三連休 充実の3日間

今日で三連休が終わります。初日は陶彫制作の後、フェルメールとムンクという人気絶大の美術展に出かけてきました。2日目は20個目の陶彫成形と21個目の成形のためのタタラ準備で朝から夕方まで工房にいました。今日は21個目の陶彫成形を行い、さらに昨日作った20個目と今日の21個目の陶彫成形にそれぞれ彫り込み加飾を施しました。今日も朝から夕方まで制作三昧で、濃密な時間を過ごしました。今日で11月の週末が終わりますが、最初の制作目標より1個多い5個の陶彫部品を作り上げました。工房を引き上げる際に、初日に仕上げをしておいた陶彫部品2個を窯に入れました。水曜日には焼成が終わる予定です。昼ごろ、久しぶりに近隣のスポーツ施設に水泳に行きました。右膝がまだ多少痛むので、水中歩行とクロールを繰り返しました。平泳ぎは膝に負担がかかるので、もう少し様子を見ることにしました。今日の作業で時間をかけたのは彫り込み加飾でした。陶土の表面に掻き出しベラを使って、幾何的な抽象文様を彫り込んでいきます。それによって立体そのものが大胆に変化することはありませんが、立体が強調されたり、僅かな彫り込みによって角度をもった面に微妙なニュアンスが出てきます。何よりこれはイメージの具現化に役立っているのです。彫り込み加飾は平面的な作業と自分は割り切っていて、所謂レリーフとは作為が異なります。過去の作品にはレリーフにしたものもありましたが、現行作品ではあくまでも加飾です。この加飾によって古代の出土品のような雰囲気が出てくるのです。記憶のどこかに刷り込まれている風景、それは岩肌に穴を穿って人々が住居にしていた風景だったり、廃墟となった古代遺跡だったり、自分のイメージの根幹をなすものが彫り込み加飾によって呼び覚まされてくるのです。そんな意味で、彫り込み加飾は自分の初原的なイメージを辿りながら、描写用具よろしく掻き出しベラを駆使していくのです。成形は彫刻的な楽しみがあり、彫り込み加飾はイメージ世界に遊べる楽しさに満ちています。この三連休は自分なりに充実していました。家内と出かける以外ほとんど人に会わずに、自分の内面だけを見つめていられる幸福な時間でした。

三連休 20個目の陶彫制作

三連休の中日です。この三連休で陶彫部品を2個作ろうと考えていて、今日はそのひとつ目、全体では20個目となる陶彫成形に取り組みました。予め準備しておいたタタラを使って立体を立ち上げ、陶土を紐状にして補う成形方法をずっと変わらずやってきています。一晩ビニールをかけて置いたタタラはちょうどいい硬さになっていて、高さ50cm程度の立体の成形が可能になるのです。勿論タタラだけでは保てない部分もあって、紐作りを併用しています。私は30代になって陶芸家の友人に陶土の扱いを聞きながら、見よう見まねで陶彫を始めました。あれから30年が経ち、自分の表現に相応しい方法を探ってきました。陶芸という工芸分野では技巧に軸足があり、釉薬ひとつとってもさまざまな実験や試作を行っています。そうした高度な技巧があって、漸く精神性の高い、つまり技巧的ではない作品を生み出す姿勢が求められてくるのです。陶芸家の友人たちも自ら作陶した器に自然な趣を求めて、技巧が表に見えない工夫をしています。陶土や成形、釉薬、焼成を知りぬいた作品作り、それが在るべき陶芸家の姿なのだと私は思っています。私の場合は、彫刻の素材として陶土を選んでいるため、陶芸家ほど素材への拘りがありません。自分のイメージに土肌が合っているので、陶という技法を使っているに過ぎません。そこに技巧の実験や試作はなく、作られる立体そのものに軸足があると言えます。勿論技巧がなければ作品にならないので、最低限の技巧は有しています。それはタタラと紐作りの併用であったり、化粧掛けであったり、焼成温度にしても、その陶土に見合った方法で制作しているのです。今日は20個目の陶彫成形が午前中に終わり、午後になって次の陶彫部品制作のために土練りをしました。大きいタタラも準備しました。明日は21個目の陶彫成形と2個分の彫り込み加飾を予定しています。

三連休 制作&人気の展覧会2ヶ所

今日から三連休です。この三連休で陶彫成形を2個作りたいと考えています。先週末に引き続き、三連休は美術館へ行きたいとも考えていて、今日はその両方を計画していました。陶彫の作業は朝の時間を使って、大きめなタタラを6枚準備し、明日の成形に繋げることにしました。乾燥した陶彫部品の仕上げや化粧掛けも2点行いました。午後2時を回ったところで、家内を誘って東京上野に出かけました。上野公園には毎週出かけていますが、まだ人気の展覧会を見ていないので、今日は混雑を覚悟して鑑賞に出かけたのでした。一つ目は上野の森美術館で開催中の「フェルメール展」。この展覧会の入場券は全て予約制で、私も数日前に横浜駅のチケットぴあに行って、日時指定の入場券を2枚購入してきたのです。本日17時からの入場でしたが、30分前に到着したにも関わらず長蛇の列になっていました。係員が並んでいる人々の入場券の日時を確認して回っていました。オランダの画家ヨハネス・フェルメールは現在37点の絵画しか発見されていないのに加え、欧米各地の美術館に作品がそれぞれ収蔵されています。そのうち10点が上野の森美術館に集結していると知って、今回はどうしても見ようと決めたのでした。こんな機会はもう二度とないと思いました。フェルメール絵画が一堂に会する部屋に辿り着くまでに、17~18世紀のオランダ絵画が展示されている部屋が幾つかありました。最後に照明を暗くしたフェルメールの部屋がありました。フェルメールの色彩は意外に鮮やかで、形態もくっきりしている絵画が多く、遠目でも絵画のニュアンスを捉えることが出来ました。図録には10点の絵画が来日しているとありましたが、「取り持ち女」は1月から展示されるようで、9点の絵画がありました。ひとつずつじっくり鑑賞させていただいて満足しました。詳しい感想は後日改めます。次に向ったのは東京都美術館で開催されている「ムンク展」でした。実は上野の森美術館に行く前に「ムンク展」の様子を見に行ったのですが、入場規制があって幾重にも列が重なっていたので、「フェルメール展」の後にしようと決めたのでした。今日は金曜日のため、美術館は延長開館をしているので、夜になれば混雑も緩和するのではないかと思っていました。思惑は当たって19時ごろには鑑賞者はだいぶ減っていました。ノルウエーの画家エドワルド・ムンクもまとまった作品を見ることが出来て満足しました。有名な「叫び」もじっくり見てきました。これも詳しい感想は後日改めます。三連休初日は午前中陶彫制作をやった後、夕方から人気の展覧会2ヶ所を巡り、充実この上ない一日を過ごしました。

横浜山手の「寺山修司展」

横浜で開催している展覧会は、職場外で行う会議等に出るときに、その通勤途中で立ち寄ることが可能です。今回訪れた神奈川近代文学館はそんな場所にあるので、現在開催中の「寺山修司展」を見ることができました。詩人であり演劇実験室天井桟敷を組織していた故寺山修司に、私は特別な思い入れがあります。昔、青森県の恐山に行った折に三沢市にある寺山修司記念館を訪れました。学生時代から彼のコトバや行動に惹かれ、当時流行したアングラ演劇にも足繁く通った思い出があります。渋谷にあった天井桟敷館にも行って、劇団に私も協力したいとお願いしたこともありました。当時、寺山版の市街劇や密室劇を、自分の創作と重ねて考えていて、独自な空間を求めていた私には刺激的だったのでした。そんな寺山修司とはどんな人物だったのか、改めて資料を眺めて、早熟で革新的な才能をもった寺山修司という人物の輪郭を辿ろうとしましたが、私には到底出来ませんでした。図録にこんな一文がありました。「言語は養育者とりわけ母との役割交換によってしか育まれえないからである。『子の身になった母』の身になることが、自分自身になるということなのだ。言語発生のこの演劇的な始原に潜む『優しさ』『懐かしさ』を感じさせない文学など文学ではない。」(三浦雅士著)寺山ワールドの独自性は母との関係にあり、また青森県という風土にもあったと思いますが、何よりも作家がコトバに鋭利な感覚を宿していたことで、その後国際的な活躍を見せる演劇的な活動も、全て文学に収斂されるのではないかと私は考えます。寺山修司の遺したコトバから察すると、彼は究極の際どいところに自分を追いたててコトバを紡いでいたように私には感じられます。文字になった家出や賭博にも寺山流の感性があって、その価値判断に作家自身の個性、いや癖のようなものを私は感じ取ってしまうこともあるのです。享年47歳、今生きていたら、どんな表現活動を見せていたのか、亡くなった時に残念な思いに駆られたのは私だけではないはずです。

上野の「マルセル・デュシャンと日本美術」展

東京上野にある東京国立博物館平成館で開催されている「快慶・定慶のみほとけ」展の隣で、「マルセル・デュシャンと日本美術」展が同時開催されていたので見に行ってきました。隣の仏像展とセットにして見に来ていた人もいたと思われ、鑑賞者は老若男女入り乱れていましたが、そのうち何人がマルセル・デュシャンに興味を感じたのかは定かではありません。デュシャンは作品そのものと言うより、その概念を理解しなければならない芸術家で、既製品(レデイメイド)を芸術作品として美術館に持ち込んだ人なのです。本展は、デュシャンの初期の頃の印象派風の油絵やキュビズムとしての「階段を降りる裸体」を初め、大ガラスの作品「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」、さらに有名なレデイメイド「泉」(レプリカ)や自ら分身となった「ローズ・セラヴィ」、最後の「遺作」に至るまで、フィラデルフィア美術館の所蔵作品が数多く来日していて、デュシャン・ワールドの痕跡を語る上で重要な作品が展示してありました。私は書籍等で知っていても、初めて見るオブジェが多く、デュシャンの資料がこんなにも保管されていることに驚きました。図録を読んでいると興味をそそる部分があったので引用させていただきます。「モダンアートの寓話になっているこのエピソードは、デュシャンがレジェと彫刻家コンスタンティン・ブランクーシとともにパリのグラン・パレで開催された恒例の航空展を訪れた時にまつわるものである。~略~デュシャン、レジェ、ブランクーシの3人を驚愕させたのは、金属色の機体や鮮やかな色で塗られた飛行機、台の上に据えられたエンジン、さらには巨大なプロペラの壮観であった。ブランクーシはプロペラの前で立ち止まり、『これが真の彫刻だ!』と驚きのあまり言い放った。~略~デュシャンは友人二人に同意して、工業製品は技術分野と美的な性質の両方の基準を有しており、これを芸術家は無視することができないとしたのである。」(マシュー・アフロン著)また本展は、「デュシャンの向こうに日本が見える」と称し、デュシャンが模索したレデイメイドや複製が、既に日本では美的価値を有して存在していたことに着目し、たとえば千利休の「竹ー重切花入」や水墨画の伝承模倣などが展示されていました。「竹ー重切花入」は陶工が造形した器ではなく、傍らにあった竹を切って花入れにしたもので、まさにレデイメイドそのものだと言えます。デュシャンのこうした概念に関しては、もう一度別稿を起こしたいと思います。

上野の「快慶・定慶のみほとけ」展

東京上野にある東京国立博物館平成館で開催されている「快慶・定慶のみほとけ」展は、京都の大報恩寺(千本釈迦堂)に所蔵されている慶派の仏像群によって構成された圧巻な展示内容になっていました。鎌倉時代の慶派の写実的な仏像は、美術作品として鑑賞しても大変面白く、彫刻的な形態の捉えに刺激を受けます。毎年、京都に出張している私も大報恩寺には行ったことがなく、年に数回公開する秘仏のため、今まで見る機会がなかったのでした。図録によると「大報恩寺が建てられた1220年代は、新しい時代の表現を切り開いた巨匠、運慶と快慶が相次いで表舞台を去り、次代の湛慶、行快、そして定慶が活躍し始めた時代だった。運慶一門に属していたとみられる定慶は、運慶のずば抜けた立体表現や空間把握能力をよく学び、自分のものとした。~略~快慶の弟子行快は、師匠が生み出した、整えられた仏像の美をよく理解し、それを踏襲しようとした。」とありました。釈迦の十人の偉大な弟子を彫った十大弟子立像は、それぞれの相貌が個性的で写実の極みに達していると感じました。十軀のうち運慶系統と快慶一門の違いがあって私は興味を持ちました。図録より引用します。「(運慶系統の)四軀の頭部には大胆にくぼみやゆがみなどがあり、左右対称でない人体のなまなましさが表現されている。これに対し、快慶一門の六軀の頭部はどちらかといえば球形に単純化されていて、前者とは表現の方向性が異なっている。」展示はさらに六観音菩薩像があって、その美しさに圧倒されました。私が見た時は光背が外されていて、菩薩像の背中まで鑑賞できました。六軀とも背中までしっかり作り込みがしてあって、その立ち姿に惚れ惚れしました。素材について図録にあった一文を引用します。「六観音菩薩像はいずれも針葉樹のカヤが用いられており、表面は彩色や漆箔をせず、木肌を露出したままとする。~略~日本では白檀の代用品とみなされたカヤを用いて多くの木彫像(代用材での檀像)が造られるようになり、平安時代以降の一木彫像の流行につながった。」最後に大報恩寺の尊像構成を書いた図録の一文をもってまとめにしたいと思います。「大報恩寺の尊像構成は、『法華経』序品を典拠にすると考えるのが、もっとも穏当だろう。『法華経』如来寿量品には、釈迦は常に霊鷲山におり、永遠に生きて説法し続けると説かれている。末法の世の中で、義空(大報恩寺創建者)は、釈迦が永遠に存在するという釈迦常住の地、霊鷲山をこの地に生み出そうと考えたのだった。」(引用は全て皿井舞著)本展に並んだ仏像群は、祈りの対象としてではなく、彫刻作品として鑑賞し、その形態や素材に大変な魅力を感じました。私はやはり慶派が大好きで、その姿形に時を忘れるほど佇んでしまうのです。

映画「世界で一番ゴッホを描いた男」雑感

先日、横浜にあるミニシアターで上映されていた「世界で一番ゴッホを描いた男」を観てきました。これは中国深圳市大芬(ダーフェン)にある世界最大の油画村を舞台としたドキュメンタリー映画でした。油画村では街全体が複製画制作工房になっていて、約1万人の画工がいると言われています。私はまずこの環境に驚きました。図録によると「複製画のみを手がける絵描きは『画工』と呼ばれ、『画家』と呼ばれるには公募展に3回入選しなければならない。『画家』になると専用の住居に格安で入れるなど優遇政策がとられている。1万を超える絵描きが暮らす大芬で、『画家』の称号を手に入れたものは300人もいないという。」とありました。映画の焦点はゴッホの複製画を20年も描き続けた画工に当てていて、その暮らしぶりも紹介していました。評論家の一文によると「一枚一枚が〈オリジナルな〉複製の大量生産という奇妙で独自の形式が人的資源膨大な中国の底知れなさだ。かれらの複製画産業が、従来の〈贋作〉の概念自体を変えてしまった。本来は闇の中でひそやかにおこなわれていたものが、キッチュな過剰な光のもとに産業化され、オープンなものとなってしまったのである。」(滝本誠著)ベテランの画工は、まだ一度も見たことのないオリジナルのゴッホ絵画を見たいと切望し、オランダのアムステルダムにあるゴッホ美術館に出かけることになります。そこで見た本物に衝撃を受け、さらに自分の複製画が高級な画廊ではなく、観光客相手の安っぽい土産物屋で売られていた事実を知り、愕然とする場面がありました。彼はゴッホの魂に憑かれたようにゴッホが滞在した病院やカフェや墓を訪れ、ゴッホのように自分だけの絵を描こうと決心したのでした。中国に帰国した画工は、故郷の風景や祖母を描き始めました。でも画風は相変わらずゴッホ流で、オリジナリティはそう簡単に身につくものではないことは私も実感しています。それでも遅まきながら始めた自己表現に私は不思議な安堵を感じました。映画では画工の娘が親の都市戸籍問題で、父の田舎に残され、そこの方言が分からず学校で苦労している様子が描かれていて、現代中国社会が抱える課題が垣間見える場面もありました。画工であれ何であれ、制作を通じて無垢な魂を持った人々に心を打たれた映画であったことは確かでした。

週末 東京の博物館・美術館巡り

今日は工房での制作を止めて、家内と東京の博物館・美術館巡りをしてきました。朝8時に自宅を出て、東京上野に向いました。東京国立博物館平成館で左右の部屋を使って、コンセプトの違う2つの展覧会が開催されていました。ひとつは「快慶・定慶のみほとけ」と題された展覧会で、京都の大報恩寺(千本釈迦堂)に安置された鎌倉時代の慶派による仏像が並んでいました。慶派は写実的な作風があり、博物館の照明が当てられた仏像には、祈りの対象ではなく、美術作品としての鑑賞が意識されていて、迫力満点の展示空間でした。次は隣の部屋でやっていた「マルセル・デュシャンと日本美術」展に行きました。隣同士で全く異なる展覧会に戸惑いましたが、デュシャンの芸術に対する考え方が、実は日本に古くから存在する茶の湯等の考え方に近いことを示す展示内容でした。その意外な発想や企画に私は感心してしまいました。これは学芸員の力でしょうか。その次に向かったのが国立西洋美術館で開催されていた「ルーベンス展」で、「バロックの誕生」という副題が示す通り、ヨーロッパの巨大な宗教絵画が並んでいました。ルーべンスは自ら工房を組織して、幾多の依頼に応えていた巨匠で、ヨーロッパの美術館には部屋ごとルーベンス絵画一色のところもあります。見ていて懐かしい感じを持ったのは自分が滞欧していた頃を思い出したのかなぁと思いました。最後に向かったのは上野から新橋までJRで移動したところにある汐留ミュージアムでした。ここはパナソニックが経営する美術館として高層ビルの中にあります。フランスの画家ルオーの所蔵品で知られる美術館ですが、今回はバチカン等から集めたルオーが数多く展示された「ジョルジュ・ルオー展」が開催されていたので見てきました。私にとってルオーは理解し難い巨匠でしたが、今回の展示を見て漸くルオーの良さが理解できました。今日巡った4つの展覧会に関する細かい感想は、後日順次記していきたいと思います。それにしても家内がよく一緒についてきてくれたものだと思いました。休憩したカフェで家内は私のパワーに感心していましたが…。昼食は家内の助言で国立西洋美術館レストランでとりました。ここが美術館レストランの中で一番美味しいと言っていました。

週末 制作&映画鑑賞

今月は美術館や博物館での展覧会が充実していて、鑑賞の機会を多くしたいと考えています。映画も観たい作品が幾つかあります。明日、東京の美術館や博物館へ行く予定にしていて、その分今日は陶彫制作を頑張らなければなりませんでした。土曜日はウィークディの疲れが取れず、身体が思うように動かないのですが、今週末のノルマを今日一日で果たそうと朝から奮闘していました。陶彫成形と彫り込み加飾1点と40キロの土練り、それが今週末でやらなければならない仕事です。しかも夕方は家内と映画を観に行く約束があったため身体を酷使していました。慣れた作業とは言え、次から次へと制作工程を進めていくのは骨が折れます。やっと4時近くになって陶彫成形と彫り込み加飾1点、土練りが出来上がりました。5時まで演奏活動をしていた家内を駅まで迎えに行って、6時半から始まる映画に間に合わせました。常連になっている横浜のミニシアターで上映していたのは中国・オランダ共同制作による「世界で一番ゴッホを描いた男」。驚くべきメイド・イン・チャイナのドキュメンタリーで、オランダの巨匠ゴッホの複製画を大量に複製している「油画村」の実態を映し出していました。ここでは1点1点を手描きで仕上げていて、贋作を機械的に複製にしているのとは異なり、違法ではないことが分かりました。芸術家草間弥生氏の贋作展をやって問題になった中国。徹底した模倣文化に気後れしてしまうのは私だけなのでしょうか。あらゆるゴッホの絵画をタッチまで真似る職人の中のベテランの一人が、オランダのアムステルダムにあるゴッホ美術館を訪れ、そこで見たオリジナルに感銘を受けて、真の創造とは何かを自問自答する場面がありました。この映画の救いはそこにあったと私は感じました。彼は帰国後に故郷に住む母親の肖像画を描き始めました。複製画ではなく自分の制作をするべきだという思いが頭を過ぎったのでした。この映画の詳しい感想は後日改めます。今日は充実した一日を過ごしました。明日は鑑賞だけの一日にする予定です。

異形の神々への憧憬

今朝、職場に届いていた日本経済新聞の小欄が目に留まりました。記事は「来訪神:仮面・仮装の神々」がユネスコの無形文化遺産に登録される見込みになったと伝えていました。日本全国に伝承されている異形の神々、たとえば秋田県のナマハゲもそうですが、正月に家を訪ね歩き無病息災や豊穣を齎す神事です。私が生まれた横浜ではそうした伝統が既に廃れていましたが、幼い頃に祖父母から、悪事を働くと鬼がやってくると言われて怖い思いをした記憶があります。無形文化遺産登録の見通しは8県の神事10件になるそうで、「並べて見ると、その奇抜さやユニークさに驚く。宮古島のパーントゥは泥だらけのつる草をまとい、鹿児島のボゼやメンドンの巨大な顔は、どこが何だかよく分からない。アートの実験場といったふうである。」と記事にありました。10件を調べてみると、「吉浜のスネカ-岩手県大船渡市」「米川の水かぶり-宮城県登米市」「男鹿のナマハゲ-秋田県男鹿市」「遊佐の小正月行事-山形県飽海郡遊佐町」「能登のアマメハギ-石川県輪島市・鳳珠郡能登町」「見島のカセドリ-佐賀県佐賀市」「甑島のトシドン-鹿児島県薩摩川内市(下甑島)」「薩摩硫黄島のメンドン-鹿児島県鹿児島郡三島村(薩摩硫黄島)」「悪石島のボゼ-鹿児島県鹿児島郡十島村(悪石島)」「宮古島のパーントゥ-沖縄県宮古島市(宮古島)」で、九州地方が多いようです。記事にはこうした地域の過疎化や高齢化が進み、後継者不足に悩みがあると書かれていて、また子どもを泣かすのは児童虐待ではないかという意見もあり、ユニークな神事が廃れていく心配や警戒感も示されていました。私は個人的には伝承を残して欲しいと考える一人です。地方には独特な風習が残り、その背景があるからこそ生まれた貴重な文化遺産であろうと思います。地方には地方の事情があって他人が口出しすべきではないと思いますが、アートの観点からしても刺激的な遺産だと考えます。私の仮面好きはこんなところにあると思っていて、時間があればこうした地域を訪ねてみたいと願っているのです。

RECORDと体調管理

一日1点ずつポストカード大の平面作品を作り続けているRECORD。10月までは順調にやっていたRECORDでしたが、また悪い癖が出て、下書きばかりが先行する状況に陥っています。下書きが自宅の食卓に山積みされていますが、今のところまだ数日程度の遅れが生じているだけです。ここで頑張らないといけないと思っています。最近、家内が咳き込む日が多く、通院して投薬をしていたところ、咳は治ってきました。次は私の番になっているようで、時々咳が出ています。昼間はそれほど体調で気になるところはなく、仕事から帰ってくると疲労とも何とも説明のつかない体調不良があります。この脱力感は何なのか、自分ではよくわかりません。私は夜の時間帯をRECORD制作やNOTE(ブログ)を書いて過ごしています。時に工房に出かけていく夜もあります。それなのに力が湧かないことにもどかしさを感じています。このNOTE(ブログ)を書き、RECORDの下書きをやるのがやっとで、ここ数日間の体調不良を何とかしたいと思っています。陶彫制作にしてもRECORD制作にしても健康体であることが基本です。今は無理をしないように過ごそうと思っています。やはり一日1点ずつ作っていくRECORDは、いざ体調を崩すと苦境に立たされます。それでも止める気になれないので、まだまだ大丈夫だと自分に言い聞かせています。

「基礎平面」について

「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)の中で、今回は「基礎平面」を取り上げます。カンディンスキーの有名な著作である「点・線・面」の順番から言えば、「点」と「線」の次は「面」がやってきます。本書でもカンディンスキーの平面に関する考え方を著者のアレンジを加えて述べています。カンディンスキーは幾何抽象的な要素の中にも、色彩や音響や文学的な情念を取り入れていると私は以前から感じていて、本書の引用文にもそれが表れています。基礎平面とは「自立的で無垢な実在として、生き生きとした存在として現存する。つまり、それは『呼吸』をしているのであり、仕事にとりかかる前の画家が実際に位置しているのは、秘められた力を宿しているひっそりとした生のすぐ前なのである。」と述べています。基礎平面の成り立ちとして「抽象絵画の原則は、確固とした答えをわれわれに差し出す。基礎平面を切りとる線は、二本の水平線と二本の垂直線である。つまり、一方は静かで(連続的なただひとつの力によって生み出されている以上、直線とは本来静かな緊張なのである)冷たい二つの音色であり、他方では静かで暖かい二つの音色である。対照的な二組のペアにもとづいて配置され分化している四つの基調色、あるいはそれらの微妙なコンポジションから生ずる総合的でニュアンスのある感情、基礎平面を前にしてわれわれが感受するものはこれである。」とありました。そこから著者は本書の主題に結びつく一文に繋げていきます。「われわれは、ここで初めてこの試論の本質的な主張にとりかかり、同時にその最初の証明を行うことになる。その主張とは、抽象絵画があらゆる絵画の本質を規定しているということだ。あきらかに、これこれの特別な主題に対してはこれこれのサイズをよしとする嗜好を説明するのは、基礎平面の抽象的内容、その目に見えない主観的な基調色であるように見える。」まとめにはなりませんが、基礎平面に関してはここまでにしておきます。

「時間性」について

「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)の第五章「時間性」について、気になった箇所を引用いたします。本書を読んで章ごとにNOTE(ブログ)にまとめをアップしていますが、前章でも内容が難解故に、しっかりまとめることが出来ず、語彙の何たるかを取り出しているに過ぎません。今回も理解するだけで精一杯で、自分の読解力の乏しさを痛感している次第です。まず時間性とは何か、「時間はさまざまな次元にわたって構造化されるのだから、時間を同一者として扱うべきではなく、『時間性』という多層的構造としてとらえなければならない。」とありました。次に内的時間意識の中に過去把持という言葉がありました。過去把持とは何か、「知覚などにおける志向性が対象についてのもの(対象志向性)であるのに対して、過去把持は体験についての志向性(内的意識)である。」また「内容変化説や統握説においては、過ぎ去った単独の内容についての単独の志向性が問題になっていたのに対し、過去把持においては複数の時間点にまたがる志向性のネットワークが問題になる。」とありました。次に時間の流れを論じている文章に時間論を唱えたメルロ=ポンティが登場してきます。「メルロ=ポンティは、時間を世界や存在と区別して論じることはしない。」としながら「時間を『現在に到来することによって過去へと向かう未来』とするやり方の背後には、時間を分析する際に、流れのダイナミズムを優先させようという戦略が潜んでいる。」と述べています。今章のまとめにはなりませんが「メルロ=ポンティの洞察から明らかになったとおり、時間の流れは、現前と非現前との交替の中で世界や事物の超越が成立するメカニズムだった。また、フッサールの志向的相関理論を見ても、志向的相関は時間的運動を内蔵した構造体だ。」とありました。今日はこのくらいにしておきます。 

映画「オーケストラ・クラス」雑感

先日、常連になっている横浜のミニシアターにフランス映画「オーケストラ・クラス」を観に行ってきました。フランスの音楽教育プログラムを題材にした人間ドラマと銘を打っていましたが、厳しい環境に育った移民の子どもたちが次第に音楽に目覚めていく様子を描いていて、心に宿る美に対する枯渇が見事に表出する映画だったと思いました。妻と別れ、娘とも疎遠になった中年のバイオリニストのダウドが、パリ郊外にある小学校の音楽クラスに足を踏み入れる場面から映画は始まりました。やんちゃな子どもたちは楽器を遊び道具にして騒ぎ続け、ダウドに失望させますが、それでも担任教師の支えもあって、何とか演奏のカタチになっていきました。練習中も子どもたちのトラブルは絶えず、思わず体罰をしてしまったダウドは、両親に謝罪をする場面がありました。またアフリカ系の児童に才能を見出してソリストとして任命するなどの日常を描く中で、ダウドと子どもたちは信頼し合う関係になりました。他校との合同練習では散々な結果となった子どもたちでしたが、フィルハーモニー・ド・パリのメインホールに立つという目標達成のため、自主練習を始めていきました。一緒に観ていた家内が映画の演出で指摘した箇所があります。まず、ソリストになった児童にダウドが渡すバイオリンです。娘が使っていたものだと言っていましたが、演習用のバイオリンではどんなに努力しても音響に限界があると家内は言うのです。楽器は高価なものでなければならないそうです。もうひとつは本番前に子どもたちや親たちが一緒に食事を楽しむ場面です。冗談を言い合うくらいの仲にならなければ、演奏を通して心がひとつになれないと言っていました。私は映画の中で大した場面と思わなかった箇所が、胡弓奏者である家内には納得いく演出であったことに、私は思わず頷いてしまいました。図録によると、主演のダウドも子どもたちもバイオリン演奏は素人だったようで、本番の演奏は別の演出があったのではないかと家内は言っていました。バイオリンはそんなに簡単な楽器ではないというのが家内の感想で、数か月であれほど上達することはあり得ないそうです。

週末 17個目の陶彫制作

土曜日はウィークディの疲れが残って、なかなか制作が捗らない日ですが、昨日は過密スケジュールの中を動いてしまったので、疲れは今日に持ち越されていました。朝から工房に篭っていたのですが、身体が思うように動かず、楽しいはずの成形や彫り込み加飾も辛いと感じました。いつもの日曜日なら作業が進むところなので、少々焦りました。それでも夕方には17個目の陶彫部品の成形や彫り込み加飾を終わらせることが出来ました。以前、創作活動は信仰だと書きましたが、次第に無心になっていくのは感情を通り越して、まさに何かに憑かれたように動いてしまうのが不思議なところです。焼成が終わって完成した新作の土台を見ていると、ウキウキした気持ちになりますが、実際の作業は面白くも退屈でもなく只管身体を動かしているだけで一日が過ぎていきます。今作っている陶彫部品の1つが、全体の中でどう効果を齎すか、それを頭の隅で考えてはいますが、それでもこの部品のみに全精力をかけてやっています。全体を考えると精神的にはきつくなるので、その時期が来るまでは部品1つだけに関わっている方が健康的なのです。今月はもう2個か3個ばかり陶彫部品を作ろうと思っています。幸い3連休があるので、それも可能と思っています。

週末 過密スケジュールの日

週末になりました。今日一日を振り返ってみれば過密スケジュールをこなした一日になってしまいました。予め時間をきちんと決めていたので、慌てることはありませんでしたが、今日は休日をゆっくり過ごすことはなく、3つのスケジュールを順番にこなしていきました。まず、午前中は常連になっている横浜のミニシアターに出かけました。映画の上映が9時5分から始まり、終了が10時45分でした。前から家内が観たいと言っていたフランス映画「オーケストラ・クラス」はこの時間帯しか上映していないので、朝一で映画鑑賞をしたのでした。移民の子供たちが通うパリ郊外の小学校に音楽クラスがあり、そこに10数人の児童がいました。バイオリンに触れたこともなく、クラシック音楽も知らない問題児たちを、一人の音楽家が演奏でまとめ上げていく苦難さを映画では描いていて、最後はフィルハーモニー・ド・パリのメインホールでの演奏を見事に仕上げていく物語でした。これは言うなればサクセスストーリーです。家内は胡弓奏者ですが、幼少の頃にバイオリンを習っていました。バイオリンの難しさを人一倍わかっていたので、演出の細かい箇所にも気を留めていました。家内は映画のストーリーを予想していたにも関わらず、観終わった後になっても、話題が尽きないほど面白かったようです。詳しい感想は後日に回します。帰宅したのは午前11時半ごろでしたが、私は午後1時半から管理職の研修会が組まれていて、スーツに着替えて家を出ました。横浜駅で軽めの昼食をとり、桜木町に向いました。研修会が終わったのが午後4時半でした。すぐ帰宅して作業着になり、夜の工房に行きました。時間としては夕方6時くらいだったかなぁと思っています。明日は陶彫成形と彫り込み加飾をやるために、今日のうちに大きなタタラを6枚用意しなければならず、これが私にとっての最後のスケジュールになりました。今日は映画鑑賞、管理職研修会、陶彫制作のための準備と、朝昼晩に分けて3つのスケジュールをこなしましたが、全て終了したのは夜8時を過ぎていました。やれやれ。今日は些か疲れました。明日は工房に篭ります。

信仰に関する私見

昨日のNOTE(ブログ)に書いた件をもう一度取り上げます。私は数十年にわたって続けている創作活動が、自分の行動ながら何かに憑かれたように感じていて、自分なりに腑に落ちるものは何かを考えていました。近くで見ている家内が、まるで宗教見たいだねぇと呟いたのが契機になり、昨日のNOTE(ブログ)にその思いを書いたわけです。これは私独自の信仰だと考えるようにしましたが、確か前にも信仰についてNOTE(ブログ)に書いた記憶があり、アーカイブを調べてみました。2016年6月7日と8日に「信仰とは何かを考える」というタイトルで、宗教との関連による信仰について述べているのが見つかりました。フロイトの「宗教論」に触発されて書いた内容ですが、特定な宗教信者でない者が、己の内面の脆弱さを補うものとして、何かを信仰することはあるのではないかと書いたのでした。キリスト教に関しては、神に従う代わりに救済を求めて、善い行為が死後に報われるという西洋的弁証法を礎に、人間を超えた存在が希望を叶えてくれるかもしれないという他者依存の現れだろうと自己解釈をしています。今回は創作活動に絡めた信仰に関する私見なので、以前の文章とニュアンスが異なります。そもそも信仰とは神仏を信じ、その威徳に頼ることですが、私は内面の脆弱とは別に、神仏以外のパワーの源になるものに頼っていると思っているのです。社会的ニーズがない創作活動で、しかも命が絶えるまで打ち込んでいこうとする意志は、信仰心以外には考えられないと思っています。それは特定宗教のような弁証法や戒律があるわけではなく、個人的な求道に過ぎませんが、何かが最終ゴールとして存在すると信じて疑わずに邁進していくのは信仰そのものではないかと感じているのです。

創作活動は信仰か?

私は特定の宗教を持っていません。実家の菩提寺は浄土宗ですが、私はとりわけ仏教に関心があるわけではなく、葬祭の時にだけ祖先の墓がある菩提寺に行く程度です。ついでに墓参りも疎い方ですが、最近は墓に行くと妙に清々しい気分になるのが不思議です。死の意識はそんなところから歩み寄っているのかもしれません。私は生きているうちに自らの死を概念化したいと願っていて、哲学的な自己死生観の確立が私を創作活動に掻き立てているのではないかとさえ思っているのです。ところで週末毎に生真面目に取り組んでいる創作は、何のためにやっているのか、前述した死生観は頭の中の思索に過ぎず、実際に陶土と格闘している行為は、常時無心と言った方が気持ちに合致するかなぁと思います。若い頃は芸術家としての立身出世欲があって、焦りや嫉妬もありました。長く継続しているうちに、そんなことはどうでもよくなり、純粋に創作を楽しむようになりました。そこで疑問なのは、楽しむだけで数十年も創作活動がやれるだろうか?ということです。しかも自己満足がなかなか得られず、他人にとってはどうでもいいことに尽力している自分は何者だろうか、自分は何を求めているのだろうか、私には自分のしていることがよく分からないのです。疑問に答えるべく考えたことは、特定の宗教を持たずとも信仰を持つことは可能ではないかと言うことです。私は何かを信仰している、創作を持続するパワーの源にあるもの、それを今までずっと敬虔に信仰しているのではないか、そう考えれば自分の行為が腑に落ちるようにも思えます。宗教観の乏しい自分は信仰の何たるかにも思いは及ばず、こんなことを信仰と言えたものではないのかもしれませんが、妙なことだとは知りながら、創作活動は信仰によるものという勝手な解釈をさせていただいています。神の存在を私は認知できません。それでも信仰はあるのではないかと思うこの頃です。

白金台の「EXOTIC×MODERN」展

先日、東京白金台にある東京都庭園美術館で開催されている「EXOTIC×MODERN」展に行ってきました。東京都庭園美術館は旧朝香宮邸を改修した美術館で、美術館そのものが美しいアール・デコ様式に統一されて、その室内装飾に彩られた空間で見る展示作品は、周囲と美的に対峙し得るものでなければならないと思っています。本展は副題を「アール・デコと異境への眼差し」と称して、アジアやアフリカの民族的なデザインを取り入れたモードや装飾、絵画や彫刻を展示していました。図録によると植民地美術との関係は複雑で、当地の略奪品を収蔵する博物館が出来たりして、政治的な意図もあったようで、単なる異国情緒だけではない事情も垣間見れます。「植民地的企ては、エキゾティシズムを我がものとすることで、過去の芸術家をうまいこと引き込んだだけでなく、東方風、アフリカ風、極東風といったピトレスクな趣を備えた魅惑的な装いでもって植民地的企ての野心を覆い隠すことに成功したのだ。」また別の文章では「アール・デコと植民地美術との間には深い類縁性が存在している。地球規模の美意識として構築されたアール・デコは植民地主義のうちにひとつの支えを見出していたが、それは芸術家らによって異国情緒たっぷりに仕上げられたイメージに加え、地方の製品、素材、職人技、さらには原住民の学生らによる作品までもアール・デコは促進していたからである。」(ドミニク・ジャラセ著)とありました。アジアやアフリカの民族的なデザインは確かにアール・デコの範疇に見事に収まっていて、今も美しさを感じさせます。私はモードやポスターにそれが顕著に表れていると思いました。個人的に私はアール・デコが大好きで、時折自分の創作にもアール・デコ的な要素を取り入れています。陶土に彫り込む市松模様がそれで、「地球規模の美意識として構築されたアール・デコ」と文面にありましたが、私にとってはまさに共感するデザインなのです。

横山崋山「祇園祭礼図巻」について

「『祇園祭礼図巻』がすごいのは、まずひとつには行列の情景や山鉾など詳細に記された記録的価値です。幕末の大火で焼失した山鉾も多くあるため、記録としての貴重さは増します。長い行列もすべて描き通している。しかもタペストリーの図柄など、はっきり細かい図柄まで表現されている。~略~記録的価値と同時に、やっぱり描き方のおもしろさというのが傑出している。アングルやトリミングを変えて、全体を見せたり、部分を見せたり、そういう変化を与えて長い行列を見る人に飽きさせないようにしている。このあたりの描写には非凡なものがあります。~略~この絵巻の記録が、山鉾復興に貢献しているものもあります。」(辻惟雄 談)先日出かけた東京ステーションギャラリーの「横山崋山」展で見応えのあった作品が、上下巻で全長30メートルにも及ぶ「祇園祭礼図巻」でした。これは崋山最晩年の作品で、横山崋山の再評価にも繋がる力作だろうと思います。また崋山の画業の集大成でもあると思いました。祭礼に群がる人々はいったい何人描かれているのか、そのひとり一人が全て異なった仕草をしていて、ずっと見ていて飽きない絵巻です。しかも保存状態も良く鮮明に残されているのが幸運でした。絵巻の中にあった薄墨を使って細密に描かれた「四条河原の納涼」や「祇園ねりもの」にも注目しました。祇園ねりものとは何か、図録に解説があったので引用します。「祇園の芸妓たちが、仮装した姿で花街を練り歩く仮装行列のことで、~略~祇園ねりものは芸妓の晴れ舞台で、旦那衆がスポンサーとなって贔屓の芸妓のために豪奢な衣装をあつらえた。番付を一つでもあげて、ライバルの芸妓に負けまいと、旦那衆はこぞって多額の金銭を援助した。さながら、現代のアイドル総選挙と重なる。」(八反裕太郎著)江戸風俗としても楽しい絵巻だなぁと思いました。

東京駅の「横山崋山」展

先日見に行った東京ステーションギャラリーの「横山崋山」展の情報が、奇しくも今朝職場にあった朝日新聞の「天声人語」に掲載されていました。横山崋山という名が「日本画の巨匠、横山大観とも渡辺崋山ともまぎらわしい」と書かれてあり、続く文章に「横山崋山は豪放な性格で、泥酔して暴れる癖があった。刷ったわび状をいつも懐に携え、酒席で迷惑をかけた相手には、即興で絵を添えて手渡したという。」とありました。へぇ、横山崋山はそんな人だったのか、そうとは思えない理知的で丹念に描かれた絵画の世界が本展では印象的だったために、この記事には驚きました。作者の性格と画業が違いすぎる場合も多々あるとは思いますが…。横山崋山は江戸後期に生まれ、京都西陣で機織業を営む旧家の養子になり、その縁で絵師曾我蕭白を知り、模写を通して絵を学んだとされています。既に故人だった蕭白の絵に似せた「蝦蟇仙人図」が蕭白のそれと比較して展示されていて、これは面白いと感じました。それにしても巧いなぁと思わせる数々の作品に目が釘付けになりました。最初に蕭白に学んだキャリアも異色だなぁと思っていましたが、その後蕭白の影響はあまり見られなくなくなりました。図録によると「奇想の系譜」を著した辻惟雄氏の談話の中にこんな箇所がありました。「(蕭白は)自分の気質とはあまりにも合わなかったのか。」「蕭白の絵のような奇矯さとは無縁の人ではないだろうか。」「非常に健康的な精神の持ち主であったというように私は思います。」という文章を拾い上げると横山崋山の画風が多少見えてきます。素朴な疑問としては、これだけの画家が何故今まで埋もれていたのか、図録には画業を体系的に捉えた文章がありました。「崋山の名品はその多くが欧米へ早くに持ち出されてしまい、それによって国内で崋山の画業を顧みる機会が減じたのは否めない。~略~さらに、崋山が御所障壁画の作画に携わっていない点は、関心を持たれず研究を遅らせた原因の一つと考えられる。~略~『略伝』には『崋山豪放にして当時の画家と敢テ交流せず』と記されるが、崋山は人付き合いが苦手だったのかもしれない。」(八反裕太郎著)絵は器用なのに人は不器用で世渡り下手な大酒飲みであるならば、世間に忘れられてしまうのも頷けます。本展の要である代表作「祇園祭礼図巻」は別の機会に書こうと思います。

週末 16個目の陶彫制作

今月は4回の週末がやってくるので、それに応じて4個の陶彫制作を目標にしています。昨日はタタラを準備した後、東京の美術館に出かけてしまったので、今日は朝から陶彫部品の成形と彫り込み加飾をやっていました。新作は50個近い陶彫部品で構成する集合彫刻ですが、現在焼成が終わっている部品が11個、成形と彫り込み加飾が終わって乾燥を待っている部品が4個あります。今日は5個目の作品を作りました。トータルで16個目になります。完成まで4分の1強になったところです。朝9時から夕方4時までという決めた時間帯に、成形と彫り込み加飾を確実に行うという自分のスタイルを今日も保っています。全体を構成するまでは、こうした職人的な作業で制作工程を進めていくのです。この順序よくやっていく作業は、気持ちとしては楽な仕事です。部分にしか関わらないのは近視眼的で、あれこれ見通すことがないため健康的な仕事と言えます。全体を考えるようになると、作品の良し悪しが見通せるようになって精神的な負担を強います。これは芸術家としての資質が左右する苦しい仕事になるのです。それまでは部品作りが続くので、焦りも休みもせず坦々と制作をするだけです。ただし、この労働の蓄積が最終的に作品に効果を齎せます。手間をかけた分だけ説得力のある表現になるのです。作業中に手許しか眼に入らなくなり、陶土との対話が始まる極上の瞬間も、こうした手間を惜しまない姿勢からくるものだと思っています。これは心理学で言うところのフロー状態のことを言うのではないかと思っています。スポーツで言えばゾーンです。少し前までは制作中にフロー状態はよくやってきて長く続いていましたが、今は滅多にやってきません。また長く続きません。加齢のせいなのでしょうか。しかも私は彫刻制作しかフロー状態を体験したことがありません。私にとって真に集中できるのは彫刻だけなのかなぁと思っています。少しでも長く彫刻制作に関わっていたい思いで、今日は昼ごろに久しぶりに近隣のスポーツ施設に水中歩行に行ってきました。先日痛めた右膝が万全ではないため水泳はせず、俄かに汗をかく程度の歩行にしました。夕方には16個目の成形と彫り込み加飾が終わりました。

文化の日に制作&美術館へ

11月に入って最初の週末になりました。今日は文化の日でもあります。家内が地域の文化祭に自作のジュエリーを出品していて、朝9時に家内を車で送るため、私は早朝7時から工房に行き、2時間程度制作をして来ました。明日、陶彫の成形と彫り込み加飾をするための準備として、大きいタタラを6枚作りました。家内を車で送った後、私は東京の美術館に行く計画をしていました。夕方までに帰宅して、家内を迎えに行く予定にしていたので、私は6時間で2つの美術館を回ろうと考えていました。初めに訪れたのは東京駅にある東京ステーションギャラリーでした。この会場で開催されている「横山崋山」展は、どこかで情報を得ていてその絵の細密さを知り、必ず見に行こうと決めていた展覧会でした。内容は期待通り圧巻でした。凄いと思ったのが京都の祇園祭を描いた「祇園祭礼図巻」で、山鉾巡行を賑わう人々まで克明に描写してあって、暫し眺めてしまいました。上下巻約30メートルにして延々と続く山鉾や人物たちの細密描写、横山崋山とはいったいどれほどの画家で、これほどの力量があったにも関わらず、今まで知られていなかったことに驚きを隠せません。詳しい感想は後日に改めたいと思います。次に向ったのが目黒にある東京都庭園美術館でした。この美術館は旧朝香宮邸を美術館として改修したもので、アール・デコ様式の美しい景観をもつ施設です。東京都庭園美術館の学芸員は、この独特な雰囲気に合う展覧会を企画しているようで、今回訪れた「EXOTIC×MODERN」展も美術館の内装によく合っていました。「アール・デコと異境への眼差し」という副題が示す通り、アジアやアフリカの民族要素を取り入れた当時のアール・デコ様式の作品の数々が展示されていました。これも詳しい感想は後日改めます。私が午後3時に帰宅したら、ちょうど家内から連絡が入りました。今日は文化に日に相応しい美術館巡りをしてきました。土曜日はいつもウィークディの仕事の疲れを残しているので、制作一辺倒ではなく、こうした鑑賞がいいのかもしれません。明日は制作を頑張ります。

11月RECORDは「枠」

11月のRECORDのテーマを「枠」にしました。RECORDは一日1点ずつ作っている小さな平面作品で、2007年から始めています。文字通り日々のRECORD(記録)で、イメージの出し易さを考えて5日間で展開するデザインを採用しています。年間で画面構成に規則を設けていて、今年は画面を矩形で区切るパターンにしています。その上で月毎にテーマを決めていて、11月は単純な「枠」というテーマにさせていただきました。今年は年間を通じて枠を決めてやっているようなものですが、額縁に収まる世界がイメージされていたので「枠」にしました。具体的にはステンドグラスが頭にあって、とりわけカソリックの荘厳な教会に嵌め込まれたキリストを主体にしたステンドグラスや、差し込む光の効果を狙った色彩の饗宴をRECORDにしようと思っています。毎年RECORDの絵柄を年賀状に使っているので、来年の干支であるイノシシを今月のRECORDに取り入れる必要もあります。今月も毎日きちんと作品が完成するよう頑張っていきたいと思います。

寒さ増す11月の過ごし方

11月になりました。私は今日からネクタイを着用しています。凌ぎやすい季節になって、創作活動に拍車をかけようと思っています。新作の制作状況は、2つの塔が連立する陶彫作品を作っていますが、床に接する1段目の陶彫部品11個は全て焼成が終わっています。そこに積み上げていく2段目の陶彫部品は、今のところ3個だけが成形と彫り込み加飾が終わっています。同時に3段目の陶彫部品も作り始めていて1個目の成形と彫り込み加飾が終りました。窯に入れる容量の関係で、これからは2段目と3段目の陶彫部品を同時に作っていくことになりますが、作ったばかりで乾燥が進まないうちは窯入れは出来ません。例年は11月から窯入れを始めていることがNOTE(ブログ)のアーカイブを見ると分かります。今月も4回週末がやってきて、そのうち3連休が1回あります。少なくても4個の陶彫部品が出来るかなぁと思っています。希望としては窯入れをしていない日に限って、ウィークディの夜間制作ができたらいいと考えていますが、不確定な部分もあります。鑑賞は都心の美術館や博物館では充実した企画展が目白押しなので、上手に時間を使いながら都心に出かけていきたいと思います。RECORDは現在の調子を崩さずに進めていきたいと思います。読書は現象学に引き続き挑んでいきます。つい目移りしてしまう書籍も数々ありますが、ここは難解な学術書を何とか理解したい思いを優先すべきところです。寒さが増していく季節ですが、今月も頑張ります。

秋めいた10月を振り返る

10月の最終日を迎えました。秋が深まって紅葉が見られるようになりました。あれほど暑かった夏も過ぎ、今では朝晩冷え込んできて季節の変わり目に暫し佇みながら、秋めいた10月を振り返っています。今月の陶彫制作は順調でした。4回週末があり、4点の陶彫部品の成形と彫り込み加飾が終わったのは良かったと思っています。週末毎にきちんと制作していたわけではないのに、ともあれノルマを達成しました。週末の過ごし方を調べると「かながわボッチャ2018」を綾瀬まで観覧に行ったり、職場の研修旅行があったり、女子美術大学の芸祭にお邪魔したりして、制作以外の時間が多かったのに驚きました。美術展は師匠が出品していた「自由美術展」(国立新美術館)を初め、「京都・醍醐寺」展(サントリー美術館)、「小原古邨展」(茅ヶ崎市美術館)、「ヨルク・シュマイサー展」(町田市国際版画美術館)の4つ、映画鑑賞は「運命は踊る」(シネマジャック&ベティ)1本だけに行きましたが、週末の過ごし方を見るとこれで充分なのかなぁと思いました。RECORDは恒例になった1年1回のカメラマンによる撮影があり、先月分までの画像がカメラに収まりました。現在もRECORDは毎晩きちんと作っています。職場では来年度を見据えた管理職の仕事が増えてきていて、私は結構忙しい日常を送っています。読書は挑んでいる現象学が難解すぎて、それを言い訳にしてかなり停滞気味です。来月は読書を頑張ろうと思っています。

重層空間という考え方

ドイツの版画家ヨルク・シュマイサーの連作版画に、異なるイメージを描いた版を重ねて、ひとつの画面を構成している作品があります。それを見ることで、私たちはあらゆる場面を同時に把握し、イメージの遠近感さえも感受することが出来るのです。私たちが眺めている視界には、さまざまなものが存在し、空間的にも時間的にもそれらをほとんど同時に認知しています。その詳細は現象学の領域になりますが、立体造形に関わっている私は、空間に対して自分なりの考えを持つようになりました。重層空間という考え方を、私はかなり前から意識していましたが、シュマイサーの版画を見たことが契機になって、重層空間のことを思い出したのでした。私たちから見える世界はすべて立体で成り立っています。当たり前なことですが、立体は全部の面が見えて初めて立体になるのです。私たちは立体の一部が見えているのに過ぎず、その表面だけで物の裏側を予想し、立体として解釈しているわけです。そう考えれば見えている全ての物は表層であり、私たちが立体を推量して成り立っているものばかりです。遠近ですら私たちの感覚的推量に他ならず、あらゆる状態に置かれた物を実寸のまま瞬時に把握するのは不可能です。写実的絵画の表現はそこに関わっていると考えられます。奥行をどう捉えるか、学生時代に空気遠近法を教わった時に、私の頭を過った発想がありました。その時、世界は演劇等で使われている紗幕に覆われていて、表層世界が幾重にも重なっているように私には感じられたのでした。重層空間という言葉は、表層が重なり合う状態をそう呼んでみようと私が勝手に思いついたアイディアです。平面に奥行をもたせるのは描写技巧ではなく、例えば紗幕に描いて幾重にも重ねてみる、それがたとえ記憶の刻印であっても下敷きになる記憶は、どんどん上積みされていくことで隠されて、やがて消去していく、新たな上書きが始まることで遠近が生まれてくるという次第です。下敷きにされた写実的形象なり記憶は、表現に深淵を齎すものと私は考えています。重層空間は絵画で言う空気遠近法とは違い、遠い風景や記憶であってもしっかり表現されたもので、それが覆い隠されていき、遠近と深淵が生じると私は信じています。私の拙い空間解釈ですが、いかがでしょうか。

AI絵画を巡る雑感

今朝の朝日新聞の「天声人語」は、人工頭脳(AI)が肖像画を描き、その作品が米ニューヨークの競売で4800万円で落札されたことを記事にしておりました。AIがついにここまできたかと思い、どんな絵画なのかネットで調べてみると、黒っぽい画面に輪郭のぼやけた男性が浮かび上がっている、言うなればありきたりな絵画でした。これをAIが描いたとなれば、話は違います。これはパリに拠点をおく芸術集団「オブビアス」が作り出したもので、アルゴリズム(計算手法)により、AIが15000枚の肖像画を取り入れて、その情報を基に描いた作品だそうです。「天声人語」の文章を引用します。「AI画家に欠けるものがあるとすれば、ゴッホが手紙に残したような情念であろう。『どんなにできが悪くっても、人間的なもののなにかを表現している作品をつくりたい』『そこに無限を描くのだ』(木下長宏著『ゴッホ〈自画像〉紀行』)精神の高揚、直感、描く対象への没入…。芸術を芸術たらしめる心の働きは人間だけが持つはずだ。しかし、そんなふうに書きながらも、よぎってしまう疑問がある。本当に?」と最後の文章にありましたが、記者が「本当に?」としたところに私も共感して微妙な気分になりました。AIはどこまでいくのか、人間の特権である創造行為は、たとえ夥しいデータを入力したAIであっても無理な領域ではないのか、それとも私たちも記憶を基に創造行為をしているので、そこまで追いつくことが可能なのか、模倣に模倣を繰り返すうちにAIも新しい世界観を身につけることが出来てしまうのか、ちょっと前までは考えられないようなことが、これから起ころうとしています。ところで私たちが芸術活動の中でしてきた失敗作をAIもするのでしょうか。AIも情念や抒情的感傷を持つのでしょうか。いろいろな仕事がAIに取って代わるという話を聞いていますが、まさか私は芸術家までとは思ってもいないのです。

週末 RECORDの撮影日

1年間で1回だけRECORDをカメラマンに頼んで撮影していただいています。昨年の10月から始まり、今年の9月で締め括る1年間365点分のRECORDの撮影です。撮影は照明や角度を決めて、1点ずつ丁寧にやっていただいています。それをホームページにアップしていくのです。オリジナルのRECORDは横浜市民ギャラリーで1年間分だけ額装して発表したことがありますが、365点の展示はあまりにも大変だったために、現在はホームページ上での発表にさせていただいています。私は工房で陶彫の作業をしながら撮影を垣間見ていると、1点ずつ撮影台に乗せられていくRECORDの制作当時の思いがこみ上げてきていました。自分では時間に追われながら難なくやってきたと自覚していましたが、1点ずつを具に見ていくと苦労した跡も思い出されて、毎晩頑張っている自分を褒めてやりたいと思いました。もう10年以上も継続していますが、ここまでくると止めようとは思わなくなりました。陶彫制作も同じです。今日は新作の土台になる最後の11個目の陶彫部品の窯入れを行い、その上段になる陶彫部品4個目の成形と彫り込み加飾をやりました。私は規則正しく制作していくことが大好きです。そこに気分的な情緒はありません。気分が乗る乗らないを標榜する芸術家気質とはつくづく違うなぁと思っています。ウィークディの公務員職と同じで、決まった時間に制作をしているのです。それが自分にとって自然で楽な方法なのです。

週末 美大の芸祭を訪ねて…

各美術系の大学が学園祭、美大では芸祭と呼んでいますが、開催する時期になりました。工房に出入りしている美大生がいて、彼女が在籍する女子美術大学の芸祭に行ってきました。これから美術系の大学の進学を考えている3人の女子たちも連れて行きました。私はこの歳で若い10代の女子たちに囲まれる華やいだ雰囲気を味わうことになって、少々戸惑うこともありますが、工房スタッフの若返りを考える時期なのかもしれません。ともあれ私が彼女たちに元気をもらえたことは確かです。芸祭の展示会場で見た美大生の若々しい作品の数々にも元気がもらえますが、課題も少なからず見えてきます。大学での4年間は自己を見つめる珠玉の時間であると私は考えています。上手くいくこともあれば、失敗もありますが、美術を通して自分の生き方を考えられる貴重な時間であることに異論はありません。たまたま絵画科主任教授と知り合えて、その研究室に通され、私の職場との連携を考えるきっかけになったことが、今日の収穫かなぁと思いました。連れて行った若い女子たちの1人は染織、他の2人はビジュアルデザインの作品に興味を示しました。ITでアニメ系のポストカードを制作販売している自主展示の部屋では、女子3人とも盛り上がっていました。その光景に今どきの子の趣向はこういうことかと思いました。中庭にあるステージではコスプレをしたグループが歌や踊りを披露していました。これも日本の現代社会を垣間見るひとコマだったと思いました。国際情勢がどうあれ現在の日本は平和です。この平和の謳歌がいつまでも続くといいなぁと思いました。芸祭や卒業制作展に行った折にいつも感じることですが、美術系の大学を卒業した学生たちは、どんな進路を思い描いて社会に出て行くのでしょうか。アートが夢を追う仕事である以上、社会のニーズに合わないこともあります。立派な施設環境の中で、思い切り自己表現を磨いた学生にとって、社会人生活との差はどう埋め合わせるのでしょうか。学生時代は夢追いの打ち上げ花火として封印してしまうのでしょうか。美術的な自己表現活動が出来なくても精神性を高められた時期として、自分の中で納得してしまう学生も少なからずいるのでしょうか。私のように気持ちの整理が出来ず、諦めの悪かった学生は、二足の草鞋生活を送るのでしょうか。毎年考えさせられることですが、学生時代に刻まれた彫刻の魅力に今も逃れられない自分に重ね合わせて、頑張る学生たちにエールを送りたいと思います。

HPのGalleryに「発掘~表層~」アップ

この度、ホームページのGalleryにアップさせていただいた「発掘~表層~」は、当初彫刻的な発想はなく、絵画として制作しようと考えていた作品でした。途中から床置きの彫刻に切り替えたのには理由があります。その頃、自分の中で空間とはどのようなものか、立体が存在する現象を根本から思索していた時期がありました。「発掘~表層~」は2016年に発表した作品でしたが、2014年にハイデガーの「存在と時間」を読んでいて、私には曲がりなりにもモノの存在を問うスタンスが出来ていました。私は「見えているものは全て表層である」と考え、それを知覚した上で、人はモノの成り立ちを考察し、その裏側を予想して、全てのモノを立体として解釈しているという意見を持つに至りました。甚だ雑駁ですが、表層は即ち平面という短絡的な結びつきで、私は絵画を制作していこうと決めていました。それは美術史に於ける写実絵画とは異なり、陰影を伴う立体感を求めず、モノの表層を表現したいと思っていたため、発想途中で方向転換を迫られることになりました。リアルな空間やら存在という発想自体が絵画性とは相入れないものであったことに気づき、結局限りなく平面に近づく彫刻に落ち着いたのでした。「発掘~表層~」はそんな背景を持つ作品です。私のホームページに入るのは左上にある本サイトをクリックしてください。ホームページの扉にGalleryの表示が出てきますので、そこをクリックすれば今回アップした画像を見ることが出来ます。ご高覧くだされば幸いです。