非道具的存在性における突飛な発想

「世界内存在の日常性には配慮的な気遣いの諸様態が属しているのであって、それらの諸様態は、世界内部的なものの世界適合性がそのさい現れ出てくるように、配慮的に気遣われた存在者を出会わせるのである。たとえば、まず最も身近に道具的に存在している存在者は、利用不可能なものとして、その特定の利用にはあつらえむきでないものとして、配慮的な気遣いのうちで遭遇されることがある。仕事の道具が損傷していることがわかったり、原料が不適当であったりすることがわかるような場合が、それである。そのさい道具はいずれにしても道具的に存在してはいる。しかし、利用不可能だと暴露されるのは、あれこれの固有性を眺めやりつつ確証するからではなく、使用しつつある交渉の配視によるのである。利用不可能だとそのように暴露されるときに、道具は目立ってくる。道具的に存在している道具が目立つようになるのは、或る種の非道具的存在性においてなのである。~略~この使用不可能なものは道具でありながら事物としておのれを示すのであって…~以下略~」些か長い引用になりましたが、「存在と時間Ⅰ」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)の中にあった文章です。道具が壊れて使い物にならない時にこそ道具の存在が明確に示されることが述べられていますが、自分はこれを読んでいるうちに突飛な発想が頭を過ぎりました。もちろんハイデガーの論考とは異なることは承知の上でシュルレアリスム的発想が芽生えたのです。道具の用途を転換し、道具の存在性だけを示した一連の作品、たとえばM・デュシャンのレディメイドやその他諸々の作品がそれです。存在論から発想するモノとして突飛なことが出てくるのは、それはそれで楽しいのかなぁとも思っています。

14’個展をHPのExhibitionにアップ

ギャラリーせいほうでの個展が今年で9回目になりました。例年7月の海の日から個展を企画していただいていますが、個展終了とともにその会場の様子をホームページにアップしています。今回は個展初日に懇意にしているカメラマンに撮影していただきました。画像で見るとギャラリーせいほうの白い空間がとても美しいと思います。1階に広い床面積をもち、道路に面した面はガラス張りになっている画廊は、他に類を見ないと言っていいほど素晴らしい環境です。工房で見る自分の作品とはまるで違って見えるほど作品が良く映えます。ホームページのExhibitionのページをクリックすると、第1回目から今回の9回目までの個展が一覧になっています。左にある案内状画像をクリックしていただくと、動画として楽しめるようになっています。ぜひ、ご高覧いただければ幸いです。なお、ホームページにはこのNOTE(ブログ)の左上にある本サイトをクリックすれば入れます。よろしくお願いいたします。

「保田龍門・春彦 往復書簡」読み始める

随分前に武蔵野美術大学出版局より購入しておいた「保田龍門・保田春彦 往復書簡1958ー1965」をやっと読み始めました。以前のNOTE(ブログ)に、携帯できない大きな書籍は職場に持ち込んで仕事の合間に読むという主旨のことを書きましたが、これがこの「往復書簡」のことで、大きさはA5版で厚みは3.5㎝ほどあります。手紙形式なので大変読みやすく、つい仕事そっちのけで読み耽ってしまうのが玉に瑕ですが、自分にとっては面白いものであることは間違いありません。自分も滞欧していた経験があるので、一層面白みがあるのかもしれません。保田先生は当時船旅でフランスのマルセーユに着いたようで、渡航に時間がかかったことが立ち寄った各国の港の感想によってよくわかります。指揮者小澤征爾氏が著した「音楽武者修行」にも同じような経験談が掲載されていたことを思い出しました。自分も渡航前に小澤征爾氏の同書を読んで、ヨーロッパで学ぶ意義を確かめていたのでした。保田龍門氏はご子息の春彦氏にフランスでの学ぶ意義をさまざまなカタチで授けていて、父が同業者である羨ましさを私は感じました。その反面難しいところもあるのでしょうが、それは当人でなければわからないものでしょう。職場で休憩時間に読むので時間はかかりますが、楽しみながら読んでいきたいと思います。自分の校務を忘れないようにしながら…。

優れた女流彫刻家を惜しむ

今日職場にあった新聞に彫刻家宮脇愛子さんが逝去された記事があり、とても残念に思いました。84歳は平均寿命からすれば致し方なしと思いますが、宮脇さんの爽快感のある作品からすると、年齢を感じさせない溌剌とした表現に溢れていて、作者はもうそんな年齢だったのかと改めて思い返した次第です。確か宮脇さんはギャラリーせいほうでも個展をされていました。「うつろひ」というステンレスワイヤを使った軽やかで緊張感のある野外作品は、いろいろな国で展示され、自分も各地の美術館にある野外展示を見ています。宮脇さんと同じように優れた表現力をもった女流彫刻家に多田美波さんがいました。多田さんも今年の3月に89歳で逝去されていて、その時も残念に思いました。多田さんは彫刻の森美術館で大きな展覧会をされていて、自分はそれを見た後で多田ワールドの印象に囚われていたので尚更強く無念を感じたのでした。宮脇さんや多田さんは自分にとって憧れの現代彫刻家でした。ステンレスという現代の素材を駆使して都市空間に躍り出た作品は、軽快で切れ味が鋭く、しかも堅牢な造形に支えられたものでした。素材は違えど自分も生涯を通して彫刻表現の何たるかを思索し、実践していきたいと思っています。

週末 成形と加飾

昨日に続き工房で制作に没頭しました。まだまだ工房内は暑く、額に汗が滴り、晩夏の火照りを感じています。制作がやり易くなるのはいつのことになるのでしょうか。シャツや頭に巻いた手ぬぐいを何回か替えて、大きなペットボトルから水をガブガブ飲みました。新作の成形は2つ目になりました。さらに成形をしようとしたところで思い留まりました。自分の陶彫は基本形態(成形)と表面の彫り込み(加飾)で成り立っています。完全なる立体と浮き彫りが合わさって陶彫部品を形成します。浮き彫りを施す時は、立体全体を見ながら、その立体に相応しい彫り込みをしていきます。基本形態(成形)と表面の彫り込み(加飾)がバラバラにならないよう一体感の中で作ろうとしているのです。しかも集合彫刻なので、さらに大きな全体をイメージしなければならず、そのため成形も加飾も気儘に作れない条件があると言っても過言ではありません。新作を始めるにあたって、まず陶彫部品を一つ作ってイメージの確認を行います。そんなことで今日は昨日成形したものに彫り込み加飾をやって見ることにしました。どんどん先へ成形を進めるより、まず最初の1点だけを成形・加飾をやってみるというのが得策です。今なら作り始めの時期なので、いくらでもやり直しができます。加飾の具合を見て、今日は作業を終えました。やり直しなら計画変更で、今日はとことんやるつもりでしたが、一応満足ということで作業を早めに切り上げたのです。また来週。成形した2点をビニールに包んで工房を後にしました。

週末 新作の成形第1号

週末になり、朝から工房で制作三昧になりました。先週土練りをしていたので、今日はタタラを作りながら、まず成形の第一歩を踏み出しました。陶彫で作る塔の土台部分です。成形中に何とかなりそうだと思い、これが成功すれば今後10個程度の土台の成形を行うつもりでいます。新作ではこの塔の土台が成形部品としては一番大きなものになります。ニョキニョキと塔が点在する心象風景へ向けて、駒を一つ進めたことになり、これは期待できると実感しました。逸る気持ちを抑えながら、今日のところは第1号が出来たところで作業を終えました。いつの場合も成形第1号は慎重になります。新作は毎年のことながら、半分は楽しみであり、もう半分はイメージ通りになるかどうか不安に駆られています。不安を払拭する第一歩が成形第1号なのです。不安は次々にやってきますが、その都度試行を繰り返し、不安を取り除いていきます。気持ちが折れてしまいそうな時もやってきます。自分を追い込んでギリギリのところでイメージに叶う解決を見つけた時は、嬉しくなります。気持ちの上で天国と地獄が畳み込むようにやってくるのです。そういう意味で創作は楽ではありません。自分の精神のカタチを具現化しているのですから、四苦八苦するのも無理はないかなぁと思います。新作は来年5月の図録撮影日がゴールです。頑張り続けて、自分自身を突き抜けていく世界を創ろうと思います。

まだ終わらない夏

空が澄んで浮かんでいる雲に秋を感じるのに、この暑さはどうだ、と言わんばかりの30度超えの毎日です。涼しくなるのは一体いつなんだと思いながら、まだ終わらない夏を楽しんでいます。過ぎゆく夏に感傷を覚えることはありませんが、涼しさが立ち込めると俄かに気分が変わってくるのかもしれません。夏気分を味わうのは年齢と共に薄くなっていくようです。高校時代は学校が海の近くにあったため、よく夏は友達と連れ立って海に出かけました。ガールフレンドがいる友達を羨ましがったり、怠惰に過ごした時間を悔やんだりしました。夏空を白い雲が流れていくのをボンヤリと眺めていたことは今でも覚えていて、たまに充実した時間帯があったと思うけれど、それを思い出せないのが何とも不思議です。せっかちに動いていたことは暫くすると忘れてしまうのかもしれません。夏は何もしないで過ごす、そんなことが贅沢に感じられるのは、現在の自分がかなり切迫した状況を抱えて右往左往していることが見て取れて、これでは何も記憶に残らないなぁと思っています。現に職場での地位は上がり、作品は確実に増えてゆくのに、ひとつ仕事が終わってしまうと記憶から忽ち抹消されてしまう、そんな思いに駆られました。作品を作っている時の無我夢中さも苦しさも、それがどの作品のどんな場面だったかは思い出せません。ずっと夢中で苦しかったことはありますが、作品ごとの苦闘は忘却の彼方にあります。まだ終わらない夏、たまには空を見上げて過ごしてみようかなと思うこの頃です。

個展礼状の打ち合わせ

今日の夜7時に懇意にしているカメラマン2人が自宅にやってきました。個展に来ていただいた方々に出すお礼状の画像を選ぶためです。このお礼状も自分にとって大切なもので、芳名帳を見ながら一人ずつ確認していきます。住所が書かれていない方は、まことに失礼ながらお礼状を出せませんが、知人友人には必ず出したいと思っています。お礼状に「また来年も個展を開催…」という一文が入れられることが自分には幸せなことで、画廊主が来年の個展開催を了承してくれなければ、この一文は入れられません。また来年…この一文はずっしり重いもので、このために自分はモチベーションを保ちつつ頑張っているのです。カメラマンとの打ち合わせはホームページの内容にも話が進みました。RECORDの撮影、陶彫の今後の野外撮影について等、自分にしてみればもうひとつの世界を形成する重要な表現手段です。作品のデジタル化には大分慣れてきましたが、今も新鮮な驚きがあります。ウェブ・アーティストがいるくらいなので、表現媒体としては当たり前なものになっている昨今ですが、日頃実材に立ち向かってる自分にとっては不思議で魅惑的な世界であることに変わりはありません。

「存在と時間」における現象学

現象学とは、いかなる先入観、形而上的独断にも囚われずに存在者に接近する方法を示唆する哲学で、いろいろ調べていくと現象学で有名な哲学者フッサールの前段階で、ヘーゲルが弁証法的現象学を唱えていることがわかりました。フッサールは超越論的現象学を唱え、存在に対する独自な哲学を展開しています。自分はフッサールを読んだことがないので、現象学の何たるかを咀嚼して説明をすることは出来ませんが、現在読んでいる「存在と時間Ⅰ」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)にフッサールとの関連が多く出てきます。それもそのはずでフッサールがフライブルグ大学において現象学の研究に打ち込んでいた時期に、多くの後継者を育成したようです。その第一人者がハイデガーで、ハイデガーの手により現象学の存在論的な発展が推し進められました。ハイデガーは実存的な人間存在である「現存在」の存在体制としての「世界内存在」構造を分析し、大著「存在と時間」が生まれるに至ったと言えます。同書より現象学に関する一文を引用します。「現象学は~略~おのれを示す当のものを、そのものがおのれをおのれ自身のほうから示すとおりに、おのれ自身のほうから見えるようにさせるということにほかならない。」ハイデガーはこうした現象学の概念を通して「現存在」の存在としての意味の真相を突きとめました。これは解釈学的現象学というハイデガーが唱えた現象学で、フッサールのそれとは一線を引いたものになっています。

「存在と時間Ⅰ」起論動機

既に読み始めている「存在と時間Ⅰ」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)は、手応えのある哲学書であることは承知していましたが、実際に読んでみると、存在の意味を問う我々自身の存在をまず考察するところから始まっていて、存在そのものを根本から捉え直す論理に奥深く付き合わなければならないことで、まず語彙の意味するものと同時に既成概念が剥ぎ取られる面白さを感じます。「存在と時間」の起論動機はプラトンのこんな言葉から始まっています。「…トイウノハ、君タチガ『存在スル』トイウ言葉ヲ使ウトキ、イッタイ君タチハ何ヲ意味スルツモリナノカ、以前ニハソレヲワカッテイルト信ジテイタイノニ、イマデハ困惑ニオチイッテイルノダ。…」(プラトン著「ソフィステース」)それに続くハイデガーの言葉です。「いったいわれわれは『存在する』という言葉で何を意味するつもりなのか、この問いに対して、われわれは今日なんらかの答えをもっているのであろうか。断じて否。だからこそ、存在の意味への問いをあらためて設定することが、肝要なのである。」というのがハイデガーにして「存在と時間」を書かせた動機です。「存在」という概説としてわかっていても、究極的には何もわかっていないものを根本から問い直し、論考していくのが本書です。起論意図となる概観を述べた序論を現時点で読み終わり、今は現存在の学的解釈と時間の究明という枝葉的で詳細な論考に入っています。最後の頂まで辿り着けるのか些か不安を抱きながら、大きな山を見上げて麓あたりを一歩ずつ登っていく感覚です。

通常の生活に戻る

今年の夏季休暇が終わり、通常の生活に戻りました。まだ職場では休暇を取っている職員もいて、万全の態勢とはいきませんが、書類の整理もぼちぼち始めました。明日から出張も組まれていて、そろそろ通常の仕事に戻らなければなりません。今日は勤務後に工房に立ち寄りました。昨日までやっていた土練りの保存具合の確認と石膏型の修整をしました。こちらの方も通常の制作態勢に入りましたが、工房は夕方でもまだまだ暑く、仕事帰りに制作するのはまだ無理そうです。夜は、久しぶりに近隣にあるスポーツ施設に行って水泳をやってきました。蓄積疲労がないため呼吸は楽に出来ましたが、身体が鈍っていて手足を動かすことがスムーズに出来にくくなっているのがショックでした。定期的に泳げれば身体のためには理想と思いますが、仕事が多忙化するとそういうわけにはいかず、身体を省みない生活が続いてしまいます。このところ土練りで肩から腕にかけて筋肉痛です。それを緩和するために水泳をしてきたのですが、逆に腹筋や背筋の衰えがわかって、これはどうにかしないと大変と思いました。自分は筋トレなどやったこともなく、全て水泳頼りで、今までは全身を使って精一杯泳いでいたのですが、今日はそんな泳ぎすら出来ず、身体作りを初めからやり直そうと思いました。

週末 今日も土練り続行

朝晩の暑さが変わってきたように思います。日中は30度を超える暑さになりますが、朝晩は秋めいた感じがします。その分陽射しが強く、屋根に照りつけた陽射しで、工房内は熱気が篭っているようです。大型扇風機2台を回していますが、位置を移動して室内の熱気を外へ逃がそうとしています。そんな中で土練りを昨日から続けています。自分が使う陶土は単身ではありません。割合を決めて混ぜています。自分の陶土は焼き締めた時に、錆鉄のようでいて、古代の出土品のような風合いが出てきます。釉薬を使わないので素焼きを省略し、いきなり本焼きを行います。その陶土を成形前に大量に作っておく必要があるのです。土錬機に数回陶土を入れて丹念に練り上げ、さらに手で菊練りをして、小分けにしてビニール袋に梱包しておきます。2日間土練りをして作った陶土は、陶彫部品の2つや3つ分に過ぎません。土練りはその都度行うのです。今回の土練りは新作第一作目の陶彫部品になります。今日も相変わらず汗をかきながら、汗でびっしょりになったシャツを何枚も替えながら作業をしました。朝9時から夕方3時までの6時間が限界で、よくもこれだけ汗が出るものだなぁと思います。自宅に戻ると疲れが出て、ソファに横になると忽ち1時間ほど眠ってしまいます。ともかく初めの土練りは終わり、成形準備が出来ました。次回から成形に入ります。

週末 土練り再開

久しぶりの制作三昧です。カンボジア旅行前に土を砕いて水を打っておいた陶土を手で練り直し、別の陶土と一緒に土練機に入れて、再度手で菊練りを繰り返す作業をしました。早く自分の陶土を作りたいという一念で、汗をかきながらの労働でした。果たして思い描くイメージ通りになるのか、まず陶彫部品を1点作ってみなければ始まらないのです。今回の陶彫部品には、5月以降作っている各サイズの石膏型と、従来のタタラや紐作りの併用を考えていて、これは初めての試みになります。石膏型、タタラ、紐の異なる成形方法が一つの部品に混在するので、乾燥の度合いも微妙かなぁと想定しつつ、兎に角こればかりはやってみないとわからないと思っています。駄目なら計画を見直し、初めから考え直していきます。今日は若いスタッフが2人来ていて、それぞれの課題をやっていました。カンボジアも暑かったけれど、相原工房も負けずに暑い、そんな感想を持ちながら作業に集中していました。

今夏の読書状況

毎年夏は読書に勤しむことを自分に課していますが、今夏はあまり進んでいません。カンボジアに行ったときは読み始めて間もない哲学書を持参しました。マルティン・ハイデガー著「存在と時間」です。往復の飛行時間を考えて、きっとしっかり読めると思っていたのですが、飛行機に慣れない自分は、同書を開いても内容が頭に入らず、結局鞄の中に入れたまま持ち帰ってきました。通勤の時は読んでいるのに、何故飛行機は駄目だったのか、年に1回程度しか利用しない空路では、気分が落ち着かなかったのかもしれません。普段携帯できる書籍は鞄に入れていますが、今夏から重厚で大きな書籍は職場に持ってきています。仕事の気分転換に頁を捲る時があって、これは自宅で読むよりいいと思っています。思えば昔は8月末までに数冊読破を目標にしていました。これは学生時代からの癖になっているのですが、今は箍が緩んでとても読破は出来ません。ダラダラと読んでしまうので、どんなに時間があっても読むペースを変えることはせず、長い時間をかけてしまいます。哲学書を敢えて読んでいるのはダラダラ病に活を入れるためで、哲学という学問はぼんやり読んでいると一向に論理が頭に入ってきません。自分で刺激を与えて脳の活性化を図りたいと願っているのです。

ゴジラ世代の「GODZILLA」

今日は勤務の後、職場近くのTOHOシネマズに立ち寄り、米国版「GODZILLA」を観てきました。自分は50歳を超えているので1100円で映画を楽しむことが出来るのです。映画は本当に久しぶりでした。まだまだ盆休みの気分を楽しみたいので娯楽映画を選びました。私はゴジラ世代です。ゴジラ第一作が封切られた1954年には生まれていませんが、私は小学生時代にはゴジラ映画の虜になっていました。ゴジラが単純な怪獣対戦映画でないことを知ったのは、おそらく高校生の頃です。水爆実験に警鐘を鳴らす存在として、当時としては驚くべき特撮を駆使して、初代ゴジラが誕生したのです。その頃、ゴジラ第一作が再放送されたテレビでVHSに録画して繰り返し観ました。そんな思いをもって新作「GODZILLA」を観てきました。米国版のスペクタクルの素晴らしさに圧倒されましたが、映像技術は賛美出来ても、若干腑に落ちない箇所もありました。当時のビキニ実験は実はGODZILLAを倒すためだった?という台詞です。米国側の正当化とも取れる台詞で、被爆した多くの人たちにとってはやりきれない思いではないでしょうか。GODZILLAが自然とのバランスをとるために現れたと言うならば、なぜ核を使う設定にしたのか、「GODZILLA」というタイトルにも関わらず敵対する怪獣ムートーの方に時間を多く割いているのは何故なのか、くどくど考え出すとキリがないのでやめますが、社会性を盛り込むのであれば、さまざまな人的災害の現象ばかりを追わずに、何か一つ納得できるテーマに縛った方が良かったのではないかと思えます。娯楽を楽しみたい自分にとってちょっと引っかかる箇所が多かった映画だったと思いました。

8月RECORD「悠久なる祈りの鎮座」

今月のRECORDのテーマは、カンボジアのアンコール遺跡群を訪ねる機会を中心に据えたコトバを考えました。実際にカンボジアに出かけたのが7日からなので、今までのRECORDが5日間でカタチが展開していく方法をとっているため、今月は1日から10日までをテーマ性のある抽象とし、11日からアンコール遺跡群の資料を参考にした作品にしていきます。カンボジアではその日のうちにホテルでRECORDを描くことを理想としていましたが、印象が生っぽくてまとめられず、結局帰国してから制作することにしました。その場でのスケッチも考えましたが、旅行日程を見て時間的に無理があるためスケッチも諦めました。自分は旅先でRECORD用紙にスケッチしながら風景描写を楽しむ連作があってもいいと考えていて、いずれ機会があればやりたいと思います。アンコール遺跡群の具体的な景観を、自作の彫刻にするにはなかなか難しいものがあり、記憶を留めるための方法としてRECORDはちょうどいい表現手段と考えています。今月も頑張って制作していきます。

遺跡を心に刻み込んで…

アンコール遺跡群の観光から帰ってきて一日が経ちました。自分には創作行為に繋げる強い目的があったため、周遊中は疲れを知らない心身になっていましたが、今日は疲れが出ました。今日は夏季休暇最後の一日でしたが、工房に行く気にならず、自宅で寝たり起きたりして過ごしてしまいました。遺跡を心に刻み込んで、今日はそれを消化している過程と自分に言い聞かせて陶彫制作を休みました。遺跡を心に刻み込んで…とはいうものの咀嚼されたイメージとして出てくるのはいつになるかわかりません。具体的なものはないと言えます。一日1点制作を課しているRECORDは実際のアンコール遺跡群からイメージを拾ってきます。さっそく写真を使って小作品を作り始めました。彫刻はそう簡単なものではなく、アンコール遺跡群が頭に残っているうちは彫刻になりません。具体的な景観が消えたら、まるで何か別な造形イメージとして出てくるのではないかと思えるのです。それでも遺跡群を実際に見て、そこに触れ、頂上に登り、空気や雰囲気を味わったことは大きいと思います。疲れがとれたら工房に行って制作再開です。

カンボジア旅行雑感

今日はカンボジアから東京に帰る日です。シェリムアップからベトナムのホーチミン空港を経て成田へ帰ります。アンコール遺跡群を訪ねて、自分の創作イメージに与える影響は計り知れないものがありましたが、カンボジアの社会はまだまだ発展途上で、自分が幼い頃の日本を見ているような錯覚を持ちました。チャーターしたマイクロバスの車窓から見える人々の暮らしに貧しさと共に生きる逞しさを感じましたが、その一方で痩せこけた牛を使って稲を植える家族、露天で土産を売る子供たち、市場で恵みを欲しがる母と幼子などが眼に焼きつきました。日本や他国の援助で作られた施設や産業への指導、また現在の建物ラッシュにこれからのカンボジアの活路を見る思いもしました。遺跡に関して言えば、ポルポト政権時の影響で修復が中断し、再開するにしては当時の資料がなくなっていて遅々として進まない現状も見ました。遺跡の周辺に置かれた番号付きの原石の量は夥しく、これをパズルのように組み立てるには大変な労力を要すること、日本製の重機が活躍していることも印象に残りました。伝統工芸学校は観光用になっていましたが、木彫や石彫の工房では職人たちが鑿や鏨を使ってコツコツと作業に勤しんでいました。土産用の仏像や浮き彫りを彫る姿が、自分の陶彫制作の姿とも重なって良い刺激をもらいました。それにしても今回は雨季とは言え、遺跡巡り全体を通して天候に恵まれ、猛暑の中を歩き回りました。アンコール遺跡群の観光は、場所によっては足場の悪い所や危険な所も多く、足腰の丈夫なうちに限ると思いました。このNOTE(ブログ)を読まれている方で、アンコール遺跡群に興味があれば、元気なうちに行くことをお勧めします。

アンコール遺跡群 その3

アンコール遺跡群の中で自分が一番見たい寺院は、今日訪れたタ・ブロム寺院でした。大きな樹木に覆われた寺院で、その根が建造物に絡まり、人工と自然が織り成す独特の景観を見てみたかったのです。タ・ブロム寺院は想像通りの悠久の時を刻んだ遺跡で、スポアンという巨大な樹木が根を張って遺跡全体を覆っていました。一幅の絵画を見ているようで、観光スポットとしては人気がある所でした。寺院は般若波羅蜜多像を祀ったもので、修復は最小限にしてあるようです。ガジュマルの近縁種が網の目状に遺跡を覆っている箇所もありました。まさに創造意欲を掻き立てられる景観で、長く滞在してスケッチしたいと思いました。次に訪れたタ・ケウは碧玉の塔という意味を持つ遺跡で、装飾がなく大きな石材が積み上げられたままの景観でした。上に昇る階段の段差が大きく急勾配でしたが、登山の好きな自分は家内を残して登ってみることにしました。頂上からの眺めはたいしたことはなかったものの、密林の中に佇む寺院を満喫しました。最後に訪れたスラ・スランは王や高僧が沐浴するために作らせた池で、現在は市民の憩いの場所になっているようです。空港に向かう前に現地ガイドの提案でオールドマーケット散策と伝統工芸学校見学がありました。土産購入の算段であったらしく、いろいろな店に連れていかれましたが、なかなかそこでお金を使うこと出来ず、職場の人たちに僅かな土産を購入したに過ぎません。今回のアンコール遺跡周遊では、創作的な趣向の他にさまざまな情報が入ってきました。遺跡修復がなかなか進まない理由やカンボジアの社会全体に関わる諸問題など考え始めたら収拾がつかなくなります。改めて社会問題で感じたことは書こうと思います。

アンコール遺跡群 その2

今日は内容の濃い一日になりました。現地ガイドの機転で観光客で混む前の城壁都市アンコール・トムを見学することになり、朝8時にはホテルを出ました。アンコール・トムとは大きな都という意味で南大門、北門、勝利の門、死者の門、西門に囲まれて、中央にはバイヨン寺院が位置しています。南大門に到着したときに眼についたのは観光用移動手段の象でした。南大門に架かる橋には野猿がいました。ここの建造物には四方に尊顔が彫り込まれていることが特徴で、中央にあるバイヨン寺院には16体ある塔堂のうちのひとつにクメールの微笑と称する尊顔があり、多くの観光客が写真を撮っていました。尊顔にはデーヴァ型である男性、デヴァダー型である女性、アスラ型である悪魔があるようで、注意深く見ていくと楽しめると思いました。バイヨン寺院で印象的だったのは、回廊一面に広がる浮き彫りの見事さでした。これは庶民の生活を表現したものだそうで、戦争を初め日常生活に関することを一つひとつ見ていくと幾ら時間があっても足りません。魚や動物、樹木の象徴化が面白くて、創作欲が刺激されました。その後はバプーオン、ピミアナカス、ライ王のテラス、象のテラスを見て回りました。バプーオンはシバを祀る寺院、ピミアナカスは三層ピラミット型寺院、ライ王のテラスではライ病患者であった王に纏わるもので、とくに印象的だったのは曲がりくねった二重の壁にびっしり浮き彫りされた神々でした。ホテルのあるシェリムアップに戻って飲茶で昼食をとり、午後は水上生活を見にトンレサップ湖に出かけました。トンレサップ湖は琵琶湖の16倍で瓢箪型をしていて、クメール語で淡水湖と川という意味だそうです。雨季と乾季で水位が違い、ベトナム付近のメコン川からの逆流もあるようです。水上に浮かぶ家々は町を形作り、小学校やデパートもありました。午後3時になって漸く世界遺産のアンコールワットに出かけました。昨日は夜明け前に見ていたアンコールワットでしたが、内部に入ると浮き彫りの細かさ、雄大さに眼を奪われました。バイヨン寺院の浮き彫りと異なるのはアンコールワットは全て神話がテーマになっているところです。多くのデヴァダー(女神)にも出会いました。浮き彫りが光っていた箇所は拓本にとられ、土産品として大量に売られたのだそうで、知り合いもそんな土産品を持っていたなぁと思い出しました。アンコールワットを堪能した後、ココナッツ椰子に穴を空けてストローを挿した生ジュースを飲みました。生水が飲めないカンボジアでとても潤ったひと時でした。伝統芸能の影絵を見ながら夕食をとりました。コメディだったのに言葉がわからず笑うことが出来ませんでした。夜はナイトバザールに繰り出しました。値切る面白さを堪能しながら過ごしました。影絵に使う原型を家内が粘りに粘って半分近くまで値切ったのが収穫でした。

アンコール遺跡群 その1

アンコール遺跡群に近いシェムリアップのホテルに宿泊し、カンボジア人の現地ガイドに遺跡見学の案内をお願いしました。現地ガイドの提案でアンコールワットに昇る朝日を見ることにしました。早朝5時にホテルを出発、夜明け前のアンコールワットに到着しました。正面から眺めるアンコールワットのシルエット、遺跡の後方から後光が射すように昇る太陽に暫し見とれてしまいました。遺跡は自分が思っていたより巨大でした。朝は神秘的な空気が漂い、やがて日差しが苔むして黒くなった砂岩を浮かび上がらせました。ホテルに戻って朝食を済ませた後、クメール王朝最古のロリュオス遺跡群の見学に出かけました。カンボジアは雨季を迎えていますが、今日は夏雲が広がる晴天になり、強い日差しの中をバコン、プリアコー、ロレイの3箇所の遺跡を見て回りました。9世紀から10世紀に建ったもので、レンガ作りの祠堂は崩れかけ、修復には相当な時間がかかりそうだと実感しました。参堂にはナーガという複数の頭を持つ蛇をモチーフにした石の欄干がありました。祠堂の前にはシンハという石作りの獅子を模した守護神がいましたが、いずれも欠損していました。バコンはピラミット型寺院としては最古だそうです。またプリヤコーでは蛇を食う半人半鳥のガルーダや門衛神ドヴァラパーラの浮き彫りが印象的でした。昼食はクメール料理を味わい、午後からはバンテアイクデイ、東メボン、ブラサートクラヴァンを見て回りました。バンテアイクデイは小部屋(僧房)のある砦を意味するそうです。上智大学遺跡調査団が入っていて紹介看板がありました。女神を意味するデヴァダーの浮き彫りが印象的で、観光ガイドに東洋のモナリザという異名の掲載がありました。夕方になってプレループ遺跡に登りました。ここは夕日鑑賞が定番だそうで、多くの観光客が日が暮れるのを遺跡の頂上で待っていました。太陽が西に沈む頃まで頂上で過ごし、夜になってシェムリアップに戻ってきました。夕食は宮廷舞踊を見ながら味い、盛りだくさんのプログラムを無我夢中で走りぬけた感覚を持ちました。

今日から夏季休暇です。

今日は早朝4時にNOTE(ブログ)にアップします。今日から夏季休暇を取ります。カンボジアのアンコール遺跡を訪ねます。昨年は長崎県の軍艦島、今年はアンコール遺跡群、というように最近は自作のイメージに繋がるような鑑賞スポットを選んでいます。陶彫による集合彫刻を作っている自分は、焼成によって錆鉄のような重厚な素材感が現れてくるのを楽しんでいます。出土品のようだと評論家に指摘されることもあります。そこに住居を感じ取っていただく鑑賞者もいます。自分のねらいとするところは遺跡や残骸の持つ空虚さや、それでもなお存在する物質の空気感を表現したいことです。それは現実に存在する都市の残骸や遺跡の場所を訪ねることによって自己表現への確認に繋がります。実際にこの眼で見る遺跡は、自分の表現など吹き飛んでしまいそうな存在感を示しますが、高温焼成された自作の陶彫もまた未来永劫残っていくものと信じ、現在の時代を遺跡化するとなれば、どんなものになるだろうという自分の内面を見つめることにしています。欠損した都市の思いがけない空間、人々がそこに生きた証、幾星霜が過ぎ、風化し地球の一部となった素材等々、遺跡にはコトバにできないものが眠っているように思えます。ともあれ今日から来週月曜日までの旅程でアンコール遺跡群を見てきます。

「サン=ラザール駅」

昨日のNOTE(ブログ)の続きです。「オルセー美術館展」で注目した作品に「サン=ラザール駅」があります。画家クロード・モネが1877年に描いた油彩です。雰囲気というコトバは、実態があるようでいて曖昧であり、でもその空気を纏っている状況を意味しています。雰囲気に惑わされないように本質を掴めと、学校の技術修得の実習では教わりますが、雰囲気というコトバはそれでも気になるコトバで、作品構成要素の大きなひとつではないかと自分なりに思っているところです。「サン=ラザール駅」はその雰囲気をまず第一に鑑賞する絵画だと感じます。モネは晩年になって睡蓮の連作を大きなスケールで描きました。これはモネが水面描写に心血を注いでいて、睡蓮を媒体にして水の雰囲気を描いていると自分は感じています。「サン=ラザール駅」はどうかと言えば、空気を描いていると感じます。画面に近づくと何が描いてあるのかよくわかりません。遠くで見ると鉄筋で作られた駅舎と発着する機関車の姿が俄かに見えてきます。都市生活の始まりと言うか、新素材による都市景観を機関車が吐く煙に包んで表現しています。都市の工業化に詩情を求めて描いた傑作と言えるでしょう。印象派は、画室に篭って神話を題材にして美しい女性像を描いていた当時の画家に比べると、眼の前に広がるリアルを追求した運動とも言えます。この曖昧模糊としたモネの絵画もリアルな空気を纏っています。視覚芸術の価値が時代と共に変わっていくのを、雰囲気で感じ取ることができると思いました。

「床に鉋をかける人々」

先日見に行った国立新美術館で開催中の「オルセー美術館展」。全体的な感想はNOTE(ブログ)に既に書いてありますが、いくつかの作品が気になっていたので、改めて個々の作品を取り上げてみたいと思います。表題にした「床に鉋をかける人々」はギュスターヴ・カイユボットが1875年に描いた油彩で、3人の筋骨逞しい労働者が上半身裸で、床に鉋をかけている場面を俯瞰的に表した作品です。以前ブリジストン美術館で「カイユボット展」がありました。その時は「床に鉋をかける人々」の出品はなく残念に思っていましたが、今回はオリジナルを見ることが出来て満足感を覚えました。自分はどこかの図版で「床に鉋をかける人々」を見ていて不思議に惹きつけられたのでした。光の美しさ、遠近感の奇抜さ、それでいて日常の労働に見られる仕草等々、何が自分の感情の襞に引っかかったのかうまく説明できませんが、自分の印象に残る絵画のひとつであることには間違いありません。オリジナルが見れたという嬉しさは、それだけでここに来てよかったと思えるもので、他の歴史に残る名作の数々は単に確認するだけなのに、自分の記憶に留めていた作品との遭遇は、自分の内面に問いかける契機になって、嗜好による自己発見になります。嗜好は自分にとって至高であり、思考でもあります。当時のヨーロッパ絵画のテーマが日常の出来事に向けられつつあったという背景を踏まえながら、自分はオリジナルの前で何も考えずに「床に鉋をかける人々」に見入っていました。

「魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展」

自分の個展が開催された先月中旬に、ギャラリーのある東京銀座に行く前に六本木に立ち寄り、国立新美術館で開催されている「魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展」を見てきました。職場においてあった新聞の記事で知り、面白そうと思ったのが展覧会に行く契機になりました。バレエ・リュスはロシアのバレエ団で、セルゲイ・ディアギレフによって20世紀初頭に結成され、多くの芸術家が関わり、一国を超えた文化の発信となったようです。展覧会場はオープンスペースの空間を確保し、全体的に暗くしてありました。それぞれの衣裳に照明があたって、布に施した刺繍や染め抜いた色彩が大変美しく、またデザインの斬新さが眼に焼きつきました。衣裳がこれほど面白いとは思っても見ませんでした。バレエによっては衣裳をシンプルにして、身体動作を際立たせる方法がありますが、今回展示されていた衣裳は、衣裳だけで鑑賞できるものばかりで、美術的な要素の濃いものでした。舞台装置に興味のある自分にとっては嬉しい企画でした。キュビズムのブラックや未来派のデ・キリコ、フォービズムのマチスやドラン、シュルレアリスムのマッソンらがデザイナーとして参加しているのも興味深いものでした。

週末 土を砕いて水を打つ

今日は朝から工房に行きました。気温は33度ですが、工房内の気温はそれ以上かもしれません。思っていた通り、放置した陶土20キロくらいが乾燥しかけていて、細かく砕いて水を打つ作業を行いました。新作陶彫の下準備です。土錬機も回してみました。分解掃除までは必要ないかなぁと思いつつ、これから始まる土練り作業は肉体労働の第一歩として覚悟を決めました。それにしても工房は蒸し暑く忽ち汗が滴り落ちました。上着を何枚か替えて水分の補給を行いました。今日の工房には若いスタッフが2名来ていました。それぞれ課題をやっていましたが、お互い熱中症にならないように声を掛け合いながら作業を進めました。昼にはスタッフ2名と私で近くのファミリーレストランに避暑昼食に行きました。エアコンの効いたレストランでランチメニューを注文しながら、暫し歓談し、午後の作業に向けて英気を養いました。夕方まで作業をしたところで、疲れ果てたスタッフをそれぞれの家まで車で送ることにしました。朝8時から午後3時過ぎまで、よく集中できたと思います。夏季休暇前に制作の下準備をしたことで、いよいよ次回から新作の陶彫制作に入ります。

週末 夏季休暇の準備

来週は夏季休暇を飛び石で取ります。木曜日からカンボジアに出かけるので、今日は旅行グッズを家内と買いに出かけました。昨日から横浜市管理職の宿泊研修があって、午後に自宅に戻ってきましたが、どうやら疲れも出て、工房に行く気が起きず、結局気軽なショッピングで時間を過ごしました。年齢のせいと思うのは癪ですが、何か一つの行事が終わると、疲れが出るのはやっぱり年齢のせいかなぁと思っているところです。一方で工房に置きっ放しにしてある陶土が気になっています。ビニールで包んでありますが、この暑さで陶土内の水分がなくなっている可能性があります。細かく砕いて水を打って、再度梱包しておく必要を感じています。RECORDも気になっています。今月は旅行があるので、それに纏わるテーマを考えています。ともかく明日は工房に行って陶土の様子を見てこようと思っています。

イメージ力をつける8月に…

8月になりました。先月の個展も無事に終わって、いよいよ新作に邁進する時がきました。新作の作業は既に始まっていますが、全体イメージの細部は朧気なままです。自分は20代終わりに数ヶ月旅したギリシャやトルコに残るヘレニズム時代の遺跡が、創作イメージの原点になっています。そこから30年以上歳月が流れて、作品は独自な展開をしてきました。廃墟が発想の土台になっている方向は変わらず、昨年も長崎県の軍艦島に行ってイメージ力を高めてきました。今月はカンボジアのアンコール遺跡群を訪ねます。廃墟好きにとっては格好な場所と思っています。直接的な印象はRECORDにして表し、間接的には彫刻に反映されるものと願っています。定年になれば再び世界に繰り出し、イメージ力をつけてこようと考えていますが、現在は夏季休暇を利用するしかありません。陶彫による塔が群になって点在する新作においては、公務員としての勤務時間と彫刻家としての制作時間の鬩ぎ合いで、例年通り厳しい状況になることが予想されます。夏季休暇も制作していたい気分ですが、イメージ力をつけるために外部刺激は有効で、この際思い切って海外の遺跡群を眼に焼きつけてこようと決めました。今月も充実した1ヶ月にしていきたいと思います。

六本木の「オルセー美術館展」

先日、自分の個展開催中に東京六本木まで行って、国立新美術館で開催している「オルセー美術館展」を見てきました。同展は連日賑わっているようで、館内は多くの人たちが名作の前で熱心に鑑賞していました。思えば自分が渡欧した時には、オルセー美術館はまだ出来ていなくて、オルセー駅の解体工事が進められていました。現在来日している作品はほとんどが印象派美術館にあり、マネの「笛を吹く少年」も自分は印象派美術館で見た記憶があります。30年ぶりに対面した絵画群は、思い出に浸ると言うより新しい印象を自分に残してくれました。20代の自分と50代の自分の認識の差異を感じることが出来ました。20代の頃、印象派は自分の中で退屈に感じられて、それでもオリジナルを見て、その筆致の勢いに打たれた記憶が残っています。50代の今は印象派の歴史的役割を理解した上で、リアルな表現追求の格闘を見る思いが頭を過ぎります。当時のサロンに出品されていた多くの絵画が、表面的美しさを技巧的にまとめあげることに終始して、耽美に流れた緩慢な傾向があったことは否めません。そこに現れた印象派の生き生きした表現は、粗雑に見えた故に、または現実性のあるテーマ故に非難され、無視されたであろうことは当時に詳しくなくても容易に理解できます。そんな当時の革新的絵画が今目の前にあります。歴史が価値を認め、印象派絵画としての美しさを堪能する大勢の鑑賞者に恵まれている現状を見るにつけ、現代美術も新しい価値を与え続けているところですが、同展のような賑わいはありません。自分も表現者の端くれとして、そんな思いを抱きました。    

今夏はハイデガーに挑む

また哲学書読破に臨みます。今までニーチェやショーペンハウワーの代表作を読んできましたが、マルティン・ハイデガー著「存在と時間」を今夏から読み始めます。他界した叔父量義治はカント哲学者でした。自分はそのうちカントに辿り着きたいと思っています。哲学はモノの本質を突き詰めて、そこから世界はどう成り立っているのかを、あれこれ論考する学問です。叔父が生涯付き合ったカントはその最たる哲学者で、自分がカント哲学の扉に立ったとき、その語彙の難解さ、理論体系の膨大さに腰が砕け、数行読んだだけで諦めてしまった経緯があります。哲学書を読むには覚悟が必要と感じた瞬間でした。ハイデガーの「存在と時間」はよく美術評論に引用されていて、自分が彫刻を極めようとするとモノの存在の存在たる所以を突き止めていく必要があり、そこでハイデガーに注目したと言っても過言ではありません。よし、今夏はハイデガーでいこう、ハイデガーの存在論理解とそれから導き出す自己考察に目標を定めました。夏から読み始めてもきっと読み終わるのは秋から冬になると思います。諦めずに齧りついていこうと思います。

「表象の多面体」読後感

「表象の多面体」(多木浩二著 青土社)の中で取り上げられている4人の芸術家に纏わる印象的な文章を掲載します。「この危うくも建っている七つの塔は、たしかにその危うさのなかに視覚的な秘密の言葉をもっている。廃墟とは、ここに起こったことではない。われわれはかつて起こったことを忘却して、未来をつくることしか考えてこなかったのである。だがそうはいかない。ほとんどナンセンスにしか見えかねない力業を行使して何に到達しようとしているのか。これは芸術にしかありえない表象なのだ。一方には現実の破綻、他方にははじまりとしての神話、この両方のパラドックスとしての歴史の物質的エネルギーを目に見えるものにしようとするとき、未来はこうした廃墟の姿を身に纏うものではなかろうか。」芸術家キーファーの「天の王宮」という作品に関する評論の抜粋です。次に写真家ジャコメッリに関する評論の抜粋を引用します。「若いときに初めて老人ホスピスを撮ったときに感じた『老い』の孤独と、自分自身がそこで眺めた老人たちの齢になったときに感じている『老い』への怖れとは、当然、異なる。『死』はもはや『他人の死』ではなくなりつつある。ジャコメッリの傑出した点は、死すべき人間の生きようとする努力について考えることが生涯の主題だったことである。」続いて写真家アヴェドンに関するものです。「アヴェドンは、人間はどのようにして人間性を保つのかという問いを早くから抱いていたようである。彼の社会性をうんぬんするよりも、彼の肖像写真を成り立たせたのは、こうした人間への関心である。」最後に建築家コールハース自身が語った言葉を引用します。「私にとって興味深いのはモダニズムとモダニゼーションという二つの言葉の違いです。モダニズムは芸術運動で、芸術に教条化しがちです。モダニゼーションは、ある地域が近代の新しい状況に適応する過程です。ニューヨークの近代化は知的な制御なしに生じました。ヨーロッパには理念としてのモダニズムがありました。私がニューヨークで夢中になったのは起こっていることの背後に、本当になにがあるのかを分析することでした。近代主義は近代化を抑圧したといえます。」以上が自分の印象に残った言葉ですが、取り上げられている4人に共通する要素は見つけにくく、多面体という表題が示すとおり表現の拡散を、敢えて著者が選んだといえ、表象の異なる批評の幅広さに驚かされました。