シュマイサーの連作版画について

「私の作品を流れている主題は、変化ー人間に、物あるいは風景に、あるいは私に繰り返し起こった変化だ。版画がもつ可能性のうちで、最も魅力的なもののひとつがステートだ:版を刷り、さらに手を加え、変更し、また刷ってまた変える…。これはまるで変化の経過に応えるかのようなプロセスだ。」これはドイツの版画家ヨルク・シュマイサーが述べた言葉です。東京町田市にある町田市立国際版画美術館で開催中の「ヨルク・シュマイサー 終わりなき旅」展では、シュマイサー自身の言葉通りの作品が並んでいました。展覧会の図録に掲載された一文は、この銅版画家が変化の経過にどう向き合っていたのかが分かります。1979年から80年にかけて制作された「京都清水寺」は、清水寺を全面に描いた銅版に4つの四季を重ねて4点の作品とした連作です。重ねた版はそれぞれ四季を象徴化した図像があって見応えがありました。女性を描いた1967年から68年制作の「彼女は老いていく」や1977年から最終的には94年まで制作をつづけた「変化Ⅰ~Ⅲ」までの作品に、同じ版をベースに変化に富んだ版を重ねていく連作があり、1点1点が異なる世界観を秘めていて、同一ベースとは言え、印象はまるで違う作品に仕上がっていました。イメージというものは、時を経て展開していくものであると私は思っています。なぜなら、周囲が時に静謐に、時に荒々しい情景に変わっていくのは、同じ風景や人間を起点とした時間や時代の変遷があると考えているからです。銅版画を得意とした画家にウィーン幻想派のエルンスト・フックスがいます。私が彼の地にいた頃、街角のギャラリーでシュマイサーと同じ展開を見せるフックスの版画を見て、宗教性の強いテーマにさまざまなイメージを加えた連作に注目しました。そこが版画の成せる特異なところだろうと思っています。こうした連作を見て、もうひとつ、私がシュマイサーの画面構成で気になったところがありました。1点の版画作品の中に重複するイメージが描き込まれているのは前述した通りですが、その空間の厚みに表現の深淵なるものを感じたのでした。その自論については後日改めたいと思います。

町田の「ヨルク・シュマイサー 終わりなき旅」展

ドイツの版画家ヨルク・シュマイサーの作品を知ったのは、今を遡ること40年も前になります。シュマイサーが暫く京都に滞在していたこと、奥様が日本人で、私が学生だった頃は、オーストラリアに行ってしまったことが情報として入っていました。その頃、私が見ていた作品は1960年代の銅版画で、図解の様な構図の中にモチーフが繰り返し描かれていました。先日見てきた東京町田市にある町田市立国際版画美術館で開催中の「ヨルク・シュマイサー 終わりなき旅」展では、世界各地を旅した銅版画家が残した夥しい作品が展示されており、その質量の凄さに驚かされました。そこには私が嘗て見た作品も含まれていました。図録によると「生涯に渡って、ヨルクは遠く離れた場所に旅すること、その芸術にあって極限の風景に向き合うことを強く望んでいた。きわめて小さなものから巨大なものまで、有機物も無機物も等しく扱った。時には版に何行ものテキストを記した。これらの言葉は(もちろん、刷った時に正しい向きになるように、鏡文字で書かれている)その時その場所での彼の感情や思考の日記をなしている。」(R・パルバース著)という一文がありました。シュマイサーの銅版画にある百科事典の解説のような細かい文章の塊は、感情や思考の記録だったのかと改めて見つめ直すと、彼は旅先で考えたことや感じたことをモチーフと一体化した表現として、画面に取り入れていたことになります。文字群が版画の構成要素になっているのです。また図録の別の文章に「シュマイサーは異なった複数の作品に対して、同一の版を加筆修正しながら繰り返し活用することで、前作のイメージやマチエールの痕跡を残しながらも、新たに写し出される作品として、その内容を変化させる手法を確立させた。」(小野修平著)とあり、これもシュマイサー独特の技法で、同一版を用いてイメージを変化させていく連作は、版画ならではの方法で生み出されたものと思いました。個々の作品を見れば、私の感覚を擽る作品もあり、これに関しての別稿を起こしてみようとも思います。

某日の新聞の小欄より

自宅のテーブルに置いてあった朝日新聞の小欄「折々のことば」に気になった記事がありました。短いので全文を引用します。「味で見る人の評には、要を尽くしている割合に案外聴くべき所が少ないが、感じで敲かれるとどこか痛く身に応える所がある。」というのは陶芸家濱田庄司の一文です。その解説として鷲田精一氏が書いている内容を掲載します。「『味』とは作品の形や調子や模様といった細部の風合いを、『感じ』は全体の印象をいう。『味』はある程度まで狙って出せるが、『感じ』は違うと、陶芸家は言う。『味』に蘊蓄を傾ける粋人でなく素人の感想が怖いのは、『離れて自身の角度でぶつかって』いて、作家の知らない『未成の標準』を突きつけてくるから。」とありました。これは随想集「無盡蔵」よりの抜粋で、濱田庄司の陶芸を思い浮かべると成程と思えます。数多の作品を見て批評する人は、確かに知識が豊富なため、蘊蓄を語ります。そこで作家は得るものもありますが、その世界を知らない人が個人の感覚だけで訴えてくるものには、ハッとさせられることがあります。「未成の標準」というのはそのことを言うのだろうと思います。私の個展に来られた方は、実にさまざまな感想を述べていかれます。私はつい評論家や文筆家のコトバに耳を傾けてしまいますが、現代彫刻を初めて見た方の中に、本当に面白い感想を放つ方がいらっしゃって、私はドキリとすることも暫しあります。とりわけ私が嬉しかったのは幼児の反応でした。作品に登って遊びたいと駄々をこねる子に、芸術作品に触れてはいけないと叱る母。勿論その通りですが、全身興味が漲っている子に私は極上の喜びを与えられました。「自身の角度でぶつかって」くるなんて言い得て妙な表現だなぁと思いました。

茅ヶ崎の「小原古邨展」

先日、茅ヶ崎市美術館で開催されている「小原古邨展」に行ってきました。日本美術史の中で埋没していた芸術家が、これからさらに発見されて脚光を浴びることがあるのでしょうか。江戸時代の絵師伊藤若冲や奄美を描いた日本画家田中一村もそうでした。田中一村はNHK日曜美術館で放映されたことが契機になって一躍有名になった画家でした。木版画家小原古邨もNHKの番組で知りました。小原古邨は明治末期に活躍した画家で、海外への輸出を念頭に置いた版下絵の制作で、海外で人気を博したようです。実業家原安三郎の浮世絵コレクションの中に、かなりまとまった小原古邨の版画が含まれていたことで、今回の展覧会が可能になったことを、私は一人の鑑賞者として嬉しく思います。図録によると「古邨の花鳥画を魅力的なものとしたのは、それが版画であったからといっても過言ではない。例えば、雨の情景を題材とした作品をみると、背景にグレーのグラデーションを加えて雨脚の強さを表現したり、雨の線を単に空摺で加えて霧雨のような柔らかい雨を表現したりと、その多様な表現は、木版画でなければできないものである。」(小池満紀子著)とありました。まさに超絶技巧がなせる優雅な空気感を感じさせる木版画で、花弁一枚に宿る情緒、波飛沫ひとつに宿る生気をじっくり鑑賞しました。茅ヶ崎市美術館は原安三郎の別荘跡に建てられた美術館で、規模としては大きくはなく、浮世絵を鑑賞するにはちょうどいい空間でしたが、テレビ放映があったためか、館内は混雑していてゆっくり鑑賞できる雰囲気ではありませんでした。それでも小原古邨ワールドに入り込んでしまうと時が経つのを忘れ、巧みな画面構成に惹かれていきました。小原古邨はこれから知名度を増していくのでしょうか。もっと注目されてもおかしくない力量を持つ画家であることは間違いなさそうです。

週末 疲労を抱えた制作

週末の日曜日となればウィークディの疲労が取れて、思う存分制作に入るところですが、今日は違いました。金曜日の夜から職場で研修旅行に出かけ、昨日は湯河原から帰って来た後、時間を置かずに神奈川県茅ヶ崎市や東京都町田市の美術館に出かけました。2つの展覧会とも内容が濃くて、私は我を忘れて食い入るように作品を見続けてしまいました。昨日は充実した鑑賞でヘトヘトになっていたため早めに床に就きましたが、今朝も疲労が取れず工房に行ってもなかなか作業を始められませんでした。とりあえず窯のスイッチを今日中に入れなければならず、まずは乾燥していた陶彫部品2点の仕上げと化粧掛けを行いました。ここで言う仕上げとは、ブロックサンダーを使って、陶彫の表面にある指跡を消す作業のことを言います。創作的な作業とは異なり、只管ヤスリがけを行うだけなので、多少疲れていても問題なく進めることができるのです。化粧掛けも負担は軽いので、何とか夕方に窯入れまで辿り着くことができました。制作工程ではこの後40キロの土練りを行うことになっていましたが、無理をせず土練りは後日に回しました。今日は昼ごろ窯や陶芸道具を扱う業者が訪ねて来ました。その業者は運送業の資格を持っているので個展の搬入搬出でも手伝ってもらっています。工房のロフトも業者の伝手で鉄工所を紹介してもらって作っていただきました。その業者と話をしているうちにロフトの拡充を考えるようになりました。しかもロフトに作品を上げるために天井クレーンを設置しようかとも思いました。ロフトを作る時に、ロフトを支えるために数本の鉄柱を新たに追加設置してロフトの床を補強しています。立派な鉄の階段も作ってもらいましたが、人が運搬するのが大変で、比較的軽いものしかロフトに上げていないのです。電動式の天井クレーンがあれば、箱詰めの陶彫部品もロフトに置くことができます。その計画は私が現職でいるうちに施工しようとも考えました。お金がかかるので退職前が都合がいいのです。今日は疲労を抱えていたので軽めの作業で工房を後にしました。

週末 版画による2つの美術展

昨夜から私の職場では職員研修として湯河原に来ていました。一晩ゆっくりお互いの仕事を振り返る機会を、私は大切にしています。夜が更けるまでお喋りが尽きない職員たちの雰囲気を、今後も継続していくのも私の役割かもしれません。私は旅館で朝食を済ませた後、他の職員より早く湯河原を出させていただきました。自宅に戻ったのが9時を回っていましたが、今日は2つの美術展に行く予定にしていて、家内とすぐに自宅を出ました。2つの美術展は神奈川県茅ヶ崎市と東京都町田市でそれぞれ開催していて、かなり離れていたので車を使いました。東名高速から圏央道へ車を走らせ、茅ヶ崎で降りました。茅ヶ崎市美術館で開催されていた「小原古邨展」は、先日NHK日曜美術館で放映されていたためか、鑑賞者でかなり混雑していて、比較的小さな美術館だったにも関わらず、行列を作って鑑賞している有様でした。私もテレビで知ったばかりだったので、美術史に埋もれていた超絶技巧を凝らしたこの木版画家の作品をひと目見たいと駆けつけた一人でした。人を掻き分けて観た作品は、期待通りの表現力を持った素晴らしいものでした。「小原古邨展」は別稿を起こしたいと思います。後日詳しい感想を書きます。次に向ったのが東京都町田市だったので、再び圏央道と東名高速を走り、横浜町田で降りました。町田市立国際版画美術館で開催されていた「ヨルク・シュマイサー 終わりなき旅」展は、絶対行こうと決めていた展覧会でした。ドイツのハンブルグ美術アカデミーでパウル・ヴンダーリッヒに学んだヨルク・シュマイサーの作品を、私は学生時代に知りました。その頃、渡欧を考えていた私は日本に関係の深かったヨルク・シュマイサーに会いたいなぁと思っていたのでした。展覧会場に私の見たことのある何点かの作品も並んでいました。初めて見る作品が多かったのですが、エッチングの面白さに溢れた世界に、暫し我を忘れてしまいました。質量共に凄さを見せつけられ、旅で得たイメージを版画に刻み込んだヨルク・シュマイサーは比類なき芸術家であろうと思います。この展覧会も詳しい感想を後日に改めます。今日は奇しくも版画技法を用いた2人の優れた芸術家の作品に触れました。私は学生時代より彫刻とともに版画に興味を持ってきました。版画は現在制作を休んでいますが、時間が出来たら再開をしたいと思っていて、その起爆剤になった2つの展覧会だったなぁと思いました。

「つくる」という意味

創作行為は人の持つあらゆる能力を最大限に活用するものだという考えが私にはあります。「つくる」というコトバを漢字にすると「作る」と「造る」と「創る」の3つの漢字が当てはまりますが、いずれも多少意味が異なります。一般的には「作る」という漢字を用います。私も通常、彫刻を作ると書いています。たまに「造る」を用いますが、これは構築物としての意味合いが強くなります。彫刻は立体なので「造る」という漢字を使っても一向に差し支えないと思っています。一般的には建築や庭園や造船の場合に用いているようです。それでは「創る」とはどういう場合を指すのでしょうか。これは新しいモノを作り出す創作行為に他なりません。「創る」はあまりに仰々しい意味になるので、照れくささもあって「創る」という漢字は使い辛いなぁと感じますが、私の作る彫刻は明らかに創るものだと思っています。私の場合、創る行為は最初のイメージを固める時に一番フィットする漢字かなぁと思っています。創作行為の最大の要素は原初的なイメージにあると私が感じているからかもしれません。その後は実材との関わりになりますので、作ると言う漢字がフィットします。私の彫刻は集合彫刻という形態をとっていて、最後にユニットを連結して全体を構成していきます。その行為は作るではなく、創る行為かもしれません。創るは最初と最後だけ、途中の作業は全て作る行為だろうと私は考えています。そういう意味であれば、創る行為は大変な精神的負担と面白さを兼ねていると言えます。まさに創作行為の本領がそこにあるからです。日本語は「つくる」という意味だけでもバリエーションに富んでいて、日本語を学ぶ外国人からすれば難解と受け取られる言語だろうと思います。私が外国人だったなら日本語を学ぶのは御免蒙りたいなぁと思います。

「プロジェクション・マッピング2018」実施

今日、職場で文化を中心に据えたイベントがありました。毎年このイベントのオープニングでは、職場のチームが制作したプロジェクション・マッピングを流しています。今年で3年目になります。私の職種では市内でのプロジェクション・マッピングの制作上映はまだ珍しく、関係各方面から問い合わせがあります。プロジェクション・マッピングは3年前、職場の近隣にある大学の映像メディア研究室の協力を得て制作をしました。毎年テーマを変えて、夏ごろからチームを編成して制作にあたっていますが、今回はアニメーション主体の映像を作りました。今まで野外取材した動画が中心でしたが、今回は絵画的な要素が強く、花々や森林や動物が象徴化されていました。夏に出かけた東京お台場のデジタルアート・ミュージアムで見た華麗な映像から多大な影響を受けているのではないかと感じました。私の職場はミュージアムのチーム・ラボに敵うはずもないのですが、頑張った形跡があちらこちらにあって微笑ましく思いました。私は若い頃から彫刻制作を自己表現媒体としてやってきました。まず実材ありきの世界で勝負をしてきましたが、現代は映像文化が華やかで、職場ではプロジェクション・マッピングの共同制作が恒例化してきています。私も映像は嫌いではありませんが、パソコンのソフトにある技巧を駆使して自ら制作しようとは思いません。人が作ったものをあれこれ外野から指摘するだけで、文句の多い管理職と思われているかもしれません。ただ管理職としては、プロジェクターやパソコンを新しく購入し、プロジェクション・マッピングの環境を整えてきました。ソフト面では若いパワーに任せたいところですが、美術をやっている私は黙っていられない性分も身についてしまっています。今後も職場ではプロジェクション・マッピングを継続していきたいと考えています。

六本木の「京都・醍醐寺」展

先日、東京六本木にあるサントリー美術館で開催されている「京都・醍醐寺」展に行ってきました。副題を「真言密教の宇宙」としてあって、そうであれば弘法大師空海の流れを汲む寺院であることは理解できました。開創したのは聖宝尊師で、空海の弟である真雅阿闍梨の弟子だったようです。展覧会場に入ると「如意輪観音坐像」が出迎えてくれました。これは惚れ惚れするほど美しい観音で、醍醐寺のもつ文化財の質量に惹かれました。この像は「寛治三年(1089)に上醍醐の鎮守として勧請された清瀧宮の社殿内に、准胝観音像とともに清瀧権現の本地仏として安置され、近代まで伝わったようであるが、その本地仏の選定に際して聖宝由来の両観音像を当てることは自然と言える。」(佐々木康之著)と図録にありました。この他にも象に跨った「帝釈天騎象像」や牛に跨った「閻魔天騎牛像」に気が留まりました。数々の名品に加え、「醍醐の花見」で有名になった豊臣秀吉に関する資料もあって、歴史に登場する場面を想像して楽しみました。京都によく出かける私は、まだ醍醐寺に足を踏み入れたことがありません。伝承された文化遺産を見ていると、醍醐寺が果たした役割が多大なものであることがわかります。「聖宝の私寺として始まった醍醐寺は、醍醐天皇の御願寺となったことをきっかけに定額寺として大きく発展して以降、常に国の中枢と接点を持ち続けてきた。」(同氏著)とありました。歴史の中で仏像や絵画は信仰の対象として寺院に奉納されてきましたが、現在は美術品としての視点を持って、美術館で展示される機会が増えました。私としては美術館の照明に浮かび上がる個々の作品を見ていると、信仰よりも鑑賞としての存在感が大きいと感じています。その流麗さや美的感覚に新鮮な驚きがあるからで、寺院の所蔵品に私が惹かれる理由がここにあります。

HPのGalleryに「発掘~環景~」アップ

「発掘~環景~」は2016年に制作した陶彫による集合彫刻で、個展が始まるギリギリまで窯入れをしていて、かなり焦っていた記憶が残る作品です。陶彫部品一つひとつが大きくて、窯にはひとつずつしか入らなかったのが、時間に追われた原因でした。搬入が終わった時に、安堵感で全身の力が一気に抜けました。私は危ない綱渡りを毎回繰り返して個展を開催していますが、作品として出来上がったものを見ると、裏事情が吹き飛んでしまうほど、個々の作品はすました表情を見せてくれるのです。デジタル化した「発掘~環景~」を見ると、どこを苦労したのか見当がつかないほどで、結果でしか評価されない芸術作品はこんなものなんだろうなぁと思っています。今回、ホームページのGalleryに「発掘~環景~」をアップさせていただきました。床に広がる背の低い作品を作ろうとイメージしたことが「発掘~環景~」を生み出しました。屏風やテーブル彫刻に比べれば、搬入搬出は楽ではないかと思っていましたが、前述の通り思ってみなかったところで躓きました。そんな事情はともあれ、カメラマンの眼を通したデジタル画像は、作者には思いもよらない視点を提供してくれています。自分は敢えて指示を出さずにカメラマンに全て任せているのは、そんな他者の力を信じているからです。私のホームページに入るのは左上にある本サイトをクリックしてください。ホームページの扉にGalleryの表示が出てきますので、そこをクリックすれば今回アップした画像を見ることが出来ます。ご高覧くだされば幸いです。

「第二の試み(頂点に立つ)」を見て…

彫刻家池田宗弘先生は、私の大学時代の師匠で彫刻の面白さを教えてくれた人です。もう40年も前のことですが、学生だった私は東京都美術館で池田先生の真鍮直付けによる作品を見て、感動を覚えたことを今でも記憶しています。長野県麻績の住居兼工房「エルミタ」にお邪魔すると、その作品が無造作に置かれていて、制作の現場の雰囲気に包み込まれます。その作品は痩せこけた猫が複数登場し、魚の骨を狙って歩み寄る場面を描いた風景彫刻でした。真鍮で作られた猫の胴体には穴が開いていたりして、まさに野生の存在だけが感じられる実物大の凄まじい彫刻です。その彫刻の間を本物の猫がのほほんと散歩している様子は思わず笑ってしまうのです。当時の先生の彫刻は、人々の何気ない仕草をスケッチしたような作品が多かったのですが、スペインに滞在されてからキリスト教の修道士が登場する作品が増えてきました。今回、自由美術展に出品された「第二の試み(頂点に立つ)」も同じシリーズで、翼を持った悪魔が修道士を誘惑している場面を作っています。第二というのは同じものがもうひとつあって、それは昨年の自由美術展で見た作品だろうと思っています。悪魔の誘惑に打ち勝って颯爽と立つ修道士の姿が(頂点に立つ)という副題に籠められた先生のメッセージと受け取りました。宗教を題材にしていても、先生は人間の心の迷いをテーマとして取り上げていて、風に向かって歩みを続ける旅人も同系列に入る作品だろうと思います。先生の彫刻は単体が少なく、ほとんどが情景を表している風景彫刻です。人や動物や木々さえも量感を削り取られ、骨格そのもののような姿を曝しています。構成要素がはっきり見て取れる独特な世界観を持っています。学生時代、私の塑造に対し、先生は骨格に拘った指導を繰り返しされて、空間に粘土でデッサンをするように作れと言われていたことを今もって忘れることが出来ません。人体の手や足は表情を出せるので丁寧に作るようにも助言されました。あれから数十年が経ち、先生の世界観とは異なる方向へいってしまった私ですが、彫刻の基本は同じと考えています。先生の作品を見る度、初心に返れるのが幸せと感じているこの頃です。

週末 制作&東京の美術館へ

今日は週末の制作としてノルマを果たしてから東京の美術館へ行こうと決めていました。これはかなり厳しい制作時間になりましたが、何とか計画通りに遂行しました。早朝から工房に出かけ、窯を開けました。窯内の温度を冷ますのに多少時間が必要だったため、昨日準備したタタラを使って新作2段目の3個目の成形を行いました。今日作った成形と昨日作っておいた成形の彫り込み加飾2個分をそれぞれ施しているうちに、窯内が冷えてきたので、焼成が終わった作品を出し、新しい作品を窯に収めました。朝7時過ぎから作業を始めて、ここまでで午後2時を回りました。工房での今日の制作ノルマはここまでで終了しました。一息つく暇もなく、家内と自宅を出て東京の六本木に向いました。師匠の池田宗弘先生から「自由美術展」の招待状をいただいていたので、久しぶりに池田先生の彫刻に会いに行ったのでした。国立新美術館は後輩の彫刻家が出品していた「二科展」以来で、今度は先輩に当たる池田先生が出品している「自由美術展」が開催されていました。作品は先生が得意とする真鍮直付けによる具象彫刻で、キリスト教の修道士と悪魔との関わり合いを情景の中にまとめたものでした。翼を持つ悪魔が登場するのは、先生の作品としては2年目になると私は記憶しています。先生の作品にも時代の変遷があり、私が最初に拝見したのは、痩せこけた猫が何匹も魚の骨を狙って歩み寄る場面を描いた風景彫刻でした。真鍮直付けの技法は当時と変わっていません。量感を削り、骨格だけになった彫刻の空間的な面白さは、先生の特徴でもあり、遠方から眺めると人が影法師のように感じられる楽しさがあります。軽妙洒脱な世界観、重力を感じさせない彫刻、それだけにストレートに訴えかける物語性に、池田ワールドの醍醐味があると思っています。先生の作品については別稿で取り上げたいと思います。次に向ったのは国立新美術館からさほど遠くないところにあるサントリー美術館でした。ここで開催されている「京都・醍醐寺」展は、ポスターにもなっている如意輪観音坐像の美しさに惹かれ、是非行って見ようと思ったのでした。「真言密教の宇宙」という副題が示す通り、密教に関する資料が多く展示されていました。また醍醐寺は豊臣秀吉が豪勢な花見を行ったことでも有名です。この展覧会については後日稿を改めます。夜7時に帰宅しましたが、今日は些か疲れました。この週末2日間は自分が計画した通りに制作も鑑賞も出来ましたが、ゆっくり休む時間がなく、身体を少々酷使したようで、また右ひざが痛み出しています。明日からウィークディの仕事が待っています。週末とは異質な仕事ですので、創作活動の疲労は改善されるはずです。

週末 陶彫制作の継続

制作サイクルが回り出すと、無我夢中になれる瞬間があって、週末の制作が楽しみになります。新作の集合彫刻は2つの塔が並列するイメージでやっていて、現在は床に接する1段目の陶彫部品が出来上がっています。先週から2段目に取り掛かり、今日は2段目の2個目に当たる成形を行いました。成形の準備としてのタタラはウィークディの夜の時間帯に作っておきました。さらに先日土練りを多めに行ったので、3個目の準備として今日中にタタラを作ることも出来ました。成形は制作工程の中では一番楽しい作業で、集中力が増します。今日は朝から夕方までそんな作業に追われていました。気候も涼しくなりました。環境的にも好条件が整ってきましたが、先日から右ひざが痛くなって、先週整形医院に行ってきました。レントゲンの結果では右ひざの接合部分の軟骨が磨り減っているとのことで、治療を始めることになりました。加齢なのか、無理しすぎていたのか、座った姿勢から立ち上がる時に痛みがあるのです。歩き始めると何でもなくなります。飲み薬と湿布をもらって帰ってきました。仕事に出かけるのも、東京の美術館に出かけるもの全て足を使うので、大事に至らないようにしたいと思っています。彫刻制作は身体を酷使する場面があって、どこか身体の一部が悪くなると忽ち影響が出てきます。数ある芸術行為の中では一番身体が強くないとやっていられない分野なのです。そのせいか先輩の諸氏は、皆んな元気で溌溂としています。自分も末長く彫刻制作に携わっていたいと願っていて、身体には気を使っています。明日は制作の後、東京の美術館に出かけます。久しぶりに師匠の作品を拝見してきます。

「線」について

「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)の中で、昨日は「点」について取り上げました。カンディンスキーの有名な著作である「点・線・面」の順番から言えば、今日は「線」を取り上げていきます。本書の中では「点・線・面」から引用した文章が散見され、そこを起点に現象学的見地からカンディンスキーの抽象芸術について論じている部分も少なからずあります。まず「線」の定義となる一文を取り上げます。「『この力は、平面内に喰い込んでいる点に飛びかかって、点をむりやりに引き離し、それを、平面上或る方向へと押しやる。』とカンディンスキーは詩的なことばで明確に述べている。点に働きかける新しい力の指し示す方向ーその力が変わらないかぎり同じままである方向ーへと、追いたてられる点、それは線なのである。」同じ「点・線・面」の引用から次の一文もありました。「純粋にフォルム的な線の働きにとって、生のあらゆる力ーその力のみごとな完成から劇的な対立までーを現実化することが可能なのである。カンディンスキーはこう書いている。『このように、線の世界は、冷たい情熱に始まり熱いドラマチックに終わるところの、表現的な響き全部を所有しているのである。』」カンディンスキーにとってのフォルムとは何か、この考察も述べられていました。「カンディンスキーは内部の音色にもとづいて、生の情念的多様性とその限りない様態変化にもとづいてー芸術の抽象的内容にもとづいてーフォルムの語彙をつくりあげているのである。情念が線を出現させる力の情念であるかぎり、線の働きが(そこから生ずるフォルムの広大な領域に支えられつつ)そうした力の働きであり、われわれの生を物語るものであるかぎり、フォルムの語彙は生の表現となっているのだし、そうなることができるのである。」線についての考察はここまでにしておきます。

「点」について

「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)を昨日に続いて取り上げます。画家カンディンスキーは抽象絵画の創始者であるとともに、当時バウハウスで講義した抽象芸術の理論が有名で、近代美術史の中では実践と理論双方で大きな業績を残した巨匠と呼ばれています。私もカンディンスキーの著作である「芸術における精神的なもの」や「点・線・面」の邦訳を読み耽った時期がありました。嘗てこのNOTE(ブログ)でもカンディンスキーの著作を取り上げたことが記憶にあります。今回は著者ミシェル・アンリによる「点」の解釈を載せます。「点」を定義した本文を引用いたします。「バウハウス時代、探究が集中的に向けられて行くフォルムの最初のものは、点である。~略~まぎれもなく、点は幾何学的存在でもある。幾何学的存在としての点は分割することができず抽象的であるが、これは、純粋状態で(もはや自然のフォルムとしてではなく)把握され考えられた幾何学図形一切を表す場合の、非具体的で観念的な存在という意味においてである。」現実に点を作品表面に穿った場合はどうなのか、こんな一文もありました。「現実の点は、いくぶんか小さかったりいくぶんか大きかったりする。したがって、点が大きくなればなるほど、それが占める表面がまさしくひとつの面になり、そういうものとしてその固有の音色とともに知覚され体験される。~略~点が少しずつ面に変わったり、あるいは逆に面が再び点として把握されたりする間、二つの内部の音響、二つの情動的な基調色、点と面の基調色は重なりあっているけれども、ただひとつの外部の要素、現実の点という要素のほうは眼ざしをとらえ続けて離さないのである。」

「絵画性の解明」について

職場の私の部屋に置いてあるフランスの現象学者の書籍「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)を久しぶりに手に取りました。現在、フッサールの現象学に挑んでいる自分にとって、もう一人の現象学者の書籍も難解なものに変わりはないのですが、ただ扱っているテーマが画家カンディンスキーに関するものなので、カンディンスキーの抽象絵画やその理論を知る私には、多少取っつき易い書籍になっています。「絵画性の解明」では、まず言語化された基調色に関する分析があり、カンディンスキーは具象の機能を排除することで、無垢な色彩が現れ出てくる世界を獲得していると述べられています。フッサールと関わりのある部分を書き出します。「カンディンスキーの分析は、ここでもやはりフッサールの形相的分析のように働いている。つまり、芸術の本質をその純粋さの中で眺めるために、芸術の本質とは無関係な諸特性を除去することが重要なのである。まさしく客観的〔対象的〕表現をとり除くことによって、絵画の純粋な本質の開示がなされるのだ。~略~絵画の非本質的な特徴ー対象と結びついた具象的特徴ーと、純粋な絵画性に依拠する本質的特徴とは、同じレベルに位置してはいない。非本質的特徴とは、意識が意図的に構成したもろもろの客観的な意味であって、外部にあり、フッサールのいう意味では『超越的』である。本質的な特徴、つまり絵画的で形象表現的なフォルムは、感性に、すなわち絶対的主観性とその〈夜〉との属している。」この部分ではカンディンスキーが有名な著作「点・線・面」の中で述べた箇所を引用しています。「前者〔具象芸術〕にあっては、要素『それ自体』の有する音響は、おおいに隠され、抑制されてしまう。抽象絵画においては、それは、おおいに隠されることなく存分に鳴り響く。」本論のまとめになりますが、二重の変動が必要だという見解が最後に述べられていて、その引用をもってこのNOTE(ブログ)を終わりにしたいと思います。「第一の変動によって要素は、実生活の中で自らが担っているもろもろの意味をとり除かれて、感覚的で純粋な現われへと還元されている。第二の変動によってこうした現われは、内部の条件へと、目に見えない生の基調色という条件へと導かれている。」

人生の岐路を思う

自分のことは好きか嫌いか、単純な問いかけですが、答えは単純ではなさそうです。服を脱ぐように肉体を脱ぐという新聞掲載の詩人のコトバがありました。もしそうであるならば、肉体と魂を別物として考えると、私の自分に対する嫌悪感は多少変わってきます。私は彫刻を学ぶ前からギリシャ彫刻のような理想的な人体の美的比率に憧れを持っていました。自分の背格好を見るにつけ、私は自分の肉体に絶望してきました。私は子どもの頃から鏡を見たくないと思い続けた人間で、20代で欧州に暮らしていた時は、街行く人を眺めて尚更その思いに苛まれました。反ナルシスト宣言をしたいくらいでした。ただし、内面に秘めたものに私は一縷の望みを見ていて、自分の首尾一貫した姿勢を可としています。人生60年の辿った道を見ると、私はどうやら軸足が動かないことが判ってきました。20歳の頃に志した芸術への夢を今も追っているのがその証拠です。それを魂と呼ぶならば、私の魂は決して器用ではなく、立ち居振る舞いも上手とは言えず、社交性にも欠けている嫌いはありますが、唯一、こうしようと決めた志の炎を長く消さずにいることが出来るのです。これは私にとって利点です。自分は至極当然なことであっても、人には容易なことではないと家内に言われたことがありました。人生の岐路に立った時に、私は言い訳をしてきませんでした。自分を誤魔化すこともなくここまで歩んできました。他者を羨んだことは数知れず、嫉妬もありましたが、結局のところ周囲に振り回されることもなく、自分を見失わなかったことが救いなのかなぁと述懐しています。肉体は加齢とともに劣化してきますが、精神や魂と呼ぶものは場合によっては深層化し、満足が与えられることがあるのかもしれません。それでも私は現状に精神的な満足を得ているわけではありませんが、歩んだ道が間違ってはいないことは確かだろうと思っています。人生の岐路はどこにあったのか、脇道に逸れなかった自分には見当もつきませんが、きっとあの時にあの選択をしたんだなと思う節があります。自分がぶれることがなく自然に歩いてきた人生です。これからも摂理に逆らわず黙々と歩いていこうと思っています。

三連休 手間取った陶彫部品

三連休の最終日です。一昨日から新作の2段目に当たる陶彫部品を作り始めています。昨日成形を終えたので、今日は彫り込み加飾を行いました。2段目はやや小さめの陶彫部品になっていますが、なかなか手間がかかってしまい、3時間近く作業をしていました。次の段階に進む時は、全体を考えながら最初の1個を作り込むので時間はかかるのです。最初の1個で部品制作のパターンが決まり、残り10個を継続して作っていくことになります。最初の1個目の完成は結構重要な部品になるので、終わった時は達成感がありました。手間取った分、気持ちが入ってこれから先が楽しみになりました。午後は次の制作に備えて土練りを行いました。20年以上も続いている定番の作業ですが、毎回上手くいくように祈りながら準備しています。土練りから始まり、焼成で終わる陶彫部品作りは、途中で手を抜くことが出来ません。師匠の池田宗弘先生から、相原はいつも全力投球だなぁと言われたことがありますが、学生の頃から自分は洒落たことが出来ずに、形振り構わず制作をしてきました。それが自分のスタイル?と思うと、些か不恰好ですが、60歳を超えた今でも継続しているわけです。小手先の上達を拒否して、創作への渇望を持続し続けています。私は昔から不器用ですが、返って不器用の方が精神性が込められて、象徴世界への憧れが募るのかなぁとも思っています。あれこれ迷わず自分のイメージに素直に従う、これが私の創作へのスタンスです。夕方、窯入れを行いました。新作では5回目の焼成です。この焼成ばかりは自分の手に負えるものではなく、窯内にいる炎神の領域なので、只管祈るしかありません。この焼成があるからこそ、陶彫作品は面白いのです。木曜日に窯出しをして、次の窯入れを行う予定です。

三連休 「かながわボッチャ2018」

三連休の中日です。今日は私の職場の希望者と、別の職場の希望者が連携してチームを作り、表題にある 「かながわボッチャ2018」という大会に出場してきました。今回連携した別の職場には肢体不自由の障がい者が多くいて、ボッチャが盛んに行われているのです。ボッチャとはどんなスポーツなのか、私もテレビでしか見たことがなかったので、実際に観戦してその面白さを体験させていただきました。ネットによるボッチャ紹介の記事を載せておきます。「ボッチャは、ヨーロッパで生まれた重度脳性麻痺者もしくは同程度の四肢重度機能障がい者のために考案されたスポーツで、パラリンピックの正式種目です。ジャックボール(目標球)と呼ばれる白いボールに、赤・青のそれぞれ6球ずつのボールを投げたり、転がしたり、他のボールに当てたりして、いかに近づけるかを競います。障害によりボールを投げることができなくても、勾配具(ランプ)を使い、自分の意思を介助者に伝えることができれば参加できます。 」今回の連携を通して、私の職場ではレクリエーションとしてボッチャを取り入れていこうと思います。連携していただいた職場の皆さんにも協力を仰ぐつもりです。大会場所は綾瀬市民スポーツセンターで、朝から駐車場が混んでいて、そこから離れた場所に車を置きました。私は制作があるので、午前中だけで失礼致しましたが、楽しい時間を過ごすことが出来ました。午後は工房に出かけて、昨日準備しておいたタタラを使って陶彫成形を行いました。10月なのに、真夏のような暑さになって汗が噴出していました。今日は「かながわボッチャ2018」に行っていたので、制作は彫り込み加飾まで到達せず、明日に持ち越しになりました。

三連休 2段目の陶彫制作開始

10月に入って最初の週末は「体育の日」を含む三連休です。職場関係で体育的イベントがあるため、私は三連休全てを創作活動に費やすことが出来ず、何とか時間をやり繰りしながら制作に没頭したいと思っています。初日である今日は新作の2段目の陶彫制作を開始しました。とは言え制作に変化はなく、陶彫部品がやや小さめになった程度で、土練りをしてタタラを作り、成形して彫り込み加飾を施す工程は1段目と同じです。今日は早朝、まず自宅の書棚で溢れてしまっている美術展の図録数十冊を車で工房に運びました。工房には図録用の棚があり、自宅に置いておくよりは工房の方が図録を眺める機会が多いので、時々運搬をしているのです。次に工房の脇にあるスペースで車を洗いました。先日の台風で車が汚れてしまい、見過ごすことが出来なくなったのです。私はあまり洗車をしませんが、ちょっと汚れ方が酷いかなぁと思っていました。制作に取り掛かったのは午前9時を過ぎてからで、いつものように大きなタタラを掌で叩いて6枚作りました。一日置いて明日成形を致します。今日は夏がぶり返したかのような暑さになりました。汗でシャツが濡れて、新しいシャツに替えました。乾燥した陶彫部品2個の仕上げと化粧掛けも行いました。今週は週2回焼成を行っていたので、先日の水曜日に入れた作品の窯出しをしました。焼成が終わった陶彫部品は今のところ4個です。次の窯入れは三連休最終日の夕方になります。火曜日から焼成を始めるので、来週は焼成が2回出来るかどうか微妙なところです。夕方、仕上げに使っているブロックサンダーが不足しているので、補充しに日用大工センターに行きました。明日の午前中は体育的イベントがあるため、制作は午後になります。

映画「運命は踊る」雑感

常連になっている横浜のミニシアターのレイトショー。これは勤務時間終了から上映が始まるので、自分にとっては好都合な鑑賞体験になっています。ウィークディの夜に出かける映画館はストレス解消にもなって、仕事でさまざまなことがあっても、気持ちをリセットできるのです。「運命は踊る」はイスラエルの兵役に就いた息子を持つ両親の事情を描いています。イスラエルの映画は私にとって初めてかもしれず、S・マオズ監督はイスラエル軍戦車部隊に砲手として従事したことがあって、そうした体験やら娘さんが乗るはずだった通学バスがテロに遭ったりした体験などが映画の中に織り込まれているようです。映画の内容はギリシャ悲劇の三部構成を下敷きにしていて、第1部は兵役に従事している息子の死亡が役人から知らされる両親の憤り、そのすぐ後でそれが誤報だったと伝えられると、父ミハエルは怒りを爆発させ、強引に息子を連れ戻すように役人に迫るのでした。第2部は辺鄙な国境の検問所に勤務している長男ヨナタンやその仲間たちとののんびりした時間が描かれていました。問題なく検問を通過する何台かの車の中で、事件は突如やってきて、ちょっとしたミスでヨナタンは誤射してしまい、上官はそれをなかったことにすると判断する場面がありました。そこに連絡が入り、ヨナタンに帰宅命令が出てトラックに乗せられました。第3部はヨナタンの母ダフナと別居しているミハエルが自宅に戻り、あれこれ過去を振り返る場面がありました。「子どもが生まれる喜びは、やがて薄れてしまうけれど、失った悲しみは、永久に消えないわ。」というダフナの言葉に、死亡が誤認されたヨナタンは、この時すでに亡くなっていたのかと私は訝しく思いましたが、それが物語の最後に判明しました。ヨナタンを乗せたトラックが事故に遭ったのでした。ヨナタンを強引に呼び寄せたミハエル、それが結果的にヨナタンの死亡に至ったわけで、原題の「FOXTROT」は元の場所に戻るダンス・ステップのことを言い、辻褄が合う物語仕立てになっていました。観終わった後、私は気持ちの整理がつかない不安定さを感じました。イスラエルが抱える課題を浮き彫りにした本作は、「イスラエルにとって有害な映画。政府機関であるイスラエル映画基金から製作資金を与えるべきではなかった。」とスポーツ・文化大臣から攻撃されたにも関わらず、多くの賞に輝いたことは納得できると思いました。一緒に観に行った家内は、映画の冒頭で両親の家の玄関先に掛けられた直線が幾重にも交差する抽象絵画が家族の状況を示しているのではないかと指摘をしていました。現代アートが室内に何気なくあるのが、私にとっても楽しめる映画の背景になっていて、さらに家内が言う通り、そうした小道具にも何か意味が込められていたのかなぁと思いました。

10月RECORDは「象」

「象」は動物のゾウではなく、象形や象徴を意味する文字として選びました。最初にイメージしたのは碑文のような刻印された文字で、読解出来なくても、そこに不思議な雰囲気が醸し出される世界でした。文明の曙期で人類には具体的なカタチを抽象化していく過程があり、文字の原初形態では象形文字が登場し、やがて記号として整理されてくる遍歴を見ていると文字そのものに楽しさを感じます。そうしたイメージを自分のデザインに取り入れられないかと思い立ち、今月のRECORDで試してみることにしました。日本語表記は大陸から渡来した漢字が基本になっています。甲骨文字というのが漢字の最古の祖形で、絵文字のようでありながら抽象性が高い段階まで発達しているようです。甲骨文字一覧を眺めていると楽しさ満載で、いろいろアレンジしたくなります。RECORDでは甲骨文字を模倣するのではなく、造形要素だけを取り出して新たに創造していこうと思っています。今年は画面の中に一定のパターンを取り入れています。今月は4つの長方形を画面に配置した構成を考えました。忙しさに追い倒されて下書きだけ先行することがないよう、今月は気持ちを引き締めてRECORDに取り掛かっていきたいと思っています。

トラ吉のアクション

我が家で飼っている猫のトラ吉は、もともと野良猫で亡父の残した植木畑に捨てられていました。2010年4月26日のNOTE(ブログ)に「植木畑に捨て猫あり」という記載があるので、それから8年が経ってトラ吉は大きく育ちました。先日、動物病院で測定したら体重は10キロもありました。茶トラという種類は大きくなる傾向があるのでしょうか。私は幼い頃に実家で猫を飼っていましたが、猫の生態を具に観察したわけではなかったので、トラ吉が自分にとっての初めての同居猫と言ってもいいと思います。私の猫に対する概念は、彼らの行動はマイペースで勝手気儘と思い込んでいました。トラ吉を見ていると、どうもそうではないと感じるようになりました。私が帰ると玄関まで迎えに出てくる、私がダイニングまで歩くとトラ吉はその前を歩いていき、テーブルに飛び乗って私に頭を撫でることを要求する、家内が餌を運んでくると私を餌場に誘うのです。どうもトラ吉は勝手気儘とは思えないアクションをするので、我が家では猫の概念が崩れ始めています。とりわけ餌が出されると皿に飛びつくことはなく、必ず私の足許にやってきて鳴いて私を誘います。私が餌の皿の方に歩くとトラ吉が同伴してきて、漸く食事にありつくのです。毎晩繰り返されるアクションに、トラ吉は既に家族の一員としての存在感を放っています。それでもトラ吉のアクションは人間の考える愛情とは異質のものではないかと察します。私たちに飼われている意識もあるのかどうか分かりません。ただし、撫でられる等の接触は大好きなようで、執拗に私に絡んでくるのです。人間の感覚で可愛がったり、愛情を注いだりするのは、猫目線で考えると大いなる誤解があるように思えます。猫が私たちのコトバを喋ったら、私たちを失望させるコトバが飛び出てくるのではないかと思います。夏目漱石の我輩もびっくりするような生態が明らかになってくるでしょう。人間が勝手に作った猫ブーム、私の足元でトラ吉はそんなことは知っちゃいないとでも言いたげな顔をしています。

「感覚内容の構成」について

「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)の第四章「感覚内容の構成」について、気になった箇所を引用いたします。本書は難解な箇所が多く、章をまとめることは至難の業で、その都度述べられている主旨をチェックするくらいしか出来ません。初めに「感覚与件」や「感覚内容」について抜き出します。「感覚与件論者は、感覚はすべての知覚に先行する知覚成立の必要条件であり、したがって逆に、知覚は感覚に何かがつけ加わることによって成立すると考える。感覚につけ加えられるとされるのは、認識主観から発する解釈や意味づけであり、こうして『知覚解釈』説が導かれる。~略~感覚与件は、意識内から発生したとは考えられないため、『どこから与えられるのか』という問いがどうしても浮上する。~略~感覚与件が経験において果たす役割を問題にしたとき、『単なる志向が感覚与件によって充実され、その結果志向の正しさが確証される』とみなす考えが導かれる。」本書は具体的な例を挙げながら論理を展開しているのですが、書き出す箇所から具体例を除いているので、文章としては難解にならざるを得ません。次の文章も突如引用したように思われますが、前後のない文脈の中なのでご勘弁いただければと思います。「諸感官やキネステーゼ、状況などの変化に応じて変化する感覚的質によって充実した直観内容をフッサールは『感性的図式』とよぶ。カントの場合、『図式』は感性の多様と悟性形成を結合する機能だが、フッサールにおいては、主観側、客観側の諸条件毎に変化する感覚的質相互が結合されたものが感性的図式である。」これはもう現象学の説明というよりは、私事のメモとして書いていると言った方がいいかもしれません。この章ではその後、ゲシュタルト心理学や超越論的連合概念に触れています。章の最後の「受動的綜合の分析」としてフッサールの言葉を引用した文章がありました。「『意識にとって構成されたものが私にとって存在するのは、ひとえにそれが触発することによる』。~略~こうして『際だった感覚的統一』の形成には、触発というダイナミックな連合の働きが先立つことになる。触発と喚起、感覚的統一、際立ちは、一つの現象の四つの側面である。」今回はこのくらいにしておきます。

台風一過 今月の制作目標

10月になりました。昨晩から大型台風に見舞われ、私は一晩中暴風の音に悩まされて眠れませんでした。深夜2時過ぎに一時停電になり、私は寝床から飛び起きて、懐中電灯を持って荒れ狂う風の中を工房に行きました。畑の中で遭難したらどうしようと頭を過ぎりましたが、作品に対する思いが打ち克っていました。幸い窯の電源は落ちていることもなく一安心しましたが、念のため朝の出勤前も工房に立ち寄り、窯の温度を確認しました。大変な幕開けとなった10月ですが、今月は制作サイクルにさらに拍車をかけていきたいと考えています。まず新作の陶彫制作ですが、既に2つの塔の一段目の土台11個を作り終えています。今月2段目の陶彫部品に取り掛かろうと思っていますが、やや小さめになるとは言え、制作の手間は一緒です。5個くらい出来ればいいかなぁと考えています。今月も三連休がありますが、他の用事があるため、全て制作に充てられないのです。RECORDは毎日着実に作っていこうと思っています。下書きだけが先行すると、大変な目に遭うことがわかっているので、初心を忘れないように取り組みたいと思います。鑑賞は美術館や映画館に継続して足を運ぶつもりです。音楽会や演劇にも行きたいのですが、そんなに欲張れないかなぁと思います。読書はまだまだ現象学に挑戦します。読書の秋に申し分のない書籍です。今月も頑張ります。

週末 9月の振り返り

9月の最終日になりました。今日は朝から工房に篭り、11個目の陶彫部品の成形と彫り込み加飾を行いました。陶彫部品は7月に1個、8月に5個、そして今月は5個作り、2つの塔の土台部分はこれで終了しました。焼成は今日の分を含めると3回の窯入れを行いました。次の水曜日にもう一度窯入れを行う予定です。今日は台風の影響で朝から雨が降り、めっきり涼しくなって作業はやりやすくなりました。酷暑続きだった夏はどこにいってしまったのか、季節の移り変わりは確実にやってくるものだと実感しています。さて、今月を振り返ると充実した制作内容に満足を覚えました。陶彫部品5個を作り終えたのは、本当に良かったと思います。焼成も始まり、次から次へと乾燥した陶彫部品に仕上げや化粧掛けを施しています。ゴールはまだ先と言えど、気持ちが今まで以上に前向きになっているのが喜ばしいのです。RECORDも山積みされた過去の作品を全て作り終えました。食卓に置いた山積み解消です。日々のRECORD制作に加えて、過去の作品の彩色や仕上げを毎晩3時間くらいかけて行っていました。自宅でぼんやりする時間がなく、今月は根を詰める日が続きましたが、それでもそうした習慣に慣れてしまうのはどうしたものでしょうか。創作活動が自然に自分の中に入り込んでいるのではないかと思いました。鑑賞も充実していました。大きな展覧会は「藤田嗣治展」(東京都美術館)に行っただけでしたが、後輩の彫刻家が出品していた「二科展」(国立新美術館)や多摩美大助手の個展(GSIX蔦屋書店)、同じ職場の人が出品していたグループ展(美術家連盟画廊)にも足を運びました。映画鑑賞は「モリのいる場所」、「犬ヶ島」、「スターリンの葬送狂騒曲」、「カメラを止めるな」(全てシネマジャック&ベティ)の4本。ウィークディには仕事をしながら、週末の制作の合間を縫ったり、夜間の時間帯に鑑賞に出かけたりしていました。忙しく動き回ることを貧乏暇なしと言いますが、経済状態はともあれ、心は決して貧乏ではなく裕福で豊かな状態にいると思っています。確かに経済を支えているのはウィークディの仕事だけですが、自分の精神性を培う多忙さは歓迎すべきものではないかと私は考えているのです。その中で現在読んでいる現象学の書籍は手強いなぁと感じています。美術作品や映画を単に観るだけではなく、モノの存在を現象面から考察することに自分なりの思惟を持ちたいと考えている私は、これを避けて通れず、納得できるまで付き合う所存です。どんなに理解が困難で解釈に遅滞が生じても、頑張って読破しようと思っています。来月も今月並みに制作や鑑賞に邁進していきます。

週末 9月最後の陶彫制作日

9月最後の週末になりました。制作工程を早めに進められたおかげで、この週末で土台部分11個が全て揃います。もちろん陶彫制作には最後に焼成という極めて重要な工程がありますが、これは人の手が及ばない神がかり的境地なので、人智が及ぶ範囲での制作として土台部分の完成は喜ばしい限りです。土練り、タタラ、成形、彫り込み加飾の他に焼成のための仕上げと化粧掛けが加わり、制作サイクルは着実に回り始めています。今日は朝から工房に籠り、第3回目の窯入れをする準備として、仕上げと化粧掛けを行いましたが、そろそろ週2回の窯入れをしようと思い立ち、仕上げと化粧掛けは2個分をやることにしました。明日の夕方に窯のスイッチを入れて、水曜日に窯出しと次の窯入れを行うことにしたのです。今日の午前中は2個分の仕上げと化粧掛けを行い、午後になって土錬機を回し、土練りとタタラ6枚を作りました。土曜日はウィークディの疲労が残っていて身体が動かないのですが、明日の成形のための準備として頑張ってしまいました。今日は台風が近づいていて、雨が降ったり止んだりしてちょっと肌寒い日でしたが、シャツが汗でびっしょりになりました。真夏でもないのに汗が滴る感覚は久しぶりでした。明日は陶彫部品としては土台の最後となる11個目の成形と彫り込み加飾に挑みます。

2018個展の批評より

(株)ビジョン企画出版社から発行されている「美じょん新報」は月々の展覧会情報が掲載されていますが、「評壇」欄では美術評論家瀧悌三氏による、端的で歯に衣着せぬ展覧会批評があって、私は常々参考にしています。9月20日発行の新報にギャラリーせいほうでの私の個展評がありました。引用すると「黒褐色の、古い遺跡から出土した『発掘』品のような陶彫。塔のようにそそり立ち、根元から4本の足が出た立体と、高いテーブル下方に長四角が付いている立体との2体。前者が最大、後者がそれに次ぐ。共に手の混んだ作り。迫る力、並みではない。他に方形板の類品(小品)若干。」という短文ですが、「迫る力、並みではない。」という箇所に元気をもらいました。この一言で私の彫刻は彫刻としての発信が強いのだと勝手な解釈させていただいています。何よりも現在進行形の私の表現に間違いはないと実感した次第です。陶を扱うと陥りやすい技巧的な作為、私はそれに反発して作品が技巧的に走ることを戒めました。初期の頃の作品には陶板をギリギリまで薄くしていこうと考えた時期がありました。私の作品が工芸品ならばそうしていたでしょう。でも私が求めていたのは彫刻なので、あくまでもイメージを優先にして作品を考えました。手先で器用に作ることではなく、自分の心に湧いたイメージを常に思い描きながら、表現への渇望が生じない限りは作らず、技巧よりも精神性を求めました。思いつきや小手先ではない一貫した自己世界観の創出。それは思索でもあり、造形理論の構築でもあります。彫刻でなければならない必然性、陶彫でなければならない必要性、私のイメージの起源はどこにあるのか、若い頃やっていた人体塑造を放棄したのは何故か、広漠とした都市空間に眼を向けた時に感じた空間の開放感と閉塞感。そもそも空間とは何か、モノが存在するとはどういうことか、モノが眼前に現れている現象の考察、意志と表象の世界、アポロン的解釈とディオニソス的解釈、そんな根源的な学問が頭を駆け巡り、私に何をするべきかを示唆しているのです。並みではない迫る力はそんなところから生まれてくるのかも知れず、私がこれから求めていく世界は、さらに深淵なところに私を追い詰めていくのだろうと思っています。空間に対して面と向かう彫刻表現は、空間を哲学として扱うものだと私は考えています。嘗て親しんだハイデガーの著作も現在読んでいるフッサールの現象学も、私の求めるものの一助となると信じているのです。

映画「カメラを止めるな」雑感

2日にわたって映画の感想をNOTE(ブログ)に載せさせていただきます。私が常連客になっている横浜のミニシアターは遅い時間帯に上映する映画があって、勤務終了後に立ち寄ることが出来るのです。この時間帯であれば家内を誘うことも可能なので、感想を話し合うのも楽しいひと時です。今回観た映画は低予算で制作された無名の新人監督、無名の役者たちによる話題作でした。観客動員数が話題に上るほど評判になっている映画なので、この人気ぶりは一体何なのか確かめてみたくなりました。「カメラを止めるな」はゾンビが登場するホラー映画の部類に入りますが、まだどこにもないエンターティメント映画であると実感しました。まず度肝を抜かれたのは37分に及ぶロングワンカット。カメラに血しぶきがかかったり、地べたを這い回ったり、ともかく役者もスタッフも体当たりで臨んだ制作の現場であっただろうと思いました。映画の骨子を語るとメタバレになってしまうので、言い方が難しいのですが、綿密に考え抜かれた企画、何度も練習したであろう現地でのリハーサル、動線の確保やらメイクの準備など、常軌を逸したテイクを撮るためにトラブル続きだったのではないかと察するところです。ロケ地は茨城県水戸市にある芦山浄水場という廃墟で、これが撮影にぴったりの場所だと思いました。浄水場内とその周辺しか撮らないため、役者もスタッフもここに缶詰め状態でロケをやっていたわけで、おまけに最後に登場する大人の組み体操は傑作でした。こんなことに大真面目に取り組まなければならない運命に思わず笑いが噴出してしまいました。撮影の裏側で展開されるスタッフたちのドタバタは、無我夢中だからこそ滑稽で笑いを誘うのでしょうか。映画は私がやっている彫刻制作や家内がやっている胡弓演奏と同じ創造行為です。直接衣食住に関わることがない芸術文化に属するものです。そういうものにどうして制作者たちは肉体や精神の限界まで挑むことができるのでしょうか。戯事と言えばそれまでですが、そうしたものに人を夢中にする魔力があると私は感じています。映画「カメラを止めるな」に多くの人が魅了される理由がわかりました。理屈抜きで面白い、破天荒な娯楽性というのはこういう映画を言うのでしょうか。

映画「スターリンの葬送狂騒曲」雑感

先日、横浜のミニシアターにイギリス映画「スターリンの葬送狂騒曲」を観に行きました。物語の発端は旧ソビエト連邦に君臨した独裁者スターリンが、1953年に脳溢血で倒れ、そのまま死去し、その後継者を巡って政権内で権力争いが起こるというものです。図録によると「『驚くべき物語が、さらに驚くことに、ほとんど事実』であるために、フランスで出版されるや物議と人気がヒートアップしたベストセラー・グラフィックノベルの映画化が実現。」とありました。また「壮大なのに姑息、大真面目なのに可笑しくて、卑劣で残忍なのに引き込まれる、史上最もドス黒い実話に基づくブラック・コメディである。」という紹介文もありました。スターリンは粛清という大量虐殺を行ったため、その追従者である首脳陣は本音を隠すことが習慣化してしまい、スターリン死後もその亡霊に翻弄される箇所があります。腹心のマレンコフ、秘密警察警備隊トップのベリア、第一書記のフルシチョフが騙し合いや裏切り、裏工作を仕掛けていきます。これは大事件であるにも関わらず、滑稽で卑小な人間関係を映画では浮き彫りにしていくのです。その一つがスターリンが倒れた直後に側近たちは医者を呼ぼうとしますが、有能な医者は獄中か死刑に処されていて、仕方なくヤブ医者を掻き集める場面があり、またそこまで辿り着くまでに手順通りの合議をする場面です。こんな急を要する時に何をやっているんだと気を揉みますが、敢えて時間を費やし、独裁者を死に追いやろうとする周囲の計算も見て取れます。脚本家がこんな一文を寄せています。「あえてコメディに仕上げようとはせず、状況からコメディが生まれてくるようにした。登場する男たちが卑劣な人間なのは明らかだが、その性質が強く出た時でさえ何らかの魅力を感じてもらえるようにしたかった。」この映画は2018年1月にロシア文化省が、歴史映画としても芸術映画としても価値がないとして、封切り3日前に上映中止にした経緯があります。これが上映されていたら、ロシアの人たちはこの映画に対してどんな感想を持ったのでしょうか。

藤田嗣治流「宗教画」について

「晩年に専念した宗教的主題の作品において、15世紀のフランドル絵画を模範として取り入れたのは偶然ではない。かつて戦争中には同じように、ナポレオン風の身振りが描かれた大作(ジェリコー、グロ、ジロデ、ドラクロア)を参照することによって、フジタは大画面の戦争画の様式を獲得したのだった。~略~より厚みを増して正確さを欠いた描線、白っぽく薄い色彩からは、かつてのような称賛すべき技巧は見られないが、特にフジタが妻の君代とともにモデルとなって描かれている宗教画においては、当惑あるいは居心地の悪さとでもいうべき印象を受ける。~略~彼を特別な存在にしていた、あの魔力、あの優美、あの素朴は失われていた。」(ソフィ・クレブス著)これは「藤田嗣治展」の図録に収められていたパリ市立近代美術館文化財保存統括監督官からの一文です。フランス人からの手厳しい評価と受け取れますが、相互の視野を念頭に入れれば納得できるところもあります。画家藤田嗣治は日本人側から見れば、よくぞ異文化の中で存在感を示したと評価されるところですが、西欧から見ると乳白色の下地に裸婦を描いていた時代以外は、評価に値しないと思われているようです。私は藤田の描いた宗教画に感銘を受けたことがあり、晩年になっても衰えなかった画力に今も惹かれています。美術館だけでなく、各地の教会に点在するキリスト教の宗教画は、長い歴史や層の厚みから私は異文化の最たるものを感じ取って辟易した記憶があります。私にとって宗教とは何か、実家の菩提寺である浄土教にしたって私は認識が足りず、とても宗教なんて作品のテーマに出来るものではありません。私はこの歳になって漸くキリスト教美術の良さを受け取れるようになったのです。藤田は晩年になってどんな思いで宗教画を描いたのか、私は師匠の池田宗弘先生と重なってしまうところがあって、自分なりに考えてみたいと思っています。