イサム・ノグチ 美術館建設&ビエンナーレ

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第50章「価値あるものはすべて贈り物として終わらなければならない」と第51章「京子」、第52章「始まりにも、終わりにも」のまとめを行います。この第52章をもって本書は終わりますが、ノグチの生涯と同じで最後に至るまでアートの情報が詰め込まれていました。まず日米2つの美術館建設の話題が掲載されていました。「誕生日を四国の私の避難所に庭園をつくることで祝う。それは未来への贈り物、そして私の母をかくまい、私に幼年時代の歳月をあたえてくれた国民への贈り物である。価値あるものはすべて贈り物として終わらなければならない、というのは正真正銘の真実である。」というノグチの一文があり、これは牟礼に建設した庭園美術館に関するものです。もうひとつはニューヨークのロングアイランド・シティに建設した美術館に関するもので「より静穏で拘束のない世界に運ばれていく場所として多くのニューヨーカーから愛されているイサム・ノグチ庭園美術館は、それ自体がひとつのアート作品である。」とありました。次に知名度を誇るヴェネツィア・ビエンナーレ出品に関する掲載があり、展示作品を巡って周囲の助言者とノグチの間に溝があったことが伺えました。「ディ・スヴェロはノグチに、こんなにたくさんの《あかり》を展示したらグランプリは獲れないと警告した。だがノグチは《あかり》は『商売とはまったく関係なく、ぼくが純粋の愛情からやったひとつのことだ』と言った。アメリカ人として栄誉を得ることで満足はしていても、ノグチはちょっと天の邪鬼的に自分の日本人の側を強調する展示を構成した。~略~《スライド・マントラ》創作のアイディアは、ノグチが1985年にアメリカ館で使用可能な空間を確認するためにヴェネツィアを訪れたときに生まれた。ノグチは中庭には白大理石の滑り台が必要だと考えた。~略~ビエンナーレのノグチの展示に対する反応はさまざまだった。ヨーロッパ人は作品の多様性にまごつき、《あかり》はアートではなく工芸品かデザイン・プロダクトだと考えた。」最後に「モエレ沼公園」建設の箇所がありますが、それを残して今回は終わります。

イサム・ノグチ 最晩年の代表作品

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第48章「《カルフォルニア・シナリオ》」と第49章「ベイフロント・パーク」のまとめを行います。ノグチは1988年12月30日に84歳の生涯を閉じていますが、本書にある「ベイフロント・パーク」では、その完成を見ずに亡くなっているようです。そんなことも頭に入れて今回は最晩年の代表作品を取り上げます。まず「カルフォルニア・シナリオ」は成功例です。「象徴に満ちた庭を創造するにあたって、ノグチは日本の伝統に従った。ノグチによれば《カルフォルニア・シナリオ》の六つのセクションの意図はカルフォルニアを抽象的に表現する穏やかな舞台の創造である。そこには平和があるーなにもなく静かで、禅に似ている。だが、それぞれのセクションの完璧な設定と、ひとつのセクションとが対照性(有機vs幾何、硬vs軟、暗vs明、湿vs乾)によって、あるいはさまざまな素材すべての全体的な調和によって関係することから活力が生まれてくる。ノグチはただひとつのものからなる作品より、物と物とのあいだに関係のある作品を好んだ。なぜならば、それらは『おたがいのあいだにあるエネルギーを集め、おたがいに語りあっている』からだ。」これは私が主張する場の彫刻の概念であり、集合された立体が響きあう空間をノグチが既に造形していた証でもあります。私の集合彫刻の原点もここにあります。次に書かれていた「ベイフロント・パーク」は、トラブルが続いたようです。「《カルフォルニア・シナリオ》がすんなり誕生したのとは対照的に、マイアミのベイフロント・パークの再開発では争いと欲求不満と落胆とが何年も続いた。おそらくこれはノグチのプロジェクトのなかでもっとも不首尾に終わったものであり、ノグチは完成を見ずに世を去った。」このベイフロント・パークの状況を、私は以前に映像で見たことがあります。大変大きなプロジェクトで、海岸一帯が造形されていました。現在はどうなっているのでしょうか。市民の憩いの場になっていることを願っています。

10月RECORDは「茶」

今年のRECORDは年間テーマとして色彩を取り上げ、毎月一色を選んでデザインを考案してきました。色彩は漢字一文字として和洋どちらの色彩でも可としました。10ヶ月間を振り返ってみると、私は西洋の色彩より日本の色彩を取り上げているケースが目立ちます。日本には渋めの色彩もあり、曖昧で香しい日本の情緒がよく表れているのではないかと改めて認識いたします。色彩には幅があり、また絵の具の滲みを使った表現も取り入れたこともありました。とりわけ風景描写には日本の古典絵画を参考にさせていただき、日本の絵師の卓抜とした描写力に畏れを抱きました。今月のRECORDのテーマは「茶」にしました。8月のRECORDのテーマ「苔」では、日本特有の「侘び」や「寂び」を表現しようとして江戸時代の絵画から運筆や掠れの具合などを学びましたが、こればかりは一夜漬けではどうにもならず、名画の足元にも及ばない結果になってしまいました。これは当然と言えば当然の結果ですが、懲りない私は今月も「茶」をテーマに古典から真髄を学ぼうと思っていて、無謀なチャレンジをしてしまうかもしれません。「茶」色は当然西洋の色彩にもありますが、日本の情緒を纏った色彩だなぁと常々思っています。今回は色彩だけを取り上げますが、「茶」には茶の湯の伝統があり、茶を点てる場では身分に関係なく、茶を囲んで懇親を深める機会があります。そうした機会を作った室町時代の茶人には驚くべき感性があったのかもしれません。日本の優れた文化を生み出した総合芸術としての茶道を、追々私は理解したいと思っています。「茶」という色彩に纏わるさまざまなことを考えながら、今月はRECORDを作っていきます。

週末 12点目の陶彫成形

今日は昨日に続き、陶彫制作に没頭した一日でした。座布団大のタタラはやや柔らかめで、立ち上げる時に裏から陶土を紐状にして貼り付けています。これは補強のためにやっていることで、タタラと紐作りの双方で高さ50cmになる立体を成形しているのです。立ち上げると木材のブロックを支えにして、暫く放置します。1時間ほどでやや硬くなり、加工に耐えられる強さが出てくるのです。面と面を繋ぎ合わせる時は、ヘラで何本も縦筋を入れ、そこにたっぷりドベを塗って接合します。ここにも裏から紐状の陶土で補強をすることを忘れないようにしています。この作業は可塑性のある陶土を使っているので一応モデリングと言えますが、制作工程で陶土を足したり削ったりすることはなく、削るとすれば彫り込み加飾になるので、通常のモデリングとは意味が違っています。と言うのは、最後の工程に焼成があるため、無垢で作ることができず、成形された内側は空洞にしてあります。そこが粘土による塑造とは異なるところなのです。これは陶彫の特徴ですが、立体の全体像は陶土を足したり削ったり出来ないので予めイメージしておく必要があります。今日の午前中は12点目の陶彫成形を行ないました。午後は前に作った陶彫部品の彫り込み加飾を行ないました。週末としては定番の制作ですが、作っている作品が異なっているので、前回と同じ作業にはなりません。新作は常に新鮮な造形試行があって、そこが楽しいと感じます。今日はお馴染みの美大受験生1名と文学を志すスタッフが1名、工房に顔を出しました。彼女たちは高校生で、これからの進路選択のために工房に通ってきているのです。夕方、彼女たちを自宅近くまで車で送りました。

週末 今月最初の週末に思うこと

10月の最初の週末がやってきました。昨晩は職場を早めに出させていただいて、叔母の通夜に家内と行ってきました。母の時と違い、新型コロナウイルス感染症拡大の影響がやや緩んで、通夜の参列が可能になっていました。それでも参列した人は多いとは言えず、葬儀そのものに影響が出ているのは確かです。叔母は享年88歳で、私とは幼い頃から親しい間柄でした。身近な人が亡くなると、私はつい死者を看取っている間中、自分の残りの人生を考えてしまうのです。私はいつまでこうしていられるのか、今生きていることはどういうことか、全ては夢幻に帰すかもしれない現在をどのように生きればよいのか、これは私の死生観に関わるものであり、その解答を探しつつ生涯を全うするのかなぁと感じています。それは私が創作活動をやっていることと深い関係があり、今生きていることの具現化が作品に表れているのだろうと思っています。創作活動は常に自分自身への問いかけであり、私の生きた証を示すものです。実際の魂は消えても創作に込めた魂は消えることはないと信じています。そこに私の魂が宿って生き続けているのかもしれません。そんなことを考えながら、今日は朝から工房に篭りました。朝8時から午後3時までの7時間を工房で過ごしました。午前中は土錬機を回して土練りを行い、畳大のタタラを掌で叩いて複数枚作りました。これは明日の陶彫成形のための準備です。午後は以前作っておいた陶彫部品の彫り込み加飾を行ないました。着実に制作サイクルを回しています。今日は多少気温が上がったため、汗が流れてシャツに染みを作りました。それでも真夏に比べれば、随分楽になりました。土曜日はウィークディの疲労が出ていることがあって、身体の動きは今ひとつ緩慢でした。ひと昔前と違って休憩なしに作業を続行することができず、ちょくちょく小休憩を入れました。明日は陶彫成形を頑張ります。

イサム・ノグチ 草月会館の「天国」

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第46章「人びとがいくところ」と第47章「想像の風景」のまとめを行います。表題にしたものは、今回の文章の中では一部分に過ぎないのですが、私の思いがあって選びました。第46章では初めにデトロイト中心街の噴水設計「ダッチ・ファウンテン」について書かれていました。「他のいくつかのプロジェクトと同様に、ノグチはコンペに勝つと噴水だけでなくプラザ全体のデザインもやらせてほしいと申し入れて仕事の範囲を拡大した。」次に登場するのが表題にした草月会館の「天国」で、私は数回ここを訪れています。「1974年10月13日、ノグチは丹下(建三)に宛てて、石を彫る和泉(正敏)にロビーの模型を送ったと書いている。地下の劇場上階にバルコニー席が設けられた関係で、ロビーには階段状の段差があり、空間は『ジッグラト〔階段式ピラミッド〕に似て』独特の形をしていた。ノグチの解決策は『階段状の石の丘、人びとがいくべき場所』をデザインすることだった。ノグチは草月会館で創出した空間を巨大な床の間と呼んだ。床の間は『日本家屋でもっとも神聖な場所…それは天国。そしてぼくがあそこ〔草月会館〕でつくったのは、そう、天国だ』。できあがったのはすばらしく生き生きとした白花崗岩の山で、青みがかった白花崗岩が何段にも重なり、ところどころ荒っぽく切り出した石の塊が散在する。空間全体は、上のテラスの水盤から精妙に流れ落ちる水でひとつにまとめられる。」次にノグチが取り掛かったのはニューヨーク州マウンテンヴィルの彫刻公園にある「桃太郎」という複数配置した石彫でした。第47章で注目したのはノグチの大規模な展覧会でした。「『ノグチの想像の風景』展は四室ー第一室は彫刻、第二室は舞台装置、第三室は建築プロジェクト、第四室は実現されなかった公共プロジェクトーを使って40年間にわたる仕事を俯瞰していた。~略~つねに批評家に誤解され、正しく評価されていないと感じていたノグチは、この称賛の奔流に満足したはずだ。個展が都市から都市へと巡回するにつれて、ほとんどの批評家がこの展覧会はノグチが20世紀最大の彫刻家のひとりであることの最良の証拠であると言った。」

創作意欲が増す10月に…

今日から10月が始まりました。10月は気候が良くなり、心身ともに心地よくなるため、芸術活動や芸術鑑賞が華やかに展開する季節です。私も創作意欲が増すのではないかと自分自身に期待をかけています。陶彫による集合彫刻は、新作である現在制作中の作品に全力で取り組んでいく所存です。今月は週末が4回あります。制作の手順に従えば4回の週末で4点の陶彫部品が出来上がる予定ですが、全体を見渡すと、そのペースでは間に合わなくなる可能性もあり、4点以上の陶彫部品が出来上がるといいなぁと考えています。貯蓄庫を見るとそろそろ陶土が足りなくなるかもしれず、早めに栃木県益子の明智鉱業に注文しておいた方が良いと思っています。陶土が潤沢にあるからこそ可能な創作活動なので、素材や道具には人一倍気を使います。木彫によるもうひとつの新作はいつから作ろうか考えていますが、鑿の手入れをしなければならず、砥石を新しく購入しようかなと思っています。今月木彫はまだ出来ないでしょう。RECORDは先月無理をして山積みされた下書きの解消に挑んできました。もう少しで通常のペースに戻れます。今後、RECORDは下書きを溜め込まないように頑張っていきたいと心に誓いました。鑑賞は感染症防止を心掛けて、首都圏で開催している展覧会に足を運びたいと考えています。美術鑑賞をしているとホッとする場面があります。乾いた心が潤っていくようで、芸術には人を刺激する魔力が棲んでいると感じています。読書は日系アメリカ人彫刻家の伝記とオーストリアの現象学者の著作をそのまま継続して読んでいきます。今月も先月に引き続き元気にやっていこうと思います。

秋風吹いた9月の振り返り

9月の最終日になりました。いつまで酷暑が続くのかと思われていた季節も、朝晩は涼しく秋風が立つ陽気になりました。工房での滞在時間も長くなり、創作活動が充実する時期で、まさに芸術の秋が到来したと言えます。今月を振り返ると、4回あった週末は4回とも着実に新作の制作を進めてきました。陶彫部品は今月だけで大小5点の成形と彫り込み加飾が終わっています。今月から新作の土台になる厚板材の切断を始めました。今後はそれを見ながら陶彫成形をやっていこうと思っています。RECORDの制作も追い込みを続けてきて、下書きが先行していた状況が少し改善してきました。一日1点制作を目標に掲げてきたRECORDですが、今月ほど頑張った1ヶ月はなかったように思います。思えば自宅のリフォーム工事が始まった3月頃から、下書きの山積みが大きくなってきて、この状態に心が折れそうになったこともありました。諦めなければ何とかなるものだなぁと思いました。鑑賞は美術館へ出かける機会が多くもてました。「バンクシー展」(横浜アソビル)、「近代日本画の華」展(大倉集古館)、「和巧絶佳」展(パナソニック汐留美術館)、「池田宗弘展」(東村山市立中央公民館)の合計4回の展覧会に足を運びました。感染症対策が図られている美術館ばかりで、検温をしてマスクを着用して作品を見て回りました。映画館にも行きたいのですが、まだ躊躇していて今一歩足を踏み出せないのです。職場では野外イベントをやりました。例年なら何のこともなく決行していたものですが、今年は密を作らないような配慮をして、思い切って実行したのでした。感染症を常に意識しながら、通常の活動に励むことが習慣化してきたように思えますが、これはいつまで続くのか、先行きのゴールが見えない不確定さの中で、それでも創作活動を絶やさずにやっていこうと考えています。読書では日系彫刻家イサム・ノグチの伝記を丁寧に読んでいます。ノグチの考え方に共感し、自らの造形思索に取り込める要素が散見されるので、私にとっては貴重な一冊なのです。フッサールの論理学研究は、凝り固まってしまう頭脳をぐるぐる巡らし、難解な箇所を読み解くことに私は楽しみを見出し始めています。易しいものばかり読んでいては駄目だと自分に言い聞かせ、自己研鑽を積むことで何か得るものがあると私は信じているのです。読書は来月も継続していきます。

RECORD用紙の調達

今日は職場には行かず、桜木町周辺の会議室を使って、午前と午後それぞれ別の会議をやっていました。今日は時折予定されている外会議の一日で、職場に有事があれば私の携帯電話が鳴ることになっています。管理職は皆そうした対応をしています。今日はそれもなく心穏やかに会議や研修をやっていました。会議室に出かける折に横浜駅を通過する時は、私はよく画材店に立ち寄ります。ほとんどの場合、研修終了時の帰宅時間が多いのですが、購入していくものはいつも決まっていて、RECORDの用紙に使う白色ケントボードです。厚さ1mm、大きさはB3大で、いつも20枚をまとめて買います。それ以上買うと重くなってしまい、帰路が辛くなるので、ちょくちょく立ち寄って20枚ずつ買っていくことにしたのです。その20枚を職場に持ち込んで、印刷室に設置してある電動カッターで葉書大に切断します。仕事の合間を見つけて、ちょいとプライベートなことをやっているのですが、これを手作業で切っていくのはなかなか難しいため、電動カッターを借りているのです。私が退職するまでに、あとどのくらいRECORD用紙が準備できるのか、末永くRECORD制作をやっていくために、仕事の休憩時間を利用して少々焦りながらケントボードの切断をやっています。80歳まで毎日RECORDを作ったら、何点完成するだろうとか、その時期はどんなRECORDを作っているのだろうとか、先のことを考えると鬼に笑われますが、RECORDや彫刻に関しては至って真面目に先々の計画も考えている自分がいます。飼い猫トラ吉がいる部屋にRECORD専用の棚があって、大量の用紙が詰め込まれていますが、自分としてはまだまだ足りないと思っていて、横浜駅を通過する度に20枚のケントボードを抱えて帰るのです。RECORDを制作中の食卓の上をトラ吉は無関係に歩くので、絵の具で彩色する時はトラ吉を食卓から閉め出します。何故部屋に入れてくれないのかとトラ吉は鳴きますが、ニクキュウの押印デザインを思いつくまでは我慢してもらいます。RECORDは今夜も頑張って作ろうと思います。

RECORD、NOTE、そして睡魔

仕事から帰って夕食を済ませると、私は食卓でRECRDの制作に励みます。RECORDは一日1点ずつ作り上げていく平面作品で、大きさは葉書大です。文字通りRECORD(記録)で、その日その日の作品が出来上がっていくのです。今も食卓でRECORDを作っていましたが、このところ数ヶ月は下書きだけで事切れていました。今月はその挽回も含めて日々頑張ってきました。下書きの山積みは着実に減ってきていて、過去の作品が解消されるのはもうすぐです。絵柄は5日間で展開する方法を取っています。下書きをきちんと描き直して、アクリルガッシュで彩色し、ペンでタッチをつけて仕上げます。絵の具を滴らせたり、飛ばしたりするモダンテクニックも使います。失敗することはほとんどなく、上手くいかない箇所は上書きをして再度チャレンジをします。1点ずつ手間暇かけて彩色やペン入れをしています。今日の分と過去の下書きの仕上げを併せて行なっているため、毎晩時間がかかっています。その後、パソコンの前に座ってNOTE(ブログ)を打ち込んでいきます。RECORDには2時間、NOTE(ブログ)には1時間くらいかけてやっています。NOTE(ブログ)は思索の場であったり、展覧会等の報告を兼ねた鑑賞の文章化です。頭に思い描いたことも文章化をしなければ、私は忽ち忘れてしまいます。展覧会は図録を読んで、自分なりに作品の感想をまとめます。その作家についての知識も学びます。図録に頼らず、観た印象をそのまま書くこともあります。RECORDもNOTE(ブログ)も昼間の公務員の仕事をしてきて、その夜にやっていることなので、なかなか厳しいところもあります。何より睡魔に襲われて、思考がストップしてしまうことがあるからです。じっとしていて動きたくない時も暫しあります。RECORDのような創作活動していれば、またNOTE(ブログ)を書くためにパソコンの画面を見続ければ、睡魔はやってこないはずですが、それでもうつ伏して寝てしまうのは如何なものでしょうか。自分でやりたいからやっていることなので、いつでも止めることは自由ですが、それでも意欲が勝ることは天晴れなことではないかと自分に言い聞かせて、今晩も睡魔と闘いながらこのNOTE(ブログ)を書いています。

週末 11点目の陶彫成形

9月最後の週末です。今月は4回週末がやってきました。今日の陶彫成形を含めると今月は5点の立体を立ち上げたことになります。週末の中に四連休があって、連休中に土台のための厚板材を一部切断し、全体構成を考える機会も持ちました。土台は三角形をした厚板材10枚で円形を構成する計画でいます。単純に三角形1枚の上に3点の陶彫部品を配置すると、合計30点の陶彫部品が必要になります。30点の陶彫部品のうち、3層になる部品や2層になる部品があり、そう考えていくと50点くらいの陶彫部品を作らざるを得ません。過去の作品もそんな程度の部品を集合させて構成してきたので、とくに驚くことではありませんが、この新作も例年以上に精力的に作っていく必要があり、毎月ごとに制作目標を決めて取り掛かっていこうと思っています。土台も現在は平面として床に置いていますが、これに全て段差をつけていく計画でいます。そうするために木材加工をする時間も必要で、これも考慮しなければならず、制作工程はなかなか厳しいものになることが分かってきました。今までの作品にも言えますが、余裕を持って終わったことが一度もないので、何年制作していても私は締め切りまで右往左往する運命なのかもしれません。今日は朝9時から午後3時まで11点目の陶彫成形に没頭していました。いつものように直方体をイメージしていましたが、三角形の厚板材の上に置くことを考えた結果、やや変形した直方体を作ることにしました。今後は変形した直方体を作ることが多いと思っています。四角錘も作ることになりそうです。今後は常に三角形の土台を念頭において造形していくことになりますが、形態イメージを整理しながら進めていこうと考えています。今日はいつも来ている2人の美大受験生がいました。工房を閉めるときはいつも彼女たちを車で送って行きます。

週末 彫刻の視点を考える

週末になりました。朝から雨模様の肌寒い一日でした。急に秋がやってきた感覚があって、加えてウィークディの疲労も相俟って身体が重く、一日を通して緩慢な動きになってしまいました。朝8時から午後3時までの7時間を工房で過ごし、新作の彫り込み加飾と残っていた陶土でタタラを数枚作りました。作業は毎回やっているものばかりで、手馴れたものでしたが、既に出来上がった陶彫部品が10点になり、厚板材による土台の一部も床にあったため、全体の配置やら構成をぼんやり考えて始めました。私の彫刻は床置きなので、高さや幅や奥行きを鑑賞者側の視点になって考えていくことがあります。とくに見る人の身長によって眼の高さが異なるため、立体の見え方は人によって変化があります。架空都市の風景を俯瞰させる場合に、それぞれの陶彫部品をどのくらいの高さに設定するか、林立する直方体をどう配置するのか、成人と子どもでは多少視点が違い、それによって与えられる印象も異なってきます。たった1点で見せていく彫刻作品ならば、それほど意識しない見え方が、集合彫刻として床に複数配置して、しかも場を設定する私の作品は、さまざまな条件によって作品の様子が異なってくるのです。撮影の時、カメラマンが脚立を使って上部から撮影した画像と、床に這い蹲って撮影した画像では、同じ作品とは思えない変化があります。もうひとつは陶彫部品と陶彫部品の狭間を眼で散歩する鑑賞方法もあります。それは個展の際にある鑑賞者から指摘されたことで、私自身が気づかされました。言わば私の集合彫刻はパノラマとして床に広がっているので、そんな遊び心を擽るのかもしれません。そんなことを考えながら、一日の作業ノルマをこなしていました。明日は11点目の成形になります。

「サーカス・シリーズ」について

先日、師匠である彫刻家池田宗弘先生の真鍮直付けの作品を久しぶりに見せていただきました。東京の東村山市立中央公民館で開催していた「池田宗弘展」は、初期の頃から最近までの作品を網羅してあって、私には先生の初期の頃の作品に印象深いものがあり、何度見てもその斬新な形態に感じ入ってしまいました。「サーカス・シリーズ」として一時期を形成する作品「不安定のなかの安定」は会場前のガラスケースにありました。サーカスに興じる道化師を、真鍮直付けの技法で作った彫刻には頭部がありません。鑑賞者は彫刻に頭部があると、つい顔の表情に目がいってしまい、人体全体を見ることがその後になってしまうのです。頭部がないことで私たちはいきなり全体を見て、その独特な形態を把握することになります。「不安定のなかの安定」の最初の印象は、まさに綱渡りをする人体で、しかも量感を削り取られたギリギリの人体です。細い人体と言えばA・ジャコメッティですが、ジャコメッティがモデルを観察し、それを塑造した結果として細くなったことに対して、池田先生の人体は周囲の空間を得ようとした結果として、量感をなくしていったように思えます。彫刻に光を当てて壁に落ちた陰影で見ると、ジャコメッティの作品は針金のようですが、池田先生の作品は陰影が作品の世界を雄弁に語ります。その最たるものが「サーカス・シリーズ」で、イスを積み上げてその上で逆立ちをする道化師は、まさに陰影こそ楽しい世界を作り出していると言えます。池田先生は学生時代、当初は粘土で人体塑造をやっていたそうですが、溶接や鍛金技術を得て素材を金属に変えました。金属は形態を細くしても空間にその姿を保つことができます。それはカタチとカタチの間に隙間を作り、それ故に大きな空間を確保できたのでした。先生の空間解釈は画期的なもので、学生だった私はそれをどう考えたらよいのか分からなかったことが思い出されます。あの頃の私は塑造によってカタチを膨らませることばかりを考えていて、量感こそ全てだったのでした。そこに空洞さえ厭わぬ「サーカス・シリーズ」や内臓に穴の空いた猫の群像がやってきて、その表現力に私は圧倒されてしまったのでした。たとえ尊敬する師匠であってもその表現には追従してはいけないと、私は自分に言い聞かせて、別の道を歩むことになりました。先生に対する感受と反発、これが今の私を形成してきたのだと思います。

2020年評壇に掲載された寸評より

ビジョン企画より出版されている新報の美術評壇欄に、私の個展の寸評が掲載されました。執筆を手掛けている美術評論家瀧悌三氏は、毎年必ずギャラリーせいほうに来てくださり、メモをされていきます。今回は瀧氏にお会いできずに残念でしたが、芳名帳に瀧氏の記載がありました。どんなことを書いてくださっているのか気になるところでしたが、新報が送られてきて、寸評を読ませていただきました。「陶彫。『発掘』シリーズⅫ。古代遺跡の出土品のような黒褐色のオブジェを創出。今回は床を這うヤマタノオロチみたいな長大物体がメイン。その先端は衝立の壁面を這い登る観。生き物じみている。意外性一杯。続く中品は三角台に角ばったオブジェ3つが乗る情景彫刻。小品は箱型三角柱4体。量の点で言えば、実に精力的な仕事。架空想像の疑似世界ながら。」毎回良い評価をいただいていると私は解釈していますが、今回は陶彫部品の集合体を、神話のヤマタノオロチにイメージを被せていただき、私自身も眼から鱗が落ちました。「生き物じみている。」という批評が「発掘~聚景~」の特徴を物語っているように思います。私の中で少しずつ生命体のような有機的な形態が生まれてきているのは確かで、それは年齢とともに具体的な表出になっているように感じます。もう一方でその不可解な生命体を制御する力も働いています。中品として書いてくださった三角形を基盤とした「発掘~突景~」は、まさに幾何学による形態のコントロールです。「量の点で言えば、実に精力的な仕事。」これが私による自分自身を示す制作姿勢で、焦らず休まず作り続けてきた結果だと自負しています。そんな制作の振り返りを行いながら、寸評の内容を私なりに勝手な分析をいたしました。失礼をお許しください。

台風接近でも野外イベント実施

私の職種を知っている人であれば、ここに登場する野外イベントがどんなものであるのか、予め見当がつくと思います。本来なら5月に行うイベントでしたが、新型コロナウイルス感染症の影響で、今月になって実施したのでした。野外イベントは密になるものを避けて、縮小したプログラムになりました。それでも一年に1回のイベントをどうしてもやりたいと私は思っていたのです。イベントは観客を入れず、私たち関係者だけで実施しました。しかも台風が接近している中で、一か八かの実施になりましたが、僅かに小雨程度で最初から最後まで滞りなく実施できたことは幸運としか言いようがありません。正直に言えば、今日は実施を強行した感が残りますが、それでも結果として実施して良かったと思います。感染症の影響で昨今は、さまざまな活動がICTを使ったものに変わろうとしています。これからの社会でリモートで仕事ができることは私も賛成ですが、感染防止が図れれば今までのような対面で何かを行うことも十分に意義があると思っています。今日の野外イベントはまさに対面の活動でした。私が創作している彫刻もデジタルな表現では全て賄いきれないものがあります。アナログとデジタルがあって、その双方の力を借りて表現していくものだと私は思っています。アナログにはアナログでなければ出来ない世界があり、眼の前で実際に起こっていることの空気を感じるのはリアルな世界があればこそです。今日の野外イベントも私の作る彫刻も、実際の空間を感じ取れるのは対面でしかありません。ひとり一人が感染症予防に努め、密を作らないように心がけて、対面としての活動が今後も出来ることを願ってやみません。

四連休最終日 新作の土台考案

今日で四連休が終わります。この時期に4日間連続の休暇があったことは、創作活動を進める上で有効だったと思っています。四連休は4日間ともずっと制作をやっていました。2日目に東京の東村山市立中央公民館に出かけましたが、その日も早朝から制作をやっていてノルマを果たしました。今日は朝9時から夕方4時までの7時間を工房で過ごしました。今日の午前中は新作の彫り込み加飾をやっていました。午後から新作の土台となる厚板材を切断して、全体の広がりと大きさを確かめました。厚板材は全て切断できたわけではありませんが、大まかな雰囲気を把握することが出来ました。新作は円形が土台になります。そこに陶彫による直方体を複数配置する予定です。私には数年前に作った「発掘~環景~」という円形の作品がありますが、大きな円形を使うのは今回で2回目になります。厚板材の円形に直方体を入れる穴を複数空けます。これは「発掘~環景~」よりさらに前に作った「構築~起源~」の発想で、土台の床下からカタチが立ち上がってくるように仕掛けます。この新作は陶彫部品を古代出土品のように作るので「発掘シリーズ」として分類しますが、もうひとつ円形を使う作品を考えていて、円盤を中空で支える構造にしようと思っています。これは「構築~内包~」や「構築~解放~」の発展形です。これは分類すれば「構築シリーズ」です。同じ円形を使っても来年発表する作品は「発掘シリーズ」と「構築シリーズ」をそれぞれ1点ずつ作ろうとしているのです。今年から来年にかけて制作方法は陶彫と木彫が半分ずつになるのかなぁと思っています。現在、陶彫制作を先行しているのは、陶彫には乾燥させる時間が必要だったり、最後に焼成があったりするためで、自分の頑張りだけではどうにもならないものがあるのです。そこへいくと木彫は自分次第で何とかなると思っています。「構築シリーズ」となる木彫作品はまだ始まってもいません。頭の中にイメージがあるだけですが、木材だけは準備しておこうと思っています。

四連休3日目 10点目の陶彫成形

四連休3日目になりました。今日は朝から工房に篭って、いつものように制作三昧でした。昨日タタラを準備したので、今日はそれらを使って10点目の陶彫成形を行ないました。気温が涼しくなってきたので、夕方3時まで作業を続けました。昨日、東村山市立中央公民館に行って師匠にお会いし、その作品展を見て刺激をもらって帰ってきました。真鍮直付けによる具象を追及する池田宗弘先生の世界と、陶彫部品を集合させ架空都市を構築する私の世界は、まるで異なっていますが、制作姿勢に関することは池田先生に学ぶことが多く、今後も素材に真摯に向き合っていく姿勢を持ち続けていきたいと思っています。常に作品に全力投球していくことが私のやり方で、一気呵成に作れないところは師匠と同じかもしれません。制作の途中で視点を変えると、次のステージになるであろう世界がやってくるのも同じで、それ故に池田先生も私も同一素材で何十年もやっていけるところが似ているなぁと思っています。先生が人のやっていない真鍮直付けを始めたことに関連して、私の陶彫もあまり人がやっていない技法で、自らのイメージを具現化するために修得した方法なのです。私の場合は最後の工程に焼成があります。人の手が入らない領域ですが、この擬似錬金術があるために陶彫は一層面白くなります。陶彫成形も彫り込み加飾も仕上げも化粧掛けも全て焼成の成功を祈願してやっているようなものです。ということで今日の陶彫成形は10点目に入りました。10点目は中くらいの大きさで、背丈が高い部品です。今日はいつものように美大受験生が2人工房にやってきていました。普段はそれぞれ高校に通っているので、この四連休はゆっくりできて楽しそうでした。夕方、彼女たちを自宅の近くまで車で送り届けました。

四連休2日目 東村山市立中央公民館へ

四連休2日目になりました。以前から計画していたことですが、今日は家内と車で東京にある東村山市立中央公民館へ出かけました。同館の1階会場で、私の師匠である彫刻家池田宗弘先生が個展を開催していて、午後2時からギャラリートークが予定されていたため、その時間帯に合わせて横浜の自宅を出たのでした。そうは言っても私は自らの創作活動の制作工程があって、今日のノルマを果たさないわけにはいかず、早朝5時半に工房に行って土練りと数枚のタタラを作りました。午前10時までに自宅に戻り、そこから車で出かけましたが、東名高速や府中街道で渋滞に巻き込まれて、東村山市に到着したのは午後1時半になっていました。片道2時間半、横浜から見れば東村山は遠方にあり、往復で5時間も私は車を運転していたことになりました。今年は東村山市立中央公民館の開館40周年に当たるそうで、文化・芸術シンポジウムも開催されていました。コロナの感染症で亡くなったコメディアン志村けんさんが東村山を有名にしたこともあり、初めて訪れた東村山は一目で暮らしやすそうな街だなぁと感じました。池田先生は今年81歳で、背筋がピンと伸びて元気溌溂な姿が見られて、私たちは安心しました。何と言っても先生は私たちの結婚式の仲人でもあるのです。ギャラリートークでは先生の若い頃の話があって、私はいつぞや聞いた話かもしれませんでしたが、改めて興味を持ちました。当時は24時間を8時間ずつ3つに分け、アルバイト、創作活動、生活に必要な時間に決めてやっていたそうで、そんな不安定な状態を「不安定のなかの安定」という作品に昇華したこと、それがサーカス・シリーズになり、また制作中に視点を変えることで、別のシリーズに発展したことなどを話してくれました。素材についても粘土で塑造をすることから出発して、金属を使うことで実際の量感を削り、隙間を空けられたことや、一場面の風景として造形が出来たことなど、真鍮直付けよる現在の作品に至る過程が印象に残りました。会場には数十人の鑑賞者がいて、ギャラリートークは盛況でした。彫刻は大小8点、スペインのロマネスク教会の扉のレリーフを描いたデッサンが数多く壁に掛けられていて、まさに池田宗弘ワールドが広がっていました。私は久しぶりに先生の作品に接し、刺激をもらいました。今日はここまで来て良かったと思いました。

四連休初日 彫り込み加飾の一日

今日から四連休が始まりました。創作活動に邁進するつもりですが、あんなに辛かった酷暑もなくなり、朝晩は凌ぎ易くなったため身体に疲労が出ているらしく、気力が今ひとつ保てません。それでも今日は朝8時に工房に出かけました。この四連休では新作の陶彫部品をもうひとつ作ろうと考えていて、それまでに彫り込み加飾が出来ていない数点の陶彫部品を早く仕上げてしまおうと思っていたのです。彫り込み加飾は制作工程では一番時間がかかります。成形が、立体として立ち上げる彫刻的な作業とすれば、彫り込み加飾は工芸的な作業です。彫り込み加飾は、文字通り陶土の表面に彫り込みを入れて文様を浮かび上がらせる作業で、土練りや仕上げの作業からすれば、成形の次に面白い作業です。彫り込み加飾を施すことで、自らの世界観が現れてくると言っても過言ではありません。私は陶土に粗い土を使っているため、緻密な加飾は出来ませんが、それでも2ミリ程度の彫り込みは可能です。ぼそぼそした陶土をヘラで処理しながら、コツコツとした作業を進めていきます。土練りのような腕や足腰を使う作業ではなく、身体を動かさない分、彫り込み加飾は蓄積された疲労が出易くなるのではないかと思っています。今日は午後3時までの7時間を只管彫り込み加飾に費やしました。ずっと座っていたため、うーんと伸びをして工房を後にしましたが、一日中彫り込み加飾だけをやっていると精神的に辛くなると改めて思いました。工芸家の方々の集中力は凄いものだなぁと感じます。夕方は家内と買い物に出かけ、職場で使うマスクなどを大量に買ってきました。フェイス・シールドも買ってみました。家内は植物の土などを買っていましたが、毎年個展に知り合いの呉服屋さんから大きな蘭の花が届きます。個展の後、自宅に飾っていますが、もう一度花を咲かせようと家内は奮闘しているのです。一昨年頂いた蘭の花が今年は咲いたので、目下研究をしている最中です。

横浜の「バンクシー展」

横浜駅に隣接するアソビルで開催されているバンクシーの全貌を示す展覧会は「バンクシー展 天才か反逆者か」というタイトルがつけられています。路上に描かれたバンクシー作品はすぐ消されてしまうだけに、世界中のコレクターから作品を収集しなければ成り立たなかった展覧会ではないかと思います。一口で言えばバンクシーの世界は、ストリート・ギャングから派生したならず者のアートと言っても過言ではありません。現代の抱える矛盾や問題を挑発的に発信するアートは、常に物議を醸し出し、バンクシー自身も謎に包まれているアーティストという存在を示しています。展覧会に出品された作品はじっくり鑑賞するものではなく、瞬時にプロテストを理解するもので、そうしたあらゆる場面での主張がバンクシーの世界の醍醐味と言えるでしょう。図録から引用します。「メッセージを発信するなかで、彼はサルやネズミ、警官、イギリス王族の人々といったキャラクターを繰り返し使用し、ステンシル(孔版画)の技法を用いてこれらを描いていく。そもそもこの方法を使うようになったのは、すばやく制作でき、警察に見つからないようにとの理由からであった。」という解説がある通り、バンクシーは風刺の効いた一撃をアートを媒体にして行っていました。バンクシーの言葉が図録にありました。「私にとって、グラフィティとは驚きだ。これに対して、ほかのアートは間違いなくどれも一歩遅れている。グラフィティの世界以外でアート活動しているとしたら、それは低いレベルでやっているということだ。ほかのアートは得るべきものが少ないし、意味も力もあまりない。」反抗的な動きをするアーティストは、一昔前から比べれば少なくなっているように思いますが、そんななかで活躍するバンクシーは評価に値すると私は考えています。アートは社会矛盾への発信という役割が確かにありますが、敢えて言えばそれだけではありません。即興的なグラフィック・アートばかりをバンクシーは言葉に取り上げていますが、そこは議論のあるところでしょう。いずれにしても世界的に話題性のあるアーティストがどんな世界観を持っているのか、一見する必要があると思います。

虎ノ門の「近代日本画の華」展

東京港区虎ノ門にある大倉集古館へこの歳になって初めて足を踏み入れました。若い頃から美術館巡りをしているにも関わらず、大倉集古館には行かなかったのが不思議なくらいです。調べてみると大倉集古館は日本で最初の私立美術館で、その独特な東洋的外観は建築家伊東忠太によるものです。内装は空想上の動物たちのレリーフのついた柱などがあって不思議な雰囲気があります。今回の展覧会は1930年にイタリアのローマで開催された日本美術展に出品された日本画の秀作を集めたもので、見応えとしては充分ありました。目を留めた作品としては竹内栖鳳の「蹴合」があります。二羽の軍鶏が戦う闘鶏の一場面を描いたものですが、体毛が逆立ち、目で相手を威嚇している様子は迫力満点でした。「これらの羽毛は、筆の穂にたっぷりと水分を含ませ、その穂先に絵具を吸わせて、筆をねかせて引くと、色彩のグラデーションが生まれる。これは円山・四条派の伝統的な〈付け立て〉と呼ばれる技法だ。」と解説がありました。次に印象に残ったのは河合玉堂の「高嶺の雲」です。一緒に行った家内が、屏風に広がった山脈の遠近感に感動していました。「何と壮大な空間であろうか。左隻に主峰ひとつ描かず、雲海のみで画面をもたせている。それはひとえに、右隻の主峰が力強く峻厳に描かれているからである。」解説の通りで、離れて本作を見ると空間の解釈の凄さがよく分かります。その他並んだ作品はどれも緻密で、表現に深さを感じさせるものばかりで、イタリアで日本画をアピールすることに文化国家の命運をかけていたのではないかと思いました。最後にこの巨匠を取り上げないわけにはいきません。その人は日本美術展代表を務めた横山大観で、当時の写真にはローマ展会場で羽織袴を身に着けて挨拶をしている大観の様子がモノクロ写真に写されていました。横山大観は「夜桜」という大作を出品していました。「大観は日本画の良さをイタリア人に示すため、琳派の要素を強く押し出そうとしたのだろう。~略~制作にあたり、大観は上野公園の桜を写生し、何度かの大幅な書き直しを経て一気呵成に本作を仕上げたという。」確かに「夜桜」を見ると派手な表現が目につき、いかにも外国人好みに合いそうな作風になっています。それでも高水準を保っているところは、さすが大観だなぁと思いました。

汐留の「和巧絶佳」展

東京新橋にあるパナソニック汐留美術館で開催されている「和巧絶佳」展に行ってきました。「和巧絶佳」とは何か、図録から引用すると「日本の伝統文化の価値を問い直す『和』の美、手わざの極致に挑む『巧』の美、素材の美の可能性を探る『絶佳』を組み合わせた言葉」だそうです。若い世代の12人の工芸家が出品している「和巧絶佳」展は見応えがあって、その精緻な技に思わず惹き込まれました。まず工芸とはどんな分野なのか、これも図録より引用します。「工芸とは、西洋的な意味での美術という領域から除外され、その周縁に位置づけられた種々雑多な造形表現が寄せ集められて形成された、いわば”寄り合い所帯”のようなジャンルということになる。~略~工業生産の規格化と量産化が進み、素材そのものの存在感が希薄な均質化された工業製品に囲まれた環境に慣れきってしまった現代の私たちにとって、手仕事の跡や素材感をそのまま表面にとどめた工芸の存在感は比類ないものといえる。~略~脱工業化社会のなかで手仕事に取り組む工芸家は、物質の表現者として人間の物質への欲望を喚起すると同時に、その代弁者として人間の物質への欲望を問いただすという背反する二つの役割を同時に担うようになったのであり、工芸には、人間の物質への欲望が両義的に映し出されているということができるだろう。」(木田拓也著)工芸は用途のある器を作るという概念が私にはありましたが、工業化時代から脱工業化時代を経て、人には手間暇をかけた手仕事への渇望があり、作品を手元に置いて美を享受したい欲求が、優れた工芸を生み出していることを理解しました。本展でも12人が12人ともその道で追求してきた成果が表れて、どれをとっても信じ難い表現と技巧が印象に残りました。私の好みで言えば、池田晃将氏の螺鈿を駆使した漆作品に度肝を抜かれました。小さいながら建築的な要素もあり、時間を忘れて見入ってしまうほどでした。もうひとつは鉄を使用した坂井直樹氏の作品で、錆と侘が幾何的な構成の中で凛とした佇まいを示していて、白壁に映えて美しいと感じました。まだまだ他の作品を取り上げればキリがなくなるのですが、「和巧絶佳」展ほど実物を見ることに価値がある展覧会はないと言えます。デジタルでは伝えられないものがそこにありました。

美術館を巡った日

今日は用事があって職場から年休をいただきました。用事はすぐ終わってしまい、残りの時間を横浜や東京の美術館巡りに充てました。ウィークディに展覧会を見に行く機会がなかなかなかったので、今日はラッキーな一日でした。休日であると混雑が予想される話題の展覧会に行くのは今日をおいて他にないと考え、地元横浜で開催している「バンクシー展」に足を運びました。今日は家内が付き合ってくれました。美術館巡りは突如決めたことだったので、「バンクシー展」のネット予約を入場前に行い、昼の時間帯のチケットを取得して会場に飛び込みました。ウォールペインティングから画業を始めたバンクシーは、その主題が社会的な意味を持つが故に世界各地で話題になり、私も一度その世界を見てみたいと思っていたのでした。バンクシーが多面的な表現手段を持っていることに私は驚き、ストリートだけではない魅力に圧倒されました。しかも横浜駅に隣接したアソビルという複合施設での会場作りにも興味が湧きました。「バンクシー展」にはウィークディにも関わらず、多くの人が訪れていました。詳しい感想は後日に回します。アソビル内の飲食店が集まった横丁で昼食を済ませ、東京の渋谷に向かいました。ホテルオークラの別棟にある大倉集古館で開催している「近代日本画の華」はテレビで知りました。1930年にローマで開催された日本美術展から90年が経って、当時の作品を並べた今回の展覧会は、極めて精緻に描かれた力作ばかりで、その表現や技巧に目を見張りました。日本の文化を日本画を通して世界に知らしめる目的があったようで、横山大観が団長を務めていたようでした。この展覧会の詳しい感想も後日にします。その後、時間を見計らいながら新橋に向かいました。汐留にあるパナソニック汐留美術館は過去幾度となく訪れた美術館で、ここでは「和巧絶佳」と称された超絶技巧による工芸展が開催されていました。しかも出品している工芸家が皆若い世代で、今後の日本の工芸界を支えていく有能な人材と認識しました。ここには夏に横浜そごうで個展をやっていた金魚絵師も出品していて、馴染みのある作品がありました。この展覧会の詳しい感想も後日にします。今日は午後から巡り始めた展覧会でしたが、バンクシーから始まり、近代日本画の代表格ばかりが揃った展覧会や、超絶技巧による工芸展を見続けてきて、家内も私も些か疲れました。家内が一日で回る展覧会は2つまでにしたいと言っていました。職場から年休をいただいたことで、つい欲張ってしまった一日でしたが、私には充実した時間でした。

イサム・ノグチ 石壁サークル

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第44章「石壁サークル」と第45章「《自然のゆくてをさえぎる》」のまとめを行います。イサム・ノグチが残した代表的な石彫作品がどんな場所で作られたのか、四国を訪れた私が憧れを抱いた石壁サークルが登場してきました。「1969年以降、ノグチは四国に家とアトリエをつくり、一年の半分、通常は秋と春に三か月ずつをそこで過ごした。ノグチは石垣で囲んだ作業場、石壁サークルを建設。輪のなかにはしだいにノグチの彫刻が並びはじめた。そのひとつひとつが静かだが、それでもなお神秘的なエネルギーを放つ。ノグチは自分の最良の作品を手放そうとしなかったので、石壁サークルは仕事場だけでなく一種の野外美術館のようにもなった。~略~ノグチは牟礼の建物群をひとつの美術作品として形づくった。それはノグチがいつも探してきた天国ー目で見て手で触れるもののほとんどが自分自身の選択である場所ーだった。~略~何年もかけて、ノグチは牟礼にギリシャ寺院のたくましい簡素さと完璧なプロポーションを備える二棟の古い倉を加えた。」これは移築による建造物で、現在も室内工房と展示用のギャラリーになって残されています。次章では今もここに展示されている巨大な「エナジーヴォイド」が登場してきます。「石に鑿を打ちこむことで年齢に逆らい、個人的疎外感を回避できた。そのプロセスによって大地とのつながりを感じることができた。ノグチにとっては大地とのつながりが、おそらく人間との絆よりも重要であった。~略~『空』の彫刻は穏やかな一方で、非実存への扉のように見える。おそらく『無』の概念がノグチに明晰と平穏の可能性を提供したのだろう。門に似た彫刻はまた鳥居ー神道の神殿に導く門ーも連想させる。ノグチの門をくぐることは、より霊的な世界の戸口における浄めのフォルムかもしれない。事実、牟礼のノグチ美術館にある高さ12フィートの《エナジー・ヴォイド》は《天国の門》としても知られている。」この大作は嘗て東京都現代美術館で開催された大がかりな「イサム・ノグチ展」にやってきました。牟礼のイサム・ノグチ庭園美術館以外で、この作品を見たのは私は初めてだったと記憶しています。

週末 8点目と9点目の陶彫成形

新作は直方体の陶彫部品が数多く並ぶ風景を創出させる予定です。その直方体は単体もあれば3層に積み重なったものもあります。3層の陶彫部品は、上部の凹んだところに次の陶彫部品を積み重ねていく方法を取っていて、3層が重量としては限界かなぁと思っています。陶彫は焼き物である以上、窯の容量に陶彫部品の大きさが限定され、最大のモノは窯に1点しか入りません。大きな彫刻にするためには陶彫部品を集合体で見せるしか方法がなく、1年間をかけて制作工程を考えながら丹念に作っていくのです。陶彫は毎週末に部品を1点ずつ作り上げ、まとまった休みになるとプランを増やします。今日は昨日準備したタタラで、2点の陶彫部品の成形を作り上げました。2点とも3段目になる小さめの陶彫部品だったので2点同時に作れたわけです。成形した部品に施す彫り込み加飾は次の機会に回すことにしました。今日までで合計9点の陶彫部品が立ち上がっていますが、そのうち6点が彫り込み加飾が終わって、乾燥を待っている状態です。毎年窯入れは11月頃を目安にしているので、今年も寒くなってからにしようと思っています。工房周辺は草刈りを頼んだので、雑草がほとんどなくなって、畑の道が歩きやすくなりました。そうしないと大小の草で歩道が遮られてしまうのです。自宅の周辺も草刈りをしてもらいました。草刈りは亡父の従兄弟がやってくれます。亡父が存命の頃から造園をやっていたので、安心して任せられるのです。今日はお馴染みになった2人の美大受験生がデッサンや平面構成をやりに工房に来ていました。彼女たちの受験はまだ先なので充分時間を取って準備をしているのですが、毎週来ているため、少しずつ作品が上達してきました。受験というゴールがあるのはいいなぁと私は横目で見ています。夕方、彼女たちをそれぞれの自宅の近くまで車で送り届けて、今日の工房での仕事を終えました。

週末 積み重ねる作業の合間で…

週末になりました。今日は雨模様で気温も上がらず、凌ぎ易い一日になりました。朝8時に工房に出かけ、明日の成形のためにタタラを用意したり、前の陶彫成形でまだやり残している彫り込み加飾を行ないました。週末になると工房で黙々と作業をやっています。今日は午前8時から午後3時までの7時間を工房にいました。作業は単調ながら、次はこの部分を作ろうと思っていて、新作に向けた意欲は充分にありました。私の作品は一気呵成に出来るものではなく、コツコツとした積み重ねで全体のカタチが現れてきます。まだ全体構成の10分の1というところでしょうか。それでも最初の陶彫制作は新作の方向性を決めていくので、量的にまだ少なくても制作工程から見れば、重要な導入部分になります。私は小さなところで生きがいを感じることが出来る性格なので、新作に対する不安や彫刻そのものに対する意義などを問いながら、そこに孤独や虚無は感じずにいます。寧ろ自己表現が定まらなかった若い頃の方が、彫刻に対し複雑な感情を持っていたような気がしています。私が生涯を賭けて何かやったところで徒労に終わるのではないかと、その頃は感じていました。創作活動とは何か、何十年も常に私の頭を過ぎっていますが、私は先を見ず、目の前のことだけを考えて一歩ずつ進むことを選びました。私はすぐ達成出来る小さな目標を持つことにしたのです。今日はここまでやったら今日の目標達成と考えて日々過ごしています。足元だけ見て作業を積み重ねているうちに作品は出来上がってきます。それは登山に似ているように思います。私の彫刻作品は労働の蓄積です。不器用で寡黙ながら只管作る、焦らず休まず作ることが私の信条です。作品は自分自身を表していて、格好つけて洒落て作れば、それなりの作品になり、なり振り構わず追求すれば、それに応える作品になると考えます。小手先で終わらないために、今日やっている作業には意味があると言い聞かせて、地道な作業をやっていました。積み重ねる作業の合間で、自分自身の方向性を確認し、明日に繋げていきたいと思いました。夕方は修理に出した家内の邦楽器を車で引き取ってきました。ちょっとした息抜きになりました。

イサム・ノグチ 「あかり」と牟礼

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第42章「小麦そのもの」と第43章「赤い立方体、黒い太陽」のまとめを行います。いよいよノグチが晩年に差し掛かり、私が最も影響を受けた代表作品が登場してきます。1960年代半ばには彫り跡を残し、磨いた面や加工した面を織り交ぜて充実した空間を有する石彫群が生まれました。同時に和紙と竹による「あかり」が登場しました。「《あかり》は、アートは日常生活の役に立つ一部となりうるというノグチの考え方を完璧に表現する。~略~ノグチがたえずデザインをしなおしたことが、店にとっては《あかり》を売りにくくした。ノグチはランタンを非対称にすることでコピーをほとんど不可能にし、ときには竹の助材を取り去った。~略~ノグチが《あかり》に感情的に執着したのは、一説によれば子ども時代の父親の記憶と関係があるという。ノグチが月を見るまで寝ないと言い張ったとき、父親は障子の反対側に明かりをおいた。~『日本というバックグランドは、ぼくに簡素なものに対する感性をあたえた。それはぼくに、より少ないものでより多くをおこなうこと、そして自然をそのディテールすべてのなかで認識することを教えた。たとえば小麦が加工されたら、麦粒には似ていない。小麦を味わいたかったら、パンは食べない。ぼくの彫刻は小麦そのものなんだ。』」次の章ではマリーン・ミッドランド銀行の広場に設置された金属による巨大な赤い立方体に関することから始まり、やがて石彫による「黒い太陽」が登場します。「歳月を重ねるにつれて、ノグチはしだいに日本に多産する花崗岩と玄武岩を彫るというむずかしい仕事に惹かれていった。~略~和泉は讃岐岩、それから地元の庵治石から円盤の切り出しにとりかかった。一年後、四国にもどったノグチは感心した。1968年以降、和泉正敏はノグチの生活と仕事にかけがえのない存在となる。間もなくノグチも牟礼の和泉家の所有地にアトリエを構え、和泉の協力を得て、これ以降の作品のほとんどをそこで制作することになる。そのなかでも最大のひとつはシアトル美術館の《黒い太陽》である。~略~たしかに《黒い太陽》は動きに満ちる。永遠の静止を内包しているように見えてなお、光が変化するにつれて花崗岩のへこみとでっぱりのおかげで輪は転がるように見え、それが彫刻に瞬間性をあたえている。」私が複数回訪れたイサム・ノグチ庭園美術館設立の起源がここにありました。

彫刻における台座の意味

「地面が庭園の一部であるのと同じように、床を彫刻の一部である場所、あるいは平面と考えた。~略~ノグチは、日本では地面に据えられた岩は『下にある原始の塊体から突き出す突起を表現している』と言った。庭園の構成要素は、鑑賞者の想像のなかで大地の下で結合される。」という一文は、「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)の中でイサム・ノグチより提唱された彫刻の在り方に関するものです。彫刻の台座を取っ払い、彫刻が置かれた地面を表現の一部にする考え方に、私は大いなる共感を覚えました。また原始の塊体から突き出す突起を表現しているという発想も、まさに私自身の陶彫による集合彫刻に通じていて、この時代にイサム・ノグチが既に思考していた彫刻の概念に感じ入ってしまいました。彫刻にとって台座とはどんな意味を持つのでしょうか。絵画における額縁と同じで、芸術品は美術館で鑑賞するものという前時代的な概念があるために台座を用意していると言えるでしょう。私も人体を塑造している時は台座も作っていました。その頃の彫刻は生活とは切り離した表現であったのですが、彫刻が建築を初めとする環境造形に進出してから、彫刻的世界が生活の中に取り込まれていったように思っています。造園家だった亡父が造営していた庭園の考え方に彫刻が歩み寄ったと私はふと思いつき、私自身も立体概念が変わっていきました。まさにイサム・ノグチ的空間転換だったと思い返しています。私の「発掘シリーズ」は大地から突き出した造形物をイメージしていて、本書にある通り、鑑賞者の想像のなかで大地の下で結合される要素があります。ただし、現代彫刻における台座は不要なのかというと、そうではありません。台座の上の彫刻を鑑賞するための台座ではなく、台座そのものも表現の一部になっているケースもあるからです。たとえばジャコメッティの針金のような人体は台座が重要な表現になっています。台座を表現の一部にした作品は、台座まで鑑賞の対象になります。芸術品の展示方法は時代を反映していると改めて感じてしまうこの頃です。

「命題論的分析論としての形式論理学」第18~22節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。本書の本論は初めに第一篇「客観的な形式論理学の諸構造と範囲」があり、その中の第1章として「命題論的分析論としての形式論理学」が掲げられています。そのうちの第18~22節を読み終えました。第22節で第1章が終了しますが、難解な言い回しに何度も悩みつつ、今回も章ごとに気になった文章を書き出して、それでまとめにさせていただきます。第18節は単純な分析論の根本問題と称された章でした。「任意の諸判断がそのまま、しかも形式的にのみ一つの判断に統合されうるのはどういう場合であり、しかもどのような諸関係で可能であろうか?」という問いかけが本章ではありました。第19章では可能な真理の条件としての無矛盾性という命題があって、私には次の文章が気に留まりました。「今ここでは始めから判断はただたんに判断として考えられているのではなく、認識の努力に支配される判断として充実されるべき思念、すなわち〈判明性にのみ由来する所与という意味での対象自体ではなく、目指す《真理》そのものへの通路となる思念〉として考えられているのである。」第20章では単純な分析論における類似の諸原理について述べられていました。論理が展開する中で結論めいた部分を見つけたので、これを引用しますが、これだけ抜き出しても意味が通らないとは思います。「〈直接的な分析的帰結それ自身の直接的な分析の帰結はやはりまた、それぞれの理由の分析的な帰結だ〉ということであり、このことからは〈任意の間接性の帰結自身も、この理由の帰結だ〉ということが整合性として明らかになる。」第21節は最広義の判断の概念です。「最広義の判断の概念は、混乱、判明、明確の違いを意に介さず、これらの差異を故意に無視する概念である。」第22章は今までのまとめになった箇所がありました。「無矛盾性の形式論理学と真理の形式論理学をわれわれが分離したのは斬新なことではあるが、この分離はいまでは各用語についても広く一般に知られている。これらの用語は〔従来とは〕まったく別のことを、すなわち《認識の》具体的な《題材》を無視する形式論理学の問題設定一般と、何らかのかなり広い(もちろん明確に把握されていない)意味で論理学の側から提起された諸問題との間の区別を考えていた。」今日はここまでにします。

イサム・ノグチ 自伝と遊び場

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第40章「自伝に向かって」と第41章「形態と機能の入門書」のまとめを行います。自伝を出版することになったノグチは筆者ジョン・ベッカーとの間にトラブルに見舞われますが、その前に彫刻の空間概念に関する興味ある個所がありました。「(ローマの)アカデミー滞在中にノグチは床を台座として使う彫刻の制作を始めた。地面が庭園の一部であるのと同じように、床を彫刻の一部である場所、あるいは平面と考えた。~略~ノグチは、日本では地面に据えられた岩は『下にある原始の塊体から突き出す突起を表現している』と言った。庭園の構成要素は、鑑賞者の想像のなかで大地の下で結合される。」私自身の彫刻観とも相通じる概念がここに出てきました。話を自伝に戻します。自伝出版に関するトラブルは、ノグチが自伝に手を入れて筆者との誤解を正そうとし、また印税の分配でも揉めて、結局プリシラによって仲介されたことが分かりました。決着するまで紆余曲折あったわけです。「本は一人称で書かれ、自分が言うのではない言い方で自分が考えていないことを言われるのは不可能です。」次章「形態と機能の入門書」では、ノグチが拘った遊び場に関する記述がありました。「自伝では遊び場をつくるには子どものように考えなければならないと述べている。『ぼくは遊び場を形態と機能の入門書と考えたい。単純で神秘的、そして想像力をかきたてる。したがって教育的でもある。』」このプロジェクトは建築家ルイス・カーンとの協働であってもなかなか実現せず、ノグチを苛立たせました。「ジェイコブスは、ノグチは最近日本で《子どもの国》と呼ばれる遊び場を完成したのに、自分の祖国では遊び場設計者としては『名誉のない預言者』であると指摘した。~略~コラボレーションについてカーン自身は楽観的な見方をしていた。『私は建築の言葉では語らなかった。ノグチは彫刻の言葉では語らなかった。私たちのどちらもが建物を地形の輪郭の一部としてとらえていた。しかも独立した輪郭ではなく、絡みあい、漂ったりしている輪郭の相互作用として。そしてそれは、建築を主張するものでも、彫刻を主張するものでもないことを願っていた』。」横浜にある「子どもの国」はノグチ設計による遊び場だったことを改めて認識しました。

15回目の個展をExhibitionにアップ

今夏、開催した15回目の個展をホームページのExhibitionにアップしました。Exhibitionでは、ギャラリーせいほうの展示空間をそのまま見ることができて、図録の撮影の時とは違った雰囲気があります。白い空間に彫刻を配置し、照明を当てると立体感が映えて我ながら美しいと感じます。Exhibitionの説明文に「命の蘇生」という月並みなコトバを使ってしまいました。本心を言えば、造形思考はそんなに短絡的ではないのですが、文章を簡単にまとめなければならず、都合のいい言い回しができなかったのが正直なところです。このExhibitionのいいところは過去の展覧会が全部見渡せられるところです。私自身はあの時はこんな思いで作っていたなぁとか、この年はこんな大きな事件事故があったなぁということが頭を過ります。東日本大震災、新型コロナウイルス感染症、母の死去など作品に影響を及ぼすことが多々あったことも事実です。造形思考を深化させたいと願っていても、表現の振り幅が大きくなり、あれもこれも欲張ってしまっていることも、作者にしか分からないことですが、確かにあります。連作にしようと始めた作品が、その後の展開が続かず休止していることも、その逆に自分の意向に反して連作になってしまっている作品もあって、私の造形計画と実施にはムラがあることも認めざるを得ません。Exhibitionを通して、いろいろなことが思い出されますが、15回も毎年継続してきたことだけは自分を褒めてもよいかなぁと思っているところです。