縄文時代の浮流感覚

「縄文時代から見えないかたちで、わたしたちのこころの奥底を流れ続けている感覚。これをわたしは浮流感覚と仮に名づけたい。縄文の終焉以来、弥生、古墳、そして飛鳥の国家成立期を経て奈良・平安と、歴史はまるで一部の指導者のよって造られてきたかのような印象をわたしたちに与えてきた。が、日本文化の大陸化ともいえるこの時代に、浮流感覚を持ち続けた庶民の存在を忘れてはならない。そしてこれら庶民の浮流感覚は、やがて平安末期から鎌倉時代の下剋上の時代を通じて一気に歴史の上にも蘇った感がする。その現象は、先に説明した踊り念仏など、仏教の中にも示されているし、芸能の中にも多々見られるであろう。~以下略~」先日から読んでいる「縄文の音」(土取利行著 青土社)の中の一文で、縄文時代の感覚が残っている文化に触れた部分です。岡本太郎が芸術表現の視点で再発見した縄文土器。また自分がそうした縄文土器に憧れにも似た気持ちを抱くのは浮流感覚があればこそなのでしょうか。縄文の造形性に新鮮さや親しさを覚えるのは私だけではないでしょう。造形の斬新さという点で、現代はどのくらい造形感覚の進歩があったのでしょうか。テクノロジーが進んだとはいえ、それらはデジタルな衣を纏っているだけで、内容そのものの変化は如何なものでしょうか。先日来、古代文化と付き合っている自分は、縄文文化の斬新さに驚くばかりです。

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