「”黒い聖母”と巡礼」について

「呪術としてのデザインー芸術民俗学の旅」(中嶋斉著 彩流社)の第1章の2「”黒い聖母”と巡礼」についてのまとめを行います。私は20代の頃、ヨーロッパ滞在中に黒い顔をした聖母像を何度か見たことがあります。その頃はキリスト教に拘りを持っていなかったので、黒人のような聖母に何の疑問も持たず見過ごしていました。「スペインや地中海世界には古くから地母神信仰が厚く、それがマリア像にうつされているといわれ、その後サンチャゴ巡礼の道で時にふれて拝する教会に保存されているのも、そうした土俗的な親しみにみちた、日本の子育観音像といった様子であった。~略~ヨーロッパという元来農耕を主とする生活の中にキリスト教が定着するためには、そうした先行の土俗信仰や、それにまつわる祝祭にも寛容でなければならない。そのためにはそれらを巧みに教会暦の中にとりこみ、組みかえ、その意義もまた変えていく努力が払われなければならなかった。私たちが教会堂で『黒い聖母』に出あうのも、やはりそうした信仰の混ざりあう歴史の重層性を物語っており、その興味をつのらせるのである。」黒い聖母について柳宗玄がその著書「黒い聖母」(福武書店)で語っている部分が掲載されていました。「それらは大地と結びつけられる古代の母神(地母神)の流れに聖母が位置することを示すものである。とくにローマ治下のガリア人のマーテル神(豊穣の母神)がキリスト教時代に聖母と混同されたのではないかといわれる。しかもこれらの母神は時代と共に黒ずんでいたので、それが『黒い聖母』のもとをなした可能性が指摘されている。」本章は井泉信仰についても述べられています。「水の信仰がキリスト教に流れこんでいったとき、旧約の『詩篇』には、神の恵みをたたえ、『いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見る』といった表現が見られ、新約の『黙示録』では、『お使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と子羊との御座から出て、都の通りの中央を流れていた』といったように、生命の泉を水に求めている。」最後に我が国に触れた箇所もありました。「たしかに信仰対象の創造は、それぞれの風土が秘める歴史につながっていて、たとえばマリアの信仰がはるばる海を渡って日本に伝わってきたとき、隠れキリシタンたちは観音菩薩の姿の中にマリアを匿して崇拝していた。いうまでもなく観音もマリアも水の神であって、通称マリア灯籠(織部灯籠)にも見られる両者の結びつきなどは極めて自然な着想である。」

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