数えてみたら3200点

今日の表題にした「数えてみたら3200点」とは何のことでしょうか。これは2007年から始まったRECORDの今日までの完成点数です。一日1点ずつポストカード大の平面作品を作り続けて9年目に入りますが、今日まで8年と半年の間、ずっと日記のようにRECORDを制作してきました。9年前に日々の制作記録を総称してRECORDと名付け、継続することを主眼に、作品の深化を図ることを目標にしてきました。念願の10000点達成となれば自分は80代になっていますが、果たして元気にやっているでしょうか。現在RECORDはデジタルデータ化してホームページにアップしています。オリジナル作品を発表できる機会がやってくるのかどうか分からないし、どんな方法で発表するのか考えたこともありません。ただ、橫浜市民ギャラリーがまだ関内駅近くにあった頃、1年間分を月毎の額装をして展示したことがありました。1ヶ月分のRECORD30点が収まる額を1年間分12点用意しました。板材を加工してアクリルで覆った額を自分で作りました。額作りは大変でしたが、鑑賞者が自分の誕生日を探して、その日の作品をじっくり見ていたことが、自分には微笑ましく思えて嬉しかったことが思い出されます。オリジナル作品は2ヶ月分ずつケースに入れて工房の棚で保管しています。2年に1度くらいケース内の乾燥剤を入れ替えています。懇意にしているカメラマンが1年に1度撮影に来て、ホームページにアップしているのです。

週末 制作&友人の個展へ…

週末になって何か用事がある日でも制作工程に従って制作をしなければならず、休日でも朝ゆっくり寝ていられません。新作の陶彫作品を来年5月までに完成させ、図録用の撮影をして、そこから2ヶ月は新作を広報し、7月には個展が企画されているためです。東京銀座のギャラリーせいほうは企画のみを扱う画廊です。そこで毎年個展をさせていただいて、次回は11回目になります。この流れを断ち切ってはならないと自分で決めていて、焦らず休まず長距離ランナーのように制作を続けているのです。いったいいつまで続けるのか自分でもわかりません。イメージが枯渇するまでなのか、健康を害して制作続行が不可能になるまでなのか、行く末は神のみぞ知る世界です。ともかく今日も朝7時に工房に出かけて、昨日タタラにしておいた陶土で成形を行いました。濃密な集中した時間は、あっという間にやってきて3時間が瞬く間に過ぎました。自宅に戻ると結構疲労していましたが、午後は家内と友人の個展に行く約束になっていて、昼前には自宅を出ました。陶芸家佐藤和美さんは家内の幼馴染で、茨城県笠間を拠点に活動しています。最近私たちは5月にある笠間の陶炎祭に行っていないので、和美さんとは2年ぶりに会いました。個展会場は東京目黒の都立大学にある洒落たギャラリーでした。和美さんは土の風味を生かしたざっくりした器を作っていますが、自然な雰囲気をそのままにしながら緻密に計算しているところもあって、相変わらず素敵な作品だなぁと思いました。因みに和美さんの作品は人気があって売れ筋です。もうひとつ、東京神田で版画家加藤正さんが個展をやっているので、伺おうとしたところ日曜休廊だったので、次の土曜日に行こうと決めました。

週末 制作&同窓会へ…

今日は中学校の同窓会が横浜駅にあるホテルを借りて開催されました。私が通った公立中学校は横浜市内でも屈指のマンモス校でした。現在も規模の大きな学校ですが、私が卒業した当時は学年に11クラスもあったことが分かりました。私は3年5組でした。実はそんなことや同級生のこともすっかり忘れていて、同窓会に行くまで話が合わなかったらどうしようと思っていました。当時のクラス集合写真や名簿を見て、俄かに当時を思い出し、記憶の糸を辿りながら周囲の人と旧交を温めました。卒業して40数年も経っているので、旧交を温めるというより、新しい関係を築くために機会を設けていただいたように思います。自分は美術の道を歩んでいますが、まさか同級生に工業デザイナーがいるとは驚きでした。彼も海外に修行に出かけていました。もうひとり役所に勤務している人がいて、以前彼は市政の立場からヴェネチア・ビエンナーレの取材をやっていて、こうしたプロジェクトを横浜に根付かせようとしていたこともわかりました。同窓会に来て彼らと話が出来たことを嬉しく思いました。自分はずっと地元に住んで、しかもここで市公務員管理職をやっていることも言いました。これは珍しいことかもしれません。400数十人の卒業生のうち100数十人が参加して、同窓会は盛大なものになりました。今日は同窓会があったとしても制作を休むわけにはいかず、工房に出かけて、明日の成形のためのタタラを4枚作りました。明日は2人の友人の個展に東京へ出かけますが、朝早く工房で成形をやってしまおうと思っています。

評壇より 「神秘感」について

先日送られてきたビジョン企画出版の新報に私の個展に関する文章が掲載されていました。短い文章なので書き出します。「古代遺跡発掘品に模した陶彫シリーズ第7回展。主は屏風7面と丘陵見立ての大台四体。他に尖塔、円頭の円錐形が多数林立。それら黒褐色の造形の迫力は従来通り。神秘感に満ちている。」という批評でした。これは好意的な批評と捉えています。毎回陶彫のもつ「出土品」的な雰囲気や表現の迫力を評価していただいていますが、今回は「神秘感」が加わりました。自分の作品は敢えて神秘性を狙うものではなく、寧ろ神秘性とは大局的な実体感や存在感を出しています。現代美術の潮流の中に、素材そのものを提示し、素材を駆使して何かを表現することを否定した動きがありました。「もの派」と言われたグループでしたが、そればかりではなく作為や加工をしないばかりか、創作行為さえ乗り越えようとしたグループもありました。自分の作品は、そこまでいかないため、まだ創作行為を留めていますが、作為に具象性はありません。作り込んでいくと意図しない何かが出てくるということでしょうか。素材の実体感を超えていくとすれば、技が練れてきた証拠で、これは歓迎すべきことかなぁと思っています。こうした批評を励みにして頑張っていきたいと思います。

10月は芸術の収穫期

10月になりました。気温は暑からず寒からずで、創作活動には絶好の季節です。週末だけでなくウィークディにも制作をしたいものです。制作目標として新作の陶彫部品は9月に続いて10個の成形・彫り込み加飾終了を目指します。9月のように長い連休がないので厳しい制作目標ですが、何とか頑張ってみたいと思います。成形・彫り込み加飾ばかりではなく、今月は焼成もやろうと思います。秋は芸術が盛んになる季節で、制作ばかりではなく鑑賞も充実させたいと思っています。これは情報を駆使して自分の刺激剤になるものを探したいと考えています。このところ他の創作活動の犠牲になる傾向があるRECORDですが、最近は小作品に対する集中力が高まっています。長年やっているせいか余裕が出てきたのかもしれません。もうすぐRECORDは3200点に達する見込みです。読書は相変わらず精神分析学の専門書を読んでいますが、なかなか進まず時間がかかりそうです。軽い書籍に浮気するのもこの時期なので、何か面白いものを選ぼうと思います。ウィークディの仕事の方もそろそろ人事が始まり、あれもこれも忙しくなりそうですが、10月は芸術作品が生まれ出る収穫期と考えていて、今月は気合を入れて頑張っていきたいと思っています。

9月は美術鑑賞が充実

今日で9月が終わります。今月の特徴だったところは、頻繁に美術館に足を運んだことです。「舟越保武彫刻展」(練馬区美術館)、「アールヌーボーのガラス展」(汐留ミュージアム)、「二科展」(国立新美術館)、「オスカー・ニーマイヤー展」(都現代美術館)、「月映展」(東京ステーションギャラリー)、「ニキ・ド・サンファル展」(国立新美術館)、「若林奮展」(県立近代美術館葉山)が週末に出かけた展覧会(美術館)ですが、それに小さなグループ展が加わって、今月は美術鑑賞が充実していました。鑑賞した展覧会数は9つに上ります。その分、映画や演劇等に出かけることはありませんでしたが、二足の草鞋生活をしながらの鑑賞散策としては精一杯な状況ではないかと思います。楽しい1ヶ月でした。制作は連休を利用して陶彫部品を10点ほど乾燥段階まで進めました。新作は心配な面もありますが、まずまず頑張ったのではないかと思っています。RECORDも陶彫制作に負けじと取り組んでいて、最近は緊張感のある作品が出来ているかなぁと感じています。読書は滞ってしまいました。全てが調子よく出来るものではなく、どこかに負担をかけながら、それでも前向きにやっているのであれば良しとしたいと思います。来月も頑張ります。

六本木の「ニキ・ド・サンファル展」

女流造形作家ニキ・ド・サンファルの作品を知ったのはいつだったのか、きっと自分が彫刻を学び始めた20代初めの頃だったろうと思います。現代美術の奔流の中で、鉄で動く彫刻を作っていたジャン・ティンゲリーのパートナーとして、鮮やかな色彩を纏い、デフォルメされた女性像を作る作家としてニキを知ったように記憶しています。私がニキの全貌を見たのは栃木県の那須高原にあったニキ美術館でした。今回、東京六本木にある国立新美術館で開催している「ニキ・ド・サンファル展」を見に行って、ニキ美術館が閉鎖されたのを初めて知りました。美術館はなくなったけれど、ニキ作品のコレクターだったYoko増田静江氏のお陰で、数多くのニキ作品が日本にあることは喜ばしいと感じています。それにしてもニキの作品が放つ途轍もない生命力はどこからくるものでしょうか。女性を前面に出し、暴力や性差別、社会通念と闘う造形作家の刺激的な表現方法の原点はどこにあったのでしょうか。「テロリストになる代わりにアーティストになった」というニキの言葉はあまりにも印象的です。図録にこんな文章がありました。「11歳の時に父親から性的虐待を受けた少女は、1940年代に反逆する女性となり、50年代には前衛的なアーティスト、60年代にはメディアを利用する有名アーティスト、そして70年代にはパブリック・アートに取り組み、さらには、常に女性に関わるものを含んだ様々な信条に携わるアーティストとなったのである。こうして、犠牲者としての女性は、私的な物語を乗り越え、それを作品の主題とすることによって、20世紀の最初のフェミニストの一人に姿を変えた。」本当の生涯はもう少し複雑な要素もあったのでしょうが、現代美術史に残るニキ・ド・サンファルの世界において、その創作の秘密を垣間見たような気がしました。

新木場の「オスカー・ニーマイヤー展」

先日見に行った展覧会の詳しい感想をひとつずつアップしていきます。東京江東区にある東京都現代美術館は新木場に近く、橫浜に住む私の自宅からは遠い美術館のひとつです。ブラジルを代表する建築界の巨匠オスカー・ニーマイヤーの展覧会がここで開催されていると知って楽しみにしていました。テレビで紹介された雛型を複数配置した広い展示空間にも興味津々でした。「私は邪魔なものを排除していき、その結果、建物は独創性を増し、よりおおらかな空間を作り出す。」というインタビュー記事がアートショップにあった書籍に載っていました。ニーマイヤーの初期の作品にはル・コルビュジェの近代機能主義の影響がありましたが、次第にダイナミックで繊細な彼独特なセンスが現れ、その流麗なデザインは首都ブラジリア全体を成す建築群に昇華していきました。コンクリートという素材が生んだ曲線・曲面を多用した建築は、アートと相まって巨大な舞台を作り上げています。そこで自分が注目したのは人目を引く巨大建築群ではなく、ニーマイヤーの自宅でした。自然石のある地形を半分室内に取り入れた住宅は、周囲の風景との融合を図り、心地よい空間を作り出していました。また、ニーマイヤーは南米出身ということもあって政治色の強い建築家でもあったようです。とりわけ北米の資本主義の在り方に関して反発もあったことが分かりました。いずれにせよ多くの魅力ある建築物を数多く残したニーマイヤーの業績は、近代建築史の中で揺るぎない地位を与えられていることは間違いありません。

週末 今月最後の終日制作日

時間が経つのは早いもので、この週末が9月最後の週末で、終日制作できる日としてはラストです。今月の制作目標として掲げた10点の陶彫部品の成形と彫り込み加飾は既に出来上がっています。今日は朝から工房に出かけ、7時間かけて成形2点を作り上げてきました。夜まで気力が続かず、彫り込み加飾は後日にしました。今日は久しぶりに若いスタッフが来ていました。凌ぎ易い季節になり、制作がやり易くなっていますが、集中力が持たず、やはり6時間から7時間というのが作業の限界です。これから仕事帰りに夜の制作が可能になるかもしれないと思っています。何しろ新作には手間暇がかかりそうで、今後の制作工程を考えると焦ります。乾燥を待っている10点の陶彫部品のうち2点ほど仕上げて、化粧掛けを施し、窯入れをしてみようかと思っています。現在作っている陶彫部品の構成が今までの作品と異なるので、窯入れをしてみないと何とも言えないと思っています。どんな具合に焼成されるのか、試してみないとわからないのです。そんな不安を抱えながら、成形や彫り込み加飾をどんどん進めていて、そもそも大丈夫かという考えが頭に浮かびます。来月早々には新作の窯入れをやってみます。いよいよ制作が本格化する季節を迎え、気が引き締まる思いがしています。

週末 制作&美術館へ…

今日は工房で作業をやった後、家内と自家用車で葉山にある美術館に出かけてきました。先日もそんな流れで美術館巡りをしましたが、今日は東京方面ではなく神奈川県三浦方面に行きました。美術館に行く予定があっても制作を止めるわけにはいかず、朝7時に工房に出かけ、成形と彫り込み加飾を明日やるためにタタラを8枚用意しました。座布団大のタタラ8枚には結構骨が折れ、腕が痛くなりました。2時間かかって今日の作業を終えて、午前10時過ぎには家内と自宅を出ました。横浜横須賀道路を使い、神奈川県立近代美術館葉山に到着したのは11時を回っていました。「若林奮 飛葉と振動」展は必ず見に行こうと決めていた展覧会でした。若林奮先生は、私の学生時代に彫刻科研究室ではなく共通彫塑研究室におられました。そのため直接若林先生から教えを乞うことができず、先生の活動を遠巻きに見ているだけでしたが、当時から若林奮ワールドに注目し、個展には必ず伺っていました。先生が執筆された文章もよく読んでいました。当時の私には難解で謎解きのような理論でしたが、今の私は先生の思索がわかるようになりました。「振動尺」という先生が作り上げた空間を図る尺度、成長する植物を観察して得た時間の概念等、その独特な造形言語に私は今も魅了されています。若林奮ワールドにおいては、空間的な関わりを独自の尺度で捉え、また蓄積された時間を銅板や紙や植物の葉を重ねることによって捉える方法が、やがて庭園制作へと発展していくように思えます。考えれば考えるほど、その独自な視点には苦しさが伴い、また作家本人の神経質な面が覗けますが、生前はどうだったのでしょうか。本人の性格はともあれ、今の私には若林奮ワールドが刺激を与えてくれることは確かです。展覧会を見た後、無性に作品が作りたくなったのが何よりの証拠です。ただ、葉山から帰った後、工房に行くはずだったのがウィークディの疲れが出て、自宅のソファに寝てしまいました。明日は制作を頑張りたいと思います。

ローマ遺跡破壊報道に思うこと

私は職場に配達される複数の新聞に日々目を通しています。職種のことで記事になっている場合、自分は必ずスクラップをしています。それは将来を見据えた展望だったり、残念な不祥事だったりしますが、スクラップは職種のことに限らず、自分の興味関心事にも及んでいます。先日の神奈川新聞の読者欄に注目したので、今日はこれを取り上げます。理由は美しい列柱の写真が掲載されて興味を引いたのですが、内容は残念なものでした。「パルミラ爆破に憤り」というタイトルで読者が実直な感想を寄せていました。パルミア遺跡はシリアにあります。シリアと言えば難民がヨーロッパに押し寄せていることが話題になっていますが、イスラム国の占拠により、遺跡の破壊が最近報じられたばかりです。パルミラ遺跡はローマ時代の貴重な遺跡のひとつで、円形劇場や列柱が立ち並ぶ道路があり、規模が大きいことで世界的に知られています。自分は20代の頃に地中海に面した遺跡を見て歩きました。それが現在の「発掘シリーズ」になって、作品を作り続ける原動力になっているのです。中東にもこうした遺跡が残されていて、近いうちに訪ねてみたい衝動に駆られていたところです。それが何故破壊されたのか、イスラム国の非情な行為は自分の理解を超えています。歴史が紡いできたかけがえのない人類の文化は、時の暴挙によってあっという間に無くなってしまうのです。自分のイメージの源泉ゆえに残念でなりません。

13‘RECORD 1月・2月・3月分アップ

私のホームページに2013年1月分~3月分のRECORDをアップしました。2013年の年間テーマは漢字一文字で表しました。1月は「起」、2月は「築」、3月は「束」でした。実のところ今年も同じ漢字一文字のテーマでRECORDを作っています。以前のNOTE(ブログ)にも書きましたが、旧作を見ると制作当時の状況が甦ってきます。2年前は屏風を使った陶彫作品に追われつつ、夜の眠気に負けまいとRECORDを作っていました。「築」では階段で登っていける塔を描いていた日々がありました。翌年に制作した「発掘~層塔~」はそんなところにイメージの発芽があったのかもしれません。RECORDは陶彫作品とは別に考えていますが、振り返ると共通する要素が顕在しています。創作イメージは潜在化した内面から立ち現れると思いがちですが、実はそうではないように思えます。まさにイメージの蓄積がRECORDなのだと再認識しました。私のホームページを見ていただけるなら、このNOTEの左上にある本サイトをクリックすると入れます。それからRECORDを選んでクリックすれば、今回アップした1月分~3月分のRECORD画像が出てきます。ご高覧いただけると幸いです。

SW 最終日に陶彫10点達成

シルバーウィーク(SW)の最終日になりました。工房で制作に没頭していると、連休はあっという間に過ぎていきます。創作活動をやっていると、きっと生涯さえも短く感じるかもしれません。終焉の時を迎えて頭を過ぎるだろうことは、陶土と向き合って至福の時間を過ごせたことへの感謝かもしれないと、今から思ったりしています。刹那の享楽はあってもいいと思いますが、自己主張の高みに達する愉快を獲得するために、自分は日々苦しんでイメージする水準に自己表現力を昇華させることが、今の自分に満足を齎すのだと確信しています。連休だから遊びに出かけていく余裕が自分にはありません。あるいは創作活動は全精力を使って大真面目に遊びをやっているのではないかとも思えます。ともかく連休の制作目標だった成形と彫り込み加飾の10点は、今日の夕方に終わりました。これはスモールステップです。全体総計100点のうちの10点を終えただけで、しかも窯入れをしていないので、これは完成とも言えないのです。制作は弾みがつけばペースは上がります。最初の一歩が苦しいのが今までの経験から言えることです。シルバーウィーク(SW)は苦しんで楽しんだ5日間でした。夜はRECORDも頑張っていました。RECORDをホームページにアップするため2013年の半年分のコトバを捻り出しました。初日は4つの展覧会を駆け巡りました。もうこれ以上出来ないと思えるほど精魂傾けた創作活動でした。明日から通常の勤務が始まりますが、新作は10分の1が終わっただけなので、ここで一区切りつけ、さらに制作を進めます。

SW 工房で過ごす日々

シルバーウィーク(SW)の後半になりました。5日間の休みはあっという間に過ぎていくようです。横浜は天候に恵まれ、どこか行楽地へ行きたくなるような陽気です。工房のFMラジオから高速道路の渋滞情報が流れていて、どこかへ出かけても車中で過ごす時間が多く、果たしてドライブがストレス解消になるかどうか疑問になります。各地でいろいろなイベントが行われているようで、ラジオから流れてくる情報はとても楽しいと感じます。自分は今日も朝から工房にいました。工房は制作の場であって、休むところではありません。ゆっくり出来るような椅子や休息の環境がありません。作家によっては自宅と一体化している工房を持っている人もいますが、自分はあえて自宅から離れた場所に工房を建てました。だから工房に数時間いると精神的に厳しくなってきます。その代わり集中して作業が出来る環境になっています。今日も陶彫部品の成形と彫り込み加飾に夢中になって時間が経つのを忘れました。工房で過ごす時間は精神的満足を与えてくれますが、作業が終わればすぐ自宅に帰ります。自宅では工房で心身とも集中して作業を行った分、身体が動かず情緒不安定にもなります。この疲労度が10年前とは明らかに異なっています。加齢のせいかもしれませんが、認めたくない自分がいます。夜はRECORDに打ち込みますが、陶彫制作の後のRECORDはなかなか辛いものがあります。今は連休中で毎日工房に通っていますが、退職したらこのペースが日常生活になるのでしょうか。それを考えると創作一本でやっていくのは思った以上に厳しいと言わざるを得ません。ゆとりあるペース配分を考えなくてはならないかなぁと思っています。

SW 墓参り&制作の日

午前中は家内と菩提寺に墓参りに出かけました。私は墓参りに対する意識が薄く、家内に言われるまで予定にありませんでした。祖父母や父が眠っているのに罰当たりな子孫です。墓参りは何のためにするのか、特定宗教を持たない自分は先祖から付き合いのある浄土宗の菩提寺に何の考えもなく出かけていきますが、宗教に縛られない自分は、菩提寺はどこでも良いとさえ考えています。ただ、菩提寺に足を踏み入れると清々しい気分になります。墓石に供花すると不思議に心が落ち着くのは何故だろうと思っています。墓参りは生存している自分たちのためにしているのではないかと最近思うようになりました。式典は社会のため、供養は自分たちのため、つまり当の本人より周囲の認識のため、そんなことを考えながら墓参りをして帰ってきました。午後から工房に篭りました。工房の周りは草に覆われていましたが、遠縁に当たる人に定期的に草刈をしていただいていて、今日は草が刈られていました。工房のある植木畑が広く感じました。定年後は自分が草刈をやるべきかなぁと思いつつ、今日は制作に没頭しました。成形と彫り込み加飾を施して8点目が終わりました。毎日工房に来ていると制作が進みます。創作の魔力は日々自分に訪れて集中のため我を忘れる瞬間がやってきます。身体に疲労を感じながら作業中は不思議なほど身体が動きます。眼の前の陶土以外は見えなくなって素材との対話が始まります。至福の時を過ごした後、夕方になって母が入居している介護施設に家内と行きました。必要なものを持って母の様子を見てきました。母はとても元気でした。今日は制作の合間に先祖や母の許を訪れた一日になりました。老いを敬う日に相応しい行動だったと思い返しています。明日も制作を頑張ります。

SW 連休の制作目標

シルバーウィーク(SW)の制作は実際には今日から始めました。陶彫部品の成形・彫り込み加飾の目標数は4点にしています。シルバーウィーク(SW)の前に6点の成形・彫り込み加飾が終わっているので、今回の目標数を加えると10点になります。昨日タタラを準備していたので、今日は朝から成形に取り掛かり、彫り込み加飾まで一気に作り上げ、7点目を終えました。今日のうちに明日のタタラを準備して、しかも土錬機を回して陶土も作り置きしました。この陶土の分量でもシルバーウィーク(SW)中に足りなくなるので、もう一度土練りをする必要があります。今日の工房は若いスタッフがいなくて自分一人で作業をしていました。夏の暑さは去りましたが、身体を動かしていると汗が滴り、真夏のように汗でシャツを濡らしました。現在、新作の擂り鉢状になる一番外側の陶彫部品を作っています。全部で20個の陶彫部品が必要になります。陶彫部品は今までにないカタチをしているので、乾燥で収縮する時に生じる皹がどこに出るのか漸く分かってきました。そこを厚くするのではなく、寧ろ逆に欠いた表現にすることにしました。敢えて皹の箇所を作為的に作るのです。陶土の危ういところを表現として利用するのも素材との対話から生まれた積極的な方法です。明日も頑張ります。

SW 東京の展覧会巡り

5連休となるシルバーウィーク(SW)が始まりました。SWは当然制作目標を立てていますが、今日は東京の展覧会を見て回ることにしました。家内が胡弓の演奏に出たので、今日は単独で丸一日かけて美術館等を奔走でき、合計4つの展覧会を見てきました。家内が同伴していると無理な行程が組めず、せいぜい2つくらいが限界です。先日の展覧会巡りも単独でしたので、4つ見て来ていました。SWの制作目標があるため、今日は陶彫のタタラを用意しなければならず、早朝7時に工房へ出かけ、座布団大のタタラを5点準備しました。自宅を出たのは朝8時半、電車を乗り継ぎ、東京江東区にある東京都現代美術館に到着したのは11時になっていました。東京都現代美術館は自宅から遠いという印象があって、あまり行くことがないのです。ここでブラジルを代表する建築家オスカー・ニーマイヤーが展覧会を開催しているので見てきましたが、ブラジルの国家プロジェクトと言うべき首都ブラジリアの主要な建築を全て手掛けている巨匠は、その規模において他の建築家を圧倒する力量を見せていました。曲線を効果的に使い、モダニズムを追求したカタチは有機的で自然に逆らわず、風景に溶け込んでいるように思えました。詳しい感想は後日改めます。次に向かったのは東京駅のステーションギャラリーでした。今日から同ギャラリーで詩誌「月映」を発行した3人の画家・版画家の展覧会が始まったので、初日に見てきました。自分は夭折した田中恭吉に昔から注目してきました。3人の魂が込められた個性的な版画の世界に触れて、自分が学生時代に影響を受けた世界が甦ってきました。これも詳しい感想は後日にしたいと思います。次は新宿区にあるアートコンプレックス・センターで開催している「留学生フェアプログラム」を見てきました。相原工房に出入りしている中国籍アーティストが大きなパネルを4点出品していたので、その全貌をじっくり見させていただきました。工房では1点ずつしか作っていないので、全連作が一同に展示されるのを見るのは初めてでした。ガッシュとペンで表現した波のうねりは、大きな世界を獲得していて見事でした。彼女には大陸系美女子の大らかさと執拗さがあります。繊細で骨太な感覚は今後のダイナミックな展開を予感させるものではないかと思いました。最後に六本木に移動し、国立新美術館で開催中の女流造形作家ニキ・ド・サンファルの大がかりな展覧会を見ました。原初的な煌く色彩、デフォルメされた大らかな女体、有名なニキ・ワールドが空間いっぱいに広がり、その逞しさに圧倒されました。これも感想は改めたいと思います。以上が今日巡った展覧会の雑感ですが、SWの初日に相応しく充実した鑑賞でした。明日から制作を中心にしたSWを過ごしたいと思っています。

12‘RECORD 11月・12月分アップ

私のホームページに2012年のRECORDの11月分と12月分をアップしました。今回アップしたのは、約3年前に作っていたRECORDですが、その時の状況が思い出されます。普段忘れてしまっていることが記憶の隅から思い起こされるのは、それだけ制作が自分の心に刻まれている証拠でしょう。制作に対する思いは自分の中で相当強いものだと認識しました。RECORDは現在3000点を超えています。日々の積み重ねによって地道に作ってきたものですが、今のところイメージの枯渇はありません。似たイメージに偏る傾向はありますが、自分の得意とする世界観が見えて、それはそれでよいのではないかと思っています。具象、抽象、象徴、超現実をはじめ表現主義や漫画・戯画風に至るまで、その時の気分で描きたいモノを描いてきました。苦手なのは瀟洒にしたつもりのイラスト風の世界で、自分では難しい挑戦でした。逆に得意とする世界は、重く構築された建造物を描いたものです。渦を巻いていたり、紐が絡んだ世界も好きで、幾度となく登場しています。自分のホームページに入るのには、左上にある本サイトをクリックしていただければ入れます。ご高覧いただければ幸いです。

「花器〈ブドウとカタツムリ〉」感想

先日、東京のパナソニック汐留ミュージアムで開催されていた「アール・ヌーヴォーのガラス」展を見に行って、とりわけ印象に残った作品が「花器〈ブドウとカタツムリ〉」でした。図録によると「無色ガラスに黄色と赤味を帯びたオレンジ色の粉末ガラスを封入し、その上に、濃青色ガラス、白と錆赤、紫がかった赤、青緑、濃青色、黄色の粉末ガラスを部分的に重ねて溶着している。酸の腐食によるさまざまな度合いの浮彫で表した濃青色のブドウの実の部分には、いくつかの小さな透明の玉飾りを溶着し、側面には二匹のリンゴマイマイ(エスカルゴ)を両側に一匹ずつ、あらかじめ形づくったものを溶着し、エングレーヴィングによる彫刻を加えて仕上げている。」という技法解説があって、手間暇かけた1点制作であったことが伺えます。職人の計算と偶然の融合が、鑑賞する側を魅了し、いつまでも見飽きない世界を創出させています。展示されていたガラス越しに息がかかるほど見惚れていた私は、色彩と浮彫の織り成す妙をたっぷり味わっていました。当作品はA・ベルジェのデザインによりドーム兄弟が1904年に制作したもので、リエージュ万国博覧会に出品されたと記述がありました。

汐留の「アール・ヌーヴォーのガラス」展

東京では既に終わってしまった展覧会ですが、「アール・ヌーヴォーのガラス」展はなかなか見応えのある印象的な展覧会だったので、感想を述べたいと思います。パナソニック汐留ミュージアムは興味深い企画展が多く、企業が経営する美術館の中で私はよく出かける美術館のひとつです。今回の企画は独デュッセルドルフ美術館所蔵の個人コレクションが中心になっていました。コレクションをされた人はゲルダ・ケプフという実業家夫人で、収集品を見ると確かな審美眼をもっていて、その素晴らしさが私にも伝わってきました。その中で目を引くのは、やはりエミール・ガレとドーム兄弟の作品群です。両者の制作に対するアプローチが異なるので、比較対象にはなりませんが、最終的には芸術性の高い優れたガラスを創り出したことでは、兄たり難く弟たり難しになっていると感じました。その源泉とも言うべき作品で印象的だったのはウジェーヌ・ルソーの「台付蓋付花器」で、そこからガレに受け継がれて、まさにアール・ヌーヴォーのガラスは開花期を迎えたように思えます。ルソーは当時流行ったジャポニスムの影響が随所に見られ、日本の浮世絵からのイメージがガラス面に溶着していました。動植物が大胆にシンボライズされて応用されていますが、日本人からすれば、文様のもつ意味が剥奪されて、単なる装飾になっている感も否めません。いずれにせよ豊かなデザインと卓抜した技法が、ひとつの時代を築いたことに変わりはなく、その精緻な優美さに目を奪われました。

職場の野外イベント

私の職場では年間数回、職場全体を上げての大きなイベントがあります。今日は野外で行う祝祭的な要素の強いイベントがありました。イベントは時に応じて儀礼的だったり、祝祭的だったりしますが、通常は専門性の高い仕事をしている全職員が、自分の専門性を差し置いて、全員で協力体制を組むのがこうした行事を行う意義です。私は何回か職場を異動してきましたが、どこの職場においてもこうしたイベントが企画されていました。野外イベントは気象条件があって、天気の影響を受けやすいのです。実は先週の金曜日がイベント予定日だったのですが、前日まで続いた台風による大雨の影響で、今日に延期されたのでした。準備段階から職員はよく働きます。私たちの職種の採用試験は狭き門で、有能な人材が選抜されますが、時に応じて指示系統での動きがあったり、また自らの判断で動く場面があったりして、用意周到と臨機応変が絡む複雑な働き方をします。指示待ちをしている若手には容赦ない指導が入ります。そんな中で決行されたイベントは成功を収めました。夜の打ち上げでも振り返りを行い、次の職務に生かしていくのです。若手にはスキルを上げる絶好の機会です。

もうひとつの彫刻イメージ

彫刻の新作に取り掛かる前に、現行作品の延長として湧いてくるイメージがあります。いくつものイメージが現れては消えていきますが、その中で頭に刻み込まれるイメージをひとつ決めて、新作にするための具体案をまとめるのが自分の流儀です。今まで自分はずっとそんな方法で作品にしてきましたが、現行作品の延長とは無関係に現れるイメージがあって、それも頭に刻まれて、夢の中で執拗に繰り返されているのです。以前のNOTE(ブログ)に書いた記憶がありますが、素材は廃品になった錆鉄です。牢獄のような鉄格子に寄り掛かる人体がモティーフですが、人体を形成するギリギリのところまで量感を削り取った痩せこけた彫刻です。頭部はありません。胴体にも穴が空いた屍状の人体になっていますが、鉄格子に捉まった手と床に立つ足はしっかり作っていて、そこに存在の意味を見いだそうとしているかのようです。どうしてそんなもうひとつのイメージに自分が囚われているのか分かりませんが、学生時代に塑造を自分なりに頑張っていたという自覚があるにも関わらず、充足感が得られていない自分の精神的な部分が、そんなイメージを呼び寄せるのかなぁと思っています。度々現れるイメージはRECORDにして記録していこうと思います。

週末 休日出勤&制作

今日は日曜日でも休日出勤がありました。午前中はどうしても職場周辺の地域の行事に出るため出勤をしなければならず、丸一日制作三昧というわけにはいきませんでした。日頃、地域の方々の職場に対する理解にお礼を述べ、挨拶を交わすだけの公務でしたが、顔の見える関係作りに欠かせないのです。2つの別々の会合を掛け持って、昼過ぎに帰ってきました。工房へは午後2時に行きました。昨日準備しておいたタタラを使って成形に励みました。昨日といい今日といい、ちょっとした時間で制作をしています。じっくり腰を据えられないのが厳しいところですが、それでも制作を止めるわけにはいきません。制作工程に従ってコツコツ作っていかないと間に合わなくなるからです。このところ涼しくなって作業は楽になりました。夕方になると工房の窓から涼しい風が入ってきます。風を受けながら、もう少しのんびりしたいところですが、限られた時間内で陶彫部品を着々と作っていかなければならず、休む間もなく矢継ぎ早に作業を進め、今日で6個目の陶彫部品の成形が終わりました。残り94個となり、まだ登山の麓にいるような気持ちです。見上げると険しい坂道が控えているような錯覚を持ちます。あまり先を見ていると虚しくなるので、自分は目の前の小さな目標に向かって頑張ろうとしています。それは自分の得意とするところで、小さな目標の積み重ねがゴールに導いてくれると信じて、一歩ずつ確かな足取りで進んでいくのです。気が急いてダッシュをしたり、長く休むことはしません。同じペースで焦らず休まずやっていくのが自分の流儀です。1年間走り続ける長距離ランナーにも喩えていて、そのために健康にも留意しています。来週もペースを崩さず、決まった時間内で集中したいと思います。

週末 声楽家の叔父との対話

家内の叔父下野昇は声楽家です。私たちが結婚して間もない頃、叔父は二期会オペラのテノール歌手として華々しい活躍をしていて、私が志す美術とは違う世界を見せてくれていました。当時は指揮者小澤征爾との共演も複数回ありました。私も誘われるまま東京文化会館のリサイタルに行き、ドイツやイタリア歌曲に酔いしれました。私が彫刻家としての力量をつけていくにつれ、叔父夫妻との仲も濃密になり、芸術の話が出来る唯一の親戚として、私には大切な存在になりました。最近は夜遅くまで語る機会も減っていましたが、久しぶりに叔父宅に私たち夫婦が呼ばれて、大いに語る時間を持つことが出来ました。週末ともなれば自分は新作の制作があって、朝早くから工房に篭らなければ時間を空けることが出来ません。今日は叔父宅に行く時間を作るため、成形加飾1点とタタラ4枚を午後2時までに作り上げました。家内は午前中から叔父宅に出かけていました。夕方、私が到着すると夕食のレストランを予約して頂いていました。来年80歳を迎える叔父はラストリサイタルを東京文化会館でやりたい意向があります。競争率の高い施設でのリサイタルを諦めていた矢先、二期会の事務から連絡があって、何とか叔父が希望する日で来春の東京文化会館を押さえてくれたらしく、これも叔父のキャリアの成せる業かなぁと思いました。大学の同期は亡くなった人も多いと叔父は嘆いていましたが、この年齢でリサイタルが出来るのは、叔父は選ばれた人ではないかと私は主張し、叔父の背中を押しました。自分も叔父の年齢まで展覧会をやれたらいいなぁと願っています。レストランでの話は夫婦の話にも及び、叔母は昔から手作りの食事で叔父の健康を気遣ってきました。その分叔父はリサイタル予約のこと等なかなか叔母に言い出せなかったようです。叔父を徹底して管理する叔母に心配をかけたくないと思ってのことでしょう。家内も叔母から学ぶべきことがあったようですが、家事に情熱を燃やす叔母と違い、家内は胡弓奏者として巡業を行っているため、家事に時間を避けない事情があります。私は家内の表現活動を認めていて、家事で自分を気遣わなくても良いと思っています。夫が重責を担う管理職としてやっていて果たしてそれでいいのかと叔父夫妻に心配されましたが、私たち夫婦の在り方は少し違っていて、私が突如美術館に行きたい、海外に行きたいと言い出すと、家内は可能な予定ならそこを空けて付き合ってくれるのです。しかも鑑賞の感想も忌憚なく言います。私の創作活動に対しても同じです。家内は私にとって一番近い冷静な評論家です。そんな関係があるからこそ私たちはやっていけるのだと叔父夫妻に言いました。ともかくこんな話が出来る親戚がいることが幸せと私は感じています。叔父には長く表現活動を続けて欲しいと願うばかりです。

練馬の「舟越保武彫刻展」

既に終わっている展覧会を取り上げて恐縮ですが、先日練馬区美術館で開催していた「舟越保武彫刻展 まなざしの向こうに」に行ってきました。ギャラリーせいほうでの私の個展の前週が「舟越保武デッサン展」だったので、その卓抜した素描に触れ、同美術館の彫刻展には必ず行こうと決めていたのでした。彫刻家舟越保武は自分にとって大変存在感がある巨匠です。キリスト教関連の彫刻作品が、私の師匠である池田宗弘先生に引き継がれていることへの影響もあります。私自身は宗教観をテーマにしていませんが、特定宗教のもつ哲学や祈りの深さは理解しています。長崎県に行った時に「長崎26殉教者記念像」を見てきました。外壁から突き出た聖人たちのもつ静謐さに心打たれました。今回の展覧会でもそのデッサンや雛型が展示されていました。「病醜のダミアン」の展示もありました。ハワイでハンセン病患者に寄り添ったベルギー人神父の、病気に冒された容貌と崇高な精神が相まって、彫像には清々しい空気が漂っていました。「原の城」は今まで何度も見ている馴染みのある彫刻です。初めて「原の城」を見た時は深い感動がありました。聖母や女性像を石彫した優美な作品群もありました。改めて舟越ワールドに触れて、現代彫刻界を支えてきた人の表現力の凄さや巧みさを確認しました。前のNOTE(ブログ)にも書きましたが、私が美術館を訪れた日は大変混雑していて、特にご高齢の方々が熱心に彫刻を見ている様子を見るにつけ、彫刻という表現が漸く社会的にも評価を得たのかなぁと思っています。もちろん舟越保武の彫刻だから、その知名度と関心度で群を抜いているのもわかります。それでも彫刻が身近になってくれれば、これほど有り難いことはありません。

「夢の素材と夢の源泉」(a)まとめ

現在通勤時間帯に読んでいる「夢解釈」(フロイト著 金関猛訳 中央公論新社)の第五章「夢の素材と夢の源泉」の(a)「夢における真新しい事柄ととるにたらない事柄」のまとめを行います。第一章では分節された章論が8つもあったにも関わらず、大きなまとめをしてしまいましたが、章論のまとめは小まめにやった方が良いと判断し、第五章では4つから章論から成り立っているため、ひとつずつまとめをしていきたいと思っています。因みに第二章、第三章、第四章には分節された章論はありません。「夢における真新しい事柄ととるにたらない事柄」の中に些細な体験が価値のある体験の代理をしている、つまり「力点のずらし」があるという理論が導かれています。その文を引用します。「私たちは、ある心理学的な行程によって、些細な体験が心的に価値のある体験の代理をするに至ることを明らかにした。~略~夢分析の際に数えきれぬほどの経験をいやというほど繰り返すことで、私たちはそうした行程があると想定せざるをえなくなった。ここではこの行程から生じた結果のみを考察するにすぎない。そして、それは、ずらし~言うなれば、心的な力点のずらし~の行程であるようだ。これは仲介的要素をたどって成立する。そしてその結果、もともとに低い強度しか帯びていなかった表象が、高い強度の充当を当初から受けていた表象から負荷を受け取り、そのことで、その表象は意識への立ち入りを強いるだけの強さを得るのである。~略~夢内容が副次的な体験の残余を受け入れるという事実を、夢の歪曲(ずらしによる歪曲)の発現と解釈する。さらに、夢の歪曲は二つの心的機関のあいだに存する通行検閲の結果として生じるというのが私たちの認識であったことを想い起こす。その際、私たちが夢分析に期待するのは、心的に重大な意味のある、実際の夢の源泉はかならず日中生活のなかにあり、その想い出の力点が些末な想い出へとずらされることを夢分析が明らかにすることだ。」

Exhibitionに10回目の個展をアップ

私のホームページにはExhibitionという頁があります。毎年ギャラリーせいほうで個展を開催していますが、その個展会場の様子を撮影した画像をExhibitionにアップしています。今年の画像が出来たので、さっそくホームページにアップしました。今回で10回目のアップになります。先日送らせていただいたお礼状にも個展会場の画像を使いましたが、Exhibitionにはいろいろな角度から撮影した画像を載せていて、会場の雰囲気を余すところなく伝えているように思えます。ホームページには他の頁もあって、その頁ごとにコンセプトを変えています。カメラマンが画像処理を自由に行い、遊び心満載な要素がある頁もあります。野外で撮影し、風景を取り入れた頁もあります。どれをとってもその全てが自分の作品を契機に作り上げた世界観であることに相違ありません。Exhibitionは、その中で現実的な空間を伝える頁です。一度御覧になっていただけると幸いです。私のホームページに入るには左上にある本サイトをクリックすれば入れます。よろしくお願いいたします。

9月RECORDは「間」

今月のRECORDのテーマを「間」にしました。RECORDは一日1点作ることを課題にした平面作品でポストカード大の大きさです。毎月テーマを決めて、そのうち具体的なカタチが5日間で展開できるようにしています。そうした理由はRECORDの制作時間に関係しています。公務員との二足の草鞋生活をしている自分は、仕事から帰宅した夜でなければ、RECORDの制作に取りかかれないのです。展開がシステマティックであれば時間的な節約になるし、精神的な疲労感も少なくて済みます。これがいいとは思いませんが、現在の生活形態であれば仕方ない面もあります。ともかく帰宅した後は、時折工房に行く夜もあれば、このRECORD制作とNOTE(ブログ)への書き込みは毎晩のメニューになって、既に定着しています。今月のテーマはもう始めていますが、若かりし頃、地中海を旅した印象で、遺跡として残っているギリシャ柱と柱の隙間に昇っていく朝陽が眩しくて清々しかった思い出があるのです。そんな契機でテーマを決めていますが、その後は幅広く展開することを楽しみながら、RECORDを作っていきたいと思います。

7月個展のお礼状郵送

例年個展に来ていただいた方々にお礼状を用意しています。わざわざ東京銀座まで時間を割いて足を運んでいただけたことに感謝いたします。今年はお礼状が遅れて失礼いたしました。画像はギャラリーせいほうの空間と陶彫作品がバランスよく見えるものにしました。図録や案内状にないその場の雰囲気を感じていただこうという思いが、今回のお礼状にはあります。芳名帳を見ると、毎年継続的に来ていただいている方や今回初めての方もいらっしゃいました。ギャラリーから案内を郵送した方々の中にはお名前だけしかわからない方もいて、その方々にはお礼状が出せないことが悔やまれます。もしこのホームページをご覧になってくださっていたら、この場を借りて御礼申し上げます。もう個展がずっと昔のように感じているのは、自分が新作のことで頭がいっぱいになっているからだと思います。自分はかなり未来志向で、過去に固執しない傾向があります。過ぎたことは即忘れる楽天的なところがあります。過去の蓄積された作品を眺めるのは、あくまで将来的な見通しをもつためなのです。お礼状の郵送時期にも気をかけないでおいたら、こんなに遅くなってしまいました。申し訳ありません。

週末 創作活動の魔力

涼しかったり、蒸し暑かったり、このところ天候が安定せず、今日も昼過ぎに豪雨がありました。今日は朝から工房に篭って制作三昧でした。在日留学生企画のグループ展を控えている中国籍の子も朝から来ていて、猛烈な勢いで作品を作っていました。「最近、夜寝ていないので肌が荒れている。」と彼女は嘆いていて、来週の搬入までは気合を入れているようでした。私は新作の成形や彫り込み加飾、それから次の制作のために土練りもやっていました。既に制作サイクルが始まっています。身体は五十肩の痛みもあって厳しい状態ですが、創作活動には魔力があって、痛みが感じなくなる瞬間が何度もやってくるのです。身体が機敏に動くのが不思議です。人間の精神力は時に素晴らしいと感じますが、制作を止めた時は悲惨な状態になります。疲労を伴って自宅に帰り着くと、身体は完全に動かなくなります。脱力なんてものではなく、金縛りにあったような身体になり、天国から地獄に突き落とされるマイナス思考に襲われてしまいます。暫く身体をソファに横たえていると、少しずつ回復してきますが、これは一体何だろうと思っています。少し前までは作業でこんなになることはほとんどなく、作業後に近隣のスポーツ施設にも通っていました。今はスポーツをすると翌日ではなく、翌々日くらいに疲れが出てきます。そんな身体の状態をウィークディの勤務やスポーツでは気にかけているのに、創作活動となると昔のままで、身体も精神も長い間に亘って酷使していることも充分自覚しています。だからといって制作が始まるとコントロールが効かなくなるのです。自分を追い詰めていくのが創作の創作たる所以です。そのトレーニングが若い頃から出来ていて、つい創作活動の魔力に溺れてしまい、その振り戻しが自分の身体にやってきても、どうしようもない癖になっているというのが今の自分ではないかと思っています。

週末 企画展&公募展&グループ展

久しぶりに東京に展覧会を見に出かけました。それでも今日は工房での制作を休むわけにはいかず、朝6時に工房に行って陶彫成形用の大きなタタラを6枚用意しました。座布団大のタタラを掌で叩いて作るのに労力を使いますが、今日の楽しみがあるおかげで夢中で作業をしました。2時間程度で今日のノルマは終わりました。8時半に自宅を出て、公共交通機関を使って池袋経由で中村橋まで出かけ、練馬区美術館で開催中の「舟越保武彫刻展」に行ってきました。学生時代から彫刻に親しんだ自分は、舟越保武の存在の凄さは充分承知していますが、現代彫刻が多くの市民の支持を得ているとは思えなかったので、今日の「舟越保武彫刻展」の混雑ぶりに目を見張りました。鑑賞者は高齢の方が多かったので、どこかの団体で来られているのかもしれませんが、日本人彫刻家の展覧会に大勢の人が押し寄せる状況は、とても有り難いと思いました。内容の詳細は後日に改めます。次に地下鉄で銀座まで出て、美術家連盟画廊で開催している画家のグループ展に行きました。そのグループの中に同じ職場で働いている人がいるのです。それはモダンアート展の仲間で作るグループ展のようで、なかなか粒揃いの力量を持った人たちでした。同じ職場の人は例年の作品より簡素になり、空白部分に幽玄な雰囲気が漂っていました。次に地下鉄で新橋に向かい、汐留ミュージアムで開催中の「アール・ヌーヴォーのガラス展」に行きました。これも見応えがある展覧会で、優美で緻密なガラス工芸に目が釘付けになりました。この内容も後日改めてアップしたいと思います。最後に再び地下鉄に乗って六本木で降りました。国立新美術館で二科展をやっていて、自分の後輩の彫刻家が今年も入選しているので見てきました。彼は毎年出品しているので継続して見せてもらっていますが、彫刻家としての成長が著しく、またスケールも広がっています。教員という職業を前向きに捉え、今回は教室をイメージした場を創出していました。つまり生徒が使う机を並べ、その天板を積層にして造形を施し、お互いが繋がっている関係を作り出していました。昨今の中学生が巻き込まれた社会的な問題も含まれているようで、孤立した関係を何とか解決していきたい思いが表現できていたと感じました。頼もしい後輩がいることが自分には幸せで、今日一日のアート散策を通して、制作に対するさらなる意欲が沸き起こってきたように思えます。