写真媒体が及ぼす影響

スマートフォン等の浸透で写真撮影が日常的になり、私たちの周辺には画像が溢れています。写真技術は記録としての手軽な方法や、画像処理を楽しんで超現実的な世界に遊ぶことも可能になり、現代ではなくてはならないアイテムになっています。私のホームページにもさまざまな作品の画像があって、視覚情報が及ぼす効果や影響を考えられずにはいられません。「現な像」(杉本博司著 新潮社)を読み進んでいくうちに、こうした写真術発明に貢献した人たちや、写真媒体が及ぼす歴史的な影響に触れる箇所があって、興味関心を掻き立てられました。「時間よ止まれ」の章の冒頭で「人類にとって『世界の見え方』は百八十年程前に大きく変化した。写真が発明されたからだ。」とありました。では写真がなかった時代はどうだったのでしょうか。「写真が発明される以前は情報伝達は文字による報道である。もちろん文字を読めない文盲の人も多かった時代、情報は文字を読んだ人から文字を読めない人への口承と、読めない人から人への噂として伝えられた。又多少の時間は必要としたがプロの画家もその記録にかかわった。」とありました。つまり「歴史とはそのように人々のファンタジーの中で捏造されるものだった。」わけです。フランスやイギリスでの写真術の発明と相まって、マダム・タッソーの蝋人形館やジオラマ館やパノラマ館が果たした役割が記されていて、その部分でも興味津々でしたが、その時代でも人々は時間を止めて、歴史的事件や世界の風景をリアルに受けとめたい欲求が強かったことが伺われます。「時間よ止まれ」の章の最後に次のような一文がありました。「歴史の瞬間瞬間で時間は止められ、保存され、陳腐化されるまで何度も眺め尽くされてきた。歴史は写真によって陳腐化されなければ歴史とはならないものなのだ。」

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