週末 制作の後、衆議院選挙へ

新党が乱立する今回の衆議院選挙。我が国の政治の混迷を見る思いですが、自分は海外生活を送っていた20代後半を例外として20歳の頃から欠かさず投票に行っています。今回はどんな公約を投票基準にしようか、そもそも信頼できる政党が果たしてあるのか、政治は私たちの生活に直結するだけに判断が難しいと思いました。工房に来ているスタッフは全員20代で、政治のことでは無関心になっていて、若い世代を巻き込んで魅力ある国を作り上げるのは容易なことでないと感じました。今日はいつものように朝から工房で制作をしていました。相変わらず成形には骨が折れます。朝9時前から成形2点を始め、何とかカタチになったのが夕方4時でした。それから実家の母と家内を連れて選挙会場に行きました。見覚えのある自治会長に呼び止められて、お疲れ様ですと軽く会釈しました。朝から晩まで選挙を運営する人たちは大変だなぁと思いつつ会場を出ました。

週末 陶土購入して制作佳境

週末になりました。朝から工房に籠って制作三昧です。陶土がなくなったことは以前NOTE(ブログ)に書きましたが、今日は栃木県益子より陶土が600キロ届きました。新作の陶土使用が例年より多く、今年は頻繁に土練機を回していると感じます。今年は8月に陶土を購入しています。年間2回購入するのは初めてです。これで当分は陶土に不自由しません。自分は焼成前の陶土を捨てることはしません。乾燥した陶土なら水を打って元に戻します。細かく砕いて水を含ませながら土錬機にかけて、最後に菊練りをして保管しておきます。タタラや紐作りで余分な陶土も土錬機にかけて元の状態にしておきます。陶土を単身で使わず混合しているため、自分流のブレンド陶土は大切に使っているのです。今日は雨が降る肌寒い一日でしたが、昨晩までやっていた彫り込み加飾の仕上げをしたり、乾燥した成形部品に化粧掛けをして窯入れの準備をして夕方5時くらいまで工房で過ごしました。明日は成形と窯入れを行います。

非日常空間で寒さと闘う

今週は仕事帰りに工房に出かけています。月曜日から今日までの5日間、毎晩制作に勤しみました。工房には寒さ対策をして行きますが、深々と冷えむ空間は、ストーブひとつで暖めるのは到底無理な状況です。それでも工房に置かれた作品の数々に勇気をもらっています。これは自作の他に若いスタッフの作品もあるためで、彼らが個々の創作活動に真摯に向かう姿勢が見えるのです。この非日常的な空間の有難さは何度もNOTE(ブログ)に書いてきました。寝食をする自宅ではなかなか出来ない作業を、工房においては雰囲気からして作業をやり易くしています。工房に行ってしまえば、気分があっという間に制作モードに切り替わります。ただ、今の季節は寒さとの闘いになって、悴む手をストーブで温めながら粘り強くやっていくしかありません。1時間以上作業していると、身体に寒さを引きこむ可能性もあり、とりあえず1時間で様子を見るようにしています。工房から帰ると自宅は気分が緩むほど暖かく感じます。これがあるからこそ工房の寒さと闘えるのではないかと思います。

芸術家が愛した猫たち

世に知られた芸術家がどんな動物と共存し、また作品にどう表現したか、そのランキングがあれば知りたいものです。私見で言えば猫が一番多いのではないかと推察しています。犬や他の動物に比べて、猫は人に媚びる時と我関せずの時の仕草があります。芸術家の人気を集めている所以がそこにあるのかもしれません。人に媚びず唯我独尊というスタンスが芸術家に似ているとも感じます。自分が彫刻を学び始めた頃、東京都立美術館で池田宗弘先生の真鍮による猫の群像彫刻に出会いました。中心に魚の骨が置かれ、それを目指して四方八方から痩せ細った猫が忍び寄る状況を真鍮直付けで表した作品で、猫の骨格だけになったボロボロの姿態が、逆に生きる逞しさを表現していて、私はその作品に一目惚れをしてしまったのでした。最少の量感で最大の表現力。猫の圧倒的な存在感。そこに猫を愛してやまない芸術家の側面を見た気がしました。画家藤田嗣治の描く猫も素晴らしいもので、猫を飼っているからこそわかる猫の仕草や表情が絵から伝わってくるのです。まだ、猫をテーマにしている芸術家はいます。追々感想などを述べていきたいと考えています。

A・ブルトン 望みの吐露

「私の望みは、私たちを分離させえたあらゆる要素を乗り越え、分離の際に味わった感情、その一部はいまだ収まることを知らないのですが、そうしたもろもろの感情を乗り超えて、そこからは、何人もで一緒に辿った道を何ら苦い思いを感じないで眺められるような、そこからは、一定数の人間ーいつも同じ顔ぶれとはかぎらなかったにしろーをひとつの同じ大義のまわりにこの上ない熱情をもって結集させたものにたいしてなんの低意なしに感謝できるような、そうした平静な地点に到達することだと言えましょう…」現在読んでいる「ブルトン シュルレアリスムを語る」(アンドレ・ブルトン著 稲田三吉・佐山一訳 思潮社)の中で、シュルレアリスムの提唱者であるA・ブルトンがラジオ放送のインタビューに答えて、自分の望みを語った箇所を引用しました。シュルレアリスムは旧態依然とした価値観を壊し、人間の顕在・潜在意識双方に働きかけた芸術文化活動でしたが、それに留まらず政治にも影響を及ぼした大きな運動でした。それを組織するにあたって様々な苦悩があったことがインタビューによって窺えます。ブルトンの望みの吐露はその苦しさを十分物語っていると私は感じました。

陰影で表現する作品について

造形作家の故福田繁雄の作品に食器を束ねたオブジェがあります。そこに光を当てるとオブジェの陰影がバイクになるという作品で、だまし絵としての面白さで群を抜いています。タイトルは「ランチはヘルメットをかぶって…」(1987年作)。立体は光をあてると影ができ、それを計算して陰影で見せることに意外性を齎せてくれます。計算するまではいかないにしても自作の「構築~包囲~」と「構築~解放~」はテーブル彫刻として、床に落ちる陰影を展示の演出効果にしました。その時は陰影を造形の一部にする意図はありませんでしたが、今後は陰影を造形要素に取り入れてみたいと思っています。アレキサンダー・カルダーのモビールは浮遊するカタチの陰影が面白かったり、また身近な存在では師匠の池田宗弘のサーカス・シリーズは、細い針金状の造形に細い人体が絡まる作品なので、陰影が大変美しいのです。立体であればこそ楽しめる要素です。デジタル画像に残しても面白いのではないかと思います。うつろいゆく陰影と実材で構築した立体造形。その相反する要素が面白さを醸し出す陰影で表現する作品に、自分には興味関心があるのです。

12月RECORDは「蘇生」

一日1点ずつポストカード大の平面作品を作り続けて、そろそろ7年が経とうかというところに差し掛かっています。全体をRECORD(記録)と称していますが、継続することを第一目的として、且つ表現が深められればいいと思っています。今年は月ごとのテーマを漢字2文字で表しています。「萌芽」「種子」「増殖」「飛翔」「対話」「表層」「束縛」「螺旋」「分離」「嗜好」「文様」ときて、12月は「蘇生」にしました。年初めに萌芽し、いろいろな経過があって年末に蘇生していく1年間を考えました。今年は具象・抽象に関わらずテーマに従ってやっていたので、鳥類や爬虫類、ペットボトルや菓子のパッケージもデフォルメして描きました。例年になく楽しいRECORDで、来年もこのコンセプトを続けていこうかと思っています。「蘇生」は蘇る生命を形態や視点を変えて取り組んでみようと思っています。

週末 集中する時間

今日も朝から工房で制作三昧でした。昨日に引き続き陶彫制作に集中していました。昨日作っておいたタタラで3点の成形をしました。紐作りで補強し、表面に彫り込み加飾用のデッサンを施しました。集中して6時間、これが今日も限界でした。朝9時から午後3時までが作業時間で、その後は集中力は落ちていきます。今日は若いスタッフが3人来ましたが、彼らの集中力も同じでした。今日は特に大きな失敗もなく坦々と作り上げていきましたが、6時間を過ぎると急速に意欲が萎えていくのがわかります。集中力を持続することはやめて、この6時間をどう有効に使うかを考えることにしました。この週末の2日間は制作工程に遅れがあったものの、手順としてはまずまずではなかったかと思いました。明日から仕事帰りに工房に行けるのかどうか、気力が残っていることを期待します。

週末 遅れを取り戻そうと…

制作三昧の週末です。今月の制作目標に掲げたウィークディ夜の制作が早くも滞っています。今週は歯科医院に行ったり、工房に行ったものの寒さで制作を断念したこともあって、当初考えていた制作工程が遅れ気味です。この週末は遅れを取り戻そうと、躍起になって作業に取り掛かりましたが、彫り込み加飾は時間がかかり、朝から夕方まで休みなく続けても遅れを取り戻すことが出来ません。手が荒れ放題で、今日は6時間の作業で終了としました。新たな成形のためにタタラを用意して明日に備えます。例年より陶彫制作がキツいと思っています。こんなに時間がないと思えるのは初めてかもしれません。例年過密なスケジュールで制作をしていますが、週末だけで何とかなっているのです。この週末は思い切り頑張って、来週はウィークディの夜に防寒対策をして工房に通いたいものです。明日も朝から制作です。とりあえず明日に期待することにしました。

朝晩の寒さに耐えながら…

師走になってめっきり寒くなりました。横浜では寒くなったと言っても雪国に比べれば、たいしたことではありませんが、寒さに慣れていない身体には、この温度が堪えます。まず、起床がつらくなりました。朝は真っ暗なうちに自宅を出て、バスや電車に乗る頃に夜がすっかり明けて慌ただしい出勤風景が目の前に広がっています。何よりも自分は夜の工房の寒さが辛いと思っています。昨晩も手が悴んで陶彫の彫りこみ加飾に影響がでました。15分もいると深々と冷えてきて、ストーブひとつで室内を暖めるには厳しいものがあります。結局昨晩は制作を途中で断念せざるをえませんでした。陶土は水分を含むので週末の制作でも手が荒れます。ましてや夜は思うように手が動いてくれません。うっかり生乾きの成形部品を持ち上げて裂け目が入り、寒いやら失敗するやらで泣きたい気分になりました。週末で今の状態を仕切り直していきます。制作は苦しいですが、きっとこれが実り多いものになると信じています。朝晩の寒さに耐えながら休まず続けていくことが、満足できる自己表現へ近づくことになると思っています。

陶土注文で確認する作品傾向

工房在庫の陶土がなくなってきました。例年に比べ陶土の減りが目立つなぁと思っています。これは来年発表する作品の傾向を示すもので、「発掘~地殻~」と「発掘~連築~」に例年以上の陶土を使っていることになります。「発掘~連築~」は1点ずつの陶彫部品が大きく、窯に1点ずつしか入らないほどで、前にNOTE(ブログ)に書いたことがあります。ここにきて「発掘~地殻~」も陶彫部品が大きいなぁと改めて思っています。これはたまに工房に顔を出す家内から指摘されたことです。確かにまだ陶彫に関わっていて、木彫まで手が回らない現在の状況は、ここに起因するのかもしれません。さっそく栃木県益子にある明智鉱業に注文しました。ここは陶彫を始めた時からの縁で、今回はFAXで注文票を送りました。届くのは15日(土)になりそうです。

久しぶりに歯の治療

昨日、仕事帰りに職場近くの歯科医院に寄ってきました。その歯科医院は学生時代からの掛かりつけの所です。横浜駅から歩いて数分の便利な立地条件と、徹底的に治療してくれるので、ここは親の代から利用しています。掛かりつけと言っても10年近くご無沙汰してしまうので、診察券が古びてきています。夜9時まで開業しているのは、いかにも横浜駅周辺にあるからこそと思えます。現在の自分の職場が横浜駅周辺で、その歯科医院まで歩いて5分というのも奇遇です。数日前から右上の歯の裏側に違和感を覚えていました。案の定、原因は虫歯で神経には達していなかったのが救いでした。虫歯になった歯に被せモノで治療する対処方法に同意しました。昨日は夜6時半から8時半まで2時間かかって治療をしていただきました。帰宅したら疲れが出て工房には行けず、早めに就寝しました。このNOTE(ブログ)は日記としての役割があるので、今回は日常生活の一部を書きました。

ポーランド・ポスター「三人の女性」

先日、ヨコハマ創造都市センターで開催されている「ポーランド・ポスター展」を見に行って、何気なさに惹かれた一枚のポスターがありました。図録では大きく取り上げられることもなく、鑑賞者が立ち止まってみるような刺激的な要素の少ないポスターでしたが、その簡潔な表現に目が留まりました。作者はミェチスワフ・ヴァシレフスキで、スプーンとフォークとナイフの3つのシルエットが、ほんの僅かデフォルメされて女性のシルエットに見えるというポスターでした。ポスターは宣伝効果をまず第一に考えますが、道行く人の心をキャッチするために過激な色や奇抜な発想でなくても、その単純さと構成の美しさで十分印象に残るものが出来ると思います。そういう意味でも伝える内容に相応しいポスターがいいのではないかと思うこの頃です。商品を思い描く時はデザインとともに思い描くことが多いと感じます。長く愛されるデザインには、人の心に長く留める仕掛けがあると思います。発想の面白さだけでなく、時代に定着するデザインとは何か、「三人の女性」をデザインしたポスターの前で、暫し考えさせられた一場面でした。

苦しみの中で掴むカタチ

自分は彫刻の制作を通して表題のようなテーマを考えましたが、生活全般にわたって苦労が報われる瞬間があると思います。もちろん徒労に終わることもあります。彫刻制作に関して言えば、彫刻を始めた若い頃に比べれば、多少なりとも失敗は少なくなりましたが、最終工程で焼成をする陶彫は試練ばかりで今でも巧くいかない状況があります。陶の性質に合わせると彫刻として不本意なものになったり、逆に心を込めて作ったものが、陶としては無理な造形であったため窯に入れて割れてしまったりして、意欲を維持することが辛い時があります。先日も失敗として処理するかどうか迷う場面がありました。そこを何とか踏みとどまって、陶土の厚みを確認しつつ自分が納得できるカタチに近づける苦しい作業を続けていくうちに、思わぬ新鮮なカタチが現れることもあるのです。苦しみの中で掴むカタチは、自分を追い込むことによって自分の既存イメージを超えていく創作そのものだと感じています。

週末 陶彫しか見えない時間

今日も朝から夕方まで陶彫しか見えない時間を過ごしました。若いスタッフが3人来ましたが、それぞれの課題をやっていて密度の濃い時間が流れていました。私の手伝いがない時はスタッフは個々の創作活動に勤しんでいます。私も自分のことに夢中で周囲を見ることもなく、制作に没頭しました。寒くなると陶彫制作は手が荒れます。水も使うので時々手を暖めにストーブの傍に行きますが、それ以外は作業に集中しています。人はどのくらい集中力が保てるのでしょうか。朝9時前に作業を開始して、休みなく続けて午後3時には集中力が落ちてきます。昼食は約15分です。6時間が限界かなぁと若いスタッフと話しました。そのスタッフは現在美大生で、普段大学にはもう少し長く留まっているそうですが、制作の合間に講義があったり、友人とお喋りしたり、構内をブラブラ歩く時間があるので、作業のみというわけではないと言っていました。そこへいくと相原工房は作業のみで6時間中ずっと自分の作品に正対しているわけです。相原工房の無駄のなさ過ぎる環境は大学の工房より厳しいと言えます。これがあってこそ制作工程が進んでいくのです。でも、せっかく若い子たちが来ているのだから、もう少しお茶の時間をとってもいいかなぁと思いました。

週末 もう12月です。

月日の経つのは早いもので、もう12月になりました。新作「発掘~地殻~」も「発掘~連築」も陶彫部品の制作は佳境を迎えています。今月どこまで出来るのか、制作工程を睨んでやっていきたいと思います。今月はほとんどの週末が制作に充てられそうです。休日出勤は今のところ入っていません。さらに年末年始に休庁期間があり、まとまった休みが取れるのが何とも嬉しい限りです。具体的な制作目標は見えていませんが、今月も先月以上に作りまくる姿勢を貫こうと思います。先月はウィークディの夜に工房に行って作業をやっていました。今月は毎晩出かけて行こうと思っています。週末は過激に作ります。今日も朝から夜10時まで工房で作業に没頭していました。自宅に食事に帰ると疲れた顔をしているせいか、家内が心配してくれます。再び工房に行くと気持ちが引き締まって、時間を忘れて作業をしてしまいます。覚醒しているのかもしれません。昨晩、陶土を練ってタタラにしておいたのを、午前中成形をして、さらに午後になって彫り込み加飾をしました。夜は土練機を回して菊練りをして、明日の新たな成形のためにタタラを作りました。時計を見ると10時を過ぎていたので引き上げてきました。自分を突き動かしているのは何なのか、力むことなく休むことなく続いている状態は歓迎すべきものなのかなぁと思いつつ、ただ成形では今日も右往左往して、自分のコントロールに逆らう陶土と闘いながら、また妥協しながら進めている次第です。

猫と共存する夜間制作

彫刻であれRECORDであれ、猫をテーマとするものがあれば、自宅には猫がウロウロしているのでモデリングやスケッチには最適です。ところが今は猫を作ろうとはしていないので、猫のトラ吉は時として邪魔な存在でもあるのです。仕事から帰った自分は、夕食前の食卓でRECORDを描き始めますが、トラ吉が食卓に飛び乗ってきて私の手に絡みます。RECORDは葉書大の小さな平面作品でアクリルガッシュで仕上げることもあります。絵の具を出しておくとトラ吉はそれを踏んづけていきます。トラ吉の餌は家内が用意し、別の部屋に連れ込むので、私たちの夕食は穏やかにとることが出来ます。そのままトラ吉は別の部屋に閉じ込めてしまうので、食後のRECORD制作はスムースに進みます。就寝前に私はパソコンに向かって、NOTE(ブログ)を書きますが、そこにもトラ吉がやってきてパソコン机に乗ってきます。キーボードの上は歩かせないようにトラ吉を追い払いながら、このNOTE(ブログ)をやっているのです。捨て猫を拾った時から猫と共存する夜間制作になりました。トラ吉は何にでも絡んでいくようなアクティヴな性格で楽しいこともありますが、制作に没頭したい時は厄介なキャラです。ペットと言えども、こちらの都合に合わせてくれないのはトラ吉が精一杯生きている証なのかもしれません。

陶彫が連なる「発掘~連築~」

来年の個展に発表する作品は、現在制作中の屏風「発掘~地殻~」に加えて、床置きの「発掘~連築~」を考えています。「発掘~連築~」は過去自分が制作した陶彫の中では、一つひとつの部品が大きく相原工房の窯で焼成するモノとしては最大です。陶彫部品は7体あって、それを連ねて構成します。自分の夢に登場した壁が連なる風景がこの作品のイメージの源泉です。夢に登場した壁はかなり大きく幾何学的なカタチが刻印されていました。壁は錆びた鉄のようでいて硬質でありながら人間臭さが残る素材がイメージされていました。それを鉄そのものではなく陶を使って自分は表現します。夢の中の壁は何かを拒絶するような印象を自分に抱かせました。国家間を分かつ壁もあり、また人を分かつ見えない壁もあります。壁をテーマに選ぶのは意義があるように思えます。今回制作する陶彫作品は視界を遮るほどの大きさはなく、壁としての表現効果は望めませんが、将来は素材を別のものに変えて、実体として壁を作ってみたいと思っています。

野外工房の有効利用を考える

時間があれば、工房をああしたいこうしたいという希望がありますが、今は二足の草鞋生活で時間がないことを言い訳にして、あれこれ考えているに過ぎません。定年になり実際に時間ができれば、今思っていることを全てやりたいと考えていますが、その時になって本当に出来るのかどうか定かではありません。きっと意欲が衰えなければ実行できるはずと思っています。懸念のひとつは野外工房の有効利用です。野外工房が出来た時にNOTE(ブログ)に書いた記憶がありますが、野外でなければ出来ない大きな作品をここで作っていく方向は今でも変わりません。野外展示も考えていて陶彫ならば雨風にあたる場所でも大丈夫かなぁと思います。若いスタッフが布を染める工程で野外工房を使いたいと言ってきました。今はほとんど使っていない野外工房ですが、コンクリートの床面積は室内工房の半分程度はあるので活用してくれれば幸いと思っています。

「ブルトン シュルレアリスムを語る」について

「ブルトン シュルレアリスムを語る」(アンドレ・ブルトン著 稲田三吉・佐山一訳 思潮社)を読み始めました。この書籍は東京ワタリウム美術館の地下にある書店で最近購入したものです。誰でもそうかもしれませんが、自分も読書の傾向が決まっていて、なかなかその範疇から出ることがありません。今回も再三NOTE(ブログ)で取り上げているシュルレアリスムに関する内容です。この書籍はA・ブルトンがフランスのラジオ局の番組インタビューで答えている自身の振り返りや思索を一冊の本にまとめたもので、A・ブルトンの伝記をかつて読んだことがある自分にとっては、改めてA・ブルトンの思想を確認することになりそうです。シュルレアリスムは20世紀の芸術全般において大きな位置を占めるもので、他の芸術運動より広範囲にわたり、また長い間支持されてきました。その契機となった事情を知ることは現代から見ても有意義なことと思われます。インタビュー記事は難解なことはなく、むしろ今まで読んだA・ブルトンの著作の中で比較的気軽に読めるものかもしれません。

横浜の「ポーランド・ポスター展」

オーストリアで暮らしていた若い頃、ソビエト連邦を中心とする社会主義体制の東欧諸国の中にポーランドがありました。ポーランドは行ってみたい国のひとつでしたが、ついに足を踏み入れることなく帰国してしまいました。首都ワルシャワや古都クラコウはポスターや版画の国際コンクールがあり、ポーランド人は美術的にも優れた感覚を持つ国民性があることは知っていました。ハンガリーやルーマニアに出かけていたのに何故ポーランドに行かなかったのか帰国した後になって悔やみました。現在横浜の馬車道にあるヨコハマ創造都市センターで「ポーランド・ポスター展」が開催されているので早速見てきました。時代的な背景もあり、プロレタリアアートの影を残すポスターもありましたが、そこから斬新なデザインが生まれ、自由な発想を獲得していました。自分が大学受験で行ったデザインの基礎的な学習を思い出すほど、展示されたポスターは構成等の基本に忠実で、しかも真摯に作られている状況が見て取れました。ポスターとは何か、という問いかけから始まる動機が、情報過多でデジタル処理に慣れた現代の眼からすれば、とても新鮮で明快なビジュアルとしての主張を感じました。今回は雑駁な感想に留めますが、気になった作品は改めて取り上げたいと思います。

三連休 自分の力量を思い知る

この三連休は陶彫制作にどっぷり浸かった時間を過ごしました。昨晩出かけた高架下ライブ以外は、全て陶彫制作ばかり。手が荒れ放題でガサガサになりました。今日の成形は失敗と隣り合わせで、途中でカタチを大きく変更して何とか作り上げました。三連休を通じて陶彫ばかりやっていると、すんなりと出来上がってくれない成形もあります。調子よくやって余裕綽綽でいると、しっぺ返しがあるのが陶彫で、天国から瞬時に地獄へ落ちる時があるのです。工房内は寒々しているのに、地獄を見ると額に汗が滲みます。やはり創作は精神の産物だなぁと思える瞬間です。陶土が思うように立ち上がらずイライラして焦りだすと、あれもこれも駄目になっていくのが不思議なところです。どこで仕切り直すか判断に迷うところですが、今日は若いスタッフが3人も工房に来ていたので、夕方彼らを車で送り届けることで、頭をクールダウンさせて、もう一度失敗しかかった作業に挑みました。結果、カタチの変更はあったものの何とかなったような気がしています。モノによっては完全に潰してしまう時もありますが、粘り強くやっていくと意外なカタチが現れて、自分の世界観が広がったり、より高い技術が身についたりするのです。ともかくこの三連休の制作は疲れました。まだまだ満足するには程遠い状態ですが、力量的には限界かなぁと振り返っています。それにしても自分の拙さが浮かび上がって、全てを放り出してしまいたくなります。内容も技術も薄い紙を重ねるように上達することはわかっていても、もうちょっと何とかならないものか自問自答しています。

三連休 下町の高架下ライブ

横浜の黄金町は下町風情の残る街です。最近、京浜急行線の高架下でアートによる街作りが始まっていて、手作り感溢れる雰囲気が出来つつあります。黄金町駅周辺にもライブハウスが出来て、お茶を飲みながらライブを楽しめる空間が生まれました。今晩は家内の従兄弟で、昔からギターの弾き語りをやっている人がライブを開催したので聴きに行ってきました。彼は自作の英語の語りに曲をのせて聴かせるアーティストです。緩急あって心に響く曲の数々。ベースの友人も参加して盛り上がるライブになりました。自分は朝から工房にいて、畳み込むような制作に明け暮れています。この三連休は陶彫制作に真っ向から挑んでいて、ちょっと休息したいと思っていたところでした。彼が醸し出す音楽空間を精一杯吸い込んで、ヘトヘトになった心身に活力を取り戻そうと考えていました。期待通り心が癒されました。弾き語りは、聴く側も構えることなく気楽に接しられるところがいいと感じます。また横浜で彼のライブがあれば聴きに行きたいと思っています。

三連休 久しぶりの制作三昧

暦の関係で今年は三連休が少ないように思えます。おまけに週末も仕事が入り丸2日取れないことも多いので、この三連休は久しぶりに制作三昧となりました。若い世代のスタッフもやってきて、朝から工房は活気に溢れました。大きなストーブも焚き始めました。さて、この三連休ですが、新作「発掘~地殻~」の木彫に到達せず、陶彫部品の成形と加飾に明け暮れることになりそうです。私の作品の多くは陶彫部品と木彫で構成していきますが、まだ新作の木彫には手つかずといったところです。来月から木彫をやろうと考えていますが、先のことを考えると気持ちは焦る一方です。陶彫部品が昨年よりも多いせいかもしれませんが、制作工程を見るとゆっくりしていられない状況があります。この三連休に思い切り作って、さらにウィークディの夜に制作する姿勢を継続しようと思っています。

「青騎士の誕生 カンディンスキーの舞台芸術」読後感

「青騎士の誕生 カンディンスキーの舞台芸術」(小林奈央子著 早稲田大学出版部)を読み終えました。以前「青騎士」(カンディンスキー/フランツ・マルク編 岡田素之・相澤正巳訳 白水社)を読んだ時に、カンディンスキーの戯曲「黄色い響き」が載っていて、どんなに読み込んでも理解に苦しむ場面が多かったのを覚えています。これはどんな舞台になるのか、演劇としての娯楽性を感じることが出来ず、劇場で見ていたら、狐につままれた気分になるだろうと思いました。本書では「舞台コンポジション」連作の丁寧な解説があって、衣裳やジェスチャーが何を意味するのか、キリスト教図像学等を参考に掘り下げた考察によって、発想の源や革新性が解ったように思います。さらに違う視点からの考察が登場すれば、カンディンスキーを取り巻く芸術的状況が一層進展していくだろうと思いますが、現在は本書を頼りにカンディンスキーの舞台芸術を紐解いていくことが良いと感じます。結論となる箇所を抜粋すれば「カンディンスキーの理解では、芸術家とは現代の人間の精神生活の危機に際し、精神への糧を与える騎士として選ばれた存在である。この新たな精神闘争においては、旧世界で闘争の根源となった文化・民族・宗教・言語といった差異を超越する世界芸術言語、すなわち抽象芸術こそが、新たな武器となり、芸術家はその武器をもって、全人類の精神の向上のために闘うのである。その意味で、〈舞台コンポジション〉とは、新しい“精神の時代”に立つ全ての人間と全ての芸術にカンディンスキーが捧げる“記念碑”であったと言えよう。」ということになります。カンディンスキーの精神的なる芸術は舞台の創作を通じて具現化していく過程を鑑みると、本書はカンディンスキー研究には重要な役割があると感じています。

造形の素材変換

かつて木彫によるテーブル彫刻「構築~包囲~」と「構築~解放~」を作りました。サークル状の厚板を複数の細い柱で支える構造で、量というよりは線と面で構成される軽やかな作品として作ったつもりです。この作品の造形イメージを陶彫で表現するとすれば、線や面ではなく量として表すことになります。次なるイメージとしては「構築~包囲~」の陶彫変換として、大きな円錐状に陶彫部品を張巡らし、周囲の床にも陶彫部品を配置して、うず高く積もれた陶彫による円錐形を考えています。「構築~解放~」の陶彫変換としては、クレーターのような窪みを陶彫部品を床に配置して表現しようと考えています。内なるものと外へ広がるもの。プラスとマイナス。凸と凹。「構築~包囲~」も「構築~解放~」も基本的なカタチとしてのイメージは相対する2つの要素をもっていて、それが木彫であろうと陶彫であろうと同じコンセプトでやっていきたいと思います。同じ要素から発展するカタチ。素材が異なれば作品の構造が変わり、それによって空間の雰囲気も変わってきます。イメージの出所が同じである場合でも、素材は彫刻にとっては重要で、印象としてはまるで違う作品になっていくのです。次なるイメージは円錐形の陶彫による集合彫刻です。

東京丸の内の「シャルダン展」

18世紀のフランスと言えば、ロココ様式が盛んで、西欧が文化的にも爛熟した時代だったと思います。この時代を生きた画家シャルダンは日本での知名度は低く、自分も初めて聞く名前でした。地味な画風ながら静寂な雰囲気を漂わせた絵画は、誠実で実直な画家の人柄を反映しているようでした。図録にある経歴を見ると、生前は風俗画家として名声を得ていたことがわかりました。今回、東京丸の内にある三菱一号館美術館で開催されている「シャルダン展 静寂の巨匠」には、代表作の風俗画や静物画が展示されていて、シャルダンの世界を十分堪能することができました。私自身の好みで言えば、風俗画より静物画が好きで、巧妙な構図や光の加減が静物画に結集しているように思えます。全体的な表現に甘美なロココの時代とは思えない慎ましい表現があり、その静かな抒情を湛えた世界は、簡潔で厳粛な雰囲気さえ感じさせます。シャルダンは次世代の画家に与えた影響もあり、今後は再評価が進むことと思われます。

「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」展

昨日、表題の展覧会に行ってきました。新聞報道等の宣伝効果で多くの鑑賞者が訪れていました。1室目と2室目は足を踏み入れた時の雰囲気に圧倒されましたが、展示されていたひとつずつの作品からはあまり感銘を受けることはありませんでした。室内を宮殿風に演出した2室目も同じでした。若い頃に西欧で5年間暮らした自分には懐かしさばかりが先立ち、織物にしろ家具にしろ西欧で見た時はそこの空気に馴染んでいて、ごく自然に接していたので、こんな感想を持ったのかもしれません。ただ、こうして日本に持ってきて美術館という空間で、じっくり観るということに不思議な新鮮さを感じました。やはり食い入るように観たのは名画ギャラリーの会場で、クラナッハやラファエロ、レンブラント、ヴァン・ダイク、とりわけルーベンスの数点の絵画では時間を忘れました。ルーベンスは自身の工房で作らせた大作が多い巨匠で、各国の美術館の1室を占領するほどの量がありますが、今回展示されていたルーベンスの絵画は、全て自身の筆によるものではないかと思いました。とくに娘の肖像画は秀逸で、巨匠が娘に愛情を注いでいる日常が見て取れました。工芸品も優れたものが多く、コレクションが質量ともに充実しているのがわかりました。30年も前になりますが、滞欧中に友人の車で夜中にリヒテンシュタイン侯国を走り抜けました。検閲もなく夜の闇の中では風景も見えなかったので印象には残りませんでしたが、今一度リヒテンシュタイン侯国に行きたいなぁと思いを抱きました。

週末 4つの展覧会へ

今日は制作を休んで東京の展覧会巡りをしました。まず、六本木にある東京国立新美術館で開催中の「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」展。これは家内の希望で出かけたものですが、久しぶりにルーベンスの世界を堪能しました。詳しい感想は後日改めます。同美術館の野外で開催中の「現代瓦造形と建築文化展」。これは美術館に行った時に初めて知って見てきました。瓦職人による瓦屋根や鬼瓦、オブジェ等が所狭しと展示されていました。伝統的で理に叶った造形に面白みを感じました。次に向かったのが上野で、最近リニューアルした東京都立美術館に行きました。自分の前職場の人が絵を出品している「太陽美術展」を見る目的で出かけましたが、今日は日曜でしかもメトロポリタン美術館の企画展があったため大変混在していました。「太陽美術展」に出品していた前職場の人は、西欧の店内に佇む人々をセピア調にまとめあげた油絵の大作を描いていて、特別な賞を受けていました。自分と同じ二束の草鞋生活を送っている彼は、昨年以上に頑張っている様子が覗えて嬉しくなりました。最後に向かったのが、東京丸の内の三菱一号館美術館で開催中の「シャルダン」展。18世紀のフランスで活躍した画家の足跡を辿る展覧会でした。感想は改めますが、照明を落とした落ち着いた室内に並べられた静寂な画面にホッとさせられました。今日は家内と六本木、上野、丸の内と回り、行動範囲は広くなかったものの4つの展覧会を見てきました。ついでに改修工事が終わった東京駅舎を写真に撮って帰宅しました。今日は盛りだくさんの内容でしたが、最後に夜工房に出かけて窯入れをしてきました。毎週日曜日には窯入れをして水曜日に窯出しをするサイクルが出来ているのです。

週末と言えども出勤多し

今日は土曜日ですが、休日出勤になりました。午前中は障害者のための避難訓練をサポートする仕事があって、昨日から準備をしてきたのでした。午後は止むに止まれぬ出張でした。週末に制作時間が十分に取れないことは立場上仕方がないことですが、制作工程はかなり厳しいので、それを解消するためウィークディの勤務終了後に工房に出かけています。水曜日、木曜日、金曜日の3日間は夜の時間帯を使って陶彫の彫りこみ加飾をやっていました。ただし、土練りや成形は時間がかかるため夜の時間帯では無理です。ウィークディにはそれなりの作業があると自覚しました。週末に丸2日間の制作時間が取れれば、先行きを見て仕事を進めます。制作工程のやり繰りは、管理職になって考えるようになりました。まさに自転車操業です。いつまで保てるかなんて考えないことにしました。目の前の小さな目標をクリアすること、休まず焦らず、でも時に焦ることもありますが、休むことはしません。作業の蓄積が成果を生むことを信じてやっていくだけです。

散策から学ぶこと

先日ドイツから届いた電子メール。それで思い出したことが数々あります。ドイツに住んでいる先輩も当時が懐かしいと言っていますが、自分も同感です。先輩夫妻が来る前から自分は単身でオーストリアにいて、慣れない一人暮らしをしていました。おまけにドイツ語も儘ならず美術アカデミーの講義もわからなかったので、ウィーンの旧市街をウロウロと歩き回っていました。環状道路に囲まれた旧市街は古くて謎めいた路地が多く、磨滅して凹凸になった石畳を何時間もかけて散策しました。当時は寂しいような虚しいような複雑な気持ちで散策をしていましたが、今から思えば散策で何気なく目に触れた光景が、現在の作品構想に一役買っていると言っても過言ではありません。交差しつつ視界を遮断する壁には、時折バロック彫刻による柱やレリーフがあって、中世の佇まいを残しているのが印象的でした。夕暮れになるとバロック建築群は自分が歩く目前に魔物のように立ち塞がり、バタ臭い文化を漂わせているのでした。この堅牢なる都市空間の中で、自分はまるで草藁のような湿った軟弱さをもち、ガラス窓に映った自分は、黄ばんだ肌とのっぺりした風貌をもつ東洋人そのものでした。そんな散策は自己造形イメージ蓄積の恰好な場であったと述懐しています。学生ビザで5年間ウィーンに暮らしましたが、旅行では得られない日々の空気感や古い石造校舎に漂う重厚な雰囲気が今も忘れられません。