今日から三連休です。三連休全て制作に使うことは出来ませんが、精一杯頑張ろうと思っています。台風一過の後、秋が近づいて空気が爽やかになってきました。朝の通勤は半袖シャツでは肌寒いので長袖に替えました。ネクタイ着用はまだしていませんが、酷暑が続いた今年の夏が嘘のようです。それに伴って多少疲れが出てきました。今日は土練をした塊を掌で叩いて畳大のタタラを10枚作りました。陶彫はタタラと紐作りを部分によって使い分けて成形を行います。午前中大きなタタラを作って、午後は成形に入りました。涼しくなった工房ですが、相変わらず汗が滴り落ちました。陶彫制作が始まると、自分の性分なのか無我夢中になってしまい己を見失います。それでも思うほど作品が進まず、苛立つこともありましたが、疲れの出ている身体を労わって今日は夕方4時に作業を終えました。体調を整えるため、夜は近隣のスポーツ施設に行って水泳をやってきました。「よくやるね。」と家内が言うので、「ミケランジェロだってムアだって作業の後はグダグダだったさ。」と答えました。明日も頑張れるだけ頑張ろうと思います。
「縄文の音」読後感
2013年 9月 20日 金曜日
「縄文の音」(土取利行著 青土社)を読み終えました。カタチとしては残っていない縄文時代の音や歌の追求は、世界各国に伝わる民族古楽器や伝承歌を調査し、その共通項を探って縄文時代へ繋げる方法を取らざるを得ません。打楽器奏者である著者は、銅鐸を演奏する機会や、有孔鍔付土器を楽器として解釈し、再現された縄文鼓を演奏する機会を持ち、考古学とは一味違う創造的楽しさを本書に盛り込んでいます。あとがきに「~前文略~日本国という名が定まったのはおよそ七世紀のころ。それ以前はまだ縄文時代以来のクニグニが日本列島の各地に存在しており、そのクニグニには熊襲、隼人、国栖や、『風土記』で土蜘蛛などと総称されている様々な民族がそれぞれの社会を作って暮し、蝦夷やアイヌ民族もまた独自のクニを形成していたはずである。しかしこれらのクニグニは七世紀末ころに、当時は近畿を中心とする日本列島の一部にすぎなかった日本国の侵略を受け、各々のクニビトは日本人と化していったのである。そしてアイヌや沖縄の民族は、この日本国に対し近代にいたるまで抵抗を続けた。そしてそれは、日本国の農耕・仏教に対する狩猟および漁撈・アミニズムという文化的・宗教的抵抗でもあった。」とあるように、縄文文化が南方だけでなくアイヌとも繋がっていることを本書は事例を基に説いています。考古学の検証はこれからも続き、本書のような音楽家の視点で縄文文化を紐解くこともあり、また造形美術の視点では既に論考されている書籍もあります。自分は折に触れて縄文文化に関わり続けたいと思っているところです。
縄文時代の浮流感覚
2013年 9月 19日 木曜日
「縄文時代から見えないかたちで、わたしたちのこころの奥底を流れ続けている感覚。これをわたしは浮流感覚と仮に名づけたい。縄文の終焉以来、弥生、古墳、そして飛鳥の国家成立期を経て奈良・平安と、歴史はまるで一部の指導者のよって造られてきたかのような印象をわたしたちに与えてきた。が、日本文化の大陸化ともいえるこの時代に、浮流感覚を持ち続けた庶民の存在を忘れてはならない。そしてこれら庶民の浮流感覚は、やがて平安末期から鎌倉時代の下剋上の時代を通じて一気に歴史の上にも蘇った感がする。その現象は、先に説明した踊り念仏など、仏教の中にも示されているし、芸能の中にも多々見られるであろう。~以下略~」先日から読んでいる「縄文の音」(土取利行著 青土社)の中の一文で、縄文時代の感覚が残っている文化に触れた部分です。岡本太郎が芸術表現の視点で再発見した縄文土器。また自分がそうした縄文土器に憧れにも似た気持ちを抱くのは浮流感覚があればこそなのでしょうか。縄文の造形性に新鮮さや親しさを覚えるのは私だけではないでしょう。造形の斬新さという点で、現代はどのくらい造形感覚の進歩があったのでしょうか。テクノロジーが進んだとはいえ、それらはデジタルな衣を纏っているだけで、内容そのものの変化は如何なものでしょうか。先日来、古代文化と付き合っている自分は、縄文文化の斬新さに驚くばかりです。
「注文の多い展覧会」雑感
2013年 9月 18日 水曜日
今月初めの週末、あまりにも工房が暑くて作業を早めに切り上げた日がありました。その日の夕方、横浜山手にある神奈川県近代文学館で開催中の「注文の多い展覧会」に行ってきました。展覧会の題名が示す通り、これは宮澤賢治の文学作品が基底にある展覧会で、宮澤賢治の世界を表現した画家で絵本作家である司修の作品を一堂に集めたものでした。自分の学生時代、版画作品を通して司修を知りました。詩情溢れる作品に、自分の感覚にはないノスタルジックな雰囲気を感じていました。表現方法の幅が広く、同一人物が描いたとは思えない画風があって、その自由奔放な絵が羨ましいと思ったこともありました。展示作品の中で詩集「雨ニモマケズ」の線描の絵画が面白く、自分もこんな風に描けたらいいなぁと思いました。色彩の美しさに定評のある画家ですが、自分は白黒の木版画も好きで、挿絵の入った書籍「サーカス物語」を思わず購入してしまいました。M・エンデの戯曲なので、そのうち読んでいきたいと思っています。残暑の厳しい日でしたが、展覧会場で気持ちがフワっと楽になれる気分を味わいました。
銅鐸演奏を思い浮かべ…
2013年 9月 17日 火曜日
このところ日本の古代文化に対する興味が湧いています。現在読んでいる古代音楽に関する書籍に面白い場面があって注目しました。「演奏当日、橿原考古学研究所に総勢三十名のスタッフが集まり準備を始める。テレビ撮影隊、録音隊、ボランティア・スタッフ等、誰もが未知の演奏に期待を募らせている。標高百九十九メートルの畝傍山は車で登れず、登山口の山口神社から山ツツジの映える狭道を各自が機材を担いでゆく。古い社跡を残す山頂広場。その北端の何本かの常盤木に囲まれた所に、宮大工さんによって十方形のやぐらが建てられる。そのサルスベリの木枠の一辺一辺に二個ずつ小型の銅鐸を、やぐらの中央を交差する接点には大型の銅鐸を吊す。それら黄金色の銅鐸が目にまばゆい。やぐら横には三本柱を円錐状に建て、そこに南中国からインドシナに分布する銅鐸を吊し、小型の銅鐸一個もぶらさげた。畝傍山の西方には二上山、葛城山、金剛山が見える。それら山々の稜線を夕陽が染め、やがて夜の帳が降りる。山頂の冷気が漂い、黄泉の国と化す。明けて四月七日午前二時四十五分、銅鐸が吊るされたやかたの中で、しばし静謐を保った後、大地を裸足で踏みしめながら演奏に入っていく。~以下略~」長い引用になりましたが、「縄文の音」(土取利行著 青土社)の冒頭にあった銅鐸の演奏風景です。著者は再現された銅鐸で古代の音を探ろうとしています。打楽器奏者としての著者が面目躍如としていて、読んでいる自分も古代に誘われていくような思いがしました。
新作構造体の完成
2013年 9月 16日 月曜日
三連休の最終日にあたる今日は台風18号の影響で朝から暴風雨に見舞われていましたが、午前中から工房にいて板材の組み立て作業に追われました。板材ユニットを円錐状に配置し、これを構造体にして陶彫部品を接合させていくのです。陶彫はまだこれから成形を開始する予定ですが、どのくらいの陶彫部品があれば全体を覆うことが出来るのかを制作工程から割り出しました。150個以上の部品が必要だとわかって、焦燥感に駆られつつこれを具現化することに些か自虐的な思いを持ちましたが、それでもクオリティを下げることはできません。果たして完成するのか、間に合うのか、日程的に追い込まれてくると厳しい思いをすることはわかっています。これは毎年のことで、今年こそ余裕をもって制作しようと考えていますが、結局直前に右往左往して冷や汗をかくことになるのではないかと思います。そうした反省を踏まえ、今年こそ予定通りに余裕を持って仕上げたい希望はあるのです。
三連休の真ん中で…
2013年 9月 15日 日曜日
台風18号が関東地方に迫る中、朝から工房で制作三昧でした。午前中の雨風は相当激しかったのですが、午後は晴れ間が覗きました。湿度は高かったものの気温は凌ぎやすく楽でした。今日から木材加工と併行して土練りを始めました。新作は陶彫の彫り込みに時間を要するため、陶土の用意をしておきたいと思ったのでした。新作の全体イメージの把握、そして実際の雛型もあって、今回の陶彫部品で覆われる塔は、比較的わかりやすい制作工程を組むことができます。どのくらいの陶彫部品が必要か、ひとつの陶彫部品を作るために彫り込み加飾を含めてどのくらいの時間が必要かを考えると、木材加工に関わりながら陶彫制作も進めていかなければならないと思っています。陶彫は最終工程で窯入れをするため、逆算して工程を組んでいく必要があります。失敗も考慮しなければならず、作業に猶予がないことがわかりました。明日も頑張ろうと思います。
創作活動の連帯感
2013年 9月 14日 土曜日
自分が大学で彫刻を学んでいる時は、同じ志を持った多くの仲間がいました。当時は仲間の習作に刺激を与えられ影響も受けました。大学卒業とともにそうした環境が失われ、その後は自分一人で制作する日々が続いています。大学時代の仲間は地方に住んで制作をしているので滅多に会えず、今夏の個展の時に久しぶりに旧交を温めた次第です。その中で自分の後輩が、自分に近い環境で制作していて、たまに工房を訪ねてきます。彫刻は個々の創作活動ではありますが、後輩との連帯感を持てることの幸せを感じるのです。池田宗弘先生との師弟関係も自分にとっては大切ですが、まずは同じ市内に住み、同じ二足の草鞋生活を送る後輩から自分は元気をもらっています。後輩は廃材となった生徒机の天板を素材に使う木彫家です。二科会に応募を続けていて、今回も入選を果たしたので彼の新作を見に行きました。積層の木材を彫り込み、蔦が蔓延るような有機的な生命体を感じさせ、紐状に彫られた部分は束ねられたり、解かれたりして空間を縦横に走ります。今回注目したのは紐状の形態に囲まれた内臓空間です。H・ムアの彫刻以来、空洞のある彫刻は珍しくなくなりましたが、作品を軽やかに大きく見せられるので、空間の扱いとしては有効だと思います。彼がますます発展していくように願って、東京国立新美術館を後にしました。
ETV特集「ガタロさんが描く町」
2013年 9月 13日 金曜日
先日、NHKのテレビ番組で異色の画家を取り上げた特集を組んでいました。先月深夜に放映されて家内がたまたまその番組を見ていたのでした。それは団地の清掃員をやっている60代男性の生きざまを取材したもので、清掃用具庫の一角にアトリエを構えていて、その描いている絵の迫力が凄いと家内は言っていました。先週の土曜夜11時にETV特集選として再放映されるのを新聞で知って、私も見てみることにしました。ガタロさんは広島の団地内にある商店街の清掃員で、トイレの便器をひとつずつ丹念に掃除する映像が流れていました。番組の前半は雑巾やモップで懸命に掃除する姿が、社会の底辺を這うようにして描かれていますが、後半になると奥さんとの家庭生活や表現手段としての絵画制作があって映像に若干変化が出てきます。汚物を処理するモップ等清掃用具に愛着を感じ、拾ってきた描画用具で、清掃用具をモチーフにして素描しているガタロさんの姿が印象的でした。数百点の原爆ドームを描いた絵や、ホームレスの男性を描いた絵も迫力に満ちて作者の発言より雄弁です。絵にしたい動機、迸る筆致、身近な道具を愛おしむ感情が剝き出しになって表れていて、久しぶりに秀逸な作品を見た気がしました。
HPのGALLERYに「混在」アップ
2013年 9月 12日 木曜日
地球規模の地図を見ていたら、森林を開墾しながら街が菌のように広がって、まるで傷口にかさぶたができたように思えました。例えが悪いのですが、私たちの住む都市は俯瞰すると決して美しくはなく、宇宙から青く見える地球が傷だらけになって病んでいるようにも感じました。日本では原発の汚染水の処理が大きな問題になっています。他国も大なり小なり環境汚染の問題がないとは言えません。これは地球にかかるストレスでしょうか。地震や津波、火山の噴火は人的影響が全てではないことは承知の上で、やはり地球規模の地図を見ると、あれもこれも人間の仕業と思えて仕方ありません。「発掘~混在~」は制作中に東日本大震災が起きました。震度5強でも陶彫は落ちて割れることはありませんでしたが、その後の大震災の状況を見るにつけ、陶彫部品を多少差し替えて全体イメージの変更を行いました。ホームページのGALLERYに「発掘~混在~」をアップすることになり、当時を思い出しました。最後に付け加えた短文に、自分が見た地図のことを念頭に入れてコトバを捻り出しました。ホームページのGALLERYに入るには、このNOTE(ブログ)の左上にある本サイトのアドレスをクリックしてください。扉の画像が出てきますので、GALLERYをクリックしていただけると入れます。ご高覧いただけると幸いです。
「縄文の音」を読み始める
2013年 9月 11日 水曜日
先日まで読んでいた書籍で縄紋文化に興味が出てきて、次なる書籍を探そうとしていたところ、自宅の書棚に以前購入した「縄文の音」(土取利行著 青土社)を見つけ、これを読むことにしました。いつ購入したものか忘れていますが、まだ読んでいないことだけは確かです。「縄文の音」では「縄紋」の表記を「縄文」にしているので、これからは「縄文」という文字を使います。縄文時代には優れた造形美術が発掘されていますが、音楽や演劇、宗教行事に関しても優れていただろうことは想像がつきます。人が演じる媒体だけに記録が残っていないというだけで、残存している美術だけが突出していたとは考えにくいのです。本書に描かれる音響の再現を通じて古代に思いを馳せてみたいと思います。著者は打楽器奏者で考古学者ではありません。学者の協力を得て実際の音に触れる機会があると思います。縄文人の心を知るには、学術的な研究だけではなく、芸術芸能に携わる人がその知識や感覚を駆使して臨むのが良いのではないかと思います。通勤時間帯の読書が楽しみです。
直弧紋 模写による追体験
2013年 9月 10日 火曜日
今月のRECORDは初日より直弧紋に拘り続けています。最初の1点目は井寺古墳出土の直弧紋の模写をRECORDに描き写しました。古墳の図版から見てRECORD用紙と縦横の割合が違うので、そこは用紙に合うように割合を変えました。用紙に渦巻紋を描いて、そこにX印をつけて、太古の人々がどのように抽象化をしていったのか追体験をしました。2点目から発展を考えて、自分なりの直弧紋をデザインしてみました。分割した面積が模写と同じになるようにして抽象的美しさを追求し、曲線と直線のバランスを考えました。遍く20世紀抽象絵画を知る自分でさえ直弧紋のアレンジには苦しみました。直弧紋を作った人々の斬新な感覚には驚きます。色面を反転させている箇所もあって、その微妙な割合に考え抜かれた美しさがあります。キュビズムというより構成主義に近い計算された美的要素があります。直弧紋模写の追体験は今日で10日間に及びますが、オリジナルを超える難しさに立ち向かいながら、21世紀に生きる自分が直弧紋から何かを掴もうとしているのです。
9月RECORDは「渦」
2013年 9月 9日 月曜日
今月のRECORDのテーマを「渦」にしました。渦巻紋や直弧紋のことを先日来よくNOTE(ブログ)にアップしていますが、実際に図版資料をもとにキュビズム紋と言われる直弧紋を自分なりに試みてみたい意欲に駆られていて、9月初めから取り組んでいます。まず、古墳の直弧紋を模写し、それに基づいて随時展開しています。渦巻紋は古代人の気持ちになって取り組んでみたいのです。また、現代の芸術家で言えば、ウィーンにいた頃にお会いしたことのある故F・フンデルトワッサーのオートマティックな渦巻きが画面いっぱいに描き込まれた作品が目に浮かびます。過去、自作の陶彫にも渦巻きを彫り込んでいます。渦巻きは自分にとって大好きな意匠のひとつで、成形した陶彫に彫り込み加飾をしようと思うと必ずや渦巻きのイメージが出てくるのです。RECORDとは一日1点葉書大の平面作品を作ることを称していて、文字通り日々のRECORD(記録)です。渦巻きの古代太陽神信仰を重ねながら、さらに渦巻紋を楽しんでみたいと思います。今月も日々頑張ります。
週末 職場での地域防災訓練
2013年 9月 8日 日曜日
今日は休日出勤して、地域防災拠点となっている職場での防災訓練を行いました。横浜駅に最も近い公的施設である職場は、震災や津波があれば防災拠点としての役割を担います。被災した人々の受け入れ、施設の開放、簡易トイレの設置等を行い、私たち職員も全面的に協力をしていく姿勢でいます。今日の訓練では受け入れ訓練の他に心肺蘇生訓練などを時間をかけて行いました。もし有事があれば、周囲を河川に囲まれている職場は、震災のみならず津波にも備えなければなりません。昨年屋上に津波スピーカーが設置されました。市危機管理局から直接放送が流れ、地域住民に避難を呼びかけるのです。職員も全員が最上階に避難するような訓練を行っています。海抜1メートル以下の低地にある職場は、常に危機管理の判断に迫られ、今日のような地域防災訓練にも力が入るのです。逆に私の家や工房は横浜駅より離れた小高い丘にあります。津波の心配はありませんが、生活物資のラインが止まるかもしれません。おまけに自宅が指定されている地域防災拠点施設は遠く、避難経路に土砂災害が発生する可能性もあり、自宅で3日間耐えるだけの食料や水を確保しておかなければならないと考えています。家内が折に触れて防災グッズを集めていますが、備えあれば憂いなしといったところでしょうか。
週末 新作板材の組み立て
2013年 9月 7日 土曜日
先週末に厚板を切断し、今日は厚板の部品が円錐形になるように組み立てを始めました。新作の塔は陶彫部品を厚板にそれぞれ接合して、完全に板材を陶彫が覆ってしまう構造になります。重量のある陶彫部品を複数接合するので、それに耐える板材にしなければならず、補強も必要になります。最近ちょっとした地震があって記憶を新たにしたのですが、作品展示中に大きな震災に見舞われることだってあるかもしれません。今日は朝から工房で補強材をどうするか考えて、木片を数多く作ることにしました。これは創造的な仕事ではありません。でも必要なことなので今週末2日間を組み立ての作業に費やしたいと思っています。明日は休日出勤があって一日中作業ができませんが、時間を見つけて構造体を万全にしたいと思っています。
「渦巻紋と輪廻転生」読後感
2013年 9月 6日 金曜日
「渦巻紋と輪廻転生」(藤田英夫著 雄山閣)を読み終えました。本書は分厚い専門書ではなく、私にも充分理解できるプロトタイプで、しかも刺激的な論考ばかりだったので、NOTE(ブログ)に引用文を多用してしまいました。まだまだ注目したい文章があったのですが、次に読もうとしている書籍にも通じるものがあるので、ここで「渦巻紋と輪廻転生」はまとめにしたいと思います。「海洋水運国であった日本は、このように北から南まで広範囲な自由交易が縄紋社会の経済を充分にうるおし、縄紋の豊かな社会基盤を支え、エネルギッシュな前衛芸術土器の製作活動を可能にしていたことを忘れてはならない。このように活発な自由交易がなければ、前衛的芸術土器文化も土偶文化も、次世代の装飾古墳も決して生まれなかったのである。単なる狩猟採取だけで食いつなぐ原始生活をしていただけならば、土器は日常の粗末な飲食用のものしか作らず、縄紋文明とも言えるほどの前衛的土器は決して生まれなかったであろうことは、弥生時代の土器や世界各地の土器を見れば分かる。」ここで自分が注目したのは広範囲な自由交易です。かつて訪れた青森県の三内丸山遺跡で見た大型竪穴住居跡は何を物語っているのか、本書によれば交易品の貯蔵庫であり、渡来人の宿泊施設であったのではないかとしています。考古学は仮説を立て、調査を行い、立証するモノを集め、結論を導き出すという地道な過程を経ますが、私たち門外漢にも空想する余地が与えられて、とりわけ芸術分野になると自分の興味関心は最高潮に達してしまいます。今後さらに関連する書籍を求めていきたいと思います。
縄紋人の心の探求
2013年 9月 5日 木曜日
このところ連日NOTE(ブログ)にアップしていますが、今日も「渦巻紋と輪廻転生」(藤田英夫著 雄山閣)から引用した論考を使ってNOTE(ブログ)を書きます。「縄紋人の心を探求するとき、物の外観だけで判断する人ではなく、その内部に秘められた力が外ににじみでる文化を感じ取り、それを文字に置き換えて大胆に表現できる才能が必要である。外観ではなく内部に秘められた心の内部を読む技術は、前衛彫刻や抽象画の表現技術にも似ている。それはとりもなおさず、研究者は縄紋人と同じ状態になることが求められることを意味する。即ち前衛芸術を理解できない人には、この仕事はまず無理なように思う。また、あれだけ素晴らしい芸術土器と土偶を作った芸術家が大勢いたのであるから、ほかの文化である音楽、踊り、宗教行事などの分野でも当然優れた才能ある人たちがいたと考えなければ理屈が成り立たない、との基本理念で研究を進める必要がある。」限りある出土品の中で縄紋人の心にどのくらい迫ることができるのか、生命力に溢れる火焔土器等がどんな背景と環境で作られたのか、イメージするだけで興味が尽きません。以前に読んだ岡本太郎著の「日本の伝統」の中に縄紋土器に関する文章があります。「強烈な矛盾に引きさかれ、それに堪え、克服する人間の強靭な表情を縄文土器ほどゆたかに誇り、しめしている芸術を私は知りません。」といったことを思い出しながら、縄紋時代に思いを馳せつつ工房で陶土と格闘している自分がいます。
衝撃のキュビズム紋
2013年 9月 4日 水曜日
「キュビズム手法でデフォルムされた井寺古墳型紋様と、単純な直線と円弧が単にコンビネーションで描かれただけの紋様は厳密に区別されるべきものである。井寺古墳のようにキュビズム的手法でデフォルムされ、再構築された紋様は、ここではとりあえず『キュビズム紋』と呼ぶことにする。」と主張する「渦巻紋と輪廻転生」(藤田英夫著 雄山閣)に自分はまだ拘り続けています。本書の論考が自分のツボに嵌ってしまいました。縄紋文化はますます自分を魅了していて、続けてNOTE(ブログ)に掲載することにしました。キュビズムとは形態の革命で、具象絵画がひとつの視点で描かれたのに対し、複数の角度からモノのカタチを描いて、それをひとつの画面に収めたものです。これはルネサンス以来の一点透視法を否定し、20世紀以降の芸術に活路を見出した方法です。ピカソの「アビニヨンの娘たち」が描かれたのが1907年、ピカソとブラックが共にキュビズムを追求したのが1909年ですから、まさに20世紀初頭の芸術革命でした。それが我が国の縄紋時代に同価値観をもって抽象が行われていたとなると、これは衝撃という他にありません。私たち日本人は土着の縄紋人と渡来した弥生人、その他諸々の民族が混血して成り立っているので、縄紋人が直接の祖先というわけではありませんが、芸術的に優れた文明の曙期があったことは自分にとって嬉しい限りです。本書を読み終えた後も縄紋文化関連の書籍を探してみたいと思っています。
直弧紋とは何か
2013年 9月 3日 火曜日
大陸から渡来した紋様ではなく、我が国独自に作られた紋様が直弧紋です。それは渦巻紋にX型を入れて再構築した紋様で、20世紀に興った抽象芸術運動で絵画を抽象化していく過程に似たものがあり、そうした抽象衝動が縄紋時代にあったことが私には驚きです。縄紋人は土着の民で、芸術感覚に優れていたらしいことが様々な文献により分かっていますが、その後、大陸から渡来した弥生人によって国家が形成され、稲作のための開墾や河川の潅漑、また武力による制圧が始まります。そこでは文明としての多くの発明があったものの、功利的な社会構造に移行した反面、縄紋人の芸術性は失われていったようです。直弧紋を見ると太陽神信仰の変形だけではなく、純粋に造形的に見ても美しさを感じます。先日のNOTE(ブログ)の再引用になりますが、「単渦紋をモチーフとして残し、そこにX型の直線を入れ、円弧を鋭角化した上、円弧と鋭角、内部と外部、赤と白、実存と空間、善と悪、真と偽、支配と従属など、彼らの心の内部にある二項対立の視点のもとに渦巻紋を分解し、各部の断片をシフトし、傾け、直角にターンしてX型直線にそわせ、赤白の配色を逆にするなどの移動も含めて、意識的な操作を繰り返して別の絵に再構築した」(藤田英夫著)のが直弧紋です。二項対立の視点はまさに現代芸術の視点です。藤田氏の著した「渦巻紋と輪廻転生」からのさらなる引用を続けます。「縄紋系前衛美術家によって創作された古代キュビズムの直弧紋は3世紀から6世紀まで約300年も創作活動が続いた。その後に前衛美術が世界に表れたのが20世紀になってからであったという歴史を考えれば、日本における古代キュビズムの出現は、まさに世界の驚異的出来事であったというしか言葉がない。キュビズム的直弧紋を描くには特殊な意欲的才能と根気が必要であった。だが渡来人との混血が進むにつれて前衛芸術家の気概を持つ人が次第に減少し、500年ごろにはついに直弧紋は途絶えてしまったのである。」
11‘RECORD1月アップ
2013年 9月 2日 月曜日
2011年1月分のRECORDをホームページにアップしました。RECORDは一日1点ずつポストカード大の平面作品を作っていく総称で、現在も継続中です。時に彫刻作品のエスキースやメモとして考えたい意向もあるのですが、ホームページにRECORD作品としてアップする以上は、完成度を上げていこうと思っています。所謂作品にするための試行錯誤を繰り返し、きっちり仕上げているのが現在のRECORDです。ですからRECORDにも彫刻と同様に表に出ないエスキースやメモが存在します。ただ、画面のサイズが小さいので自分の作品の中では比較的気楽に作れているかなぁと思います。軍艦島や古墳をテーマにした自分の時事的な出来事を作品にできるのもRECORDの良さです。2011年のRECORDは月ごとの造形要素は決めていたものの語彙テーマを決めずにやっていました。造形要素を見ながら判断し、コトバを捻り出しました。ホームページのRECORDに入るには、このNOTE(ブログ)の左上にある本サイトのアドレスをクリックしてください。扉の画像が出てきますので、RECORDをクリックしていただけると入れます。さらにRECORD一覧が出てきますので、2011年1月をクリックしてください。ご高覧いただけると幸いです。
9月は何をすべきか…
2013年 9月 1日 日曜日
9月になりました。厳しい残暑から凌ぎ易い季節に変わっていくことを望みます。さて、9月の制作目標を考えたいと思います。夏の暑さから一転し、涼しくなる9月は夏の疲労が出る季節でもあります。疲労を抱え込まないように気遣いながら制作を進めたいと考えています。具体的には陶彫による塔の制作を出来るだけ進めます。塔の彫り込み加飾の基本プランは縦柱の集合体です。未完の塔を陶彫による骨組みで表現したい意図があるのです。塔の構築要素が塔だけでなく床を這っていくようにしたいと考えています。現在、塔とは別に地を這うカタチを作っていますが、これは有機的なカタチで曲面を多用しています。塔の一部となる地を這うカタチは直線的な要素を入れます。RECORDは現在読んでいる渦巻紋や直弧紋に関する書籍から発想を得て作っていこうと思っています。週末である今日は朝から工房で制作に励みました。残暑が厳しく作業はなかなか進みません。9月は三連休がありますが、休日出勤もあり、制作の時間は限られます。例年のことなので、限りある時間をやりくりして頑張っていきたいと思います。
週末 新作のための木材加工
2013年 8月 31日 土曜日
陶彫による円錐状の塔を作るため、その構造となる厚板材を大量に購入しています。この厚板材を切断加工して円錐状のカタチを作り、そこに陶彫部品を接合していく予定です。既に雛型が出来ていて、切断する角度は雛型より割り出しています。今日は朝から工房に籠り、厚板の切断に明け暮れました。構造体になる厚板は今回は表面に出てきません。全てが陶彫部品で覆われた塔になります。厚板材が陶彫の重さに耐えるように工夫しなければなりませんが、いつも彫刻を作っていて感じることは彫刻は重力との闘いで、そのための工夫を強いられることです。実材を扱う彫刻は、他の媒体では考えられない力学的思考や素材の特性研究が必要になることもあるのです。今日も残暑で工房内の温度は大変なものになりました。板材の切断に神経を集中させていると汗が噴き出てきました。午後2時頃に近くのファミリーレストランに行って火照った身体をクールダウンしました。それからもう工房に行く意欲がなくなり、今日はここで作業中止にしました。明日も作業継続です。
縄紋文化と前衛美術・Ⅱ
2013年 8月 30日 金曜日
「渦巻紋と輪廻転生」(藤田英夫著 雄山閣)を読んでいます。昨日の続きを今日も掲載します。まずは文中の引用から。「オリエントでまだ土器が作られていない『先土器新石器文化時代』に、縄紋人はすでに光輝紋を土器に施紋していたので、縄紋文化はまぎれもなく世界の先進文化であった。~以下略~」縄紋(縄文)時代は土器に見られる優れた造形性ゆえに自分が興味関心のある時代です。世界的に見て縄紋文化が進んでいたことは日本人として嬉しく、また誇らしく思います。「世界の土器土偶をみても分かるとおり、平凡な原始生活の中での平凡な生活の中からは、縄紋文化のような精神的に優れた前衛的芸術作品は決して生まれない。当時あれだけの想像もできない素晴らしい芸術的土器と土偶が出現した原因を考えると、何か特別な社会制度があって、その特殊条件下に置かれた芸術家たちが、競争するように新モデルの創作に励んだ結果であろうと考えられる。」縄紋時代は前回まで読んでいた土面に関する書籍にもありましたが、戦争のない穏やかな時代だったようで、長い年月に亘っています。特別な社会制度、たとえば貴族のような階級が芽生え、趣向を凝らした造形を競わしたのかもしれません。縄紋土器に見られる斬新なデザインは、日常品としての土器とは違う価値観をもって作られたとしか考えようのないものです。自分も陶彫を扱う彫刻家の一人として古代日本に現代彫刻に繋がる要素を見出し、縄紋人の抽象衝動を感覚として捉えながら自作を作っていこうと思います。
縄紋文化と前衛美術・Ⅰ
2013年 8月 29日 木曜日
「(井寺古墳の)彫刻を始めるにあたり、土着のデザイナーは大きな単渦紋をあしらったデッサンを施主に見せたが、それは渡来人にとって意味不明の紋様であったため、施主はこれをきらって強く修正を求めたのであろう。そこでデザイナーは単渦紋をモチーフとして残し、そこにX型の直線を入れ、円弧を鋭角化した上、円弧と鋭角、内部と外部、赤と白、実存と空間、善と悪、真と偽、支配と従属など、彼らの心の内部にある二項対立の視点のもとに渦巻紋を分解し、各部の断片をシフトし、傾け、直角にターンしてX型直線にそわせ、赤白の配色を逆にするなどの移動も含めて、意識的な操作を繰り返して別の絵に再構築したのである。」これが日本最古の紋様と呼ばれる直弧紋の説明です。言ってみれば20世紀初頭の美術界を席巻した抽象芸術運動の方法と同じです。「渦巻紋と輪廻転生」(藤田英夫著 雄山閣)を読んでいて我が意を得たりと思った箇所です。後に続く頁にキュビズムという語彙が踊っているので、きっと本書は縄紋文化と前衛美術の時代を超えた比較検討が述べられているのに違いないと確信しています。数理学を用いた論文でこんな興奮を味わえると思ってもみなかったので、自分は驚きを隠せません。続く文章を引用させていただきます。「この絵がかくれた渦巻紋から展開した抽象絵画であることが分かったとき、私は縄紋芸術家の素晴らしい前衛的心意気がこの彫刻からにじみ出てくるのを感じ、今まで遠いものに感じていた井寺古墳の彫刻が、急に身近な現代的存在に感じた。~以下略~」暫く自分を虜にしている本書を深読みして次回に感想を持ち越したいと思います。著者は理由があって「文」を「紋」として使用しています。「文様」は「紋様」、「縄文」は「縄紋」と表示しているので、このNOTE(ブログ)でも本書に関わる掲載について「紋」を使用することにします。
渦巻紋との関わり
2013年 8月 28日 水曜日
現在読んでいる「渦巻紋と輪廻転生」(藤田英夫著 雄山閣)の最初の方にこんな記述があります。「連続した沢山の渦巻紋で太陽を表現する理由は、インドの太陽神伝説を知れば分かる。即ち『太陽神スリャは、日中は恋人の初々しい暁の女神ウシャス姫を抱き、熱愛のあまり光熱を発し、夕方に燃え尽きて暗闇となる。だが翌朝になると生まれ変わりの太陽が再び東の空へ昇る』と。ここに『偉大なる光熱を発する太陽が毎日生まれ変わるために、神々は太陽の子供、孫、ひ孫、その種子を次から次へと毎日誕生させる難事業をしておられるに違いない』という太陽を神格化した信仰が生まれ、その様子を沢山の渦巻紋に描き、太陽の永遠の生まれ変わりを祈るようになったと考えられる。」渦巻紋は自分の作品にも多用しています。かねてより渦巻紋の所以を知りたかったので、太陽神伝説の論拠に興味が湧きました。自分はどうして渦巻紋を使うのか、自分のことなのに確固たる動機が見つかりません。渦巻紋は中心に導くラインと中心を巡りながら外へ広がるラインという2通りの解釈があって、形態的には集中と拡大の双方が同時に展開し、自分はそこに造形的な魅力を感じています。学術的というより感覚的な嗜好で使っていると考えざるを得ないので自分には動機が見つからないのだと思いました。つまりカタチが好きだから描いたというのが正直なところです。世界各地の遺跡に残る渦巻紋の図版を見ると、自分は思わず目が留まります。太陽神が何度も生まれ変わり女神を愛する記号が渦巻紋ならば、自分勝手な嗜好にポジティヴなイメージが加わって、ますます渦巻紋が好きになりました。現在制作中の作品には渦巻紋は出てきませんが、近々渦巻紋を再び使っていく機会がきっとあると思います。
小冊子「魂の場所」
2013年 8月 27日 火曜日
先日出かけた長野県軽井沢で、久しぶりに訪れたセゾン現代美術館で見た「魂の場所」展。この企画展にはどんな意図があるのか、収蔵作品を選んだ理由が知りたくて、売店で小冊子「魂の場所」(三浦雅士著 セゾン現代美術館)を購入しました。50頁の冊子なので2時間ほどで読み終え、改めて展示作品を思い返しました。セゾン現代美術館は西武百貨店(セゾングループ)が経営母体となり、経営者堤清二(詩人辻井喬と同一人物)の収集した現代美術作品で構成されています。学生の頃、自分は池袋の西武美術館に頻繁に出かけて刺激的で尖鋭的な現代美術を考える機会を持っていました。「魂の場所」は堤清二の妹邦子のパリ画壇での交流、詩と絵画を同一として捉える詩人大岡信への同調、芸術家A・ウォーホルや荒川修作の芸術そのものの意味を問う思索など、20世紀から今世紀に至る現代美術の在り方を提言する密度の濃い内容でした。文章全体が時の流れを追うだけでなく、白熱し沸騰する現在という視点が常にあって、そこから導かれる論評に読み応えを感じました。次の引用で締めくくります。「自分の身体を恥じている自分とはいったい誰か。名づけられた自分、歴史のなかの自分、死の世界のなかの自分、つまり言語である。言語現象としての私である。芸術とは、この言語現象としての私が発生する瞬間を繰り返し、その白熱と沸騰を確かめることにほかならない、と思える。~略~宗教の起源は言語にしかない。言語とは禁忌のこと、法のことだ。私という言語現象もまた禁忌の束-文法の束-のようなものだ。芸術はこの禁忌の束をほどく、結びなおすために。芸術と狂気-禁忌の束をほどくこと-がしばしば同一視されるのは当然のことなのだ。」
横浜の「プーシキン美術館展」
2013年 8月 26日 月曜日
ロココ主義や古典主義さらに印象派の作品は、とりわけ日本人に人気が高く、表題の展覧会を企画した横浜美術館は連日大勢の鑑賞者で賑わっています。愛くるしく微睡むような女優を描いたルノワール快心の絵画を使ったポスターの宣伝効果もあって、私もつい女優ジャンヌ・サマリーの瞳に誘われて同展に行ったのでした。ロシアの皇帝に続く大富豪とりわけシチューキンとモロゾフが集めた作品の数々は、当時のフランス画壇を網羅するほど充実したもので、とくに印象派以後の絵画に自分は興味が湧きました。その中で自分はゴーギャンが好きで、ゴーギャンらしいカタチや色彩に触れて満足でした。そのうちの1点にエジプト美術を彷彿とさせる絵画がありました。図録によると「頭部は横顔で、目と肩は正面向き、両脚は真横から描かれている。これは古代エジプトの人体表現にほかならない。ゴーギャンは、大英博物館の古代エジプトの石棺の表現から、このポーズを借用している。~略~老いた西欧文明へのゴーギャンの問いかけ、あるいは野生と文明の豊麗な総合~以下略~」(岡 泰正著)と結論付けています。西欧美術を否定していたゴーギャンが西欧美術に囚われ、やがて豊麗な総合に辿りつく様子が鑑賞や論評により知ることができました。この展覧会を通じて絵画における人物描写の特異性を感じた一面もあり、時代とともに表現が変わり、美的価値観が移っていく様子が解りました。
週末 お礼状の宛名印刷
2013年 8月 25日 日曜日
先日、カメラマンから個展の画像をお礼状に仕立てた葉書が届きました。今日個展に来ていただいた方々の宛名を印刷し、明日投函しようと思います。芳名帳には多くの方の記帳をいただいていますが、実のところ住所がわかる方は少ないのです。こちらが把握している方々はともかく、ギャラリーせいほうが招待した方々や飛び込みで来られた方々の住所が書かれていない場合があって、お礼状が出せない状況です。このNOTE(ブログ)をご覧になっているのであれば、お礼状は出せませんが、個展に来ていただいたことに心より感謝申し上げます。来年も7月に個展を企画していただいています。毎年ギャラリーせいほうで個展を開催していただいているので、自分は何年もの間、制作スケジュールが定着していて、この好ましい状態がいつまでも続いてくれれば幸いと思っています。制作継続にはギャラリーの都合だけでなく自分の心身の健康状態もあります。毎年のことですが、今年も個展が出来たという感慨があります。来年に向けて今日も工房で朝から制作をしていました。来年の9回目の個展を目指して頑張っていこうと思っています。
週末 嬉しかったことで弾みをつける
2013年 8月 24日 土曜日
昨晩は横浜市管理職の絆の会がありました。そこで自分と専門が同じ管理職の方と同席になりました。その席で自分が昔から延々と創作活動をしていることに対し、彼から敬意を払われました。立体造形は手間がかかり、ましてや二束の草鞋生活を継続していることは確かに尋常ではありませんが、今までそこを人から褒められたことはなく、私は自分がやりたいようにやってきた実感があるだけなのです。昨晩はそんなことがあって正直嬉しくて、これで創作活動に弾みをつけようと思いました。今日は朝から工房に出かけ、夕方まで制作をしました。気温もやや下がって作業がやりやすくなったせいか、彫り込み加飾に集中し、暫し時間を忘れました。RECORDの彩色も行いました。週末の制作時間はあっという間に過ぎていきます。微々たる進捗状況に苛立ちもありますが、まずは丹念な積み重ねから創作が始まっていくので、逸る気持ちを押さえながら、気力が尽きる夕方まで作業を行いました。明日も制作続行です。
見えるモノだけが彫刻か?
2013年 8月 23日 金曜日
若い頃に読んだ「見えない彫刻」(飯田善国著 小沢書店)の中で、ブランクーシの彫刻に触れて「彼が創造した鳥たちの影像は空間に永遠の静止を姿態で完結しながら、その放物線はやみがたい無限運動の彼方を示す。また、彼が故郷に建てた『無限の柱』は、その名の示す通り無限の彼方を指し示すことが目的なのであって、人の眼に見える部分は、目に見えない部分を指示するための手段と化したかのようである。」とあり、またムアに関しても同様に「彼の初期から現在までのほとんどすべての作品に一貫している主題は、眼に見える当のものを指示しながら、内なる動機は、当のものを超えて遥かなる眼に見えない世界へとわれわれの意識を導いて行くということであり、その世界は地上的なものでもまた天上的なものでもなく、何か名状し難い超現実の世界、時間と空間が一点に収斂して死者と生者が同一のもののように出会う地点とでも形容したいそういう世界である。」とあります。彫刻を思索の産物として捉え始めた当時の自分にとって「見えない彫刻」は恰好の論評でした。目の前に見える立体だけをもって彫刻と言えるのかという問いかけを抱きつつ、20代の自分は人体塑造の習作に励んでいて、粘土で捉える立体構造だけに終始して、モノの存在や周囲の空間を考えることがなかったのでした。近視眼的な視座しか持ち合わせがなかった自分は、彫刻とは写実的に人体を解釈して具体化する手段と思っている節があり、空間の変容なるものは論外でした。自分の中で何かが変わったと思えたのは滞欧中で、物質と空間の関係をようやく感じ始めたのでした。それは思考であっても、むしろ空間を感覚で理解したといった方が相応しい体験でした。武蔵野美術大学美術館で見た「墓は語るか」展で、この考え方に近い彫刻的意図を感じ、また現在の自作を鑑みると、見えない部分が彫刻として意識の上で確かに存在していると確信したのでした。昨日NOTE(ブログ)にアップした故若林奮の作品を考えるにあたって、同世代の故飯田善国著による「見えない彫刻」を思い出してNOTE(ブログ)にしました。
「雨-労働の残念-」雑感
2013年 8月 22日 木曜日
既に終わってしまった「墓は語るか」展で印象に残った出品作に故若林奮による「雨-労働の残念-」がありました。彫刻のもつ「隠された場所」を提示した同展では、まさにぴったりのコンセプトを有する作品ではなかったかと思いました。床に置かれた平たい矩形の立体は、表面を金属板で覆い、その内部にはどんなものが存在するのか、ほんの少し顔を覗かせている連続する小さな矩形以外には手掛かりがない作品というのが「雨-労働の残念-」を見た感想です。自分は若林ワールドを決して饒舌ではない無口でサービス精神を欠いた造形と決めつけていますが、そこには深い思索に富んだ骨太な造形をも感じています。若林奮は頑固で一徹な理論を持った作家だったのでしょうか。自分が学生だった頃に若林先生の講義を聞いても理解できなかった思い出とともに、痩せて神経質そうな先生の雰囲気が浮かんできます。タイトルにある「雨」は若林先生の他の代表作にも使われていて、自然現象を人工的な物質に置き換えて表現する若林ワールドの常套手段と思われます。しかも私たちが目にする自然と到底考えもつかない材質を用いて、それがそのまま詩情を醸し出すところに私自身は魅力を感じてしまうのかもしれません。鉄工場から生まれた詩魂、しかも自分の造形の痕跡を隠してしまうので、鑑賞には隠された思索を暴く謎解きが必要だと思っています。