連休2日目 木彫再開

ゴールデンウィークの2日目です。今日は昨日のアクシデントを取り戻すべく、朝から工房に篭って制作に追われました。久しぶりに木彫を再開して鑿を振るいました。日中は電動工具を使うことが出来るので、朝9時から夕方4時まで騒音を出しました。今日は好天に恵まれ、青空に新緑が映えていました。若いスタッフが2人、職場の人が1人、それぞれの制作に没頭していました。順調に制作が進んでいるという当たり前のことが嬉しく思える一日でした。制作は単調な作業でも満足が得られます。自分のために創作活動をしている意志が働いているからです。こんな時に次なる作品のイメージが湧いてきています。現行の作品が完成間近になる時に、決まって次のイメージが降りてくるのです。イメージが降り立ったのは今日ではありません。もう少し前の日で、現行の作品に焦りがあって気持ちに余裕が持てなかった時でした。若いスタッフと休憩を取っている時に、次なるイメージを雑駁に話しました。自分はメモをしないので、こうした話で具体化のアイデアが突如出てくる場合があるのです。明日も継続です。

5連休初日 ブレーカー・トラブル

ゴールデンウィークが始まりました。5連休は制作への期待に胸を弾ませていましたが、早朝に出鼻を挫かれました。一昨日窯入れをしておいた作品の焼成が今朝終わっていると思い、早朝に工房に行ってみると、電流の主幹ブレーカーが落ちているのを発見しました。昨日窯の温度を確かめに来たときは確実に温度は上昇していて、これなら朝には温度はピークから下降に転じていると判断していましたが、何かがおかしいと気づいてブレーカーを開いてみたら案の定スイッチが落ちていました。夜中に何があったのだろうと考えを巡らせましたが、よくわからず、すぐにブレーカーを上げて温度の状態を繋ぎました。幸い窯のスイッチが切れてから、それほどの時間が経っていないのと、自分の作品は釉薬を使っていないので、再度温度を上げても問題がないこともあって、最悪な事態にはなりませんでした。ただし、工房は窯を使っている間は全ての電気が使えなくなります。電気代を基本料金で収めるために容量をギリギリにしてあるためです。そのため今日の制作は照明も音楽も無い状態でやらざるを得ませんでした。太陽光だけで、しかも電動工具が使えず、出来ることといえば陶彫部品にヤスリをかけることくらいで、今日一日を凌ぎました。中国籍の若いスタッフが来ていて、彼女にも迷惑が及びましたが、明るく対応してくれたので助かりました。今日のお詫びと彼女が無事取得できた就労ビザを祝って、夕方になって横浜中華街に出かけて夕食とショッピングを楽しみました。帰宅後、もう一度工房に出かけて窯の温度を確認してきました。今度は大丈夫でした。明日は連休の制作の仕切り直しをしたいと思います。

制作に弾みをつけたい5月に…

制作に弾みをつけたい5月になりました。明日から始まる5連休に期待が高まります。5連休の目標は「発掘~群塔~」の屏風部分に接着する木彫の完成です。現在粗彫りが終わって仕上げにかかっています。全7点のうち残り3点の仕上げ彫りをすれば完成になります。木彫の接着と陶彫部分を接合するためボルトナットを入れる穴開けも出来たらいいなぁと思っています。5連休の後は床置きの木彫もやっていきます。木彫が終われば彩色になります。下塗りはスタッフに手伝ってもらう予定です。今月中に「発掘~群塔~」が完成できればいいと考えていますが、ウィークディの仕事が立て込むので、状況を見極めながらそのつど考えていきます。この時期は都心で開催される展覧会も充実してきて、何とか時間を遣り繰りして鑑賞の計画を入れようと思います。RECORDも継続ですが、このところRECORDに一番皺寄せがいっているようで、水準を保つのが苦しくなっています。読書はまだ大著に挑む自信がないので、夏頃までは比較的読みやすいものにしようと思います。5月は季候も良く制作に没頭できる1ヶ月ですが、4月からの疲労が取れません。健康に留意して身体を気遣いながら過ごそうと思います。

今年の5連休の過ごし方

今日で4月が終わり、明日から5月です。5月初めは何と言ってもゴールデンウィークがあって、そこをどう過ごすかを考えると楽しくなります。職場は暦通りの休日になるので、ゴールデンウィークは5月2日から6日までの5日間になります。例年なら個展の図録用に撮影を組んでいたり、栃木県益子の陶器市や茨城県笠間の陶炎祭に出かけるところですが、今回は最終日に「発掘~丘陵~」の撮影があるだけで、他の日程は全て制作に当てています。新作に手間がかかって、連休中に全ての作品が出来上がるところまでいかないのです。というわけで連休中は、制作に次ぐ制作で、朝から夕方ま一所懸命素材に立ち向かいます。それもまた良しと思っている自分がいます。自分には余暇をのんびり過ごすゆとりがありません。美術館鑑賞や私事旅行も制作工程の合間に出かけるのが習慣になっています。今月は金曜夜に東京国立新美術館に行って「ルーブル美術館展」を見てきただけでしたが、制作の過密スケジュールを考えれば仕方ないと思っています。5連休はどこへも行かないつもりですが、心の豊かさが枯渇してきたら、何か手立てを考えようと思います。

「昭和の日」は制作三昧

ゴールデンウィークに入り、東北新幹線が一時運転見合わせのニュースが入ってきました。新緑の美しい季節になって、各地に出かける人も多いだろうにとFMラジオのニュースを聴いていましたが、私は相変わらず工房に篭って一日中制作三昧でした。明日と明後日は暦通りの勤務日なので、今日からゴールデンウィークと言われてもピンとこないのです。ともかく今日は5月6日にある新作の撮影のために制作工程を少し変えて、「発掘~丘陵~」の陶彫仕上げと化粧掛けを先に進めていました。明日私は勤務ですが、家内が陶彫の仕上げをやりに工房に来てくれます。これで「発掘~丘陵~」の陶彫部品は全て焼成可能な状態になり、明日の晩に窯入れをしようと考えています。「陶紋」の制作は、今日の段階で成形と彫り込み加飾が終わり、乾燥をさせることになりました。ひょっとして「陶紋」は5月6日に間に合わないかなぁと思っています。焦って窯に入れてしまうと失敗するので、ここは慎重に扱いたいと思っています。すぐ前に迫った完成を見定めながら制作を進めていると、一日があっという間に過ぎていきます。結局、5月6日に「発掘~丘陵~」と「陶紋」の撮影を決めてから、まったく木彫はやっていません。まず撮影する作品が優先です。焼成で失敗すると、せっかく立てた予定が崩れてしまうので、窯入れで緊張が走ります。毎年のことですが、綱渡りのような制作工程にピリピリしながら、今までそれを何とかクリアしてやってきた自負はあります。言い方を変えれば根拠のない自信ですが、今回も大丈夫と自分に言い聞かせて窯入れに臨みます。自分はこうした張り詰めた状態が大好きなのです。社会的にニーズのない芸術作品に対して、ピリピリしながらワクワクしているのは命がけで遊んでいるように思えて、不思議な生きがいを感じてしまうのです。これはもう自分の命を活性化させるための爆弾刺激剤と言っても差し支えないと思います。

小品「陶紋」の考え方

自分の作品の中で小品として制作している「陶紋」ですが、楽しめる要素を盛り込みたい意向があります。「陶紋」はインテリアや日用雑貨として利用できそうなカタチにしていこうと思っています。今夏の個展で発表する「陶紋」はブックエンドとしての利用ができます。そのうちペーパーウエイトや照明器具として使えそうな「陶紋」を考えていきます。私のホームページに照明器具や箸置きといった商品を扱う頁がありますが、多忙をいい訳にして、現在その頁の充実が図れていません。今の生活では確かに多忙で、購買欲をそそる作品を作ろうとしても時間が足りません。東京銀座のギャラリーせいほうの空間を埋めるだけで精一杯という現状です。定年退職して時間ができたら、まず手がけたいのは小品であり、商品なのです。「陶紋」はギャラリーに展示するときは現代彫刻として見せますが、工夫次第で他分野への転換も図れるようにしたいと考えています。

「アーティストが愛した猫」を眺めながら…

ピカソが縞のシャツを着て大きな猫を抱いている写真が表紙の「アーティストが愛した猫」(アリソン・ナスタシ著 関根光宏訳 エクスナレッジ)を毎日眺めています。古今東西の芸術家は猫派か犬派か、どちらが多いのかを統計したら面白い企画になるのではないかと思います。その理由を真面目に分析したら、芸術家の嗜好と思考がわかるのではないかとも思うのです。「はじめに」と題された文章に芸術家と猫の関わりが、心理学や古代史を通して書かれていますが、さらに進んだ学術的分析は可能でしょうか。師匠の池田宗弘先生は究極の猫派です。それに習って自分も猫派になりました。自分は幼い頃から実家で猫を飼っていて、何故か猫族に昔から好かれるのです。子どもの頃、自分は猫に虐待と見紛うくらいの悪戯をしましたが、猫はそれでも私に恐る恐る近づいてきたのでした。現在は野良猫だった茶虎のトラ吉を飼っています。過去に犯した罪滅ぼしに今のトラ吉を可愛がるようにしています。猫は悠々として威厳たっぷりな足取りでいて、何を考えているかわからない素振りで人に接します。「我が輩」と猫が自称している小説を書いた夏目漱石の観察眼は凄いなぁと思います。トラ吉も喋ることができれば、自分のことを我が輩と言うでしょう。人に媚びないところが芸術家に好かれる所以かもしれません。人相ならぬ猫相が哲学者のそれに似て偉そうです。パイプを銜えさせたら似合うと思いながら、トラ吉と毎晩同じ仕草で戯れ、あたかもニーチェの永劫回帰のような繰り返しに、よくも猫は飽きないものだと感心しています。

週末 スタッフからの贈り物

今日は午前中職場関係の仕事があって、工房には行けませんでした。どうやら今月の疲れがピークに達していて、昨日から身体が思うように動きません。昨日は家内に手伝ってもらいながら制作を進め、夜は水泳に行ってリフレッシュしたつもりでしたが、年度当初の仕事が結構厳しいのか、それとも神経に障っているのか、よくわからず自覚のない状態です。創作活動をすれば大抵のことは乗越えられるのですが、どうも疲れが取れずにいます。午後は若いスタッフが工房にやってきました。彼女は中国籍のアーティストで、今月から出身校である都内の美大に就職しています。学生ビザから就労ビザに変える時に右往左往しましたが、何とかなったようで気持ちは落ち着きを取り戻しました。晴れて社会人になり、先週金曜日に初任給が振り込まれたようで、よほど嬉しかったらしく奮発して工房の仲間のためにケーキを買ってきました。彼女は来日4年目になりますが、日本人以上に日本人らしいところがあります。常に周囲のことを考え、遠慮がちで礼儀正しい姿勢を貫いています。作品に対する内面的な自己主張は強いものがあり、大陸らしい大らかさを感じさせることもあります。でも印象としては細やかな気配りがあって、他人には傾聴を怠らず、コミュニケーションも良好です。私もたまに彼女が外国人であることを忘れます。私は疲労が蓄積されているにも関わらず、彼女の初任給の話に触れて心が軽やかになりました。社会人として第一歩を歩き始めた彼女に励ましの言葉を送りたいと思います。

週末 サポート付き制作 その2

2月22日に家内が陶彫制作の手伝いに来てくれました。その日は制作工程が進んで、大いに助かりました。NOTE(ブログ)に「サポート付き制作」として制作状況をアップしましたので、今回はその2回目になります。陶彫は成形が済んで、彫り込み加飾を終えると、乾燥させるために暫く放置しておきます。すっかり乾燥したところでヤスリをかけ、化粧掛けを施します。この仕上げに行うヤスリがけがなかなか手間がかかるのです。このサポートは本当に有り難いと思っていて、しかも手慣れた家内にやってもらうのは最適です。因みに家内がやっているのは5月6日に撮影する「発掘~丘陵~」の陶彫部品です。尊敬していた彫刻家中島修さんが生前言っていたコトバで思い出すのは、「女房と険悪になると作品が出来上がらない」という他愛のないコトバですが、今の自分に当てはまります。彫刻家は制作協力者が必要です。そんな訳で今日は制作が進んだ一日でした。

雑貨として楽しめる「陶紋」

今夏発表する「陶紋」の制作にやっと入れました。今までオブジェとして作ってきた「陶紋」ですが、なにか日用雑貨として楽しめるモノが作れないかと考えて、ブックエンドとしても利用できるカタチにしました。縦長ピラミッド型の「陶紋」です。勿論オブジェであることに変わりはありませんが、こんな使い方も出来るというのを提示したいと思っています。前に「陶紋」を購入した方が、内部に灯りを入れて照明器具として自宅を飾っているのを知って、日用雑貨として楽しめる「陶紋」を思いつきました。都会の最先端をいく洒落た店舗には、現代彫刻と見紛うほどの雑貨が飾られていることが少なくありません。最近は街を散策する人も増えて、日本人の休暇の過ごし方も欧米に近くなったと思っています。そうしたウィンドゥショッピングを楽しむ人の中には、美意識を擽る雑貨を求める人も増えているように思えます。生活に潤いを与える造形。新しい価値観を提示する造形。大勢の人々に享受されるようになった立体造形に、今後も活路を見いだしていきたいと思っています。

舞台美術再び…

今日の話題は私のことではありません。私の家内は大学で空間演出デザインを学び、さらにウィーン美術アカデミーでは舞台美術を学んでいました。そんな家内が舞台美術の世界でプロにならなかった理由は、舞台美術家として職種確立が成されていないわが国の事情によるものと思っています。それでも若い頃の家内は演劇やオペラ公演のポスター等を作っていて、その世界に関わろうとしていました。舞台美術は装置、照明、衣装等が絡み合う総合芸術で、そこで繰り広げられるパフォーマンスとの関わりに絶妙な瞬間を与える媒体とも言えます。現在、家内は胡弓奏者として「おわら風の盆」の演奏をしていますが、来月に神奈川県海老名市で「おわら風の盆」のイベントがあり、そこの舞台美術を手がけることになったようです。再び舞台美術の世界に立つことになった家内ですが、演奏者と裏方の両方はなかなか苦しいらしく、時間の遣り繰りをしながら、今日も相原工房併設の野外工房で巨大な装置作りに励んでいました。私は昼間仕事があるので手伝えませんが、私自身も舞台美術に興味があります。学生の頃に見た前衛演劇の舞台は、空間を象徴化することの面白さを私に与えてくれました。今回の家内がデザインした舞台は抽象化されたカタチが宙に浮いたシャープな舞台です。来月になったら、工房に出入りしている若いスタッフと家内の舞台を観てこようと約束しているところです。

ゲーテの「色彩論」について

ドイツの文豪ゲーテの「色彩論」をきちんと読んだわけではありませんが、現在読んでいる「風景の無意識 C・Dフリードリッヒ論」(小林敏明著 作品社)にゲーテの「色彩論」が引用されていて注目しました。著者の解説を引用します。「ここには色彩に関して明確な図式ないしは法則が表現されている。出発点は明と暗ないしは陽と陰を代表する黄と青の二極である。両者の混合から緑が生ずるのは二次的な現象とみなすことができるとしても、赤は両極がともにそれに向かって『高昇』していく目標、いわば第三の極として立てられており、ここに黄、青、赤のゲーテ流三原色が成立する根拠がある。発想の仕方だけから言えば、これはキリスト教理やドイツ観念論の哲学によく見られる三項図式あるいは弁証法の発想と同じである。そしてこの三原色を柱として打ち立てたうえで、それらの中間色となる緑、紫、橙が得られるという六色の図式法則が成り立つが、これがいわゆる色相環と呼ばれるものをなすことになる。~以下略~」学習指導要領中学校版美術科にある色彩の学習で色相環が掲載されています。その色相環はゲーテの色彩論に由来するものであることが分かりました。

やり残した造形

以前のNOTE(ブログ)に書いた記憶がありますが、夢の中で自分はもうひとつの人生を生きて、そこでも彫刻を作っているのです。その彫刻は人体を極限まで削り取った具象彫刻です。ジャコメッティとはちょっと違い、全体が細くなっているわけではありません。肩から手にかけて途中の量感がないのです。脚も膝から下がなく、足首と足がそこに在るといった具合です。ギリシャ・ローマ彫刻で失われた部分が、寧ろ鑑賞者に想像する面白さを与え、より広い空間を感じさせるのに似ています。途中の量感を失った人体彫刻は単体では立てません。そこで人体を支える格子で出来た壁があるのです。壁に寄り添うように部分しか残っていない人体があるといった風情です。素材は鉄の廃材です。既成の部品だった鉄材を溶接で組み合わせ、ボロボロになった人体が辛うじて存在している彫刻です。夢の中で若くなった自分は、どこまで鉄を削ったら人体でなくなってしまうのか、グラインダーで削り、また溶接で繋ぎとめる作業を繰り返しています。鉄による塑造は、やがて単体の人体から集団による群像に広がっていきます。これはどういうことでしょうか。自分はどうやらもう一度学生をやり直しているようです。自分の学生時代は粘土による人体塑造をやっていました。考えると自分は人体彫刻をやり切った感じが持てず、中途半端なまま古代都市の構造を取り入れて作品を抽象化していったのかもしれません。やり残した造形が今になって夢の中で現れてきているのではないかと考えています。いつか自分の過去に決着をつけられる時がやってくるのでしょうか。

ギュンター・グラス追悼

ドイツ人作家で画家のギュンター・グラスは、自分が滞欧中に知り得た巨匠です。直接ご本人にお会いする機会はありませんでしたが、作品としては映画「ブリキの太鼓」を観て、さらに自分の帰国後にエッチングによる版画展を西武美術館に見に行って、その生々しさのある表現に接しました。今でも頭にあるのは、映画「ブリキの太鼓」で、何かの臓物の中から鰻のようなモノが現れたり、主人公の子どもが叫ぶと周囲の建物のガラス窓が砕け散ったりという不思議な画像です。主人公オスカルは3歳で成長を拒み、その視点からナチス勃興から戦後に至るまでを描いていく物語で、その奇抜な発想に驚かされます。初めて観た印象は超現実的なイメージが交差する奇妙な映画として頭に刻まれました。解説によれば社会的偽善が剥がされることをねらいとしているようですが、現実的ではない部分が妙にリアルだったことが思い出されます。そのギュンター・グラスが亡くなったニュースが入ってきて、エッチングの超現実的でリアルな世界が好きだった自分は残念に思いました。今後まとまった遺作展や作品集が出るのでしょうか。最近、横浜のミニシアターで「ブリキの太鼓」を上映していたことが思い出されます。再上映はあるのでしょうか。もう一度「ブリキの太鼓」を観てみたいと思っています。

週末 工房の日常

週末になると工房で制作を続けていて、その進み具合をNOTE(ブログ)にアップしています。現在は木彫をやっていて、単調な作業に明け暮れているため、新たな進展として書ける内容がありません。そこで今回は工房の日常を取り上げてみます。週末になると通常は朝8時過ぎに工房を開けます。照明を点けて、カーテンを開け、ラジオのスイッチを入れます。番組はFMヨコハマです。9時頃に若いスタッフがやってきます。私が最寄の二俣川駅まで自家用車で迎えに行くのですが、工房に来る途中にコンビニに寄って昼食や飲み物を買います。スタッフは一人ひとりがアーティストであって、それぞれの課題に取り組んでいるのですが、場合によって私の作品の手伝いもしています。工房には彼らの制作場所もあって、昼食までそれぞれの場所に分かれて集中して作業をやります。このところスタッフは女性ばかりなので、箱に可愛いお菓子を入れて、冬場は熱いお茶が飲めるようなポットも用意しています。工房にはトイレがあるので、着替える場合はトイレを使用しています。何と言っても私の作品が占める面積が大きいのですが、環境的にも空間的にも自宅とは違うので、スタッフたちの工房利用度は高いのです。昼食の後は夕方4時くらいまで作業に集中し、工房の戸締りをして、彼らを駅まで車で送るのが日常になっています。私もスタッフも集中できる時間には限界があって、朝9時から夕方4時というのが翌日に疲れを持ち越さない時間かなぁと思っています。

週末 完成を目指して…

昨晩のカメラマンとの打ち合わせで、新作の完成ゴールがはっきりしました。制作は断然やり易くなり、今日も朝から工房に篭って「発掘~群塔~」の木彫の作業に明け暮れました。毎週末に作業をやっていて気づいたことがあります。土曜日と日曜日のうち、やはり土曜日の方が身体の動きが緩慢になっていることです。ウィークディの疲れが出ているためだと思っています。自分はそのつもりではないのですが、職場の中では神経を使っているのでしょうか。肉体的な疲れと言うよりは、何か気落ちするような疲れが残っているのです。そんな中で木を彫る作業は、心に元気が蘇ってきます。創作活動は麻薬のようです。実際の麻薬は勿論試したことはありませんが、何故か心が軽やかになり、瞬時に嬉しくなります。次の瞬間には作品に対する不満が出てきて、ウィークディの疲れとは違うストレスがやってきます。制作時間はあっという間に過ぎていきます。創作活動をやっていると人生は短いと思うことが暫しあります。今日は朝9時から夕方4時までの7時間、完成を目指して彫りに彫りまくって作業を終えました。明日も続行です。

2015図録撮影日の打ち合わせ

今年で10回目になる東京銀座のギャラリーせいほうでの個展。10回分の作品の優劣はあるにしても、自分としては少しずつハードルを上げて作品を作ってきたつもりです。昨年は「発掘~層塔~」の陶彫部品の多さに手間取って、図録撮影日に作品が間に合うかどうかの瀬戸際になり、大いに焦りました。さて、今年の「発掘~群塔~」は、ついに作品が撮影日に間に合わなくなるのではないかと思っています。例年5月の連休にカメラマンに依頼して撮影をお願いしてきましたが、おそらく連休は木彫の仕上げ彫りをやっていて、作品は完成していないかもしれません。これをどうするか、夜の時間に工房にカメラマン2人に来てもらって話し合いました。「発掘~丘陵~」は連休までに終わりそうなので、「発掘~丘陵~」を先に撮影し、それの一部を案内状に使うことに決めました。撮影日は5月6日の連休最終日。この時、現在は未だカタチにもなっていない「陶紋」も撮影してもらうことにしました。大急ぎで「陶紋」を作ります。次に問題の「発掘~群塔~」ですが、6月中旬の週末までに完成し、そこで撮影することにしました。つまり今回は2回の撮影日を設けることになります。案内状は出来上がり次第ギャラリーせいほうに持参します。図録は個展直前に持参する予定です。作品のハードルを上げていくということは、こういうことかと改めて思い知った次第です。今までにないスケールの作品2点がギャラリーに並ぶ時を楽しみに、明日の制作を頑張りたいと思っています。

「発掘~丘陵~」陶彫成形完了

「発掘~丘陵~」は4つの直方体の台の上に、それぞれ円柱型をした陶彫を40個置いて、全体として丘陵が連なる世界を表現する作品です。毎晩工房に通って、一晩1点ずつ陶彫を作っていましたが、やっと成形と彫り込み加飾が完了しました。ウィークディ40日間をかけて陶彫40個を作った計算になります。乾燥を待っている作品40個のうち現在13個の焼成が終わっています。現在無我夢中で取り組んでいる「発掘~群塔~」は「発掘~丘陵~」より早めに取り掛かりましたが、「発掘~丘陵~」の方が早く完成しそうで、この作品を今夏の個展の案内状にしようと決めました。カメラマンに作品を真上から撮影してもらい、丘陵を上空から見たパノラマをイメージして、案内状を作ろうと思います。今回の新作はいずれも手間がかかって、例年5月連休に行っている図録のための撮影に間に合いません。連休に間に合いそうな「発掘~丘陵~」の案内状だけ先に撮影してもらおうと思っていますが、カメラマンの予定もあるので、近々打ち合わせを持ちたいと思います。

楽しい「哲学用語図鑑」

仕事の出張中に立ち寄った書店で偶然見つけた「哲学用語図鑑」(プレジデント社)が、自分にとって目から鱗が落ちるくらいの画期的な書籍だったので購入しました。アニメっぽいキャラクターが難解な哲学用語を、簡単なポーズで表しているのが笑えます。たとえばニーチェの永劫回帰では、輪の回りを歩き続けるキャラと、へーゲルの目標に向かって一直線に進むキャラが比較されて、分かり易く楽しいイラストになっています。ハイデガーの現存在や世界内存在も、人間とモノとの相違をイラストで簡単に解説していて、成程こういうものだったのかと妙に納得してしまうのです。哲学は究極となる理論をあらゆる事例を使って証明するもので、語彙の難解さに辟易してしまい、読み解きを途中放棄する場合が少なくありません。自分も例外ではなく、読破に時間がかかり、結局は中途半端のまま書籍を何年も放置することがあります。「哲学用語図鑑」はまず結論ありき、という一目にして了解してしまう図解があります。これでいいのだろうかという疑問もありますが、自分が苦心惨憺の末、読破した大書が、たった1点のイラストで表されている痛快さがあって、自分はこの思い切り楽しい「哲学用語図鑑」を、結構評価しているのです。

フェルメールの「天文学者」

先日出かけた国立新美術館で開催中の「ルーブル美術館展」の目玉は、なんと言ってもヨハネス・フェルメールによる「天文学者」です。フェルメールの現存作品は40点弱とも言われ、この数少ない作品と、光を取り込んだ室内と人物を緻密に描いた作風が、絶大な人気を博している画家なので、「ルーブル美術館展」の混雑は、偏にこのフェルメールの来日によるものと考えられます。自分も「ルーブル美術館展」に行く目的の一つは、このフェルメールを見てみたいというものでした。計算された構図と窓から入り込む光の美しさは鑑賞者を裏切らず、自分もフェルメール・ワールドを堪能してきました。この「天文学者」と、対を成す作品がドイツの美術館が所蔵する「地理学者」であると解説にありました。学者の前に置かれた天球儀、絵画が描かれた17世紀には科学の発達が見られ、絵画そのものも科学的現実性を強く打ち出しているように思えます。現存する作品が少ないというのも、フェルメール・ワールドの希少価値を高めていて、つい崇めるように見てしまうのは私だけではないでしょう。

六本木の「ルーブル美術館展」

先日、東京六本木にある国立新美術館で開催中の「ルーブル美術館展」に行って来ました。夜間開館の時間帯だったので混雑はなく、じっくり落ち着いて鑑賞することが出来ました。「ルーブル美術館展」全体のテーマは風俗画で、エジプトの時代から19世紀のロココ時代に至るまで、民衆の風習や衣裳等が描かれた絵画が並んでいました。何と言っても人気だったのはヨハネス・フェルメール作「天文学者」でしたが、その他にも惹かれる作品が数々ありました。自分は16世紀のフランドル絵画のひとつであるクエンティン・マセイス作「両替商とその妻」に見入ってしまいました。夫が硬貨を計量している傍らで、妻が聖母子の描かれた書籍を開いている場面です。まさに現実的な金銭と精神的な神の存在を対等に隣り合わせた構図は、当時の時代背景を矛盾と軋轢を孕んだ社会として捉えていて興味が尽きません。今回の展覧会のテーマは社会的な謎解きもあって、見方を変えれば面白い企画であろうと思います。同じようにマリヌス・ファン・レイメルスウァーレ作「徴税吏たち」の2人の男性のきわどい表情にも、いろいろな意味が見て取れます。キワモノ的面白さはジャン・シメオン・シャルダンやアレクサンドル=ガブリエル・ドゥカンの2点の「猿の画家」で、モデルを模写するだけなら猿でも出来るというアイロニーを込めて描いています。肩肘張らずに楽しめる作品が並んだ「ルーブル美術館展」だったと思います。

週末 千客万来の工房

今日は心地よく晴れて、いかにも春らしい日和になりました。朝8時に家内と選挙に出かけ、その後は工房で制作に没頭しましたが、今日は千客万来の一日になりました。まず美大に勤務が決まった中国籍のアーティスト、芸大大学院に通うテキスタイルを媒体にした作品を作っているアーティスト、同じ職場にいて画家を目指す人、もう一人同じ職場の人が散策に訪れたこともあって、自分以外に4人が工房に来て、それぞれ作品を作っていました。自分の作品も屏風を床に並べているので、足の踏み場もないくらい場所をとっていました。たまにはこんな日もあるんだなぁと思いつつ、自分が出す電動工具の迷惑な騒音に申し訳無さを感じながら、今日一日を過ごしました。中国籍のアーティストは近々留学生による展覧会があるらしく、大きな平面作品に挑んでいました。テキスタイルのアーティストは舞台衣装のデザインをやっていました。今月末に山梨県で1回限りのイベントがあり、彼女が衣裳担当になったようです。画家を目指す人は初めての自画像制作に奮闘していました。自分は「発掘~群塔~」の木彫粗彫りが終わり、鑿を研ぎながら細かな仕上げを行っていました。これは彫り目を整える作業ですが、なかなか時間がかかる工程で、毎年恒例になっている図録撮影の日に間に合わなくなることが分かってきました。カメラマンに連絡をして今週中に打ち合わせを持つことになっています。今日中国籍のアーティストが誕生日なので夕飯をご馳走しました。学生ビザから就労ビザに換えるため、先日入国管理局相手に右往左往した彼女の心労を労いました。

週末 陶彫&木彫による全体構成

「発掘~群塔~」の木彫部分の粗彫りのゴールが見えてきました。鑿と木槌で彫りまくり、あと僅かで粗彫りが出来上がるところまでいきました。次の工程は仕上げになりますが、実は粗彫りと仕上げに区別はなく、敢えて言えば彫り目を整えながら緩やかな曲面を作り出すのが仕上げの工程です。鑿を研いで彫り跡が美しくなるように細かな作業を進めていきます。そこで、今日は屏風になる7点の作品を床に並べてみることにしました。木材の部分はまだ粗彫り、陶彫部品はまだ全部焼成が終わっていない状態ですが、全体を見渡せることは出来たので、改めて全体構成を考えることにしました。最終段階で屏風の木彫部分には、油絵の具で彩色しますが、それは絵画性を強く打ち出すことになります。現在の状態は素材が剥き出しのままの彫刻性の強い状態です。全体を見渡したところ、現段階でのやり直しや修整は無いのではないかと思いました。あとは残された時間との闘いです。明日も継続です。

勤務時間後に六本木へ

ウィークディの仕事や週末の制作の合間を縫って、展覧会を見に行くためには、国公立美術館がやっている金曜日の夜間延長時間を使うしかないと思っています。今日も勤務時間終了後に家内と橫浜駅で待ち合わせ、東京六本木に向かいました。1週間の疲労が溜まる金曜日ですが、心の解放を求めて、国立新美術館で開催中の「ルーブル美術館展」に行って来ました。フェルメールの貴重な油彩が来日しているので、さぞ混んでいるだろうと思っていましたが、実際はそうでもなく、落ち着いてじっくり鑑賞することが出来ました。私は30年前にパリのルーブル美術館に行っています。その時は西洋美術の高水準を競った大作ばかりが眼について、今回来日していた作品はほとんど忘れていました。ヨーロッパに行くと大作に圧倒されて、見飛ばしてしまう作品も数多くあります。日本でじっくり味わう方があらゆる作品の印象が鮮明に残るのかもしれません。詳しい感想は改めますが、今日は充実した一日になりました。

4月RECORDは「縫」

4月のRECORDのテーマを「縫」に決めて、現在も制作中です。布を針と糸で縫う状態は、別々の布を繋ぎ止める目的や綻びを修繕する目的があります。人間関係にも言えることで、「縫」は混ぜ合わせて溶解する状態とは異なり、原形を留めながら関係を築く状態です。4月の新体制で始まった職場を見ると、何より組織連携が大切と感じていて、「縫」というテーマは現在自分の感じていることの中から必然的に出てきたコトバです。綻んだり緩んだりしたら、また縫い直す、何回も繋ぎ止めながら、パッチワークのように関係を広げていくのが、人間関係作りかなぁとイメージしています。今月も日々1点ずつ作っていきます。

M・ラングランのガラス扉

旧朝香宮邸はアール・デコ建築の傑作とされています。その邸宅を使って東京都庭園美術館がオープンし、最近リニューアルされたので企画展と合わせて見てきました。仏人装飾美術家アンリ・ラパンが設計を手がけた室内は、アール・デコ様式に彩られ、自分の趣向にあった装飾の数々に目を見張りました。アール・デコ様式との出会いは、自分が20代にウィーンで暮らしていた頃に遡ります。ウィーンにあるO・ワーグナーの建築やウィーン工房の資料等で、その美しさに魅了されてきました。旧朝香宮邸では、とりわけマックス・ラングランのエッチングガラス扉に注目しました。大客室の扉は、幾何学的に構成された花をモチーフにガラスに複雑な加工が施され、磨き面と艶消しの部分が巧妙な表情を見せています。その抽象性とバリエーションが謎解きのような不思議な世界を創り出しています。大食堂の扉は曲線や有機的なパターンを組み合わせ、これも大客室とは違う趣きがあって、アルプのような抽象性が楽しい響き合いを醸し出しています。その部屋にはルネ・ラリックの照明もあって調和の見事さに心を奪われましたが、日本ではラリックほど知られていないラングランの造形に一目置いてもいいと思います。

「幻想絶佳 アールデコと古典主義」展

今日で終了した展覧会を取り上げて恐縮ですが、先日、東京目黒にある東京都庭園美術館の「幻想絶佳 アールデコと古典主義」展に行ってきました。まず当美術館そのものがアールデコ様式で建てられていて、独特な佇まいが特徴的です。最近リニューアルしたばかりで、装飾美術家アンリ・ラパンによって設計され、ルネ・ラリックやイヴァン=レオン・ブランショによる壁面に眼が奪われました。これはリニューアル前からあったものですが、改めて室内装飾の美しさが際立っていました。アール・デコは幾何学的で図形的な文様や流線型がモダンなスタイルとして、装飾や日用雑貨に及んだものです。さらにアフリカ・アジア・南米や古代エジプトのエキゾティズムと結びついて独特な美観をもつに至りました。古典主義もそうした風潮の中で取り上げられ、具象性の強い作品がアール・デコ=スタイルの中に組み込まれていったようです。プゲオン作「蛇」に見られる寓話的な具象絵画や「パリ14区役所別館祝宴の間 壁画下絵」は人体リアリズムが構成された壁画作品として印象に残りました。抽象性と具象性が装飾美術として並存する楽しさは、アール・デコらしい雰囲気があって自分の趣向に合うのです。ミュージアムショップで今回の展覧会の図録と旧朝香宮邸に関する書籍を購入しました。機会を改めて、こうしたアール・デコ建築に関する自分なりの考察もしてみたいと思っています。

2015年度最初のイベント

4月1日から新体制で職場が動いていますが、今日は今年度最初の大きなイベントがありました。職場では年間を通して数々のイベントがありますが、今日は式典としてのイベントでした。式辞を考えていた先週、冒頭で触れる時節の挨拶で、今日の桜の開花がどうなっているのか、まだ咲き誇っている状態か、既に散り始めているのか、自分は予想を立てながら文章にまとめていました。式典は計画通り難なく終わって、ホッとしているところです。挨拶の定番とも言える桜の話題ですが、開花を褒め讃えながら、樹木の下に人が集まって酒宴を催す風習は、どうやら日本だけのようで春の風物詩になっています。日常の風景に眼をやれば、こんなところに桜の木があったのかと驚くことも暫しあり、新芽が出ない前に花が満開を迎える桜は、やはり風景の中で際立つ存在なのかもしれません。そんな桜に見守られながら、今年度最初のイベントは日本の風景の中に溶け込んでいくように思えました。

週末 興味の訪問かクレームか?

相原工房は亡父の残してくれた植木畑にあります。畑と言ってもそれほど広大ではなく、周囲には住宅が建っていて、工房の窓から周囲にある民家のベランダが見えます。晴れた日にはベランダに洗濯物が干してあります。工房を使うのは週末は朝から夕方まで、ウィークディは夜の時間帯になります。制作中に騒音や悪臭が出る場合は、自分は周囲に建つ民家のことを考えて、週末の昼間にするようにしています。家内は近所の人たちとよく付き合っていて、工房の使用目的を話してくれています。そうでなければ彫刻制作のことや週末に若いスタッフが出入りしている状況は、近所の人たちになかなか理解してもらえないかもしれません。今日も朝から木彫に勤しんでいましたが、近所の男性が顔を出しました。朝からコンコンという音が外に響いているので、何事かと思ってきたと言うのです。これはクレームかと思い、若いスタッフは緊張の面持ちになりました。私は丁寧に説明をして、夏の個展のためにこんなことをやっていると示し、制作途中の作品を見せました。その人は作品に興味を持ったらしく、粗彫りしたばかりの木材や完成している陶彫部品を繁々と見ていきました。内容が分かれば事なきを得るもので、昨年の図録を渡して一件落着でした。やはり思った以上に気にかけている隣人がいるようで、夜は音を出さないように注意をしなければならないと改めて確認しました。

週末 木彫継続

4月になって最初の週末です。今日は朝8時半から夕方4時まで工房に篭りました。「発掘~群塔~」の木彫部分の粗彫りを先週に引き続きやっています。屏風になる板材の数が多いので、なかなか木彫部分も時間がかかります。一日7時間もやっていると鑿を振るう手が疲れてきます。木彫は面白くて次第に引き込まれていくのに、手から腕にかけて疲労が出て、余力を残して一日の作業を終えることにしています。明日も木彫継続で、明日へ疲労を持ちこまないようにするためです。今年になって五十肩に悩まされていて、今も左肩に鈍痛がありますが、木彫の作業は何故か大丈夫なのです。痛みも治りかけてきたので、今日の夜は近隣のスポーツ施設に行って水泳をやってきました。ほとんどリハビリのような水泳でしたが、何とかまともに泳げました。木彫は明日もやります。きっと朝から夕方まで鑿を振るいます。明日も頑張ります。

2015年度職場の出発会

職場が新しい体制になって、机の移動や会議が続きました。例年見る職場の風景ですが、やはり新鮮な感じを受けるのは自分ばかりではないでしょう。この職場に私が着任して2年目を迎えますが、親睦会の幹事に駅前の居酒屋を予約するように指示を出しました。昨年も着任早々同じ指示を出し、夜の出発会を持ったのでした。この機会に一気に親しくなって、お互い仕事をやり易くするというのが私の組織運営の第一歩です。昼には全員で一部屋に集まって行う昼食会もありました。私が大鍋で豚汁を作り、全員に振舞いました。年間で数回行っている大鍋コミュニケーションの第一弾です。前日に食材を買出し、技能員さんたちに手伝ってもらいながら作る鍋料理です。今年度新しく着任した方々は、管理職が自ら振舞う豚汁に驚いていましたが、私たちの仕事はまずコミュニケーションが一番大事と考えているので、これは私なりの組織運営の方法のひとつなのです。一人ひとりに組織の所属感や自己有用感を与えるための仕掛けを作るのが、私の役割です。2015年度を充実した年度にするために、人材育成を進め、いろいろな仕掛けをしていきたいと思います。