「絶叫のタブロー」ヴォルス

現在読んでいる「絵の証言」(佃堅輔著 西田書店)に取り上げられている23人の芸術家のうち3人目になるアルフレート・オットー・ヴォルフガング・シュルツェについて感想を述べます。通称ヴォルスです。ヴォルスは昨年、千葉県にあるDIC川村記念美術館で大規模な展覧会が開催されて、まとまった作品群を見る機会がありました。細いペンで描かれた即興的な素描は、繁茂する有機物であったり、染みや斑点(タシスム)による不安や絶望の表現があったりして、命を削っていくような創作行為が感じられ、私は戦慄を覚えました。まさにヴォルスは「絶叫のタブロー」を実現した画家ではなかったかと思っています。本書の中で実存主義哲学を提唱したサルトルがヴォルスを支持したことが語られています。まず、ヴォルスの表現の特徴を述べた箇所を引用いたします。「後期の作品は、自己経験が神経質な痕跡として色斑や色線が大きく波打っているが、タシスムの絵画方法に対して模範的である。絵は、もはや従来の意味で成り立たず、彩色、それに線と色の筆法、痙攣する湾曲、物質に裂け目を入れられた傷において、今や内容と発言が同時に存在する。」次にサルトルとヴォルスの関わりの箇所を引用いたします。「サルトルによれば、『人間は自由だ』。自由なくして、人間の主体はない。そして自由は行動を離れたものではなく、人間とは彼自身がつくるところ以外のものではない。しかもニーチェ以来、神なき時代には、人間は神の恩寵に祈願することも、神の摂理に責を帰することもできない。ただ自己行動によってのみ、自己の自由を実現すべく、見捨てられ、遺棄されている。人間自身が、自己行動の全責任を負うのである。とするならば、人間が誠実であろうとする限り、不安、苦悶、遺棄、絶望の状態に陥らざるをえまい。サルトルが、ヴォルスの行動と芸術に共鳴したのも理解できよう。」

「ツァラトゥストラの詩人」エドワルト・ムンク

現在読んでいる「絵の証言」(佃堅輔著 西田書店)には23人もの芸術家が掲載されていますが、全員をNOTE(ブログ)で取り上げるつもりはありません。ただ、23人の中には自分が刺激を受けた芸術家が多いので、つい話題にしたい思いに駆られてしまいます。今日取り上げたムンクもその一人です。ムンクが関わったのが哲学者ニーチェで、彼の肖像画をスウェーデンの銀行家に依頼されて、ニーチェの愛読者であったムンクは、この仕事を即座に請負い、ニーチェと相通じ合う魂の在り方を絵画で表現したのでした。ニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」は私も読みました。哲学書らしからぬ修辞的な文体で書かれたこのニーチェの代表作は、読むにつれ理解に苦しむ箇所が多く、寓話の形式を取りながら観念の擬人化が成されているように私には思えました。本書の文面に「ニーチェの独創性は、事物を『黙示録的な照明』において見、それを激しい『マクロコスモス的表現』に賦与する彼の能力に存する。これが《ツァラトゥストラ》の秘密であり、ニーチェの個人に対する鍵は、恍惚とした陶酔だ、と。そしてニーチェとムンクが理解さえうる可能性として、新たなディオニューソス的芸術が特徴付けられる。」とあります。ディオニューソス的芸術とはニーチェの「悲劇の誕生」に登場する概念で、造形的なアポロン的芸術と対峙する情緒や感情が主体する芸術を言います。そうした心象表現はムンクの得意としたもので、ニーチェとのコラボレーションが巧みに行われたことが容易に理解できます。ニーチェの有名な言葉に次のようなものがあります。「神は死んだ。…わたしたちは今、果てしない無のなかをさまよっているのではないか。空虚な空間が、わたしたちに吹きつけてくるのではないか。いっそう寒々となってきたのではないか。絶えず夜が、しかもより多くの夜がくるのではないか…。」ムンクにもそうした虚無なニヒリズムがないとは言えず、同時代を代表する画家として、ニーチェの思想を糧に新たな表現を求めたのでした。

「第二の自我」エゴン・シーレ

現在読んでいる「絵の証言」(佃堅輔著 西田書店)のトップを飾るのはオーストリアの画家エゴン・シーレです。私が若い頃に滞在したウィーンでは、シーレの絵はクリムトとともにポストカードやポスターになっていて、近代を代表する芸術家の筆頭でした。ベルヴェデーレ宮殿に展示されているクリムトとシーレは、師弟関係にありながら表現手法はまるで異なります。若かった私が最初に陶酔したのはシーレでした。シーレは享年28歳、既に28歳になっていた私は自分の表現すら見つからず、異国を彷徨う始末で、シーレの画業が眩しくて仕方がなかったのでした。どんな走り書きしたデッサンでもシーレの作品は、シーレそのものでした。奔放な個性と激情、しかもその説得力はどこからくるのか、当時同じ歳だった自分は己の表現の不甲斐無さに萎れていました。本書が言う第二の自我とは何か、文中からその部分を拾ってみました。「彼の制作は、表現が過剰であるため、自画像とすぐ見分けがつかないが、外見から個人の特徴が少なからず認められる。だが、個人の特徴は否定されている。鏡面に歪んで映し出される自我は、本来の自我の鏡像ではなく、その鏡像は、おそろしく疎外された第二の自我に焦点を求めてくる。~略~シーレの形態は、尖ったものと切り立ったようなもの、角のあるものと極端なもの、角張ったものと骸骨のようなものである。それは単に、ぎりぎりの線にある緊張した空間に収められているだけではなく、人物の身体の外観からも納得させられよう。この身体がどれほど精神的重圧に耐えねばならないとしても、身体の解剖学は、それでも正しい。どんなに激しい表現であるとしても、わざとらしく感じさせる自然のデフォルメに至らない。」これがシーレの絵画に説得力を与えている要素なのだろうと思いました。

「絵の証言」を読み始める

「絵の証言」(佃堅輔著 西田書店)を読み始めました。副題に「ドイツ語圏に生きた芸術家たち」とあって、まさに私が若い頃から注目していた芸術家ばかりが掲載されている書籍です。本書では23名の芸術家を取り上げていますが、その中にはヨーロッパでしか知られていない芸術家も含まれています。頁を捲るとシーレやムンクから始まり、最後はハウズナーまで網羅されています。ルードルフ・ハウズナーは私が30数年前に在籍していたウィーン美術アカデミーの教壇にたっておられました。ハウズナーはウィーン幻想派の旗手で、何人もの日本人が彼の教室で学んでいます。私が知らなかったレヴィン、ラジィヴィル、ネッシュ等はどんな芸術家だったのか興味津々です。こうした芸術家が日本で知られる機会は滅多にないと思っています。とくにドイツ語圏の国々は第二次大戦でナチスドイツの台頭があり、ホロコーストがありました。芸術家の中にはユダヤ系の人も含まれているので、その生涯を賭けた創作活動がいかなるものであったか、また政治に翻弄されて命を落とした人もいたでしょう。現在ではその時代の空気を感覚として読み取ることは出来ませんが、世界情勢が不安定になりつつある現状で、もう一度彼らの芸術的主張を確かめることは有意義であろうと考えます。本書を通勤の友としてじっくり読んでいこうと思います。 

「触れ合う造形」読後感

「触れ合う造形」(佃堅輔著 西田書店)を読み終えました。本書は、私が注目する画家や彫刻家を取り上げていたためか、内容が大変面白く、また考えさせられる箇所もありました。取り上げられた芸術家の頻度としてはムンク、キルヒナー、カンディンスキーの3人だったと思っています。彼らは北方ヨーロッパに活躍の場があったことで、精神的な思索が表現を支えていて、写実から象徴へ、また抽象へ進む作風に画業が占められています。彼らを取り巻く画家や彫刻家にも、優れた表現力をもって美術史に残る業績をあげている人が多く、その出会いが化学反応を起こし、さらなる深層世界へ進む契機になっていると感じました。異色だった芸術家は彫刻家ロダンでした。ロダンとムンクは直接に交流することはなかったものの、人間の心象を理解し、具現化する上で、意義ある触れ合いが出来ていると思いました。日本であまり紹介されることがない画家が取り上げられているのも、私にとって嬉しい限りで、とりわけドイツの画家は、私が若い頃から注目してきただけに感慨一入でした。24歳の時、一人降り立ったミュンヘンで、旅行荷物を安宿に置き、ハウス・デア・クンストやレンバッハ・ギャラリーで見たドイツ表現派の原画を私は今も忘れていません。そこからウィーンに移動して住所を決めて、鬱陶しい冬を越した時に感じた、表現派の表現派たる心理の追体験も忘れていません。日本にいた時に理解できなかったものがドイツ語圏の国に住むことによってわかったことが数多くありました。そんな感慨を思い起こさせてくれたのが本書だったことを付け加えておきます。

週末 テーブル彫刻の天板切断

新作として現在進めている大きなテーブル彫刻の他に、3点の小さめのテーブル彫刻を作ることにしています。今日は小さめのテーブル彫刻のそれぞれの天板を切断しました。年末年始の休庁期間にやろうとしていたことを遅ればせながら今日から始めたことになります。朧気なイメージをしっかりした図にまとめるのは時間がかかるもので、テーブルの天板を刳り貫く穴の下書きにほぼ一日を費やしました。切断にはたいして時間はかからなかったものの、穴の刳り貫きはまた一日がかりになりそうです。陶彫制作は水のせいで手が悴みます。寒い日は木材を使った作業に切り替えることにしました。今日は工房に若い女性スタッフが2人来ていたので、湯沸しを用意し、熱いお茶が飲めるように配慮しました。彼女たちも自らの制作に真剣に取り組んでいました。久しぶりに顔を出した中国籍のスタッフは、年末年始に中国に帰っていました。彼女の故郷の山東省は北方にあるため氷点下になるそうで、楽しい土産話とともにアイディアを凝らした小さな辞書を頂きました。もうひとりのスタッフは染織関係の仕事で今晩カンボジアに発つそうです。相原工房のスタッフは国際派のグローバルな人ばかりになってしまいました。夕方、1週間ぶりに窯入れを行いました。よく来ているスタッフはカンボジアに行っているため、彼女がいない間に2回分の窯入れを行う予定です。

やっと週末に…

正月の飛び石連休が明け、ようやく公務員としての仕事が始まりました。二足の草鞋生活がいつまで続くのか分かりませんが、自分にとってこの生活は定番になっています。1週間の仕事から解放されて、やっと週末になった感覚が甦り、貴重な週末を創作活動に充てられる喜びに浸りました。それでも今晩は自分と関わりのある地域の賀詞交換会があって出席してきました。賀詞交換会には区長がきていて、来年は区政50周年を迎えることや、私が利用している近隣の駅の再開発や鉄道路線の地下化のことなどを話されていきました。開かずの踏切が何箇所かあって、地域では問題になっていたので、鉄道路線の地下化は有り難いなぁと思いました。今、まさに街が変わろうとしています。鉄道も東京渋谷や新宿まで時間が短縮され、交通網が一層便利になります。美術館やギャラリーに負担なく足を運べることは歓迎です。そのためにも老後も身体を常に健康に保たなければ、という思いに駆られました。工房では相変わらず陶彫をやっていて、彫り込み加飾の仕上げやら乾燥した陶彫部品の化粧掛けをやっていました。ともかくこの時期は寒くて手が悴んでいます。ストーブの前と作業台を行き来して暖を取っていますが、陶彫は水を使うので手の罅割れが酷くなっています。そろそろ木彫作業に切り替えたいと思っているところです。工房の窓から梅の木々が見えます。蕾が少しずつ膨らんできていて、梅の花が咲くのが楽しみです。工房に来ている若いスタッフは、梅の花が咲くまでに、自らの制作を完成させたいと言っています。私も小さめのテーブル彫刻のテーブル部分の切断を終わらせたいと考えています。明日も作業続行です。

友情のしるし、絵の交換

昨日のNOTE(ブログ)に書かせていただいた内容とよく似ている内容になりますが、現在読んでいる「触れ合う造形」(佃堅輔著 西田書店)の中に、表題にある画家同志の友情を取り上げている章があります。今回はロシア人画家同志が、お互いの絵を交換し合う中で育まれた友情に焦点を当てています。その画家とはカンディンスキーとヤウレンスキーです。アレクセイ・フォン・ヤウレンスキーは、ドイツ表現主義に代表される革新的な画家のグループが、1925年にアメリカのギャラリーで展示されることになった出品者の一人として、私は記憶に留めていました。抽象化された頭部を描いた彼の作品をどこかで見たことがあります。この章では画家同志がお互い作品を贈り合って刺激し合う中で、表現力を高めていく良好な関係が描かれていて、とりわけカンディンスキー夫妻とヤウレンスキー夫妻の訪問時の温かい交流や手紙のやり取りに、2人が心で支え合いながら新しい芸術を推進する原動力になっていると感じました。カンディンスキーはバウハウスの教授職に就いて安定した収入があったものの、ヤウレンスキーは経済的に困窮し、重病を患いました。そのため、カンディンスキーはヤウレンスキーの展覧会を企画し、絵が売れるように奔走したのでした。ナチスが台頭して2人が亡命を余儀なくされる中で、手元に置いていた同志の作品に対する思いを綴った一文があります。「ヤウレンスキーが《多様な水平線》と《褐色のなかの円》を選び、手離す気になれなったのは、1914年より以前のカンディンスキーの作品をとりわけ好んでいたからである。そして1920年以降の絶えざる経済的危機にもかかわらず、ヤウレンスキーは、ムルナウの一番大切な贈物である《インプロヴツィオーンのためのスケッチⅤ》と共に、戦争前カンディンスキーから贈られた作品を、ずっと大切に手元に置いていたのである。~略~それは生涯にわたって消えることのない友情の美しいしるしだったのである。」

親密な友人関係、そのドキュメント

現在読んでいる「触れ合う造形」(佃堅輔著 西田書店)の中に、表題にある画家同志の友情を取り上げている章があります。画家の友情とはドイツ表現主義のキルヒナーとブライルのことです。フリッツ・ブライルは私にとって未知の画家で、作品すら見たことがなかったのでした。調べてみるとブライルは1880年から1966年まで生きた人で、享年88歳というのは当時としては長生きだったと思います。彼は教職に就いたり、建築事務所に勤務していたので、画家としての活動は短かったようです。ドイツ表現主義の数あるグループに「ブリュッケ(橋)」という集団があり、キルヒナーとともにブライルはここに参加していました。2人の出会いに関する文章があります。「ブライルもキルヒナーも建築の勉強を選択した同志だった。だが、それは美術アカデミーの教育が、子供の将来にとって、経済的に何ら保証するものではない、という親の強い考えに従わざるをえなかったからで、『味気ない職業』の選択となったのだ。」これは国は違えど、私も共感できるところだなぁと思いました。ドレスデン工科大学で2人は親密になり、一緒にスケッチに出かけることも屡々あったようです。「ブリュッケ」に関してキルヒナーが木彫した宣言文があります。「進歩を信じ、創作し鑑賞する世代を信じて、わたしたちはすべての若者に集まれと大声で叫び、そして未来を担う若者として、ぬるま湯につかっている古い力に反抗し、技術および生命の自由をつくりだそうとするのである。直接に偽らずに、自己の創造へと駆り立てるものを表現する人はすべて、わたしたちの仲間なのだ。」その「ブリュッケ」以降、2人の道は大きく分かれました。キルヒナーの作品はナチスにより「頽廃芸術」の烙印を押され、次の一文にあるような状況に陥りました。「彼は『ドイツにおける誹謗』にもはや耐え切れなくなり、スイスに逃れ、ダヴォスで1938年6月15日、みずから命を絶った。38歳の短い生涯だった。芸術家の不安定な生活よりも、家族の経済的に安定した市民生活を選んだブライル…」とあり、ブライルは1966年まで生きて生涯を全うしたのでした。ブライルは「市民的な観念世界を超えるエキセントリックな自由の精神」(A・ブラトマッハー)の持ち主だったキルヒナーとは、まったく異なった運命が待っていたと言っても過言ではありません。芸術家の生涯について、そしてどこに人生の価値を置くか、対照的な2人を見ていると私は真摯に受け止めざるをえません。

さまざまな女性像の深淵

現在読んでいる「触れ合う造形」(佃堅輔著 西田書店)に登場するノルウエーの画家ムンクとドイツの画家キルヒナー。日本ではムンクは有名ですが、キルヒナーは知る人ぞ知る画家ではないかと思います。私は20代の頃からドイツ表現主義に興味があったので、キルヒナーは今も私の中で強烈な存在感を放っています。当時はキルヒナーの木版画を真似て、私も彫り跡を残した木版画を作っていました。ただし、キルヒナーの主題とする女性との関わりを描いたものや性的な表現は、私には不得意な分野で、技巧的にも内容的にも私の作品は稚拙で退屈だったと述懐していますが、数点の版画が人の手に渡ったことを私は今も憂いています。そんな私が注目してきた画家キルヒナーとムンクの対比が、本書で取り上げられていたので注目しました。それによるとムンクによる性の深淵にキルヒナーはやや稀薄ではあるけれども、同様な感覚を持っていたことが分かりました。文面を引用いたします。「ムンクの著しく神経的なものや、計り知れないものは、キルヒナーにとって、馴染みがたいものだったと思われる。というのも、『地獄の復讐の女神たち』に絶えず責めたてられ、『女難』に悩まされ続けたムンクほど、全体的に見てキルヒナーの人生の立場は、女性関係が複雑ではなかったからである。~略~キルヒナーの言葉で述べれば、とくにムンクは『人間性を強要して、より深く、自己内部へ眼差しを向けたことによって』、『人間的な根本真実』を言いあらわしたのだ。ムンクは、この人間的な根本真実を、すなわち世の中の機構を保っているあの強い性的衝動を、認識することを教えたと言えよう。~略~そしてキルヒナーも、自分が感じとった強いエモーションを、木版画の形式における絵画表現に置き換えようと試みた。こうして彼の木版画は、手段として、自分が直接的に体験したものを言いあらわし、性に関連した主題圏においても同様に言いあらわしたのである。」

映画「ゴッホ 最期の手紙」雑感

先日、常連になっている横浜のミニシアターに映画「ゴッホ 最期の手紙」を観に行きました。レイトショー初日だったためか比較的混んでいて、ゴッホの絵画を使った奇抜なアニメーションに関心が集まっているのかなぁと思いました。当初はストーリーより技巧の方に目が奪われるのではないかと思っていましたが、次第に内容に引き込まれていって、ゴッホの自殺を巡る原因や事実解明に、それなりの解釈を加えた映画だという感想を持ちました。内容は郵便配達をやっている父から、ゴッホの手紙をゴッホの弟であるテオに届けるよう、息子が託される場面から始まります。ところがテオはパリで既に亡くなっていて、息子アルマンはゴッホ終焉の地であるオーヴェール村を彷徨い、ゴッホ自殺の真実を求めていくことになるのです。今も謎の多いゴッホの生涯ですが、オーヴェール村で出会ったゴッホの主治医ガシュは何を語るのか、ここがこの物語の真骨頂かなぁと思いました。技巧に関しては本作の醍醐味になっていて、ゴッホの絵画に似せた油絵がアニメーションとして動きます。図録によると、本作はまず俳優が演じる実写として撮影され、それを基に1秒12枚の油絵を高解像度写真によってアニメ化されたものなのです。なんと62,450枚もの油絵が、各国から選ばれた125名の画家たちによって制作されたようです。図録には美術家森村泰昌氏による「絵画が動くという美術的な時間軸と、物語が展開していくという文学的な時間軸」という言葉がありました。日本人画家として制作に携わった古賀陽子氏の語るエピソードにこんな一文がありました。「何十とあるコマの途中に不備が見つかるとその箇所以降のコマを全て描き直さなければいけませんでした。そういう事が何度かあり大変でした。オーヴェールの教会のシーンを担当した際、オーヴェールの教会の模写をしましたが『似ているだけではダメ。かすれ具合なども全て同じにして』と上司に言われ、苦労しました。」本作は技巧的に渾身を込めた映画であることは疑う余地はありません。

年越し連休の最終日に…

12月23日から設定した職場独自の三連休、12月29日から1月3日までの6日間に亘る休庁期間、1月6日からの成人の日までの三連休、といった年越し連休は今日が最終日になりました。飛び石連休だったとは言え、創作活動には有効な日々でした。ただし、今年は昨年の年越し連休のように連続して創作活動に埋没することは出来ませんでした。今年の夏に企画していただいている個展に向けて、連休が終わった今、全体の作品としてはまだ半分ほどの出来上がりですが、制作工程の上では順調です。今日は成人の日で、工房は今までにない寒さになりました。どんよりとした天候で、時折雨が降ったために体感的に寒く感じたのかもしれません。数年前の成人の日に大雪が降りました。家内が神奈川公会堂に演奏に出かけ、私は徒歩で駅まで迎えに行ったのでした。その時は成人を迎えた晴れ着姿の女性たちが長々と列を作ってタクシーを待っていました。成人の日と言えば思い出す辛い一日ですが、今日も雨の中を成人式に向う人たちは大変だなぁと思っていました。工房では彫り込み加飾をやっていました。今日一日で3点出来上がりました。彫り込み加飾は、成形した陶彫部品に矩形の文様を彫っていくもので、平面的で地道な作業です。ずっと作業台の前に座っていたため、寒さが堪えたのだろうと思います。夕方、自宅に帰ってきたら寒さで疲れました。今日も小さめのテーブル彫刻には手をつけられませんでした。窯入れも予定していましたが、明日から暫く若いスタッフが工房を使うため、窯入れは1週間遅らせることにしました。窯入れしてしまうと電気の関係で工房が使えなくなるからです。私はまた来週末に作業を行います。

三連休 陶彫成形「根」の完成

三連休の中日です。朝から工房で陶彫制作に明け暮れました。昨年暮れの休庁期間に立てた制作目標である陶彫の「根」部分16個の完成は、何とか今日出来上がりました。と言っても彫り込み加飾は明日行うので、実際の完成は明日になります。「根」部分とは、新作の大きなテーブル彫刻の床に配置する陶彫部品から4つの根を4方向に這わせていく部分を言うのですが、その4本の根は4個の陶彫部品の連結によって長くしていきます。2013年に発表した「発掘~地殻~」の屏風から迫り出した部分や、2014年に発表した床置きの「発掘~増殖~」が今まで作った連結する集合彫刻でした。今回新作で応用する「根」部分はそうした過去作品と同じように連結するものです。4本の根にそれぞれ4個ずつとなれば陶彫部品は全部で16個になりますが、私の計算ミスで1個多く作ることになり、「根」部分は17個で構成される予定です。4本のうち1本の根が一関節長くなってしまったのですが、案外面白いかもしれません。今日は陶彫成形に終始してしまって、小さめのテーブル彫刻の2点目のテーブルを作ることが出来ませんでした。それは明日の三連休最終日に持ち越しになります。小さめのテーブル彫刻3点の厚板切断は、この三連休は無理そうです。とにかく制作目標は「根」部分の完成を目指していたので、目標達成と言って差し支えないと思います。今日は夕方になって、古くなった自宅のテーブルクロスを買いに、家内と横浜中華街に出かけました。今のテーブルクロスは中華街にある雑貨店「チャイハネ」で随分前に買ったものでインドネシア製の織物です。綻びがあちらこちらに目立つようになり、色彩も薄れてしまいました。これだけ使えば多少値の張るものでも充分ではないかと思っています。今回もアジアの織物を仕入れてきました。食卓は生活には大切な空間です。食器の下に敷くものも美しさを意識したいと私は考えていて、創作は衣食住の生活環境からも影響を受けるものと思っているのです。

三連休 制作&映画鑑賞

月曜日に成人の日があるため、今日から三連休が始まります。正月の休庁期間が明けて、2日間職場に出勤して、またこの三連休は、創作活動をする者にとっては嬉しい限りです。休庁期間にやり残した制作を続行するため、朝から工房に篭りました。若いスタッフも来ていて、お互い張り詰めた時間を過ごしました。私は今日からやや小さめのテーブル彫刻に挑みました。まずテーブルの大きさを一辺90cmの正方形に定め、厚板を切断しました。テーブルは4本の柱で支え、下に吊り下がる陶彫部品は一辺40cm、高さ80センチのピラミッド型の角錐にすることに決めました。さらに二つテーブル彫刻を作りますが、これは次回にしようと思います。今後は大きなテーブル彫刻と小さめのテーブル彫刻3点を併行して作っていくことになります。夕方になってスタッフを車で送っていきました。些か疲れた今日の作業でしたが、夜になって常連になっている横浜のミニシアターに家内と映画を観に出かけました。私の新春第一号の映画は「ゴッホ 最後の手紙」で、驚くべきアニメーションによるものでした。125人の画家によるゴッホのタッチを再現したもので、まさに動く油絵とも言うべき映像に面食らいました。この映画はその奇抜な技法をもってゴッホの自殺を巡る事実関係が明かされていくストーリーで、ゴッホの世界観そのままに描き出したサスペンスでした。詳しい感想は後日にしますが、ゴッホの独特なタッチが揺れ動いて、心理的には落ち着かなかったと家内は感想を洩らしていました。ただし、手間暇のかかった試みであることに変わりなく、ゴッホの名画があちらこちらに登場して、ゴッホが好きな人たちにとっては堪らない映画であろうことは間違いありません。三連休初日は充実した時間を過ごすことが出来ました。

1月RECORDは「対」

今年も月毎にテーマを決めてRECORDをやっています。昨日のNOTE(ブログ)に書いたように今年の方針として1ヵ月分の画面構成を決めてやっています。今月は正方形の格子状の枠を作って、そこに絡むデザインを考えています。今年のテーマは漢字一文字にしました。漢字一文字のテーマは2013年と2015年にやっていますが、いろいろ考えた挙句、同じ文字のテーマになっても絵柄が変われば問題はないと考え、漢字一文字を採用しました。今月は「対」にしました。「対」には、一対、対峙、対話、対応など相対する何かが緊張をもって存在するイメージがあります。出来るだけ多くのバリエーションを考えて、今後の展開を試みようと思っています。というのは1年間の最初である1月のRECORDは重要で、この1ヵ月次第で年間のスタイルが定まっていくと言っても過言ではありません。RECORDは毎年厳しい状況になってしまうので、今年はそうならないように決意を新たにしていきます。

18’RECORDの方向性

昨日で休庁期間が終わり、今日から職場に復帰しました。職員もちらほら顔を見せ、新年の挨拶を行いました。今日はとくに打ち合わせも会議もなく、平穏な一日で終わりました。元旦から4日間が過ぎていますが、今年のRECORDの方向性を示そうと思います。今年のRECORDは月毎に画面構成のパターンを決めて、そのベースの上に絵柄を考える方法を取ることにしました。何もない画面に自由に発想することを今年1年間は止めました。画面のベースが予め決まっている方が、発想を容易く生むメリットがありますが、逆にデザインに手枷足枷を嵌めることで、苦しい状況に追い込まれることがデメリットになります。つまり、白い画面を眺めていて何もイメージが出てこない昨年の焦りから解放される反面、難しい境地に陥るだろうことは予想されるのです。何もない画面より汚れがあった方が絵にしやすいと言っていたのが、確かスペインの巨匠ミロだったように記憶しています。まさにその通りで、今年はそんな実験をやってみようと思っています。画面構成のパターンは2009年と2011年にもやっていますが、今年はさらにパターンを狭めていくつもりです。

恒例の従兄弟会

正月は親戚が集まって旧交を温めるのが、日本の慣習になっています。最近は一人で正月を過ごす人が多くなって、古来からの正月の風景も変わりつつあります。それでも家族揃ってどこかへ出かける様子を見ると、年始は単なる休暇とは違う雰囲気があります。私たちは親戚が高齢化して実家に集まることが出来なくなり、その子どもたちで従兄弟会を結成して、都心の店を借り、親交を温める機会を持っています。もう何年くらい従兄弟会が続いているでしょうか。従兄弟会は家族連れが増えてきて、ますます賑やかになっています。今日は東京渋谷にあるイタリア料理店で従兄弟会を開催しました。これが正月に親戚の集まる唯一の機会で、集まった人のほとんどが7月に銀座で開催している私の個展にも足を運んでくれています。久しぶりと言うよりは半年ぶりに会っているので、気儘で気楽なつき合いになっているのです。仕事以外に気遣いしたくない自分にとって、とてもいい関係だなぁと思っています。せっかく渋谷に出てきたので、帰り際に大きな書店によりました。家内は猫と音楽関係の書籍を、私は美術関係と今年の目標にした現象学の書籍を買いました。現象学は哲学者フッサールかなぁと思っていて、数年前に読破したハイデガーの「存在と時間」に関連した現象学の部分を思い出しながら帰途につきました。

今日は初窯入れの日

新作の窯入れは昨年よりやっています。既に全体の半分くらいが焼成済みです。新年の仕事始めと同じ意味で、今日は2018年になって初めて窯を使った日です。制作は元旦だった昨日からやっていますが、一日中工房に篭って制作していた今日は、ほとんど正月休みであることを忘れていました。昨日、浅草の染工房で仕事をしていた若いスタッフは、朝から相原工房に来ていて、自らの創作活動をやっていました。彼女の今月の予定は、浅草と横浜を行き来して観光客向けのワークショップと創作活動を休むことなくやり続けることです。休まないことに関しては私と同じです。私は今月4日から公務員としての仕事が始まりますが、それまでは創作活動三昧です。窯入れは陶彫にとって最後の制作工程で、人の手の届かない炎神の棲む世界を通過する儀式と言えます。それがあるからこそ陶彫が面白いのです。陶土が高温によって石化する時に素材が変容します。私の混ぜ合わせた陶土は、錆びた鉄のような鎧を纏って私の眼前に姿を現すのです。窯出しの際、亀裂がなければ私は天にも昇る心地よさに打たれます。私は20数年間飽きもせず同じ手法で焼成を繰り返していて、この錆びた鉄色が自分の世界観を表す最善のモノと思っているのです。当然鉄のように見えるのは陶土なので、錆が進むことはなく、何年経っても表面の変化はありません。混合する陶土だけではなく、焼成前に施す化粧土にも微妙な重ね塗りをしています。それが陶土表面の深い色彩を生むのです。一旦窯入れをしてしまうと電気の関係で工房が1日半は使えなくなります。明日は窯の温度の確認に工房に行きますが、作業はしないつもりです。スタッフも明日は浅草の染工房に出稼ぎに行きます。4日の午後に窯の温度を再確認して、次の窯入れの準備を始めようと思っています。

2018年 元旦の風景

2018年になりました。新春のお慶びを申し上げます。今年もよろしくお願いいたします。昨年も書きましたが、早朝、刻んだ餅と油揚げを半紙の上にひとつまみ置き、小さな稲荷の祠に供物として捧げることから、我が家の元旦が始まります。祠は自宅と母の実家の間にある雑木林の中に鎮座しています。何代か前の私の先祖が、廃棄してあった稲荷を拾ってきて祠を作ったことで、相原の家は栄えたのだと祖母が言っていました。当時、我が家は半農半商だったようで、商いとして祖父は大工の棟梁をやっていました。父は大工ではなく造園業に転じ、確かに羽振りがよい時期がありました。私はそんな環境で育ったにも関わらず、何故か安定した公務員になりました。ただし、不安定な芸術家にもなっていて、この先どうなるのか自分でもわからない状況です。元旦くらい先祖に従い、氏神となった小さな祠を大切にしていこうと思っています。昨年は工房の窯で陶彫焼成中だったために作業をしていませんが、今年は元旦から陶彫成形をやっていました。今日は午前中で作業は終わりにして、午後は毎年恒例になっている東京赤坂の豊川稲荷に出かけました。母の息災延命と家内と私の芸道精進を祈願して護摩を焚いてもらいました。小さなお札も購入して祠に入れておく予定です。ここまでが毎年やっている定番の行動ですが、今年は豊川稲荷のある赤坂見附から浅草に行きました。工房に出入りしている若いスタッフが浅草の染工房で働いていて、仲見世近くの店にいると聞いたので、様子を見に行ったのでした。彼女は外国人観光客のためのワークショップをやっていました。布のコースターに絵柄を染める作業を外国人の親子がやっていました。英語を操りながらサポートしている彼女は楽しそうに見えました。明日彼女は相原工房に来て、大きな自作に挑むようです。年末年始を休まないのは私も同様ですが、不安定な芸術家は心を安定させておく必要があります。明日の工房はいつも通りの制作三昧の一日になりそうです。

2017年HP&NOTE総括

2017年の大晦日を迎えました。毎年恒例になっている総括を行います。まず彫刻では7月に12回目の個展をギャラリーせいほうで開催させていただきました。大きな作品では「発掘~宙景~」と「発掘~座景~」を出品しました。個展も12回目になると慣れていると思われがちですが、毎回越えなければならない壁があり、綱渡りの状況があり、否応なく創作活動の難しさを感じています。その分毎回個展に足を運んでくださっている方々に心強い言葉をいただいて、感謝に耐えません。来年に向けて新作が既に佳境に入っていて今日も頑張っていました。創作の新たな展開は劇的にやってくるものではなく、薄い紙を一枚ずつ積み重ねていくようなものだなぁと思っています。陶彫とのつき合いも長くなりましたが、今も発見があって刺激をもらえます。あと20年も制作できたら少しはマシな作品が出来るのではないかと思うこの頃です。今年厳しかったのは一日1点づつ平面作品を作っていくRECORDでした。日によっては時間が取れない時があれば、意欲が低下している時もありました。下書きばかりが先行して、その日のうちに完成出来なかった作品も数多くありました。これは何年経っても厳しい課題ですが、怠け癖のある自分のためにも継続していきます。鑑賞は充実した1年間だったのではないかと振り返っています。運慶の木彫やジャコメッティの塑造が印象に残っていますが、絵画ではミュシャの「スラヴ叙事詩」やヴォルスが忘れられません。さらに美術館2つを加えれば、「イサムノグチ庭園美術館」と「故宮博物院」が存在感を放っていました。映画ではまずヒットしたアニメから観はじめましたが、シーレやセザンヌ、ロダンといった芸術家の生涯を扱った映画が印象に残っています。来年は芸術家を扱った映画が目白押しで今から楽しみにしています。読書は停滞気味でした。最近は難解な哲学や心理学の専門書から遠ざかっているので、来年は気合を入れ直そうと思っています。今のところ現象学に興味があるので、一冊はモノにしようと考えています。最後に私の拙いNOTE(ブログ)を我慢強く読んでくださった方々に感謝申し上げます。それでは皆さまにとって来年が良い年でありますようお祈りいたします。来年もよろしくお願いいたします。

制作に向う姿勢維持

休庁期間の2日目です。昨日から工房での生活が一日の大半を占めています。身分保障されている職場よりも、ある意味では厳しい緊張を強いられる空間です。若いスタッフが来ていますが、自己イメージの具現化に向けて基本的には孤軍奮闘でやっています。朝9時過ぎから夕方4時までが頑張る時間と決めています。昼前の空腹時に不思議と作品が進みます。スタッフとストーブの前で食事を取った後は、多少気分が緩くなりますが、それでもすぐに頑張りが戻ってきます。作業が終了する4時前が一番の頑張り時かなぁと思っています。作業が続くと手の罅割れが酷くなってきています。薬を塗りつつやっていますが、この時期は笠間あたりで陶芸をやっている友人たちは大変だろうなぁと思っています。制作に向う姿勢の維持は、この数日間は絶対に必要です。自宅に帰ると腰や肩や腕が痛くなっていたり、脚が筋肉痛になっていたりしますが、それでも今のところ意志が勝っているので、今年も目標が達成できるのではないかと思っています。困難な状況に陥った時に、創作を諦めたことは一度もなかったのかと若いスタッフに聞かれました。彼女は今年の春に大学院を出て、今が困難な状況にあるらしく、このところ工房でも必死に制作している様子が伺えるのです。私自身はそんな状況でも諦めずにやってきました。私にとって二足の草鞋生活は口で言うほど簡単なものではありません。ましてや今は重責な立場にいて、この立場と彫刻家を貫いているのは自分くらいかなぁと思っています。もちろん私自身が授かった人生の運もありますが、誰もやろうとしないのは、この道は決して楽ではないからです。年の瀬が迫り、今年を振り返っても二つの世界双方とも楽しいことばかりではありませんでした。でも、頑張った分、与えられたものも大きかったと思っています。今年も残すところ後一日、姿勢を維持していきたいと考えています。

休庁期間の始まり

毎年、休庁期間をどう過ごすのか、創作活動に没頭する中で制作目標を立てています。目標としては大きな陶彫の新作の床に這う根の部分の完成と、やや小さめの3点のテーブル彫刻のテーブル部分を作ることです。3点のテーブル彫刻には、それぞれ陶彫部品を設置しますが、まずは木材でテーブルを作るところから始めようと思います。今年の3日間は陶彫のみ制作する予定です。来年からテーブルの天板の切断にかかります。今年3日間では根の部分の陶彫部品を全て作り切ることは難しいと考えます。陶彫部品は来年に持ち越しになりますが、休庁期間が終わった後に成人の日を含む三連休が続くので、ここまでに根の部分を終わらせる予定です。窯入れは三連休の後になります。窯入れをしてしまうと電気の関係で翌日の作業が出来なくなるのです。窯入れは1月9日から始めます。今日は窯の上にお供えを置きました。例年、正月になると1年間無事に焼成が出来ることを天に祈ります。一般家庭では考えられない高温で何時間も窯を焚くので、常に危機意識を持っていたいのです。今日は朝から夕方まで工房に篭って制作に明け暮れました。制作工程の中で、陶彫の成形が一番面白いと感じていて、今日はあっという間に一日が過ぎていきました。毎日制作すると、仕事がどんどん進み、常に土を練ったり、タタラを作ったり、成形や彫り込み加飾をやっています。立ち止まって考えることなく制作サイクルが回り始めます。自分の肉体疲労を顧みないので、工房を出る夕方になって、一気に疲労に襲われる結果になりますが、それでも心は充足していて快いのです。翌朝は筋肉痛に悩みますが、工房に行ってしまうと痛みがなくなり、パワーが全身に漲ります。昨年は休庁期間前後を含めて9日間継続しました。新年の職場復帰の頃は放心状態になっていました。今年は暦の関係で昨年のような長い制作時間は取れませんが、出来る限り頑張りたいと思っています。

映画「ロダン カミーユと永遠のアトリエ」雑感

近代彫刻の祖であるオーギュスト・ロダンは、彫刻を学ぶ者にとって避けて通れない存在です。私も例外ではなく、ロダンの鋳造された代表作を日本の美術館が数多く所蔵していることを学生時代から喜んでいました。ロダンの生き生きとした肉体の量感を見る度に、20代の頃の私は立体把握の不甲斐なさを嘆いていましたが、最近になってロダンという人物に迫る映画が、没後100年を記念して作られたことに喜びが隠せませんでした。早速、横浜の中心街にあるミニシアターに「ロダン カミーユと永遠のアトリエ」を家内を誘って観に行きました。40歳近くになって認められた彫刻家ロダンは、その先も物議を醸す作品を世に送り出し、それでも彼は微塵の妥協もなく、革新的な彫刻家として道を突き進んだのでした。ロダンを考えるうえで、弟子で愛人でもあったカミーユ・クローデルは欠かせない存在です。以前に彼女を主人公にした映画を観ましたが、本作でもロダンとの葛藤が余すところなく描かれていました。ただし、本作はあくまでもロダンを中心に扱っているため、内妻ローズのことも丁寧に描いていて、女性関係に揺れ動くロダンの心情が伝わりました。ロダンの塑造は官能性を秘めており、創作活動を展開する上で、造形行為と女性を愛することの繋がりは重要な骨子として表現されていました。「地獄の門」や「バルザック像」の制作過程を映像化した場面に、私は個人的な興奮を覚えました。広い大理石保管所を国からアトリエとして提供された場所も、撮影用の空間とは知っていながら、石膏の粉塵や匂いが立ち込める制作場所を想像しつつ、彫刻のモデリングを行う場所は自分にとって身近な場所だけに心が湧きたちました。その日は朝から相原工房で陶土と格闘し、手の罅割れも顧みず、夜の映画に行ったので、自分にとって朝から晩まで彫刻一辺倒になった素晴らしい一日だったことを記しておきます。

戌年年賀状の投函

年賀状を作るべきか止めるべきか、毎年迷うところですが、私は年賀状の慣習をどちらかと言えば歓迎する一人です。確かに年の瀬の慌ただしい中で年賀状を準備するのは大変ですが、ご無沙汰している人たちに葉書が出せる良い機会と捉えています。年賀状の図柄はRECORDから採用しています。RECORDは一日1点ずつ葉書大の平面作品を作ることを自分に課しているので、その中で年賀状にふさわしいものを選んでいます。最近では干支に因んだ絵柄を意図的にRECORDに組み入れているので、予め自分の中ではこれを年賀状にしようと決めています。先月のRECORDに犬を描いたシリーズを作りました。その中のレトリバーの子犬を年賀状のデザインにしました。印刷は他でお願いしていて250枚を用意しました。今晩、宛名印刷をやっています。明日の朝には職場の近くの郵便局に投函する予定です。年賀状の宛名は夏の個展案内状にも使用しているので、名簿化していますが、訃報を受け取った人以外に名簿から外れてしまう人がいると思います。このNOTE(ブログ)で失礼をお詫びいたします。

映画「ダンシング・ベートーヴェン」雑感

先日、常連になっている横浜のミニシアターにバレエ公演を映画化した「ダンシング・ベートーヴェン」を家内と観に行きました。これは天才振付家モーリス・ベジャールがベートーヴェンの「第九」を集団による舞踏で表現したもので、オーケストラや合唱団を加えると総勢350名にもなる一大プロジェクトです。「ダンシング・ベートーヴェン」は、ベジャール亡き後、途絶えていた演目をモーリス・ベジャール・バレエ団と東京バレエ団の共同制作によって2014年に東京公演で復活させた記録映像を収めた圧巻の映画でした。メイキングではスイスのローザンヌと東京を行き来して、過酷な練習に励むダンサーたちの情熱や葛藤を捉えていました。ダンサーの中には妊娠が発覚して交代を余儀なくされたソリストが描かれたり、追加のダンサー募集の場面が描かれたりして、現実にあった場面を挿入して演目を作り上げていく過程での臨場感がありました。ダンサーたちがそれぞれ発揮する強烈な個性は、それを支えるイスラエル・フィルと指揮者ズービン・メータにも強烈な力があり、それらが渾然一体となってシンクロしていく過程に、交響曲の響きとともに私たち観客は惹きつけられていきました。語りは芸術監督ジル・ロマンの娘で、アランチャ・アギーレ監督はこの女優マリア・ロマンを通して映画としての主張を伝えていきたかったのかなぁと思いました。パンフレットにプロローグでの朗唱の台詞が載っていました。ニーチェの「悲劇の誕生」の一節です。「ベートーヴェンの”歓喜”の頌歌を一幅の画に変えてみるがよい。幾百万のひとびとがわななきにみちて塵にひれ伏すとき、ひるむことなくおのれの想像力を翔けさせてみよ。そうすれば、ディオニュソス的なものの正体に接近することができるだろう。」(西尾幹二訳)ニーチェはアポロン的なるものとディオニュソス的なるものを対比させ、官能性や感情が主たる要素を占める音楽や演舞はディオニュソス的と称していました。まさに「ダンシング・ベートーヴェン」はその極意と言えるかもしれません。

クリスマスには映画鑑賞を…

職場で独自設定した三連休の最終日です。今日はクリスマスです。明治維新以降、我が国は欧米に政治経済や文化まで見習い、貪欲に吸収していくうちに、西欧の宗教も呑み込んで、その異国情緒を伴う宗教感に憧れを持ったのが現代日本のクリスマスの活況の源ではないかと察しています。西洋の宗教であるキリスト教は幕末の頃から渡来し、当時の日本の政治体制と相容れなかったため、厳しい弾圧にも遭いました。一方のイタリアのバチカンでは世界規模でキリスト教を布教する戦術があって、極東の日本にも遥々伝道師を送ってきたのでした。宗教の導きに私は異を唱えるつもりは毛頭ありません。寧ろ人種や国籍を超えて、祈りのカタチが伝わっていくのは自然なことだろうと思います。クリスマスはそうした宗教行事のひとつですが、現代日本では拡大解釈がされて、西洋風なお祭り気分になっています。それでもいいのではないかと思うところですが、世知辛い世の中を楽しく過ごせるなら、それも一興と考えます。今日は西洋文化に因んで、私は朝から彫刻を制作していました。彫刻の概念は元々西洋から伝わったものなので、私も西洋かぶれと言ったところでしょうか。今日はやり直しを余儀なくされた陶彫部品の成形を終えました。明日の夕方は彫り込み加飾を行う予定です。明日は勤務なので職場関係のやり残しを片付けてから工房に顔を出します。西洋繋がりで今晩は家内と彫刻に纏わる映画に行きました。常連になっている映画館でなく、そこから近いところにあるもうひとつのミニシアターに出かけました。映画館は横浜の伊勢佐木町の魚屋の地下にありました。観た映画は「ロダン カミーユと永遠のアトリエ」で、彫刻家ロダン没後100年を記念して制作されたフランス映画でした。先日放映された日曜美術館といい、今読んでいる書籍にもロダンが登場してきて、私は最近偶然にもロダンに触れる機会が多くありました。今日観た映画の舞台は、ほとんどロダンのアトリエ(工房)で制作中の作品が数多く登場しました。「地獄の門」の木組みの中に石膏を嵌め込んだ制作風景は、映画の背景でありながら私を刺激しました。もちろんドキュメンタリーではなくドラマだったわけですが、ロダンやカミーユを演じた俳優の迫真の演技に、あたかもそれが現実だったのではないかと錯覚させました。詳しい感想は後日改めます。クリスマスの昼は相原工房で彫刻に勤しみ、夜はロダンのアトリエにいる気分になって、まるで今日は西洋文化の坩堝にいるような一日でした。

三連休に休庁期間のことを考える

12月29日から1月3日までの6日間が休庁期間となり、この時期は年越しで気持が改まる時でもあります。職場では地方に郷里があれば実家に帰る職員もいます。私は横浜生まれの横浜育ちなので、里帰りに縁がありません。自宅から近いところに母の実家がありますが、母は介護施設にいるため、母が希望しなければ実家に戻ることはなく、年越しは自宅で過ごすことになるのです。そのため休庁期間は創作活動に充てることが恒例になっていて、それを当て込んで制作目標を立てています。今日は朝から工房で陶彫成形をやりながら、休庁期間にどこまで制作を進めるか思いを巡らせました。大きな新作の根を這わせる陶彫部品は16個必要で、現在10個目を作り上げたところです。既に半分以上は達成したことになります。大きな新作ばかり気を取られていますが、大きな新作の他に3点のテーブル彫刻を作る予定があり、これも休庁期間に進めなくてはなりません。まず、3点のテーブルの切断をやろうと思っています。それはともかく今日は先日失敗した大きな陶彫部品のやり直しを行いました。今日一日では成形が終わらず、明日に持ち越しになりましたが、明日には何とか終わらせようと思っています。せっかく職場独自で設定した三連休なので、制作ばかりではなく、明日は何か楽しみを見つけたいと思っています。明日はクリスマスですが、30年前にルーマニアの小さな村でルーマニア正教によるミサを体験し、その純粋な礼拝に心打たれてからは、私は日本のクリスマスを楽しむ気分にはなれなくなってしまいました。本来はイエスの降誕を意味するクリスマスなのに、別のニュアンスが目立つ聖夜に何となく居心地の悪さを感じているのは私だけでしょうか。宗教行事をお洒落な装いにすることを私はあまり好みません。本拠地エルサレムが微妙な国際情勢に呑み込まれている方が気になっているのです。クリスマスの日に、自分は一年に1回だけでも宗教とは何かを考えていく機会にしようと思っています。

独自設定による三連休

暦の上では、今日から三連休は設定されていません。私の職場だけ三連休にしてあるのです。先日の土曜日を休日出勤し、今月の25日と入れ替えました。これでクリスマスは休暇になり、三連休が設定できたわけです。職員にとって、これはワークライフバランスとして有り難い処置と聞きました。私の創作活動にとっても連続して休める日があるのは救いです。造形的思索が深まるし、何よりも制作に勢いがつくのです。さて、三連休の目標ですが、先日失敗した大きな陶彫部品のやり直しを行うつもりでいます。失敗作品をいつまでも工房に置いておくことはしたくないので、早速今日からタタラ作りに入りました。やり直す作品と同時に新しい陶彫部品も進めることにしました。失敗作品のやり直しだけでは虚しいなぁと思い、たとえ最小の陶彫部品であっても新しい作品を作りたいと考えたのです。今日は朝から工房に行き、タタラ作りをしました。通常より多めのタタラを用意し、そのうち2枚のタタラを使って、陶彫部品の根の部分の最小のものを成形しました。残りのタタラはやり直しをする大きな陶彫部品に使います。大きな部品は明日作る予定です。夕方は家内と常連になっている横浜のミニシアターに行きました。スイスとスペインの合作映画「ダンシング・ベートーヴェン」を観てきました。1964年にベルギーのブリュッセルで初演をしたバレエ史上に残る傑作は、天才振付家モーリス・ベジャールが亡くなった後、再演は不可能とされてきた演目でしたが、2014年に東京バレエ団とモーリス・ベジャール・バレエ団の共同制作という一大プロジェクトで甦ったのでした。ベートーヴェンの最高峰「第九交響曲」を総数80人余のダンサーとオーケストラ、ソロ歌手、合唱団を加え、総勢350人という大規模で演じられたステージは、作り上げるまでの厳しい練習やダンサーの苦悩や情熱が余すところなく映像に収められ、圧巻と呼べる映画に仕上がっていました。人種や国籍を超えて繋がる歓喜の世界に私は魅了されました。詳しい感想は後日改めたいと思います。今日は三連休の滑り出しに満足した一日でした。

ほうとう鍋を囲んで…

職場独自で設定した三連休の前日に、職員全員と会食する機会を持ちました。私はこの職場では定番になっている管理職の大鍋提供サービスを行いました。今日作ったのは山梨県の郷土料理ほうとうです。ほうとうは、戦国武将武田信玄が仏僧から製法を聞き、陣中会に取り入れたことで有名になり、後に農民によって郷土食として定着したものです。さらに歴史を遡れば、ほうとうの起源は奈良時代に大陸から伝来した唐菓子に由来するようです。それは言わば殻粉製の菓子で、小麦粉等を捏ねて油で揚げたり、焼いたり、蒸したもので、伝来当初は宮廷で食されていたものが、庶民に広まり、団子や饅頭や煎餅に姿を変えていきました。その中にほうとうもあったようです。職場で作ったほうとうは、ほうとう麺とカボチャをふんだんに入れた鍋で、皆さんに喜んでもらえました。私は食事を囲んでコミニュケーションを図ることを大切にしています。私の職場でも多少の縦系列がありますが、同じ鍋を囲むことで横の連携が生まれるのです。仕事をやっていく上で仲間と十分な連携が図れることは、その成果は何倍にも膨れ上がります。安心・安全な職場環境もそんなコミニュケーションあってこそと思っています。職場に比べて創作活動は私にとって孤独な作業です。若いスタッフがいても私一人が自分自身のために考えて制作をしています。スタッフと食事をする場面はありますが、職場の雰囲気とは違います。工房のスタッフは同じ美術を専門にしているという共通する認識があり、職場のような気遣いが不要という利点もあります。いろいろな専門職が集まった集団の中で、今日はほうとう鍋を囲んでそんなことを思っていました。

ドイツ表現派に纏わる雑感

現在、通勤中に読んでいる「触れ合う造形」(佃堅輔著 西田書店)と、職場に持ち込んで休憩中に読んでいる「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)は、19世紀から20世紀初頭という時代を反映した芸術家の思索に富む書籍です。私は20代の頃から、この時代のドイツが果たした役割が大好きで、まだヒトラーが台頭する以前の、革新的で豊かな時代を想像してきました。ドイツ表現派の特徴である遠近法を無視したギクシャクした画面構成に、最初私は違和感を覚えていたにもかかわらず、大学で学ぶ写実的な人体塑造に何故かやるせなさを感じ始め、不自然と思える表現派の絵画に惹かれていきました。あるいは写実に徹底できなかった私の現実逃避だったかもしれません。一応写実を見極めたいと思っていた私は、具象表現以外は封印したはずでしたが、キュビズム、シュルレアリスムやら表現派、もっと前衛的な美術界の動きにワクワクしていたのでした。とりわけカンディンスキーの理論に魅了されてしまい、当時学んでいた彫塑の他に、独学で表現派紛いの版画に手を染めました。その頃、具象を推し進めて多面化や象徴化を図ったキュビズム以降の芸術家と、カンディンスキーの非対象理論は一線を画しているのではないかと思い始めました。ドイツ表現派は精神分析を基盤にして敢えて不自然な状況を作る芸術家が多かったように思いましたが、この一群もカンディンスキーの非対象理論とは異なっていると思っていました。さらにその表現の枠組みさえ破壊していく1960年代の芸術運動が台頭してきて、表現そのものを問う混乱が現在も続いていると感じています。私はドイツ表現派を現代美術への足掛かりにして、40年間あれこれ考えつつ、今は現代彫刻という枠に収まって制作をしています。書籍によって自分が歩んできた精神的支柱を再度考え直してみたい衝動に駆られ、今日のNOTE(ブログ)に書いた次第です。

テーブル彫刻のバリエーション

現在、新作として大きなテーブル彫刻を作っています。この作品は今年の夏に東京銀座のギャラリーせいほうで発表した「発掘~宙景~」の発展形です。今までNOTE(ブログ)に制作工程を書いてきたのは、専らこの大きな新作のことであって、個展ではこれに限らず、他にも3点ほど新作を発表する予定でいます。そろそろ他の3点にも着手しなければならない時期がやってきています。サイズは現在作っている新作より小さいものになりますが、いずれもテーブル彫刻です。テーブル彫刻のバリエーションを考えるのは楽しく、制作意欲が湧いてきます。現在イメージは既にあって、それをどう具現化するのかを考えています。1点目は正方形に近いカタチをもつテーブル彫刻で、テーブルの下部に吊り下がる陶彫部品のみで構成するため、テーブルの脚は4本で長めに設定しています。2点目は鋭利な三角形によるテーブル彫刻で、テーブル上部に尖がった陶彫部品を配置するものです。テーブルの脚は短めで、テーブル下部には何もありません。ただし、3本の脚はテーブルの上に突き出し、先端を尖らせる予定です。3点目のテーブルは曲線であり、テーブルの上と下に陶彫部品を設置します。陶彫部品は曲面のある有機的な形態を考えています。高さは前述2点の中間に位置する高さを考えています。脚は3本で曲線を描くカタチを考えています。この3点のテーブル彫刻は12月末の休庁期間に制作を開始しようと思っています。