GW 「発掘~宙景~」一本化に取り組む

今日はゴールデンウィーク最終日で、楽しみにしていた5連休が終わりました。制作目標として掲げた「発掘~座景~」の完成は何とか達成できました。残したものは小さな部品の焼成で、これは他の陶彫部品と一緒に窯に入れていきたいと思います。今日から「発掘~宙景~」の制作を本格的にやっていこうと思います。「発掘~宙景~」も「発掘~座景~」と同じテーブル彫刻ですが、テーブルの高さが違い、テーブルの下に陶彫部品を吊り下げる構造になっています。今のところ柱の長さは2m50cmありますが、もう少し短くしようと思っています。柱には陶板を貼り付けて、柱陶にしていく予定です。さて、「発掘~宙景~」の陶板は現在52点完成しています。あとどのくらい必要なのかは、柱の長さで決まっていきます。来週末に柱の長さを決定していきたいと思います。5連休ずっと制作に明け暮れたせいか、今日は疲れが溜まっていたようで、遅々として制作が進まない一日でした。陶板を数点成形して、彫り込み加飾を行い、さらに乾燥した陶彫部品に仕上げを施し、化粧掛けを行い、窯に入れることが今日のノルマでしたが、窯に入れるところまで辿り着けなかったのが残念でした。それでも5連休前に掲げた制作目標の成果にある程度満足しています。今月いっぱいで今夏の個展出品作品を何とかまとめていきたいと思っています。夜は山積しているRECORDの彩色を少しずつ始めました。今日のRECORDの下書きを終えて、先月分の彩色を数日まとめてやりました。今月はRECORDも正常化できるように頑張っていきます。土と木に徹底的に付き合ったゴールデンウィークでした。

GW 「発掘~座景~」柱陶16本終わる

ゴールデンウィークの5連休4日目です。今日の工房は、職場の人や中国籍のスタッフ、美大1年生の子が来ていて賑やかでした。中国籍のスタッフは昨日、大学の助手仲間と相模川の鯉のぼりを見に行ったようで、ゴールデンウィークを満喫していました。工房に出入りする人たちは皆それぞれ休暇を楽しんでいて、私だけが5日間を通して制作ばかりしている状況です。図録用の撮影日が来月に迫っていることを考えれば、これも仕方ないと思っています。今日は「発掘~座景~」のテーブルを支える柱16本に陶板を貼り付ける作業を行いました。これは午前中で全て終わり、ほぼイメージ通りの柱陶が出来上がりました。「発掘~座景~」はボルトを隠すための追加陶彫の焼成だけとなり、ほとんど完成したと言っても差し支えありません。全体の制作工程を見ると、明日が「発掘~座景~」の撮影予定日だったわけで、撮影が延びたことで「発掘~宙景~」も同時に作っていたことを考えれば、順調な仕上がりになっていたと思っています。午後は「発掘~宙景~」の柱陶を作るために、土錬機を回し、混合した陶土をタタラにしました。明日から「発掘~宙景~」の制作に入ります。ゴールデンウィークを通し、好天に恵まれ、気温が上昇しています。工房内の気温も夏を思わせる暑さになりました。そのせいか身体が疲れやすくなっていて、夕方には精根尽きる状態でした。スタッフや美大生を車で最寄の駅まで送り、自宅に帰るとヘトヘトになっています。明日はゴールデンウィーク最終日。「発掘~宙景~」の陶彫部品の窯入れを予定しています。もう一日頑張っていこうと思います。

GW 「発掘~座景~」印のデザイン

ゴールデンウィークも後半になり、今日は5連休の3日目です。昨日から「発掘~座景~」のテーブルを支える柱に陶板を貼り付ける作業をしています。今日は11本仕上がったので、明日残りの5本を仕上げます。身体が次第に疲れてきて、工房から帰るとぐったりしています。心は充実しているのに身体が思うように動かないので困っています。そろそろ「発掘~座景~」に印を貼っていこうと思っています。私が作るのは集合彫刻なので、部品にひとつずつに印を貼っておかないと旧作と入り混じってしまうことがあるのです。そのため印は新しく彫ります。印を小さな和紙に押して、そこに番号を記しておきます。台座にも同じ番号の印を貼るので、組み立てるときに番号合わせをすれば、誰でも迷うことはありません。図録用撮影時や個展搬入時に複数のスタッフが手伝ってくれるので、組み立て易くしているのです。現在作っている柱陶も番号付きの印を貼ります。今は便宜上ガムテープに番号を書いて貼ってありますが、印が彫りあがり次第正式なものに替えていきます。毎回新しい印を彫っているので、印材がなくなってきました。夕方、印材を購入しに専門店に行きました。篆刻用石材を何種類か買って、夜に自宅でデザインを考えました。私の作る印は篆書ではなく、自由なデザインにしています。私にとって印は、文字を媒体にした抽象絵画という考え方なので、場合によってはアルファベットも使用します。印という小宇宙を楽しんでいるのです。

GW 「発掘~座景~」塗装作業の開始

ゴールデンウィークの5連休2日目です。昨日彫りあげた柱に防腐効果のある黒い塗料を施しました。塗料が乾いたら柱の4面に陶板を貼り付ける作業を行います。新作では陶彫で武装した柱がイメージされていて、これが今回の目玉になるところなのです。陶板を留めるためにワッシャーとビスを使いますが、柱や陶板に馴染むようにこれにも黒い油性塗料を塗ることにしました。柱の塗料とワッシャーとビスの塗料が乾くまでの間、台座となるテーブルに3回目の油絵の具を散らす作業をしました。3回目は絵の具を霧状に振りかけることにしました。画面が単調にならないように、全体のバランスを見ながら、霧吹きを行いました。霧吹きをやりすぎると今まで偶発的に出来た文様が消えてなくなってしまうのです。すこし霧を吹いたら全体を見渡し、また霧を吹くことを繰り返して、今一歩のところで止めました。これでテーブルは完成と見なして、次に進むことにしたのでした。どこまでやって完成と見なすかは難しいところです。全てやりすぎると作品は退屈なものになります。制作途中の方が作品として良かったことが今までも再三ありました。自分では今一歩と感じていても、それがちょうど良い具合になっている場合が多いのです。今日は中国籍のスタッフの他に、職場の人で100号の油絵に挑んでいる方が工房に来ていました。珍しいことにもう一人、昨年まで高校生だった子が4月から美大生となって工房に現れました。ヴィジュアル・デザイン専攻だそうで、本人は今のところアニメーター志望です。早速、大学の課題をやりに工房に来ていました。今日は千客万来で賑やかでした。

GW 「発掘~座景~」柱の木彫終わる

今日からゴールデンウィークの5連休が始まりました。初日である今日は「発掘~座景~」のテーブルを支える柱の木彫を終えました。「発掘~座景~」はテーブル彫刻です。そのテーブルを支える柱は16本あります。それぞれに陶板を貼り付けるので「柱陶」と呼ぶことにしましたが、床に接着する部分は、細く丸く彫ることにしました。前回6本彫りあがり、今日残りの10本を彫りあげました。ほぼ一日がかりで鑿を振るいました。砥石が変なカタチに磨耗してしまっていて鑿が研ぎにくいので、新しい砥石と替えようかなぁと思っています。研ぎ方に私の癖があって、何度も砥石を駄目にしてしまうのです。明日は木彫した柱に防腐剤を塗って、陶板を貼り付けていく作業をしようと思います。木彫が終わったので5連休の初日のノルマは達成しました。5日間を有効に使うためにゴールデンウィークの制作目標を決めています。最終的にはゴールデンウィーク中に「発掘~座景~」の完成を目指します。ただし「発掘~宙景~」も同時に作っていかなくてはならず、5連休に余裕はありません。創作という労働を蓄積していく5日間と考えています。それでも創作の面白みは魔術のように自分を痺れさせ、何事にも代えられない満足が得られるのです。今日の工房にはいつもやってくる中国籍のスタッフが来ていました。映画館で上映中の日本のアニメが観たいと言っていましたが、私の趣味に合わないアニメでした。明日、工房の作業の後で友達と誘い合わせて行くようです。彼女は中国にいた頃から日本のアニメに慣れ親しんでいて、それによって日本語を学んだ過去があり、アニメに特別な思いがあるようです。中国では日本のアニメが浸透しているのが、彼女の話からよく伝わってきます。今日はアニメ談義に花が咲きました。

映画「人生タクシー」雑感

先日、常連になっている橫浜市中区のミニシアターにイラン映画「人生タクシー」を観にいきました。芸術表現を抑制されている国にいて、自由闊達にカメラを回すジャファル・パナヒ監督。監督自らタクシーの運転手に扮し、乗り合わせた客から様々な呟きを引き出し、現在の社会情勢を微妙な風刺で彩る映画の手法は、語る人物によって面白くおかしい台詞が満載でした。社会的な矛盾を孕んだ現状を露見させたこの映画を、彼の地の政治家はどう見ていたのでしょうか。案の定、映画は国内での上映禁止の憂き目に遭い、何かの手段を使って海外に持ち出して、名のある国際映画祭で賞を獲得するに至った事実を知ると、権力による抑圧がパナヒ・ワールドを培ったとも言えます。これは「人生タクシー」に限ったことではなく、パナヒ監督のあらゆる映画がヴェネチアやカンヌ、ベルリンの国際映画祭で評価されているのは、芸術表現を誰も阻むことが出来ないことを如実に物語っているように思います。テヘランの市街は一見自由に見えるのに、「俗悪なリアリズムってどういうこと?現実を撮りなさいと教えといて、暗くてイヤな現実は見せちゃダメ、って意味判んない。」と監督の姪っ子がタクシーの中で、学校で出された映像の課題について吐露する気持は、現実の社会に投影されていて、私たちは映画の中の彼女の姿に一気に引き込まれていったのでした。

爽やかな5月に…

5月になりました。爽やかな季節になって、凌ぎやすい気温の中で創作活動に拍車がかかりそうです。私は暖かくなるこの時期にヴァイオリズムが上昇するらしく、制作に活気が出てきます。今月はゴールデンウィークとして5連休があります。この5連休をどう過ごすのか、創作活動にとって制作時間が確保される貴重な機会なのです。5連休の中で芸術鑑賞に行くことは今のところ考えていません。何処に行っても混雑するので、敢えてこの時期は工房に籠もることにしました。数年前までは栃木県益子町や茨城県笠間町で開催している陶器市や陶炎祭に行っていました。毎年、陶芸家の友人たちに会えることを楽しみにしていましたが、最近は新作のハードルを上げてしまったため、制作三昧の日々になっています。今月の鑑賞は見たい展覧会が数多くあって、金曜日の夜の美術館開館時間を有効に使おうかと考えています。自家用車で出かけたい遠方の美術館もあります。ウィークディの仕事では、出張が増えて各種研究会が立ち上がっています。如何に職場をマネージメントするか考えて実践していくのが私たちの職務なので、先月スタートした新体制を今月は効率よく回していく1ヶ月でもあります。RECORDは先月から厳しい状況になっていますが、下書きだけでも一日1点ずつ制作していこうと思っています。読書は新しい書籍に挑戦します。先日読み終えた「芸術の摂理」がとても面白かったので、それに続く書籍を読んでいきたいと思っています。いずれにしても爽やかな5月は、精いっぱい新鮮な空気を吸い込んで頑張っていきたいと思います。

週末 4月を振り返って…

世の中はゴールデンウィーク真っ最中ですが、週末の工房での制作と、今日が今月の最終日なので1ヶ月を振り返ってみたいと思います。工房には朝から中国籍のスタッフと私の職場の職員が来ていました。職員は初めて100号のキャンバスを張り、下塗りをしていました。工房で絵を描き始めて1年以上になるので、ここで大作に挑戦しようというのです。頑張って欲しいものです。午前中、私は「発掘~座景~」台座の2回目の油絵の具による塗装を行いました。全体の効果を考えながら数種の色彩を滴らしました。午後になって「発掘~座景~」台座を支える柱の先端部分を細く丸く彫る作業をしました。下方の17㎝から彫ったのですが、全部で16本あるうち6本が彫りあがりました。次回は全て彫りあがりそうです。今日も密度の濃い作業で、些か疲れました。どうも週末の最後は疲れて体調が悪くなります。工房を出て、スタッフを駅まで送り、自宅に帰ってくると身体が動きませんでした。ソファに倒れこんだまま眠ってしまいました。今月はこんな日が多かったように記憶しています。職場では新年度当初の慌しさがあって、ゆっくりすることはありませんでした。加えて今月はウィークディに夜間制作をよくやっていました。1週間のうち半分以上は夜の工房に通っていたことになります。それでも制作工程は厳しいものがあり、焦る気持ちが疲労を打ち負かしていたのかもしれません。この制作の影響を受けたのはRECORDでした。今月は下書きだけ山積していて、1点も仕上がっていません。読書も停滞していて、先日やっと一冊読み終わったばかりです。鑑賞は充実していました。美術の展覧会では「ミュシャ展」「これぞ暁斎」展を見てきました。東西それぞれの画家の筆力に感銘を受けました。映画は「ラ・ラ・ランド」と「人生タクシー」を観ました。まったく異なる手法の映画でしたが、良質な映画を観た印象が残りました。今月はバランスを欠いていたものの、自分なりに頑張ったのではないかと思っています。来月は3日から始まる5連休で新作をどこまで進めることができるのか、闘志を燃やしていきます。

GW初日は制作&映画鑑賞

今日からゴールデンウィークという風潮が周囲にはありますが、私の職場では暦通りなので、来週の月曜日と火曜日は通常勤務です。この2日間を年休にして9連休を取得する人は、まずいないでしょう。ネットには私たちの業種の超過勤務時間の実態が掲載されていました。電通だけではないというネットのタイトルが示す通り、私の職場でも連休中もずっと職場に通う職員がいます。管理職としては職員の健康を守るのも仕事の一つなので、休めるときは休んでほしいと常々言っています。私自身は暦に従ってしっかり休むようにしました。ゴールデンウィーク初日の今日は朝から工房で制作をしていました。「発掘~座景~」の台座4点に1回目の油絵の具を塗りました。これは下地となる彩色で、筆で塗ると言うより、表面に施した砂マチエールに絵の具を染み込ませていく作業でした。これが済んでから台座を作業台からシートを敷いた床へ移動しました。今日はスタッフが来ていなかったので、家内が手伝いました。ここに2回目の油絵の具を染み込ませる作業を行うのです。2回目は絵の具を垂らしたり散らせたりしていきます。アクションペインティングと同じように絵の具の偶発的な効果を狙います。午後は窯入れのために乾燥した数点の陶彫部品の仕上げと化粧掛けを行いました。私の彫刻はまるで異なる作業があって楽しい半面、多忙を極めます。夕方、ボルトナットやブロックサンダーを追加購入するため、店に出かけました。家内が珍しく休みだったので一緒に行きました。夜は常連になっている横浜市中区にあるミニシアターで映画を観ました。イラン映画「人生タクシー」は以前から観たかった映画なので、監督独自の視点から描いたイラン社会の実像を堪能しました。「これはドキュメンタリーのように見せた計算された演出だよね。」と家内が感想を洩らしていました。詳しい感想は後日改めます。ゴールデンウィーク初日らしい朝から晩まで充実した一日でした。

「芸術の摂理」読後感

かなり長く鞄に携帯していた「芸術の摂理」(柴辻政彦・米澤有恒著 淡交社)ですが、漸く読み終えることができました。副題にあった「不可視の『形』に迫る作家たち」という言葉の意味と、作家論に取り上げられていた石彫家中島修さんの評論が読みたくて本書を購入したのでした。遅読の言い訳になりそうですが、柴辻政彦氏と米澤有恒氏の深い洞察に、時に立ち止まることもあり、解釈に頷けることもあって、文面によっては繰り返して読んで納得をしていました。不可視の「形」を作るために、米澤氏の言葉を借りれば「神憑っているというか、正気の沙汰に非ずというか、そういう人の仕事は畏敬すべき力を以って人間を魅きつけ、それに接するものを沈黙させ、無論精神的意味でだけれども、平伏させるのである。」という表現活動に常軌を逸してしまう作家像が浮かび上がってきます。あとがきの中で私が共感した箇所を抜粋いたします。「精根の限りを尽くすというと、人間の粒々辛苦の末のように響くものだが、どうやら努力し苦心し身を賭してそうするのではないらしい。否、そんな筈はなく、やはり人間的努力の極限の辺りを往還するだろうが、知らぬ間に没頭し、のめり込んでそうなるようなのである。何かしようとする人間が、いつの間にやらその何かにとり込まれ、何かをさせられてしまう。主ー客の顛倒が起こっていながら、当人はそれに気がつかない。だからだろう、その人間は精根の限りを尽くして、それで猶疲弊することも困憊することもなく、否、縦んばそうあっても懲りることなく、再び三たびと同じような情況に身を委ねるのである。」本書で取り上げられていた作家には及ばないものの、自分も同じ心境になることもあります。私も不可視の「形」を作る作家の端くれでありたいと願っています。

材料不足で店舗に駆け込む

私の作品は陶彫と木彫から成り立っていることが多く、種類の異なる陶土、2種類の化粧土、土の表面を磨くブロックサンダー、陶彫部品を繋ぐボルトナット、木材、種類の異なる鑿類、木槌、電動鑿、グラインダー、ジグゾー、ドリル、サンドペーパー、多彩な油絵の具、溶き油、洗浄液、大きさの異なる筆、砂、砂の硬化剤、パレットナイフ、その他細かい素材や道具を挙げればキリがないほど作品制作に必要なモノがあります。素材が足りなかったり、道具の部品がなかったりすると、作業途中で専門店に買いに行かなければなりません。遠方であれば郵送していただくこともありますが、その場ですぐ必要となっても無理がある場合もあります。予め計画を立てても、なかなか計画通りには行かず、夜は店が閉まっていて万事休すとなる場合も少なくありません。特殊なモノは在庫があるかどうか問い合わせることもあり、品物が入荷するまで1週間待ちなんてこともあります。昨日から始まった「発掘~座景~」の台座に塗装する作業ですが、もう既に「クレムソンレーキ」という油絵の具が足りなくなりました。大きめのチューブを買っておいても、4畳分のデコボコした砂マチエールに染み込ませながら塗っていくのは、想像以上に絵の具を消費するものだと思いました。今日は勤務終了後に画材店に立ち寄って、絵の具を購入してきました。思えば材料不足で店舗に駆け込んだことも随分ありました。探していたものが見つかった時の喜びは一入です。制作工程にはこんなエピソードもあって、右往左往しながら完成に向かっていくのです。

「発掘~座景~」台座塗装開始

今週初めに窯入れした陶彫部品の焼成が終わって、今晩から電気を使えるようになり、夜の工房に通えます。週末だけでは完成に漕ぎ着くことが出来ない新作は、ウィークディの夜も制作を余儀なくされ、なかなか厳しいものがあります。年々ハードルを高くしている結果なのですが、日々制作しているRECORDやこのNOTE(ブログ)にも影響を及ぼしています。自分で勝手にやっていることなので、自業自得と言えばそれまでですが、今後は自分の精神状態や身体と相談していかなければならないかなぁと思っています。今晩から「発掘~座景~」台座の塗装を始めました。4点の畳大のテーブルに砂マチエールが施してある台座ですが、陶彫部品の質感と合わせるために、陶彫の色彩に近い油絵の具を混色し、台座に染み込ませていく作業です。基本の色彩で塗った後、別の色彩の絵の具を滴らせたり、霧状に降りかけたりして、深く微妙な色合いを出そうとしているのです。これは絵画の考え方です。私の作品は彫刻と絵画の双方から攻めていくもので、この組み合わせが我ながら楽しいと感じるところでもあります。作品によって彫刻的要素が強かったり、絵画的要素が強かったりしていて、最終的にはイメージした世界に近づけていきます。「発掘~座景~」は双方がちょうど半々に折り合った作品かなぁと思っています。絵の具の調整に対して若い頃は苦手意識がありました。絵画を専攻しなかったのは、色彩が得意ではなかったことが挙げられますが、年齢と共に苦手意識はなくなっていきました。湧き出たイメージが色彩を纏っていることがあって、遅ればせながら色彩の面白さに気づいた次第なのです。そんな訳で今晩から暫く画家として頑張っていきたいと思っています。

映画「ラ・ラ・ランド」雑感

米アカデミー賞授賞式で珍しい誤報があった映画で、作品賞を逃したものの6つの賞に輝いた話題の映画です。昨晩レイトショーで、この現代版ミュージカルを観てきました。久しぶりに歌い踊るパワフルな映画を観て、楽しい高揚感を味わえました。夢に向かって邁進する若い男女、男セブはジャズピアニストで定番の演奏を放棄して店のオーナーと喧嘩、女ミアは女優志望でオーディションに落ち続けていました。お互いを励ます関係から恋が始まり、崖っぷちになったところでチャンスが訪れます。そこからお互いの心がすれ違うようになり、数年後2人が夢を叶えた代償として恋は破綻するといった物語でした。古き良き時代のミュージカルの要素を残しながら、物語の展開は現代そのもので、幻想と現実が入り乱れる構成もありました。私が注目したのはミア役のエマ・ストーンの気丈な演技で、顔の表情筋がよく動き、思わせたっぷりな演技が魅惑的でした。ミュージカル特有のダンスも自然に入ってきて、大袈裟なところはなく、全体的にチャーミングな印象でした。撮影の労力を感じたのは冒頭で始まる車の渋滞シーンの群舞で、数人のダンサーをクローズアップさせた長いカットは、見応えがありました。ラストの過去を振り返る幻想シーンの説明的なところがもっとあっさりでも良かったかもしれません。他のシーンで充分情緒は盛り込まれていたし、過剰演出も若干気になりました。いずれにしても出来栄えのいい映画であることに変わりはありません。この映画で活力を貰えました。

陶彫焼成中は鑑賞へ

陶彫は窯に入れて焼成を始めてしまうと、3日間くらいは窯から出すことが出来ません。工房の電気容量の設定は家庭用のままなので、焼成中は他の電気が使えなくなります。陶彫は年中焼成しているわけではないので、電気代の基本料金を考えて家庭用にしているのです。以前うっかり焼成中に照明を点けてしまって、ブレーカーが落ち大変なことになったことがありました。この3日間は工房に行けないのなら、この機会を有効に活用して映画鑑賞に出かけることにしました。勤務時間が終わった後で観られるレイトショーを探しました。私が常連になっている横浜市中区にあるミニシアターは車で30分程度のところにあるので、ちょこっと鑑賞するには都合のよい映画館です。仕事始めの月曜日なので躊躇するところですが、楽しくノリのいい映画なら、これもまた一興かなぁと思うことにしました。アメリカ映画「ラ・ラ・ランド」はそんな雰囲気にぴったりの内容でした。詳しい感想は後日改めますが、勤務時間終了後に余暇が楽しめる環境は、私が願うところです。私たちの業種はなかなか余裕のある時間が取れません。小さなものを含めると不測の事態が頻繁に起こる業種だからです。鑑賞は美術であれ音楽であれ、映像や芝居にしても、心を豊かにしてくれるものです。時間を作ってでも芸術鑑賞することは、生きていく上で必要ではないかと思うのです。何でもない時に気軽に行ける美術館や映画館、または劇場やコンサートホール、そんな働き方を職員全員ができればいいなぁと思っている次第です。

週末 「発掘~座景~」柱陶の木彫開始

今日の午前中は職場に行かなければならない用事があって、工房での制作は午後だけになってしまいました。午後は中国籍の若いスタッフや職場の人が工房にやってきて、それぞれの制作をしていました。私は「発掘~座景~」のテーブルを支える柱陶の木彫を始めました。昨日のNOTE(ブログ)にも書きましたが、「発掘~座景~」はテーブルを4点作り、その上に陶彫部品を配置して、架空都市を俯瞰できるようにする集合彫刻です。テーブルの高さは床から57㎝です。テーブルを4本の柱で支えるので、柱の総数は16本になります。木の柱にはそれぞれ四方から文様入りの陶板を貼り付けます。柱の長さはテーブルの厚みを除くと55㎝、陶板の長さは36㎝です。陶板は柱の上方に貼り付けるので、下の部分が19㎝余ります。2㎝の余裕を見て床から17㎝のところから木を彫り、先端をやや細く丸くしていきます。床の接着面は出来るだけ曲面になるようにしていくのです。試しに1本だけ木を彫ってみました。テーブルの下に据え付けて雰囲気を確認しました。ほぼイメージ通りなので、残りは機械的にやっていこうと思います。木材は防腐剤を塗って黒くしていきます。陶彫が黒っぽいので木と調和すると判断しました。問題は残りの柱をいつ彫るのかということです。電動工具を使うなら、騒音を発するので夜間制作はできません。来週末まで木彫は待つしかないのか、もし待つとしたらテーブルを覆っている砂マチエールに油絵の具を滲み込ませる作業を優先するか、それとも窯入れをして夜の作業は諦めるか、思案した結果、窯入れをして3日間は工房を使わず、その後油絵の具を滲み込ませる作業に移ることにしました。今日も昨日に引き続いて身体の疲労感がありました。身体が辛い時は、スタッフと長々と会話を交わし、結構楽しい時間を過ごしました。もし今日一人で制作していたら、休憩もせず自分を追い詰めてしまうところでした。スタッフに感謝です。

週末 「発掘~座景~」柱陶の高さ微調整

昨晩の歓送迎会が深夜まで及んだので、今日は多少の疲労が残っていました。それでも朝から工房に出かけ、予定している作業を進めました。のんびり休養できないところが二速の草鞋生活の辛いところです。新作「発掘~座景~」を今月中に完成させたいと願っていて、そのため陶彫成形は後回しにして、「発掘~座景~」の柱陶部分の作業をしました。「発掘~座景~」はテーブル彫刻です。一枚のテーブル厚板を4本の柱で支えます。それが4点あるので柱の合計は16本になります。「発掘~座景~」は全体が見渡せる高さに設定しているので、柱は短めにしてあります。柱の四方を陶板で覆うので、私は造語にして「柱陶」と呼んでいるのです。柱の床に接着する下の部分は木を彫って、やや細く丸くするつもりです。この部分だけが木彫になります。柱陶の高さが若干異なるものが3本あることに気づき、今日はそれを微調整しました。木を彫る作業と陶板を貼り付ける作業は明日以降にしようと決めました。16本全部は一日では出来ないかもしれません。明日は午前中職場に顔を出さなければならない用事があって、一日中作業は出来ないのです。今日の午後は、彫り込み加飾が終わって乾燥が進んだ陶彫部品に、ヤスリで仕上げをした後、化粧掛けを施しました。この陶彫部品は「発掘~宙景A・B~」でしたが、これもどんどん窯入れをしていかなくてはなりません。来週は窯入れを再開したいと考えています。陶彫は窯に入れて完成するものです。窯に入れると作品は人の手の及ばない神の領域にいってしまうので、人は待つしか方法がありません。電気の関係で焼成中は毎晩工房に通うことは出来なくなります。それを計算しながら窯に入れていくのです。明日も頑張ろうと思います。

平成29年度の歓送迎会

新しい体制で出発した職場ですが、昨年度まで私たちの職場に尽力してくださった旧職員と、この4月より新たに加わった新職員が一堂に会する歓送迎会が今日ありました。手前味噌ですが、私の職場は大変チームワークが良く、お互いを認め合いつつ協力を惜しまない関係作りが成されています。コミニュケーション能力に長けた人材が豊富なのです。今まで私は幾多の職場を転勤してきましたが、現在の職員体制はその中でも最高と思っています。再任用2年目の重責を担っている理由がここにあります。私の片腕として職場全体を支えてくれた副管理職だった人が、昇任して他の職場に配属され、彼とは午前中の外会議から顔を合わせていましたが、歓送迎会にも来てくれました。忌憚のない話に楽しいひと時を過ごせました。私たちは横浜市という限定された狭い社会の中で異動しているので、職場が変わっても顔を合わす機会が多いのです。それでも職場によって雰囲気はガラリと変わります。その職場が昔から培った伝統のようなものがあり、異動直後は戸惑うことがあります。チームワークも多少異なります。他の職場から異動してきた職員が、私たちの二次会の盛り上がりに驚いていました。ここで新採用された職員はこれが当たり前だと思っているようですが、職場が変わるとこんなふうに皆で大騒ぎすることもなくなるのです。私たちの職場はいろいろな意味で古き昭和を受け継いでいるように思います。

「発掘~座景~」追加陶彫16個終了

毎晩、工房に通って1時間から2時間くらい陶彫の制作を続けてきました。仕事から帰宅して夕食前に工房に出かける生活が習慣になってきました。夕食前の方が制作が進むのは、空腹を抱えていた方が創作活動には調子がいいと思っているからです。空腹が満たされると意欲は一気に落ちていきます。それでも自宅の食卓でRECORDの下書きは何とかやっています。工房では追加の小さな陶彫部品の成形と彫り込み加飾を、漸く16個終わらせました。夜の照明の下では細かい仕事が向いているように思えます。微細な彫り込み加飾は、まさにそうした環境に適していると言えます。この小さな陶彫部品はテーブルの脚を支えるボルトの頭を隠す役目があります。隠すだけではなく全体のデザインバランスとして、陶彫の大きさや加飾の文様を決めたので、かなり重要な部品のひとつであるわけです。夜の工房は不思議な雰囲気が漂っています。夜行性の制作姿勢を貫いている作家が多いのがわかります。周囲が暗いだけで非日常的な感じがするのです。集中力も高まります。気候も凌ぎ易い温度になり、週末の昼間に土練りや大きな成形を行い、ウィークディの夜に小さな成形作品に彫り込み加飾を施すというのが、理想的な制作方法で、今はまさに理想的な日常を送っているのです。小さな陶彫部品16個は乾燥棚に置き、乾燥後は仕上げをして化粧掛けを施します。引き続いて頑張りたいと思います。

地域清掃に感謝する朝

私は朝6時半くらいに自宅近くの停留所からバスに乗って通勤しています。停留所の近辺は何の変哲もない町並みですが、高齢の婦人がビニール袋を持って、煙草の吸い殻や小さなゴミを掃除しているのに出会います。ほとんど毎朝やっているようです。誰に言われるわけではなく、一人で黙々とゴミ拾いをしている姿に、日本人特有の道徳観を見る思いがしています。昔に比べて日本の街はどこも清潔になりました。町内で置いているゴミ処理場がしっかり機能していることもあるのでしょうが、地域に住む人たちの無言の清掃活動が、日本の街の美しさを支えていると感じています。出勤時にそうした行動を見るととても清々しい気持になって、今日も一日頑張ろうという気分になるのです。逆に車を使うと、高速道路の入り口の脇に無残に捨てられている大量のゴミを見ます。ドライバーは自宅や自分の車内以外はゴミ捨て場と思っているのでしょうか。まだまだ意識が遅れている人がいるんだなぁと思います。文部科学省が道徳を教科化させるようですが、その効果は近い将来、目に見えるカタチで具現化してくるのでしょうか。毎朝清掃している高齢の人はそんな教育は受けていませんが、小さなことでも自ら考えてやっているのでしょう。因みに停留所や駅のホームに整然と並んでいる人々にも道徳観があるように思えます。日本を旅行している外国人からすれば信じられない光景だということをネットで読んだことがあります。特別に道徳と謳わなくても日頃からやっている行動に、私たち日本人は充分道徳観が発揮されているように思います。

新聞掲載の「スラヴ叙事詩」

昨日の神奈川新聞に、現在東京の国立新美術館で開催している「ミュシャ展」に出品されている「スラヴ叙事詩」についての記事が掲載されていました。かなり大きな誌面を割いていましたので、話題の重要度がこれによって分かります。作品を所蔵するチェコ以外では世界初公開ということに加えて、その巨大な連作が類を見ない表現であることが、私自身も実際の作品に触れて納得できました。1980年から5年間オーストリアに暮らしていた私は、近隣国であったハンガリーやルーマニア、当時のユーゴスラビアやチェコスロバキアにもよく出かけていきました。しかしながらチェコスロバキアで「スラヴ叙事詩」を見たことがなく、その存在さえも知りませんでした。当時も農村で繰り広げられる勇壮な伝統舞踊を見るにつけ、私はスラヴ民族に興味を持っていました。同行した紀行作家みやこうせい氏が東欧を転々とし、彼の地に多くいたジプシーを取材していたので、その独特な文化とスラヴ民族との関係に注目していました。今回「スラヴ叙事詩」を見て、強国に蹂躙されていたスラヴ民族の苦難の歴史を知りました。誌面にあった研究員の言葉を含めた箇所を引用いたします。「制作中の写真には、巨大なカンバスに向かうミュシャの姿がぽつんと写る。同館の本橋弥生主任研究員は『どの写真を見ても一人で制作している。助手などはおらず、一人で描き上げたようだ』と言う。完成したのは26年。チェコが独立を果たした10年後だった。『既に独立して10年がたち、ナショナリズムが強過ぎるという意見もあるなど、賛否両論が寄せられた』と本橋主任研究員。~以下略~」現在はチェコが誇る宝物となった「スラヴ叙事詩」。次に鑑賞する機会は本国チェコで出会えるのかなぁと思いつつ、混雑を極めている国立新美術館を後にしました。

疲労回復に安堵

毎週末になると、私は朝から工房に籠もって制作三昧になる生活ですが、とりわけ週末2日目にあたる日曜日の夜は、心身共に疲労に苛まれてしまいます。原因は制作だけではないと思っていますが、歯茎が浮いたような感じや胃腸の具合が悪くなるのはどんなものだろうと心配になります。夜はよく眠れるので危険な病気ではないと思いつつ、翌日は昨日の疲労が嘘だったように回復し、精神状態も良好になるのです。月曜日は仕事始めにあたるので、私だけではなく誰でもモチベーションは下がりますが、私はそんな気分とは別に心が軽快になっていることに不思議さを感じます。ストレス皆無といっても過言ではありません。これは創作活動の成せる業なのでしょうか。昨日NOTE(ブログ)に書いた「フロー」状態は、心身に相当な圧迫を与えるものではないかと察しています。これはスポーツ選手が言う所謂「ゾーン」で、彼らはきっとそれぞれ回復を図る手段を持っているはずです。私の場合はそれほど強烈なものではないにしても、日曜日の夜に陥る体調変化は「フロー」状態の揺り戻しのようなものではないかと考えています。デザイン業界に就職した仲間が、身を削って広告課題に取り組むとよく言っていたのを思い出します。身を削るとは「フロー」状態になることを意味しているのかなぁと思い返しています。ただし、私の場合と違って彼らはストレスを抱え込む「フロー」状態なのではないかと思うところです。

週末 彫り込み加飾の一日

朝から工房に篭りました。今日は中国籍のスタッフが工房にやってきました。たった一人で作業するのと、誰かがいる場合では、作業の雰囲気が変わります。休憩を取った時に喋る相手がいるのはいいなぁと感じます。彼女は来日して数年が経ち、日本語に堪能ですが、まだ日本語ではストレスがあると言います。私は20代の頃、ウィーンに数年いてドイツ語が全然上達しなかったため、彼女の外国語読解力は私に比べると奇跡に近いと思っていたので、意外な答えが返ってきて驚きました。日本人からしてみても日本語は難しいと思っているのに、完璧に近い語彙力を持っている彼女に羨ましささえ感じていたのでした。「もっと本を読まなくちゃ」と言ってる彼女は、日本語による精神分析の書籍を読もうとしているのです。読みたいのはフロイトの「夢判断」と聞いて、彼女の意欲に脱帽でした。この子なら今からでもドイツ語を学んで、ドイツ語の原書でもいいのではないかと思ったくらいです。今日は陶彫の成形をした作品に彫り込み加飾を施す作業に明け暮れました。彫り込み加飾は陶土の表面を掻き出しベラで彫り込みを入れて、木ベラで形を整える作業です。いわばレリーフを作っているのです。丸彫りと言われる360度の立体に浮き彫りをするのです。丸彫りと浮き彫りが調和するように細工していきます。結構時間がかかり、周囲が見えなくなって、眼は陶土とヘラ先しか追わなくなっていきます。私はこういう状態を素材との対話と称していて、あっという間に数時間が経過してしまいます。心理学で言う「フロー」状態というのは、このことなのでしょうか。この状態に入ると自分の肉体等諸々の事情を省みることはなく、作業は思うようにどんどん進みます。自分でコントロールして「フロー」に入れるものではなく、明確な目的意識とその時の体調によるものかなぁと思っています。昨日と今日は午後2、3時間くらい「フロー」状態がやってきました。ただし、作業を終えた後で大変な疲労に襲われて、瞬時に燃え尽き症候群になってしまうことがあります。復活はできるので症状は軽いものではないかと思っています。

週末 陶土を捏ね回す一日

週末になって朝から夕方まで陶彫制作に明け暮れました。今週はウィークディの夜は工房に通いました。夜の時間帯は「発掘~座景~」の追加陶彫部品の制作に費やしましたが、全て終わったわけではなく、今週末も継続して制作することになりました。新たに今日は「発掘~宙景A・B~」の陶彫部品の成形と彫り込み加飾もやりました。これで「発掘~宙景A・B~」のテーブル下に吊り下げる陶彫部品は、ほとんど終わって乾燥を待つばかりになりました。「発掘~座景~」の方は、今日も追加陶彫部品を作り続けていて、ほとんど一日中陶土を捏ね回していました。朝9時から夕方5時までの8時間をずっと陶土に触れていると掌が荒れてきます。気持ちに焦りがあるため作業中の疲れは感じなかったものの、なり振り構わない制作姿勢は長く続くものではないと思っていました。今日は若いスタッフは工房に来ていません。たった一人なので喋ることもなく休憩もないまま只管作業に打ち込んでいると、別の次元に入って素材との対話が始まります。周囲が見えなくなることがあり、そうした精神状態を自分は歓迎しますが、作業を終えたときの疲労感は大変なものがあります。今日も疲れました。明日も頑張ろうと思います。

異界への想像力に富む暁齋

東京渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催されている「これぞ曉斎!」展では、動物や鍾馗、幽霊や魑魅魍魎に至る異界の生物が跋扈する様子が描かれています。それは新しい時代の辛辣な風刺であり、ユーモアであったように思えます。ただ、絵師河鍋暁齋の画力は写実にも富み、鴉を描いたシリーズでは、たった一筆で鴉の濡れ羽を表現している巧みさに驚きました。立体さえ感じる鴉の姿態は、暁齋が画力を高めるための習練だったのではないかと思いました。落款に彫られた「万国飛」とは、海外にまで鴉が飛んでいくことを作者は予感していたのでしょうか。動物を扱った数多い作品の中で、私は蛙のモチーフに注目しました。暁齋は3歳で蛙を写生したと伝えられていますが、高山寺の「鳥獣戯画」を彷彿とさせる描写に人間社会の雛型を見るようで、心から楽しめました。幽霊のモチーフでは亡妻の臨終時の写生を元にしたと言われています。「百鬼夜行図屏風」では現代の妖怪キャラクターを見るようで、科学や論理では解決できない日本の伝承文化を垣間見たように私には感じられました。「暁齋画談」にある一文を紹介します。「雷さまは太鼓を背負い、鬼は虎の皮の褌をしめているというのと同様、幽霊の姿も想像から出たものであるので、何を真とし何を虚とすべきかは分からない。それをいかにも恐ろしげに、きっとこんなだろうと思わせるように描くのが妙手上手と言うものであろう。」最後に図録にあった異界の作品について触れた部分を引用いたします。「異界を描く作品では、暁齋は先達の幽霊や化け物の作品を参考にしていると思われるが、しかしそっくりの模写ではなく、先立つ作品を参考にしながら、そこに原作者の『筆意』を感じ取り、場合によっては自らの写生も加味し、さらにそれを上回る想像力によってさまざまな図像が作られたのである。」(及川茂著)

渋谷の「これぞ暁齋!」展

東京渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催されている「これぞ曉斎!」展に先日行ってきました。幕末から明治時代にかけて活躍した絵師河鍋暁齋の絵画は、海外の美術館に収集されている作品が多く、まとまった作品がなかなか見られないのです。今回の展覧会もイギリス在住のI・ゴールドマン氏が収集したコレクションによるものです。「なぜあえて暁齋を集めるのですか」という日本人研究者の問いかけに「暁齋は楽しいからですよ!」とゴールドマン氏は答えたようです。確かに暁齋の描く世界は、現代の私たちから見ても楽しさ満載です。鴉に代表される鳥獣戯画、鍾馗や鬼、幽霊等の想像の産物、美人画や春画まで、幅のある多彩な世界を舞台に饒舌に語りかけてくる暁齋ワールドに魅了される人が多いというのも頷けます。しかもその面白さは海外にまで普及し、外国人の暁齋マニアも大勢いるのではないかと思われます。私も暁齋の卓抜とした描写力とともに奇想の巧みさに取り憑かれてしまった一人です。一緒に行った家内は、木枠だけになった三味線を骸骨が弾いている絵に抱腹絶倒でした。私は春画コーナーに心の底から笑いが込みあげました。図録によると「性行為は薄暗くじめじめした世界ではない。明るくおおらかな笑いの世界である。儒教道徳や時の権力が抑え込むことで、性があたかも罪悪であるかのように扱われたのは、支配する側の論理である。」とありました。暁齋は新しく生まれた明治政府の高官を揶揄した風刺画を描いたことで捕らえられて、投獄されたようです。前科者河鍋暁齋は日本で最高の絵師であったという事実。現代なら政治と芸術の論争があってもおかしくないのですが、暁齋ワールドの斬新さに時代がついていけなかったと見るのは私だけでしょうか。奇想の画題についてはもう一度NOTE(ブログ)に書いてみたいと思っています。

荒木高子「聖書」シリーズについて

陶の造形作家荒木高子は2004年に82歳で逝去しています。独特な雰囲気を持つ陶の造形を、私はどこかの展覧会で観たことがあり、忘れられない印象があります。生前の作家にお会いしたことがなく、評論家の文章でしか知り得ないのですが、凄みのある作家だったのかなぁと察するばかりです。この作家を思い出したのは現在読んでいる「芸術の摂理」(柴辻政彦・米澤有恒著 淡交社)に「荒木高子 神は死んだ 聖書も朽ちたか」の章があって、作品の印象が再度蘇ってきたのでした。代表作「聖書」シリーズは聖書がボロボロになって頽廃し、砂のように崩れ去る状況であったり、石が埋め込まれている状況であったりして、寂寥感漂う衝撃作です。「聖書」シリーズは捲れた頁に文字が印刷されているので、これが辛うじて聖書であることが認識できる作品で、全て陶で作られています。宗教性や精神性も問う作品ですが、作家は華道未生流宗家に生まれ、家業の傍ら絵画の修練を経て、アメリカに渡って彫刻も学んでいます。宗家から勘当されてもなお造形を続け、40代になって漸く「聖書」シリーズに辿り着いたようです。キリスト教信者でもない作家が何故聖書をモチーフに選んだのか、聖書という人類史最高の書籍に見え隠れする民族が翻弄された歴史観なのか、そこは作家のみぞ知るところです。「芸術の摂理」には作家の制作工程が掲載されていました。陶彫をやっている自分には大変興味のあるところなので、ここを抜粋いたします。「聖書制作の手順は、初めにペーパー作りである。薄い透明ビニールシートに磁土を挟んで圧延棒で磁土紙をつくる。ページになるものである。磁土は薄い透明ビニールシートの間に挟まれたまま、真空状態であるから空気に触れることがなく、乾燥もしない。しなやかなままである。次に、厚紙のカバーコートに貼り付けておいた文字フィルムを水に漬けて剥がし、磁土を挟んだビニールシートの上へ貼付する。文字フィルムの裏には僅か樹脂糊が残っているのでビニールに膠着する。つまり、磁土紙を挟んだビニールシートの上に、文字フィルムが重なっているのである。シートと文字フィルムは窯の中の低温段階で溶けてやがて高温で気化してしまう。そして、その後の高温焼成で磁土紙自身が焼成されるというわけである。」(柴辻政彦著)

「スラヴ叙事詩」雑感

国立新美術館で開催中の「ミュシャ展」に「スラヴ叙事詩」全20点が来日しています。これはチェコ国外では初めてだそうで、私も「スラヴ叙事詩」を観たのはこれが最初でした。1980年から5年間ウィーンに暮らしていた私は、当時のチェコスロバキアには何度か出かけていました。あの頃は「スラヴ叙事詩」の存在を知ることもなく、共産圏の不自由なプラハで過ごしていましたが、ミュシャ(現地語ムハ)のポスターは知っていました。初めて出会った「スラヴ叙事詩」は、破格な大きさとクオリティの高さで圧倒する迫力をもっていました。鑑賞客がどれほど混雑していても、天井から床まである壮大な絵画にあっては、その鑑賞は充分に可能なものでした。これは1911年から26年に至る16年間で描かれた作品で、ミュシャ(ムハ)51歳から66歳に当たります。プラハ近郊のズビロフ城をアトリエにして、資金提供者はスラヴ文化後援者で米国人大富豪のチャールズ・R・クレインだったそうです。ミュシャ(ムハ)にすれば充実した後半生だったと言えます。図録より「スラヴ叙事詩」の歴史的価値が記された箇所を引用します。「『歴史的詩作』とも呼ばれる《スラヴ叙事詩》は、チェコ国民やスラヴ民族の精神への賛美、そしてヨーロッパ文化圏で複雑に絡み合う諸民族のルーツへの理解に呼びかけている。こうした事情にもあわせて、ムハは《スラヴ叙事詩》の各作品を、寓意、宗教、軍事、文化といった様々な側面に照らして、幾つかのグループに分類する。それゆえに、連作はチェコ国民だけでなく、ヨーロッパ全体の、ひいては全世界の人々に属するものであろう。その遺産は、世界文化の歴史を国民的・民族的に統一された全体としてとらえる、ヒューマンな考え方を持つあらゆる人間の関心を引き起こしており、世代を超えて広く訴えかける力がある。」(ヴラスタ・ツハーコヴァー著 美術史家・美術評論家)

六本木の「ミュシャ展」

現在、東京六本木の国立新美術館で開催中の「ミュシャ展」は、必ず見に行こうを決めていました。先日、週末で混雑している同展に行ってきました。目的は「スラブ叙事詩」を観ることでしたが、アルフォンス・ミュシャ(現地語でムハ)の力量を余すところなく発揮していた今回の展示内容は、嘗てみたミュシャのどの展覧会よりも満足を覚えました。ミュシャは1860年オーストリア領モラヴィア(現チェコ)で生まれ、パリに渡って時代の寵児として活躍した画家です。大女優サラ・ベルナールの流麗なポスターを描いたことで一躍有名になり、その後はアール・ヌーボーを代表する装飾画家になっていきました。今回の展覧会では「スラヴ叙事詩」以外でも極めて優れた作品が多く、幾何学的な装飾文様に植物を配置したミュシャ独特な様式を改めて見て、その構図の取り方に快さを感じました。その装飾性は超絶技巧と呼んでもいいように思えます。プラハ市民会館の内部壁画や切手から紙幣までのデザインを手がけるミュシャは、まさに国民的画家であり、人物描写は劇画的な要素もあるように私は感じました。ミュシャの人物像が現代のキャラクターデザインに繋がると感じたのは私だけでしょうか。19世紀末から20世紀初頭の激動の時代に華やかなデザイナーとして異国で地位を固め、2つの世界大戦の狭間でスラブ民族の歴史的遺産を表現する国民的画家となったミュシャ(ムハ)。私が訪れた1980年代のチェコスロバキアでは、「スラヴ叙事詩」を観る機会はありませんでした。その存在を知ったのは帰国後のことでした。近々NOTE(ブログ)に「スラヴ叙事詩」について書いてみたいと思います。

週末 「発掘~座景~」追加の陶彫部品

昨日タタラにしておいた陶土を使って、今日は朝から夕方5時まで制作に明け暮れました。昼食に10分程度休んで、8時間は続けて作業をしていました。図録用の撮影日が5月から6月初旬になりました。今までは5月の連休に撮影していました。最近は完成が間に合わず、5月と6月に分けて撮影をしていただいていましたが、6月でも図録印刷が間に合うので、それなら6月にまとめて撮影した方がよいと判断しました。今回で図録は12冊目になります。撮影が延期されても目標通り「発掘~座景~」を今月いっぱいで完成させたいと思っています。来月は「発掘~宙景A・B~」一本に絞り込んで制作したいからです。今日は「発掘~座景~」に追加する陶彫部品の成形をやりました。8時間やっても追加の陶彫部品は終わりませんでした。予定がずれ込んだ分をウィークディの夜間制作で補わなくてはなりません。いずれにせよ彫り込み加飾はこれからやっていくので、週末だけでは時間が足りないのです。なかなか新作のゴールは遠いなぁと思います。追加の陶彫部品は、テーブルに接合される柱のボルトを隠す役目があります。一枚のテーブル台座を4つの柱で支え、それが4枚あるので、全部で16個の陶彫部品が必要です。成形は12個出来ましたが、陶土が足りなくなってしまいました。夜の時間帯に土練機を回すか、それとも成形した12個の陶彫部品に彫り込み加飾を施すか、夜になって工房に行った時に決めたいと思います。週末は短いとつくづく感じます。あと1年間、こんな思いで過ごすことになりそうですが、頑張れるなら頑張っていきたいと思います。

週末 母の用事&美術館散策

やっと待ちに待った週末になりました。今日は予定がいっぱい詰まっていました。明日の陶彫成形に備えて、早朝から工房に出かけ、タタラを4枚用意してきました。タタラは厚さ1cm、大きさは座布団大になるように掌で叩いて伸ばすので、これだけでも充分時間がかかるのです。そのまま作業板にあるタタラにビニールをかけて放置しておくと翌日ちょうどよい硬さになっているのです。次に家内を和楽器演奏のため近くの公会堂に車で送り、私はその足で母がいる介護施設に行きました。例年家内が出席している介護施設の家族会に出席するためでした。家族会終了後にまた家内を公会堂に迎えに行きました。帰宅するとちょうど昼になっていましたが、午後は家内と東京の美術館に行こうと決めていたので、すぐ家を出ました。バスや電車を使って、最初に到着したのが上野の東京都美術館。私の職場に私と同じように創作活動をしながら公務員をやっている職員がいて、彼が「モダンアート展」に出品しているので観てきたのでした。彼の絵画をここ3年間見せていただいていますが、画面から次第にカタチが消え失せて何もない空間に支配されようとしています。でもこの空間は何もないのではなく、寧ろ饒舌に表現を語っているように私には思えます。最小の描写で最大の空間を得る世界は、まさに私が求める世界観です。簡潔で豊かな世界を掴もうとしている彼の奮闘に今後も期待したいと思います。次に向かったのが六本木の国立新美術館。「ミュシャ展」に行こうと決めていましたが、同時に開催していた「草間弥生展」にも鑑賞客が溢れ、入場券販売所では長蛇の列になっていました。「ミュシャ展」で観たかったのは「スラヴ叙事詩」の連作で、その大きさと質量に圧倒されました。女優のポスターにより仏パリで売れっ子画家になったミュシャは、象徴派を代表する画家になり、故郷のチェコに戻ってスラブ民族の原点を探すことになるのでした。その結果生まれた「スラヴ叙事詩」の連作が来日していると聞いて、これは必ず行かなくてはならないと思ったのでした。詳しい感想は後日に回します。次に向かったのは渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムの「これぞ曉斎!」展。江戸から明治にかけて活躍した絵師河鍋暁斎は奇想の画家として知られた人ですが、今回の展示は英国人コレクターのゴールドマンによって収集された作品だったので、日本で観られない作品が多く含まれていました。動物や鬼、妖怪や幽霊や達磨といった暁斎特有のキャラクターが跋扈する面白さ満載の展覧会で、鑑賞客の中からも笑いが漏れていました。これも詳しい感想は後日にしたいと思います。今日は3つの展覧会をぐるりと周ってきて、自分の創作活動に充分な刺激をもらいました。明日は工房で作業をする予定です。頑張っていこうと思います。

長かった1週間

職場では新年度の体制になって漸く1週間が過ぎようとしています。新しく転勤者が入ったので親睦を深める夜の会が、職場の職員と区内の管理職の2回あって今週は長かったと感じました。工房にはとうとう行けず、新作はまるで進みませんでした。創作活動は元気回復の魔力があるので、こういう時ほど陶土に触れるのがいいのですが、自宅に帰ると疲労に負けてしまい、工房には足が向きませんでした。RECORDも厳しいなぁと思います。今週だけが大変なんだと自分に言い聞かせて、来週に期待をかけたいと思います。職場内の分掌が動き始めたので、私は安心して夜はよく眠ることができるようになりました。これは今週良かったことです。大きな問題もなく始まった新体制に安堵感が広がり、それだけが唯一の救いです。創作活動はままならぬ状況なので、ここは刺激剤を投入して盛り上げたいと思います。刺激剤は美術館へ行くことです。アルフォンス・ミュシャや河鍋暁斎の展覧会が東京で開催されています。近々見てこようと思っています。制作は「発掘~座景~」完成に向けて次の週末から奮闘するつもりです。一難去ってまた一難ですが、創作活動の一難は望むところです。1週間が長かったと感じたのは創作活動が出来なかったことに原因があります。自分の中で無意識に公務員とのバランスをとっているのかもしれません。