現代彫刻か?仏像か?

先日見に行った横浜のそごう美術館で開催中の「円空・木喰展」で注目した作品は、まず円空の円空たる彫刻「護法神」です。円空と言えども初期の頃は、仏像の詳細部分をかなり作り込んでいて、後期に見られる鑿で表情を刻むだけの円空らしさが表れていないように思えます。円空は諸国に多くの仏像を残すことを目的として、木材が仏像に見える限界まで彫り込みを省略していきましたが、それはまさに抽象化への道だったとも考えられます。「護法神」はそんな中で木の根の部分をそのまま使い、枝の突起や空洞を残したオブジェとも仏像とも言えるモノで、現代彫刻を彷彿とさせる驚きの造形ではないかと自分は思いました。次に木喰ですが、寺の境内にあった巨木の穴に彫られた「子安観音菩薩」が画期的な作品だと思いました。立木仏とされていますが、切断したものが今回展示されていました。自然に内包された仏には不思議な生命が宿っているように思えます。木をそのままの状態で提示し、そこに僅かな彫りを加えて祈りの対象とする表現方法は、全国各地の人々に癒しや希望を与えたことでしょう。後世になって現代彫刻的な視点を発見し、現代の人々が新しい価値を見出したのも自然な成り行きかもしれません。当時権力のあった寺院は、有能な仏師に壮大な仏像を依頼し、その完成された美学は仏像そのものだったのに比べて、単純極まりない円空・木喰の作品群は現代に通じる美学を持っていたとも言えるでしょう。

週末 3月になって…

3月になりました。今月は年度末のため職場では大きなイベントが予定されています。出会いと別れの季節でもあります。時期としては職場関係で慌しいことが続きますが、制作工程でも先月を凌ぐ慌しさがあります。今日もいつものように朝から夕方まで工房に篭って制作三昧でした。昨日と今日は家内がサポートしてくれているおかげで、陶彫部品の仕上げが進みました。「発掘~群塔~」の陶彫部品の新たな成形は残り1点となり、いよいよ木彫に取り掛かれるかなぁと思っています。もうひとつとして、今月のウィークディも夜の制作を先月並みに続ければ「発掘~丘陵~」のゴールが見えてきます。何と言っても今月が2つの大きな「発掘」シリーズ作品の追い込みになります。この時間との闘いがハラハラする緊張感を齎せて気持ちを高揚させます。例年厳しい局面を迎えていますが、こうならないと自分では作品が生まれる状況にならないのです。今年もこの状況がやってきたと感じています。今月は陶彫制作の終了と木彫制作の開始がメインになるはずで、一日1点制作のRECORDがどうなるのか気がかりです。ともかく今月は陶彫制作やRECORD、観賞や読書がバランスよく出来る1ヶ月ではないことは事実で、個展に向けた陶彫の新作2点がやや落ち着いてきたところで調整していくしかないかなぁと思っています。今月も頑張ります。

週末 2月最後の日

今日で2月が終わります。今月はあっという間に過ぎていきました。今月を象徴する出来事として、毎晩工房に出かけて小さな彫り込み加飾を1点ずつ作り上げたことです。2日(月)から昨日の27日(金)まで、職場関係の夜間開催の会合以外のウィークディは全て工房に通いました。数えてみると16日間工房に通ったことになり、16個の彫り込み加飾が完成しています。「発掘~丘陵~」の陶彫部品は残り24個になりました。時間は1時間半から2時間程度でしたが、この16日間の中で彫り込み加飾をやりながら、山梨県のワイン会社のラベル用木版画の摺りや彩色もしていました。我ながら過密スケジュールだったなぁと思いますが、7月個展のための制作工程を見ると、これでも間に合うかどうか不安が付き纏います。「発掘~群塔~」の陶彫部品の成形は残すところ後3個。加えてまだ何も手をつけていない木彫が残っています。「陶紋」もまだこれからです。陶彫関係の制作はいよいよ佳境になって予断を許しません。今月の鑑賞は美術では「小山田二郎展」「円空・木喰展」、映画では「パーソナルソング」を見ましたが、制作工程を考えると、これ以上の鑑賞は無理だったと言わざるを得ません。RECORDは一日1点のノルマが日によって滞ったり、何とか仕上がったりして、墜落しそうな低空飛行を続けていました。読書は「罪と罰」を相変わらず読んでいますが、時に疲れてボンヤリと電車に揺られていることも多く、読書も停滞気味でした。体力作りは左肩が痛くて水泳が儘ならず、これが欲求不満になって辛かったかなぁと思っています。ともあれ今月は陶彫制作に明け暮れた1ヶ月だったと言えます。来月も頑張ります。

勤務後に味わう円空・木喰の世界

今日は午後に横浜駅周辺にあるビルで会議があったため、昼過ぎに職場を出ました。横浜駅の雑踏の中を歩いていると「そごう美術館」で開催されている円空と木喰の仏像による展覧会のポスターが目につきました。「微笑みに込められた祈り」という副題に誘われて、この展覧会を見たい欲求に駆られました。会議が終わって、勤務時間終了後に「円空・木喰展」を見に行きました。癒しを求めて見た仏像の数々でしたが、円空の木片に最小限の刀を入れた独特な造形の他に、かなり作り込んだ釈迦如来や十一面観音菩薩があって見応えがありました。鋭い円空に比べ、木喰は丸みを帯びた仏像で知られますが、自分が注目したのは木喰が仏像を彫り始めた時期です。木喰は56歳の時に廻国の旅に出立していて、61歳の時に初めて像を彫っています。さらに80歳の時に千体造像の祈願をして90歳で成就、その先に二千体造像の祈願をしたというのですから、その生命力と意欲に驚かされます。そんな木喰の生き方をもってすれば、自分なぞ取るに足りない小僧になるわけです。それぞれの木彫の感想は後日改めるとして、今回はウィークディに思いがけない展覧会に接することが出来て楽しい時間を過ごすことが出来ました。

自画像について

モデルが雇えない時代にその代替として自画像を描いている画家がいて、そんな時代の優れた自画像が数多く残されています。そうでなくても自分を見つめることは表現者にとって必要なことで、そんな理由から自画像を描いている人もいます。自分は高校時代に受験デッサンで鉛筆による自画像を描いた記憶があります。大学に入ってデッサンと油絵で1点ずつ描いたくらいで、当時も自己を見つめていた自覚はありますが、実は自画像は得意ではありませんでした。自分の骨格に立体性が乏しいのが原因で、どう描いても気に入った作品が出来なかったのです。自分は自画像が極めて少ないのですが、ある時自分が作る作品は全て自画像ではないかと思ったことがあります。当時の人体彫刻は塑造台にモデルを立たせて作っていましたが、自分に何故か似ていました。どんなに技巧が身についても、どこまでも自分そのものでした。作品が抽象に移っていっても、自分自身がそこに存在していました。思索に富んだ作品を作る作家でも、そこに自我が隠されていて、それも自画像だと最近は思えてなりません。自己の在り方を顔のない自画像として具現化しているのが今の自分ではないかと思っています。

宗教を超えた静謐な造形

今日の日本経済新聞に「舟越保武彫刻展」の記事が掲載されていました。現在福島県で開催されているようですが、東京にも巡回してくるので楽しみにしています。故舟越保武は日本を代表する彫刻家の一人で、キリスト教信仰をテーマにした作品が多いことで知られています。島原の乱で殺害されたキリシタン武士をモチーフにした「原の城」をどこかで見て、自分は深い感銘を受けた記憶があります。宗教を超えた造形性を持つ彫刻で言えば、自分の師匠である池田宗弘先生の先達とも思えて、舟越保武は自分には身近に感じられる巨匠です。今日の新聞記事に興味のある一文がありました。「釣り好きだった舟越は、岩肌を削る渓流を彫刻家に見立てたことがある。何百年もかけた自然の彫刻に、数年がかりの我々の彫刻は及びもつかない。人間は、巨岩の前で風に吹かれる花びらのように小さな存在だ。」という箇所で、自然を前にして人間の作り出す造形の小ささを嘆きつつ、無駄を削ぎ落とした精神のカタチに自分は惹かれてしまうのです。

天から降るイメージ

新作のイメージはどこからやってくるのでしょうか。かつて見た実風景なのか、それとも映像なのか、ボンヤリしたものが天から降ってくるのが自分にはあります。イメージは消えては現れ、また再現されて自分の脳裏に刻み込まれます。自分はそれをスケッチブックに描き留めたりしません。描き留めるとそのイメージは定着して発展性を失うので、具体的なイメージになるまで放っておくというのが自分の常套手段です。新作のイメージは、現在作っている作品が佳境を迎えて喘ぐようにしている時に決まって降ってきます。現行作品が期限までに完成するかどうかわからない時に、追い打ちをかけるようにやってくるのです。ここ最近になって来年に向けて制作をするであろう新作が脳裏にあります。まだハッキリしませんが、大変手間がかかるものであることは確かです。自分の中で少しずつハードルを上げることを自分に課した使命にしていることがあって、新作のイメージを発展させる所以になっていると言えます。天から降るイメージは自分にとって苦しいものですが、枯渇しない発想は有り難いとも言えます。

三寒四温の体調管理

いよいよ寒さの疲労が出てくる季節になりました。このところ昼間の公務と夜の工房での制作が立て込んでいて、身体に負担を強いることが多くあります。予防策としては、ひたすら寝ることに徹しています。夜更かしは自分の生活ではまったくあり得ず、11時過ぎになると寝床に入ってしまいます。就寝までに陶彫の彫り込み加飾とRECORDのノルマを何とか終わらせ、寝ることを唯一の楽しみとしているのです。若い頃は深夜にならないと作品のエスキースが出来ず、机の前でボンヤリと過ごすことばかりでしたが、人は変われるものだとつくづく思います。もちろん素材を媒体とする彫刻は昼間の制作で、夜は版画やエスキースに限られていましたが、夜の暗闇がないと創作活動は出来ないと信じて疑わなかった自分がいました。創作活動は気候や時間に左右されるものではなく、気持ちの持ちようでいくらでも可能になると今では思っています。むしろ三寒四温の体調管理こそ大切で、身体を壊してしまったら何にも出来ないと考えます。気分のコントロール、これが長い創作活動の中で自分が培ったものです。体調を万全にしておくこと、これが創作活動を実行するために留意することです。二束の草鞋生活の多忙感の中では、若い頃のような芸術家気取りの気分屋ではいられないと心底思っています。

週末 サポート付き制作

今日は朝から夕方まで7時間を制作に充てました。昨日用意しておいた畳大タタラ6枚を使って成形4点、続いて小さな成形を5点作りました。彫り込み加飾は大きな作品1点。一日でやり得る限界の制作量でしたが、今日は午後になって家内が手伝いに来てくれました。家内は乾燥した成形部品にヤスリがけをする仕上げ作業を3点やってくれたおかげで、今日一日で進んだ作品は通算13点になりました。これは驚異的な制作量で、サポート付き制作の有り難さにホッとします。「発掘~群塔~」の成形部品は残すところ6点、そのうち大きなものは3点、小さなものが3点になります。「発掘~丘陵~」の成形部品は残すところ20点、これは全て小さなものばかりです。これでも間に合うかどうか予断を許さないところですが、休まず焦らずやっていこうと思います。陶彫に関してはまさに佳境を迎えている制作状況ですが、木彫にはまだ手をつけていないので、常に心配はあります。来月早々には木彫をやりたいと考えていますが、今月もあと1週間となり、毎晩工房に出かけても陶彫が終わることはありません。ともかく頑張るしかないので、粘り強く取り組みたいと思っています。

週末 疲労を感じながら…

昨夜から三浦半島に管理職の宿泊研修に出かけていました。自分は工房での制作があるので、一足先に横浜に帰ってきました。管理職同士で日頃の鬱憤を話し合うのは楽しいと感じましたが、気疲れもあって、早めに帰っても午前中は制作に打ち込むことが出来ませんでした。精神的な創作活動は今日のところは無理と思って、土錬機を回して土練りを行いました。身体を使う作業の方が神経を使わずに済むからです。疲労を感じるのは何も宿泊研修だけではなく、三寒四温の気候のせいもあると思います。ともかく身体が重いと感じました。土練りの後、彫り込み加飾をやりましたが、今ひとつ作業に乗り切れず、今日は夕方早めに作業を切り上げました。明日はもう少し緊張を持って制作したいと思っています。

パーソナルソングを探して…

先日見に行った映画「パーソナルソング」の印象に囚われていて、自分のパーソナルソングは何だろうと考えています。介護施設に入所している母は定期的に介護施設の近隣にある病院にかかっていて、車椅子に乗って出かけます。介護は家内がやってくれていますが、家内が母にパーソナルソングを尋ねたら「美空ひばり」という返答があったと言っていました。確かに母はカラオケで「美空ひばり」の唄をよく歌いますが、母に学生の頃を思い出させるのは、もう少し古い音楽ではないかと思います。母は川崎市にある中原高等女学校(現大西学園)に通っていました。そんな当時のことをふと思いだして楽しそうに母は家内に学生時代のことを話したそうで、それでパーソナルソングのことが頭を過ぎったのでした。母が女学生だった時代、当時流行っていた音楽、母が聴いていたであろう曲目、そんな忘れ去られた音楽を発掘し、母に聴かせてみたいと思っています。

理想とするスポーツ環境

私は10年以上水泳を続けていて、ひと頃はマスターズの大会にも出場していました。夜に仕事から帰って、近隣にあるスポーツ施設で1時間ほど泳いでいました。少し前は週に1~3回がちょうどよいペースでしたが、ここ数ヶ月は隔週土曜日に水泳に行く程度で、泳力は確実に落ちています。数年前に通勤途中で雪に足を取られ、腰を強く打ちました。その痛みが退くまで水泳が出来ませんでした。その後、足がつったり、肩が痛かったりで満足に泳げていません。最近はどうやら五十肩で左腕が回らず、とりわけ両手を水面に上げるバタフライは激痛が走ります。土曜日に行くのはリハビリ程度の泳ぎしか出来ませんが、それでも腹筋や背筋が鍛えられるので、時間を作って可能な限り水泳に行くようにしています。自分は現状のままではいけないと思っていて、理想とするスポーツ環境を定年までにじっくり作り上げようとしています。定年になればランニングや自転車もやりたいと思っていて、身体や体力と相談しながら、泳ぐ・漕ぐ・走る連動作に挑戦したいのです。つまりトライアスロンが自分の理想とするスポーツで、果たして可能かどうかわかりませんが、夢だけは持ち続けたいと思っているところです。

木と森の関係に思うこと

受験デッサンを始めた高校生の頃、自分にデッサンの指導をしてくださった画家の先生から「木を見て森を見ず、森を見て木を見ず」と言われたコトバが気になって、それがデッサンの極意とも取れて自分の脳裏に焼き付いてしまいました。部分に拘るばかりに全体の調和が取れず、また全体ばかりを追いかけていると、部分が疎かになるというもので、今でもその極意は生きていると思っています。絵画表現は全体と部分の関係を見るのが容易で、一筆ごとに画面から離れて、全体を見回すことが出来ます。鑑賞者はまず全体を見て、その印象に感銘を受け、そして部分に眼を凝らして、その卓越した表現を味わうものだろうと自分は考えています。全体が緊張感をもって統一されている作品は秀作です。私が試みている集合彫刻は、部分を作って集合させていくもので、発想段階での全体感はあっても、実際の作業で全体が見えてくることがありません。最終的な制作工程になって漸く「森」が現れるのです。どんな「森」が組み立てられていくのか、自分の当初のイメージに近づいているのか、自分の計算と予想とが入り交じって毎回複雑な思いの全体構造になっていくのです。今夏発表する作品の「森」はまだ見えていません。毎年不安に駆られながら、豊かな「森」を目指して弛まず制作を続けています。

夜間制作に向かう意志

このところ2週間近く毎晩工房に通っていて、夜間制作が定着しつつあります。夜間制作と言っても1時間半から2時間程度で、昼間の仕事から帰って、夕食前に出かけているので、深夜に及ぶような制作ではありません。ちょっとした作業ばかりで彫り込み加飾が中心です。夜の工房は照明に照らされて、創作の魔性に支配された魅惑的で不思議な空間です。工房に到着すると大型ストーブとラジオをつけます。制作台をストーブのそばに設えて、FMのひとつの番組が終わるまでを制作時間の目安にしています。夕食前なので空腹ですが、実のところ空腹の方が制作が進むのです。週末の制作でも同じです。昼食後は暫し制作が緩慢になるのが不思議でなりません。胃が満足すると創作意欲が衰えるのでしょうか。空腹を抱えながら夜間制作に向かう意志が、造形イメージを確固たるものにする所以ではないかと思うこの頃です。以前のNOTE(ブログ)に「発掘~丘陵~」の陶彫部品を毎晩ひとつずつ作っていると書きましたが、現在12個目になりました。目標の40個まで残り28個です。創作の妖精なのか、それとも悪魔なのか、得体の知れないモノに誘われながら暗い畑道を懐中電灯を灯して毎晩歩くのは、近所から見れば奇妙な行動に映るかもしれません。何の変哲もない箱型の倉庫に毎晩吸い込まれていく自分、同世代の働く人たちはネオンや提灯に誘われて毎晩暖簾に吸い込まれていくのに、自分は常識に当てはまらない世界に遊んでいると思っています。

ほうとう鍋コミュニケーション

昨夜、ほうとう鍋の材料を買い込んで、今日は職場にやってきました。大鍋コミュニケーションをやろうと独断で企画していたのでした。大鍋コミュニケーションは現在の職場で漸く定着してきました。今回は山梨県特産のほうとう鍋を作りました。いつもの鍋で20人分のはずが、具材が多いので大量に出来てしまいました。皆んなが喜んでくれたので嬉しく思いました。残った分は、毎日職場に遅くまで残っている若い人たちが夕食や夜食分として食べられそうで、これはこれでいいかなぁと思っています。常に組織的な対応を迫られる職場では、人と人とのコミュニケーションが大切です。職場ではICT機器も多く使用していますが、仕事の性格上コミュニケーションが一番重要とされる職種なので、この大鍋コミュニケーションは有効です。前の職場でも管理職が音頭を取ってやっていました。今年度は今日の鍋を含めて5回の鍋作りをやったことになります。年度末にもう1回くらいやろうかと思っています。

週末 寒さ疲れに抗って…

今日は朝から夕方まで制作三昧でした。寒さに慣れたとは言え、工房の温度はまだ一桁で、大型ストーブを点けています。昨日タタラにしておいた陶土を使って成形を3点、成形が既に終わっている陶彫部品に彫り込み加飾を1点やったところで、今日の作業は終了しました。週末はともかく疲れます。工房の寒さに耐えているだけで相当な疲労なのではないかと思うことがあります。お湯を沸かしてスープを作ったり、コンビニで買った弁当をストーブで温めたりしていますが、寒さ疲れは解消しません。夕方自宅に戻るとソファに横になったまま身体が動かなくなります。その休息の時間は至福の時です。それでも工房にいる時間は、嬉しくて楽しくて夢中になっている自分がいます。制作に集中すると前後見境がつかなくなり、時間が経つのを忘れます。暫し寒さも忘れます。こんな状態が長く続くと体調不良になることがわかっているので、自分でセーブして夕方には自宅に戻ります。周囲に心配事がなく制作に没頭できる幸せを噛み締めながら、また自分の生きがいを確かめながら創作活動ができるのは、本当に幸運としか言いようがありません。明日からもウィークディの夜に工房に行かれるようなら制作を続行したいと思っています。寒さ疲れに抗って、体力と相談しながらやっていきます。

週末 分担作業の効率

週末になって朝から工房に籠もりました。今日は家内が手伝ってくれることになって有り難いと思いました。自分の陶彫では、乾燥をした部品にヤスリをかけて指跡を消す作業があります。これは創作活動とは違い、単純でありながら丁寧さが要求される作業です。かなりの量の作品がヤスリがけを待っている状態なので、手伝いは本当に助かりました。よく工房に出入りしている中国籍アーティストは、旧正月で中国の山東省に帰っているので、今回は家内だけにやってもらうことにしたのでした。木彫の彩色には中国籍アーティストにやってもらう約束になっています。いよいよ制作が自分一人ではどうにもならないところにきてしまいました。二足の草鞋生活も残り1年半ですが、人の手を煩わせるのは家内や工房に来ている学生と言えども心苦しいと感じます。でもそうも言っていられない制作工程に喘ぎながら今週末を過ごしています。家内の手伝いのおかげで、今日は仕上げ6点、彫り込み加飾3点、タタラ3枚を一日で作り上げました。これは分担作業が効率よく出来た成果です。明日はまた自分一人で作業をしますが、この勢いを続けたいと思っています。

「罪と罰」下巻を読み始める

「罪と罰」(ドストエフスキー著 工藤清一郎訳 新潮社)は犯罪に対する心理劇のような展開があって、読み進んでいくうちに徐々に面白くなっていきます。通勤の車中で読んでいると、うっかり下車する駅を乗り過ごしてしまいそうになります。自分の読書癖は評論が多く、最近は哲学書も入ってきていますが、文学書を読むのは本当に久しぶりです。物語の面白さを「罪と罰」によって改めて認識しました。ロシア文学に関して言えば、登場人物のカタカナ名の長さに辟易することがあります。だいぶ慣れてきましたが、物事の言い回しにもロシア独特なものがあります。台詞の語りかけは結構面白いし、主人公の心理の微妙な変化も興味津々です。外国の体質や社会状況の相違などに文化の違いを見て取ります。読書時間が通勤時間帯に限られているので、また長い時間をかけて「罪と罰」下巻を読んでいきたいと思います。

「罪と罰」上巻の読後感

「罪と罰」(ドストエフスキー著 工藤清一郎訳 新潮社)の上巻を読み終えました。上巻は第一部・第二部・第三部から成るもので、下巻は第四部・第五部・第六部から成っているようです。第一部・第二部のまとめを先日NOTE(ブログ)に書きましたので、今回はその後に続くラスコーリニコフの持論が展開される場面を取り上げたいと思います。「ぼくの結論は、偉人はもとより、ほんのわずかでも人並みを出ている人々はみな、つまりほんのちょっぴりでも何か新しいことを言う能力のある者はみな、そうした生れつきによって、程度の差はあるにせよ、ぜったいに犯罪者たることをまぬがれないのだ、ということです。」ラスコーリニコフが雑誌に発表した犯罪論を巡り、予審判事ポリフィーリと殺人における論理戦を交える箇所で、ラスコーリニコフが殺人を肯定しているような危うい展開があります。それに続く「人間は自然の法則によって二つの層に大別されるということです。つまり低い層(凡人)と、これは自分と同じような子供を生むことだけをしごとにしているいわば材料であり、それから本来の人間、つまり自分の環境の中で新しい言葉を発言する天分か才能をもっている人々です。」というラスコーリニコフの台詞は、独自の観察から人間を二つに分けて、選ばれし非凡な支配者は従来の法を乗りこえるという独自の論理で、これが実際にあった殺人と絡まって、今後どのようなドラマが紡ぎ出されていくのか楽しみです。「罪と罰」は当時のロシアが抱えていた社会事情をも念頭に入れて読んでいこうと思います。

建国記念日は彫り込み加飾

「発掘~丘陵~」の陶彫部品である円柱の彫り込み加飾は毎晩1点ずつ仕上げていますが、「発掘~群塔~」の陶彫部品の彫り込み加飾は進んでおらず、成形しただけの作品が増えてきてしまいました。これから残り8点の成形をしなければならないのですが、成形を終わって彫り込み加飾をやらなければならない作品も6点あって、陶土の乾燥を考えると、成形だけの作品に今後は時間を取って彫り込み加飾をやろうと決めました。成形が終わる毎に作品に水を吹きかけてビニールで覆っていますが、やはり長く放置しておくと表面の乾燥が進み、彫り込み加飾ができなくなります。陶彫は土練機を回して配合陶土を作り、畳大のタタラを作って、それをビニールで包んで一昼夜、次にタタラと紐で成形を行って、それをビニールで覆って、せいぜい1週間、それから彫り込み加飾を施して乾燥させる工程があります。次から次へとサイクルを作って、陶彫部品毎に段階を追って作業をやっていきますが、乾燥を睨みながら進める作業なので、途中で長い休みを取ることが出来ません。週末毎にやってくる必須の作業。身体に鞭打ってやっている自分を見て家内は感心していますが、こればかりは仕方がないことだと思っています。彫り込み加飾は時間がかかり、今日のところは朝から夜8時まで作り続け僅か2点出来ただけという結果でした。

府中の「小山田二郎展」

先日、東京府中にある府中市美術館で開催中の「小山田二郎展」に行ってきました。画家小山田二郎は私の母校の前身である学校に学んでいます。私の亡父が戦前や戦時中に通信士として働いていて、吉祥寺にあるその美術学校の隣の施設にいたと聞いたことがあります。学校はボロボロの木造校舎で汚い白衣を着た画学生と野球をやったと父は言っていました。小山田二郎は年代的にはその校舎で学んでいたのかなぁと思っています。小山田二郎の独特な絵画は、自分が学生だった頃に見た覚えがあります。自分が漸くシュルレアリスムを知った頃で、評論家瀧口修造の書籍も読み始めていました。今回の展覧会で「鳥女」の油絵シリーズから受けた不思議な感覚が甦ってきました。社会風刺や畸形な風貌が描かれる世界観は、作家本人が先天性ウェーバー氏病で顔に痣があることも影響しているように思えます。しかし、どこかしらチャーミングな絵画は、収集家にとって魅力的なものだったようです。今見ても独特な人物像は楽しく怖ろしく、また刺激的な構成要素をもっていると展覧会を見て改めて感じました。

映画「パーソナルソング」

先日、家内と橫浜にあるミニシアターに行きました。家内が友人から評判を聞いてきて、どうしてもこの映画を見てみたいというので「パーソナルソング」を鑑賞しました。これは認知症やアルツハイマー病で施設に収容されている高齢者に、昔好きだった音楽を聴かせることで、若かりし頃の記憶を取り戻させ、生きる希望を与えるドキュメンタリーです。「1000ドルの薬より、1曲の音楽を!」というフレーズが示す通り、ソーシャル・ワーカーのダン・コーエンによって、自分の身内や名前すら忘れてしまった94歳の黒人男性にiPodで音楽を聴かせることで、劇的に変わる反応を映像に収めたシーンがあります。次々に試される患者と音楽の効果に、映画を見ている私たちはどんどん引き込まれていきました。「抗精神病薬は灯りを消すことはできるが、灯すことはできない。音楽は患者の心に生命の灯りを灯すことができる。」という医師の言葉が、この映画全体の意義を裏付けています。マイケル・ロサト=ベネット監督は、常に患者やコーエンに寄り添って、決して押し付けがましくならないシンプルな映像を提供しています。そこに私たち観客が共感を覚える要素があると感じました。家内は介護施設に和楽器の演奏によく出かけます。選曲のヒントをこの映画から得たようです。ただし、日本は集団音楽療法がまだ一般的で、個人音楽療法への道をこの映画が開いてくれているとパンフレットの解説にありました。自分にとってのパーソナルソングは何だろうと映画館を後にして考えてしまいました。

週末 税務関係&制作

介護施設に入居している母は賃貸住宅をもっていて、その収益で施設での生活が成り立っています。祖父母や父が残してくれた僅かばかりの賃貸住宅が母の生活や心の支えです。そんな実家にはずっと前から税理士が出入りしていて、税務関係のことを一切賄ってくれています。母が去年4月に介護施設に入居したため、担当税理士が我が家に来ました。母の医療やその他の必要経費を差し引いた申告書を作って税務署に届けてくれます。私に時間的余裕がないため、母の実家のことは全て税理士にお任せしています。今日の表題で誤解が生じるとすれば、私の作品に対して税理士がいるわけではないことを言わなければなりません。私の作品が売れに売れて税理士が必要となる日がくるとすれば、それはそれで大変幸せで、自分は有頂天になってしまうでしょう。彫刻をやっている以上は一生適わない夢かもしれませんが…。公務員として稼いだ金銭を彫刻に費やす生活、これが私の紛れのない現実です。税理士との打ち合わせが終わって、私は今のところ納税とは縁のない創作活動に戻りました。昨日タタラにしておいた陶土の成形4点を行いました。版画の試し刷りもあったのですが、今日のところは手漉き和紙を湿すことにして明日の夜に刷ってみようかと思います。学生の頃から比べると版画には慎重になっています。もちろん陶彫の塑造にも昔より慎重になっていて、学生時代はどうしてあんなに雑多で無駄が多かったのか、自分でも信じられないことばかりですが、当時は勉強を始めたばかりで、勢いだけで乗り切っていた感もあります。版木や粘土を前にして30数年前と同じことをやっている自分がいて、これを幸福と言ってもいいのでしょうか。求める世界観はあまり進歩しているとは思えませんが…。

週末 リフレッシュした日

今日は昼頃に映画館、その後は美術館という計画を立てていました。ただし、週末の制作をしないわけにはいかず、早朝7時から工房に籠もりました。土練りと畳大のタタラ6枚を作って自宅に戻りました。朝7時から10時までの制作は充実していましたが、工房の温度は1度。手が悴むような寒さの中で、土練りもタタラ作りも身体を動かす作業なので、何とかやってきました。11時頃、家内と自家用車で横浜の中心街にあるシネマ・ジャック&ベティに行き、「パーソナル・ソング」という映画を観てきました。この映画は、認知症を患った高齢者が、かつて好きだった音楽を聴くことで、脳が活性化していくドキュメンタリーで、いろいろな介護施設で幾多の実験を重ねていく過程が描かれていました。音楽療法によって生きる喜びを取り戻す場面は感動的でした。詳しい感想は機会を改めます。映画館を後にしてから、第三京浜で一路東京に向かいました。府中市美術館で開催中の「小山田二郎展」を見てきました。小山田二郎は特異な作風で知られる画家で、既に他界しています。今年が生誕100年にあたるそうです。シュルレアリスムの画家として出発し、ひと目で小山田二郎作とわかる人物像を創作しています。自分も若い頃に「鳥女」のシリーズを見て興味を覚えました。そんな小山田ワールドに触れたくて府中市まで足を伸ばしたのでした。これも詳しい感想は機会を改めます。今日は充実していました。自分の内面世界を外からの刺激によって深めることが出来たような気がしています。明日は母の用事があるのですが、制作を続行したいと思います。

週末は楽しみな鑑賞で…

ワインラベルになる木版画が漸く彫り上がり、試し刷りをすることになりました。気持ちの面で多少ホッとしています。ウィークディ夜の工房通いも定着して、毎晩少しずつ陶彫作品が出来上がっています。この先を考えると、まだまだ制作時間が足りないのですが、明日の土曜日はちょっと時間を割いて、映画と美術館に行こうと思っています。楽しいことがないと二足の草鞋それぞれの仕事に追われている日々が無味乾燥に感じてしまうためです。自分にとって一番のリフレッシュは鑑賞です。それだって自分を深める糧になるものですが、刺激をもらえて楽しめる一石二鳥の趣味なのです。今日は職場での夜の会議があり、長い勤務時間を過ごしました。帰宅後、かなり遅い時間に工房に出かけ、一日1点の陶彫の彫り込み加飾をやってきました。さらに一日1点のRECORDの下書きも終えました。過密なスケジュールでやれやれですが、明日の鑑賞を楽しみに今日の仕事を頑張っていたといった按配です。本当に長いウィークディでした。

夜の工房に通う日々

今週は毎晩工房に通っています。「発掘~丘陵~」に接合する陶彫の彫り込み加飾をやっているのです。小さい円柱なので、一晩1点ずつ彫り込んでいます。40点作っていく予定なので、夜な夜な40日間かけて「発掘~丘陵~」を仕上げていくつもりです。もちろん職場や他の場所で夜の会合もありますので、毎晩と言うわけにはいきません。工房で過ごす時間は2時間程度です。仕事から帰って夕食前に工房に出かけ、工房から戻ってから夕食を済ませます。その後にRECORDの制作、そしてNOTE(ブログ)を書いて一日が終わります。こうなると帰宅してからがなかなか多忙で、ゆっくり過ごす時間がなくなっています。家内が自分のスケジュールに合わせて炊事してくれるのが有り難いと思います。自分はしっかり寝ないと仕事が出来ないタイプで、昼間の仕事にも影響が出てしまいます。睡眠時間は最低6時間必要なのです。起床して出勤する時間を考慮すると、夜12時前には就寝しないと身体がもちません。夜の工房通いのやり繰りが大変ですが、工房に行って円柱の彫り込みを始めると忽ち無我夢中になってしまいます。陶土の表面に掻き出しヘラでカタチを彫り込んでいくのが快感なのです。照明で浮き上がった陶彫部品は、週末の昼間と違って、あっという間に気持ちを虜にする魔力が潜んでいます。ストーブ脇の作業台の上で、手回しロクロに乗せた円柱をゆっくり回しながら、表面の陶土を少しずつ部分的に削り取っていく作業は、次第に完成するカタチが見えてきて、全てを忘れるほど陶酔する瞬間があります。自宅でゆっくり過ごす時間がなくても、心が解放される時間が持てれば、多忙感や不安感がなくなってしまうことを実感しています。

2月RECORDは「塊」

今月のRECORDのテーマを「塊」に決めました。彫刻をやっている者にとっては極めて安易なテーマです。いくらでもイメージが湧いてきますが、抵抗が無さ過ぎて自己を深める表現に繋がらない嫌いはあります。作品完成度はまた別の話なので、水準を上げていきたい思いはあります。何故このテーマを選んだのか、それは今月陶彫制作に追われるのが目に見えていて、夜もRECORD制作にあまり時間が取れないかもしれないと思ったからです。昼間の仕事から帰って、さらに制作で睡眠時間を削るのは厳しいものがあります。「塊」であればイメージを掴むのに時間はかからないし、ひたすら手を動かせば自ずとカタチになってくるだろうと思っています。陶彫の新作は図録撮影がある5月初旬、ワイン会社の木版画は今月中旬の締め切りがあるため、そちらの制作を優先してしまい、己の約束事に縛られているRECORDを後回しにしてしまうこともあり、自分自身に対する課題をどう扱うか、ここは無理のないところで制作しようと決めました。今月もしっかりやっていこうと思っています。

「罪と罰」第一部・第二部のまとめ

通勤時間帯に読んでいる「罪と罰」(ドストエフスキー著 工藤清一郎訳 新潮社)ですが、重厚なロシア文学であり、思想小説でもある本書は、当時のペテルブルグの貧困に喘ぐ民衆を背景に、貧しい元大学生が殺人を犯し、その心理状態の変化を、周囲で関わる人々を織り交ぜながら描いていくものです。主人公は元大学生ラスコーリニコフ。第一部の冒頭でラスコーリニコフが飲み屋で退職官吏マルメラードフの家族への思いを聞くところがあります。妻子のために稼いだ給料を全て飲み代にしてしまう性癖、そのために娘ソーニャは娼婦になって一家を支えている現状がマルメラードフによって語られています。ラスコーリニコフにも芯の強い清楚な妹ドゥーニャがいて、金持ちで弁護士のルージンに婚約を迫られているのです。ドラマの登場人物たちがさまざまな場面で導入されて、やがて起承転結の「起」の部分にあたる場面に差し掛かります。ラスコーリニコフが金貸しの老婆イワーノヴナを金品欲しさに殺してしまう場面です。居合わせた老婆の妹リザヴェータも殺してしまうところで第一部が終わります。第二部はラスコーリニコフが殺人の証拠を隠滅し、別件で出かけた警察で老婆殺しの話を立ち聞きする場面があり、また友人の大学生ラズミーヒンの殺人事件への洞察やらがあって、ラスコーリニコフの胸中が穏やかでない状況が綴られています。そんな時にマルメラードフが馬車に轢かれ、瀕死の状態になったところをラスコーリニコフによって妻子の待つ家に運ばれます。そこでマルメラードフが息を引き取り、ラスコーリニコフは持てる金銭を全てマルメラードフの妻子に渡してしまいます。そんなことでラスコーリニコフは殺人罪に対する心の救済を意識し始めているところで第二部が終わります。その後の展開が楽しみになってきました。

「群塔」「丘陵」「陶紋」の状況確認

今年7月の個展に出品する作品を「発掘~群塔~」「発掘~丘陵~」「陶紋」に決めました。それぞれの制作状況を現段階でまとめておく必要を感じています。屏風と床置きの双方で表現する「発掘~群塔~」は、焼成が終了した陶彫部品が現在23個あります。それ以上の作品が乾燥を待っている状態ですが、今後も成形をしなければならない陶彫部品は11点あります。木彫部分は材料が手元にあるというだけで、まだ手をつけていない状態です。この「発掘~群塔~」が今回の出品作品の中で一番手がかかりそうな作品です。「発掘~丘陵~」は土台部分は既に完成しています。陶彫部品は小さな円柱を40個作る予定ですが、現在成形が終わっているのは5点あります。あと35個を作らねばなりません。いくら小さくても制作工程にかかる手間は他の陶彫部品と同じです。「陶紋」は毎年個展に出品している小作品ですが、今回も6点作る予定です。これはまだひとつも出来ていません。この制作状況を考えると、夜も寝られないほど焦りが募りますが、今までもこうした厳しい状況の中で何とかやってきました。今後の課題を書き出してみるのも時には必要で、5月の図録撮影の日から逆計算して、制作工程を修正しながら先へ進めていきたいと考えています。2月になったので図録撮影まで残り3ヶ月になりました。

週末 2月になって…

2月になりました。2月の初日が日曜日なので、今日はひたすら制作に明け暮れていました。どうしたら成形に拍車がかかるかを考えても、集中力に限界があって理想通りにはいきません。もうひとりの自分がいてくれたらとつまらないことも考えますが、仕上げと化粧掛けは家内に、木彫塗装の時は若い世代の子たちに手伝ってもらおうと本気で思っています。「発掘~群塔~」の成形が残すところ14点になったので、今日はそのうちの3点を作りました。朝から夕方まで作業して、この3点で集中力が途切れてきました。あと11点。今日は窯入れをせず、今週はウィークディの夜に工房へ行って作業をしてこようかとも思っています。窯入れをしてしまうと照明が使えなくなってしまうので、今週あたりから夜の作業を考えています。2月は寒さに慣れてきたところなので、成形や彫り込み加飾で頑張ってみようと思っています。2月のRECORDもテーマを考えなければなりません。ワインラベルの木版画は今月が締め切りです。観賞は展覧会や映画とも予め決めているところもありますが、少なくても展覧会と映画をひとつずつでも見られたらいいなぁと思っています。読書は重厚なロシア文学を継続します。今月も頑張りたいと思っています。

週末 1月最後の制作日

今日は朝から工房に籠もって制作三昧でした。「発掘~群塔~」の屏風にあたる全体構成をもう一度見直し、最終的にあとどのくらいの陶彫部品が必要かを割り出しました。結果あと14点は必要で、焦る気持ちを抑えつつ成形に励みました。「発掘~群塔~」は木彫も考えていかなくてはならず、来月はウィークディの夜にも工房で制作が出来ればいいなぁと思っています。木彫は大きな騒音が出るので、木彫に限っては週末の昼間制作しなければ近所迷惑になります。工房は植木畑にありますが、夜ともなれば音が遠くまで聞こえるからです。ウィークディの夜は「発掘~丘陵~」の円柱を作ろうかとも考えています。今日は1月最後の土曜日です。1月はあっという間に過ぎていったように思えます。今月の展覧会は「ホイッスラー展」と「高松次郎ミステリーズ」に行きました。映画は「シャトーブリアンからの手紙」を観ました。RECORDは相変わらず苦しい時間の遣り繰りの中で捻り出し、ワインラベルのデザイン用に木版画もやっています。制作の点では今月は充実していたし、来月はさらに集中して制作をする必要があります。自転車操業のようでありながら、見たい展覧会や映画を探していて、限りある制作工程時間を睨みつつ、それでも他からの刺激を欲しているので、今は良い状態が保てていると感じています。来月は一層頑張っていこうと思っています。