「存在と時間 Ⅲ」を読み始める

「存在と時間 Ⅲ 」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)を読み始めました。「Ⅲ」に収録されている内容を見ると、「時間性と日常性」とか「時間性と歴史性」という章が眼に飛び込んできて、時間を巡る概念が歴史に進展していく状況が見て取れます。時間とは何か、または時間性とは何かという問いに対し、存在論的にどんな分析が待っているのか、とても楽しみにしています。事物が到来する、事物が既在するという時計的で公共的な時間の流れを、存在論の中でどう考えるか、ここにきて漸く自分の興味が現文章の解釈を踏まえつつ、先々の見通しにまで到達していることに嬉しさを感じます。ハイデガーの書いたほんの些細な一文が自分を捉え、その印象が深く刻まれることに我ながら驚いています。とりわけ「死」や「本質」や「良心」といった箇所に自分は関心が強いことに気づき、自己発見にも繋がっています。本書は全編を通して難解な論文であることに変わりなく、読む方もそれなりに覚悟が要りますが、現存在に対する考え方に面白みを感じていることも確かです。また通勤時間帯にじっくり読んでいこうと思っています。

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