「モディリアーニ」第9章のまとめ

「モディリアーニ 夢を守りつづけたボヘミアン」(ジューン・ローズ著 宮下規久朗・橋本啓子訳 西村書店)の第9章「戦後のパリ、最後の制作活動」のまとめを行います。夭折で逸話の多い画家モディリアーニは、いよいよ短い生涯の終盤に差し掛かってきました。この章の内容によってさまざまな憶測が飛び交い、やがて伝説が生まれたのだろうと察します。酒や麻薬に溺れた天才は、1920年1月24日35歳でこの世を去りました。その時、妻ジャンヌは妊娠9ヶ月で幼い女の子がいました。「彼はほんの少ししか食べず、酒が飲みたいといった。ズボロフスキーやほかの者が、医者に行くように懇願しても、『説教はごめんだ』というありさまだった。モディリアーニは何が何でも自分の病気を無視しようとし、ジャンヌですら彼にたてつくことはできなかった。~略~三日間の間、モンパルナスはモディリアーニの重病の話で持ちきりになった。元気で快活だった頃の彼を知る若い女の子たちは、彼が不治の病を患っていることが信じられなかった。~略~二日後の1月24日土曜日、午後8時50分、モディリアーニは結核性髄膜炎のため死亡した。彼は長い間その病気におかされていたが、医者はその兆候を見逃したのだった。残された数々の逸話には多くの矛盾する点があるとはいえ、この点に関してはどの逸話も一致している。」モディリアーニの事件はここで終わらず、さらに衝撃的なことがありました。「疲れ果て、悲しみと心細さで半ば気が狂っていたジャンヌは、ついに昔の彼女の部屋で横たわっていた。彼女が家を出てから2年半しか経過していなかったが、その期間は人の一生であるほど長く感じられた。彼女が何を考えていたか定かでないが、周囲の人間たちがことばの端々にモディリアーニへの非難の意をほのめかすことには決して耐えられなかったはずである。~略~夜明けに兄がうとうとし始めると、ジャンヌは午前4時に6階の窓を開けて、そこから飛びおりた。彼女の父と兄は、そのばらばらになった小さな遺体を彼女の母に見せまいとして、遺体を馬車でグランド・ショミエールのモディリアーニのアトリエに運んだ。」モディリアーニが亡くなった2日後のことでした。こうしたことがあってモディリアーニの生涯が伝説化されたものと考えられます。最終章はモディリアーニ没後のさまざまなことを扱っています。

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