震災によせて…

3月11日に東日本大震災があって生活意識が変わりました。災害は予期せずやってきて、私たちの生活をあっという間に変えてしまうのかと改めて思いました。震災に遭われた方々に心からご冥福をお祈りいたします。こうした有事に自分は唖然とするばかりです。幸い勤務先は地域社会との絆が強く、防災拠点施設としての機能を持っています。自分も公務員としてやるべきことがあると自覚しています。有事となれば彫刻のことなど考える間もなく、地域社会に全体の奉仕者として貢献しているかもしれません。では彫刻家としての自分はどうなのか、現代美術はどのようなカタチで社会貢献できるのか、それも考えていきたい課題です。震災から2ヶ月…。被災された人々が自身の心と向き合うのはこれからです。被災を伝えられてきた私たちも自身の心と向き合うべきと考えます。人の心に希望をともすのは何か、かつて自分も生きる力を与えてもらった何かがあるはずです。公務員として自覚をもって行動すると同時に、造形する者として何をするべきか今後の大きなテーマとして捉えたいと思います。

小品「陶紋」について

今年の7月にある個展に陶彫による小品を出すことにしました。昨年まで小品と言えば「球体都市」で、それを毎年数点ずつ出品していました。「球体都市」は40個近くになり、ひとまず昨年で幕を引きました。ただ球体はとても好きなカタチなので、別のシリーズにして今後も制作していきたいと思っています。今年は「陶紋」と名付けた直方体の小品を7点出品いたします。直方体の高さとレリーフ文様に変化をつけてシリーズ化を図りたいと考えています。時間が許せばいろいろなバリエーションが可能で、持ち運びに容易な大きさなので気楽に作るには最適だと思います。小品は大きな空間を想定した雛型として作ることも楽しいし、また手の平において眺める親しみやすさも魅力のひとつです。小品の楽しさは充分わかっているつもりでも、年間スケジュールに差し込むのは至難の業と言わざるをえません。二束の草鞋のつらいところで、限りある時間の中で、まずギャラリーの空間を考えてしまうと作品は大きくなってしまうのです。小品「陶紋」はどのくらい続くのかわかりませんが、可能な限り展開していきたいと思います。

連休最終日は従兄弟たちと…

連休最終日です。なかなか充実していたように思える連休でした。制作はどんなにやっても満足と言うことはありませんが、時間を有効に使えたような気がしています。今日の午前中は工房にいました。7月の個展に出すことにした小品の印を彫って作品に貼り付けていました。先日彫った印と合わせると、今回は2種類の印を彫ったことになります。RECORDも今日の分を仕上げて工房を後にしました。午後は家内の従兄弟のホームパーティーに招待されていたのです。冠婚葬祭だけでなく、何でもないときに従兄弟たちに会って、最近のことやら、将来のことやら、あるいはグチが言いあえるのはとてもいい関係だなぁと思って、ひと時を過ごしました。昼12時から夜9時まで長々とお喋りに興じました。次は相原工房でパーティーが出来たらいいなぁと思いつつ帰宅しました。

次なるイメージへ…

今日は工房で制作三昧の一日でした。次なるイメージに向かって木材の購入に出かけました。昨日益子や笠間に行って数々の陶芸作品を見ているうちに、イメージが固まりました。来年夏の発表を目指して現在制作を開始している「発掘シリーズ」の新作屏風とは異なるイメージで、むしろ「構築シリーズ」に続く作品です。径40センチか50センチの丸太を基本にしようと思っていましたが、集成材で円柱を作り、そこに陶彫部品を組み入れようと思います。丸太から集成材に考えを変えたのは、木材そのものが個性を主張してほしくないと思ったからです。銘木のような木材はそれだけで見栄えがして個性的です。造形とは違う要素が入り込んでしまうことがあります。立体造形としてイメージする場合には素材そのものは無性格な方がいい時があります。今日は集成材に使えそうな木材を購入して径と高さを決めました。この素材に着手するのは、まだ先ですが、素材が工房に置いてあるだけで意欲が出てきます。しばらく素材を眺めていたいのです。来年になるか再来年になるか発表の機会は別に考えるとして、複数の作品制作を同時にスタートさせるのは自分の常套手段です。

甦る!陶芸の里

毎年この時季に栃木県益子で開催されている陶器市と茨城県笠間の陶炎祭(ひまつり)に出かけていきます。友人たちの新作が楽しみなのです。今年は震災の影響で多くの窯が壊れたり、作品が割れたりしていることが報道で伝えられていました。笠間の友人の窯も耐火レンガが壊れて修理していることを聞いていました。今回は被災見舞いを兼ねて出かけました。夜明け前に横浜を出発し、朝8時には益子の共販センター駐車場に到着。新聞やテレビ報道のおかげか来客万来で陶器市の混雑は大変なものでした。益子の友人は震災があった日は窯出しをやっていて、窯は壊れなかったものの窯の位置が動いてしまったと言っていました。午後は笠間の芸術の森公園駐車場に到着しましたが、駐車を待つ車で渋滞していました。笠間の友人は前述したとおり窯が壊れて新作が思うように出来なかったことや、陶芸家の中には仕事を止めてしまった人もいるという話を聞かせてくれました。ここも益子同様訪れる人の多さで例年になく活況を呈していました。諦めなければ何とかなる、何とかしなければならないと思うことが復興への第一歩だと実感しました。人がこれだけ集まる、見に来る、買って行く、ということは陶芸の里を皆で支えていることの証です。私も応援できるところは応援していこうと思った一日でした。

5月の目標について

5月になりました。風薫る清々しい季節です。工房周辺の木々は新緑に映え、作業のしやすい気候になりました。イメージも溢れてくることが期待できます。まず、今月は7月個展の準備として図録の制作があります。図録の撮影が終われば、今年の個展に関しては準備が整ったことになります。そこで今月の目標として考えられるのは、来年の作品のイメージです。既に「発掘シリーズ」再開を決めていて、「発掘~鳥瞰~」の発展形を作ろうとしています。土台になる屏風の枠は出来ています。そこに陶彫部品と木彫部品を組み合わせた架空都市を計画しているのです。まず、今月は屏風に収まる大きな陶彫部品を作ることを目標にします。凹凸を取り入れた擂り鉢型の円形構造です。以前多用していた砂マチエールを今回は大量に使用する予定です。「発掘」から「構築」にテーマが移行し、今年の「構築シリーズ」のあと、再び「発掘シリーズ」に戻すことで、ちょうど振り子のようにイメージが揺り戻されるような感じです。今月は新たな展開を求める1ヶ月になりそうです。

週末 新世代とともに…

5月になって若い子たちが工房にやってきました。美大の2年生とこれから社会人入試で美大を受験する子です。この子たちはアーティストの卵として、いずれ自分の表現を獲得してデビューする新世代の子たちです。工房が新世代の子たちの自己研鑽の場になってくれれば有難いと思います。自分もこの子たちに元気をもらえます。美大生が自分の内面に向き合う苦しさ、受験生がデッサンを捉えようとする難しさ等々初々しい姿勢を垣間見ると、こちらもヤル気が出てきました。自分は新作の押印をしながら最終の仕上げを確認していました。大型連休の前半三連休は、まずまずの調子で過ごすことができました。来年の作品のイメージも見え隠れしています。RECORDも今月のテーマがほぼ固まりました。明日は出勤で、明後日から後半三連休が始まります。

週末 柱修整仕上げ&印の彫り

連休2日目は制作三昧の一日でした。「構築~解放~」の壊れた柱1本を修整して、何とか仕上げまでもっていきました。細部はまた明日に継続します。午後は新作「構築~楼閣~」の陶彫部品に貼る印を彫りました。今回の印は、遊びのあるデザインで渦巻きを取り入れました。個展出品作品の最終仕上げに向かって、今日はあれこれ仕事をしていました。本当に時間が短く感じます。充実した連休の日程ですが、あっという間に過ぎていきそうで慌しさが残ります。RECORDは4月最後の作品を終えて、来月のテーマを考え始めました。夜になって、来月3日に益子や笠間にもっていく土産を買いに出かけました。陶芸家の友人の窯は被災していないか心配で、土産というより支援物資といった方がよい品物を買ってしまいました。ともかく今日で多忙な4月が終わります。来月も忙しさは変わりませんが、自分を見失うことなくやっていきたいと考えます。工房で過ごしやすい陽気になったことだけが救いです。

「下野昇ベストセレクション」

表記は横浜青葉台にあるフィリアホールで開催された声楽家のリサイタルです。下野昇は家内の叔父です。二期会に属して「タンホイザー」や「カルメン」といった数々のオペラに出演してきました。劇団四季の「CATS」にも客演したことがありました。今年75歳。一昨年大きな手術をしたので、もう歌うことができないのではないかと思われましたが、見事復活して豊かな声量が甦っていました。今日のリサイタルも年齢を感じさせない出来栄えでした。親戚と言えども舞台に立てば一表現者を見るように自分は距離を置いて聴いていますが、滾々と溢れ出す表現力の凄みに頭が下がりました。日々研鑽を重ねる姿勢は学びたいところです。自分には彫刻家の師匠がいて、声楽家の親戚がいることが何よりの幸せと常々思っています。彼らはいずれ劣らぬ実力派で、自分の目標とする人生の先輩です。実績や履歴ではなく現在の姿を生々しく見せてくれているところで、自分は刺激をもらっています。自分も個展に向けて日々研鑽を重ねていこうと思った一日でした。

大型連休に向けて

公務員は暦通りの休日になるので、3連休のあと一日仕事に行って、また3連休といった飛び石連休になります。新作は5月8日(日)の図録用撮影日に向けて、大型連休をフルに使って仕上げに入ります。連休中は基本的に制作三昧で、その合間に声楽家の叔父のリサイタルがあったり、美大生や美大受験生がやってきて一緒に制作する機会があります。栃木県益子や茨城県笠間の陶器市・陶炎祭に出かける日もあります。公務を離れて自分を取り戻す日々になり、この大型連休は貴重な時間を過ごせるだろうと期待しています。木彫、陶彫、印、RECORDと盛りだくさんの作業が待っています。精一杯取り組みたいと思います。

印の表現の楽しさ

自分が作っている印は、集合彫刻の部品ひとつひとつに貼り付ける目的があります。和紙に押印し番号をつけて、陶彫部品の見えないところに貼っていきます。新作ごとに新たな印を彫っています。書道等に押印する落款はそれなりの伝統を踏まえた形式があるのだろうと察しますが、そんな手ほどきを受けたことがない自分は自由気儘に作っています。自分にとって印は言わば抽象絵画なのです。クレーやミロ、モンドリアンのような記号化された構成的な平面作品。そう考えると印はとても楽しく拘りのない世界です。自分の氏名を崩して線の要素として捉え、解読不可能なくらいに煮詰めてしまうと不思議な世界が出てきます。中国から由来した正しい篆法、印法、刀法からなる印を学んだ人からは奇妙な作品に映るとは思いますが、そうしたものとは別世界のものです。いずれ我流印が集まってきたら、展覧会でもやりたいと思っています。新作の印もそろそろ考えていかなければなりません。

自分探しの旅

先日、若い美術家志望の人たちに囲まれて自分を振り返る機会を持ちました。自分が何かを表現して鑑賞する側にメッセージを与えるために表現媒体の選択とともに、何を伝えるかという内容が最も大切と話しました。あたりまえのことをあたりまえに話している自分が奇妙に映りましたが、これは本当のことです。表現内容を掴むためには自分自身を知り、自分と社会との関わりを知り…と話を進めていくうちに、自分探索を繰り返しやっている自分のことが浮かび上がってきました。自分と向き合うことは意識するしないに関わらず誰でもやっていることだと思います。ただし、自己表現を念頭においた自分探索は、表現者であれば必ず試みるものです。自分ほど自分自身で捉えようのない摩訶不思議なものはないからです。自分は謎だらけと認識しているのは私だけではないはずです。自分の探しの旅は、まだ途中経過です。そこまでで培ったものを吐き出し(表現し)、また貯め込んで(イメージし)、次の未知なる場所に足を踏み入れる、それが最期の一呼吸まで続くのかもしれません。そんなことまで話すつもりはなかったのですが、成り行きでそうなってしまいました。

NOTEのアーカイブ

今夏発表する新作のことを考えると、昨年の今頃はどんなことをしていたのか気になります。NOTEのアーカイブを見て、昨年の新作の進行状況を確かめてみると、現地点で既に作品は仕上がっていて、部品ひとつひとつに印を貼り付ける作業をしていたようです。これは明らかに今年より早く進んでいたと言わざるをえません。今年はまだ本焼きをしていない陶彫部品があり、印も考案中です。図録撮影日が昨年より1週間先になったこともあると思いますが、ちょっと焦ります。印は早急にデザインを決めて彫り始めたいと思います。自分がずっと作り続けている彫刻は部品を集めた集合彫刻なので、長年作っているうちに部品同士が混ざって、どの作品に使っている部品なのか判明できなくなることがあります。そのため作品ごとに印のデザインを変えて和紙に押印し、そこに番号をつけて部品に貼り付けるのです。何とか今月中に印を彫っていこうと思います。来月の連休中には「構築~楼閣~」と「構築~解放~」を仕上げなければなりません。

週末 来客華やか

今日の工房は若い女性が多く出入りする一日でした。普段は土埃や木屑に塗れているのに、いや今日も同じですが、来客によって華やかな雰囲気になりました。ボランティアとして時々土練りを手伝ってくれる子、美大で工芸工業デザインを学ぶ子、これから美大を社会人受験する子、いずれも20代前後の人たちです。自分と全員関わりがあるのですが、今日はよく揃ったものだと思いました。美術を通して「自分探し」をして自己表現に繋げたいと考えるのは、自分の若い頃と同じです。相原工房の環境が彼女たちを助けるなら、お安い御用と言いたいところです。それにしても彼女たちの探究心、向上心はたいしたもので、将来の芸術界を引っ張っていくのは女性の力が大きいのではないかと思うほどです。今春から工房利用者が増えていくのは歓迎ですが、工房は学校ではないので画材や工具が不足する事態もあるかもしれません。そこは悪しからず。彫刻、絵画、工芸…と分野も様々でこれから工房に活気が出そうです。

週末 「構築~解放~」彫り直し

今夏、個展で発表する「構築~解放~」の柱の1本が壊れたため、新たに柱を彫ることにしました。壊れた柱を修整するより新たに彫ったほうがよいと判断したのです。彫り込みのカタチは壊れた柱と同じにします。細すぎて壊れた部分を、新たに彫る柱ではやや太めにしました。集合彫刻なので部品は早急に直しておかないと組み立てられなくなるのです。2メートルを超える柱を彫ることはシンドいことですが、久しぶりに木を彫る気持ちよさを体感しました。実材に向かい合う彫刻には、こうした楽しさがあるのです。木を彫ったり土を弄ったりする作業は時間を忘れさせてくれます。今日と明日は木彫継続です。

非日常空間に生きる

日常抱え込んでいる仕事や人間関係のストレスは、どんな方法で解消できるのか常日頃から考えることのひとつです。幸いなことに職場で大きなストレスを抱え込むことはないのですが、小さな雑事に絡むストレスはたくさんあります。充分な睡眠をとっても心がすっきり晴れ渡ることはありません。近隣のスポーツクラブに行って汗を流すこともストレス解消の有効な手段だと思います。それより自分は工房という非日常空間の中で創作に勤しむことが何よりのストレス解消と考えています。工房は住居とは異なり、農業用倉庫として建てたものなので何もない空間があるだけです。それが日常を忘れさせてくれるのです。そこに置かれた用途のない造形物。制作中の素材。それらが空間を形成している装置です。そこに行くだけで何か異質な世界に迷い込んだ錯覚に陥ります。非日常空間に生きること。またそういう空間がもてること。これが自分の活力源なのかもしれません。

創作のための環境

どんな創作であれ生活環境が及ぼす影響はかなりのものがあると考えます。自分が大学を出る時に、今まで学んできた彫刻を、親の実家でどうやったら作れるだろうか本気で思い悩みました。実は彫刻なんて作れる環境ではないと半ば諦めていたのです。家業が造園業であったにも関わらず、大学でやっていた塑造と亡父の営んでいた造園業の間には随分隔たりがあると感じていました。自作のことを「集合彫刻」とか「場を演出するための装置」と考えるに至るまでには相当な時間が必要で、それがイメージされて初めて家業の造園と自分の世界観が繋がっていると思った次第です。亡父の残してくれた植木畑に工房を建て、ようやく彫刻に必要な環境を手に入れたのはわずか2年前のことです。それまでは借りものの作業場があり、それでも彫刻を作れる喜びがありました。初めから工房が用意されているような恵まれた環境であったら自分はどうしていたでしょう。素直に受け入れて、今より大きな世界観を持つ造形に取り組んでいるのかもしれませんし、容易く手中に出来たものなら、いとも容易く手離していたかもしれません。いずれにしても創作活動にはそれなりの環境が必要であることは確かです。現在、相原工房には若い作家の卵たちが出入りしています。彼らに必要とする環境を与えれば才能を伸ばすことも出来るし、環境の共有も社会的促進として創作には効果があると考えているところです。

原始の不思議 ラム

「ピカソはラムのなかに、自分とは正反対の道をたどりおおせた人間にのみ望むことのできる、唯一の確証を見いだしたのであろう。すなわち、みずからにそなわっている原始の不思議から出発して、意識の最高の地点にまで到達し、そのためにはヨーロッパ芸術のもっとも精妙な分野までもわがものにした人間。その意識の地点はまた、ピカソという芸術家との出会いの地点であり、後者は後者で、まずそれらの分野をもっとも自在に支配するところから出発し、だが一方、原始の不思議とむすびつきうる諸原理にたえず立ちもどることの必要を提示してきたのである。~略~」(A・ブルトン著「シュルレアリスムと絵画」人文書院)シュルレアリスムの画家ヴィフレド・ラムは、スペイン人の母と中国人の父をもち、キューバで生まれています。地元の横浜美術館のコレクションにラムの絵があって、自分は美術館を訪れる度に作品を見ていますが、もっと前にまとまった作品群を見ている記憶があるのです。いつごろでどこであったか忘れていますが、ラムが特異な環境で育った画家であることを自分は前から知っていて、その呪術的で土俗的な画風は印象に残っています。ピカソに見いだされ、ブルトンに賞賛された画家ラム。ヨーロッパ圏以外の環境から、原始の不思議を纏った芸術家が現れたのは、芸術に革新をもたらせた時代にあっては当然の成り行きだったのかもしれません。

RECORDとNOTE

毎日自分に課しているRECORDとNOTE。仕事から帰った夜の時間帯にやっています。ポストカード大にした厚紙ケントに鉛筆で下書きし、場合によってはペン入れするのがRECORD。彩色は5日分をまとめて行います。夕食の後はほとんどRECORDをやっています。イメージを出すための訓練みたいな気がする時もあります。日によって満足できる作品が気楽に生まれる時があるかと思えば、苦しんでも駄作になる時もあります。これは昼間の仕事の疲労とは関係ないように思えます。疲れてクタクタになって帰宅した時に、ふとイメージが湧いて思わぬ収穫があった時は、昼間の疲れがどこかへ飛んでしまいます。NOTE(ブログ)は就寝前にパソコンに向かってやっています。今書いているこの文章がNOTEです。書き始める前に創作的なことに思いを馳せますが、日常の雑多なことに眼が奪われて、職場や仕事のことを話題にしてしまう時があります。このNOTEを書くことで、彫刻家である自分を取り戻したいと考えていますが、なかなかそういかず二束の草鞋に苦しむ自分が浮かび上がります。RECORDとNOTE、継続は力なりというコトバを信じてやっていこうと思います。

本焼きの心配

震災で大変な被害に遭われた方々を思えば、自分の心配なぞ取るに足りないことですが、深夜3時頃に横浜でも震度3程度の揺れがあり、昨日窯入れした作品がどうなっているのか心配になりました。今日は仕事帰りに工房に行って、窯の様子を見てきました。窯の温度計はいつものように順調な温度を示しており、ホッと胸を撫で下ろしました。どの程度の地震で安全装置が作動するのかわからないし、もしも途中で電気が切れれば窯内の作品はどうなってしまうのか自分にもわかりません。ただ釉薬を使っていないので、再度スイッチを入れれば案外大丈夫な気もしています。こんなことで心配する自分からすれば、栃木県益子や茨城県笠間の陶芸家は、5月の陶器市を控えて、その心配は計り知れないものがあると察します。彼らは直接生活に結びつく商品を作っているわけですから、大変な心労があろうかと思います。自分も含めて本焼きが問題なく済むことを願っています。

週末 「構築~解放~」運搬

図録撮影日が5月8日になったことを受けて、自宅の物置にある「構築~解放~」を工房に運搬しました。組み立てると幅5メートル以上、縦2メートル以上になる作品ですが、数十個の部品にしてあり、それぞれ丁寧に梱包してあるので、持ち運びは人力だけで可能でした。ボランティアの子が来てくれたおかげで、午前中に運搬を終えました。自宅の物置から工房まで歩いて数分の距離を何度も行き来したせいで結構疲れました。確認はまた次回にします。午後は「構築~楼閣~」の仕上げを施した部品の窯入れを行いました。ほとんど出来上がっている「構築~楼閣~」ですが、わずかばかり本焼きをしていない部品があるのです。震災の影響で窯を作動させることをしばらく見送っていました。そろそろタイムリミットとなり、今日から窯入れを始めることにしました。計画停電がないこと、大きな地震の揺れがないことを願うばかりです。

週末 図録の打ち合わせ

朝から工房で制作三昧。「構築~楼閣~」の残りの陶彫部品の仕上げにかかっていました。午後、今までずっと担当していただいているカメラマンが来て、夏の個展の図録のための打ち合わせを持ちました。これでやっと個展に向けての気構えが出来ました。毎年のこととはいえ何かがないと個展に向けて動き出せないのです。打ち合わせを持つことは実感が持てる大切な機会です。撮影日は5月8日(日曜日)に決まりました。現在8割程度できている「構築~楼閣~」と修整が必要な「構築~解放~」の2点が出品作品です。5月8日までに2点を完成させなければなりません。いよいよ全体構成に向けて取り組む期間になります。精神的には大変ですが、楽しい期間でもあります。図録の雛型もやっていくつもりです。工房内の温度は20度を超えて初夏のような空気が漂いました。季節的には制作しやすい気候で、これから作品作りは佳境に入ります。

長いような短いような…

年度当初の1週間は長いような短いような1週間です。月曜日は山積した仕事に、週末の眠りから一気に目覚めて、ひたすら取り組んでいます。朝7時前に職場にやってきて、気がつくと夜7時を回っていることもありました。あっという間に金曜日がきて1週間が終了。ついでに言えば週末も長いような短いような…。土曜日の朝に作業を始めて、あっという間に日曜の夜を迎えます。明日からの週末もきっと同じです。これを充実していると言っていいのかどうか。通勤電車の中でA・ブルトンを読んでいますが、文章を咀嚼し思索を始める前に駅に到着。知識のみが空回りしているような感じです。RECORDも毎晩あくせくやっていて、じっくり眺める余裕はありません。それでも職場での仕事は確実に出来上がり、週末の制作は完成に向かって進んでいます。RECORDも然り。途中で躓いたり、転ぶことはできませんが、不思議なことにこんな時期は迷いさえ生じないのかもしれません。リズムに身を任せている毎日が、長いような短いような時を刻んで過ぎていきます。

桜満開の風景

職場でも窓を開けておくと、桜の花びらが入ってきます。職場には巨木となった桜が数本あります。自宅の周囲にも桜があって目を楽しませてくれます。桜は不思議な木だと思っています。葉が出ないうちに枝という枝が白い花に被われて、桜満開という雰囲気を醸し出します。山々を見ると、あそこにもここにも桜があったと気づきます。普段気づかないところに桜があって、この時ばかりは桜であることを主張しているのです。桜はあっという間に散っていきます。この儚さがいいと感じる人は多いようで、桜が絵画になったり、詩に詠まれたりする所以であろうと思います。時が移る気配を堂々と示してくれる木でもあります。自分は公務員になってから年度初めの忙しさが付き纏い、桜を愛でることもなく時を過ごしてしまいます。視界を掠める程度の風景でしかないのです。休日に花見に行こうとしても、制作に追われていて、工房の窓から眺める程度です。定年になったら桜満開の風景をゆっくり楽しみたいと思います。

新聞に掲載された益子・笠間

来月のゴールデンウィークに栃木県益子や茨城県笠間に出かける予定です。毎年楽しみにしている陶器市があるためです。もうかれこれ20年近く通っているのでしょうか。陶芸家の友人たちとの交流もあって、充実した時間を過ごすことが出来ます。新聞に震災で陶器が大量に割れた写真が掲載されていました。窯も損壊していて痛ましい現状を伝えています。開催が危ぶまれた陶器市・陶炎祭ですが、皆が目標を失わないために開催を決めたようです。それならば、今年の益子・笠間行きは復興応援ツアーとして必ず行こうと思っています。彼の地の友人からメールが届き、悲惨な状況を知らせてきました。今年は物資を携えて、友人たちの無事を確認しながら益子と笠間を回ろうと思います。「甦れ、陶芸の里」を合言葉に出かけます。

「創作」という魔力

衣食住という人にとって必要なモノは、日々の生活の中では、あたりまえのように獲得していくモノなので、魔術的な魅力を感じにくいと思っています。震災があって、衣食住が確保できない状態では、その必要不可欠性がクローズアップされました。そのために多くの人が援助をしていくスタンスを表しています。衣食住以外のモノでは、たとえば学問や宗教、芸術という文化を形成するモノは、衣食住があった上で必要とされるモノです。そこには精神世界の中で生命を謳歌する喜びがあります。「創作」には魔力があると信じています。時々会う美大生が、創作の楽しさや苦しさを知ってしまうと、友達とどこかに出かけても、自分の表現力を高める要素がなければ無味乾燥だと言っていました。遊びのための遊びが出来なくなって、たとえ遊びであっても自分の内面を通過して自己表現として発露したいと考えてしまうと言うのです。創作とはいったい何でしょう。ある人にとっては意味を成さないモノでも、ある人にとっては生きる意味を見出すモノが創作とすれば、創作活動を感受できる人は、もう逃れられない魔力に憑かれているのかもしれません。

イメージする力

公務の場合でも、この課題をこんなふうに解決しようと思い描くことが度々あります。危機管理の場合は、大きな問題を小さく解決できないものかと思案する時があります。もちろん初期対応が決め手になりますが、解決までのイメージが描けるかどうかは重要なことと認識しています。どんなことでもイメージする力は必要ではないかと思っています。スポーツでも演奏でもイメージ(音楽の場合は楽想)が存在します。造形美術はなおさらで、初めにイメージありきと考えます。もちろん課題解決のイメージ(道筋)とも楽想とも異なりますが、ある世界を思い描いて具現化していくことが即ち作品制作の工程です。自分のイメージを、どう伝達し理解を得るか。技法や技巧は伝達の手段として、時間を費やし労力を惜しまず研鑽を重ねていくものと思います。イメージが貧困になり技巧ばかりが目立ってくると、作品の精神性は失われ鑑賞に耐えられなくなります。初めにイメージありき、イメージする力はどこからやってくるのでしょうか。

週末 色彩への憧れ

今日は朝から夕方まで工房で制作三昧でした。昨日、「構築~楼閣~」全体の骨子ができたところで、少し時間をおいて眺めることにしました。これから窯入れする陶彫部品の数々を念頭に入れながら、完成に向けてじっくり見ていきたいと思います。これから先の補充する陶彫部品には神経を使います。そこで今日は陶彫のことはさておいて、RECORDで取り組んでいる色彩について考えてみます。画家は色彩のもつ発色について独自な研究や試みを行い、画面上の色彩の取り合わせを見極めることによって、ゆたかな世界を創出させています。あえて純色を羅列する場合であっても、また色味を抑えた低い明度で統一された画面であっても、色彩がそのイメージを雄弁に語り、鑑賞者の印象に強く訴えてきます。形態と色彩は近代絵画以降、分離した関係が認められつつ主従関係ではなく、そのどちらであっても表現が成り立つものと考えます。自分を振り返ると、色彩に対する怖れは学生時代に遡りますが、といって形態でも突出した個性があったわけではありません。ただ、とりわけ色彩の配色に独自性をもつことにずっと憧れ続けてきました。今日も工房で陶彫制作を休んで、RECORDの彩色をあれこれやって、色彩が放つ魔力をコントロールしたいと願っていました。

週末 「楼閣」土台組み立て

今日は午前中に休日出勤がありましたが、午後から工房に出かけ、新作「構築~楼閣~」の陶彫土台8個に木彫の柱8本をボルトナットで取り付けました。これで全体構成が掴めます。まだ骨子しか出来上がっていませんが、今の段階で焼成が終わっている陶彫部品を置いて、全体の雰囲気を確かめました。作品の核になる部分は出来たという感触を持ちました。昨年発表した「構築~瓦礫~」より直線的な作品になっていること、「楼閣」と題した理由にもなっている個々の作品の高さがあること、部品は昨年より少ないのにそれでも表現の意図が伝わるように思えたこと等が今回の感想ですが、乾燥待ちの部品が数点、仕上げをしなければならない部品が数点、まだ床に置いてあって、これらをすべて窯に入れてみないとわからないというのが正直なところです。80パーセント程度の完成と思ってもいいかなと思いました。

造形への渇望

週末が近づいてくると、たまらなく彫刻を作りたくなります。木の彫り跡や陶土の肌合いが大好きです。時間があれば、石膏で雛型を作りたいところですが、今はいきなり実寸で作っています。週末は本当に短く感じます。造形への渇望がそう作用させているのだと思います。じっと思索する時間が欲しいのですが、つい先を急いで技巧ばかりに時間を費やしてしまうのです。今のところイメージが枯れることはなく、滾々とあふれ出す泉の如く、次から次へ作品が思い浮かびます。精神的には良好な状態なのかもしれません。工房の雰囲気に思い巡らすと、ウィークディの仕事も苦にならなくなります。そうした空間や時間が持てていることがラッキーと感じることがあります。ただ明日はまた休日出勤。このところずっと土曜日は職場にいます。週末は丸2日とも工房で過ごしたいと願っています。

RECORD4月のテーマ

幾何学的抽象をベースにした画面に造形を加えることは従来通りですが、同じ繰り返しのパターンから少し変形したパターンにして今月はやっていこうと思います。一日1点の作品作りは、時に緊張した画面が創出できたり、時に緩慢な画面に甘んじたりしてきました。葉書大の大きさに慣れて、その手軽さあればこそ継続できたと思っています。最近になって興味が出てきたのは色彩です。自分の作品はいずれもカタチが主になり、色彩は従になる傾向がありました。もっと色彩による冒険があってもいいのではないかと考えるようになり、今月は思い切った色彩を取り込んでいこうと思っています。高校生の頃は色彩に対する苦手意識がありました。自分の作品は他人と比較すると色彩の数で勝っていても色感が感じられない無味乾燥でフラットな画面でした。その印象がトラウマとなって、自分は色彩を遠ざけてきました。色感が育つのはどの年齢までか、自分にはわかりませんが、今になってようやく自由に色彩が扱えるのではないかと思っています。今月のRECORDはカタチのみならず色彩にも挑戦しようと思います。