日本海側や東北各地からすれば驚くに値しないことですが、橫浜にしてみれば今年初の積雪です。私の家は小高い丘の上にあって、急な坂道を下らなければバス停留所に行き着けません。何年か前の通勤時にそこで滑って背中を強打しました。そのトラウマがあるため、雪が降ると坂道を迂回して、工房のある畑から階段のある小道を通ってバス停留所に向かうようにしています。ちょうど今週は窯入れをしていて温度の確認のため工房に立ち寄るので、この階段の小道への迂回は都合が良いのです。今朝6時20分に工房に行きました。窯の周囲はほんのり温かくなっていて、雪の降りしきる中にホットな空間が出来ていて嬉しくなりました。バスや電車の運行の遅れが気になって、工房でぐずぐずしていられず、再び雪の中を歩き始めました。歩きながらボンヤリと今日のことを考えていました。今日の午前中は職場に来客がある予定だなぁと思い、また午後は職場とは別の場所で研修会があり、夕方もう一度職場に戻って夜の会議に備えなくてはならず、今日の盛りだくさんのスケジュールを頭に描いていました。明日は週末ですが、1月最後の日になります。窯出しをして、次の成形をやろうと思っています。
大地を造形する「丘陵」
2015年 1月 29日 木曜日
なだらかな丘が幾重にも重なる広大な風景。日本では潤んだ緑色の雑木による風景が一般的ですが、自分が滞欧中に旅した地中海沿岸は砂丘や土漠による乾燥地帯がありました。そこに点在する村落や遺跡の数々。自分の創作へ向かう原点がそこにあります。あれから30数年も経っているのに、自分はその時の雑多な印象を結晶化させ、自分なりの心象風景を創り上げてきました。現在制作中の「発掘~群塔~」は大地に霞む塔の数々を造形していますが、これから作る「発掘~丘陵~」は同じイメージによるもうひとつの展開です。丘陵は人工的に作られたものという想定で、そこに点在する円柱のような遺跡がテーマです。円柱40個は同一の大きさにして陶彫で表現します。赤錆で化粧を施す陶彫は黒褐色になり、恰も出土品のような雰囲気が漂います。陶彫は窯の中で炎神によって鍛え込まれ、鎧を纏った勇者のようにも思えます。丘陵の部分は木材による積層を砂で覆います。砂に油絵の具を染み込ませ、陶彫との同化を図ります。こうした象徴世界に辿り着くまでに幾度となく具象の風景を篩にかけてきた結果が「発掘~丘陵~」なのです。
PCのネットが繋がらなかった日
2015年 1月 28日 水曜日
先週、自宅にあるパソコンのモディムが何か変だと気づき、一時ネットが繋がらなくなりました。これは自分の手に負えないと思ってサポートセンターに連絡しました。簡単な対処で復旧しましたが、現在の自分の生活を振り返ると、パソコン抜きでは考えられないものになっています。インターネットによる情報は新聞より早いし、何かを調べるのにこれほど便利なものはありません。それに慣れてしまっているせいか、パソコンがないと忽ち不自由を感じてしまいます。スマートフォンにも同じ事が言えます。こうしたICT機器が普及したのは最近のことだと思いながら、安易で便利な方に流れる生活を送っていると、機器が全て破綻したときに何も出来なくなってしまうのではないかと危機感を募らせます。私たちの世代は、それでもまだアナログな環境が記憶の隅に残っているので、機器がなければないで何とかするように思えます。子供たちはどうでしょうか。通勤電車の中でスマートフォンを指で摩っている多くの人を見ると、一方でコミュニケーションの重要性を説きながら、我一人の世界に耽る現実に複雑な思いを抱いています。
木版画を懐かしむ
2015年 1月 27日 火曜日
山梨県のワイン会社の新作ワインにつけるラベルを制作中です。何とか時間を捻出して木版画でやっています。切り出し刀でラインに沿って彫り込みを入れていくと、若い頃が思い出されます。当時の自分の頭には、K・コルヴィッツやR・キルヒナーのドイツ表現主義の画家たちが作っていた木版画がありました。それは浮世絵の彫り師のような丁寧な彫り方ではなく、彫り傷や彫り跡を敢えて残して、そこに不安定で不穏な世相を反映させる意図があったように思いました。現在自分がやっている木版画は丁寧な仕上げを考えています。19世紀末に西欧で興ったアール・ヌーボー様式を取り入れています。自分はやはり版画が大好きで、彫りに挑んでいると時間が経つのを忘れます。象徴的な世界が創出されてくると、それをどんどん発展させて連作にしたくなります。今のところは時間もないし、依頼されたラベルだけで我慢していますが、そのうち版画の再開はきっとあるだろうと思います。工房には未だ使っていないエッチングプレス機が眠っています。銅版画も制作可能なわけですから、自分が版画の世界にますます魅了されるのは時間の問題でしょう。
HPのRECORD4・5月分とLANDSCAPE1点アップ
2015年 1月 26日 月曜日
私のホームページにRECORDの2012年4・5月分とLANDSCAPE1点をアップしました。この年のRECORDは漢字2文字を毎月のテーマにしていました。4月は「飛翔」、5月は「対話」でした。作品を見ると当時の気分を思い出します。ちょうど職場の異動があって、橫浜駅近くの都会的な職場にやってきた時でした。飛翔や対話を題材に選んだのはそんな自分の仕事環境の影響があったと思います。新しい環境で自分を高めていきたいと願ったためと述懐しています。LANDSCAPEは文字通り風景の中に作品を置いて撮影したものです。今回アップした作品は小さいパーツから大きなパーツへ段階的に変化する作品で、自分の中では小作品になります。それでも野外で撮影するとスケールが出てくるのが不思議です。光や風を感じさせる野外撮影は、自分の世界に刺激を与えます。LANDSCAPEは今後も増やしていきたい分野です。私のホームページにはNOTEの左上にある本サイトをクリックしていただければ入れます。ご高覧いただければ幸いです。
週末 陶彫らしい作業 その2
2015年 1月 25日 日曜日
昨日に続いて朝から工房で陶彫らしい作業に明け暮れました。今日の作業は乾燥した大きめの陶彫部品7点を仕上げ、化粧掛けを施す作業でした。これは創作的な行為とは言えず退屈な工程ですが、窯入れ前に必ず行うものです。陶彫は柔らかい陶土を成形するので、指跡が残ったり、きちんとした矩形の彫り込みが出来なかったり、幾何的な形態を作ろうとすると、なかなか困難なところがあります。そこで生乾きの時に、いびつになったカタチをきちんとした矩形に修整します。さらに乾燥してからヤスリや鉄ベラを使って彫り込み加飾した部分をもう一度修整するのです。それから2種類の化粧を施して、窯に入れることになります。炎の神に委ねる前の儀式のようなものですが、焼成した後の効果がまるで異なってしまいます。あたかも古びた金属のような雰囲気が漂うのは、こうした手間が関係しているのです。作品を観賞された方から、これは錆鉄ですかと聞かれることがあります。いいえ、これは陶ですと答えますが、そんな素材の錯覚も楽しいと感じています。今日はそんな作業で7時間を費やしました。今週も2回の窯入れを行います。来週から再び成形を開始します。
週末 陶彫らしい作業
2015年 1月 24日 土曜日
今日は朝から工房に篭りました。まだまだ寒い日が続いています。ストーブに噛り付きながら作業を進めています。今日はいかにも陶彫らしい作業になりました。まず窯出しがありました。窯に入れてあるのは大きな陶彫部品が4点ですが、今週は水曜日にも窯出しをしているので、今週は大きな陶彫部品が計8点出来上がりました。窯出しは、陶で作品を作り始めた時から、緊張で胸が高鳴る工程です。作品が炎の神の御手から現実の世界に戻ってくるからです。作品は大きく変貌します。専門的には土が石化すると言いますが、自分には長旅をして帰還した勇者のようにも思えます。鎧は炎の嵐の中で硬化して強固な造形に生まれ変わります。成功していれば陶彫が楽しいと思える瞬間なのです。逆の場合は大変つらい瞬間になります。ともかく今回は成功しました。窯出しの後、土練りを行いました。土錬機を回して、別の陶土同士を割合を考えて混ぜ合わせます。これもいかにも陶彫らしい作業です。明日は次の窯入れのための準備をします。仕上げや化粧掛けも陶彫らしい作業と言えます。
毎朝確認する窯の温度
2015年 1月 23日 金曜日
今週は週2回の窯入れを行っています。日曜日の制作が終わった後の時間に窯入れをすると、水曜日に窯出しができます。引き続き水曜日の帰宅後の夜に窯入れをして、土曜日の制作前に窯出しをするという、制作サイクルならず焼成サイクルを実践しています。これが回り始めると次から次へと焼成が終わるのですが、ただし放置してある作品の乾燥に時間がかかるため、窯に入れる作品が間に合わないことがあって、焼成サイクルは制作サイクルほど上手く回りません。週末の制作サイクルとウィークディの焼成サイクルが噛み合うと、陶彫は忽ち出来上がってくるのですが、今まで上手くいった試しがなく、これは仕方がないところです。このNOTE(ブログ)を書いている時点では上手くいっているので、出勤前に毎朝工房に立ち寄って窯の温度を確認しています。私は朝6時半頃に自宅を出ますが、バス停留所までちょっと遠回りをして工房に寄ります。窯がどのくらいの温度を示しているのか確認するだけで幸せな気分になれるのです。
外国での気分を述懐する
2015年 1月 22日 木曜日
昨日まで読んでいた「保田龍門・保田春彦 往復書簡1958ー1965」(武蔵野美術大学出版局)は、自分に創作の原点を思い起こさせるのに充分な説得力があって、書簡ひとつひとつのやりとりにリアルな重さを感じずにはいられませんでした。1980年代、私もオーストリアの首都ウィーンで小さな彫刻や日本の墨によるドローイングを試みていました。何点か作品が売れたこともありましたが、生活費を稼ぐため観光ガイドや日本食料品店の棚卸しのアルバイトをやっていました。本書で描かれている保田春彦先生の生活実態と似た自分がいて、何か鬱々とした気分の中で、自分のオリジナルを探し求めていました。ニーズのないモノを作っていることに自己生存価値を問うことも屡々ありました。ただ保田先生のように、同業で視野の広い親の存在が自分にはなかったので、本書を読むと雲上の羨望がつき纏いますが、これとて自分には独歩の気儘さがあって、多少の遠回りはしたけれども現在も彫刻を作り続けているのは幸いとしか言いようがありません。外国での自分の生活は人に恥ずかしくて言えるものではなく、アルバイトがない時は、学校へも行かず散歩ばかりしていました。そういう意味では保田先生は家族を抱えて、時間を見つけては彫刻に打ち込む姿勢があって尊敬に値します。自分は異文化気分の怠惰な中で、それでも今日に繋がる創作の糸口を見つけ、カタチの熟成があったことが今でも信じられないほどです。若い頃は漠然と暇を貪り、今は二足の草鞋生活で多忙を極めています。それが運命だったのかと今更になって思うこの頃です。
「保田龍門・保田春彦 往復書簡1958ー1965」読後感
2015年 1月 21日 水曜日
「保田龍門・保田春彦 往復書簡1958ー1965」(武蔵野美術大学出版局)を読み終えました。遅々として進まなかった書籍を、仕事の合間を縫って畳み込むように読んでしまいました。本書の最後に美術評論家酒井忠康氏による解題がありました。それによると「父龍門が、自分もまた息子と似たような人生を生きたことに対する苦い思いを縷々手紙に記している。そういう理由から、わたしは『芸術の道を選んだ息子に宿命の印を押して突き放している』と書いたけれども、息子春彦は西洋文明・文化への情景と畏敬の念をつよく懐いて渡航の途についたことにかわりない。」という箇所があり、父子共にそれぞれの時代の西欧に学んだ様子が、具体的に些細な部分も疎かにせず、しかも克明に描かれていました。また、「本書は、親子『ないしは身内の者同士』の心くばりの通信をたばねた書簡集である。したがって第三者的な視点に立つばあいにも、どこか言葉の端々に親子がたがいにわが身に照らして語る自省の意識を感じさせるものがある。父子ともども直言の人であるのにかわりないが、わたしには人生という盤面を挟んで二人が最善手を探し求めて指している一種の棋士のように映ってもいた。求道者の横顔をみたといってもいい。」という一文は親子でなければわからないところがある反面、創作に打ち込む上で、一貫して凛とした姿勢が見て取れて、思わず襟を正したいと感じたところも少なからずありました。これは環境的にも教育的にも特異な書籍と言っても過言ではなく、自分に忘れることができないほど強烈な印象を残しています。
竹橋の「高松次郎ミステリーズ」展
2015年 1月 20日 火曜日
週末は制作工程に追われていて美術館に行けないことがあります。それでも見たい展覧会がある時は、金曜の夜間延長時間帯に行くようにしています。先週金曜日に勤務時間が終わった後で東京竹橋まで出かけ、国立近代美術館で開催中の「高松次郎ミステリーズ」展を見てきました。昨年、「赤瀬川原平の芸術論展」を千葉市美術館に見に行った際、赤瀬川氏と同時期に活躍した前衛芸術家の展覧会をどうしても見ておかなくてはならないと思ったのでした。1960年代に立ち上げた「ハイレッド・センター」は「ハイ」(高松)「レッド}(赤瀬川)「センター」(中西夏之)という3人で構成された前衛集団でした。故高松次郎は人間の認識を問いかけた作品で知られた作家です。本人は「人間は結局、自分の外にあるものごとを十全に捉えることはできない。ものごとは人間の偏った認識によって汚されている。」と語っていて、その延長線上に有名な「影№273」や遠近法を問題視した「遠近法の椅子とテーブル」があります。「影を『影だけを』人工的に作ることによって、ぼくはまず、この実体の世界の消却から始めました。『それはあくまでも消却=不在化であって超越ではありません。』この世界の中で『完璧性』を追求するために、それは最も素朴でストレートな方法だろうと思います。」次に図録解説による影と遠近法の関係性について書かれた箇所を引用します。「絵画の線遠近法の場合、地平線上の消失点に近く、キャンバス面から遠いほど、モノは小さく描かれます。~略~しかし影の場合はどうでしょう。~略~反対に光源から遠く、キャンバス面に近いほど、ものの影は小さく『というより等物大に』なります。このように、絵画の遠近法のたとえをあてはめてみる時、影は逆遠近法的な性質を持っているということができます。」昨年よりモノの存在を考えている自分にとっては面白い展覧会でした。
往復書簡の中のコトバ
2015年 1月 19日 月曜日
「今日の世界各地の青年層の彫刻が、在来のモチーヴを拒否し、素材を鉄骨や屑物や、極めて広汎に自由に駆使する面白さもある点まで解る。翻って、裸婦や人物像が今迄通りに繰り返へされてゐては、鼻むけもならぬ気持も解る。中世を求め、推古白鳳に漸く足がかりを見出そうする僕等の世界からは、何といふ大胆さと自由さであらう。~略~素描の自由さと量感の豊満さは、彫刻の限られた技法の制約により解放されてゐるのは、一層喜びである。望んでゐまいが、作品の中で、僕は、或は城壁を見、聖堂の壁面を見、ウッチェロの『戦争』を思い出させ、何か君(春彦氏)の滞在の見学が、かうした形で昇華するのかと頼もしくなる。非象の中の具象…妙な言葉だが、僕にはその道は、人類の過去の芸術行程と握手する新しい行き方だと見てゐる。」(1962年10月23日 保田龍門)とあるのは現在読んでいる「保田龍門・保田春彦 往復書簡1958ー1965」(武蔵野美術大学出版局)の中のコトバです。本書は彫刻家親子のそれぞれの環境や思索をやりとりした書簡であって、具象彫刻を全うする父から、抽象彫刻で活躍を始めた子への愛情溢れる批評とも感じられます。1960年代の彫刻の動向を世界規模で語る龍門氏のコトバに、自分は感銘を受けました。同業である父のコトバは、自分には雲上の羨望でもあり、また父の掌中で苦闘する春彦氏の並々ならぬ事情が飲み込めてきたように思えます。
週末 新作の陶彫制作開始
2015年 1月 18日 日曜日
ここで言う新作は「発掘~群塔~」のことではありません。もうひとつの新作のことで、題名はまだ決めていません。実は土台は数年前に作っていました。砂マチエールを施した黒い直方体4体が土台になります。そこに陶彫部品を40個ほど組み合わせる構造になりますが、その陶彫部品を全く作っていないのです。所謂途中で放置した作品というわけで、当時の完成予想図を思い出しながら、今後制作をしていこうと考えています。イメージを完全に掘り起こすことは難しいので、多少異なる作品になっていくことは仕方がないと思います。何故放置したのか、これは途中で気に入らなくなったわけではなく、今になって土台を見ても制作当時の意欲が感じられるものです。真相は土台の制作を始めたところ、次のイメージが出てきて、それに囚われてしまい、優先順位を変えなければ精神的に参ってしまいそうだったので、急遽次のイメージによる作品に取りかかったのでした。併行してこの作品も作っていこうと思っていたのですが、時間的に無理が生じ、そのまま放置に至ったのでした。やっと今になって土台に接合する陶彫部品を作り始めました。今夏の完成を目指して頑張っていこうと思います。今日の作業はそれだけではなく、午後に「発掘~群塔~」の木彫部分の材料を買いに出かけました。厚み10数センチの板材を彫っていきます。彫り始めをいつにするか、これも考えていかなければなりません。やることが多すぎて骨が折れますが、限られた日程の中で何とかやっていくつもりです。
週末 「群塔」制作サイクル
2015年 1月 17日 土曜日
昨年も「発掘~層塔~」を作り上げていく過程で、土練・タタラ・成形・彫り込み加飾・乾燥・仕上げ・化粧掛け・焼成のうち、放置しなければならない乾燥と焼成を除いて、それぞれの制作工程が効率よく回るための制作サイクルを考案しました。次々と陶彫部品を作るために数点をグループとして段階を変えて取り組むのが制作サイクルです。現在もタタラを作るため小分けした陶土が3個、彫り込み加飾をする段階の作品が4点、仕上げや化粧掛けをする段階の作品が13点あります。昨年の意識が続いていて、今年は自然に制作サイクルが出来上がっている状況です。ただ、昨年と異なるのは現在の作品には木彫が入ってくるのです。陶彫部品の制作サイクルをどこかでストップして、木彫に取り組まなければならず、これはなかなか厳しいなぁと思っています。今日はその制作サイクル遂行のため、陶土3個をタタラにして、それを使って5点の小さな成形を行いました。既に成形してあった陶彫部品4点のうち1点の彫り込み加飾を行って今日の作業を切り上げました。朝9時から夕方4時までの作業時間は今まで通りです。明日も続行です。
「シャトーブリアンからの手紙」鑑賞
2015年 1月 16日 金曜日
時々ミニシアターに出かけ、大手の映画館で上映される機会のない名作を味わっています。先月も橫浜で「悪童日記」を観ました。「シャトーブリアンからの手紙」は橫浜では終わっていた作品ですが、川崎の新百合ヶ丘にあるアルテリオ映像館が上映中だったので、早速観てきました。第二次世界大戦下のフランスの一地方が映画の舞台でした。ドイツ人将校がフランス人により背後から暗殺されたことが発端になり、ヒトラーがその報復に150人のフランス人捕虜を殺せと命令を下したことでドラマが展開していきます。躊躇するドイツ人将校たちと人選を余儀なくされたフランス人副知事。冷酷に描かれるドイツ人の中にも人命に対する畏怖の念が錯綜し、銃殺で失神するドイツ兵がいると思えば、故国の自由を叫んで潔く死んでいくフランス人政治犯たちがいました。結婚したばかりの学生や17歳の少年も銃殺刑に処される場面もあり、これは人間の尊厳を謳う映画であることは間違いありません。大きな戦争の中では、小さなエピソードであったかもしれないシャトーブリアンでの事実。これは当時の記録者の複数の事実を繋ぎ合わせて映像にまとめ上げた秀作と言えます。映画を見終わった後、観客に暫し静寂が訪れました。
「青と金色のハーモニー:ピーコック・ルーム」
2015年 1月 15日 木曜日
画家ホイッスラーが建築家トーマス・ジェキルと協働制作した室内装飾「青と金色のハーモニー:ピーコック・ルーム」を一度見てみたいと思っています。現在、横浜美術館で開催中の「ホイッスラー展」には映像での紹介がありましたが、ジャポニスムを意識した装飾が見事で、青海波風のパターンに惹かれてしまいます。扉に描かれた孔雀も装飾化が美しく、また壁に描かれた2羽の孔雀は蒔絵を思わせる流麗さがあります。実物を見ていないので、直接感銘を受けたわけではありませんが、映像によってもその美しさは伝わってきます。ホイッスラーは最初の家主レイランドに断りもなく、家主が不在中に全面的に装飾をやり直した記録が残っています。支払いを巡ってホイッスラーはこの家主と不仲になり、次の家主フリーアによってこの室内装飾はロンドンからアメリカのデトロイトに移築され、さらにワシントンのフリーア美術館に移築される運命を辿りました。「青と金色のハーモニー:ピーコック・ルーム」は3回の移築によって保護されている室内装飾なのです。陶磁器を飾る棚がリズミカルに並び、天井絵にも孔雀の羽根のパターンがあります。ジャポニスムに魅了され、空間全てを東洋趣味で覆ったホイッスラー。いつか機会があればフリーア美術館の「青と金色のハーモニー:ピーコック・ルーム」を訪れてみたいと願うのは私ばかりではないでしょう。
橫浜の「ホイッスラー展」
2015年 1月 14日 水曜日
先日、横浜美術館で開催されている「ホイッスラー展」を見てきました。ホイッスラーはてっきり英国生まれの画家と自分は思っていましたが、米国生まれだったことを知りました。ホイッスラーが生きた時代は、印象派以前のクールベ等が活躍したリアリスムの時代から印象派画家たちが日本の文化芸術に関心を示した時代に亘り、ホイッスラーもジャポニズムに魅了された一人になりました。当時、ホイッスラーの唱えた「芸術のための芸術」とは、ホイッスラー自身の言葉を借りれば「絵画作品は独自の価値をもつべきであり、芝居や伝説、あるいは特定の地方と結びつく関心に依拠するべきではない。」という原理のことで、神話や伝説に題材を求めた絵画から写実表現へ向かわんとして、「芸術は全ての不純物から独立しなければならない。」と唱えるに至ったようです。ホイッスラーの題名にも音楽用語であるハーモニーやノクターンが純粋な美的価値観を表すものとして再三登場しています。ホイッスラーは、当時の絵画に主題ではなく真の美を求めた革新の画家だったと言えます。その後の時代に続くホイッスラーの絵画の中で、自分は「16点のテムズ川の風景エッチング集」が気に入りました。線描のタッチの抑揚が何とも心地よくて、色彩がないにも関わらず色彩豊かな情景が表れていると感じました。こんなふうに描いてみたいと意欲を掻き立てられるものがありました。ジャポニズムについては後日にしようと思いますが、潤いで満たされた画家の静かな絵画世界に触れて、快い気持ちになれたのは事実です。
遅々として進まぬ往復書簡読書
2015年 1月 13日 火曜日
職場に持っていって休憩時間に読もうと決めた「保田龍門・保田春彦 往復書簡1958ー1965」(武蔵野美術大学出版局)ですが、読書は遅々として進みません。休憩時間が取れない日が多く、そうかといって読み出すと面白くなって仕事に戻れなくなってしまうのです。通勤時間帯に読んでいる書籍は定期的に時間を決めて読んでいるので、確実に読書が進んでいきますが、職場にある書籍は放ったままになっている状態で、往復書簡を読みたい思いに常に駆られています。同書はサイズが大きく分厚い書籍で、鞄に携帯するには重くて厳しい書籍です。現在やっと保田春彦先生がシルビアさんと結婚するところまで読み終わりました。当時の先生の作風は既に抽象になっていて、その後帰国してから作られたステンレスや鉄を使った隙のない緊張した抽象形態の彫刻を考えると、その頃の作品の数々に自分は興味津々です。滞欧中の「縄文」と名付けられたセメント直付けの作品写真を見ると、日本の風土に立ちながら新しい空間を模索する保田先生の足跡が見て取れます。ガッシュによる平面作品には心情を訴える迫力もあって、パリやローマで先生が奮闘していた姿に、自分も勇気をいただいています。早く先が読みたいと思いつつ、時間ばかりが過ぎていく今日この頃です。
三連休最終日 制作&ミニシアター
2015年 1月 12日 月曜日
今日で三連休が終わります。今日は成人の日で好天に恵まれた日になりました。朝から工房に篭って制作をしましたが、今日は成形や彫り込み加飾が終わって乾燥させている作品から数点を選んで、仕上げと化粧掛けを行いました。今日は今年になって窯入れの第2弾をやる予定でした。表面を丹念にヤスリ掛けして抽象性に磨きをかけ、化粧を施して窯に入れました。大きい陶彫部品から窯入れしているので、今回も前回同様4点しか焼成できないことになりましたが、大きい作品は失敗すると、かなりのダメージになり、早めに手を打つためにも焼成を先に行っているのです。月曜日の窯入れなので、今週も日程を考えると1回しか焼成ができません。窯に蓋をしてしまうと神のみぞ知る世界になります。三連休の制作は自分なりによく取り組んだと思いますが、欲を言えば制作工程をもう少し進めることができたのではないかと振り返っています。いずれにせよ寒さとの闘いで、身体の疲労も結構あったと実感しています。今日は夕方になって家内とミニシアターに映画を観に出かけました。川崎市アートセンター内のアルテリオ映像館は新百合ヶ丘にあります。自宅から自家用車で50分くらい。観たかった映画は仏独合作による「シャトーブリアンからの手紙」で、ナチスドイツに支配されていたフランスの一地方で行われた不条理な集団銃殺を描いたものでした。こういう映画はミニシアターでないと上映しないかなぁと思いつつ、重いテーマを扱ったドラマをじっくり鑑賞しました。詳しい感想は後日改めます。昨日は美術館、今日は映画館に出かけて、三連休は制作だけではなく鑑賞も充実していました。
三連休中日 制作&美術館散策
2015年 1月 11日 日曜日
三連休の中日です。左肩が若干痛む中で、朝から工房に行って制作をしました。昨日タタラにしておいた陶土を成形し、紐作りで補強をしました。成形は3点終わりました。今日のところは彫り込み加飾は出来ず、この作業は持ち越しになりました。朝の工房は凍えるほど寒くてストーブから離れられません。陶土は水を含むので手が悴んでしまいます。朝9時から始めて1時間くらいでやっと暖かくなります。成形には神経を使います。また身体を捻ったり屈んだりするので身体に負担がかかりますが、作業中は無我夢中なので疲れを感じません。疲れは後からやってくるのです。左肩は腕を回す時に、時々忘れたように痛みます。今日はなかなか集中が出来ないうちに午後4時近くになりました。夕方は家内と横浜美術館に行く予定があって、今日のところはちょっと早めに作業を切り上げました。横浜美術館は地元なので自家用車で20分も走れば、美術館の駐車場に到着できるのです。横浜美術館は午後6時まで開館しているので、制作が終わった後でも充分間に合います。現在「ホイッスラー展」をやっていて、有名なジャポニスムの画家のまとまった画業を一度見てみたいと思っていたのでした。興味が湧いたのは大きな油絵ではなく、海岸や港町を描いたエッチングのシリーズでした。詳しい感想は後日にしますが、この時間帯はたいして混雑も見られず、ゆっくりと鑑賞できて良かったと思いました。明日も制作続行です。
三連休初日の制作
2015年 1月 10日 土曜日
今日から三連休です。昨夜は家内の従兄弟で自作自演の歌を歌っている人がいて、橫浜関内のライヴハウスに出かけました。家内の従兄弟にはワイン会社の経営者やらシンガソングライター等がいて多彩を極めています。家内も胡弓演奏者として独特な世界に遊んでいますが、それぞれが個性的な生き方をしていて羨ましい限りです。関内のライヴハウス「音小屋」には初めて行きました。歌心のある人々の楽しい表現に接して元気をいただきました。今日は朝から工房に篭って制作三昧でした。土練りの後、タタラを6枚作り、既に成形が終わっている陶彫部品に彫り込み加飾を2点行いました。工房の作業は休庁期間にやっていたように午前9時から午後4時までにしました。精神的な緊張、身体の負担を考えると、この時間が一番いいように思えます。休庁期間から左肩が痛み出していて毎日湿布を張っています。制作の時の姿勢によるものかどうかわかりませんが、一時は激痛が走ったこともありました。このところ痛みが和らいだので、夜になって近隣のスポーツ施設に水泳をやりに出かけました。痛みがぶり返したらどうしようと思って、今まで水泳を控えていたのでした。恐る恐る泳いでみたら次第に痛みは緩和されてきました。それは五十肩だと一緒に泳いでいたご婦人に指摘されました。よく動かした方がよいと言われたので1時間たっぷり泳ぎました。バタフライは無理でしたが、他の3種目は泳げたので嬉しくなりました。創作では心身の緩慢さに精神で克つことに自負を持っていますが、加齢には克つことができなくてちょっと残念です。明日も制作は続行です。
芳醇なワインの視覚表現
2015年 1月 9日 金曜日
家内の従兄弟が山梨県でワインの会社を経営しています。この春に「旭洋酒有限会社」製造による新しく販売されるワインがあります。先日山梨県まで出かけていって地下倉庫に眠るワインを見てきました。この壜に貼られるラベルを現在考案しているところです。会社から与えられたテーマは「冬眠」。地中で安らかに眠る動物たち、静かに春を待つ木々を墨刷木版画でやろうと思っています。当初は文明開化の木版画家川上澄生の世界が浮かんでいましたが、もう少し西欧的アールヌーボーを意識して、瀟洒なデザインにしようと思っています。まず鉛筆下書きが出来たので、会社にメールで送りました。まだ雑駁すぎて判断できないかもしれませんが、大雑把なイメージとして捉えてもらえればと思います。抜本的なやり直しは、この下書き段階なら可能なので、意見を伺ってから彫り始めます。木版画の制作は久しぶりです。気分は学生時代に遡りますが、当時やっていたドイツ表現派を意識した重々しい版画はやるつもりはありません。あくまでも芳醇なワインをアピールする視覚表現でありたいと願うばかりです。
1月RECORDは「在」
2015年 1月 8日 木曜日
昨日のNOTE(ブログ)に書いた「イメージのひとり歩き」で紹介した夢は、最近よく見る彫刻の夢です。この虚無な人体表現をRECORDでやってみようと思い立ち、元旦から取り組んでいます。モノのカタチがどこまで失われたらカタチを留めなくなるのだろう、そこにポッカリ空いた空間はモノの残像をどのくらい留めているだろうか、そんなことが脳裏に浮かんでいて、それが夢で見る彫刻作品に通じているのではないかと思っています。昨年ハイデガーの存在論に親しみ、存在そのものを考える機会を持ちました。そこにモノがあって自分の視界に入り、モノをモノとして解釈している表象を、もう一度学術的論考によって捉え直す、そうした哲学に興味を覚えました。それなら存在に対する視覚的な試みをしてみたいと考えました。今月のテーマを「在」に決めました。「在」は「不在」があるから「在」として存在できると考えます。平面作品であれば図像として表すことが可能です。そんな思索を視覚表現で伝えられるかどうかわかりませんが、今月はともかく「在」でいきたいと思います。
イメージのひとり歩き
2015年 1月 7日 水曜日
夢の中で思い描く立体作品があります。自分がもう一度彫刻を学ぶ学生に戻ったら、どんな作品を作っているのだろうと、イメージの中で遊ぶ自分がいるのです。夢で見る作品は鉄の廃材を寄せ集めた人体彫刻です。ジャコメッティのような細い人体、いや全身が細いわけではありません。手や肩、腰や足は古くなった機械の一部を使った鉄材で作られて、その部位がわかるような塑造がなされています。あとは細い鉄筋のようなもので作られ、かろうじて人体が立ったり、ポーズをしたりしている虚無な彫刻です。師匠の池田宗弘先生が作る真鍮直付けの猫には、痩せ細って骨だけになり、腹に穴のあいた凄まじい作品があります。その存在感が若い頃の自分に強烈な印象を残していて、夢で見た人体作品も穴だらけの途切れ途切れになったカタチを自分にイメージさせるのだと思っています。自分は真鍮ではなく鉄で作っていて、それは茶褐色に錆びた屑鉄です。これほど鮮明なイメージに囚われている自分は、夢の中では若々しい学生で、これからこの彫刻を発展させるべく意気揚々としているのです。まさにイメージのひとり歩きですが、定年になり時間が出来た時は、果たしてこのイメージを具現化しようという境地に立てるのでしょうか。
今年のRECORDを考える
2015年 1月 6日 火曜日
一日1点ずつポストカード大の平面作品を作り続けて8年目に入りました。すっかりRECORDは習慣として定着していますが、日々作品を生み出す苦しさは年月を重ねても変わるものではありません。自分は生真面目な性格で、ある水準まで作品を押し上げていかないと納得できず、やり直しをすることもあります。自己変革が難しければ、納得できるまでやっていくしか方法がないと思います。少なくても作品化しやすいテーマを掲げれば、試行錯誤する負担が軽くなるのではないかと考えています。昨年のテーマは難しかったと振り返ることがあって、いっそのことテーマを設けずにやってみようかと思いましたが、ある程度手枷足枷があった方がイメージしやすいと思い止まりました。そこで今年の月別テーマは漢字一字とします。2013年にも漢字一字をテーマにやっていました。その時は起、築、束、跳、響、結、流、棲、渦、塔、脚、環を12ヶ月でやりましたが、今年はそれに重ならないような漢字を考えていきたいと思います。今年も頑張っていきたいと思います。
2015年 初窯入れ
2015年 1月 5日 月曜日
「発掘~群塔~」の窯入れを行いました。2015年の初窯入れになります。成形した陶彫に彫り込み加飾を終えて、乾燥すること1ヶ月余りが経った部品が、現在20数点あります。そのうち4点を選んで表面処理を施しました。表面処理というのは、まず指跡を消すためにヤスリを掛け、その上から化粧掛けをして窯に入れるのです。今回は陶彫部品が大きいため4点しか窯に入りませんでした。今週は初窯なので、これ1回のみで窯の調子を見ようと思っています。例年は1週間に2回窯入れをします。1回の窯入れで3日、2回目3日かかるので、ちょうど1週間になります。これは二束の草鞋生活をやっている自分には好都合なのです。月曜日から金曜日は焼成期間と決めていて、毎週末に制作を行い、日曜日の夜に窯入れを行うと次の土曜日の朝までに2回分の焼成が終わっているのです。陶彫部品は大きさがまちまちで、窯にどのくらい入れられるのか、そのつど考えながら窯に入れています。この時期から暫くの間は燃料費が跳ね上がりますが、これは仕方ありません。陶彫の面白さは何と言ってもこの焼成にあります。炎の神のみぞ知る土の変貌が、緊張を伴って迫ってくるのです。自分の手塩にかけた分身を最終的に神に委ねる行為。こればかりは陶に憑かれた作家でないとわからないのではないかと思います。
休庁期間の最終日
2015年 1月 4日 日曜日
今日で休庁期間が終わります。休庁期間に入る前に立てた制作目標は達成できませんでしたが、午前9時から午後4時までを制作時間として、毎日精一杯やりました。「発掘~群塔~」の屏風部分7点のうち3点は、密度の濃い陶彫部品が接合されるのですが、この部分の成形や彫り込み加飾はほぼ終わりました。残り4点は比較的軽めの陶彫部品を接合する予定です。この4点については今後の制作になります。元旦の初詣と3日にあった従兄弟会に午後の時間を割きましたが、それ以外は全て制作に充ててきました。無理をしないように留意しながら作業をやりましたが、左肩が痛くなって毎晩家内に湿布を貼ってもらいました。この時期は近隣のスポーツ施設に通うこともなく過ごしていたので、左肩に負担がかかっていたのかもしれません。陶彫制作は同じ姿勢で何時間もやっていることがあって、その自覚がないのが危険なところです。制作中の精神力が打ち克っても筋肉痛は消えるものではありません。夜の自宅ではぐったりしていました。休庁期間の成果としては、まずまずの出来だったと振り返っています。制作工程の厳しさは今後も続きますが、「発掘~群塔~」が着実にカタチになっています。工房に行くのが楽しみになっています。それにしてもこの時期の工房の寒さは半端なものではありません。若い大学院生たちがよく来ていて感心してしまいます。
制作&従兄弟会
2015年 1月 3日 土曜日
今日は家内の従兄弟が集まって正月を祝う会があるため、朝早くから工房に行って制作をしました。朝7時に工房を開けたときの気温は0度。冷たくなった陶土に触れると手が悴んで、ストーブで手を暖めながら作業を続けました。2時間程度の作業でしたが、寒さのため遅々として進まず、彫り込み加飾をやっと1点終わらせただけで今日は止めることにしました。本来正月は親類縁者が集まって、穏やかにゆっくり過ごすのが定番なのかもしれません。そんな日に無理やり制作している自分は一体何だろうと思いつつ、唯一生きがいを感じるものがハッキリしていることもまた事実かなぁと思っているところです。家内の従兄弟会は渋谷ヒカリエのレストランで開催しました。家内の亡き親を初めとする親戚たちは、その昔奄美大島から兄弟姉妹で本土に出てきた人たちで、その中に学問で身を立てた人も多くいます。自分は家内と結婚するときに家内の親戚を回って挨拶をしましたが、自分が志望する芸術を認めてくれて、知的支援をしてくれた人たちでした。そんな学問的環境が嬉しかった自分は、必ず正月に家内の親戚の集まりに呼んでもらったのでした。その時はどこかの家に集まっていたのが恒例でしたが、最近は高齢化でなかなか集まることができず、そこで次世代の従兄弟たちが集まるようになったのでした。年齢も職業もバラバラですが、1年1回の会合でお互いの打ち明け話をしながら酒宴の席で楽しみました。自分にとっても貴重な機会で、また来年も呼んでもらえたらと願っています。
新年早々 制作の再開
2015年 1月 2日 金曜日
今日から制作を始めました。実は元旦の昨日も1時間程度の彫り込み加飾をやっていました。元旦の朝にまず工房に行って陶土に触れました。母のいる介護住宅を訪ねるよりも前に、工房に行って陶彫の進行具合を確かめたかったのです。今日は中国籍のアーティストが朝から工房にやってきました。中国では2月の旧正月にお祝いをするので、彼女は通常通りに制作をしていました。自分は正月と言えども制作中心の過ごし方をここ数年してきたので、彼女と同じように特段ゆっくりすることはないのです。今日は朝9時から夕方5時まで8時間の制作時間をとりました。明日午後に従兄弟会があるので、今日はちょっと無理をして作業をしました。今朝は横浜でも氷点下の寒さとなり、内壁のない工房は外と変わらぬ温度でした。陶土は凍りつくような冷たさになり、暫く作業をすると手が悴んでしまうので、まさにストーブだけが頼りでした。成形3点、彫り込み加飾2点をやって、今日の作業を止めました。それにしても陶土を扱っていると手がガサガサになります。例年のことですが、罅割れ防止の薬を塗りながら作業をしています。昼食に家内が自宅から雑煮を持ってきました。中国籍の子に日本の伝統料理を体験してもらおうと思っていたのでした。ちょっとした御節料理も添えました。留学して2年が過ぎ、彼女は日本の正月を初めて食体験したようです。
2015年 新年の抱負
2015年 1月 1日 木曜日
2015年になりました。初春のお慶びを申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。今年はどんな一年になるのでしょうか。毎年恒例になりましたが、2015年の出発にあたり、抱負を述べさせていただきます。HPのNOTE(ブログ)は相変わらず制作中心の内容を書いていきたいと思っています。HPは彫刻家としての発表の場ですので、基本姿勢は変わりません。今年の5月までに作り上げなければならない新作「発掘~群塔~」、まだ題名のない新作、陶紋6点は今年初めから取り組まねばならず、かなり多忙を極めます。工房の窯には小さな初飾りが置いてあります。炎の神に今年も安全を祈願しながら、もうすぐ窯入れを行っていきます。今年も横浜市公務員管理職として二束の草鞋生活になりますが、身体が動くうちは時間を惜しんで頑張ってみたいと思います。RECORDは昨年の反省を生かして、肩の凝らない作風を目指します。RECORDを日々やっていると、自分の生真面目な性格が反映されて、身動きがとれなくなることがあります。そこを打破するのは難しいと感じますが、多少でも自己変革を試みたいと考えています。読書は今年も哲学や文学の王道をいく書籍に取り組みたいと思います。鑑賞は美術や映画など常に情報を張り巡らせ、刺激を与えてくれる出会いを求めていきます。こんなふうに抱負を述べさせていただきましたが、健康あっての創作活動なので、自分自身の身体の管理には充分留意していきたいと思っています。昨年80代の母が介護施設に入居したので一安心です。実家は母がいつでも帰ってこられるように家内が管理をしています。今日は母と私たちの家内安全を祈願しに東京赤坂まで初詣に出かけます。毎年護摩を焚いていただいています。今年が皆さまにとっても良い年でありますようお祈りいたします。
2014年HP&NOTE総括
2014年 12月 31日 水曜日
2014年は自分にとってどんな1年だったのか、毎年恒例になった総括をやってみたいと思います。今夏の個展で発表した「発掘~層塔~」「発掘~増殖~」は陶彫部品の多さで際立っていて、何とか作り切った達成感が自分にはありました。細かく見ていけば不満な箇所も多くありますが、どんなふうに作っても完全なものはあり得ないのではないかと思うところです。今年のRECORDも結構大変でした。詩的な月別タイトルをつけてみたのですが、コトバに左右されることがあって行き詰まり感がありました。来年はもう少し幅広い解釈可能なタイトルをつけるべきと思います。時間的な余裕がない中で、なかなかコトバの発想で遊ぶことが出来ず、ひとつ躓くと、後に響いてしまうのがRECORDを難しくした原因でしょう。4月に職場を異動し、管理職としてのステージが上がったことも、日々の制作に与える影響があったと言えます。個展の後は次第に落ち着いてきましたが、現行の作品も陶彫部品が多く、今後のスケジュールの厳しさに戸惑います。今年の読書は哲学書に親しみました。これは良かったと思っています。存在の学術的解釈は自己思索に深さを与えてくれるでしょう。今年は美術館やミニシアターにも足繁く行きました。印象に残っているのは、最近見たせいもあるのでしょうが「赤瀬川原平の芸術原論展」と、映画では「大いなる沈黙へ」でした。夏季休暇にアンコール遺跡群を見にカンボジアに出かけました。悠久なる時を刻んだ遺跡を肌で感じることが出来たことが収穫でした。この密度のある1年間を大きな病気もせず乗り切れたことが、本当の意味で幸いと感じますが、これは自分を支えてくれた周囲の人たちのおかげです。関わりを持っていただいた方々に心から感謝です。最後に自分の拙いNOTE(ブログ)に付き合っていただいた皆さまにも感謝申し上げます。良い年をお迎えください。