「罪と罰」上巻の読後感

「罪と罰」(ドストエフスキー著 工藤清一郎訳 新潮社)の上巻を読み終えました。上巻は第一部・第二部・第三部から成るもので、下巻は第四部・第五部・第六部から成っているようです。第一部・第二部のまとめを先日NOTE(ブログ)に書きましたので、今回はその後に続くラスコーリニコフの持論が展開される場面を取り上げたいと思います。「ぼくの結論は、偉人はもとより、ほんのわずかでも人並みを出ている人々はみな、つまりほんのちょっぴりでも何か新しいことを言う能力のある者はみな、そうした生れつきによって、程度の差はあるにせよ、ぜったいに犯罪者たることをまぬがれないのだ、ということです。」ラスコーリニコフが雑誌に発表した犯罪論を巡り、予審判事ポリフィーリと殺人における論理戦を交える箇所で、ラスコーリニコフが殺人を肯定しているような危うい展開があります。それに続く「人間は自然の法則によって二つの層に大別されるということです。つまり低い層(凡人)と、これは自分と同じような子供を生むことだけをしごとにしているいわば材料であり、それから本来の人間、つまり自分の環境の中で新しい言葉を発言する天分か才能をもっている人々です。」というラスコーリニコフの台詞は、独自の観察から人間を二つに分けて、選ばれし非凡な支配者は従来の法を乗りこえるという独自の論理で、これが実際にあった殺人と絡まって、今後どのようなドラマが紡ぎ出されていくのか楽しみです。「罪と罰」は当時のロシアが抱えていた社会事情をも念頭に入れて読んでいこうと思います。

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