今夏の読書について

毎年夏にはまとまった休暇が取れるので、読書をする時間が確保できます。昨年はドイツ表現主義について何冊か本を読み、造詣を深めることができました。今年はどうしようかと思っています。奄美で画業を打ち立てた田中一村の伝記や評論をようやく読み終えて、今はP.クレーの本を読んでいます。今のところまとまったテーマは設定していません。国籍を問わずに気になった芸術家の資料を漁るくらいかなと考えています。来週から個展のための銀座通いが始まるので、東京の美術館を毎日訪ねて、展覧会図録にしっかりと目を通していこうかとも思います。図録にはとてもいい解説がついていたり、芸術家の時代背景がわかったりできる利点があります。そんなところも今年の夏の課題にしていこうかと思います。

映画「モデイリアーニ」

最近は芸術家の生き方を映画にしたものをよく観ています。メキシコの画家フリーダ・カーロ、フランスの彫刻家カミーユ・クローデル、それに今回はイタリアの画家アメデオ・モデイリアーニを主人公にしたものです。今回の映画は今まで観たものに比べると、映画としての創作が強く表れていて、ほとんどフイクションと言えます。ピカソやユトリロが登場人物として描かれていてパリを舞台にしたドラマ仕立てになっていました。自分としては、もう少しリアルに迫った描写が欲しいところでした。モデイリアーニはたとえば彫刻家として出発したけど、身体の具合が悪く、画家に転向し、それでもアフリカ彫刻に強く魅かれて、あのような独特なプロポーションをもった人物を多く描いた画家です。本人の葛藤は大変なものではなかったかと思います。それを取り上げても映画になる要素は充分あると考えます。誇張はあっても芸術家が抱える本来の苦悩も描けたらよかったと感じました。

「発掘から構築へ」来年へ…

来週からの個展の準備が一段落したら、来年の見通しのようなものがイメージされてきました。「発掘シリーズ」を3年間やってきたところで、実際はもう作り続けている「構築シリーズ」へ繋げていく橋渡し的な個展をやりたいと考えているのです。題名は「発掘から構築へ」として、来年だけは陶彫と木彫を並存させた展示内容にしようと思っています。普段の自分の作業工程は陶彫と木彫を同時にやっているので、陶彫が終わったから木彫という具合にはいきません。ただし、個展で見せる場合には思考の相関図のようなものがあった方がいいと考えています。陶彫で「発掘」をやり、次に木彫で「構築」をやるという思考が辿っていく過程を示そうと思います。実際にそういう過程はありました。ただし、行きつ戻りつしているので簡単に割り切れないのです。来年が気持ちの上ではもう始まっています。       Yutaka Aihara.com

映画「カミーユ・クローデル」

巨匠ロダンの弟子で愛人であったカミーユ・クローデル。以前まとまった展覧会が東京であった時に見に行って、作風があまりにもロダンに似ていたのが印象的でした。ブランクーシはロダンから離れたのに、カミーユは女性だったためかロダンに寄り添い、その影響を真正面から受けて、その苦しさに悶えていたのかもしれません。それを実体験させてくれたのがこの映画でした。多少の誇張はあるものの、女性が故の感性の鋭さ、情念の濃さ、男と女の関係とお互いの芸術の葛藤などがよく表れていました。先日観た「フリーダ」にも似ていて、巨匠の傍らで翻弄される女流芸術家の運命のようなものを感じました。自分の日常は感情を抑制し、坦々と緊張を持続させながら制作に向うのですが、とりわけ自分がこうした映画に魅かれるのは、創作行為の中に、人の血が通い、感情の高まりの結果として、常軌を逸して集中していく人間の業のようなものを求めているからに違いないと思っています。 Yutaka Aihara.com

民間企業派遣先へ…

個展の期間(21日〜26日)後、民間企業派遣(28日〜8月1日)があります。ずっと横浜市の公務員である自分は、この夏に民間企業で働く業務があるのです。いわば研修ですが、自分の派遣先は造園土木株式会社に決まり、今日は打ち合わせに行ってきました。7月末の時季に外で仕事をすることに少々弱腰になりましたが、これも経験と割り切ってやってこようと思います。大きな仕事が取れれば造園としての仕事ができると会社では言っていましたが、それがなければ除草の仕事になるそうです。彫刻も同じ身体を使う仕事なので、何とかいけると思いつつ、炎天下での外仕事はどんなものか不安はあります。亡き父親が残した仕事が造園ですが、また会社でする仕事とは違うような気がしています。個展の後にやってくる労働に汗を流そうと覚悟を決めました。                         Yutaka Aihara.com

梱包の暑い一日

暑い一日でした。汗が梱包材の上に滴り落ちていました。創作活動ではなく搬入・搬出のため、または保存のために必要な作業ですが、面倒でないと言えば嘘になります。エアキャップで作品を包むという単純作業です。しかし数の多さで辟易しました。ウイークデイにはとてもこんなことが出来ず、結局週末を使ってやるしかないのです。来週末は搬入になるので梱包は今日しかありません。搬入は今日梱包した柱48本と、テーブルが畳大で6枚、それに陶彫40数個の木箱でひとつの作品に組み立てることになります。それまで保管ですが、まるで引越し荷物のような按配です。いつぞやのブログに書きましたが、彫刻は元気がないと出来ない表現だなあとつくづく思いました。

見えない落款

個展に出品する「発掘〜遺構〜」のテーブルを支える柱48本。何とか補強も終わり、明日から梱包作業に入れることになりました。この48本の作品にもサインが必要と考えて、和紙に落款を押し、番号をつけて貼る方法をとることにしました。これは今までの作品がすべてそうであるように自分には恒例となっています。そこでさっそく印を彫ることにしました。今回はデザイン性を控え、草書で「相原裕印」という単純な印面にしました。全体は朱文(陽刻)に決め、こつこつ彫りました。結局、柱が床に接する面(裏面)に張ることになるので鑑賞者からは見えません。これは見えなくてもいいものだと思っています。見えるところだけ作るのであれば彫刻はデイスプレイと変わらなくなります。自分の思考や主張によって見えないところも作る、そこが彫刻としての在り方だと考えています。

案内状の発送

知人友人や親戚に個展の案内状を発送しました。仕事の同僚には月曜日に手渡ししようかと考えています。いよいよこれで後に引き下がることはできなくなりました。何が何でも個展を開催しなければなりません。きっと大丈夫と思っても、あの48本の焦げた柱を支えにしたテーブルに、やはり40数個の陶彫部品が乗るのかと思うと、やはり不安は払拭できません。補強木片をつけたおかげで揺れには強くなりました。転倒はありえません。人がテーブルに乗って揺らせることがあっても大丈夫です。案内状の写真は4つの直方体の真ん中に球体をおいた作品の一部を撮影して使いました。案内状をご覧になりたいなら、ホームページ表紙の左下の「こちら」をクリックしていただくと個展情報に入ることができます。ホームページにはこのブログの最後にあるアドレスをクリックしていただけると入れます。よろしくお願いいたします。Yutaka Aihara.com

メキシコ映画「フリーダ]

女流画家フリーダ・カーロの独特な自画像は、見るたび強い印象を与えられます。命を抉り出されるような毒のある絵画です。その生涯も起伏に富んでいます。なるほどこういう画家だから映画になるのかなと思いつつ、「フリーダ」を観ました。画面の色彩の美しさ、街の壁の鮮やかさ、登場人物が身に着けている衣裳の美しさ、画面構成も実に巧みで、女流画家の生涯を描く上では映像も芸術性の高いものになっていました。主役の女優の演技でわかったことは、フリーダ・カーロ本人の気性の激しさです。たしかに夫だったメキシコ壁画運動の巨匠リベラとの仲や、実際フリーダを取り巻く人間模様は映画に近いものがあったのではなかろうかと思いました。メキシコ絵画がもつ強さが前面に出た映画でした。

梅雨は明けず夏は来ず

湿気をたっぷり含んだ大気のせいか、朝から身体のだるさを感じています。今日は雨が降るでもなく、夏の熱気があるわけでもない一日です。こういう日の仕事場のエアコンは微妙です。クールビズになっていても、汗ばむ陽気では身体も頭の動きも緩慢になります。仕事の合間を見つけては、杉の柱1本1本に補強木片を接着しています。3分の2ほど完成してきました。黒々と焦げた柱がズラリ倉庫に並んでいます。作業中も梅雨のような夏のようなじっとりした季節感に翻弄されて渋々と進まず、思わぬ手間がかかっています。早く夏が来ないかと、子どものように待ち焦がれる日々です。

「メトロポリス」を再び観て…

昨年はドイツ表現主義にこだわったブログを多く書きました。その中でドイツ映画の「カリガリ博士…」や「メトロポリス」にも触れました。先日この「メトロポリス」を久しぶりに観ました。地下で働く労働者階級も高層建築にいる特権階級もすべて表現主義的な舞台設定がなされ、硬質な雰囲気の中でドラマが展開していきました。ところどころ覚えている情景があって懐かしく思えました。製作された1920年代にもう特撮をやっていたり、美しい未来型の女性ロボットが出現したりして、後世にかなり影響を与えていることは明白でした。現代ならばCGを多用するところを、アナログな装置を使ってスケールの大きさを出しているところも驚きでした。ピアノの効果音だけの無声映画ですが、映像のはっきりした主張に無声であるのを忘れて見入ってしまいました。                        Yutaka Aihara.com

浅い眠りに思う

自分は自慢できるほど何時でもどこでも寝ようと思えば眠れるタイプです。しかも夜の眠りは深く床に入るとあっという間に朝を迎えます。夢はめったに見ることはありません。深夜の時間帯を音楽を聴きながらぼんやり楽しむことは学生時代にありましたが、今はそんなことも出来ません。多忙が身についてしまっている結果かもしれませんが、早寝早起きが基本的な生活習慣になっています。ところが昨晩は眠りが浅く、いろいろなことが頭に浮かんできました。夢か現か定かでない中で、じっとりと汗ばんだ身体をよじってみては時折寝返りを打っていました。心配ごとがあるわけではありません。ただ週末にあれもこれもやって押さえが効かなくなっていたことは事実です。公務も創作も仕事は順調に進みましたが、気持ちが入りすぎて多少興奮気味だったのかもしれません。物事に対しては多少腰が引けていた方がストレスが少なくてすむのかなと思いつつ、この7月をサラっと乗り切りたい思いでいっぱいです。

父の三周忌

つい先日父が他界したと思っていたら、早いもので今日が三周忌法要になりました。このところ義母の一周忌といい、父の三周忌といい、親の法要が続いておりますが、これも自分の年齢からすれば当然なのかもしれません。集まった親戚も皆んな歳をとったなあと思いました。自分こそはまだまだ平気と思っても運命はそういうわけにはいかず、今日という日を精一杯生きるかと改めて思った次第です。甥や姪が逞しくなって、個展の搬入の手伝いを引き受けてくれたり、次世代は確実に育っているように感じました。自分のところに出入りしている美大生も教員採用試験を受けることに決めたらしく、来年を見据えて頑張る所存を伝えにきました。父が残したモノはまだ手付かずに放置していますが、畑の植木はどれも育ちすぎて、自分はどうしたものか途方に暮れます。自分がやっている彫刻はさらに始末が悪いのかなと思いつつ今日を過ごしました。                      Yutaka Aihara.com

制作没頭の一日

丸一日が自分のために使える大切な週末です。いつものことですが朝から気分が違っていて、仕事場に入ると同時にエンジン全開です。今日は作品に付帯するモノを作っているので創作活動ではありません。柱の補強に使うカタチをたくさん作っているのです。それでも地味な部品でありながら作品が設置されると表面に出てくるモノなので手抜きはできません。今日は何時間もずっと電動工具を使っていたので機械が熱をもってきました。そこで少々休憩。無理をせず休まず長い時間をひたすら作業する、この感じがとても好きなのです。自分はランナーに例えると長距離向きです。短距離のような一気呵成はできません。早いうちから時間をたっぷり使って計画的に作るという工程があればこその集合彫刻です。                  Yutaka Aihara.com

個展情報をアップ

ホームページの表紙にギャラリーせいほうでの個展に関する情報をアップしました。知人には案内状を送らせていただきますが、このホームページをご覧になっていただければ日時がわかります。ぜひご高覧いただけると幸いです。とは言っても時折ブログに書いている通り、まだテーブル彫刻を支える柱が完成しておりません。案内状にあるのはテーブルの上に置かれる架空都市の部分です。柱の制作は搬入までかかると思っています。結構この緊張感を楽しんでいるところもありますが…。明日から週末。制作三昧の大切な時間です。今週末で補強用の木片を細工して柱が倒れないようにしたいと思います。何と言っても柱は48本ありますので、補強の木片もたくさん必要です。明日はひたすら細工を施すのみです。なお、ホームページには文章の最後にあるアドレスをクリックしていただけると入ることができます。   Yutaka Aihara.com

時間の隙間の細切れアート

朝から夕方まで公務員の仕事がある自分は思い切って作品を作れずにいます。何回もブログに書いていますが、ウイークデイは細切れの時間の中で少しでも制作に励むしかありません。結構仕事の合間というか隙間というか、そうした時間があるもので、塵も積もる進展があったりします。コンセプトを思考するのはこうした細切れの時間の中では、やはり無理かなと思います。たっぷりと時間を取って心ゆくまで自分の中に埋没しなければならないからです。ただし制作工程によっては細切れ時間でも充分仕事が捗ることもあるのです。テーブル彫刻を支える柱の補強のための木片を作ったり、RECORDの今日の分を作ったりできる時間はあります。というか、やり繰りできる時間を確保するといった方が適切です。時間で切って発想の転換を図ることは本当にうまくなったなあとつくづく思うこの頃です。

RECORDは「長方形」

今月のRECORDは「長方形」でいきます。矩形は今まで正方形や台形をやっています。長方形は正方形や台形が変形したものです。どんな長方形が美しいか、縦横の比率を考えながら型を作りました。画面の中で他の要素と噛み合った時に、より発展性のある長方形にしたいと思いました。自分はどうしても彫刻的なイメージや広がる大地や立ち上がる壁がRECORDの小さな画面に登場してきます。平面性を追求してもフォルムを壊すことができません。長方形もきっと柱になったり、橋になったりするかもしれません。ともかく1ヶ月は「長方形」にこだわって1日1点の小作品を作り続けていこうと思っています。                        Yutaka Aihara.com

実践の7月到来

7月になりました。今月は21日から銀座で個展があり、28日から民間企業への派遣があり、公務の上でも自分が事務局になる会合があり、なかなか重要な用件が揃った1ヶ月です。実践あるのみといった感じでしょうか。まず、個展の件です。ギャラリーせいほうに行って、図録や案内状を届けながら簡単な打ち合わせをしてきました。東京は、とりわけ銀座の目抜き通りはサミットの影響で警察官があちこちに立って取締りをしていました。画商の田中さんは相変わらずの口調でいてくれて、自分としてはホッとしながら、とりあえず滞りなく、つつがなく個展が出来そうな気分になりました。次に民間企業派遣の件です。来年度、管理職になる自分は公務員という身分のまま民間企業に出かけて研修を積まなくてはなりません。これはいずれ近いうちに打ち合わせをもつ予定です。ともかく7月は活動的にならざるを得ない状況です。夏休みはまだ遠いかなと思いつつ…。            Yutaka Aihara.com

杉の柱の高さを調整

910ミリで揃えたはずが、48本の中には微妙に高さが違う柱があって、テーブルの厚板を支えるのに不都合が生じています。これを電動工具や鋸を使って何とか揃えています。ミリ単位で一番短い柱に合わせるため、なかなか難しい作業になりました。48本全部の柱の長さを測った結果、907ミリに統一しようと決めました。1ミリ程度の狂いはウレタンクッションをつけることで解決できると考えています。今までのテーブル彫刻は古くなった枕木を使っていましたが、枕木の柱は大きくて数が少ないため、今回のような苦労はありませんでした。木は細工がしやすい反面、反ったり割れたりするので石や金属に比べると土に似た要素があるかなと思いました。力任せにできない素材です。今日で6月が終わります。明日から7月。いよいよ個展開催が近づいてきました。

義母の一周忌

義母が他界してちょうど1年です。今年3月には義母が育った奄美大島にも行ってきました。今日はあいにくの雨模様でしたが、親戚が集まって一周忌を行いました。以前ならこういう冠婚葬祭は面倒と思っていましたが、歳のせいか皆が一堂に会するのはホッとする安らぎを感じるようになりました。個展へ向けての準備は今日はお休みです。明日からまた頑張っていきたいと思っています。こうした宗教行事は、故人を思いつつ生きている人と人が繋がっていけるようにあるのかなとぼんやり思っていた一日でした。 Yutaka Aihara.com

図録の印刷完成

今回の図録で3冊目になります。銀座で個展をするたび新しい図録を用意しています。シリーズとしてやっているので図録の大きさやページ数は同じです。でも今回の図録はブルーを基調にしたものが出来上がりました。遊びの要素も増やしています。最後のページに掲載しているポートレイトは昨年の個展のオープニングパーテイで撮影したもので、ちょっとおどけた写真を使いました。また今回の図録には照明を内蔵した「街灯」シリーズを入れてあるので、照明器具としてフロアやテーブルに置かれた時の雰囲気のある写真も使っています。そう考えると図録も作品のひとつです。個展にいらした方に持っていっていただけるよう今年も個展会場に500部くらい置こうと思っています。                            Yutaka Aihara.com

生活の中の快さ

昨日のブログに空間認識としての快さを書きました。作品に結びつくイメージで、自分の生きがいとしているモノです。生涯そんなイメージを心の糧にしてやっていきたいと思っています。しかしながらそれはストイックな制作の中から生まれるもので、自分はそれだけでは息苦しくなってしまうのです。たとえば美食。毎回高価な美食なら快さはないかもしれません。質素ながら素材にこだわった料理ならどうでしょうか。また健康なら空腹にもなり、何を食べても美味しく感じる快さ。たとえばスポーツ。身体を動かした時の快さ。人に感謝される快さ。仕事で自分が必要とされる時の快さ。そんな快さがあって、またそんな快さを求めて自分は生きている実感があると思うのです。作品完成も一瞬は快さを感じますが、あとは反省ばかり。でも全体としてみると、やはり自分にとって作品を作り続けることが一番の快さなのかもしれません。                         Yutaka Aihara.com

快さのある架空の空間

家内が「地図を見ていると心が安らぐ」と言います。人によって快さを感じるものは鉄道の時刻表であったり、何かのキャラクターであったりするのかもしれません。自分がイメージして快くなるものは何かを考えました。まず白い壁です。その白い壁で仕切られた空間に何か重量があるモノが置いてあります。錆びた鉄のような黒ずんだ古木のような何かです。抽象形態のような何かを表しているようなモノです。そんなイメージが自分にとって快いものだと認識しています。そんな快い漠然としたイメージに向って作品を作り続けているのかもしれません。空間に対する理論の組み立てはイメージの後に試みていると言っても過言ではありません。まず、自分にとって快く感じる何か不明なモノが初めにあって、そこから思索・思考がスタートするのです。説明できないモノを説明できないまま作り始めるというのが正直なところです。                              Yutaka Aihara.com

日本のゴーギャン

先日まで読んでいた日本画家田中一村に関する書籍の2冊目です。新聞社が編集した田中一村の伝記で「日本のゴーギャン」という表題がついています。同じ作家に関するものを別の書物で続けて読むのは初めての体験ですが、なかなか面白いと感じました。まず取材の手法がやや異なっていて、こだわりの部分がそれぞれあって楽しめます。現存した日本画家なので大筋では一致していますが、その時その時の一村の気持ちを推し量るところが微妙に違います。双方読んでいくうちに浮かび上がる一村の性格がきっと確かな部分なのでしょう。共通しているのは妥協を許さない厳しい性格であるところで、しかも肌理細やかです。仕事量の多さが常軌を逸しているところも共通しています。見習いたいと思うところは随分ありますが、自分はこんなふうに生きられるだろうかと自問自答してしまいます。

「田中一村 豊饒の奄美」

表題は大矢鞆音著「田中一村 豊饒の奄美」で、3月に奄美大島に行った時に購入した書籍の一冊です。田中一村は以前NHK「日曜美術館」で取り上げられて興味を持った日本画家で、横浜のデパートの巡回展にも足を運びました。それ以来現代的なセンスで描かれた一村ワールドの虜になり、当時の図録だけでは飽き足りず、今回も奄美の美術館を訪ね、このような本を買った次第です。中央画壇に背を向けた経緯、奄美の生活と創作の充実、自分も美術に関わる作者の端くれとして、取材から浮き彫りされる一村の足跡がよくわかり、生々しいイメージが沸きました。とくに奄美に渡ってからの創作活動に興味津々でした。自分も年1回の個展以外に発表する手立てがなく、画壇との付き合いも望むべくもない作家ですが、ひたすら創作して心がいっぱいになっている充実感はあります。もっと認められたいと願うのは作家である以上つきまとう現実ですが、まず創作活動ありきと思っています。認められる認められないは結果としてついてきてくれればと願ってやみません。

造形の果てない魅力

横浜の地方公務員である自分は、いずれ近い将来定年がやってきて、晴れて自由人になります。勤務時間がなくなるということは、一日のリズムはどうなるのだろうと今から思いを巡らせています。自分は決まった時間に仕事を始めるのが気持ちの上ではとても楽で、またその中で集中力も増してきます。自由人と言っても気儘な制作は考えられません。きっと決まった時間に工房に入り、決まった時間に一日の仕事を終えるのではないかと想像しています。造形の魅力にハマッている時間は一体いつまで続くだろうと考えることもあります。果てしないのか、気持ちが萎えてしまうのか、自分にはわかりません。ただ今は公務の合間にふと造形芸術の果てしなさが頭を過ります。早く自分だけの時間が持てないか切望しています。アイデアはいつも頭にあって、どんどん制作に移したいと考えていますが、労働の束縛があればこそのイメージの膨らみなのかもしれません。             Yutaka Aihara.com

姪の結婚式

この歳になると冠婚葬祭では圧倒的に葬式や法事が多くなり、周囲にも親近者が亡くなったり、介護をしている話題が増えてきます。その中で結婚式は久しぶりです。姪は自分が渡欧中に自分の妹の長女として生まれた子です。大学を出て幼稚園に勤めていましたが、学生時代から付き合っていた人と今日ゴールインしました。今まで自分の個展の搬入や搬出を快く手伝ってくれています。多分今年の7月の個展にも声をかけるつもりですが…。披露宴の間に自分も結婚を決意した時のことを思い出しました。自分の理解者であり協力者である人が傍にいてくれたことが、彫刻家を志す自分には大変な力となり、また勇気づけられてきました。精神的な支えが必要とすることを当時の自分の師匠はわかっていて、早く結婚するように勧められたのでした。姪にはどんな夢があるのでしょう。ともかく今日は祝福の気持ちでいっぱいです。Yutaka Aihara.com

「発掘〜遺構〜」全体配置

この週末は来月の銀座での個展に備えて、「発掘〜遺構〜」のテーブル部分を支える杉材の全体配置を考えました。48本の柱をどう配置するか。テーブルにした時に支柱としての強度はどうか。地震がきて作品が転倒してしまわないように、また安全に配慮して柱一本一本に補強の部品をつける必要があると感じました。柱が48本もあると高さの微調整も必要になってきました。電動工具で柱の先端部分を1ミリから数ミリ削らなければならないと考えています。こうした仕事が増えて、結局搬入までの余裕がなくなります。いつものことなので焦りはありませんが、作品の内容とは別の仕事なので、つい面倒だと感じてしまいます。立体を複数の部品で組み立てるので、これはいつもついてまわる問題で、こういうことが生じるからこそ早めに作ろうと意図するのですが、なかなかうまくいきません。何とかしていかなければならないと決めたところで今日の作業を終えました。

日常の中のRECORD

1日1点ずつポストカード大の作品を仕上げていく「RECORD」のシリーズは1年半を迎えようとしています。我ながらよくやっていると自負していますが、どうしてもパターン化してしまう傾向があって、最近はあまり気に入っていません。習慣化は作品の蓄積にはいいのですが、質的な向上は疑問です。2月から始まっているセカンドシーズンは月ごとの幾何形体を決めてやっているので、なおさらパターン化を感じてしまいます。あえてそうすることによって、なお展開できる力をつけたいと考えて始めたのですが、苦しい限りです。構成に遊びがなくなり楽しめなくなってきています。今日は楽しいと感じて表現するには、なにか新しい視点、思索、工夫が必要だと痛感しています。明日こそ、と思えるだけまだまだ続けられそうですが、意欲が失われないように方策を考えていこうと思います。          Yutaka Aihara.com

通勤に思う奄美体験

車検があって今週は電車通勤です。通勤時間は読書の時間と考えるようにして、自宅に山積みされた本の中から何を読もうか選びました。今年3月末に奄美大島に行った際に購入した日本画家田中一村の伝記や評論を読むことにしました。手ごろな軽さと大きさなので、鞄に入れて持ち運ぶのに最適です。難しい専門書は通勤中の読み物としてはキツいのです。さらさらと読めて、しかも自分に刺激を与えるものがいいと思います。先日まで「廃墟の美学」を読んでいましたが、内容に気が抜けず、とつおいつしながら読み終えました。田中一村の本は、自分が奄美大島を追体験しながら読めるので、奄美大島の自然をもう一度思い出しながら読み進めています。通勤時間が苦にならないようにしようと思っているのです。

「廃墟の美学」を読んで…

表題は谷川渥著「廃墟の美学」のことです。これは廃墟の図像学というか美学として捉えた廃墟論です。自分の陶彫による作品は、廃墟(遺構)をテーマにしているので、本来ならもっと早くこの学問を知っておくべきだったと思います。本書は西欧の廃墟に対する考え方や表現方法が通観できる内容になっていて、文中に取り上げられている個々の作家は知っていても、廃墟論としての視点で見ると、実に興味深く、自分の思い描いていた学問がここにあったと感じました。さらにもっと多様な廃墟論を学びたいと思ったほどです。数日前のブログに書いたブリューゲルの「バベルの塔」や「牢獄」を描いたピラネージとか、以前から興味を持っていた作品が出てくるたびに、自分がこの先学ぶべきは「廃墟学」なのかもしれないと感じています。