上野の「木々との対話」展

先日、東京都美術館で開催されている「木々との対話」展に行ってきました。副題に「再生をめぐる5つの風景」とあって、再生というコトバがキーワードになっている企画展であることが示されていました。当初別の展覧会を見たくて訪れた美術館でしたが、地下展示室に國安孝昌氏の夥しい数の丸太を組んだ作品が圧倒的な存在感をもっているのを見るにつけ、それが気になって仕方なく、つい足を踏み入れた展覧会でした。展覧会を見た結果、刺激的な現代作家ばかりで大変面白かったという印象を持ちました。前述の國安氏の陶ブロックと丸太による巨大構築物、細密な植物を彫ってさりげない空間に展示する須田悦弘氏、繊細で優美な幻想動物を彫る土屋仁応氏、人間の半身像に幻想を合わせた舟越桂氏、老木を素材に風景を取り込んだ田窪恭治氏、5人それぞれが独自の世界観を得て、確固たる軸足をもって発信し続けるパワーに、自分も勇気をもらいました。副題にある再生とは何か、図録にあった文を引用いたします。「ここで問題にしたいのは『芸術による』地域社会や経済の再生ではない。端的に、『芸術における再生』のことである。~略~芸術における再生とは、人それぞれの芸術体験における、今までの自己の揚棄、すなわち古いものが持っている内容のうち不要な要素を廃棄して、積極的な要素を新しく高い段階として保持することであると思う。」(山村仁志著)現代作家たちの作品は生々しく豊かで、あらゆる意味で同時代性を感じさせるものでした。私も自作に木材を使うことがあり、その関わり方を考えさせてくれました。

ブランクーシとジャコメッティ

東京都美術館で見た「ポンピドゥーセンター傑作展」の中で、どの巨匠に注目したかを問われれば、私は疑うことなく自分自身の彫刻を考える上で、最も影響を受けた2人の彫刻家を選びます。ルーマニア人彫刻家ブランクーシとスイス人彫刻家ジャコメッティです。本展では代表年と代表作品と芸術家のコトバが展示されていて、奇しくもジャコメッティは私の生まれた年の代表になっていました。ブランクーシの作品は「眠れるミューズ」が展示されていました。磨かれた金色のブロンズ、卵型をした彫刻で一度は図版で見たことがある有名な作品です。「呼吸するように創造することができたら、それは真の幸福でしょう。そこに到達すべきなのです。」というブランクーシ自身のコトバが添えられていました。創造することは生きることと同じという理想的な芸術の在り方が語られていました。ジャコメッティは「ヴェネツィアの女Ⅴ」が展示されていました。シュルレアリスムから出発したジャコメッティが到達した針金のような人体、それは見えたままのリアルを追求していくうちに塊を削る結果になりました。「私に見えるとおりに1つの顔をかたちづくり、描き、あるいはデッサンすることが自分には不可能だとよくわかっています。しかしそれこそが私の目指していることなのです。」という、いかにもジャコメッティらしいコトバがありました。ゴールなき追求がジャコメッティの姿勢です。芸術を生きること、芸術を追求すること、芸術を純粋に追い求めるのには、現代社会では難しい局面もありますが、これは気持次第でどうにでもなるだろうと考えます。改めて巨匠2人から珠玉のコトバを頂きました。

上野の「ポンピドゥーセンター傑作展」

35年ほど前にフランスの首都パリに行きました。当時、私はオーストリアのウィーンに住居を構えていて、この機会にウィーンからポルトガルの西端の岬までの鉄道旅行を決行したのでした。パリに立ち寄るとルーヴル美術館を初めとする大小規模の美術館を隈なく見て回りました。その頃ポンピドゥーセンターは完成から3年が過ぎていて、どこも新しい溌剌とした雰囲気が漂っていました。まず建物の外見に度肝を抜かれ、内部の鑑賞しやすさにも驚きました。近現代美術を収容する空間はこうでなければいけないと思っていました。日本でも1970年に万国博覧会があって、ポンピドゥーセンターは当時の万博のパビリオンを髣髴とさせる建築デザインでした。そのポンピドゥーセンターが所蔵する傑作が来日しているので、上野の東京都美術館に見に行きましたが、ほとんど忘れている作品ばかりでした。本展は美術史に残る有名な巨匠たちの作品を網羅しているのかぁと思ったくらいでしたが、東京で有名な作品が一堂に会して見られる機会は滅多にあるものではなく、美の価値観が変遷していく過程を見る絶好の機会とも取れました。図録には「自由を獲得するには絶え間ない闘いが求められる時代にあって『ポンピドゥーセンター傑作展』は1人1作が稀な機会に集うことで珍しい景色を披露し、創造の大切さ、さらにどれほどの犠牲を伴おうとも、なおそれを守る必要性を謳い上げる祭典でもある。」とありました。年代的に言えば1906年からポンピドゥーセンターが完成した77年までの作品がありました。私が特別に気に留めた作品は、後日改めて稿を起こすとして、ポンピドゥーセンターを設計した2人の建築家のコトバを最後に引用いたします。「ポンピドゥーセンターを建てる間、私たちは決して『合理的』ではなかった。私たちはつねに頭脳より心に従った。」(レンゾ・ピアノ)「ポンピドゥーセンターの成功は人々が先入観にとらわれず利用できるようなやり方を取ったところにある。パリジャンはカフェに行くように気兼ねなくポンピドゥーセンターに行く。それはとても良いことだ。」(リチャード・ロジャース)奇抜なデザインのポンピドゥーセンターはこのようにして誕生したのでした。

週末 若いアーティストの帰国

工房に頻繁に出入りしている若いスタッフは、既にアーティストといっていいくらいの存在感があります。彼女は大学院で先端芸術を専攻しています。昨年はインドネシアに留学していましたが、この夏も1ヶ月間ジョグジャカルタに滞在し、大学院修了制作のモティーフを探してきました。華奢で可愛らしい外見とは裏腹に、腰の据わった制作姿勢を見せていて、異文化に対する柔軟な感受性をあわせ持っているように思えます。インドネシアのバティックに見られる文様が、宗教や呪術に由来しているところを制作動機に取り入れようとしていて、彼女がイメージする世界観が楽しみでもあります。その彼女が日本に帰国して、久しぶりに工房に姿を見せました。いよいよ修了制作に取りかかるようで、途中で放置していた支持体に修整を加えていました。自分も今夏インドネシアに行って来たので、彼の地に1ヶ月もいた彼女に逞しさを感じました。ナシゴレンやミーゴレンばかり食べていたのかと聞いたら、ずっと自炊をしていたようで、豚肉が食べたくなって仕方がなかったという答えが返ってきました。インドネシアはイスラム教徒が多いため、豚肉を売っていないのです。友達がジカ熱やら麻疹にかかって大変だったというエピソードもあって、のんびりとした1ヶ月ではなかったようです。二科展に出品している後輩もそうですが、私は彼女にも背中を押されて制作をしています。今日も朝から工房で制作三昧でした。私の制作は現在のところ専ら陶彫ばかりで、なかなか木材を使った構造体制作に取りかかれません。来週の三連休あたりで、そろそろ木材の加工をしようと思っているところです。

週末 4つの展覧会巡り

週末になりました。久しぶりに家内と美術展に足を運ぶことになりました。午前中は東京都美術館で開催中の企画展2つ、午後は銀座の画廊でやっているグループ展と六本木の国立新美術館で開催中の公募展に行きました。まず上野の東京都美術館で開催している「ポンピドゥーセンター傑作展」では、20世紀の年代を追って、それぞれの時代で活躍した芸術家たちの痕跡を見ることができました。年代ごとに代表芸術家を選んで、彼らのコトバとともに作品が展示されていました。仏パリにあるポンピドゥーセンターには20代の頃に一度訪れたことがあります。当時はオルセー美術館はありませんでした。オルセー駅が廃構になっていて解体工事が進んでいました。そこに美術館が出来たわけですが、現在のオルセー美術館にある作品が一部ポンピドゥーセンターにあったように記憶しています。でも私の鮮明な記憶に残っているのはポンピドゥーセンターの広場に移築してあったブランクーシのアトリエでした。「ポンピドゥーセンター傑作展」では昔見た作品があったはずでしたが、ほとんど忘れていました。詳細な感想は後日に改めたいと思います。次に訪れたのは同美術館で開催していた「木々との対話」展でした。地下展示室に丸太を組んだ巨大なインスタレーションがあって驚きました。それが同展に入った動機でした。現代を代表する木彫作家5人の力作を堪能しました。これも感想は後日改めたいと思います。次に銀座に移動して、美術家連盟が所有する画廊でのグループ展を見てきました。職場に私と同じ二足の草鞋生活を送る職員がいて、彼が油絵を出品しているので見てきたのでした。余白を有効に使った抽象絵画で、制作途中で京都の庭園を見てきた話を本人から伺いました。空間を考えるのに庭園は参考になるのではないかと私も思いました。次に六本木に移動して国立新美術館で開催中の二科展に行きました。後輩の彫刻家がこのところずっと出品していて、彼の世界観がどのくらい広がったのか楽しみにしているのです。木彫による波紋のようなデザインは、技巧的にも優れ、重力を感じさせない軽快な造形に仕上がっていました。木彫の技巧では展示作品の中でも群を抜いていましたが、逆に技巧が目立ち過ぎる嫌いが出ていました。彫刻は技巧ではなく精神性を求めるものです。彼がある水準に到達した証拠ですが、実はそこから先が困難なのです。しかしながら彼の日々の鍛錬は凄まじく有能な彫刻家であることに間違いはありません。どんな壁でもクリアしていく彼のバイタリティは私を勇気づけてくれます。彼に背中を押されて、私も頑張ろうと思った一日でした。

映画「栄光のランナー」雑感

私はこの手の映画が大好きです。政治とスポーツの分離を考えされられる一面があり、スポーツを芸術に置き換えれば、まさに私のツボに嵌まってしまうからです。ナチス政権に興味があると書くと語弊がありますが、当時の日本も含めて戦争犯罪を振り返る機会として、自分の興味関心の対象になっているのです。ヒトラーによる1936年のベルリン・オリンピックがどのようなものだったのか、時代考証による映像に私はまず惹かれました。アーリア人の優位性を証明するため巨大建造物を作ったヒトラーは、世界に向けての宣伝効果を狙い、ナチス一色に染まった夥しい観衆を登場させました。まさにオリンピックの政治利用だったわけですが、そこに颯爽と登場する黒人の米陸上選手ジェシー・オーエンスが、ヒトラーの意に反し4つの金メダルをさらっていく痛快な実話が、この映画の醍醐味になっているのです。「ヒトラーの鼻を明かすんだ。」という同じ黒人ライバル選手の台詞、ナチスの人種差別政策ゆえに出場を辞退しろと言う全米黒人地位向上協会の申し出、苦悩するオーエンスに出場を決断させたのは何だったのでしょうか。「走っている10秒間、自分は自由だ。」というオーエンスの台詞があります。実在のオーエンス自身がその言葉を発したかどうかわかりませんが、私はこの台詞が印象に残りました。スポーツや芸術は、まさに人種や国籍や政治を超えた人間本来の姿を浮き彫りにするのです。こんな功績を打ち立てたオーエンスは歴史に埋もれていて、私もこの映画によって初めて存在を知った次第です。「栄光のランナー」は私にとって大変面白い映画でした。

職業人と表現者との隔たり

職業とは社会のメカニズムの中でその役割を演じているに過ぎないのではないか、私は常日頃から己の存在を問うことを試みていて、その存在そのものと職業人としての私の間に隔たりがあるような気がしてなりません。職業は私に鎧を着させて、メカニズムの中で有用に動くことを強いています。それは現状の私の立ち位置からすれば、決して苦しいものではなく、枠の中で既存の概念から外れないように注意すれば、動き方のマニュアルが見えてきて、とても楽なものになっていきます。有り難いことに現在の職場では私に親密で協力的な組織があって、それをもって私が圧迫を感じない要因だろうと思います。マニュアルもある程度確立されているので、責任ある立場であっても、こんな私が職業人としてやっていけるのだと思っています。ここでいう私の存在は組織の存在であって、対外的な鎧を纏う感覚が隅々にまで浸透しています。それに比べて個を主張する自己存在への問いかけは孤軍奮闘であって、明らかに職業人としての私とのズレが生じています。我に返ることは決して楽なことではないという認識を私は持っています。創作活動が趣味の域を超えているせいかもしれません。表現者としての自分がそのまま職業人として社会的認知がされている幸福な場合なら、こんなズレを考える必要はないでしょう。残念ながらいくつになっても私は自己表現では食べていけず、アマチュア的活動に甘んじながら、それでも精神性をもってプロフェッショナルを凌駕する存在でありたいと願っているのです。職業人と表現者との隔たりは一生私に付き纏うものでしょう。

ちょこっと休憩

職場から出張先に向かう途中で時間に余裕が出来ると、私はフードコートのような気楽なところで、お茶を飲みながらRECORDを作成したり、読書をするのが大好きです。出張先の会議に使う資料には目もくれず、たとえ30分でも自分自身になっていたいと思っています。会議になれば、自分の事情より議題が優先されて意見交換をしなければなりません。それは仕事人間としての自分であり、自分の心情などどうでもよい世界なのです。私は社会的な仕事と個人的な表現行為を分けて考えようとしています。どんな場面でもちょこっと休憩する時間があれば、私は自分自身に戻りたいと考えていて、創作できる素材を携帯しています。RECORD用紙と鉛筆やペン、手帳などが常時カバンにあってアイデアを書きとめておくのです。コトバを捻り出していることもあります。今朝は通勤するバスの中で、RECORDのテーマに添えるコトバを考えていました。今回のコトバはすべてひらがなでいこうとか、ひらがな表記ならこのコトバよりあのコトバの方がいいなぁとか、いろいろ頭を巡らせていました。実が熟すようにコトバも頭の中で醸成するものかもしれないと自分は思っています。紙にコトバを記すまでに段階があるようにも思えます。それは造形作品のイメージ作りと似ていて、幾度となく取捨選択を繰り返すものです。ちょこっと休憩は、完全なる頭の休止状態ではありません。寧ろ自分自身を取り戻し、創作活動を展開する充実した時間とも言えます。社会的な仕事と仕事の合間に自分を取り戻す時間を持つこと、これはストレスの解消にもなり、自分が社会人としてやっていくために心の隙間を有効活用する手段なのです。

9月RECORDは「とぎれる」

今年はひらがな4文字による年間テーマを設定して、日々RECORDを作っています。RECORDとは一日1点ポストカード大の平面作品を作る総称で、ホームページにも過去の作品をアップしています。今月のRECORDのテーマを「とぎれる」にしました。いつか途切れるかもしれないRECORDを、体力知力が続く限り頑張って継続していくつもりでいる自分に敢えてこんなテーマを与えてみたのは、反語的な意味合いによるものです。人と人との繋がりも途切れてしまえば、そこで終わりになりますが、ひょんなことからまた復活することもあります。ご無沙汰している人と会わずに悶々としているよりも、会ってしまった方が、関係修復はスムーズに出来ることを、私は幾度となく経験しました。個人的なことですが、途切れた関係を元に戻すのに個展が有効な作用を及ぼしていることも知りました。また繋がっていける契機がどこかで持てればと思っている人は数多くいて、自分には年間1回の個展という機会が与えられていることに幸せを感じます。そんなことを考えながら「とぎれる」というテーマで今月のRECORDをやっていきます。

映画「シン・ゴジラ」雑感

先日、話題になっている「シン・ゴジラ」を観に行きました。私は隠れゴジラファンで、過去のゴジラ映画は日米を含めて全部観ています。初期の第一作と第二作は、自分がまだ生まれていなかったため、再上映で観ていて、とりわけ第一作には衝撃を受けた思い出があります。子どもの頃はゴジラ映画の続編として敵対出現したキングコングやモスラ、キングギドラに興奮していました。その後は怪獣総出演のシリーズ化が始まりましたが、子ども心を擽られる楽しさに酔っていました。自分が成長して漸く第一作のビキニ環礁の核実験の警鐘として誕生したゴジラに再度関心を寄せました。今回の「シン・ゴジラ」も社会問題の反映を多く含んでいます。これは子ども心を擽られる映画ではなく、現代の日本に巨大生物が現れたら、どう対処していくのかを課題視する作品に仕上がっていました。政界では首相官邸を初めとする各部署での情報交換、危機管理における連絡系統確認、生物に関する学術的見解など、一般人の知らない政府内の動きにまず目を見張りました。次に自衛隊要請に関することや実際の駆除作戦の方法が理にかなっているのか、自衛隊が所有している航空機等装備の配置についても、映画関係者による調査や依頼、交渉に「シン・ゴジラ」は大変な労力をかけたことが分かりました。国民に発表するタイミングはいつか、避難指示をどう出すのか、政治家がいつ防災服に着替えたのか、細かいところに拘ればキリがありませんが、自分は橫浜市の管理職の一人として、「シン・ゴジラ」には娯楽だけではない要素を感じていました。人間側の主人公はいましたが、映画では寧ろ組織的対応が全面に出ていました。男女間の恋愛もありませんでした。これは東日本大震災の資料が有効に使われているのではないかと思う節も散見され、ひとつの部署を預かる自分は、自然災害の危機管理にどう組織的対応をしたらいいのか自問の対象になりました。ゴジラに破壊された街は震災後の状況を彷彿とさせるものがあって、今の私たちには現実味があったことを最後につけ加えておきます。

週末 いつも通りの制作三昧

朝から工房に篭って、新作の制作を進めています。いつも通りの週末の光景です。今日は若いスタッフが来ず、私一人で作業をしました。朝9時から午後3時くらいまで陶彫の成形をやっていました。工房がなかった時代は、他の場所で作業をやっていました。横浜市公務員になってから、ずっとこの週末の制作を続けています。今まで週末をゆっくり過ごすことはなく、ほとんど制作に充ててきましたが、習慣化したおかげで負担は感じなくなりました。夕方は自宅で身体をソファに横たえて休みます。ぐっすり眠ってしまうこともあります。土曜日と違い、日曜日は明日からの仕事のことが頭を掠めます。制作をしていると週末の時間はあっという間に過ぎていきます。創作活動に一生は短いと感じていて、自分の理想とする創作世界に近づくことが出来るのか否か、疑問に思っている節があります。道半ばで倒れるとしたら、どこまでの答えが得られるのだろうか、そんなことも作業の途中でぼんやり考えることもあります。ひとつひとつの作品に完成はあっても、継続する造形の方向にゴールが見えないのです。たとえ巨匠であっても結果は出せず、途中経過をもって生涯を閉じる人がほとんどです。ましてや自分の表現など足元にも及ぶはずもなく、スタートを切ったばかりと思っていたところで終焉を迎えるのではないかと推測しています。不思議なことに創作活動にストレスはありません。自分をどんなに追い詰めても、自ら死を選ぶようなことはありません。自分に失望はしていないのだと思っているからです。寧ろ豊かな人生を送るために創作の局面で苦労しているのだと思っています。また来週頑張ろうと決めて工房を後にしました。

週末 猫と映画

9月に入って最初の週末です。制作三昧といきたいところでしたが、今日は別の用事が立て込みました。飼い猫のトラ吉を、予防接種をやりに行きつけの動物病院に連れて行かなくてはならず、午前中はそれで時間を費やしました。行きつけの動物病院はペットホテルも併設していて、毎年夏にトラ吉を預かってもらっています。費用は他のペットホテルよりも安いのですが、そこでの予防接種が条件なので、毎年トラ吉は予防接種を受けているのです。トラ吉は8キロもある大きな猫になりました。キャリーバッグが小さすぎるかなぁと思いますが、猫は狭い場所が好きな習性があるため、難なく小さな籠に収まってしまいました。家内がキャリーバッグを持って病院の診察室に入っていきました。土曜日の午前中は診察を待つペットが多く、早速トラ吉の威嚇が始まりました。獣医は慣れたもので、注射はあっという間に終わりました。例年なら夏にトラ吉を預かってもらっている期間に予防接種をするのですが、今年は機嫌が悪くなって大暴れしたため今日になったのでした。午後に工房に行って制作工程を少しでも先に進めました。9月と言えど工房内はまだ蒸し暑く、汗でシャツがびっしょりになりました。気温のせいで陶土の乾燥が速く、陶土の都合で制作を急きたてられているようです。夕方になって自宅に戻ってきました。今晩は家内と映画に行く約束をしていました。いつも利用しているミニシアターではなく、観たいのが娯楽系の映画だったので横浜鴨居にあるララポートに行きました。ネットで調べたら4Dの座席が残り僅かだったので、ネットで購入しました。観た映画は「シン・ゴジラ」。夜8時半の上映でも完売していました。内容は刺激的で面白く、監督の意向でアニメ的手法が取り入れられていました。現代の日本社会に異界生物であるゴジラが出現したらどうなるのか、国家はどう動くのか、自衛隊はどうか、国連による米軍を初めとする多国籍軍はどうか、放射性廃棄物によって進化生息してきたゴジラに対し、どんな駆除方法があるのか、しかもゴジラがいる首都東京に核攻撃があるのか、鬼気迫る素早い展開に暫し我を忘れました。畳みかけるような台詞に専門用語が飛び交い、それを観客が追うだけでも引き込まれる要素は充分にありました。映画を観終わって深夜に帰宅しましたが、久しぶりに元気がもらえた映画でした。

テーブル彫刻について

テーブル彫刻とは何か、テーブルの構造を彫刻に応用するもので、かつて「発掘~円墳~」と「発掘~地下遺構~」を作った際に、私はテーブル彫刻というコトバを使いました。その時はテーブルの上面とテーブルの下面を、地上と地下の世界として捉え、発掘されつつある遺構を表現しました。とりわけ自分が悦に入ったのはテーブルの下面で、そこには迷宮のような都市が隠されていて、生命体のような構造をもつイメージを表現した時でした。上記2作品は、上面と下面の繋がりが弱く、全体的な一体感に乏しい嫌いがあって、展示途中から形態の取捨選択をしたくなりました。作品に絵画性や部分的巧緻性を感じてもらえた人からは好評でしたが、構造としての脆弱性は否めませんでした。そこで、今回取り組んでいる新作では、旧作の反省を踏まえつつ、脆弱な箇所を克服しようとしています。2種類の異なる作品のうち、背の高いテーブル彫刻を2点、背の低いテーブル彫刻を1点を作ろうとしています。背の高いテーブル彫刻は上面に陶彫部品はありません。見上げるような高さで、下面だけを造形する予定です。下面に広がる地下世界は地下茎になって床に広がっていきます。逆に背の低いテーブル彫刻は上面しか造形がありません。テーブルの上だけに現れた世界で、下面は敢えて隠しています。ひとつの作品で上下の一体化を図ることは止めました。一体化より上面・下面といった別々の世界を、別々の作品で表現する方法を選びました。今回の作品はどうなるのか、試してみる価値は充分あると判断しているところです。

夏を惜しむ9月になって…

9月になりました。朝晩涼しくなって漸く秋が近づいている気配を感じます。それでも日中はまだまだ暑く、過ぎゆく夏の名残りがあります。今日も橫浜は30度を超える夏日になっています。今月は職場としては大きなイベントがあります。休日出勤も予定されています。陶彫による新作は、そろそろ土台となる背の高いテーブルを作りたいと考えていますが、素材の厚板がまだ手に入らない状況です。構造体作りと併せて陶彫部品も作っていきます。新作の彫刻は、旧作のように同じサイズの陶彫部品を数多く作るものではなく、全てサイズが異なるので、完成をイメージしながら作らねばなりません。今月はどこまでいけるかわかりませんが、出来るだけ頑張っていきたいと思います。RECORDは当然継続ですが、今月も余裕はないと覚悟しています。鑑賞は後輩の彫刻家や同僚が公募展やグループ展に出しているので、それを見に行くついでに美術館に足を運ぼうと思います。映画や演劇も観たいなぁと思っていますが、実現するかどうか…。読書は相変わらずカフカです。先月一度も頁を捲らなかったので、どこまで読んだのか忘れてしまいました。読書習慣はもう一度仕切り直しです。残暑から一刻も早く涼風の立つ秋になるのを期待して、今月はバランスよく創作活動に励みたいと思っています。

猛暑の8月が終わり…

今日で8月が終わります。今月は新作のイメージを膨らませるためにインドネシア旅行をして、世界遺産ボロブドゥールやプランバナン寺院を見てきました。旅行前後に職場の閉庁期間を設け、新作の制作に明け暮れました。その加重負担で体調を崩しましたが、曲がりなりにも制作が進んだことは事実です。アジアの世界遺産を巡る旅行も今年で3回目となり、毎年素晴らしい感動を与えてくれるので、毎年夏に古代遺跡を見に行くのが病みつきになりそうです。巨大な古代遺跡に触れながら、そこで空気を感じ取ることは、今後新作の展開に必要なことだと思います。思えば20代の頃に旅したエーゲ海に広がるギリシャ・ローマの古代遺跡をイメージの礎にして、ここまで彫刻を作ってきました。最近の自作はアジアの古代遺跡の雰囲気を纏うようになってきました。世界の中にはまだまだ自分を刺戟する建造物や都市が存在しています。元気なうちに世界各地の世界遺産を見てきたいという思いでいっぱいです。今月は海外旅行をしたため、展覧会に行けませんでした。来月からまた美術館に出かけたいと思っています。RECORDはもう少し余裕があると思えたのですが、意外に時間が取れず苦労しました。読書はほとんど出来ず、先日のNOTE(ブログ)に書いた通りです。猛暑を言い訳には出来ませんが、それでも今月は工房にいた時間が長かったので、高温多湿に翻弄されました。陶彫制作以外は何も出来ていない極めてバランスの悪い1ヶ月だったことを認めざるを得ません。来月はバランス良く創作活動を展開したいものです。

個展のお礼状印刷

今夏11回目の個展を開催しました。東京銀座のギャラリーせいほうは、横浜から行くのは時間がかかるなぁと毎年思っています。私の知り合いは横浜在住が多く、それでも銀座に来ていただけることに心より感謝申し上げる次第です。本当に有難うございました。私はカメラマンに頼んで、毎年個展会場の画像をお礼状にしています。個展が終わって1ヶ月以上過ぎたところで、お礼状を出すようにしているのです。お礼状の投函期間を長くしているのは、個展の雰囲気を忘れた頃に、もう一度思い出して欲しいという私の我儘によるものです。お礼状は芳名帳の記録をもとに宛名印刷をしています。もともと住所がわかっている知り合いは、芳名帳に住所がなくても投函できます。芳名帳に氏名しかない場合や来廊されても記録していただけなかった人には大変申し訳ありませんが、お礼状を出すことができません。達筆すぎて文字が判明できなかった人にも無礼をお詫びいたします。今回の画像は「発掘~環景~」を使いました。円形になった集合彫刻を上から撮影したもので、私が大変気に入っている画像です。工房で撮影した図録の画像とは、雰囲気の異なる画像になっていて、ギャラリーの照明の優しさや柔らかさがよく表現されています。作品が美しく化粧しているように思えてなりません。そんな画像を見ながら今晩は宛名の印刷をしました。

いい加減になった夏読書

若い頃から自分は夏になると集中して読書をすると決めていました。夏が近づくと書籍を選び、この夏はこんな傾向の本を読もうとテーマさえ設けていたのに、いつの間にか夏の読書は衰退の一途を辿っています。これはまずいなぁと思いつつ、今年の夏も一冊の読破もできずに過ぎてしまうようです。自分にとって夏の読書は義務教育と高校教育の賜で、読書感想文なるものが常に私の頭にありました。小学生の時は仕方なく始めた読書が、中学校では楽しくなり、本の虫になっていました。ただし、当時は友人の影響で推理小説一辺倒だったので、感想文には困っていました。ちょうどその頃、カフカの「変身」を読んで、教員から読書の真意を疑われたこともありました。高校は文学や随想に走り、多少の気取りがあって詩に憧れてみたりしました。もうその頃は学校の宿題はなく、自分でノートを作って適当な感想や恥ずかしい詩を書き溜めていました。工房に出入りしている大学院生が、あの頃の自分と同じようにノートにコトバを綴っているのを知って、妙に彼女と共感してしまいました。ちらっと見せてもらった彼女のノートは、バリエーションに富んでいて、紡ぎだすコトバの巧みさに驚きました。彼女は若くして詩の能力に溢れていました。私の稚拙な書き溜めは、今ではホームページのNOTE(ブログ)が代わりをしてくれています。しかしながら夏読書はコンセプトが揺るぎました。多忙の犠牲になるのが読書ではいけないと思っています。そろそろ難解な大著に挑みたいと思っているこの頃ですが、まず読書習慣をもう一度見直してから始めなければならないと思っています。

8月最後の週末

今日も昨日に続いて涼しい日でした。今まで悩まされた酷暑はどこにいったのか、台風が過ぎれば暑さは戻ってくるのか、ともかく今日は作業が進みました。新作の制作ペースは少しずつ掴めてきました。新作の陶彫部品の彫り込み加飾は、例年より細かく手間がかかります。新作の特徴はそれだけではありません。テーブル彫刻の柱にも陶彫部品を貼り付けて、木材による構造体全てを陶彫で覆う予定です。結局旧作より密度のある作品を作ろうとしているのです。毎年レベルアップを図っていて、ゴールを少しずつ高くすることは、休まず弛まず上を向いて作っていく姿勢の現れです。創作活動の基本的な姿勢は、常に上昇志向にあって然るべきですが、たまにシンドいなぁとも思うこともあります。二束の草鞋生活において余裕がないのもシンドいと思える原因ですが、ずっとそうして生きてきたので、日常的には何ら問題はなく、今まで通り足元を見据えて継続していくのみです。「先生は休まなくても大丈夫なのですか?」と若いスタッフに聞かれますが、本当に大丈夫なのです。工房があって、職場があって、その双方が動いていく、また動かしていくことが幸せと感じているからです。こんな感じ方ができるのは体調が回復した証拠です。8月最後の週末に思った通りに作業できたことは良かったと思いました。次の週末は9月です。新作の制作工程は始まったばかりで、今後の展開が楽しみです。

週末 いつも通りの制作

週末になりました。8月最後の週末です。ここにきてやっといつも通りの週末の雰囲気になりました。というのも今月は閉庁期間を利用して制作を進めたり、体調を崩したりしていたので、レギュラーな週末の制作が出来なかったのでした。今日は台風の影響のためかとても涼しい一日で、雨が降ったり止んだりしていました。朝から夕方までじっくり作業が継続できて、今までの酷暑が嘘のようでした。私の体調も回復し、制作に集中できたことは本当に良かったと思いました。創作活動は基本的には健康であった方がいいと思っています。美術史を紐解くと、病の中で命の炎を灯しながら創作に打ち込んだ多くの芸術家がいました。その落陽に見せる一瞬の輝きが素晴らしい芸術世界を生んだことは否めません。でも、彫刻は病床に伏せていては制作不可能です。健康的で強靭な肉体と精神を持っていないと立体を造形するのは難しいのではないかと思うのです。彫刻は実素材を介在する表現方法であるため、ともかく元気でなくては作品が出来上がっていきません。いつも通りの制作三昧の週末が過ごせることは、幸せなことだと感じます。いつも通りの日常も幸せと感じています。これを長く続けられたら最高です。明日も制作続行です。

先祖に憑かれたような家内

私の実家はその昔、分家であるにも関わらず本家を凌ぐ盛況ぶりで、母屋の周囲に大きな庭があり、さらに田畑が広がっている環境がありました。現在では祖父母や父母がほとんどの土地を手放してしまいましたが、まだ母屋と納屋、庭はそのまま残してあります。母がたまに介護施設から帰ってくるので、実家でも生活ができるように配慮してあるのです。私の記憶では祖母も母もこの時期になると落ちた柿の実を掃除していました。庭には樹齢何百年かの大きな柿の木が2本あって、毎年落ち葉と柿の実を落とします。とくに公道に面したところにある柿の木は、歩道に多くの柿の実を落とし、歩行者の迷惑になっているのです。これから秋になるとますます熟れた柿の実が歩道に落ち、臭いを発することがあります。祖母も母もそれを気にして毎日清掃をしていたのでした。今年になって家内がそれを気に止めるようになりました。早朝、寝起きに実家にいく家内は、先祖に憑かれたような行動に出ています。家内は柿の実の掃除や草むしりをやっていて、実家を良い状態で保とうとしているように思えます。先日業者を呼んで実施した実家の整理で、家内は野良着の女性を一瞬見たと言っていました。私はその日いなかったので、何のことかわかりませんが、家内は気になって仕方ないようです。土地や家が人を引き寄せることがひょっとしてあるかもしれません。家内は相原の家に嫁に来て数十年経ったことで、先祖に迎え入れられたのではないかと私は勝手に想像しています。

定期健康診断の日

職場では正規職員も非正規職員も含めて全員が定期健康診断を受けることになっています。これは義務ではありませんが、働く人の権利です。私の職場は夏に健康診断が集中しています。仕事が少なくなる夏は、自分の身体のことを考えるチャンスです。私は今日が健康診断の予約日になっていたので、職免扱いで検診センターに出かけました。これは公務員になってから毎年欠かせずにやっていて、年によっては人間ドッグに変更して精密な検査を受けたこともありました。体重がやや増えていたのは、五十肩を患ってから水泳をやっていないことの影響が出ていて、今後何かスポーツをやっていかなくてはならないと思いました。油断をすると肥満になる傾向の私は、カロリーコントロールを忘れてはいけないとも思いました。血圧が正常なのは創作活動のおかげかもしれません。私は胃の検査が昔から苦手です。バリウムを飲んで可動式寝台のうえで、俯けになったり、仰向けになるのが結構シンドいと思っています。検査後の胃腸も最悪な状態になって、とても仕事どころではありません。健康診断が午前中で終わっても、午後は自宅で休んでいたいと毎年思っていて、ここ数年は自宅に帰っています。明日、職場では会議が午前も午後も続きますが、今日は幸い何もないので休ませてもらいました。今日は風邪を引いていて、咳込んだり、まだ微熱があるように感じるのですが、こんな時に健康診断をやってもよいものか些か迷いましたが、風邪は快方に向かっているので大丈夫だろうと思っています。測定した数値に変化はなさそうでした。長く創作活動をやっていくために、私は出来るだけ身体を気遣っていきたいのです。そのためにまず数値の改善が必要だと感じました。

体調不良の時の成形作品

今朝、出勤前に工房に立ち寄りました。先日、陶彫の成形をしてビニールをかけた作品がどうなっているのか心配で、体調が多少回復したら見に行こうと思っていたのでした。水を打ってビニールをかけておいたので乾燥はしておらず、次の彫り込み加飾ができそうなので安心しました。でも、カタチは微妙に歪んでいて、たたき板を使って修整しました。現在、成形で直線的な抽象形態を作っているので、定規を当てればカタチの修整はすぐ出来ます。焼成によるカタチの歪みは認めるところですが、この歪みは何だろうと考えてしまいました。この陶彫を成形した日は体調不良の真っ直中にあり、フラフラしながら作業をしていました。単純に見える幾何形態でも、体調が万全でなければしっかりしたカタチが作れないものなんだぁと改めて思いました。エッジの部分が粗雑になっていたのも体調不良が原因です。幾何形態は、ある意味では誤魔化すことができない究極のカタチなので、今日修整ができて良かったと思いました。今週末に彫り込み加飾をやっていきます。休暇を多めに取ったおかげで、新作は例年より進んでいるように思えますが、こればかりは何とも言えません。新作は毎回異なるので、旧作の状況に当てはめて考えるのは難しいと思っています。

仏教遺跡ボロブドゥールの雑感

先日行ってきたインドネシアの世界遺産ボロブドゥールは、私の彫刻作品に何か示唆を与えてくれるような魅力に富む建造物でした。ボロブドゥールは大乗仏教の遺跡で、780年頃に建造が始まったようです。自然にあった丘に盛土をして、さらに石で積み上げているため内部空間がありません。幾層にもなった方形壇に仏像や釣鐘状のストゥーパが数多く配置されていました。ストゥーパとは釈迦の遺骨や遺物を収めた建造物ですが、石を透かし格子状に組み立てていて、その緻密な計算に驚きました。方形壇の縁は壁になっていて各層に回廊があり、レリーフが施されていました。きっと仏教をテーマにした物語が表されているのでしょうが、不思議な鳥獣も彫られていて、物語をひとつひとつ紐解けば面白いだろうなぁと思いつつ眺めていました。資料によれば、ボロブドゥールの構造は仏教の三界を表しているようです。下から基壇は人の住む欲界、その上が神と人が触れ合う色界、上部が神のいる無色界だそうで、ボロブドゥールを上へ登っていくことで悟りを目指す菩薩の修行を表現していると言われています。夜明け前に暗い階段を登り、ボロブドゥールの上壇で見た山々を照らす太陽の神々しい光は、確かに神の存在を示すかのような雰囲気を感じさせてくれました。今までで3回訪れたアジアの世界遺産は、いずれも宗教建造物でした。アンコール遺跡群はヒンドゥー教、アユタヤ遺跡は上座部仏教、ボロブドゥール遺跡は大乗仏教で、自分に馴染みのあるのは大乗仏教かなぁと思っています。仏教は分派されて戒律尊守の上座部仏教と新興宗教だった大乗仏教の勢力が強くなり、我が国には大乗仏教が渡来してきました。見慣れたカタチがボロブドゥールに多くあったのは、こんな理由かもしれません。とにかくボロブドゥール遺跡は巨大な形態も細部にあるレリーフも気に入りました。朝霧が立ち込め、周囲が明るくなっても、そこにずっと居続けたいと思っていました。旅程もあるので、午前中には引き上げましたが、現在イスラム教徒の多いインドネシアで、よくぞ保存してきたと思うと同時に、現地の小学生の一団が学習に訪れているのを見て、遺産を後世に伝えていくのは宗教を問わず、人類の共通の役目なんだと改めて思いました。

夏風邪の原因

どうやら風邪を引いてしまったらしく、咳や喉の痛み、鼻水が止まりません。昨日は発熱もあったのではないかと思いましたが、その中で中国人母娘の接待やら制作の続きをやっていました。今日から職場に復帰していますが、ちょっと早めに職場を出て、医者に寄って薬を処方してもらいました。体調を崩したのは何年ぶりだろうと思っています。NOTE(ブログ)のアーカイブを見ると2010年6月11日(金)に病床に伏せた記録がありました。内容を読むと、今回はそこまではいかないにしても久しぶりに風邪を引いた感じです。原因はおそらく疲労によるものです。疲労感は常にあって、週末の創作活動では吐き気を催したり、胃腸の具合が悪くなることもありました。でもそれは眠りさえすれば回復し、翌週は元気に出勤できたのです。今回は職場の閉庁期間と夏季休暇を続けて取れたことで、長い休日取得が可能になり、それが嬉しくて毎日工房で制作し、その勢いで海外旅行に出かけ、帰国後もまた制作をするという自分が描いた理想のスケジュールに、自分の身体が悲鳴を上げたのではないかと思うのです。自己管理ができない自分を反省し、仕事を休まないように上手に休養を取っていこうと考えている次第です。

週末 中国人母娘の来訪

今日は工房に珍しい人がやってきました。来られたのは中国人母娘ですが、娘の方は工房に頻繁に出入りしているアーティストです。在日5年目になる子で、多摩美術大学でグラフィックデザインを学び、そのまま助手になっています。最近は美大でも留学生が増えているため、中国籍の彼女が採用されたのではないかと思うところです。現在、中国の山東省から母親が来ていて、2人で日本を見て回っているのです。京都、奈良、大阪、橫浜みなとみらい地区や東京ディズニーランド等、お馴染みの観光地は既に出かけていて、最後に娘は制作現場を見せに、母親を工房に連れてきたというわけです。娘の通訳を頼みに1時間くらい話をしました。彼女の母親はとても雰囲気の良い文化人だなぁと感じましたが、直接意思の疎通ができないもどかしさもありました。英語やドイツ語なら多少わかるのに中国語はまるでわからないのが残念でなりません。アジア世界遺産を巡る私の旅行も3年目が過ぎ、次は中国かなぁという話にもなりました。中国は大きい国なので夏季休暇5日間で巡るのは無理があります。となれば退職後になるのかもしれません。現在、国際社会から批判の対象となり、日本との関係も悪化の一途を辿る中国ですが、政治を抜きにすれば、人と人との関係は大変良好になれるのではないかと思えます。そんなことを感じた中国人母娘の来訪でした。

週末 制作を再開する

昨日は疲労のためか工房に行っても制作が出来ませんでした。今日からいよいよ制作再開となりました。ただし、まだ体調は万全ではなく、作業ノルマになっている土練りと大きなタタラ作りだけをやってきました。今日は台風接近のため雨が降ったり止んだりする一日で、高校生の若いスタッフが夏休みの課題をやりに工房に来ていました。昨日よりいくらか涼しい気がしていましたが、作業を始めると汗が噴き出てきました。作業中の自分はどうやら疲労を忘れるようで、肩や腰の痛みを感じなくなるのです。これは不思議な状態で、さらに気持ちが入っていくと周囲を意識しなくなり、陶土と自分の間に緊張関係が生まれます。この状態は制作が進んでいることを意味しますが、そこまではいかないにしても久しぶりに陶土に触れた今日は、軽い緊張状態に入りました。疲労を抱えてのこの状態は、作業が一段落した時に心身の揺り戻しがあるらしく、その後遺症たるやとんでもないことになるのです。これはきっと自分特有のものかもしれません。素材が柔らかい陶土で、まるでカタチになっていないところからカタチを作り上げていく制作工程が、こんな精神状態を自分に齎すのだろうと思っています。木や石のように元々カタチがある素材や、金属のように製品化されたものであれば、彫ったり削ったり捻じ曲げたりしてイメージに近づけていきます。初めからカタチを持たない土は、自分次第でどうにでもなると考えている節が自分にはあります。木彫する時の精神状態は、陶土のそれとは異なります。木彫は木材の中にカタチを見出し、それを彫り起こしていく作業なので常に計算が必要です。彫り過ぎてはいけないという抑止力が効くのです。陶土は基本的にモデリングなので、木彫に比べると造形思考が解放されます。実際は窯に入れる大きさや厚みもありますが、自由さが他の素材よりあるのです。大きさもカタチも自分で決められるからです。そんな塑造の特徴を突き詰めていくと、自分特有な精神状態に入ってしまうのではないかと思っています。明日も続行です。

疲労?制作再開できず

今日は朝から工房に行って制作を再開する予定でした。工房には行きましたが、今ひとつ気分が乗らず、インドネシア旅行前に成形・彫り込み加飾していた陶彫部品の乾燥具合を確かめただけで自宅に帰ってきました。やはり疲労が残っているのでしょうか。家内が母の実家の草刈をしたいというので、それに付き合ったり、母の介護施設に行ったりして、今日は時間が過ぎていきました。胃腸の具合も万全ではなく、毎年アジアへの海外旅行の後はこんな調子です。ただし、古代遺跡を見てきたおかげで制作意欲は万全です。頭の中で新作へのイメージはほとんど固まってきました。背の高い陶彫作品2点と背の低い陶彫作品1点を作る予定ですが、背の低い陶彫作品は幅があるので4分割して作っていきます。現在は背の低い陶彫作品に取り掛かっていますが、技術的には背の高い陶彫作品の方が困難を極めると考えています。今回は木材による厚板と柱を使います。ちょうどよい長さに切断する必要があるので、陶彫制作と併行して木材の切断を始めたいと思っています。閉庁期間も夏季休暇も今日で終了です。あとは週末と夜の時間帯しか制作時間がありません。涼風が立てば制作がスムーズに進むのですが、現在のような気温では長い作業は厳しいと言えます。温度上昇による疲労もあって、肉体的にも精神的にも己を追い詰めていく創作活動は、無意識に心身に無理を強いる結果になるからです。大きな集合彫刻を作り出すのは長距離ランナーと同じです。長い道のりをペース配分を考えながら、焦らず休まず、坦々と進めていかなくてはなりません。その繰り返しが気持ちよく感じる時があるし、心の充実も図れる時があります。初段階として、そこまで持っていくために早く制作ペースを掴む必要があります。新作ごとにペースが異なるため、それは作業をしながら把握していくしか方法はありません。前作は同じ大きさの陶彫部品が多かったのでペースはすぐ掴めました。ただ量が多かったので完成がギリギリになってしまったことが反省点です。新作の陶彫部品の大きさはさまざまなので、ペースが掴みにくい嫌いがありますが、何とか対応していくしかありません。今日は疲労のためか制作が出来なかった分、いろいろな考えが頭を過ぎりました。身体が動かなかったけれど、頭脳で制作していた一日でした。

インドネシア旅行から帰って…

今朝、羽田空港に到着しました。実質4日間に及ぶインドネシア旅行が終わってしまいました。始まると即刻終わるという気分は、何と不思議なものでしょう。唯一の心名残りがあるとすれば、工房に頻繁に来ている若いスタッフが現在ジョグジャカルタにいて、その彼女に会えなかったことです。彼女は大学でテキスタイルを学び、現在は大学院で先端芸術を専攻しています。一度インドネシアに留学していますが、今回は大学院修了制作のモチーフを求めて再びインドネシアの地を踏んでいるのです。今月いっぱい滞在する予定と聞いていますが、私たちの行程と合わず、メールのやり取りで終始しました。インドネシアは比較的安全な国で、しかも芸術性豊かな風土なので、留学には良いかもしれないと思いました。さて、帰国した日本はインドネシアに勝る蒸し暑さで些か辟易してしまいました。インドネシアと違うのは道路が整然としているところで、車は車間距離を守って規則に従った走行をしています。改めてそんなことが目に映ったので思わず苦笑してしまいました。日本はアジアと言うより極東ヨーロッパなのかもしれません。帰宅してすぐ飼い猫のトラ吉をホテル兼用動物病院に迎えに行きました。猫も自宅に帰ると安心するようで、ペットホテルではストレスを溜めていることが今回わかりました。さまざま動物の臭いで興奮していたようです。トラ吉を自宅に置いて、次に実家に行き、盆供養の飾りの後片付けをしました。私たちが不在の時に妹夫婦が来ていることがわかりました。インドネシアの土産を妹宅に届けてきました。今日のところは工房に行けず、制作再開は明日に持越しです。夕食は寿司を食べに外に出ました。和食の美味しさに舌鼓を打ちながら、今回のインドネシアの料理は食べられたけれど、ナシゴレンやミーゴレンばかりじゃ飽きるなぁと家内に愚痴をこぼしました。

バリ島 20年前の記憶を辿って…②

昨日からバリ島のクタにいます。今日は現地ガイドではなく、私たち2人でクタの街を散策することにしました。20年前もここを散策していますが、街の様子が当時とは違い、新しい街にやって来た感覚です。まずクタビーチを見に行きましたが、渚のリゾートとして多くの観光客が海水浴を楽しんでいました。モダンなレストランが増えてハイセンスなビーチに生まれ変わった感じがしました。オーストラリア人は長期滞在して休暇を満喫している人が多く、水着で砂浜を闊歩している彼らを見ると羨ましい限りです。何のために働くのか、それは休暇を楽しむためだと、滞欧時代に友人が言っていました。留学生だった20代にそれを聞いて、仕事をするとはそういうものかと思っていましたが、今まさにその気分です。それでも彼らほど長く休めない自分は、仕事とは何かを改めて自問自答しています。クタは20年前とすっかり雰囲気が異なっていましたが、ビーチの内陸に入った賑やかな通りには、多少記憶を留めている店がありました。当時も今も土産物店が多いのは同じですが、エステやタトゥーを入れる店が増えていました。かつて雑貨と言うよりアートに近い作品を売っている店があり、そこが気に入って仮面やら布を購入してきました。今でもその作品は自宅を飾っていますが、そんな店があればと期待していました。当時の店ではなく、洒落た雑貨を扱う店があったので、家内が服や小物を購入しました。通りには爆破テロ慰霊碑がありました。2002年にここでテロがあったのをテレビで見ていました。楽園にもテロがあるんだとその時思い知りました。インドネシアはイスラム教徒が多く住んでいます。テロ行為を起こす連中は、真のイスラム教徒ではないと現地ガイドが強い口調で言っていました。確かに街の人々は穏やかで、厳正な礼拝を欠かせません。殺人を奨励する宗教指導者がどこにいるでしょうか。海外に行くにもテロを心配するようになりました。自分が見たい古代遺跡は、テロが多発する国にあり、そのうちいくつかの遺跡は破壊されてしまいました。自然遺産も文化遺産も幾星霜に亘って継承されてきたもので、それは人類の知的財産でもあると自分は思っています。過去の記録を通じて未来を考えるのは、分野が異なれど全てに共通するものです。自分がやっている彫刻もまた古代遺跡から示唆されるもので、そのために自分はアジアの世界遺産を巡っているのです。そんなことを思いながら、夕方デンパサール空港に到着しました。

バリ島 20年前の記憶を辿って…①

昨晩、バリ島のデンパサール空港に到着しました。バリ島は20年前に大学時代の友人たち3家族と来ていました。自分にとってバリ島は、ヨーロッパ滞在から帰って初めて出かけた海外で、ツアーの便利さを知った機会でした。現地ガイドの日本語の堪能さもその時初めて知りました。あの頃、自分は既に公務員になっていて、短い休暇を楽しむ海外旅行をするならツアーに申し込むのが最適と思ったのでした。今回も現地ガイドが便宜を図ってくれました。私たちは繁華街クタにあるホテルに2泊することにしました。私は20年前の記憶を辿ってバリ絵画の盛んなウブドに行きたいとガイドに申し出ました。確かその途中に木彫や銀細工の村があったと思い出し、今日はウブドまでの行程を楽しむことにしました。バリ島は20年前とはまるで変わってしまっていて、都会化された舗道には渋滞が日常的に発生し、私たちもその渦中に入っていきました。アジアの交通事情は、今まで行ったカンボジアやタイも同じで、ここも騒々しさと混乱に溢れていました。銀細工の店や木彫の店に立ち寄りましたが、私の心を打つものはなく、ここでも20年前の素朴さは失われていました。以前は木彫工房で制作途中の仮面を見つけて、焦る作者を尻目に彫り跡が残るガルーダの仮面を購入したのでした。今回、木彫のマス村で私が求めたのはアンティックな仮面でした。値が張りそうな仮面でしたが、店主の言う値段が安かったので、我を疑いつつ言い値で購入することにしました。店主が昔の値段を一桁間違えたのではないかとガイドが言っていました。ウブドでは20年ぶりにネカ美術館を訪れました。当時新しかった美術館も古くなって、革新的な現代絵画が増えていましたが、やはり伝統に則った細密な風景や風俗を描写したバリ独特な絵画が優れていて、昔と同じ感動を齎せてくれました。ウブドからの帰り道にケチャックダンスを見ました。これも昔見た記憶がありますが、猿に扮した男性合唱がリズムをとるのが特徴的です。姫を助けるため悪の大王と戦う王子の物語ですが、劇に使われる仮面のデザインがユニークで、どれも美しいと思いました。

ジョグジャカルタの世界遺産

昨晩遅い時間にジョグジャカルタ空港から現地ガイドの車で、ボロブドゥール遺跡の公園内にあるホテルに来ました。周囲は真っ暗で、どこにボロブドゥール遺跡があるかわからず、連れてこられたホテルで一泊しました。夜明けのボロブドゥール遺跡を見に行くとガイドに言っていたので、5時前にロビーで待ち合わせました。何とボロブドゥール遺跡は歩いて数分のところにありました。芝生が美しく刈り込まれ、多くの観光客が集まっていました。石の階段を登りつめたところで、この巨大な仏教遺跡の全貌がわかりました。方形をした石造物の階段を登り、上から見下ろすことで、これは立体曼荼羅であり、仏陀の宇宙を表しているものであることが理解できました。つまり階段は欲望の世界から涅槃の世界へ導くものだったわけで、私たちは知らずに仏教世界に取り込まれたことになります。靄が立ち込める風景を見下ろしていると、山の稜線から太陽が顔を出しました。千切れた雲がその神々しい瞬間を演出していました。次第にボロブドゥール遺跡全体の壁に彫りこまれたレリーフが姿を現しました。ボロブドゥール遺跡の詳しい感想や考察は別の機会に稿を起こそうと思います。次に向かう予定のプランバナン遺跡の前に、ガイドの提案で小さな寺院に立ち寄ったり、コーヒーの製造工房に立ち寄ったりしました。猫マニアの家内は、コーヒーの製造工房が気に入っていました。というのは、熟したコーヒー豆をジャコウ猫が食べ、その糞を洗浄し、消化しなかった豆の皮を剥いて焙煎したコーヒーで、猫と結びついた独特な飲料コピルアクに家内は感動していました。そこにはジャコウ猫も飼われていましたが、どうもそれらは猫科ではないようです。午後になってプランバナン遺跡に到着しました。プランバナン遺跡はヒンドゥー教の寺院で、ボロブドゥール遺跡とは雰囲気が異なりました。2006年のジャワ島中部地震で甚大な被害を受け、今も修復が行われていますが、完成の目処は立っていないように思われました。巨大な石造物は2年前に訪れたアンコール遺跡群を髣髴とさせるものでした。ここでは壊れた石のブロックの中を歩きながら、綿密に計算しパズルのように石を組み合わせた当時の建築技法に思いを馳せながら、日が暮れるまで留まりました。夜になって空港に向かいました。ジョグジャカルタ空港からバリ島のあるデンパサール空港までは、暫し機上の人になりました。