上野の「イサム・ノグチ 発見の道」展

先々週、家内と東京上野にある東京都美術館で開催中の「イサム・ノグチ 発見の道」展に行って来ました。私は彫刻家イサム・ノグチに関する書籍はほとんど読み漁り、日本にある作品もよく見ています。言わば旧知の作品ばかりが展示されているのかなぁと思っていたら、海外からも作品が来日していて、大変見応えのある展覧会になっていました。本展で目を見張ったのは展示の演出で、入口に数多くの「あかり」を集中して吊るしてあったのには驚きました。立体の配置にも気が配られていて、照明の効果も抜群でした。空間造形にはそうした張り詰めた空気感が重要で、広い室内のところどころに置かれた立体同士が心地よい緊張感を醸し出していました。何度見てもノグチ・ワールドには学ぶべき要素があると感じました。センスの良い図録を手に入れ、隅々まで読んで、展覧会の感動を新たにしました。「22歳のイサムが出会ったときのブランクーシはすでに晩年で、癇癪もちの頑固なオヤジになっていた。イサムは『窓の外を見るな』『もっと集中しろ』と怒鳴られながら、ときどきアフリカ音楽のレコードを聴かされたり、チベットの聖人ミラレバの話をされたりした。イサムはこの厭世的で、ちょっぴり聖者めいたおやじが好きで、1949年にも会っている。しかしながらイサムの彫刻はブランクーシとはまったく異なっていた。ブランクーシは外から内に向かったのだが、イサムは内から外に向かったのだ。外発を好まず、できるかぎり石の内発力を見いだそうとした。そのことはイサムに『空間』を近寄せた。」(松岡正剛著)また世界的建築家が寄せた文章にこんな内容がありました。「『見切りをつけるのが難しい』。しばしば耳にしたイサムさんの言葉だ。『石はいじりすぎると死んでしまう…素材も自然も殺さぬように…』。そう言いながら、牟礼のアトリエで、クイーンズの庭園で、ご自身の作品を愛しむように撫でられていた。イサムさんの作品にはいわゆる作家の刻印がなされていないことが少なくないという。依頼を受けたものではない場合は、作品を手放さずに手元に置いて、気になれば手を加え、またしばらくして気が付いたら手を加え、といつまでも創作の手を止めないからだ。」(安藤忠雄著)そうした完成かどうかの境界を逸した作品が牟礼の庭園美術館に数多く置かれています。ひとつの石にも粗肌のまま残された部分と手の入った部分があって、そこには未完の美が宿っていると私は感受しました。石材を石の素材あるがままの状態にして置くこと、それはもはや西洋の彫刻概念ではなく、日本の庭園に近づいているように思えます。本展を眺めていると気持ちが香川県牟礼に飛んでいきそうになりました。

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