藤田嗣治流「宗教画」について
2018年 9月 25日 火曜日
「晩年に専念した宗教的主題の作品において、15世紀のフランドル絵画を模範として取り入れたのは偶然ではない。かつて戦争中には同じように、ナポレオン風の身振りが描かれた大作(ジェリコー、グロ、ジロデ、ドラクロア)を参照することによって、フジタは大画面の戦争画の様式を獲得したのだった。~略~より厚みを増して正確さを欠いた描線、白っぽく薄い色彩からは、かつてのような称賛すべき技巧は見られないが、特にフジタが妻の君代とともにモデルとなって描かれている宗教画においては、当惑あるいは居心地の悪さとでもいうべき印象を受ける。~略~彼を特別な存在にしていた、あの魔力、あの優美、あの素朴は失われていた。」(ソフィ・クレブス著)これは「藤田嗣治展」の図録に収められていたパリ市立近代美術館文化財保存統括監督官からの一文です。フランス人からの手厳しい評価と受け取れますが、相互の視野を念頭に入れれば納得できるところもあります。画家藤田嗣治は日本人側から見れば、よくぞ異文化の中で存在感を示したと評価されるところですが、西欧から見ると乳白色の下地に裸婦を描いていた時代以外は、評価に値しないと思われているようです。私は藤田の描いた宗教画に感銘を受けたことがあり、晩年になっても衰えなかった画力に今も惹かれています。美術館だけでなく、各地の教会に点在するキリスト教の宗教画は、長い歴史や層の厚みから私は異文化の最たるものを感じ取って辟易した記憶があります。私にとって宗教とは何か、実家の菩提寺である浄土教にしたって私は認識が足りず、とても宗教なんて作品のテーマに出来るものではありません。私はこの歳になって漸くキリスト教美術の良さを受け取れるようになったのです。藤田は晩年になってどんな思いで宗教画を描いたのか、私は師匠の池田宗弘先生と重なってしまうところがあって、自分なりに考えてみたいと思っています。