風貌と嗜好について

思索というコトバをNOTE(ブログ)で良く使っていますが、自分はどちらかというと理屈を考えるより、根拠のないことを思っている方が好きで、些細なことに思いを馳せます。そのひとつに人の風貌はその人の嗜好も左右していると思うことがあるのです。家内は日本人離れした顔をしていて、滞欧中はイタリア人かスペイン人に見られていました。工房に来ているスタッフの中にも彫りの深い顔立ちの子がいて、家内もスタッフの子も食事では西欧料理派です。自分はどこから見てものっぺりしたアジア人の風貌です。自分はアジア系の料理が好みで、日本に限らず中国でも韓国でも東南アジアでも嗜好に合います。家内はバター多用の洋菓子、自分は豆菓子、生クリーム好きの家内と餡好きな私。イタ飯に行こうと家内に誘われても本当は蕎麦が食べたいと思っている私。そんなことをぼんやり考えていると、つい風貌と嗜好の関連付けをしてしまうのです。話題に窮して今日は妙なことを書きましたが、身近なところから飛躍して、人の持つ嗜好風土や民族差異のことまで理論を広げればいいのかもしれませんが、所詮根拠のない戯言ゆえ苦しくなると思い、今日はこのへんで終わりにします。

生パスタの店へ行く

もうかれこれ30年も前の話です。ウィーン滞在中にイタリアへ何度か旅行しているので生パスタを食べているはずですが、あまり記憶に残っていません。あるいは当時は生活費に困っていて、安価なパンばかり齧っていたせいか、生パスタを食べていなかったのかもしれません。大衆レストランに入るのにも財布の中身を確かめなければならなかった時代でした。最近になって知り合いの若い子がイタリア旅行から帰ってきて、生パスタが美味しかったというので、日本でもどこかで食べられないかと探していたところでした。家内と車で出かけた折、生パスタの看板を出している店を見つけ、さっそく入ってみました。モチモチ感があり、また腰の強いパスタは美味しいと感じました。日本の蕎麦は生麺があたりまえなので、生パスタは差し詰めイタリア版手打ち蕎麦といった感覚でしょうか。自分は蕎麦が好物なので自ら手打ちをやってみたいと思っていますが、イタリア料理が好きな家内はどう思っているのでしょうか。今は時間的余裕なんてありませんが、自分は料理もアートのひとつと思っているので、材料や味付け、器に至るまで凝ってみたい願望はあるのです。

週末 仕上げ彫りに移行

今日は朝8時から夕方6時まで工房にいました。「発掘~地殻~」の木彫が佳境を迎えています。昨日の続きで、荒彫りの終わった箇所に仕上げ彫りをやっています。彫り跡を残したまま波打つ抽象形態に対し、細かな角度をつけながら彫り進んでいます。ようやく楽しい作業になりました。既に出来上がっている陶彫部品とのバランスを考えながら、また最初のイメージを振り返りながら、カーヴィングをしていきます。木彫した箇所のところどころに丸みが出てくると、単純な作業から創造的な制作へ気持ちが移ってきます。逸る気持ちもあるのですが、木彫は音が出て近所迷惑も考えられるので、6時には作業を止めました。ずっとやっていたい気持ちですが、こればかりは仕方ありません。水曜日は職場が休みなので、ここでまた仕上げ彫りを続行したいと思います。

週末 荒彫りから次工程へ

「発掘~地殻~」は6点のレリーフを屏風として展示する予定で、それぞれ壁面には陶彫と木彫を組み合わせて凹凸による空間を作ります。陶彫部品は全て出来上がりました。陶彫を囲むように木彫を配置していて、その木彫では6点レリーフのうち3点の荒彫りが出来ています。残り3点も大まかな面取りはしてありますが、木彫の段階には達していない現状です。鋸で角度をつけて切断しているだけなので全体の雰囲気はまだ感じられません。今日は残りの荒彫りと併行して荒彫りの終わっているレリーフの仕上げ彫りをやってみました。木彫を1点仕上げて、そこに陶彫を組み込んでみないと、イメージの確認が出来ないと思ったからです。仕上げ彫りもなかなか時間がかかります。今日は1点の完成も出来ず、ほんの僅かな部分を仕上げただけに過ぎませんでしたが、それでも雰囲気は伝わってきました。最初のイメージに近いものを感じたので、これでいこうと思います。荒彫りも仕上げ彫りも時間がかかるので、撮影までの残り時間を計算しながら作業を進めます。今日は制作工程上の迷いが吹っ切れたので精神的には満足しました。明日も当然続行です。

身の丈を知る

昨日、NOTE(ブログ)で自然の流れに逆らわずに生きることを自分の信条にしていると書きました。自分の周囲の人々の状況を鑑みて、無理が祟って不幸を招く結果があるから、そうした考えが頭を過っているのです。自然に生きることは何か根拠があるわけではなく、それは自分の身の丈を知ることだと理解しています。自分はどの程度の人間なのか、それを推し量る身の丈は、将来に向けた願望や努力によって変化し、自分次第で度量は大きくなるものと信じています。人生経験や社会的な立場によって、若い頃に出来なかったことが出来るようになるという経験が自分にも多少なりあります。自分もようやく年相応になってきたことを自覚したこともあります。20代で海外留学を決めた時、所帯をもった時、30代で就職を決めた時、自宅を建てた時、40代で個展が決まった時、50代で管理職になった時、自分の工房を建てた時…。そうしたいくつかのターニングポイントに差し掛かる度に、自然の流れに合っているかどうか、自分の身の丈に合っているかどうかを常に確かめてきました。決して今の状態に満足しているわけではなく、ただ背伸びをしないで、自分の夢に向かって努力を積み重ねていこうとしているのです。月並みですが努力は報われるというコトバを信じていて、今日より明日、さらにその先の未来へ向けてポジティブでありたいと願っています。

自然の流れに逆らわず…

いつの頃からか自分の信条としていることがあります。「死生は命なり」という論語がありますが、それに近いものです。ただ天の与える寿命と言っても、自分は長く生きて芸術家生活を謳歌したいと望んでいて、そのために常日頃から心に固く信じていることがあるのです。自分の周囲には羨むような存在がいて、若い頃から夢を実現していく運と実力を備えている人物がいました。過去形で語る理由は、その人物は幸せの絶頂と思えた時期に不慮の事故に遭い、帰らぬ人となったからです。かつての職場にも力量のある人が、その力量ゆえに無理して身体に負担をかけて入院する事態になったことがあります。別の人は、ひょんなことから財力を手にして身辺の幅を広げ、逆に大切な人を失いました。これはどうしたものだろうと思っていて、人は何か自然ではない動きをすると無理が祟るのではないかと自分は感じるようになりました。これは根拠のある考えではなく、もちろん宗教でもないのですが、自分は現在自身がしていることが自然の流れに逆らわずにいるのかどうかを常に考えるようになりました。親しい友人にこんな話をして失笑されたこともありましたが、自然の流れをいつも意識している自分がいます。無理せず、自分に見合った生活環境であるのかどうか、分相応なことをしているかどうか、常に自分自身に問いかけをしているのです。

廃墟を描いた巨匠たち

かつて人が住んでいた建物が残骸として残る廃墟。とりわけ石造建築は残骸さえ美しいと感じるのは万人にあるらしく、その欠落した建造物を多くの画家が描いています。私も時間が経過し蔦が絡まる廃墟に魅了された一人です。廃墟を描いた画家として頭を過るのは18世紀に活躍した牢獄の絵で有名なイタリアの画家ピラネージとドイツ・ロマン派の画家フリードリヒです。ピラネージが1720年~1778年、フリードリヒが1774年~1840年という生存記録が残っていますが、同時代にあっても2人が出会う場面はなかったように思います。あるいはフリードリヒがイタリアの都市景観を描いた年上のピラネージを知っていたかどうか、歴史に疎い自分に詳しいことはわかりません。ピラネージは、日本で版画による大規模な展覧会があった時に知って、その堅牢な画面構成とモノクロによる迫真性に惹かれました。その時ピラネージの廃墟がある風景が頭に刻まれました。自分がフリードリヒを知ったのはピラネージを知った以前に遡り、何かの書籍によるもので彩度を抑えた画面に荒涼とした雰囲気が印象に残りました。「樫の森の僧院」「雪の中の修道院の墓地」「エルデナの廃墟」は、さらに後になって知るところとなり、その卓抜した表現に驚嘆しました。イタリアとドイツ。いつかもう一度彼の地を訪ねて、廃墟による絵画作品を堪能したいと願っています。

久しぶりにスポーツ施設へ

背中の痛みが直ったので、昨晩久しぶりに近隣のスポーツ施設に出かけました。水泳をしてみると腹筋や背筋や腿あたりの筋肉が多少落ちていて、これはまずいなぁと思いました。水の抵抗が重く感じるのは明らかに身体が衰えている証拠です。脚のキックに比べると腕のリカバリは木彫のおかげか相変わらず楽にできています。改めてスポーツを日常生活に組み込んで、これからは週何回か施設に通いたいと思います。身体を保つバロメーターとして自分は水泳でチェックしています。習慣化することで体調を良くしようと考えているのです。スポーツによる疲労は多少ありますが、それよりも体力を保つことの方が重要です。加えて水泳は泳いでいる間、全てを忘れて没頭しているので精神面でも良いと思います。創作行為と同じように定期的に自分を取り戻してリセットする時間でもあるのです。

3月11日黙祷を行う

2年前の3月11日に東日本大震災が発生しました。津波被害の映像を見るにつけ、まだまだやりきれない気持ちで一杯になります。一命を落とされた多くの人を思い、14時46分に職場で黙祷を行いました。立場上自分が全館放送を入れました。昨年は日曜日だったので自分は工房にいました。「発掘~混在~」の制作中で、鑿を置いてその場で黙祷しました。FMラジオから穏やかな音楽が流れていました。この日を風化させることは絶対にしてはならないと思います。現在の職場は地域防災拠点と医療拠点に指定されています。館内に防災備蓄庫が設置されていますが、横浜駅に近く、また海抜も高くない職場は、有事の際に様々な困難に直面することがあろうかと思います。先日は地域の人たちと夜の防災訓練を行いました。夜の訓練は初めてのことだそうですが、有事にいつ見舞われるかわからない状況では、こうした取り組みも必要と思いました。

週末 炎神と木霊が棲まうところ

朝から工房で作業に勤しみました。今日は木彫一辺倒ではなく、先日成形を終えて乾燥を待った陶彫部品の追加分があって、その陶彫の化粧掛けと仕上げを行いました。久しぶりに陶彫をやり、夕方窯入れをしました。窯のスイッチを入れてしまうと電力の関係で工房の照明等が使えなくなるので、陶彫を窯に入れたまま、夕方まで木彫の荒彫りを行いました。ということで今日は午前中は陶彫、午後は木彫、工房を出る時に窯のスイッチを入れる3つの工程で締めくくりました。陶彫は窯で焼成されて作品化されます。窯には炎の神がいて、自分の手の届かないところで作品の良し悪しを決める審判が下ります。これは祈祷するより方法がなく、三日三晩の末、神のみぞ知る結果となって自分の前に変容した作品として現れてくるのです。一方、木彫は工程全てにわたって、木と対話を交わしながら彫っていきます。木目を読んで流れに逆らわず彫っていくと美しい彫り跡が残ります。これは木塊には木霊が存在し、森から切り出した木塊を生かすために木霊が指図しているように思えるのです。木塊の中から現れてくるカタチは木質となった自分そのものです。陶彫、木彫とも自然界が齎す不思議な力があるように自分は感じます。差し詰め工房は、炎神と木霊が棲まうところなのかもしれません。

週末 大きなイベントの後で…

昨日は職場で大きなイベントがありました。昨日の疲れがとれない中で、今日は朝から工房にいて木彫の荒彫りをやっています。今一つ調子が出ないのですが、これは公務員と彫刻家の二足の草鞋生活の辛さです。人は生涯のうち何回大きなイベントを迎えるのでしょうか。誕生、成人、卒業、結婚等々人生の節目をどんな思いで過ごすのでしょうか。個展も自分にとっては大きなイベントです。初めての個展は2006年東京銀座のギャラリーせいほうで開催しましたが、あれから7年が経ち、毎年ギャラリーせいほうで個展をやらせていただいていて、今回で8回目を迎えます。個展には慣れたとはいえ自分にとっては大切なイベントなので精一杯努力して、最高の成果を出したいと思っています。今日は相変わらず木彫の荒彫りに終始しましたが、やや細かい部分に彫りが進んだことで面白みが出てきました。明日も続行です。

「石壁サークル」への憧れ

昨日のNOTE(ブログ)にイサム・ノグチ庭園美術館について書きました。イサム・ノグチ庭園美術館は予約が必要だったため事前申し込みをして、家内と横浜駅から四国の高松まで高速バスに乗って行ったのを覚えています。随分昔のことで細かいことは忘れかけていますが、その日は高松市内のビジネスホテルに泊まり、翌日高松駅から琴平電鉄に揺られて、遥か海を見渡す八栗駅で下車しました。そこは石工の町で切り出された石が軒並み家の前に置かれていました。その状況を見てイサム・ノグチが移り住んだ理由がわかった気がしました。その日は小雨でした。数人の鑑賞者が待合室にいて、ガイドとともにイサム・ノグチ庭園美術館を見て回りました。自分が惹かれたのは「石壁サークル」と呼ばれる野外広場で、そこに立つと創作への意欲が見る見る湧き上がってきたのでした。サークル内に点在する制作途中の石彫群は、点と点を結ぶ緊張感を感じたと同時に、自分には心を解放させる快い空間も感じ取れて、生理現象として身体が緩んでいくのを覚えたのでした。そんな気分は初めてでした。生命が息吹き出す源泉と喩えるべきか、何とも言いようのない昂りが自分を捉えていました。

イサム・ノグチ再々考

アメリカを代表する彫刻家イサム・ノグチは何度もNOTE(ブログ)で取り上げている自分の大好きな作家の一人です。香川県牟礼にあるイサム・ノグチ庭園美術館を訪れたのは何年前か忘れましたが、その印象は強烈に残っていて、自分の工房が持てた時にイサム・ノグチ庭園美術館の環境に少しでも近づきたいと思ったのでした。亡父の残してくれた植木畑を、彫刻が置かれる空間に変えて、大きな陶彫を設置したい意志は今もあります。自分が野外工房を作ったのもそのためです。自分の考えの基盤にイサム・ノグチありという訳です。イサム・ノグチに関する著作は英文以外は全て読んでいます。英文による原著も自宅の書棚にありますが、これはなかなか読む機会がありません。現在読んでいる「彫刻家との対話」(酒井忠康著 未知谷)にイサム・ノグチに関する論文があります。もともと自分は文献を読み漁っていたので、論文は全て旧知のこととして理解の範疇にあります。本書がイサム・ノグチの世界を再々考する機会を与えてくれたことに感謝です。

3月RECORDは「束」

RECORDは小さいながらもパワーが必要な媒体で、日々刺激を味わっています。一日1点制作という自分に課した創作行為は、時として厳しい局面に差し掛かることがあります。日記のように一日を単純に記録するものではなく、常に美術的イメージを持ち、それを僅かな時間で具現化しなければなりません。もっと雑駁なスケッチでも可としたいところですが、自分は一度机に向かうと頭を捻ってしまう癖がついてしまっているようです。気儘に描くことが出来れば、RECORDはもっと楽しくなるはずですが、今は内容のさらなる深化に努めてしまいます。今月のテーマを「束」にしました。束ねることは物質に限らず仕事上の組織や人の感情に関わるものでもあります。現在置かれている自分の職場での立場も考慮して表現していきたいと思います。

改めてカラヴァンの世界を考える

「カラヴァンは土地の記憶(歴史)とむすびつく巨木(人間より遥かに長い生命をもつ)を対象に『場』を求め、自己を語るという内在的な裏づけによって『時』を確認する。(文尾略)そして出遭いの対象を語ることにおいて普遍的な世界(宇宙への秩序)へと近づき、自己を語ることにおいて、それを個別的なものにしようとする。」文章の引用は現在読んでいる「彫刻家との対話」(酒井忠康著 未知谷)によるものです。ここでダニ・カラヴァンの造形世界の考察が述べられていますが、どうも自分の記憶の片隅にあるので、NOTE(ブログ)のアーカイブを調べてみると、自分は2008年10月4日(土)に「ダニ・カラヴァン展」を見に世田谷美術館に行っていることが判明しました。美術館回廊にあった作品「ヤコブの椅子」も記憶に甦ってきました。引用した文章にある作品は「水滴」という題名がつけられていたことも思い出しました。展覧会全体の印象は広大な土地に設置した作品の雛型や写真が多数あって、地球的な規模で造形するカラヴァンのあまりにも大きな世界観に驚嘆していました。イスラエルに生まれたカラヴァンは、国の政治状況からしても平和への願いは日本人とは比べものにならず、広大な土地で造形を行うカラヴァン芸術の根底には、そうした人類不滅のテーマが息づいていると感じました。改めて、と表題にしたのは再度カラヴァンの世界を考えてみたかったためです。

夜の制作は木材筆入れだけ

ウィークディの夜に工房に出かけると、外は静まりかえっていて僅かな音でも響きます。工房は植木畑に建っていますが、その周囲には民家が軒並み建っていて、騒音が出る電動工具はもとより、木槌で鑿を叩く音も迷惑ではないかと憚れるほどです。木材を鋸で引く音なら何とか大丈夫と思ったのですが、鋸による切断作業だけに限定することは工程上難しく、出来ることと言えば木材に筆を入れて彫り出すカタチのイメージを捉える下書きくらいかなぁと思っています。陶彫なら音が出ないので今まで遠慮なく作業を進めていましたが、木彫となると周囲のことを考えざるを得ません。ただ陶彫・木彫は臭いだけは気になりません。最後の工程で油絵の具を使いますが、臭いが外に出ることがなく自作は悪臭に関しての対策は必要ないと思っています。彫刻制作は騒音や悪臭で近所迷惑を考えなければならないし、素材に重量があれば作業方法を工夫しなければなりません。自分は厄介な表現媒体を選んだものだとつくづく思いますが、それを差し引いても彫刻の面白さに敵うものはないのです。

週末 鑿先を見つめて…

今日は朝から夕方まで工房にいて木彫荒彫りに終始しました。「発掘~地殻~」は畳大のレリーフが6点あり、それを屏風にして展示する予定です。かつて作った「発掘~鳥瞰~」「発掘~混在~」に続く三双屏風です。陶彫部品による集合彫刻は過去の作品にもありますが、前作2点と異なるところは、それを囲む木彫による表現です。「発掘~混在~」は厚板を彫りこんでボックスにして砂マチエールを施しました。現在作っている「発掘~地殻~」は集成材、つまり木材の塊を彫りこんでいるため、その彫り跡を残していこうと思っています。まだ彫り跡を整えるまで作業が進んでいませんが、6点のうち2点の荒彫りがほぼ終わりました。全体をバランスよく彫っているので、残る4点も半分以上は荒彫りがしてあります。今月は荒彫りを全て終えたいと考えていますが、果たしてどうなるのか、ともかく今日は鑿の先ばかりを見つめて朝9時から夕方4時まで作業を続けました。気持ちが彫りに集中してくると鑿先が彫りたい角度にぴったり合ってきます。1回で彫る角度が決まるのです。まだ面取り状態ですが、面に高低差がつき曲面が現れ始めると、いよいよ彫刻らしさが出て楽しくなってきます。ウィークディの夜にもやりたい気分ですが、木槌の打つ音が響いて近所迷惑になることも考えられるので、もし夜来られたら別の作業を考えようと思っています。

週末 若い世代とともに…

相原工房には週末になると、美大卒業生や現役美大生がやってきます。彼らを私は工房スタッフと言っていますが、私の作品を手伝う名目で、自らの課題をやっていることが多いのです。私は彼らに実際にある自作の手伝いではなく、別の面で助けられています。彼らだって週末ともなれば休みたい気持ちもあるのでしょうが、創作活動に取り組むため工房にやってきます。まだ創作が始まったばかりの若い世代なので、実験的な試行錯誤も多く、それぞれが自分探しをしています。それを見るにつけ、自分も今の制作に立ち止まっていられないと感じます。自分が助けられていると感じる時は、そうした彼らの悩みや希望を受け止め、自分も振り返ることが出来る瞬間なのです。意欲では自分も彼らに負けません。彼らが思索する創作への原点を、自分も忘れないようにしたいと思います。

多忙な3月を迎えました

3月になりました。職場は年度末を迎え、多忙を極めます。毎年のことですが、この時期の公務員と彫刻家の二足の草鞋は大変厳しいものがあります。職場では年間のまとめに入り、各種報告書を作成するために監査を含めて四苦八苦の仕事が続きます。週末は「発掘~地殻~」の制作が佳境を迎えます。週末はどのくらいの時間が確保できるのか、僅かな時間を睨みながら木彫に励まなくてはなりません。時間があれば作る、時間を作ってでも作る、これを肝に銘じながら今月を乗り越えていきたいと思います。本来なら春麗らかな季節になり、花見に興じたい気分ですが、満開の桜を横目で流しながら仕事に右往左往している自分がいます。例年のことなので慣れてはいますが、定年まではこんな状況かなぁと思っています。ともかく健康に気遣いながら頑張っていきます。

「彫刻家との対話」を読み始める

「彫刻家との対話」(酒井忠康著 未知谷)を読み始めました。以前本書の姉妹編にあたる「彫刻家への手紙」(酒井忠康著 未知谷)を読んだことがあって、現代彫刻に関する著作の多い美術評論家の思索は、自分にとって大変身近で、それだけに自作を振り返ってみる良い機会になります。現代の彫刻表現は環境と向かい合うパブリック・アートとして現存しているものもあり、そうした大きなプロジェクトに対する著者の論文を読むのも楽しみのひとつです。自分が学生時代に大きな野外彫刻展が次々に企画され、自分の師匠を含む多くの彫刻家がパブリック・アートを意識し始めました。その世代の彫刻家と著者の関わりにも興味があります。自分の読書時間は通勤時間に限られているので、読破するまでに時間がかかりますが、楽しみながら現代彫刻の在り方を考えていきたいと思います。

「ゲーテ美術論集成」読後感

「ゲーテ美術論集成」(J・W・フォン・ゲーテ著 高木昌史編訳 青土社)を読み終えました。北方絵画・建築・彫刻・版画のゲーテによる美術論がコンパクトにまとめられていて、概観を把握するのに好都合でした。最後の解説にあった箇所を抜粋します。「18世紀後半から19世紀初めにかけては、美術批評がいまだ生成過程にあり、特に古い時代の作品に関しては十分な情報もない有様」で、「原画に接する機会は、交通機関の発達した今日からは想像も出来ないほど少なかった。」とあります。確かにそうした状況を踏まえると、本書に記されているゲーテの諸論は、その内容からして詩聖の力が遺憾なく発揮されたものだと言えます。現代だからこそゲーテの視点や思索を理解できますが、18世紀当時からすれば作品そのものから洞察する先見性や解釈力は凄いものがあります。本書は「ゲーテと歩くイタリア美術紀行」の姉妹編として著されたものなので、その前著となった「ゲーテと歩くイタリア美術紀行」も読んでみたいと思いました。最後にゲーテの言葉を引用します。「絵画は眼にとって現実そのものよりも真実である。それは、人間が普通に見ているものではなく、人間が見たいと思うもの、見るべきものを提示する。」

鎌倉の「実験工房展」雑感

先日、神奈川県立近代美術館で開催されている「実験工房展」を見に行ってきました。「実験工房」は学生時代より存在は知っていましたが、実際の活動や作品を見るのは初めてでした。「実験工房」は詩人で評論家でもあった故瀧口修造が主催していたものと誤解していましたが、実際に彼は参加していた芸術家の精神的支えとしてのオヴザーバーであったことを今回の展覧会で知りました。「実験工房」というネーミングは瀧口修造が行っていて、それがあったからこそ継続が出来たようです。「実験工房」は1951年に立ち上がっていますが、自分が生まれる前の終戦後の復興期で、そこに新しい芸術運動が展開していたのは驚きです。当時20代だった青年芸術家たちも、それぞれに創作を発展させ、武満徹のような世界的な音楽界で注目された人もいました。その他にも新進芸術家として美術界、音楽界を通じマスコミで知られた人も多く、その後に生まれた自分は美術雑誌等で「実験工房」世代の活動を知ることになりました。住宅事情が厳しかった当時、狭い部屋に青年芸術家たちが集まって撮影したモノクロ写真が残っています。そこでオブジェを作り、議論を戦わせたであろう状況が感じ取れます。こうした動きが現在の多様な表現活動に生きているのだと思いました。

ゲーテの「ラオコーン論」

イタリア・ローマのヴァティカン美術館にあるラオコーン群像。自分は受験時代に石膏デッサンでラオコーンを描いたことがあって、20代後半に渡欧してヴァティカン美術館で初めて大理石による実物を見て、素材から受ける印象に驚いた記憶があります。彫刻としての均整、動勢の非の打ち所のない完璧さに暫し立ち竦みました。ミケランジェロも奇跡と称したラオコーン群像。ホメロスの叙事詩にある有名なトロヤ戦争の折、兵士を体内に隠した木馬を国内に入れることを拒否した神官ラオコーンは、女神アテナの怒りを買い(異説あり)二匹の大蛇によって2人の息子共々殺されてしまうのです。ただ、ホメロスの叙事詩にラオコーンは登場しません。これにも諸説あるようですが、ラオコーン群像をめぐって18世紀当時は美術史家の間で論争となったようです。ゲーテも「ラオコーン論」を展開したことが「ゲーテ美術論集成」(J・W・フォン・ゲーテ著 高木昌史編訳 青土社)に掲載されています。本書の解説を抜粋すると「(ゲーテ)の美術エッセイの魅力と特色は、外的な要素を極力排除して、あくまで芸術作品そのものに真摯に向き合う姿勢」であるとし、これは「現前の対象に即して的確に観察しようとするゲーテの姿は芸術鑑賞のモデル・ケース」になったと言っています。ゲーテの自論を紐解くと「ラオコーン群像は、定評のある他のあらゆる秀作と並んで、均整と多様性、静けさと動き、対立と段階の模範となっており、こうした対比は共に、一部は感覚的に、一部は精神的に、鑑賞者に差し出され、激情の表象においても快い感情を呼び起こし、苦悩と情熱の嵐を優美と美によって和らげる。」とありました。美術批評の近現代に脈々と続く視点がここにあると思いました。

週末 木彫らしく…

今日は朝8時から夕方4時までの8時間、工房で木彫をやっていました。外では親戚の叔父が若い庭師を2人連れてきて、工房周辺の植木の剪定をやっていました。工房は植木畑にあるので、時折父方の親戚が隣接する家に出てしまった枝を払いに来てくれるのです。先月の大雪で植木が倒れ、自宅と工房の路を塞いでいたので、それも除いてもらいました。外では庭師が電動工具で大きな木の枝を払っていて、工房内では自分が電動工具で木材を加工していました。庭師は午前10時と午後3時に休憩時間を取っていましたが、自分は休憩なしで作業を進めていました。職人と違って、自分は創作欲を感じると休憩なしで邁進してしまうのです。「発掘~地殻~」の木彫部分は荒彫りの中の次の段階に入り、微妙な角度を付けた彫りに差し掛かってきました。やっと木彫らしくなってきたように思います。まだ彫ったところは面取りですが、仕上がる様子が分かるところまで辿りつきました。全体では6点屏風になるので仕事量はまだまだですが、彫り込みに気持ちが食らいつくようになりました。つまり作業にハマッてきたのです。こうなると疲れを感じなくなる麻薬状態になります。これが面白くて彫刻をやっているようなものです。ただ、疲労は後からやってくるので時間を決めて作業を切り上げなければなりません。今日は4時に切り上げました。また次回。来週末は3月になります。

週末 AM木彫 PM美術館散策

今日は野暮用があって早朝職場に顔を出し、残りの時間を工房で過ごしました。相変わらず木彫荒彫りをやっています。新作の6点屏風のうち、ほぼ全体に大まかな木彫を施しましたが、立体としての量感を捉えて彫り込むまでには、まだまだ時間がかかりそうです。そんな余裕のない中で、午後は鎌倉にある県立近代美術館に出かけました。現在ここで「実験工房展」が開催されていて、昔から興味を抱いていた実験工房の作品の数々に出会うため今日は時間を割きました。日本の前衛芸術を担った美術家と音楽家、そのほとんどの人は既に他界されていますが、その人たちの20代の頃の軌跡を追った展覧会は、現在の芸術界を推し量る意味でも貴重な機会と思いました。現代の眼で見れば稚拙な表現もありましたが、誰もが新しい気運に溌溂として取り組んでいた様子が覗えます。とくに当時から美術と音楽の融合があった点では注目に値します。1950年代から総合芸術が始まっていると言えるからです。詳しい感想は機会を改めますが、今日は充実した一日を過ごしました。鎌倉は梅がちらほら咲いていて散策には好都合でした。

ロマン派画家フリードリヒについて

学生時代に寒々とした氷に覆われた寂寥感漂う絵画を図版で見て、ずっと印象に残っていました。描いたのはドイツの画家ヤスパー・ダヴィッド・フリードリヒで「氷の海」と題された作品です。ネットで調べるとフリードリヒは1774年に北ドイツに生まれ、1840年に没した画家で、ロマン派の画家の中でも注目に値する画家です。現在読んでいる「ゲーテ美術論集成」(J・W・フォン・ゲーテ著 高木昌史編訳 青土社)にフリードリヒに関する一文が掲載されていて、ゲーテが1805年のヴァイマル美術展でフリードリヒに賞を授与したことに触れている箇所があります。本書ではフリードリヒの代表作「樫の森の僧院」や「海辺の僧侶」には他の著述家の言及がありますが、自分も図版でしか見たことがないにも関わらず、廃墟になった僧院や墓地が荒涼とした風景に点在する世界に魅了されてしまいます。ネットによれば宗教的崇高感という記述がありましたが、それは実物を見てみないと感受できないもので、いつかドイツに出かけて実物に接したいものだと思っています。

就寝前の癒しの時間

自分の一日を追ってみると、朝6時には家を出て職場に出勤、帰りは夜7時を回ります。実は7時に帰宅できるのは早い方で、通常ならもう少し遅い帰宅時間になります。夜の時間帯は、スポーツ施設で汗を流すことが多いのですが、最近は背中が痛くて暫く行っていません。体調が戻れば週2・3回は水泳に出かけます。それからRECORDとこのNOTE(ブログ)は毎晩欠かさずやっています。たまに工房に出かけて1時間程度作業をしています。週末は朝から一日中工房で制作をやっていて、ウィークディより肉体的に疲労してしまいます。こんな生活の実態を並べると、よく毎日続くなぁと自分でも思いますが、二足の草鞋生活に慣れた身にとっては習慣になっていて案外大丈夫なのです。何もないゆったりした時間は、自分にとって逆に苦しいかもしれません。多動性障害なのか多忙症候群なのかわかりませんが、ひとつだけ癒しの時間があるとすれば就寝前に家内とぼんやりテレビを見る僅かな時間だと言えます。別にテレビの内容はどうでもよく、ただソファに座っているのが心地よいのです。

架空の工房に遊ぶ

植木畑の中に建つ相原工房は、制作途中の作品がかなりの空間を占めて所狭しと置いてあります。これは現実の工房の状況ですが、自分が寝床に就く時に気儘に思い描く架空の工房があります。そこは相原工房よりずっと狭く、まだ学生生活を送っている若かりし頃の自分がいます。もう一度人生をやり直せたらどうするだろうと考えていたことが夢に登場したのでした。ずっと以前は半地下になった住居兼工房が夢に出てきましたが、それはウィーンに住む邦人彫刻家宅がイメージの源泉になっていました。最近出てくる架空の工房は、大きなビルの1階部分にあります。高層マンションの1階駐車場の片隅にある工房という按配です。工房には住居部分がありますが、そこはあまり定かではなく、壁一面に格子状の棚があって、習作雛型がたくさん並んでいるのです。学生時代にもっと試行錯誤して雛型を多く作るべきだったと後悔している自分が投影されているように思えます。素材も紙、石膏、鉄があって、抽象的な形態も数多く屑鉄で人体を作った作品もありました。これは師匠である池田宗弘先生の真鍮直付けの影響があるのかもしれません。学生時代に金属がやれたらよかったと思っているところもあるので、架空の工房では鉄に対する憧れにも似た気持ちが出ているのでしょう。高層マンションのイメージの出所は、今の職場から銀行に会計処理で出かける時に見えるマンションの景色がそのまま夢に出ているのです。1階の工房は完全な自分の創作です。その夢に人は出てきません。他者と関わりのない自己表現世界があるだけです。

彫刻における平面性

一般的な概念からすれば彫刻は3次元空間に置かれた構築物で、四方八方から鑑賞するものです。最近はそうした従来の彫刻の概念は崩れてきています。展示空間全体を使ったインスタレーションは従来の彫刻として扱えない要素が多く、またそうした作品が昨今ますます増えてきています。自分の作品には彫刻としての旧概念がいまだに生きています。その概念からすれば、自分の作品は平面性が強いレリーフかもしれません。自分も自作をレリーフと言って憚らないのですが、本来のレリーフの旧概念から言えば、ちょっと意味合いが違うようにも思えます。自作は座標(大地)からプラスマイナスとして考えている造形で、発掘された構築物が地上に出現したイメージをもって作っています。埋没された部分はマイナスとして認識している造形で、かつてテーブルを座標にしてテーブルの上と下に造形したことがありました。そういう意味で自作は厳密に言えばレリーフではなく、広がる大地に現われた3次元空間と考えられます。大地が占める割合が大きいので、平面性が強い作品と言うのが正確なところかもしれません。

陶紋№13~№20の完成

今年の夏に東京銀座で発表する作品のうち「陶紋」8点が完成しました。「陶紋」は自作の中では小さな作品で、陶を素材に矩形で作るという自己条件を課してやっています。大きさや高さはまちまちですが、今年の夏に発表する「陶紋」は、高さが15㎝程度で低く平べったい作品になっています。「陶紋」は幾何形体に文様を彫り込むのが面白くて始めた作品です。形体で言えば、一昨年は立方体に近く、昨年は高さのある直方体、今年は逆に高さのないものにしました。昨年売れた作品は、コレクター宅で照明器具として使われておりました。図録で「陶紋」は野外撮影をしています。持ち運びやすい作品であることや野外に対する憧れがあってカメラマンにお願いしているのです。今年完成した作品8点も野外撮影を考えたいと思います。陶彫部品を組み合わせていく自分の作品の中で、集合体ではない単体の作品は「陶紋」と「球体都市」で、「球体都市」も野外で撮影してホームページのLandscapeにアップしています。「球体都市」は40点くらい作りました。「陶紋」はまだその半分といったところです。「陶紋」はまだまだ発展していく作品で、制作で楽しみ、野外撮影で楽しもうと思っています。

週末 木彫一本に移行

今日は朝から夕方まで工房にいました。ようやく陶彫追加部分の成形と彫りこみ加飾が終わって、あとは乾燥するのを待つばかりとなりました。これで皹割れがなければ陶彫は本当に完了したことになります。やれやれと思いましたが、陶彫は窯出しをするまで予断を許さないのです。その分木彫の工程が遅れ気味で、午後は焦りながら荒彫りを行いました。これからは木彫一本です。少しずつ全体のカタチが見え始めましたが、まだ今後の作業が多すぎて、何をどこから手を付けていいのかわからない状態です。木彫で覆う屏風は6点あります。1点だけでも細部まで彫りこんでおいて、その完成した1点を基準に残り5点に拍車をかける方法がありますが、全体の手直しが出来なくなる嫌いもあります。全体をバランスよくやっていく方が良いのですが、あちこちに目を飛ばしていくと疲労が積み重なることはよく判っています。最終的には常軌を逸してまとめ上げていくパワーは自分にはあると信じて、姑息な手段は使わないようにしようと決めました。今週のウィークディも夜の時間帯に工房に出かけられたらいいなぁと思っています。ただ、夜の電動工具使用は近所迷惑なのでご法度です。