外国での気分を述懐する

昨日まで読んでいた「保田龍門・保田春彦 往復書簡1958ー1965」(武蔵野美術大学出版局)は、自分に創作の原点を思い起こさせるのに充分な説得力があって、書簡ひとつひとつのやりとりにリアルな重さを感じずにはいられませんでした。1980年代、私もオーストリアの首都ウィーンで小さな彫刻や日本の墨によるドローイングを試みていました。何点か作品が売れたこともありましたが、生活費を稼ぐため観光ガイドや日本食料品店の棚卸しのアルバイトをやっていました。本書で描かれている保田春彦先生の生活実態と似た自分がいて、何か鬱々とした気分の中で、自分のオリジナルを探し求めていました。ニーズのないモノを作っていることに自己生存価値を問うことも屡々ありました。ただ保田先生のように、同業で視野の広い親の存在が自分にはなかったので、本書を読むと雲上の羨望がつき纏いますが、これとて自分には独歩の気儘さがあって、多少の遠回りはしたけれども現在も彫刻を作り続けているのは幸いとしか言いようがありません。外国での自分の生活は人に恥ずかしくて言えるものではなく、アルバイトがない時は、学校へも行かず散歩ばかりしていました。そういう意味では保田先生は家族を抱えて、時間を見つけては彫刻に打ち込む姿勢があって尊敬に値します。自分は異文化気分の怠惰な中で、それでも今日に繋がる創作の糸口を見つけ、カタチの熟成があったことが今でも信じられないほどです。若い頃は漠然と暇を貪り、今は二足の草鞋生活で多忙を極めています。それが運命だったのかと今更になって思うこの頃です。

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