バンコク旅行 2日目

昨晩10時過ぎにタイのバンコクに到着し、現地ガイドに案内されてチャオプラヤー川沿いのホテルに一泊しました。旅行会社を通してあると宿泊場所やガイドがつくので時間の節約になり、それがツアーの良さと言えます。ガイドの提案で午前中は水上マーケットに行きました。10人程度が乗船できるエンジン付き船に乗って、河川を走り、土産物店が並ぶエリアに案内されました。欧米からの観光客が多く、この水上で土産物を売り買いする光景はさぞエキゾティックに見えるだろうと思いました。午後は念願のアユタヤ観光に出かけました。バンコクから車で走ること1時間半でアユタヤに到着、それにしても私たちを乗せたマイクロバスの飛ばすこと、車間距離の狭さ、人の道路横断や往来の多さ、道幅の規制の緩さに、ここの交通事情はどうなっているのか、些か疑問を持ちました。アユタヤ遺跡は期待通りで、仏教王朝の栄華を尽くした都が、かつてここにあったことを偲ばせる素晴らしい遺跡の数々がありました。崩壊が美しいと言えば語弊がありますが、自分の陶彫作品の発想はまさにそこからきているので、崩壊された遺跡を見ることが自分の発想や構想の蓄積になると考えています。アユタヤ遺跡に関しては感想を次回に改めたいと思います。夜、ホテルに帰って、余力が残っていることを家内と確認し合い、ホテルから歩いていけるアジアティークに出かけました。アジアティークとはチャオプラヤー川沿いに倉庫を改装して作られた大きなマーケットのことで、モダンな雑貨店や飲食店が立ち並ぶ一大観光スポットになっています。そこで私たちは伝統舞踏ショーを見ながら、タイ料理を味わいました。ついでながら私はタイ料理が自分の好みに合わないことを自覚しました。酸味のあるトムヤンクンや辛さの残るカレーがどうも駄目なのです。昨年行ったカンボジアでは料理を美味しく頂いたのに、好き嫌いのなかった私としては今回はちょっとショックでした。伝統舞踏の衣裳の美しさを堪能しながら、料理を残さざるを得なかったことに悔しい思いをしましたが、その後に見たニューハーフショーは純粋に楽しめました。カリプソ・キャバレーは、1時間以上に及ぶサービスたっぷりのエンターティメントを展開し、女性より女性らしく、理想の女性になりきることを意識して性転換を図ったニューハーフたちが、妖艶に繰り広げる幻惑な舞台は楽しさ満載でした。バンコクの夜を満喫するには最高の演出でした。

タイ バンコクへ…

今日の夕方のフライトでタイへ行ってきます。NOTE(ブログ)は通常その日の夜にホームページにアップしますが、今日は例外として今朝アップしていきます。今晩遅くタイのスワンナプーム国際空港に到着、バンコクに一泊し、明日アユタヤ遺跡に向かう予定です。仕事では現在の立場になって職場のことが頭から離れない日常ですが、気分を変えるためには海外旅行が大変有効です。たかが4日間ですが、それでも気分転換が図れます。若い頃にやった何ヶ月にも及ぶ長い旅をしてみたいところですが、現在の自分を取り巻く社会的環境では到底無理です。旅行会社にお任せのツアーが一番今の自分の状況に合っています。ただ異文化体験はしっかりやってこようと思います。タイの仏教は、日本や中国のような大乗仏教ではなく小乗仏教で、信仰する仏は釈迦のみであること、その釈迦像に様々なバリエーションがあることを知りました。まずは寺院巡礼に出かけるのがベストでしょう。また、タイは王室国家で壮大な王宮があることも特徴的です。食事、習慣等たった4日間で何がわかるのかと言えばそれまでですが、覗き見程度にしても新鮮な風を感じられるのではないかと信じています。それでは行ってきます。

酷暑の工房制作と旅行準備

今日も工房は蒸し風呂のように暑く、制作には大変厳しい状況になりましたが、午前1時間半、午後1時間半の作業を行いました。こんな時も中国籍の若いアーティストがやってきて、私の傍らで自らの制作に集中していました。「中国の山東省も暑いし、しかも乾燥している。」と彼女は言っていました。「乾燥した空気は肌に悪い。」とも言っていて、湿度の高い日本を美容のためなら何とも思わない素振りをしていました。大陸系美女子は強いなぁと思いつつ、自分は汗が滴り落ちて、シャツがびっしょりになってしまいました。今日は新作の原寸設計図を、大きな紙に貼り合わせたものに書きました。そこで陶彫部品がどのくらい必要なのかを割り出しました。結果、計100個の陶彫部品が必要で、前作や前々作より手間がかかることがわかって、今も心が折れそうです。これをどう計画して作っていくのか、最終窯出しを来年5月初旬と考えて、制作工程を組んでいきますが、またしても間に合うのかという不安が頭を過ぎります。今まで何回綱渡りをしてきたことか、決してスリルを味わいたいと思っているわけではなく、常に余裕を残してゴールしたいと願っているのです。それでもイメージを曲げることなく果敢に挑んできました。その姿勢は貫こうと思います。何とかなると自分に言い聞かせ、次回から実際の制作に入ります。夕方から旅行準備に入りました。明日から木曜日までアユタヤ遺跡を見にタイに出かけます。昨年はアンコール遺跡、今年はアユタヤ遺跡です。アジアの世界遺産を巡る旅行第2弾に行って来ます。

夏真っ盛りの8月に…

8月になりました。暑い日々が続いております。管理職の夏季宿泊研修も終わり、いよいよ夏季休暇に入っていける条件が整いました。休めるときにしっかり休む、それが仕事をする上での自分の信条です。二束の草鞋生活から脱し、見聞を広め、異文化体験をすることで、自分の造形感覚を磨くこと、これは自分に対する投資だと考えています。そこで来週を自己投資の週と決めて、海外旅行に出ることにしました。職場復帰は8月10日に決めました。陶彫の新作は今月から始めていきます。直径3メートルの円内に陶彫部品を配置していく新作イメージを、まず設計図から起こしていこうと思っています。久しぶりに土練機を回していきます。数ヶ月ぶりなので機材テストをやっていきます。垂木による構造土台も作る予定です。そういう意味で今月は次なる個展へ向けて出発する大切な1ヶ月です。そのための異文化体験や鑑賞の充実を図りたいと思っています。毎年この時期の恒例になっている師匠宅訪問も行います。圏央道が出来たので長野県の麻績村に行き易くなりました。読書はまだフロイトの大著に引き続き挑みます。RECORDも頑張り時なので、これは暑い工房ではなく、空調のある自宅でやっていこうと思っています。

7月最終日に思うこと

今日から明日まで横浜市公務員管理職の宿泊研修があって、今日は某所のホテルで危機管理に関する講演やグループ討議がありました。今月は職場的には出張も多く、慌しく過ごした1ヶ月でした。今月を振り返ってみると、10回目の個展が東京銀座のギャラリーせいほうでありました。毎年のことながら、自分にとっては個展は最大のイベントであるため、その準備や片づけがあって、7月は例年落ち着かない1ヶ月なのです。例年なら同時併行して行っている新作の制作がほとんど進んでいないため、11回目の個展のことがもう心配になっています。真夏が到来し、工房は蒸し風呂のような暑さです。なかなか工房に行けず、新作が手につきません。その分RECORDを頑張った1ヶ月でした。鑑賞では友人の書展や絵画のグループ展に出かけただけでしたが、自分の住んでいる地域でジャズの生演奏があったので、聴きに出かけました。読書は相変わらずフロイトの代表作を継続しています。そんな1ヶ月でしたが、個展という節目があったため、今月は制作や鑑賞やその他がバランスよく出来たわけではありませんでした。来月から新作を含めて再出発をしていこうと思います。

旅と旅行に関する私見

家内が「どこかへ旅行するというと辛さを覚える」と言うので、「何故?」と聞くと、若い頃に滞欧生活を引き上げる際、バスを乗り継ぎながらトルコやギリシャを数ヶ月かけて旅したこと、そればかりではなくヒッチハイクをしながら西欧諸国を巡ったことを思い出すからという返答がありました。ルーマニアを初めとする東欧諸国にも行って、ウクライナ(当時はソビエト連合)の国境近くを練り歩いたこともありました。若い頃の無謀な旅に、貴重な経験も確かにありましたが、やはりこの年齢になると、安全安心で気楽なお任せ旅行を良しとする心境に変わります。「どこかへ旅行するというと辛さを覚える」ことを感じるのは、当時の自力で巡る旅が、現在でも頭の隅にあって、それがトラウマのようになっているせいかもしれません。帰国して数年が経ち、インドネシアのバリ島にツアーで出かけたことがありました。その時の気楽さは今でも忘れません。こんなに外国旅行が楽しいものだったなんて、本当に眼から鱗でした。昨年もカンボジアのアンコール遺跡群にツアーで出かけました。これも面倒なことは全てお任せで、楽しいところだけを満喫できた旅行でした。今年もツアーに申し込んで海外を楽しみたいと思っています。日本語には旅と旅行という2つの語彙があります。旅と旅行は同じコトバでも意味するところが違うと私は考えます。旅は自力で行く地域密着型の出会いを求めるもの、旅行は企画に乗って恰も映像でも見るかのように休暇を楽しむもの、そんな考えで旅と旅行を使い分けていければと思っています。そのどちらの要素も微妙に絡む半旅・半旅行もあるでしょう。自分が何を求めるかで、旅的要素なのか、旅行的要素なのか、どちらにウエイトを占めるのがその時の自分にとって有効なのか、そんなことも考えながら計画を立てるのも一興かもしれません。

RECORDに励む夜

このところ猛暑のため空調のない工房には近づけず、勤務後の夜の時間帯は専らRECORDをやっています。RECORDとは、今まで何度もNOTE(ブログ)で取り挙げていますが、一日1点制作を自分に課している小さな平面作品のことです。日々の記録という意味でRECORDと称しているのです。一日1点制作を掲げているものの、現在可能なのはエスキースから下書き決定までで、彩色や仕上げは週末にやっているような現状です。必ずしも一日1点ずつ仕上がっていく状況ではありません。昼間は橫浜市公務員として働いていて、勤務後は工房に出かけ、陶彫制作をやっていたり、このNOTE(ブログ)を書いていたりしているので、夜の時間帯にRECORDに取り掛かるのが、せいぜい1時間くらいです。しかも日によってはアイデアが出ず、苦し紛れに適当なところでまとめてしまうこともあります。そんなRECORDですが、暑い夏の夜は工房に行かず、自宅で制作に励んでいるので、しっかり彩色や仕上げまで到達できています。陶彫が出来ない分、RECORDを何とか軌道に乗せて頑張っていたい夏の夜です。

恩師からの励ましの手紙

ここで言う恩師とは師匠の池田宗弘先生のことではありません。自分が勤めているもうひとつの職業での大先輩で、かつて管理職をしていて、現在は随想家として作家野間宏に関する文献を出版しておられる人です。かつて自分は公私に亘って並々ならぬ助言をいただきました。もう恩師は80歳かと思われますが、東京銀座まで足を運んで、個展を御覧になって、丁寧な励ましの手紙をいただきました。「『群塔』『丘陵』と全くシチュエーションが違って、調和が印象的でした。前者は貴君の厳しい創作意欲を、後者は円満な人格を、そして両者がメビュースの帯のように一体となって、作者の創造世界を構築していることに感心させられました。」という文面でした。身に余る言葉で恐縮ですが、2つの作品がもつ異なる世界観をこのように述べていただいて嬉しく思いました。こうしたことが自分の創作へ向かう原動力になります。自分の内面は自分で推し量ることが出来ず、自分の創造世界の成長も、自分でははっきりわかりません。寧ろ鑑賞された方々によって気付かされ、また確認することが多いと思っています。そういう意味でもずっと個展を見届けていただける方がいることを、何よりの幸福と感じています。また来年、何が何でも作り続けること、生涯現役で成長し続けること、胸に誓ってこれからの一歩を踏み出します。

「夢解釈の方法」まとめ

現在読んでいる「夢解釈」(フロイト著 金関猛訳 中央公論新社)の第二章を読み終えて、ここで章論のまとめをします。第一章は「夢の問題に関する科学的文献」で、夢を論じた多くの研究を挙げて、夢が不条理で断片的であり、心的活動の低下になることを概観しています。章の最後に精神障害と夢の関連により、「夢の秘密を明らかにしようとする努力によって、私たちは、精神病の解明に努めていると言える」(引用)と結んでいます。さて、第二章では「夢に関する科学的な理論において、夢解釈という問題を論じる余地はない」(引用)と言っておきながら、「私は、夢が解釈可能であることを示そうともくろんだのである。」(引用)とフロイト自身が、これから取り組もうとする本著作の核心部分を語っています。これはフロイト自身が見た夢を解釈するもので、前置きと夢の綴りと分析が、順を追って書かれています。登場人物はフロイトの女性患者イルマ、M博士、フロイトの友人オットーやレオポルトで、イルマの病症や診断を巡って、オットーが既にイルマに注射した薬剤等やM博士の見立てが次々に出てきます。続く分析では、フロイト自身が、M博士を揶揄し、オットーと敵対している関係を告白しています。そんな実体験を通し、フロイトは「私は、夢によって実現される意図があることに気がついた。~略~夢はいくつかの欲望を充足する。~略~夢の細部についても、その多くが私には欲望充足という観点から理解しうるものとなる。」と書き表し、第二章の最後には「ここで示した夢解釈の方法に従うなら、夢が実際に意味をもつこと、そして、夢が、研究者諸氏の主張するような支離滅裂な脳の活動の表現ではないことが明らかになる。」と結んでいます。

2015 旭ジャズまつり

私が住んでいる横浜市旭区では、毎年夏にこども自然公園のグランドで「旭ジャズまつり」が開催されています。例年はジャズの音色が風に乗って自宅まで流れてくるので、それを聴いて満足していたのですが、今年はチケットを手に入れ、会場に行って見ました。自分は旭区に住んでいるくせ、今回初めて「旭ジャズまつり」に行ったのでした。「旭ジャズまつり」は今年で26回目を迎えるそうで、もうそんな時が経っていたのかと思いました。チケットは2枚ありましたが、家内が胡弓を弾きに東京荻窪まで行っていたので、工房に来ていた中国籍の若いアーティストを同伴して行くことにしました。今日の工房は作業に支障が出るくらい暑く、長い時間作業するのは無理と判断しました。午後は、私と同じ二束の草鞋生活を送る同じ職場の人が、絵画のグループ展を開催しているので、中国籍の子を連れて展覧会に出かけました。箔を使った彼の抽象世界に暫し見惚れて、それから横浜市内のドライブと洒落込みました。みなとみらいの赤レンガ倉庫から山手の洋館が立ち並ぶ道を走り、さらに中華街に来て、簡単な食事を取りました。夕方、涼風が立ったのを見て、こども自然公園のグランドの「旭ジャズまつり」に行きました。往年のスター宇崎竜童と北島直樹カルテットのコラボが聴きたかったのでした。宇崎竜童は山口百恵に提供した楽曲を歌って、フアンを喜ばせてくれました。中国籍の子も山口百恵の歌は知っていたらしく、帰りがけに口ずさんでいました。今日は新作に取り掛かれず、制作はほとんど出来ませんでしたが、個展の後でこんな日があってもいいのかなぁと思いました。

2015 個展最終日

東京銀座のギャラリーせいほうでの個展が最終日を迎えました。今日は午前11時の開館より、夕方6時の閉館までギャラリーにいました。懐かしい人や初めて出会う人から様々なご意見や感想をいただきました。個展は友人知人との再会する場、出会いの場として自分には欠かせない機会になっています。横浜市管理職を既に退職された元同僚から、作品の持つ高さに関する素敵な感想をいただきました。「発掘~丘陵~」の俯瞰する視点、これは上空からの目線が心地よい、「発掘~群塔~」の数本の塔の間を飛翔する視点との関連において、2つの作品を見つめる鑑賞者の目線の意識に、安定と愉快を与えると言うものでした。この作品には明るさと笑いがあるとも言っていました。作品が擬似都市のようであり、その中に入って眼で遊ぶことができることを、今回の個展でいろいろな角度から多くの方に指摘されました。そうした貴重なご意見や感想に、作品の次なる展開が可能になるヒントが隠されています。作品の新作イメージは自己中心的ですが、それが具現化され、ギャラリーで一旦提示すると、多くの鑑賞者とのコミュニケーションが成り立つことを、今回の個展で実感しました。わざわざ東京銀座まで足を運んでくださった多くの方々に感謝申し上げます。しかも梅雨明けの炎天下で、たいした接待もできず失礼いたしました。閉館後、懇意にしている運搬業者がトラックでやってきました。時間を合わせて工房スタッフ3人も来てくれて、作品の解体と箱詰め作業が始まりました。約1時間半で搬出が終わり、横浜の工房目指して銀座を出発しました。梱包された作品は工房の倉庫部分に収まり、10回目の個展が幕を閉じました。オーナーの田中さんと来夏11回目の個展の約束をしたので、明日からまた個展に向けて頑張っていきます。夜9時ごろ手伝ってくれた工房スタッフ3人とレストランでささやかな打ち上げを行いました。

個展に関する複雑な心境

10年前に東京銀座のギャラリーせいほうの田中さんに認められて、人生初の個展を開催しました。その時は有頂天になって、彫刻家としての大きな一歩を踏み出しました。このチャンスを手放すまいと毎年奮闘し、この10年間に10回目の個展が出来ました。その間、創作活動に邁進するだけの健康を保ち続けられたのが幸運と言えます。今後も継続したい思いで一杯です。そんな気持ちと裏腹に個展に関する複雑な心境もあります。個展を企画していただいている幸せがあってこその心境ですが、最初の個展からずっと思っているものです。自分自身、展示している作品に満足を覚えるのは、搬入が終わり、作品を組み立て、照明を設定して、いよいよ会場が出来上がった瞬間だけなのです。残りの日程は次第に息苦しさが出てきます。非日常空間の中で自分の作品と自分が対峙しているのが辛いと感じます。ギャラリーせいほうの広く白い空間は、何とも清々しい爽やかな場所で、入口のガラスを開けると、人はやや緊張した面持ちになります。鑑賞に訪れた人々には、なかなか理解できないかもしれませんが、そんな特別な空間で内面を吐露している自分の作品は、自分にとっては複雑で厳しい存在なのです。工房で見る作品とギャラリーせいほうで見る作品は、同じモノなのに違って見えます。作品にとってはギャラリーは演出された晴れ舞台で、作者は作品が万人の眼に曝されるのを見届ける裏方と言えます。その裏方が見つめる作品の晴れ舞台に、力量の及ばぬ箇所を見て、複雑な心境を抱いても決して不思議はないでしょう。個展に関する複雑な思いに駆られることは今後もありますが、それでも個展をやっていきたい意志は変わるものではありません。

「夢の問題に関する科学的文献」後半部分

やはり大著を読むのには相当の時間がかかることを改めて自覚しました。常に鞄に携帯しているのに、読みたい気分にならない時が結構あります。この場合、読書はリラックスタイムではないと思った方がいいのかもしれません。「夢解釈」(フロイト著 金関猛訳 中央公論新社)の第一章に付けられたタイトルの後半部分を漸く読み終えました。後半部分は「なぜ人は夢を覚醒ののち忘れるのか」という章から始まりました。シュトリュンペルや他の研究者が論考を寄せる中、次の一文に気を留めました。「(文は)秩序に従い、適切な順序で並べられていれば、一つの語が他の語の助けとなり、そして全体は意味あるものとして記憶中に容易に、また長期間にわたってしっかり残る。それに対して、不条理なことは、錯綜して無秩序なことと同様、一般に保持しておくのが困難で、まためったに保持されることもない」という暗喩で夢の忘却が語られています。次の章は「夢の心理学面での特殊性」で、夢は心にとって奇異なるものとして捉えられ、ここではシュライエルマハーの一文を引用をします。「覚醒状態の特徴は、~略~思考活動が像ではなく、概念によって進行するところにある。さて夢はおもに像によって思考する。そして睡眠に近づくにつれて、意志的な活動が困難になり、またそれとともに意思によらない表象が現れる」というものです。さて次なる章は「夢の中の倫理的感覚」に関してです。夢の中にどの程度の道徳的素質が入り込んでくるのかという問いかけに対し、イェッセンの一文を引用します。「夢の中で良心は沈黙するようだ。つまり、同情も感じず、窃盗、殺害、撲殺などどんな重犯罪でもまったく頓着なしに犯すことができ、その後、後悔もしないのである」という反道徳的な箇所が特に印象に残りました。次は「夢理論と夢の機能」で2つの試みを提示しています。一つは「覚醒時の完全な心的活動が夢においても継続するという理論」、二つ目は「これとは逆に、夢においては、心的活動性の低下、連関のほころび、必要とされる素材の不足が生じるとされる理論」があるようです。最後の章では「夢と精神病の関係」が述べられています。紙面の関係で結論部分のみを引用します。「将来、夢の心理学と並んで、医師が夢の精神病理学に取り組むであろうことにまず疑いの余地はない。」引用文の羅列になってしまいましたが、今後の展開を考えると、この大著に関して章ごとにまとめておきたかったというのが本音です。

創作活動の継続

先日、工房で若いスタッフと話をしていて、私自身も肝に銘じたい内容を自分の口から語っていて、思わず失笑してしまいました。創作活動をどう継続していくかが話題になり、社会に出れば優先順位から言って創作活動はずっと下位に位置づけられてしまうと私は思っています。創作活動には社会的なニーズがないからです。生活をしていく上で、まず必要なのは生活に必要な経済的な仕事です。稼がなくては食べていけません。正規雇用であってもアルバイトであっても、何であれ就職しなければならない実情があります。自分が創作したモノが即売れる人は滅多にいません。売れ筋を作っている人は別ですが、大抵の場合は自分の思索を具現化するのが創作活動なら、まず食べていけるほど作品が売れることはないと言えます。美術系の学校を卒業しても創作活動を諦めてしまう人が多くいるのは、そんな理由からです。自分も公務員になった頃は、創作活動は二の次でした。そのためストレスが溜まって、これ以上は公務員を続けられないという自分が追い詰められた状況になって初めて創作活動に再び着手しました。今でこそ創作活動を中心に据えている自分は、社会人としての自覚とバランスを取りながら、自分の意思を通していると言っても過言ではありません。創作活動の継続、それが出来るか否かは自分次第です。

午前職場、午後個展

月曜日から東京銀座のギャラリーせいほうで私の個展が始まり、平常勤務日の今日から金曜日まで、午前中は職場に出勤し、午後は年休を取得して個展会場に行くことにしました。まさに二足の草鞋生活の最たるもので、一日を半分ずつ橫浜市公務員と彫刻家の別世界を体感しています。午前中は職員に頼まれた書類を作成し、他の通常業務を行い、昼頃に職場を後にしました。職場で緊急事態が発生した場合は携帯電話で連絡を取り合うことになっています。午後1時半頃にギャラリーせいほうに着きました。残念だったのは師匠の池田宗弘先生が自分が到着する少し前までギャラリーにいてくださり、この日は会えず終いだったことです。ギャラリーにいると様々な方々が訪ねてきてくださいます。自分と同僚の管理職が来て、「彫り込まれた木彫の中に蠢いている陶彫が何か生物的だ。」と素晴らしい感想を言っていただきました。美術関係の出版社も来ました。もっと広報活動をするように発破を掛けられました。訪ねてこられた木彫家や石彫家と長い時間お喋りをしました。その他以前の職場の人や高校時代の同級生や家内の友人たちも来ていただいて今日も盛況でした。明日も同じように午後ギャラリーにいます。

2015個展のオープニング

今日から東京銀座にあるギャラリーせいほうで10回目の個展が始まりました。今日来廊していただいた方々は決して多くはありませんでしたが、重要な方々に見ていただいたように思います。まず私の作品に関する評論を美術誌に毎年掲載していただいている美術評論家の瀧悌三氏、今回初めてお会いした美術評論家金澤毅氏にも今後の示唆を受けることが出来ました。自分が関わりのあるところでは、横浜市の行政の方が2人、自分の職場では3人の方に来ていただきました。それぞれがその人なりの感想を持って作品を見ていただけたのが良かったと思いました。夕方のオープニングパーティでは、若い世代のアーティストが数人来てくれました。相原工房に関わっている子たちで全員が女性でした。綺麗に身なりを整えて来廊した彼女たちは、ギャラリーで見るのと工房で見るのは別人のようで、実は美人揃いであることに気づきました。今更自分は失礼なヤツだと思いながら、彼女たちには華やいだ雰囲気が出ていて、若いお喋りが弾けていました。彼女たちをそのまま帰すわけにいかず、新橋駅近くのカフェに寄りました。その他来廊された人に声をかけられなかった場面もありました。失礼をお詫びいたします。今日は夏日になって銀座は気温が上昇しました。銀座の大通りは歩行者天国になり、道路の真ん中には点々とパラソルが用意されていました。気晴らしに大通りを歩いていると、ここが日本なのか疑いたくなるような光景が広がっていました。パラソルで休んでいる人たち、歩いている集団の人たちは、いずれも中国語を話し、両手いっぱいに土産の品を持っていました。よく言われる「爆買い」とはこれかと思いました。年々変わっていく銀座の風景にちょっと驚きました。

週末 個展搬入日

早朝、自宅を出てから夕方5時を回ったところで、今日の一大事である作品の搬入と展示を終えて自宅に帰ってきました。ともかく肉体だけではなく精神的な疲労もあるようで、暫し身体が動きませんでした。午前9時に若い女性スタッフ2人、いつも手伝ってくれる後輩の男性彫刻家、家内と私、運搬業者は男性3人の計8人で梱包した作品をトラックに積み込みました。先導するトラックをスタッフを乗せた乗用車で追いかけ、東京銀座のギャラリーせいほうに到着したのは午前10時半ごろでした。梱包を解いて、梱包材をトラックに積み、運搬業者は会社に戻りました。例年のように近くの銀座ライオンに工房スタッフたちと昼食に出かけました。午後、組立作業に入りました。展示の位置や照明の当て方等で、工房スタッフたちの頼もしさを感じました。彼らは全員美術系の大学出身者で、「発掘~群塔~」の油絵の具による彩色でも力量を発揮してくれましたが、展示に至っては、空間を捉え、位置を決める際の彼らの助言に確かなものを感じました。みんなこういうことが大好きな面々なのだと改めて感じました。機会あるごとに自分は工房に出入りしているスタッフたちに本当に助けられているなぁと思っています。照明が全て終了したのが午後3時でした。それから乗用車で横浜に帰ってきました。女性スタッフをそれぞれ自宅近くまで送り、午後5時過ぎに自分は自宅に戻りました。明日はオープニングです。何回やっても個展のオープニングはドキドキワクワク感が抜けません。期待と不安が入り混じる複雑な心境です。

週末 搬入準備

いよいよ明日が個展の搬入日になりました。1年経つのは早いものです。今日は朝から工房に行って、搬入の最終チェックを行いました。2年前の搬入では陶彫部品を厚板に接合するためのボルトナットを、工房に全て忘れていった苦い思い出があります。その時、手伝いにきてくれた工房スタッフは、屏風を設置し、照明だけを調整して帰ってもらった記憶が今も残っています。家内と私だけでボルトナットを工房に取りに帰り、その日のうちに再びギャラリーせいほうにきて、2人だけで陶彫部品を全て接合しました。搬入は夜までかかり、疲労でフラフラになりました。また、昨年は小さな陶彫部品が一つだけ見当たらず、運送業者が預かってくれている木箱の中を探し、漸く見つけて初日の朝に設置した思い出があります。搬入にうっかりは禁物です。東京銀座と横浜の往復は、もうコリゴリです。今日のチェックはそのためにも慎重にならざるを得ませんでした。さらに搬出後の作品を置くことになる空間をきちんと片付けて、トラックから積荷を降ろし、ガレージを潜り、その空間に至る道筋を描きました。明日は、きっと大丈夫と自分に言い聞かせ、夕方工房を後にしました。

新国立競技場雑感

2020年東京オリンピック・パラリンピックを開催する嬉しさから一転して、最近の新聞紙上を賑わせている話題では、建設予定の新国立競技場の篦棒な予算問題があります。私も一般人的な見方をすれば、この金額に驚きを隠せません。ザハ・ハディド氏の未来型の斬新な設計は人目を引きますが、オリンピック後にこれを維持管理していくには、果たしてどのくらいの費用がかさむのか、未来に向けた「負の遺産」になりはしないかと、素人ながら感じるところです。オリンピック誘致で日本が示した「おもてなし」の心を自分は支持します。人と人を結ぶコミュニケーションの大切さを、自分の公務員としての業務の中でも感じ取っているからです。海外から、とりわけ隣国から来る観光客が、日本のサービスについて大変好感をもっていることは知っています。私はそんな自国の「おもてなし」文化を誇らしく思います。2020年東京オリンピック・パラリンピックは人が作り上げるもので、収容する器の立派さで見せるものではないと思います。昨日になって設計見直し案が浮上してきました。開催期間までに間に合わないという意見もあるようですが、逆に間に合う程度の施設でいいじゃないかと私は考えますが、いかがでしょうか。

図録を届けにGせいほうへ

いよいよ個展の開催が迫ってきました。19日(日曜日)が搬入です。今回で10回目の個展になりますが、何回やっても緊張感は変わりなくハラハラドキドキ感があります。「発掘~群塔~」はギャラリーの左の壁際に、「発掘~丘陵~」は右奥のソファの前に、「陶紋」は正面の大きなガラスの前と右の壁際に台座を作って置くことを、予め決めていますが、果たして効果はどうでしょうか。実際に作品を置いてみないとわからないので、半分は楽しみであり、半分は不安が頭を過ぎります。今日は職場を半日休んで、ギャラリーせいほうに図録200部を持って行きました。ギャラリーせいほうは彫刻専門の画廊ですが、現在「舟越保武デッサン展」を開催中です。彫刻家が作った平面作品も展示できるので、機会が与えられれば平面作品も考えていきたいと思います。「舟越保武デッサン展」はなかなか優れたコレクション展で、偉大な彫刻家の内面がわかるデッサン群でした。その後に自分の個展が企画されているので、知名度としては一歩譲りますが、自分の内面の充実から言えば遜色はないと自負しています。今日は台風が接近しているので東京銀座まで自家用車で行きました。図録が濡れるのを心配して車で出かけたのでした。車を使うと寄り道もしないので、ちょいと美術館でも行こうかという気になりませんが、天候不順なため直行直帰にしました。オーナーの田中さんと暫しお喋りをして帰宅しました。

新しい洗濯機が来た日

家電量販店に行って洗濯機を購入しました。20数年前に購入した洗濯機を今まで使っていたと店の人に言ったら、よくぞ今まで何事もなかったと驚かれました。最近洗濯した衣類に小さなゴミがついていることに家内が気づいて、最新式の洗濯機に取り替えようと決めたのでした。自分は汗かきで、とくに週末の制作では何枚もシャツを替えます。それだけでなく彫刻をやっていると素材からくる汚れがひどい時もあります。自分の彫刻制作は陶芸と木工の両方を同時にやっているようなもので、作業中は土や木屑にまみれ、工房内の埃も多いのです。それを考えれば自分にとって洗濯機は重要な家電製品です。我が家は築20年以上で、洗濯機に関わらず、キッチン等であちらこちらに不具合が出ています。そろそろ全体的なリニューアルをするべきかなぁと思っています。

NOTE(ブログ)のちょい訂正

私は毎晩NOTE(ブログ)を書いています。とくに週末の2日間何をしていたかを記録するのは、自分にとって重要です。アーカイブを見て常に制作工程を確かめているからです。人に読んでいただくのには憚る内容ですが、制作工程の日記的役割は自分には有効なのです。見渡してみれば、私のホームページは他者へのサービスが欠落しているなぁと思っています。自分のことを綴っているのだから、これでいいのかなぁとも思ってしまいます。NOTE(ブログ)を書いている時間帯は睡魔との闘いです。ホームページにアップして就寝しますが、必ず翌日に文章の確認をします。言葉が足りない箇所や言い回しがおかしい箇所は、その場で訂正をしています。訂正前に読まれた方には、心苦しい限りですが、ちょっとした「ちょい訂正」は随所にあります。翌日にNOTE(ブログ)を読んでみると、これじゃ通じないよと思えるところが結構あるので、自分の気持ちを晴らすためにやっているのです。これからも「ちょい訂正」は続けていくと思います。数日経ってから読んでいただくといいのですが…。

ワインを贈り、蕎麦が届く

彫刻家池田宗弘先生は、自分の大学時代の恩師です。先生の教えは彫刻の技法だけではなく、今でも自分の精神的な支えともなっています。先生が長野県東筑摩郡麻績村に住んで何年になるか忘れてしまいましたが、麻績村に住居兼工房「エルミタ」を建てられてから、毎年夏に私は「エルミタ」を訪ねています。このところ私の個展のオープニングパーティーに先生が顔を出していただいて恐縮しています。ギャラリーせいほうは、私が学生時代に先生の個展の手伝いとして足を踏み入れた最初の画廊でした。家内の従兄弟が山梨県で作った赤ワインが自宅にあったので、先日それを先生に贈りました。学生時代に私は彫刻の他に木版画をやっていて、先生に指導を受けたことがあります。その時のことを思い出して、木版画によるワインラベルを作る機会を持てたため、ラベルのデザインを先生に見ていただきたくて、ワインを贈ったわけです。「このラベルは酒が美味そうに見える。連作したらどうだ?」と電話口で先生が言われたので、結構出来が良かったのかなと自負しています。その後すぐに先生から長野県の蕎麦が届きました。温かく厳しい師匠との関係はいつまでも大切にしたいと思っています。

週末 汗だくの工房内整理

今日は朝から夕方まで工房にいました。2人の若いスタッフがやってきて、いつもの週末の風景になりました。私は創作活動ではなく、工房内の整理整頓に努めました。今夏の個展で発表する作品が工房の一角に梱包されて置いてありますが、個展が終わり、搬出されてきた作品を工房内のどこに置くのか、これはずっと私の頭を悩ませてきたものです。作品の保管は出来れば制作場所ではないところにしたいと考えているので、その場所を確保するために、工房内を何とかしたいと思っているのです。工房の倉庫は工房の床面積の約半分を占めています。その倉庫がもういっぱいで新作を置く余裕がないのです。昨日は業者を呼んで、後付けロフトの見積もりをしていただくことになりましたが、差し詰め来週から再来週にかけて開催する個展の作品をどうするかが問題です。倉庫には旧彫刻作品の他に、木材や厚板材や額等も置いてあります。エッチングプレス機や糸鋸もあります。今日はまずそれらを制作空間に持ち出してきて、場所を決めて置くことにしました。倉庫には彫刻作品しか置かないことにすれば多少の余裕が生まれます。床を清掃しながら素材を運び出し、何とか新作を置く空間を確保しましたが、もうこれ以上置き場はありません。ロフトを作って対応するしかないかなぁと思います。それにしても今日は真夏の暑さで汗が滴り落ちました。シャツや頭に巻いた手ぬぐいを3回換えました。昼食は2人のスタッフと近隣のファミリーレストランに出かけて涼を取りました。汗だくの工房内整理は本当に疲れました。これで業者が来ても来週の搬入と再来週の搬出は比較的やり易くなったのではないかと思っています。

週末 工房改造計画

久しぶりに晴天に恵まれた週末です。朝は家内と自宅の片づけをやっていました。先日洗濯機を購入して近々届く予定なので、洗濯機のある周囲を片づけたのでした。洗濯機は20数年使っていて、いつ壊れてもおかしくありません。壊れてしまうと生活する上で大変なことになるので、購入を決めました。午後は工房に行って、運搬業者が来週の日曜日にやってくるので、トラックが工房のガレージまで入れるように通路にはみ出た樹木の枝を払いました。太い枝もあって鋸で引いて切断しました。その業者の経営者が工房にやってきて様子を見ていました。実は数年使った工房の改造計画があって、業者とはその打ち合わせもあったのでした。作品の保管場所が工房内で厳しくなっていて、工房の屋根にかかる上部に板を張ってもらう計画です。つまり作品収納場所になっている工房の半分をロフト化しようとしています。簡易階段をつけて、比較的軽量な作品をロフトに置こうと思っています。近々見積もりを出してもらう予定です。今日はそんなことで時間が過ぎていきました。明日は今夏の個展出品予定の作品が戻ってきたときの置き場所を確保するため、平面素材や木材を別の場所に移動する予定でいます。明日は若いスタッフも来るので、朝から夕方まで工房にいます。

トラ吉の出迎え

私が仕事から帰って玄関を開けると、一番に飼い猫のトラ吉が玄関に飛び出てきます。私のスーツのズボンの足元に身体を擦りつけてくるトラ吉を、慌てて家内が制しますが、着替えた後も私の足元を目がけて突進し、抜け替わりつつある体毛をたっぷり擦りつけています。私がダイニングから居間に移動すると、トラ吉は私に併走してきて、私が座ろうとするソファに私より早く飛び乗って、私の場所を占領してしまいます。明らかにトラ吉は私を意識して絡んでくるのです。これは猫の習性でしょうか。「猫にモテてる」と家内は言いますが、特別に可愛がっている訳ではないのに動物との不思議な関係に戸惑っています。私は昔から猫に好かれることがあって、それをいいことに子どもの頃は、猫に虐待まがいの悪戯もしました。現在はその罪滅ぼしに道で拾ったトラ吉を飼っていて、私は何もせず放ったらかし状態にしているのです。トラ吉はほとんど家内が世話をしていて躾もやっています。それなのにどういう訳かトラ吉は私のところにやってきて周囲をうろうろしています。トラ吉は私がもともとアトリエとして使っていた部屋に普段は閉じ込めています。夜もトラ吉の寝床がそこにあるのでアトリエに帰ります。いつかはトラ吉をモデルにして彫刻を作りたいと思っているのですが、それがいつになるのか見当がつきません。

夏季休暇で気分転換を図る

職場で7月から8月にかけて5日間の夏季休暇が取れます。具体的な職種はここに書けませんが、私たちの公務の多忙化が新聞を賑わせたことがあります。国際平均よりかなり多い超過勤務時間が話題に上りました。管理職が率先して多忙化解消のために、定時退勤の日を作れと事務局から言われています。そうは言っても突如問題が生じると、日付けを跨いでしまうような事態になります。所謂危機管理というもので、先日、夜の会合の後、私は担当の職員と職場に戻り、そこで対応に当たっていた職員たちと合流し、指揮を執り、結局深夜まで対応に追われることになりました。そんな職場環境なら、なおのこと休暇をしっかり取る必要があると考えます。頭のリセットと気分のリフレッシュです。自分は休暇はしっかり取ろうと思っています。昨年はカンボジアに出かけてアンコール遺跡群に触れてきました。自分にとって創作意欲を沸き立たせるモノが最たる気分転換になるのです。今年もどこかに出かけて気分転換を図りたいと思っています。自分の創作意欲を刺激するものは何か、世界文化遺産に触れることか、それともリゾート施設で読書三昧か、贅沢な時間を作ってゆったりと楽しみたいと思います。

HPによる2015個展広報

今月20日(月)から東京銀座のギャラリーせいほうで個展を開催しますが、1500枚の案内状をギャラリーや私個人から郵送しています。このホームページを見ていただいている方の中に、案内状が届かない方もいらっしゃるかもしれません。そこで毎年ホームページの扉にも案内状を掲載して個展開催を広報しています。今年の案内状は「発掘~丘陵~」の一部分を選び、あたかも風景を切り取ったかのように演出しています。私は発掘された出土品のような作品を陶彫で作っていますが、今回も架空都市の発掘現場のような景観を造形化して、個展会場でお見せしようと思っています。この時期に東京銀座へいらっしゃる機会がありましたら、ぜひご高覧いただければ幸いです。ギャラリーせいほうは銀座8丁目にあるため、最寄りの駅は新橋駅です。「天國」という昔からある天ぷら屋さんの裏にあります。「天國」は休日歩行者天国になる銀座大通りの新橋寄りの一番端にある赤煉瓦の大きな建物です。因みにギャラリーせいほうはテレビで有名になった占い師「銀座の母」の隣にあります。

抉り込まれた空間表現

若い頃に見たエーゲ海沿岸の遺跡に、今なお自分のイメージが囚われていて、新作の全体像が浮かび上がったり、天から降ってきたりするのは、決まって南欧の古代都市の荒廃した姿です。新たなイメージを纏った美神の降臨は、いつも現行の制作途中の過程で苦しんでいる時にやってきます。新作は月面にあるクレーターのような凹形の内側に刻み込まれた架空都市で、それを自分が得意とする錆色の陶彫を使って表現しようと思っています。大地にパノラマとして見渡せるような抉り込まれた景観をもつ集合彫刻です。これをどのように具現化するのか、技巧的な課題はここから始まります。円形の直径をどのくらいにするのか、一番外側の高さはどうか、陶彫で全体を覆うにしても木材による構造体は必要か、分割して陶彫部品を作ることにしてもどのくらいの部品が必要か、来年の図録撮影日までの制作工程を組む際に、どのくらいペースで陶彫部品を作らねばならないか等、考えると悩みが尽きません。でもこれが一番面白いところかもしれず、イメージに戯れる自分に幸せを感じる瞬間でもあります。

「軍艦島」を思い出す

長崎県の端島に行ったのは2年前でした。上空から捉えた端島「軍艦島」は、自分の創作意欲を刺激する景観をしていて、どうしてもここに行かなければならないと思ったのでした。その日の朝は雨が降っていましたが、軍艦島へ行くクルーズが出発する頃には、晴天になり、夏の日差しが眩しく感じられました。軍艦島に上陸し、整備された遊歩道を歩きながら、その脇では海風に晒されたコンクリート壁が今にも剥落しそうで、その素材感に圧倒されました。世界文化遺産に明治日本の産業革命遺産が登録されることになったと今朝の各新聞が伝えています。その中に軍艦島が含まれています。反対の立場をとっていた隣国との意見調整が出来たようで、まずは世界文化遺産登録を喜びたいと思います。自分は彫刻をやっているせいか、崩壊しつつあるコンクリートをどのように保存していくのかに興味津々です。四方を海に囲まれ、台風では海が荒れて塩水を被る軍艦島を、現在の景観を維持するために、どんな技術が導入されるのでしょうか。また危険地域に入れるような手立てはあるのでしょうか。もう一度訪ねてみたい軍艦島。実はそこに自分の陶彫作品を置いてみたいとも思っているのです。

週末 梱包完成&案内状宛名

今日は朝から工房に篭りました。若いスタッフも来て、いつも通りの集中した時間を過ごしました。梱包は全て出来上がり、19日の搬入を待つばかりになりました。搬入業者も下見に来て、事前打ち合わせを持ちました。例年より早い時間帯にギャラリーせいほうに運搬することになりました。手伝ってくれるスタッフに伝えたいと思います。個展も10回目となれば、知り合いの業者は慣れたもので、梱包荷物を見てトラックの台数の見当も簡単につけていました。例年通り、という約束事が自分には嬉しく感じられるのです。今年も個展が出来るという幸福がやってきて、自分は何ともいい感じになるのです。夕方から案内状の宛名印刷に時間を費やしました。案内状1500枚のうち1000枚はギャラリーから郵送されます。残り500枚は家内や私の知り合いに郵送する予定です。自分の職場関係者にも出しますが、自分は何度か転勤しているため、かつての職場の同僚にも出すつもりでいます。案内状を受け取った人が、わざわざ東京銀座まで足を運んでくれたことが過去に何度もあって、自分は恐縮するとともに嬉しい思いが込み上げてきました。懐かしい人に会えるのが個展をやっている醍醐味の一つでしょう。明日は料金別納で案内状を郵便局から郵送いたします。