。もっと昔の恩師で、自分が中学校1年生の時の担任だった人です。美術科教諭だった彼女は、自分の泥臭い水彩画を褒めてくれました。何もわからない自分たちに授業の中で美術の心を語ってくれていたのを今でも思い出します。中学校を出てから、ひょんなことで造園業だった亡父と一緒に恩師宅の庭の手入れに伺ったことがありました。それでずっと自分のことを覚えてくださっていたのかもしれません。手紙では造園で伺った時に自分が話した海外留学のことが書かれていて、それを心に留めていてくださっていたこと、また自分が横浜市に就職して現在管理職になっていることも知っていて、風の便りがそんなところまで届いていることに驚きを隠せません。ただ、今の自分は彫刻家との二束の草鞋の生活をしていることは知らないらしく、手紙の返事を書く際に現在開催中の個展の図録を送ってみようと思っています。恩師は今90歳だそうで、いつまでもお変わりなく達者でいられることを願ってやみません。

個展のことを思いながら…

今日は、というより今日から週末まで東京銀座で開催している個展のことを思いながら職場に出勤しています。今日はどんな人が訪ねているのだろうとあれこれ考えながら過ごしましたが、仕事が始まると個展への思いは吹っ飛んでしまうのです。家内がギャラリーに行った時も既に知人が来ていたらしく、ギャラリーの空間でお茶をしたようです。毎年呉服店の御主人は大きなランの花を贈ってくださっていて感謝に耐えませんが、それよりどうか気を使わないで気軽に訪ねていただければと思います。来ていただくだけでこの上ない満足感があります。今日の都心の気温は大変なもので、風が熱風のようだったと家内が言っていました。新橋駅から歩く間でも、コンクリートの道が揺らいで見えるほど夏の暑さを感じる陽気です。銀座の真ん中で熱射病にならないように水分等補給していただいて、エアコンの効いたギャラリーにぜひお立ち寄りください。

10’個展のオープニング

東京銀座のギャラリーせいほうでの個展も5回目となりました。今日はオープニングでした。横浜市の同僚や鎌倉彫の彫師さん、従兄弟や後輩等々さまざまな方々とお会いできました。個展を裏で支えてくれる後輩には、オープニングパーティの後も銀座ライオンに繰り出して酒宴をしました。本当にありがとうございます。また明日以降も来ていただける方々がいます。自分は明日から金曜日まで職場にいなければならず、代わりに家内がおりますので、よろしくお願いいたします。今年のエピソードとしては、「構築~包囲~」が大きすぎて、ギャラリーの左壁一面にある収納庫から、オープニングパーティ用のテーブルが出せず、作品の一部を取り外して収納庫を開けたことが挙げられます。こんなこともブログに書いておくと、今日という日が印象に残ります。ついでがあれば銀座に足をお運びいただき、ご高覧いただけると幸いです。

三連休 搬入と展示

三連休の中日は、東京銀座のギャラリーせいほうでの5回目の個展、その搬入と展示を行うことになりました。ボランティアの子が2名、運搬業者2名、それに家内と自分とで作業を行いました。運搬業者は自分の展覧会があれば必ず雇う業者で、自分の作品をよく知っている人たちです。通常の業者に比べるときめ細かなサービスで欠かせない存在です。ボランティアで手伝ってくれた子たちは美大生で、やはり展示や照明にも気が配れるところがいいのです。今回の作品はスケールが大きく、ギャラリーに入るかどうか心配でしたが、ピッタリ収まりました。そのかわり作品を周り込んで見ることができません。周囲に空間を作れなかったのです。今までの個展の中で作品の実寸が大きいという意味では一番です。そのため作品を配置してから照明を考えることができず、作品を組み立てながら併せて照明もやっていく方法を採用しました。今回の展示内容は、ギャラリーせいほうの広く白い空間をたっぷり使わせてもらうことで、必要以上の演出はありません。作品そのものという感じが気に入っています。

三連休 渋滞の幕開け

明日の搬入を控えて、簡単な打ち合わせに東京銀座のギャラリーせいほうへ行ってきました。横浜の自宅から車で1時間と見積もっていたところが、三連休でしかも梅雨明け宣言が出たこともあって、東名高速もそれに続く首都高もずっと渋滞。帰りも渋滞。ラジオから30数キロの渋滞との情報が流れ、まさにその渦中にいた数時間でした。渋滞して車が動かないという経験は久しぶりで、いつもそれを避けて日や時間をずらしていたのに今日という今日は失敗でした。工房に戻ったのが午後2時過ぎで、それから搬入する荷物の点検や確認を行いました。幸いほぼ荷造りは終わっていたので安心しましたが、工房内の暑さに辟易しました。明日の運び出しは大汗をかくことになりそうです。ボランティアの子が2人手伝いにきます。運搬業者も2人くる予定です。明日は運び出して梱包を解くだけではなく、肝心の組み立てや空間配置を頑張らなければなりません。

三連休を前に…

明日から三連休が始まります。公務とは違う意味で密度の濃い仕事が待っています。初日は搬入準備の確認作業、二日目はギャラリーせいほうへ作品搬入、3日目から個展が始まり、夕方はオープニングパーティーがあります。せいほうでの個展は5回目ですが、慣れたとはいえ作品の大きさ、組み立てが毎回異なるので心配の種は尽きません。今回も何とかいい結果を残せれば、と願っています。1年1回自分一人だけのイベントを持つということは、楽しいことではありますが、正直に言えば負担もあります。それでもやりたい気持ちが強く、創作に向かう意欲を確かめながら、個展を続けているわけです。発表できる機会をいただけるうちは、どこまでもやっていこうと思っています。

行き詰まりに悩む

表題にある悩んでいることはRECORDの制作時間のことです。毎日欠かさず、小さな作品を1点ずつ作り続けていくことは、なかなか困難です。困難を承知で始めたこととは言え、ついグチっぽくなってしまいます。最近RECORDの制作に本当に行き詰まりを感じています。意地で制作を継続しているところもありますが、いい結果は出てきません。また何かの拍子に作品が動き出すこともあるかもしれません。今までの打開策は、ふとしたはずみで作品が展開し、再び希望がもてる状況が訪れたという按配です。そんな都合のよいことが再三来るものでしょうか。公務の多忙さを言い訳にしたくはありませんが、発想には時間が必要で、仕事上その時間が極めて取り難いのは事実です。気持ちの切り替えは長年の習慣ですぐ出来ますが、発想やイメージとなると自分を追い込む時間が必要で、それにはかなりの時間と労力を継ぎ込まなければなりません。まだ何か出来そうだという期待感があるうちは、行き詰ってもやっていこうと思います。この困難を乗り越えようと、いつもいつも自分に叱咤激励しているこの頃です。

夏季休暇…

夏季休暇を来月の盆休み期間より少し前に取ることにしました。このところ公務は残業続きで、休暇のことでも考えていないと気持ちが持たないと感じます。典型的な現実逃避です。さて、休暇はどこに行こうか、何をしようか、そんなことを考えているのが今は楽しいのです。工房に籠もることも考えましたが、やはりどこかへ出かけようと思います。師匠を訪ねるか、旧友を訪ねるか、師匠の住む長野県か、旧友の住む茨城県か京都府か、それとも…。管理職という役職についている間は、長い休みは望めません。職場での危機管理が付き纏うからです。それでもどこかに出かけてリフレッシュしないと心身が固まってしまうので、多少でも環境を変えたいと思っています。

A・カルダーの浮遊空間

自分は陶彫や木彫を表現媒体にして「発掘」や「構築」シリーズを作ってきました。それは床(大地)から立ち上がっていく造形です。作品によっては大地に埋もれた世界をあらわにして表現したものもあります。いわば大地が発想の起点であり、地面を座標にして、それよりプラスマイナスの振幅する幅が作品の大きな位置を担っています。アメリカ人彫刻家アレキサンダー・カルダーのモビルは、そんな地べたに生える自分の作品とはまるで異なる空間意識を持っていて、自分にとって常に新鮮な存在です。カルダーは20世紀を代表する巨匠であり、自分とは比べることも出来ないのは百も承知です。しかしながら空中に浮遊する空間の解釈は、いつも自分を刺激してやみません。千葉県佐倉市にある川村記念美術館には、カルダーの常設作品のための部屋があります。青一色に塗られた壁に原色のモビルが浮遊する空間は、非日常そのもので誘惑的です。そこでは重力が失われたような錯覚に陥ります。フワフワとした単純なカタチが衝撃をもって迎えてくれる場所なのです。

雛型の展示で思うこと

立体作品の展覧会に行くと、初めは大きな作品に目が奪われますが、じっくり見ていくうちにガラスケースに入った雛型に注目が移ります。雛型にはいろいろな謎が隠されていて、ひとつひとつ想像しながら鑑賞することはこの上ない楽しみなのです。まず雛型は作家の試作品です。試作品から作家が意図したことや迷いも見えてきます。それは作家が垣間見せる内なるコトバであり、完成作品にいたる思考過程を示すものでもあります。作家名は忘れましたが、石膏による雛型数点が展示されていた個展の、その展開力に心が躍らされました。そのうち1点が大きな石彫になって床に置かれていましたが、作家がカタチの取捨選択を行った思考がわかって興味が沸きました。完成された石彫作品だけ見ていたのでは、その裏にある戸惑いや迷いはわからなかったのです。それらを見せない作家もいると思いますが、同じ創作活動をする自分としては、雛型の展示は歓迎いたします。

週末 記録として…

ブログを日々欠かさず書いていると、自分の作品に関すること、たとえば発想の土台となる展覧会鑑賞や読書などを書き綴ることが多いのですが、そうしたこととは別にその日の単なる記録を書いている場合も結構あります。昨年の今頃はどんなことをやっていたんだっけ?と振り返ることがあるからです。今日はその単なる記録としてブログを書きたいと思います。まず、午前中は横浜市の採用試験があって、自分は試験監督者に任ぜられて勤務してきました。週末と言えども今日は勤務日となっているので、夏の間にこの振り替え休日をいただこうと思います。午後は作品搬入搬出に関わる業者と打ち合わせを持ちました。来週に迫った個展の搬入に向けて入念な準備をしておこうと思います。ところで今日は参議院選挙の日でもあり、これにも夕方出かけてきました。自分は選挙権を有した時から必ず選挙には出かけます。滞欧していた5年間以外は、すべて投票所に足を運んでいます。特定の政党を支持しているわけではなく、何十年も無党派層でいますが、政策を読んでこの人に、と思う人に一票を投じています。今回ばかりはどうしてよいものか決めかねましたが…。そんなおよそ創作活動とは縁のない一日を過ごしました。

週末 梱包用木箱完成

今日の工房内は、うだるような暑さでした。汗が噴き出し、シャツを何枚も替えて作業をしました。個展搬入用の木箱が完成し、陶彫作品はすべて梱包しました。個展が終われば、これがこのまま工房に返ってきます。今まで大きな彫刻は売れたためしがないので、返却されたら工房のどこに保管しようか考え始めています。あまり奥に置いてしまうと、企画展等で再び出品する時に大変苦しい思いをするのです。コンパクトにしかも取り出しやすい場所に、と思うと保管場所のレイアウトを考える必要があります。個展が終わったら、工房内の整理も念頭に入れておきたいと思います。

7月RECORDは「組み立てる」

一日1枚のペースで葉書大の平面作品を制作しているRECORD。毎月テーマを決めて取り組んでいます。平面作品なので立体のような不自由さがなく、また実材に囚われることもないのに、自分が作っている集合彫刻の雰囲気に近づいてしまう傾向があります。自分の殻を破れないもどかしさを意識しながら、やはり今月も自分のやり易いテーマに走ってしまいました。「組み立てる」は、まさに普段から集合彫刻でやっていることで、今月も彫刻のエスキースのようなRECORDになりそうです。新しいことを試すには時間が必要で、じっくり自分を追い詰めていかないと中途半端で終わってしまうのを、何より自分が一番知っているのです。公務員との二束の草鞋で時間の無さを言い訳に、取り組みやすいテーマを設定しているのは自己嫌悪になりうるところですが、それも重々承知の上でこのテーマに決めました。無難な1ヶ月と言いたいのですが、自分なりには多少冒険もしようと考えています。

作品展示の演出

彫刻を学んでいた学生時代には、作品のクオリティを高めることに精を出していて、作品がどこに展示されるかは念頭にありませんでした。作品を人に見せることを考えていなかった時代です。これはこれでよかったと今では思っています。演出効果ばかり考えていたのでは、人の心を打つ作品を作れるはずがなく継続もできないと思っているからです。作品が置かれる環境を考えるようになったのは滞欧中のことです。彫刻の歴史に刻まれた街や広場に接して、環境が作品の内容も変えると感じました。展覧会も同じで、どういうデザイナーが関わったか知る術もありませんが、作品の展示で見事な演出がされているのをよく目にします。先日出かけた千葉県の川村記念美術館も一部屋一部屋が現代美術を鑑賞するのに相応しい演出がありました。企画展だったジョセフ・コーネルの箱の中に広がる小世界も、その見せ方に工夫がありました。星空をイメージした会場では、コーネルの箱や詩人高橋睦郎のコトバに照明が当てられ、闇から造形と詩が立ち上がってくるように感じました。星もひとつひとつ手書き風に作られて、乾いた情緒が吹き抜けていくような全体の空気を感じました。鑑賞する側からすれば作品だけではなく、そうした展示空間もあわせて印象に残ります。やはり作品展示の演出の大切さを思わないわけにはいきません。

箱宇宙に捧げられたコトバ

アメリカ人アーティストのジョセフ・コーネルと詩人の高橋睦郎によるコラボレーションによる展覧会は、さまざまな角度から自分を刺激してくれました。そのひとつに造形作品に捧げられた詩人のコトバがあります。捧げられたというのは誤解を招くかもしれませんので、造形作品から発想を得て新たに創作された詩とでも言った方が相応しいと考えます。実はこの関わりが知りたくて、先日自分は千葉県佐倉市の「川村記念美術館」まで出かけていったようなものなのです。詩人高橋睦郎は以前も現代美術家とのコラボレーションをしていた記憶があります。コトバのひとつひとつを辿ると、詩人はコーネルの箱宇宙から与えられたイメージを基にコトバを紡ぎ出し、決してコーネルの作品に寄りかかることはなく、詩的世界を独自に創っているように思えました。さらに詩の内容もさることながら、詩が印字された紙が何とも気持ちがよくて、そのざらついた素材感は、コーネルの作品に相まって、素朴な風合いを生かしながら訥々と心に染み込んでくる感覚を持ちました。展示方法にも工夫が凝らされていて、これはまた機会を改めて述べていきたいと思います。

J・コーネル「箱宇宙を讃えて」展

ジョセフ・コーネルは小箱の中に自分の思いを込めたものを詰め込んで、その小宇宙を表現媒体にしたアメリカ人アーティストです。コラージュがマックス・エルンストらによって考案されたのを契機に、従来の描く行為や彫る行為だけが美術ではなくなり、既製品による表現世界が登場してきます。自分が収集したものが別の要素をもちはじめ、それが自分の中でメロディを奏でるようになったのです。そこに不協和音もあることでしょう。既製品だったモノが単なるモノになって、まるで関連が無いモノと出会い、まったく異質な世界が生まれる、これがシュルレアリスムの始まりと言っても差し支えありません。千葉県佐倉市の「川村記念美術館」で開催されているジョセフ・コーネルの個展は、そんなコーネル自身が収集したモノが詰まった小箱を覗き込んで、コーネルが表現したかった超現実なる世界を味わう絶好の機会です。コーネルは囁くような声で語りかけていて、その内的で深遠な世界をもって、作者が稀な造形詩人であったことを証明するに足る力量をひしひしと感じることが出来るのです。

若林奮「Dog Field」展

多摩美術大学美術館で開催されている故若林奮先生の「Dog Field」展は、彫刻数点と多くのドローイングによって構成された個展です。自分は昔から若林先生の個展であれば必ず見に行っていました。若林先生を「先生」と呼ぶのは、自分の学生時代に若林先生が大学の彫刻科で教壇に立っていられたからですが、残念ながら自分とはあまり縁がなく、いつも遠巻きに先生の作品を鑑賞し、また先生が言われるコトバを熱心に聞き入る機会を持っただけでした。作品は難解極まりないと今でも思っていますが、作品が醸し出す何とも言えない魅力が、理屈抜きで自分を虜にしているのです。先生の文章を読むと、作品が意図するところはある程度理解できますし、何を求めていたかもわかります。ところがこの展覧会に同伴した家内の反応はとてもダイレクトでした。「この人は生前ずっと悩み苦しんでいたんではないか。この人なりのカタチで空間を捉えようと、もがいていたのがわかる。だから作品は完成されることがなく、ともかく現状を表現するしかなかったように思う。じっと作品を見ていると何だか涙が出てきそう。」家内は若林ワールドのことはわかりませんし著書も読んだことがありません。それでもこの感想に自分は参ってしまいました。理論に頼る自分と直感でものを言う家内。若林ワールドは決して難解なのではなく、全身全霊をもって素直に作品に接すれば、作者の方から歩み寄ってくるということに気づかされた貴重なひと時になりました。

週末 千葉と東京の美術館へ

ちょうど見たい展覧会が2つあって、今日はそれぞれのの展覧会に出かけることにしました。ひとつは千葉県佐倉市の「川村記念美術館」で開催中の米国人アーティストのジョセフ・コーネルと詩人高橋睦郎の「箱宇宙を讃えて」と題された展覧会。もうひとつは東京多摩市の「多摩美術大学美術館」で開催中の彫刻家若林奮の「Dog Field」と題されたドローイング中心の展覧会。千葉県佐倉市と東京多摩市、2つの美術館が遠距離なためナビゲーションを頼りに自家用車で出かけました。晴れて気持ちの良い天候だったため、家内とドライブ気分になり楽しい一日を過ごしました。2つの展覧会に共通しているのは、極めて質の高い内容であったこと、作品の持つ意味をじっくり読み解かないと作品が放射する力を捉えられないことが挙げられます。自分はもとより家内も真剣に作品に向き合い、車内で意見を述べ合う機会がありました。家内は自分と同じ大学で空間演出デザインを専攻していたので、今回は美術的な刺激があったらしく、家内の言うコトバに自分も深く頷いてしまいました。感想については機会を改めますが、今日は本当に有意義な時間を過ごせたと感じています。

週末 梱包用木箱作り

雨が降ったりやんだりの一日でした。家内は東京合羽橋で企画した「おわら風の盆」の胡弓奏者として出かけました。雨を心配しながらの興行でしたが、何とか興行は成功したようでした。自分は工房に行き、個展搬入のための作品梱包作業に追われました。陶彫は木箱をひとつずつ作ることにしましたが、時間がかかって大変です。梱包は退屈な作業ですが、搬入搬出だけでなく工房に保管するので、作品の劣化を防ぐためには大切なのです。かつて作品を梱包していなかったため損傷が烈しく廃棄したものがありました。作品が気に入らなくて廃棄するのとは違い、熱心に作ったものを捨てるのはつらいものがあります。集合彫刻なので梱包すると量が増えて場所を取りますが、それでもしっかりした梱包材を使おうと決めています。工房は住居空間ではないため湿気や暑さの影響を受けやすく、汗が滴る作業になりました。夏になれば例年こんなものと覚悟してやっています。シャツが数枚汗でびっしょりになりました。

頭の中のエスキース

ひとつ立体作品のイメージが浮かぶと、スケッチブック等にエスキースをしてイメージを確かめながら、平面作品として残しておきます。一日1枚のペースで小さな平面作品を作り続けているRECORDの場合も同じで、立体作品のエスキースとして画面に定着させていることがあります。ところがエスキースをしてしまうと、それだけで満足してしまい、なかなか立体として作らないことがあります。エスキースはたくさんあるのに、立体になった作品はそれらエスキースの中にはないのです。木彫や陶彫の立体作品はどんな場合に具現化するのかと言えば、むしろ頭の中でエスキースをしていて、そのイメージを覚えている場合に限って、立体として制作を始めるケースが多いのです。ですから今までの立体作品にはペーパーベースで残っているものがないのです。平面は平面として、それがエスキースであろうがデッサンであろうがタブローであろうがひとつの作品として自分は認識してしまい、立体に繋がっていきません。自分のやり方と言うか癖と言うべきかわかりませんが、立体作品を作るときは、自分は決まって頭の中でエスキースをしていると考えるようにしています。