自分探しの旅

先日、若い美術家志望の人たちに囲まれて自分を振り返る機会を持ちました。自分が何かを表現して鑑賞する側にメッセージを与えるために表現媒体の選択とともに、何を伝えるかという内容が最も大切と話しました。あたりまえのことをあたりまえに話している自分が奇妙に映りましたが、これは本当のことです。表現内容を掴むためには自分自身を知り、自分と社会との関わりを知り…と話を進めていくうちに、自分探索を繰り返しやっている自分のことが浮かび上がってきました。自分と向き合うことは意識するしないに関わらず誰でもやっていることだと思います。ただし、自己表現を念頭においた自分探索は、表現者であれば必ず試みるものです。自分ほど自分自身で捉えようのない摩訶不思議なものはないからです。自分は謎だらけと認識しているのは私だけではないはずです。自分の探しの旅は、まだ途中経過です。そこまでで培ったものを吐き出し(表現し)、また貯め込んで(イメージし)、次の未知なる場所に足を踏み入れる、それが最期の一呼吸まで続くのかもしれません。そんなことまで話すつもりはなかったのですが、成り行きでそうなってしまいました。

関連する投稿

  • アトリエの再現 芸術家が作品を生み出す場所や周囲の環境に覗き見的な興味を私は持っています。学生の頃も大学の一角を使って、彫刻科の先生方が真摯に制作されている現場を垣間見て、自分の意欲を高めたりしていました。東村山市 […]
  • 時間刻みの生活について 芸術家は自由な時間の中からインスピレーションを得て、それを具現化する仕事だという認識が、私は学生時代からありました。亡父は造園業、祖父も先代も大工の棟梁という職人家庭に育った自分は、自ら決めた時間で […]
  • 「クレーの日記」再読開始 このところ書店で新しい書物を買うことはせず、自宅の書棚に眠っている数々の書物を取り出して再読することにしています。その中にはもう既に書店で売られていないものもあって、今となっては貴重な本があるかもし […]
  • 「ノア・ノア」の情景描写 通勤途中に読んでいる「ゴーギャン オヴィリ 一野蛮人の記録」(ゴーギャン著 岡谷公二訳 […]
  • 矢内原伊作から見たジャン・ジュネ 「その異常な経歴や放浪者風の生活態度から考え、また『泥棒日記』の成立の事情や宝石のようなイマージュが次々と湧き出る文体などから考えると、ジュネはいかにも天衣無縫といった言葉のあてはまる天成の詩人のよ […]

Comments are closed.