「夢の素材と夢の源泉」(a)まとめ

現在通勤時間帯に読んでいる「夢解釈」(フロイト著 金関猛訳 中央公論新社)の第五章「夢の素材と夢の源泉」の(a)「夢における真新しい事柄ととるにたらない事柄」のまとめを行います。第一章では分節された章論が8つもあったにも関わらず、大きなまとめをしてしまいましたが、章論のまとめは小まめにやった方が良いと判断し、第五章では4つから章論から成り立っているため、ひとつずつまとめをしていきたいと思っています。因みに第二章、第三章、第四章には分節された章論はありません。「夢における真新しい事柄ととるにたらない事柄」の中に些細な体験が価値のある体験の代理をしている、つまり「力点のずらし」があるという理論が導かれています。その文を引用します。「私たちは、ある心理学的な行程によって、些細な体験が心的に価値のある体験の代理をするに至ることを明らかにした。~略~夢分析の際に数えきれぬほどの経験をいやというほど繰り返すことで、私たちはそうした行程があると想定せざるをえなくなった。ここではこの行程から生じた結果のみを考察するにすぎない。そして、それは、ずらし~言うなれば、心的な力点のずらし~の行程であるようだ。これは仲介的要素をたどって成立する。そしてその結果、もともとに低い強度しか帯びていなかった表象が、高い強度の充当を当初から受けていた表象から負荷を受け取り、そのことで、その表象は意識への立ち入りを強いるだけの強さを得るのである。~略~夢内容が副次的な体験の残余を受け入れるという事実を、夢の歪曲(ずらしによる歪曲)の発現と解釈する。さらに、夢の歪曲は二つの心的機関のあいだに存する通行検閲の結果として生じるというのが私たちの認識であったことを想い起こす。その際、私たちが夢分析に期待するのは、心的に重大な意味のある、実際の夢の源泉はかならず日中生活のなかにあり、その想い出の力点が些末な想い出へとずらされることを夢分析が明らかにすることだ。」

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