「存在と時間」第二篇を読み始める

「存在と時間Ⅱ 」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)は、第一篇から始まり、途中から第二篇になりました。ここからは「存在と時間」の存在に時間を加えた論考が中心になるようです。文中で言えば「現存在の実存性の根源的な存在論的根拠は時間性なのである。」とあるように現存在における気遣い同様、時間性を持ち込むことで現存在は実存論的に了解されるとハイデガーは言っています。続く引用で「時間性が現存在の根源的な存在意味をなし、しかもこの存在者にはおのれの存在においてこの存在自身へとかかわりゆくことが問題なのだとすれば、気遣いは『時間』を用いざるをえず、したがって『時間』を計算に入れざるをえない。」としています。頁を捲っていくと時間概念から生じるのかどうか、先を読んでみなければわかりませんが、「死」という言葉が再三現れてきます。現存在の終焉を意味するのでしょうか。「死」を存在論的に分析すると、どういう考え方に収まっていくのか興味のあるところです。最近では難解さにも大分慣れてきて、読むペースが少しずつ早くなった気がします。でも論理を楽しむというところまではいかず、やはり難論を紐解くと言った方が相応しい接し方です。もっと集中すれば徹底的に解明できるのでしょうが、二足の草鞋生活に加えて余剰の読書時間では心許なくて上っ面を滑ってしまう時もあります。それでも難論に喰らいついて頑張っていこうと思います。

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