「心の旅人ケルト」について

「呪術としてのデザインー芸術民俗学の旅」(中嶋斉著 彩流社)の第1章の3「心の旅人ケルト」についてまとめを行います。冒頭にウィーンに関する文章があって、20代の頃に5年間をウィーンで過ごした自分には、思いがけない知識が飛び込んできて、ちょっと得をした気分になりました。「ウィーンの名がケルト語のウィンドボナに由来するように、ここには古代ケルトの集落があったが、大聖堂にきざまれた痕跡は、むしろヨーロッパのキリスト教化のために渡来した後世のケルト系修道士たちの残したものという。」ウィーンの象徴であるザンクト・ステファン大聖堂に関する文章をさらに続けます。「ケルトの十字架にも見受けられる連結結び目文様とか、具象的ではありながら抽象に向かう不可解な動植物や人間のイメージが随所に配されている。~略~灯りとてない洞穴の中で修道に専念しながら、彼らの見た、目に見えない霊の存在を、目に見える形に翻訳しようと努めたとき、彼らは神そのものの姿ではなくて、むしろ神の住居の装飾によって神の存在を描こうとしたのであろう。そして彼らが幻のうちにとらえた聖なる神の住居は、彼ら自らが遠く旅立ってきた故里の風景であり、同時にアルプスの麓に住んでドナウの流れを往来した祖先への追憶とが交錯しながら不思議なイメージを結んだのではなかっただろうか。」その後ドイツに話題が移りますが、やはり自分が渡欧して間もない頃に見た南ドイツの風情が語られていて、これにも私は興味を覚えました。「レヒ川を更に南下してオーストリア国境にはフッセンの町があり、そこは観光客でにぎわうノイシュヴァンシュタイン城が断崖に立っている。バイエルン国王ルードヴィッヒ二世の城である。そこから車で30分程北東に向かうと、アンマーガウの谷間にリンダーホフ宮殿が現われるが、これも狂王ルードヴィッヒの離宮で、ヴィスコンティの映画『ルードヴィッヒー神々の黄昏』の舞台である。~略~ヴィーナス・グロットは人工の鍾乳洞である。彼がタンホイザーのヴィーナスブルグ(ホーゼルベルグ)の情景を再現するために作らせたもので、洞窟の中央前面に大きな池を作り、貝がらで飾りつけた舟が浮かんでいる。この洞窟の岩屋に玉座をしつらえ、すべての側近を遠ざけてただ一人でワグナーの楽劇を演じさせ、鑑賞に耽ったという。壮烈である。ヴィーナスに捧げたこの聖堂の中で、彼は必死に愛の充足と力の再生を祈ったにちがいない。しかしもう神々は存在しなかった。ただここはいかなる装飾にもましてキッチュの世界がある。深い死のイメージが沈殿する。」渡欧してすぐにこの風景に接した私は、過度な装飾に腰が引けて、自分が留学先として選んだヨーロッパでやっていけるかどうか、自問自答したことを今も覚えています。

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