週末 「座景」テーブル刳り貫き開始

新作「発掘~座景~」は背の低いテーブル彫刻で、大きさは畳大の厚板を4点繋げて広げています。一枚の厚板を4本の柱陶で支えるとして計16本を使います。テーブルの上に陶彫部品が複数置かれ、部品と部品の間は陶彫による橋を渡す予定です。陶彫部品のないところは厚板に格子のような穴をあけます。ギャラリーの上からの照明で、穴を通して床に斑な影が出来るような効果を狙っています。今日は厚板にドリルで穴をあけ、ジグゾーの歯を突っ込んで刳り貫いていく作業をしました。4点のうち1点の刳り貫きが終わりました。1点の作業はほとんど一日がかりになりましたが、残り3点をいつやればいいのか思案しました。電動工具の音は周囲にどのくらい影響を与えているのか、夜の早い時間であればクレームがないのではないか、許されるのであれば、ウィークディの夜に出来ないものか、毎晩2時間やれば来週末には2点目の刳り貫きが完成します。そうすれば砂マチエールの作業をする2週間後には何とか間に合うのではないかと考えています。木材加工は陶彫とは違い、焼成時に割れるのではないかという心配はありません。その分面白みに欠けますが、気分としては楽なのです。ともかく2週間は木材と徹底的に付き合います。今日は頻繁に工房に来る若いスタッフがいました。職場の人も絵を描きに来ていました。久しぶりに複数の人が工房でいて、昼休みは楽しいお喋りが出来ました。

週末 砂マチエール搬入

今日は朝から工房で制作三昧でした。陶彫制作を中断して「発掘~座景~」の台座作りに精を出しました。台座には砂マチエールを施す予定です。砂マチエールは東京神田にある文房堂本店より取り寄せています。文房堂が自社で製造している砂マチエールが一番使い勝手が良いのです。以前は画材店で少しずつ購入していましたが、大量に必要なので本店からまとめて送ってもらうことにしたのでした。私は砂マチエールとの付き合いは30年位前から始まっています。現在の「発掘」シリーズに繋がるイメージを海外滞在でヒントを得て日本に帰った私は、試行したい陶彫のノウハウも制作環境もなく、その代理として油絵を描き始めました。油絵の具に砂を混ぜて陶壁のようなマチエールを作り出していました。当時は現在のような砂を硬化剤で画面に定着させた後で油絵の具を滲み込ませる方法ではなく、油絵の具に混ぜて使っていましたが、それは絵の具が大量に必要で、もっと経済的な方法はないものか試行を繰り返すうちに現在の方法に辿り着いたのでした。陶彫の実験を経た後、漸く完成に漕ぎつけたのが「発掘~鳥瞰~」でした。「発掘~鳥瞰~」では陶彫部品と併用して砂マチエールを施しました。継続していた油絵の表現に陶彫が加わったカタチになります。今までの作品では陶彫だけで完成しているものもありますが、陶彫と木彫を併せた作品も多く、そのうち砂マチエールを施した作品もあります。私にとって砂マチエールは陶土より古くから使っている素材で、陶彫と相性が良いのがわかって、自分のイメージを広げることができたのです。今日の午後、砂マチエールと硬化剤が30本ずつ本店から届きました。再来週の週末に砂マチエールの作業を行う予定でスタッフに話してあります。それまでに「発掘~座景~」の台座の加工を終わっていなければなりません。頑張りたいと思っています。

宗教とその影響について

宗教はどのように生まれてきたものか、それに関する専門書を囓ったことがなく、自分の思考が軽薄であることは百も承知で、このテーマについて書いてみます。先日観た映画「沈黙ーサイレントー」の中で、キリスト教と仏教が対峙する場面が会話に出てきていました。キリスト教はユダヤ教を元にした古代の新興宗教で、国際的視野を纏えた宗教だと自分は理解しています。ユダヤ教は民族閉鎖性があったため広まることがなく、逆にキリスト教はその教えを広く伝播できるように一工夫した宗教論理が周囲に容易に理解されたのでしょう。キリスト教を興した民族は宗教組織を作り、キリスト教を広めるべく世界戦略を練ったのではないかと察します。極東と考えられていた日本にも宣教師がやってきたのもその一端だったと考えられます。世界にはそれぞれ土地に根ざした宗教が存在し、当初外来宗教との間に摩擦があったと思われ、迫害等の悲劇を生んだのは想像に難くありません。宗教とは、かくも激しいものなのか、生育環境の中で宗教を重く受けとめていなかった自分は、宗教の捉えに驚くことが多いのです。宗教はまた人々の心を先導する要因もあり、生活習慣さえも左右します。時間や曜日の観念を持ち込み、休息日を設けたのもキリスト教です。現在キリスト教は世界的に見ても一番成功した宗教と言えそうです。自分は実家が仏教浄土宗の寺を菩提寺としていて、そこに墓地もありますが、母の所有する雑木林の中に小さな祠があって豊川稲荷を祀っています。自分も日本人固有の多神教徒なのだろうと思っていますが、親戚を初め周囲にはキリスト教信者も多くいます。20代の頃、西欧に住んで、そこで接した教会権力を見て、私はキリスト教と距離を置くことにしました。理屈ではなく自分にはキリスト教は馴染めないと判断したのでした。でも興味関心は人一倍あって、とりわけ造形美術の分野では積極的に宗教美術を理解しようと努めています。自宅の玄関にもキリスト正教のガラス絵が掛かっています。私は宗教的意味と芸術性を切り離して考えるようにしているのです。

Y・ノルシュテインの世界観に感銘

現在、橫浜のミニシアターで「アニメーションの神様、その美しき世界」というタイトルをつけて、ユーリー・ノルシュテインの作品を上映しています。ウィークディの勤務時間終了後に私は観てきて、その画面の美しさに感銘を受けました。まさに絵画が動いている感じです。上映は6本の短編で構成されていましたが、どれも独特な画風で描かれていました。日本の超絶技巧的なアニメーションには多くの観客を魅了する力がありますが、ノルシュテインはそれとは一線を画したアナログ的で芸術的な魅力に溢れています。「25日・最初の日」では、ロシア革命がテーマとなり、民衆が蜂起する様子を取り上げています。背景の都市はJ・ブラックの絵画を参考にしたようですが、寧ろドイツ表現派に近く、ビルの遠近感をギクシャクさせた心理描写が巧みに取り入れられていました。「ケルジエネツの戦い」では、中世の壁画が動き出す面白さがあり、切り絵の手法が眼を惹きました。「キツネとウサギ」では、子ども向けの内容でしたが、装飾的な民衆芸術の要素を取り入れて、楽しいキャラクターを作り出していました。「アオサギとツル」では、お互いが気になる存在として求婚しては断ったり、後悔したりする2羽の交流が、緻密な線描と淡い幻想風景で描かれていました。日本の浮世絵や水墨画に着想を得たものと解説にあって納得しました。「霧の中のハリネズミ」は有名な作品で、霧の中を夢中で突進するハリネズミに観客は感情移入してしまい、道の途中で遭遇する神秘に満ちた世界を味わうことになるのです。多層のガラス面を使った手法が霞んだ独特の空気感を表現していました。最後の「話の話」は一貫したストーリーはなく、詩的で叙情的な映像を展開させ、断片の中に狼の子が狂言回しのように登場してきます。戦争の不穏な足音があったり、ノルシュテイン自身の自伝的な要素もあったりして、厚みのある表現になっていました。旧ソ連で生まれたノルシュテインはアニメーターとして世界のアニメ監督に影響を与えた人です。HD画質のデジタルマスターで作品を甦らせ、現在ミニシアターで上映していますが、滅多に接することのない貴重な機会だったと思っています。

映画「沈黙ーサイレンスー」雑感

先日、遠藤周作の著作をマーティン・スコセッシ監督が映像化した「沈黙ーサイレンスー」を観てきました。3時間にも及ぶ大作は、長さを感じさせないくらい鬼気迫る場面が多く、また信仰を中心に据えた人の生き方について考えされられることもありました。時代は1640年江戸時代初期、舞台は日本の九州でした。日本で布教していたイエズス会の高名な宣教師が、厳しいキリスタン弾圧に屈して棄教したという情報が西欧に伝わり、それを確かめるべく2人の宣教師が来日してきます。2人は幕府の弾圧を恐れて潜伏しますが、隠れキリスタンの農民たちに助けられ、そこで布教活動を行うことになります。幕府の取り締まりが厳しく、農民に残酷な仕打ちがあり、それでも彼らは信仰を捨てなかったため処刑されてしまいます。宣教師2人は別々に行動することを余儀なくされ、一人は滅ぼされたキリスタンの里を彷徨っているうちに侍に捕らえられてしまいます。もう一人の宣教師は処刑される村人を追って海中で水没させられてしまうのです。捕らえられた宣教師は棄教を迫られます。そこに彼らが探していた高名な宣教師が現れ、キリスト教を棄教し仏教徒としてとして生活している姿を見せられます。「この国は沼地のようでキリスト教は馴染まない。」信仰心の強い彼の前にキリストの踏み絵が用意され、棄教を強制されるのです。そこに内なるキリストの声が…という内容で映画は進んでいきます。私が注目した役はキチジローという日本への手引き役で、言うなれば日本人ガイドです。キチジローは軽々と踏み絵をして棄教と密告を繰り返し、人間としての信念を疑う弱者として描かれています。キチジローはそのたびに宣教師に赦しを乞いに現れるのです。聖書に登場するユダのようです。彼を単なる弱い人間として捉えていいものか、信仰の在り方を巡って私は迷うところがあります。次第に不寛容になっていく世界情勢が人々を困惑させている昨今、赦しとは何かをこの映画は問いかけているようにも思えます。また信仰や信念は表だったカタチとして表すものだけなのでしょうか。高校時代、原作を読んだ私は理解できないことが多く、こんなことのために何故命を捧げるのか、カタチはどうあれ、心に秘めた信仰もあるのではないかと思っていました。また別の機会に内なる信仰や信念について考えてみたいと思っています。

NOTEの役割

私はホームページにNOTE(ブログ)を毎日アップしています。一日1点の平面作品を作っていくRECORDと同じ日々の習慣となった活動です。NOTE(ブログ)は日記としての日々の記録ですが、これだけではなく美術作品や映画鑑賞についての感想や考察も載せています。書籍についての論理の展開もあります。NOTE(ブログ)によって私はさまざまなことを考え、頭の中の引き出しを掻き回したり、知識を引っ張り出したりしています。造形活動でも思索を深めることは出来ますが、コトバを通して思索を深めることが断然多く、またそれを造形活動に戻すこともしています。NOTE(ブログ)を書くことで私自身思考する場面が増えたと実感しています。昼間の仕事では適材適所の人事配置やその運用、施設管理や公費管理など頭を使うことが多々ありますが、仕事以外のことで思考を巡らすことを、どのくらいの人がやっているでしょうか。私も創作活動をしていなければ、仕事以外の考えごとなどしていないのではないかと思うところです。NOTE(ブログ)には制作工程上の進行具合を載せていることがあります。それは自分だけのメモなので、読んでくださっている人には甚だ失礼な内容です。陶彫部品がどうだとか、彫り込み加飾がどのくらい進んだなんてことは読者にはどうでもいいことです。それより展覧会や映画の紹介を兼ねた感想や書籍の紹介の方が楽しいかもしれません。NOTE(ブログ)は世界中で見られる公開日記ですが、役割としては私自身が自分に向けて心に刻んでおく思考の蓄積ではないかと思っています。

「座景」下書きを開始する

ウィークディの夜に工房に行くことは、自宅で休みたい気持をもう一度奮い立たせなければなりません。工房に行ってしまうと制作に対して前向きに気分が変わるのが何とも不思議です。今晩は工房の床に広がる「発掘~座景~」を眺めながら、当初のイメージを確かめつつ、台座の彫り込みを考えました。そこに置いてある陶彫部品はほぼ出来上がっているのですが、追加制作も必要で、あとどのくらいの部品が要るのか、その大きさや高さを全体構成から割り出す作業もしました。当初のイメージでは台座は穴だらけになるはずで、床から柱陶に支えられて60㎝ほど高くなります。ギャラリーの照明を上から受けて、ギャラリーの床に格子模様の影が落ちることも計算に入れているのです。台座の穴はドリルとジグゾーで加工していきますが、電動工具は騒音が出るため、近所迷惑を考えて夜は作業が出来ません。さらに柱陶の先端部の彫りも鑿の槌音が心配で作業を遠慮しています。夜は下書きだけが可能と考えて、静かに作業することにしました。因みに「発掘~座景~」のテーブル台座に設置する陶彫部品は、部品同士を陶彫の橋で繋いでいて、これは我ながら面白いのではないかと自画自賛しているところなのです。

週末 「座景」全体構成の第一歩

今日から「発掘~座景~」の全体構成を考えることにしました。と言っても通常の陶彫制作に時間が取られ、全体構成を考えるのは夕方になってしまい、今日のところは台座を床に並べて完成した陶彫部品を置いて全体を見渡すことしか出来ませんでした。全体を俯瞰した結果、まだ陶彫部品が足りないと思いました。イメージ通りではなかったので、追加して陶彫制作を行わなければならず、今後の制作工程を見ると厳しいものになると判断しました。台座上の陶彫部品のないところに格子状の穴を穿ち、その効果を考えながら陶彫制作を行うのです。部分に関わっていた制作が、ここにきて漸く全体を把握するに至り、「発掘~座景~」は次の段階に進みます。今月の終盤にはスタッフを数人呼んで台座に砂マチエールを施すので、それまでに台座の加工を完成させなければなりません。まず下書きと切断加工をいつにするか思案しました。電動工具の音が近所迷惑なので、ウィークディの夜に加工は出来ず、下書きは夜の時間帯にやっておいて、来週末に切断をやろうと決めました。それと併行して追加の陶彫部品を作らねばならず、これが終わるまで当分の間は「発掘~宙景~」の陶彫部品の制作を休むことにしました。いよいよ制作工程にある最初の難関がやってきた気がします。私の彫刻作品は何回かハードルを越えていかなければならず、今までもさまざまな場面に直面して、その都度クリアしてきました。毎回異なる難関なので、経験としての知識が応用できない嫌いがあります。幸いなことは制作に慣れが存在しないことです。イメージの具現化に向かって頭脳や感覚をフル稼働していくしか方法がありません。創作とはそんなものかもしれず、そこが楽しくてやっているようなものです。来週は会議が夜まで予定されている日は除いて、通常勤務の日は夜な夜な工房に行こうと思っています。

週末 制作&映画鑑賞

今日の午後は映画に行きたいと思っていました。週末の制作では制作工程上のノルマがあるため、いつもより早く工房に出かけました。朝8時前に工房に入り、「発掘~宙景A~」の2段目に吊り下げる陶彫部品の彫り込み加飾をやり、続いて柱陶の仕上げを行いました。さらに土錬機を回して土を練り、大きめのタタラを5枚用意しました。ここまでやったところで午後1時になり、自宅に戻りました。今日のノルマ達成でした。今日は土曜日のためウィークディの疲れがあったのですが、モチベーションを持ち上げたまま、家内とエンターティメント系の映画館に出かけました。観たかった映画はM・スコセッシ監督の「沈黙ーサイレンスー」で、上映3時間にも及ぶ大作でした。原作になった遠藤周作著「沈黙」を、自分は高校生の頃読んでいたのですが、その時は物語の深層を理解できず、布教の困難さや踏み絵の意味すら分かりませんでした。西欧から宣教師がやってきて、江戸時代の人々にキリスト教の教えを伝える、でも士農工商という身分制度があった幕府による政治体制には合わなかったんだなぁと高校生の私は思っていました。概略は間違っていないと思うのですが、信仰とは何か、生きる道標をどこに見出すのか、という根源的な問いを考えることは出来ませんでした。私が宗教について初めて考えたのは20代後半の滞欧生活からで、とりわけルーマニアの村で体験した人々の素朴な祈りの姿が印象に残っていたからでした。キリスト教は哲学者の叔父や彫刻家の師匠が信じていたので、宗教としては身近ではありました。でもヨーロッパの古都で生活していると、カソリックの壮麗さに眼が奪われてしまい、キリスト教団の権力を見る思いがしました。ルターの宗教改革が起こったのも教科書で習った机上から離れたところで漸く理解できた次第です。キリスト教団は欧州に留まらず、世界的な布教を始めたため、極東の日本にも宣教師がやってきたのでしょう。他の宗教がそんな戦略を考えなかった時代に布教をしていたと言えます。映画では神父や隠れキリスタンが弾圧される側、幕府の役人が加害側として描かれていますが、世界の隅々にまでキリスト教に染めようとした教団の驚くべき世界戦略を考えた時に、果たして映画の描き方を一面で捉えていいものでしょうか。西欧でのカソリック権力が如何ほどだったのかを鑑みると、キリスト教を突っぱねた幕府は、保護主義的な不寛容ではあるけれど、一概に政策を嘆くのはどうなのか、それは私の考え過ぎでしょうか。これは収束のつかないことになってしまいそうなので、ここまでにしたいと思います。映画の詳しい感想は後日改めます。

猫の教訓

先日、朝日新聞の天声人語に猫に関する記事が掲載されていました。我が家にも猫がいるので共感をもって読みました。作家内田百閒も猫好きだったようで、野良猫を飼っていたようです。天声人語から引用いたします。「『恩のやり取り、取り引きは人間社会で間に合つてゐるからノラには御放念を乞ふ』(『ノラや』)。しかし老作家の情は深く、猫が行方知れずになると仕事も手につかなくなる。」猫は人に媚びない、恩を感じるそぶりがないところがいいと内田百閒先生は仰っています。作家、画家、彫刻家等芸術家に猫が人気なのは、人の言いなりにならないマイペースなところが、自分の生き方と通じるモノがあると思う人が多いためではないかと考えるところです。私は二足の草鞋生活なので、一方の仕事では管理社会の中で雁字搦めになって、部下を管理する立場でいます。まさに猫の生き方の真逆です。また一方の仕事は自由気儘が基本の芸術家ですが、作品を個展の期日までに作り上げるため、徹底した自己管理をしています。それはウィークディの仕事より厳しい条件を課していて、週末は病気になる余裕すらありません。だからこそ勤務が終わって自宅に帰ると、ソファに横たわっている飼い猫トラ吉を見るにつけ、こんな自堕落な生活もいいなぁと思ってしまうのです。天声人語に「猫のマイペースな姿には『自立を失わず人に頼るべし』の教訓があるという。猫好きでなくてもときに彼らの気持ちになってみるのは悪くない。意外と深いかもしれない。」とありました。猫を見習うことも人間らしさを取り戻すために必要かなぁと思うこの頃です。

2月RECORDは「うめる」

今年のRECORDはひらがな3文字のテーマを考えて作るようにしています。今月は「うめる」にしました。「うめる」を漢字で示せば「埋める」で、埋葬や埋没がイメージされてきます。小動物が森の中で夏の間に食糧を見つけて穴に埋める場面をテレビで見たことがあります。埋める行為は隠す行為でもあります。自分の所有している大切なモノを隠すという行為は、微かな記憶の幼児体験で私にもあったように思えます。芸術家はそうした己の心の中を作品として表現して示すわけですが、逆に作品を埋めてしまう彫刻家もいて、当時学生だった私は影響を受けました。埋めてしまうことでモノは大地と同化して無に戻ることになります。亡骸の埋葬はそんな意味もあると思います。自分の彫刻は埋没した遺跡が大地の表面に現れた状況を造形化しています。「うめる」は自分の彫刻とも通じるテーマです。埋められたモノがどんなモノなのか、考古学上の興味はそこにあると言えます。人は隠されたり埋められたモノを解明したいという欲望をもつからです。今月も制作時間をやり繰りしながら、一日1点のRECORDを頑張って作っていこうと思います。

寒い2月の熱い制作目標

2月になりました。タイトルのように熱血漢を演じたい筆者ですが、ヤル気が空回りしても何も出来ないので、ここはひとつ確実に制作を進めていくようにしたいと思っています。陶彫作品は「発掘~宙景~」の陶彫成形と併行して「発掘~座景~」の台座制作に励みます。今月の25日と26日の週末に砂マチエールを台座に施そうと計画していて、そのため若手スタッフたちにも声をかけています。「発掘~座景~」の台座完成が今月の制作目標です。とても分かり易い目標ですが、かなり焦らないとそこまで到達できないのではないかと思います。頑張りに拍車をかけるのは自分の得意とするところですが、身体を顧みない制作姿勢は時に危険を伴います。それでも長い制作工程のうち何回かは常軌を逸した方法を取らないと完成に向かいません。タイトルの熱い制作目標とは、そんな気持の現れです。RECORDは当然継続です。RECORDを10年やっていても苦しいのは、多忙な生活に無理して組み込んでいるせいです。イメージが枯渇しないことだけが救いです。鑑賞では美術展や映画等に積極的に行きたいと思います。読書は杉本博司著「現な像」の継続です。現代美術作家杉本氏の考え方に共感を覚えることが多々あります。多忙で殺伐としてしまう自分の心に豊かな感性を与えてくれる書籍だなぁと思っています。今月も頑張っていこうと思います。

1月を振り返って…

今月は早かったなぁと思います。制作は週末を使って陶彫部品作りに明け暮れました。「発掘~宙景A・B~」に吊り下げる大きめの陶彫部品をいくつ作れたのだろうと確認中ですが、精一杯やっていたにも関わらず、焦る気持ちに変化はありません。ウィークディの夜にも工房に足を運んで、柱陶の彫り込み加飾や仕上げを行いました。焼成も例年より多くやったように感じています。そのうち電気代の請求がきて判明するでしょう。頻繁に工房に出入りしている大学院生が修了制作の仕上げに気合いを入れていたため、私は彼女に背中を押されるように頑張っていたのではないかと思うところですが、毎年修了制作のようなつもりで制作している私には、これが通常なのかなぁとも感じる次第です。今月の鑑賞は美術関係で言えば、前述の藝大修了制作展と火焔土器の展覧会に出かけました。映画はヒットしたアニメばかり続けて2本も観ました。「君の名は。」と「この世界の片隅に」で、とりわけ「この世界の片隅に」で描かれた戦時中の生活が丁寧に表現されていたことに、戦争の愚かさを見る思いがしました。10年目に入ったRECORDは苦しい時間をやり繰りしながら何とかやっていました。とくに冬場は夜が辛いので、RECORD制作時間は眠気を我慢しながらサボリがちな自己と闘っていました。読書は杉本博司著「現な像」を読んでいます。電車に乗るとついウトウト寝てしまって読書が進みません。来月はもっと頑張りたいと毎月書いていますが、寒さ厳しき折なので風邪を引かないように今月並みに頑張ればいいかなぁと思っています。

渋谷の「火焔型土器のデザインと機能」展

先日、東京渋谷にある國學院大學博物館へ「火焔型土器のデザインと機能」展を見に行ってきました。火焔型土器は自分が作る陶彫にも通じた表現なので、昔から興味関心の対象なのです。國學院大學博物館には初めて行きました。皇室関係や国学に関する資料もあって、展示が分かり易くて広さも手頃な博物館でした。約5000年前の縄文時代の火焔土器が26点も集まっていると聞いて、これは必見だと思っていました。展覧会はなかなか壮観で、火焔型の他に王冠型がありました。ほとんど新潟県から出土されたモノで、以前訪ねた十日町市の遺跡の出土品も数多くありました。こうした土器は煮炊きをした跡があるため日用品として使用されていたわけですが、どうして装飾過多な造形が施されているのか、今も謎に包まれています。通常の生活雑器なら大げさな装飾は邪魔な部分だろうと思うところですが、容器として多少不便でも縄文人の美意識が勝っていたと考えるべきでしょうか。世界に例を見ないデザインは、現代人の眼から見ても独創性に溢れています。製造方法は解説のパネルにあって興味深く見ました。果たして火焔型土器はどういう人が作っていたのか、男性が狩猟に出ている間、女性が作っていたのではないかという仮説をどこかで読んだことがあります。地域や村によってはデザインを競い合うようなシステムがあったのでしょうか。縄文土器の持つダイナミックな生命力を芸術として位置づけたのは岡本太郎でした。私はその理論に影響された一人です。自分の陶彫制作の原点がここにあるという認識を新たにしました。

週末 今月最後の制作日

早いもので1月がもう終わろうとしています。今日は1月最後の週末で一日中制作が出来るのは今日しかありません。週末土日のうち私は日曜日の方が気持ちよく制作が出来ます。土曜日はウィークディの疲れがあって身体が重く感じるのです。昨日は朝工房に来て、大きなタタラを6枚用意しただけで、その後は東京へ展覧会を見に出かけてしまいましたが、電車やバスの中で疲労感を覚えていました。上野と渋谷を周っただけでクタクタになってしまいました。今日は心も身体もリセットして、朝から工房で陶彫制作に没頭しました。工房は不思議なところです。創作活動をすることを目的に作られた空間なので、一歩足を踏む入れただけで気分が変わります。陶土に触れると情緒が安定し、少しばかりの心の迷いは吹き飛んでしまいます。若いスタッフがいようがいまいが関係なく、自分ひとりの世界に絡み取られてしまうのです。長野県の山奥で池田宗弘先生が孤高の制作生活を送れるのも創作活動の成せる業ではないかと思えるのです。制作をしていると孤独に打ち拉がれることはありません。一体そこにどんな魔力があるのでしょうか。自分に活力を与え、眼前に幻想の世界を描かせてくれる創作の神々は、時に気難しく、時に優柔不断なこともありますが、魂の救済はしっかりやってくれるようです。努力を裏切ることもないのかもしれません。精神論はともかく、そろそろ現実的な制作工程の振り返りと先読みをしなければならないところにやってきました。来月は「発掘~座景~」の台座に砂マチエールを施さなければならないからです。来月の目標は明快です。そこに向かって頑張っていこうと思います。

週末 修了制作展&博物館散策

週末になり、今日は前から予定していた展覧会に家内と出かけました。東京上野にある東京藝術大学美術学部の卒業・修了制作展に、工房のスタッフが出品していたので見に行ったのでした。彼女は校舎の一室を使って床置きの大きな凸面の作品と壁掛けの小さな作品を展示していました。部屋全体を真っ暗にして、照明によって2点の作品を浮かび上がらせていました。細密な描写を施した表面を、斑に染めた半透明な布で覆い、重層的な深みのある世界を表現していました。命が蠢く様子を捉えていて圧巻でした。彼女に会った後、藝大の中を見て周りました。一昨年行った都内の美術大学でも感じたことですが、藝大でも予想通りインスタレーションが数多くあって、昨今の学生作品の傾向が現れていました。藝大生にしろ美大生にしろ、私は空間把握の経験値の少ない者がインスタレーションをやることに疑問を呈する一人です。空間としての捉えに一過性を感じてしまうからです。継続深化していく造形哲学がないうちは、内なる世界を見つめ、形態内に精神の瀬戸際まで自分を追い込んでいった方が、結果的には広がりのある世界を獲得できるのではないかと思うのです。その中でも才能を感じさせる表現もありました。手前味噌ですが、工房に出入りしている彼女もその一人です。そんな学生たちも、いざ卒業してしまうと創作環境がままならず、自分の意思に反することが増えてきて、アートの世界から離れていく者もいます。社会的なニーズのないモノを作っている者の宿命ですが、その逆境に挫けずに創作を極めた者だけがアーティストとして、いずれ芽が出ることになるのかもしれません。そんな訳で藝大や美大の卒業制作展に足を運ぶと、自分は複雑な心境に苛まれます。自分も経験した苦いキャリアがあるからで、どんなカタチであれ生涯に悔いを残さないように祈るばかりです。上野を後にして、私たちは渋谷に向かいました。國學院大學博物館で開催中の「火焔型土器のデザインと機能」展を見たいと思っていて、果たして期待は裏切られずに見応えがありました。嘗て新潟の十日町市の博物館で見た記憶が甦り、気持ちが充満して心地良いひと時でした。詳しい感想は後日改めたいと思います。今日は早朝工房に出かけて明日の陶彫成形のためにタタラを準備しましたが、それも含めて大変充実した一日を過ごしました。

表現の蓄積と保管

工房の片隅に棚代わりにしたパネルがあり、RECORDを並べています。RECORDは一日1点ずつ作っていく小さな平面作品で、今年が作り続けて10年目に当たります。RECORDは完成すると、右下に印を押して日付けを入れています。その印が乾くまで工房のパネルに置いておくのです。ほぼ2ヶ月分をパネルに並べていて、印が乾いたものから重ねてケースに収納しています。1ヶ月分30枚を重ねると、ちょうど故若林奮氏の彫刻「100粒の雨滴」のような様相になります。表現の蓄積がぎっしり詰まったブロックは、それなりの雰囲気を放射していて、そのまま若林氏を模倣して彫刻として提示するのも悪くないかなぁと思ったりしています。1年間で12ブロックが出来ていて、しかもそれが10年間分あるのです。作品の大きさを常に一定にしているので、同じ大きさのケースに保管しています。ケースには2ヶ月分ずつ入れてありますが、最近そのケースが店で品切れになり、昨年からやや大きめのケースに変えています。そのケースでは3ヶ月分を入れています。それぞれのケースに乾燥剤を入れていて、1年に一度乾燥剤の入れ替えを行います。写真撮影は9月から10月頃にまとめて1年間分を行っているので、現在作っているRECORDは秋にならないとホームページにアップされません。表現の蓄積と保管は滞らずにやっていこうと思っています。

ナイーヴ・アートの村を訪ねた頃

以前のNOTE(ブログ)にも書いた記憶がありますが、旧ユーゴスラビアの村にナイーヴ・アートの制作現場を訪ねたことがあります。昨日アップしたNOTE(ブログ)で思い出しました。村の各家庭で農閑期に絵画制作に勤しむ村人たちの様子が印象的でした。ここも紀行作家みやこうせいさんと行きました。旧ユーゴスラビアは現在スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアに分かれていますが、私たちが訪ねたのは現在のクロアチアの首都ザグレブ近郊の村ではなかったかと思っています。当時は現在のようなナイーヴ・アート関連の美術館はあったのでしょうか。村からの帰り道に夕暮れたザグレブに立ち寄っただけなので、そこは定かではありませんが、ナイーヴ・アートの村では大変面白い経験をさせていただきました。何軒か訪ねた農家で見せていただいたのは、ガラスの裏側から風物を描いている制作現場でした。小さなガラス絵だけでなく、大きなカンバスに描かれた作品もあって、作者によっては納屋を改築してギャラリーにしている家もありました。多くの欧米人を相手に商売が成り立っているようで、裕福な農家も多かったように記憶しています。本来は農業の片手間として始めたものだったのに、売れたおかげで専業画家になる人もいたのではないかとも察しました。その時点で制作姿勢はナイーヴではなくなっているのですが、表現形式はそのままなのでナイーヴっぽいアートと言った方が相応しいのかなぁと思いました。ナイーヴ・アートの村を訪ねた頃は、もう30年近く前になるので、現在はどうなっているのか見当もつきませんが、ネットで調べると専門に扱う美術館があるので、文化の中に根を下ろした表現領域になっているのでしょう。

我が家にあるナイーヴ・アート

私は20代の頃、幾度となくルーマニアに出かけていました。当時住んでいたウィーンで紀行作家みやこうせいさんと知り合い、ルーマニアの現存民俗の取材に同行させていただいたことが、ルーマニアを身近に感じる契機になりました。ルーマニア人にも友人が増えて、芸術や宗教のことを話題にする場面もありました。あの頃のルーマニアはソビエト連邦を中心とする東欧諸国として情報操作等が行われていた共産主義体制でした。秘密警察が私たちの後をつけてきたり、友人宅を訪ねるのにも不便を感じることが多々ありました。ルーマニア人が国外に出ることは大変難しかったはずでしたが、私が住むウィーンにルーマニアの友人がやってきた時がありました。物資が不足している国から来た客人だったので、ウィーンで精一杯歓待しました。彼は厳重に包んだ小さなガラス絵3点を私に渡してくれました。親愛の証だと言っていましたが、素朴なイコン(宗教画)でした。これが骨董価値があるのかどうかはわかりませんが、古い木造りの教会でよく見かけるイコンで、多くの村人から祈りの対象とされていたものかもしれず、由来は敢えて尋ねないことにしました。そのナイーヴ・アートと呼ぶべきイコンは、現在の我が家の玄関を飾っています。古材を使った木の額を自作して3点のガラス絵を並べて展示しています。すっかり我が家の顔になったガラス絵ですが、描かれているキリストや聖人は既に宗教観を超えて昔から我が家にあるような雰囲気を醸し出しています。

祈りと鑑賞

現代美術作家で古美術商もやっていた杉本博司氏の著書「現な像」から触発されたわけではないのですが、仏像について考えることが暫しあります。杉本氏のように眼前に古美術品としての木彫仏像がやってきたら、自分はどうするだろうと想像してしまいます。美術という概念が現れたのは人類史で言えば、さほど古い時代のことではありません。人類の曙期では、私たちの先祖は狩猟による生活区域の部落を形成して、竪穴式住居に狩猟の対象物だった動物の絵を描いていました。やがて天地に豊作を祈るようになり、宗教が始まりました。祈りの対象物を目に見えるような造形にして、人々は神の存在を認めていきました。造形美術は歴史上、宗教と共にあったと言っても過言ではありません。寺院の仏像に会いに行く時、自分は祈りの対象としてではなく、美術作品として形態の端々に現れている緊張感や豊かな抑揚を味わうことが常になっていますが、そうした鑑賞の仕方は時代的には新しい方法なのです。元来祈る対象としてきた造形物は、人々の五穀豊穣や救済の願掛けとしての役割を担ってきました。そうした人々の祈りを一心に受けてきた立体像や絵画は、美術的な概念とは異なる何か質の違う世界観を纏っているのです。つまり、現代の考え方を持ち込むと、彫刻が彫刻だけで成り立たない別種の世界観と言えます。私は生い立ちからして宗教観が薄く、特定の宗派を持ちません。私が作る彫刻は彫刻としての鑑賞対象であり、祈りのカタチではありません。私にとって祈りのカタチは、彫刻制作を繰り返していく上で自ら発見した新しい世界で、歴史的には逆説めいてきますが人類史を遡っていった古代的な新鮮味に溢れたものです。信仰とは何であるか、私が造形を通して考え始めた哲学で、それを自分なりに解明するまでは祈りのカタチを作ることは出来ないと思っています。

写真媒体が及ぼす影響

スマートフォン等の浸透で写真撮影が日常的になり、私たちの周辺には画像が溢れています。写真技術は記録としての手軽な方法や、画像処理を楽しんで超現実的な世界に遊ぶことも可能になり、現代ではなくてはならないアイテムになっています。私のホームページにもさまざまな作品の画像があって、視覚情報が及ぼす効果や影響を考えられずにはいられません。「現な像」(杉本博司著 新潮社)を読み進んでいくうちに、こうした写真術発明に貢献した人たちや、写真媒体が及ぼす歴史的な影響に触れる箇所があって、興味関心を掻き立てられました。「時間よ止まれ」の章の冒頭で「人類にとって『世界の見え方』は百八十年程前に大きく変化した。写真が発明されたからだ。」とありました。では写真がなかった時代はどうだったのでしょうか。「写真が発明される以前は情報伝達は文字による報道である。もちろん文字を読めない文盲の人も多かった時代、情報は文字を読んだ人から文字を読めない人への口承と、読めない人から人への噂として伝えられた。又多少の時間は必要としたがプロの画家もその記録にかかわった。」とありました。つまり「歴史とはそのように人々のファンタジーの中で捏造されるものだった。」わけです。フランスやイギリスでの写真術の発明と相まって、マダム・タッソーの蝋人形館やジオラマ館やパノラマ館が果たした役割が記されていて、その部分でも興味津々でしたが、その時代でも人々は時間を止めて、歴史的事件や世界の風景をリアルに受けとめたい欲求が強かったことが伺われます。「時間よ止まれ」の章の最後に次のような一文がありました。「歴史の瞬間瞬間で時間は止められ、保存され、陳腐化されるまで何度も眺め尽くされてきた。歴史は写真によって陳腐化されなければ歴史とはならないものなのだ。」

週末 来訪多くて創作邁進

今日は頻繁に来ている大学院生に加えて、久しぶりに中国籍のスタッフが工房にやって来ました。さらに職場の人も絵を描きにきていて、普段の工房にしたら来訪者が多かったと思いました。それぞれが、お互いの事情を話しながら創作活動に勤しんでいました。工房ではコミューンが成立していて、造形素材や方法の情報交換が行われる場になっています。中国籍の子は都内の美術大学に勤めているため、春節の休みが取れず、入試の仕事が立て続けに入っているようです。昨年はそんな彼女のために横浜中華街に行った記憶があります。大学院生は今日が学生としての最後の制作となり、明日から修了制作展の搬入日程となります。私は次の土曜日に修了制作展を見に上野の東京藝術大学に行く予定です。先端芸術専攻の作品は学内のあちらこちらにあるそうで、案内をしてもらわないと彼女の作品に辿り着けないかもしれません。そんなスタッフたちが今日工房に集まりましたが、それぞれの制作は集中して取り組んでいました。夢中で7時間も作業していると肩や腰が痛くなります。それは私だけのようで、若い人たちは何事もないように作業を終えていました。彼女たちを車で送った後、私は再度工房に来て窯入れを行いました。ここまでが今日の制作工程のノルマになっていて、週末になると私は結構身体を酷使しているなぁと思っています。ウィークディになると逆に週末の創作活動が楽しみでなりませんが、実際の創作活動は身体も精神もギリギリになるため、自宅に戻ってから身体が動かなくなります。それでも来週末の創作活動が楽しみなのです。自分は作品を作っている時が無上の喜びなのだろうと自覚しているのです。

週末 世界情勢を考える

週末になって、いつも通り工房に朝から篭って制作三昧でしたが、日本時間で午前2時にトランプ米大統領が就任式を迎えることになり、海の向こうでは反対派の集会や暴動が報道されて大変な事態になっていたようです。私もトランプ氏が次期大統領と決まった時は信じられない気持ちになりました。世界情勢は常に変動していて、バランスや安定を欠く場合もあるということを認識しました。私は1956年に生まれたので、日本が終戦後の経済復興に励んでいた時代と重なります。当時は超過労働は当たり前になっていて、朝の通勤に凄いラッシュがありました。横浜の臨海には工場が数多くあって、煙突からもうもうと煙が上がっていました。それでも日本は平和な国家として安心安全が守られていたと自覚しています。現在では働き方改革に迫られていたり、安全保障を心配する声も聞かれるようになりました。明らかに世界情勢が変貌していて、私たちの日本にも何らかの影響があるのではないかと思うところです。今は妙な情報に流されず何事にも冷静に判断するのが一番だろうと思っています。陶彫部品を作りながら、世界が永遠に安定することはないのかなぁ、でもこんな生活がずっと続けられたらいいなぁと思っていました。

自己満足の捉え方

自己満足をマイナス要素として捉えてはいけない、自己満足があるからこそ人は生きていけるのだと京都に住む版画家の友人から言われたことがあります。確かに自己満足というコトバを使う場面では、客観的評価ではなく、周囲から見れば本人だけが悦に入っていることが多いと思われます。表現されたパフォーマンスや作品を見ていて、鑑賞者に伝わらず、寧ろ恥ずかしささえ感じるモノがあることは否めません。それを自己満足と称して蔑む傾向もあります。でも表現活動の発端は自己満足にあると言っても差し支えないと思っています。京都の友人はそこのところを端的に言ったのでした。それが証拠に彼の版画はマイナス要素の自己満足とは思えない評価を得ているからで、個展では鑑賞者を常に惹きつけてやみません。私も自己満足の中で生きていると感じることが暫しあるのです。他人の評価を気にするより、まず自分が満足できなければ創作活動は面白いものではありません。自己満足が社会的評価と共有できている状態が、表現活動の醍醐味なのでしょう。それ故、作品を介して作者と鑑賞者がコミュニケーションを図る機会を作るため、発表の場を設定することになるのです。美術館や画廊、劇場やその他諸々の場所が発表の用途によって選ばれます。自己満足の客観的評価はそこで行われるのです。工房で制作途中の作品はまだ自己満足の域を出ません。作品によっては難解なモノもあります。見ていて虚無に襲われ、マイナス要素としての自己満足に浸っている作品は、鑑賞者にそっぽを向かれることもあります。難解だけれども鑑賞者が何かを感じ取り、作品の謎解きに挑むこともあります。これは自己満足がプラス要素として反応した場合です。自己満足の評価は大きく分かれ、そこで作品や思索の質が問われてくると私は考えています。

真冬の夜は睡魔と闘う

仕事から帰ってくると、私にはもうひとつの仕事が待っています。二束の草鞋生活の辛いところですが、夜は時に工房に出かけ、陶彫制作をやってみたり、自宅の食卓では毎晩RECORDをやっています。リビングに置いてあるパソコンではホームページのNOTE(ブログ)を書いてアップもしています。ほとんど一息つく間もないのですが、習慣になっているせいか、身体や心に鞭を打ちつつ遂行している現状です。家内はそんな亭主を横目で見てどう思っているのか、余裕のない私にはわかりません。身体が休みたがっていると感じる日も暫しあって、もの凄い睡魔に襲われる時があります。年間で見ていると真冬の夜に睡魔がやってくる確率が高く、RECORDを描きながらウトウトすることもあります。寝てしまうべきか、最後まで仕上げるべきか、自分との闘いがあって、昼間の仕事の他にそんな制作を抱える自分は、たまに全てを放り出してしまいたい衝動に駆られます。私ほど生真面目な人間はいないのではないかと自画自賛して放棄欲望を抑え、イメージの蓄積に励む構図ができてしまいます。不思議とストレスはなく、やはり創作活動は自分にとって生きる証になっているのかなぁと思う次第です。それでも睡魔は容赦なくやってきます。体調によって睡魔に負けてしまうことがありますが、それはそれでいいのではないかと思うのです。心地よい眠りにつくことも普段頑張っている自分への褒美として甘受したいと思っています。海の深淵に落ちていきたい本能的欲求には逆らえません。

「人は多面体」原稿まとめる

職場関係の人に頼まれて、久しぶりに原稿を書きました。時候の挨拶もなく、いきなり論理に導く文章で稿を起こしました。自由記述に近かったので、さて、何を題材にしようか迷った挙句、彫刻家らしく立体的な解釈を伴うものを選びました。「人は多面体」というのは、人は内に秘めて多種多様な面を併せ持ち、その場面や出会う人によって異なる面を見せるということを書いたものです。性格を立体的解釈にすることで、一面では捉えきれない人の複雑な思いを描こうと思ったのでした。人は幼児の頃に身近な事物を絵にします。これは自己表現の始まりですが、平面的な捉えが最初にあって、成長とともに空間認識をしていくのではないかと考えます。空間認識は高度な意識が必要で、中学生や高校生になってもそれが出来ない子がいると言っても過言ではありません。内面性も同じで、平面でしか捉えられない人は内面を深めていくことは出来ないのではないかと思うところです。心が多面体であればこそ、学問であれ芸術であれ探求する意思が芽生えるのではないか、また社会的な人間関係も豊かになるように思えます。原稿は芸術に特化したものではなかったので、あくまでもお互いを理解しようという社会性の構築に話を持っていきました。

表現の拡散について

工房でお茶を飲みながら、若いスタッフや職場の人と話す内容は、畢竟美術のことばかりになります。若いスタッフは現代アートを網羅する思索を続けていて、また大学院で先端芸術を専攻しているため、仲間も多く創作環境も整っています。職場の人たちは絵を描き始めたばかりで、写実的描写のノウハウを学んでいます。美術への関わり方に相当な温度差がありますが、それでも話題が成立するのは、美術の特殊な性格にあるのだろうと思われます。美術はその歴史において、新しい潮流を取り入れて表現の幅を広げてきました。それは表現の更新ではなく、従来の価値観も認めながら新しい表現を足し算してきた結果、古典的な表現形式から現代の地域活性や社会問題提起に至る広範囲な表現形式まで並立して存在する媒体になったと言えると私は考えます。そうした中で、自分がどこに軸足を置くかで表現方法や造形による主張を決めていくべきで、現代の流行や潮流に流されることなく、己の信じる創作活動を続けていくのが良いと思っています。私自身の考えを言えば、日本では地域発のトリエンナーレ等が隆盛を極める中、美術は町興しだけのイベントになっている傾向はあるのではないか、一方画室に籠もって旧態依然とした制作を続けている人に閉塞感はないのか、社会的なニーズのない活動に今後の活路はあるのか、さまざまな考えが去来しているのです。人は何故無用のものを作りたがるのか、経済的な支援を夢見ながら、それでも何かを創作していくことは人間でなければ出来ない行為です。人間の脳にそうした働きがあるのかどうか専門外なのでわかりませんが、表現の拡散した昨今、創作活動本来の動機を探っていくことも一興かなぁと思っています。

真冬の通勤雑感

この時期になると、ついNOTE(ブログ)に書きたくなるのが、早朝の通勤についての雑感です。橫浜もついに氷点下の朝となり、6時半に自宅を出る自分は身が切られる思いで坂道を下り、バスの停留所まで歩いて向かいます。自宅は小高い丘の上に建っているので、毎朝坂道の凍結を心配していますが、雨や雪が降っていない現状では滑ることはありません。昨日工房で窯入れをしているので、今朝は自宅を出ると工房のある植木畑に向かいました。工房に立ち寄り、焼成温度を確認して、工房寄りの坂道を下っていきました。自宅前の坂道より工房寄りの坂道の方が、いくらか勾配が緩やかで階段もあります。積雪があれば工房に寄らずともこちらの坂道を選んでいくことになるのです。バスの停留所で待つこと5分程度で、朝は比較的時間通りにバスがやってきます。バスに乗る面々も同じ人が多く、駅に到着して足早に改札口を通り、ほとんど同じ時間帯の電車に乗っていきます。きっと明日も明後日も同じ時間のバスや電車に揺られながら通勤していくんだなぁと思うところです。自分は再任用管理職なので、橫浜市で延長が認められなければ、今頃は自由人になっているのかなと思うのですが、それを考えれば、こうした通勤風景が愛しくなってもおかしくないと思っています。ただし、日常はそんな感慨に耽ることはなく、通勤の流れに身を任せ、職場に着いたら仕事を始めて、夜自宅に帰れば夕飯もそこそこにRECORDを描いたり、NOTE(ブログ)を書いたりするのです。夜の制作に関しては翌朝の起床がつらくなるので、深夜にならないように気をつけているのが現状です。

週末 寒さ厳しい工房より

横浜と言えども寒波到来の季節は寒さが厳しいもので、内壁のない工房は外と変わらない温度のため、厚着をして作業をしていました。それでも陶土に触れていると手が悴んで、ついストーブの傍に駆け寄って暖を取りたくなるのです。今日は前に頻繁に来ていた大学院生が久しぶりに来ていました。彼女は修了制作の審査会が終わって、学内展示のために追加作品を作っていました。職場の人も2人来て、それぞれの絵を描いていました。工房から見える植木畑の梅の蕾が膨らんでいて、もうすぐ咲きそうです。私は相変わらず陶彫の成形やら仕上げやら化粧掛けをやっていました。夕方乾燥した作品を窯に入れました。このところ窯が空くことはありません。週2回の焼成をやっていますが、来週は乾燥と仕上げが追いつかないため週1回になります。陶彫部品がどんどん焼成が終わって出来上がっています。制作工程は順調ですが、あまりにも工房が寒いため、暖を取っていて作業が滞ります。意欲だけではなく気候も制作工程を左右するなぁと思っています。工房には湯茶を用意してあります。インスタントコーヒーやパック入りのお茶も飲めるし、駄菓子もあります。昼食時間は人がいるとお喋りが耐えません。私はこれが良いと思っています。一人で制作していると、あまり休憩も取らずに先へ進める傾向が私にはありますが、最後には疲れてヘトヘトになってしまうのです。寒さ厳しい工房では誰か人がいる方が、気分的な暖かさを感じるのです。また来週末、頑張ろうと思います。

週末 大雪の記憶が甦る日

今日は工房に行く前に、家内を神奈川公会堂に車で送っていきました。和装になり、邦楽器を持って出かける家内は、バスや電車に乗るのが難儀なため、毎年車で送っているのです。思い出すのは2013年の今日、大雪が降ったことです。ちょうど成人の日で晴れ着姿の新成人たちには忘れられない大変な思い出だろうと思います。その時も家内を公会堂へ送った後、工房で木彫の粗彫りをやっていたのでしたが、見る見る雪が積もって工房周囲は雪国のようになってしまいました。この日スタッフが一人も来ていなかったのが幸いでしたが、公会堂に行った家内を心配しました。今日と同じ和装で、この時は邦楽器を二丁携帯していたので、どうやって帰宅するのだろうと思っていました。家内は公会堂近隣にあったスーパーで長靴を買い、電車で自宅の最寄り駅まで来たのですが、積雪のためバスも出ず、タクシーもなく、私も車を出せず、仕方なく駅まで歩いて家内を迎えに行きました。邦楽器一丁を私が持って雪を掻き分けて帰宅しました。あれから5年が経ちました。日本全国が寒波に見舞われる中、横浜は曇りがちの天気で雪や雨は降ることもなく、ホッと胸を撫で下ろしました。私はいつものように陶彫制作に明け暮れていました。夜には職場近くの地域で賀詞交換会があって出席してきました。帰途は悴むような寒さでした。明日も寒いようですが、朝から工房に篭る予定です。風邪やインフルエンザに留意しながら、頑張って制作に励みたいと思います。

「現な像」読み始める

「現な像」(杉本博司著 新潮社)を読み始めました。著者杉本博司氏は現代美術作家ですが、写真の世界では「劇場」シリーズや「海景」シリーズで、独自な感性を持った作品で注目されています。とりわけ私は全米の映画館を撮影した「劇場」シリーズが大好きで、昨年の大がかりな展覧会でまとまった作品群を拝見させていただきました。6月には出張で訪れた京都の細見美術館でも「杉本博司 趣味と芸術ー味占郷」展が開催されていて、小さな規模ながら古美術と現代的感性のコラボレーションが絶妙で、興味津々で見させていただきました。11月には東京写真美術館で大規模な展覧会「杉本博司 ロストヒューマン展」があって、杉本ワールドには1年間で2度接する幸運に恵まれました。「現な像」は6月の個展の際に細見美術館のアートショップで購入しました。本書は「新潮」に連載されたエッセイをまとめたもののようです。頁を捲っていくと仏像等の古美術に関するものや歴史に関するものが散見されます。現代という視座を推し量る上で、歴史の出来事や哲学や宗教を介して洞察し、そこから現代そのものを導き出してくる手法は、彼の造形美術と同じで、造形と思索双方から杉本ワールドに誘われていくように感じます。しばらくは通勤の友として本書を読んでいこうと思います。