陶磁器から芸術作品へ

「『走泥社』を結成した若手の陶芸作家たちは、陶磁器を芸術作品にした。画期的なことだった。彼らは精緻な陶芸品を作る卓越した技術の持ち主だった。彼らの作品、実用を旨とする美術品、工芸品が『帝展』や『日展』に入選してきたのは当然のことだった。その彼らがその誇るべき技術を揮って、まるで実用性のない陶芸品を作ったのである。何ともパラドキシカルな、悪戯ともおふざけ半分ともいえるような制作物であった。しかしこの無用の陶芸品、『もの』、オブジェとしか呼びようのない代物が『芸術作品』になったのである。オブジェ概念のお陰を蒙ったといって、過言ではない。いやいや、若い作家たちはむしろ、オブジェ概念に狙いを付けていたのだった。今日、走泥社の開いた新しい造形の道の上に、陶芸は次々と意欲的な作品の道標を築いて進んでいる。陶芸は旧来のジャンルよりも活発に、そして縦横に制作を続けている。マチエール、マニエールともに、陶芸はまだまだ可能性を持っているように見える。伝統的な技術として、陶芸が多くの制約を負っていることは確かだけれども、先に『保守』に関して触れたように、制約の中にこそ可能性が埋もれているとしたものである。」長い引用になりましたが、今読んでいる「アートと美学」(米澤有恒著 萌書房)の中に、私としては注目すべき内容が出てきたので、その部分を全文載せました。私の創作の立脚点はここにあります。もちろん「走泥社」だけではなく、イサムノグチやピカソ、ミロの自由奔放な陶芸に私は触発されていますが、「走泥社」の八木一夫の影響は計り知れません。私は決して精緻な技法を身に付けているわけではないのですが、陶彫の可能性をどこまでも信じて制作をしている一人です。

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