祈りと鑑賞

現代美術作家で古美術商もやっていた杉本博司氏の著書「現な像」から触発されたわけではないのですが、仏像について考えることが暫しあります。杉本氏のように眼前に古美術品としての木彫仏像がやってきたら、自分はどうするだろうと想像してしまいます。美術という概念が現れたのは人類史で言えば、さほど古い時代のことではありません。人類の曙期では、私たちの先祖は狩猟による生活区域の部落を形成して、竪穴式住居に狩猟の対象物だった動物の絵を描いていました。やがて天地に豊作を祈るようになり、宗教が始まりました。祈りの対象物を目に見えるような造形にして、人々は神の存在を認めていきました。造形美術は歴史上、宗教と共にあったと言っても過言ではありません。寺院の仏像に会いに行く時、自分は祈りの対象としてではなく、美術作品として形態の端々に現れている緊張感や豊かな抑揚を味わうことが常になっていますが、そうした鑑賞の仕方は時代的には新しい方法なのです。元来祈る対象としてきた造形物は、人々の五穀豊穣や救済の願掛けとしての役割を担ってきました。そうした人々の祈りを一心に受けてきた立体像や絵画は、美術的な概念とは異なる何か質の違う世界観を纏っているのです。つまり、現代の考え方を持ち込むと、彫刻が彫刻だけで成り立たない別種の世界観と言えます。私は生い立ちからして宗教観が薄く、特定の宗派を持ちません。私が作る彫刻は彫刻としての鑑賞対象であり、祈りのカタチではありません。私にとって祈りのカタチは、彫刻制作を繰り返していく上で自ら発見した新しい世界で、歴史的には逆説めいてきますが人類史を遡っていった古代的な新鮮味に溢れたものです。信仰とは何であるか、私が造形を通して考え始めた哲学で、それを自分なりに解明するまでは祈りのカタチを作ることは出来ないと思っています。

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