休庁期間終了&従兄弟会

今日で休庁期間が終わり、明日から宮庁御用始めとなります。午前中は工房に出かけて、柱陶の仕上げや大晦日に窯入れした作品を窯から出してきました。焼成の終わった作品は「発掘~宙景A~」のテーブルに吊り下げる6個目の陶彫部品となり、これで吊り下げ作品の一段目が完成しました。次から「発掘~宙景B~」の吊り下げ作品の窯入れを行っていきます。同時に「発掘~宙景A~」の二段目の陶彫部品の制作に入ります。また今月は三連休があるので、そこで頑張ってみたいと思っています。午後は恒例の従兄弟会が東京渋谷でありました。親戚の誰かが他界したり、高齢になっている人もいて、正月に親戚の家族が1箇所に集まることが出来なくなっています。そこで、その子どもたちが従兄弟会という名目で、1年に一度だけ集合することにしているのです。従兄弟会はもう何年やっているでしょうか。久しぶりに会った従兄弟たちは、それぞれ仕事に、家庭生活に頑張っているように思えました。こんな機会でもない限り東京渋谷をぶらつくこともないので、今日は珍しく散策の時間がありました。自分はなかなか公務や創作を離れることはありません。美術や映画鑑賞も創作の一端と考えれば、余暇も常に創作活動のことが頭にあるのです。寝ても醒めても彫刻のことばかり、仕事が始まれば仕事のことばかりの日常ですが、そこに息苦しさはありません。ずっと二束の草鞋でバランスをとりながら生きてきたので、たとえば渋谷をぶらついたとしても何をしてよいのかわからず、すぐに帰宅の途につきました。家内は楽しんでいましたが、自分は雑踏が苦手なのかなぁと思いました。

制作再開&映画鑑賞

元旦が過ぎて今日から工房での制作を再開しました。午前中は材料の購入に店に出かけました。大学院生も同伴し、彼女は搬入用木箱を作るための木材を調達していました。工房では夕方4時まで制作をしました。さすがに昨日は焼成温度を確認するため工房に立ち寄りましたが、制作する気にはなりませんでした。今日のところは柱陶の仕上げを行いました。昨日一日休んだだけなのに、新年になったことを意識しているせいか、妙に気分が変わり、今ひとつ調子が出ずに終わってしまいました。新年の休庁期間は年末のように一日制作できる機会はありません。それならば何か調子が出ることをしようと思い立ち、夜は映画を観に行くことにしました。昨年のNOTE(ブログ)を見ると、昨年も同じことをやっているのに気がつきました。正月に観る映画は娯楽性に富んだものを選んでいて、昨年は「スターウォーズ フォースの覚醒」を観ていました。いつも行くミニシアターではなく、今晩はエンターティメント系の映画館に家内と出かけました。その場で選んだ映画は「君の名は。」でした。昨年空前のヒットを記録したアニメでしたが、私はまだ観ていなかったのです。周囲の人たちから勧められていたので、この際ブームに乗ってみようと思いました。観終わった後、成程ヒットした理由がわかるような気がしました。詳しい感想は後日にまわしますが、今も上映しているにも関わらず、多くの観客が観に来ていました。私たちのようにこれはどんなものか観てみようと思っている人が多いのかもしれません。夜になって映画鑑賞に出かけたことで今日は充実しました。

2017年 新年の抱負

新しい年になり、気持ちを新たにしていきたいと思います。NOTE(ブログ)を見てくださっている皆様に、新春のお慶びを申し上げます。今年も何卒よろしくお願いいたします。今朝はまず工房に出かけて焼成温度を確認しながら、昨日鏡餅をお供えした窯の炎神に今年の無事を祈ってきました。それから母が長く住んでいた実家に出かけて、井戸の神や稲荷が祭ってある祠に小さく刻んだ餅や油揚げをお供えしてきました。先祖の代からやっている儀式ですが、御呪いと言うより、これは生きている自分が、この儀式をすることにより平穏になれることが第一なんだろうと思っている次第です。その足で菩提寺の住職に新年の挨拶にも行って来ました。今年も家内安全、身体堅固でいきたいと願っています。昨晩、母がいる介護施設から母のお札を下げてきました。それと私たち夫婦のお札を持って、午後になって東京赤坂にある豊川稲荷に家内と出かけました。毎年、母と私たちに護摩を焚いていただいているので、例年通りの慣わしとして稲荷に行ってきたのでした。新しくなったお札は母にも届けました。稲荷が相原の守護神となっているのは、祖父が宮大工、父が造園業を営んでいて、それぞれ商いをやって身を立てていた由縁があると母に聞いたことがあるのです。私は手堅い公務員と売れない彫刻家の二束の草鞋ですが、この先きっと良いこともあるかもしれないと僅かな期待を込めて、先祖に倣って商いの神に信心を続けようと思っています。創作活動は自分の生きがいです。それが商売になろうとなるまいと関係なく、創作は生きる証としてやり続けていきたいと思っています。公務員管理職は横浜市が必要として認めてくれれば、施設の運営をこの先もやっていきます。外見は変わらず、しかし心の世界は進歩し続けるのが自分の信条であり、今年の抱負です。全ての継続を基盤にしながら、自分の創作をさらに深く掘り下げ、また幅も広げることを目標としたいと思います。

2016年HP&NOTE総括

2016年の大晦日になりました。毎年この日は1年間の総括をしています。今年は7月にあった11回目の個展に「発掘~環景~」と「発掘~表層~」を出品しました。「発掘~環景~」の陶彫部品の数が多く、個展搬入前日まで窯に入っていた部品がありました。図録撮影では足りない部品を見えないように隠して撮影をしていました。こんな思いは二度としたくないと思っていて、現在作っている陶彫作品は、この冬に精一杯時間を取ってやっています。これは成果として生きてくるのでしょうか。年越しである今日も窯入れしていて工房では現在焼成中です。公務員との二束の草鞋生活は今も続いています。4月から再任用管理職として現在の職場を任され、管理職としては正副合わせて9年目になりました。時間の有効利用を考えながら来年も頑張りたいと思っています。一日1点制作をしているRECORDも継続中で、そろそろ始めて10年になろうとしています。余裕のない中でイメージが掴めず困難を感じた場面もありましたが、来年もやっていきたいと思っています。現在の制作状況からすればポストカード大の平面作品を作っていくのが限界ですが、公務員を退職すればRECORDの発展形もありうると考えます。とにかく自分は日々蓄積される表現活動が大好きなので、陶彫による集合彫刻と平面によるRECORDは、自分に合った媒体と言えそうです。今年の鑑賞に関しては昨日のNOTE(ブログ)にアップしました。今年の鑑賞は美術・映画ともに充実していました。大ヒットアニメはまだ見ていませんが、娯楽性のある映画では「スター・ウォーズ」や「シン・ゴジラ」を見て楽しかった印象があります。映像の技術的進歩はまだまだ人を魅了できるものだと思います。わが職場でもプロジェクション・マッピングに挑戦しました。読書では精神分析や宗教に纏わる書籍をよく読みました。最近読書は中断することが多く、読破に時間がかかります。反省点はそこにあるので、来年は継続的に読書をしていきたいと思っています。最後に拙いNOTE(ブログ)を毎晩書き綴ってきましたが、辛抱強く読んでいただいている方がいらっしゃいます。心から感謝申し上げます。来年も変わらず創作活動を続けていく予定です。それでは良いお年をお迎えください。

今年印象に残った展覧会

2016年の晦日になりました。明日は今年全般に亘るまとめをNOTE(ブログ)に書くつもりですが、今日は印象に残った展覧会を取上げます。まず西洋の美術展では東京六本木の国立新美術館の「ダリ展」と東京上野の西洋美術館の「クラーナハ展」でした。いずれも大規模な展覧会で来客数も多く、また見応えのある作品が来日していました。ダリの超現実的な風景や人物が配置された世界に、私は自己陶酔欲とも言える甘美な雰囲気を感じていました。一方、クラーナハは北方ルネサンスの独特なフォルムをもつヌードに魅了されてしまいました。私は若い頃、ウィーンに5年間滞在していたため、クラーナハに親しみを感じていました。日本でクラーナハを通じて当時の思い出が甦ったことが印象に残った個人的な事情でした。東洋の美術展では東京都美術館の「若冲展」と根津美術館の「円山応挙展」を挙げておきたいと思います。若冲は対象を象徴化して細部に至るまで丹念に描いた画家でした。全体構成力が見事で煌くような色彩が私の眼前で舞っていました。「若冲展」は大変な混雑ぶりで人を押しのけて鑑賞する有様でした。どうして若冲にこんなに人気が出たのか、またはマスコミの力によるものか見当がつかない状況でした。円山応挙は西洋画風の写実と東洋画風の運筆を巧みに組み合わせた達人で、冴え渡る筆の勢いが見事でした。本番では一点の迷いがないほど突き詰めた描写は、実は用意周到なスケッチに支えられていたことがわかって溜息が出ました。研鑽を積むことが名作を生むという当たり前な事実が、改めて示された質の高い展覧会だったと思っています。来年も多くの展覧会を見て歩き、自分の創作の糧にしたいと思っています。

休庁期間 制作&賀状宛名印刷

今日から休庁期間になり、朝から工房に篭りました。年末の雑用は家内任せにしているので、自分は極楽トンボのような暮らしです。申し訳ないと思いつつ、工房では陶土と格闘していました。「発掘~宙景B~」の高いテーブルに吊り下げる陶彫部品は5個目の成形に入りました。今年中に6個作ろうと予定しているため、まだまだ予断を許さない状態です。一緒に制作している大学院生も、修了制作の締め切り間近のため必死の形相になってきています。工房には張り詰めた空気が漂います。自分はこうした緊張感が大好きです。午後は疲労で気持ちが緩みますが、意志の力で振り切ってしまいます。夕方、修了作品展のための展示用鉄柵が出来上がっているはずと彼女が言うので、発注した鉄工場へそれを受け取りに車で行きました。明日工房で組み立てて様子を見るようです。私は一応制作工程通りに作業が進んでいますが、陶彫は焼成してみないとわからないのが辛いところです。夜は年賀状の宛名印刷をしました。300枚あった年賀状が280枚ほど使ってしまいました。個展案内状の名簿をそのまま年賀状にも使用しているので、こんな数になるのです。絵柄はRECORDの11月17日付の作品を使いました。「ささえる」というテーマで制作した作品で、雛が嘴を大きく広げて親鳥から与えられる餌を待っている状態を描いたものです。酉年であることと未来に向かって生きようと主張することを表現した作品で、自分でも気に入っています。明日投函しようと思っています。

内観と公開について

幼い頃から内気なところがあった自分は、人に知られない秘めた内面の世界を持っていて、つい独り言を口走ったり、じっと黙ったまま過ごしたりしていました。内観は自分自身を探る上で重要なアイテムになり、今でも自己分析は習慣になっています。それは自分の理想化や夢想化もあって、ほとんど荒唐無稽な遊戯を繰り広げています。実際に夢を見た時は、夢は欲望の充足であると言うフロイトの言葉通り、本当の自分はこんな人生を送りたかったのではないかと思うこともあります。自分が評価する自己生育歴は、かなり歪曲したものであって、豊かな情操を正常に感受したことはないのではないかと思う所以です。学生時代は密かにコトバを綴っていて、恥ずかしくなると破って捨てていました。とっくに亡くなっている母方の祖母に当時のノートを見られ、自分を蝙蝠に喩えているコトバを発見されて赤面した記憶があります。いつからか内観は頭の中にだけに留めるようになりました。秘密のノートは私から消えてなくなりました。現在、私が持っている唯一の手帳は仕事上のメモがぎっしり書き込まれています。人から見られても恥ずかしさはありません。こんな書類を作成して、どこに提出したか、誰と面接をしたか、出張先や夜の会合も書いています。週末の工房での制作メモも同じ手帳に書いています。自分が過ごした記録です。手帳は10年間分くらい保管してあって、昨年この時期はどんなことをやっていたのか確認することに使っています。このNOTE(ブログ)も同じで、職種は書けないにしても、職場での出来事や美術や映画鑑賞、さらに創作メモを記録しています。これは嘗てやっていた秘密のノートではありません。公開するためのアイテムなので、人が見ることを念頭においた演出を考えて毎晩アップをしているのです。NOTE(ブログ)の記載事項に迷いがないわけではありません。もっと分かり易く書けとお叱りを受けたこともあります。秘密のノートが私に必要なくなったことが今もって不思議です。成長なのか感受性が緩んだのか、そこは定かではありませんが、NOTE(ブログ)は継続していくつもりです。

猫の生態

このところ厳寒の後に、妙に暖かい日があったりして真冬の感覚になれません。そのせいか無性に眠くなったり、体調を崩しそうになります。人は自分の身体の都合を考えず、仕事を優先することが多く、空調が効いている部屋では気候の変動に左右されることはありません。しかし、元来人間も自然界にあって、四季の周期は頭のどこかに刻印されているのではないかと思うことがあります。社会システムが私たち人間に季節感のない不自然な生活を強いていて、それがストレスに繋がっているようにも思えます。気候の変動が激しい時は無理をせず何もしないでいる方がいいのかもしれません。そんなことを考えたのは飼い猫のトラ吉がいたからです。トラ吉は気候が安定している時は、至って活発で下から階段を一気に駆け上がってきます。その勢いで私に飛びついてきます。気候が不安定な時は、ほとんど寝ていて動きません。本能に忠実なトラ吉の生態を観察していると、自分が最近眠くて仕方がないのも頷けます。トラ吉も気持ちよさそうに寝ているからです。猫の生態観察は、決してバカにできるものではなく、時に体調を保つために見習うべきものがあると思っています。私はトラ吉を人間に癒しを齎すペットとは思っていません。人間の都合で飼っているとは思いたくないのです。人間と動物が共存し合う中で、トラ吉の行動が自分の不自然な振る舞いを気づかせてくれるバロメーターであると思っているのです。

映画「こころに剣士を」雑感

昨日、横浜のミニシアターにフィンランド・エストニア・ドイツ合作映画「こころに剣士を」を観に行きました。監督はフィンランド人、出演した多くの俳優陣はエストニア人という構成でした。時代は1950年初頭、舞台は旧ソビエト連邦にあったエストニアでした。ソ連の秘密警察に追われ、エストニアの田舎の学校に体育教師として赴任した元フェンシングの選手が主人公で、最初の画面には素朴な風情漂う街並みが映し出されました。その町の多くの子どもたちがソ連の圧政によって親を奪われていました。実は子どもが苦手だった主人公は、ひょんなことからフェンシングを子どもたちに教えることになり、枝を剣にして簡易な道具で子どもたちを相手に指導を始めました。フェンシングに熱心に取り組む子どもたちの実直な眼差しによって、主人公は次第に自分が変わっていくのを感じていました。校長の身辺調査により、彼の素性が明らかにされることと同時並行して、子どもたちの夢を叶えようと、自分の置かれている状況と自ら闘うことを主人公は決意します。フェンシングの全国大会がレニングラードで開催されることを知って、子どもたちと主人公は希望を胸に出場することを決めました。用具も揃わない田舎の学校からやってきた子どもたちは果敢に試合に臨み、自分の運命を切り開こうと戦います。主人公も嘗てドイツ軍としてソ連軍相手に戦った運命と対峙していきます。フェンシングの全国大会決勝戦を見届けた主人公は、勝利した子どもたちに振り向くことなく秘密警察に連行されていくのでした。これは実話を基に制作された映画です。今もエストニアのハープサルにある学校にはフェンシング部があるそうです。第二次世界大戦中はドイツに、大戦末期からはソ連に占領された暗い歴史の中にも光り輝く瞬間があったことを、この映画は知らせてくれました。

冬季三連休 制作&映画鑑賞

三連休の3日目です。相変わらず工房で朝から制作に没頭していました。大学院生と競い合うように、また制作時間を惜しむように陶土と格闘していました。今日はクリスマスです。今晩、大学院生は家族や親戚と外食して過ごすと言っていました。私は昨年に引き続き、一人で映画に行こうと決めていました。家内は邦楽器関係の人たちと忘年会があって、帰宅が遅くなると言うので、それならば私好みの映画に行ってみようと思っていたのでした。家内は娯楽性のある映画なら一緒に行ってくれますが、社会性が強い映画は敬遠する傾向があります。確かに観ていて心が追い詰められる映像表現もあり、ミニシアター系の映画は人によって好き嫌いがあるのは否めません。でも今晩観たかった映画は過激なものではありませんでした。私は社会や政治情勢が厳しい中で、芸術やスポーツによって人が尊厳を取り戻す物語が大好きです。ナチス政権のベルリン・オリンピックに出場したアメリカの陸上選手を描いた「栄光のランナー」は、私の大好きな映画です。今晩観に行った「こころに剣士を」もこの範疇に入る映画で、もちろん実話です。舞台であるエストニアという国も日本には馴染みの薄い国で、嘗ては旧ソビエト連邦に組み込まれていました。そこで子どもたちが出会ったフェンシングというスポーツ。この映画はフェンシングを通し、人の生きる希望を子どもたちの眼差しで表現している秀作ではないかと思いました。昨年の今日、横浜のミニシアターに私の他に若者が一人いただけでしたが、今晩は8人の観客がいました。クリスマスの夜に一人でミニシアターに来る人は、私と同じような年齢の男性が多かったのは偶然でしょうか。映画の詳しい感想は後日改めたいと思います。

クリスマスの思い出

三連休の中日です。今日も朝から工房に篭り、制作に明け暮れました。今日はクリスマス・イヴです。工房にあるラジオのFM放送からクリスマス・ソングが流れていました。私はその雰囲気をラジオでしか味わうことしか出来ず、陶彫の制作サイクルの中に身を委ねていました。可憐な大学院生も修了制作にどっぷり浸かって、クリスマスどころではない状況が垣間見えました。クリスマスはイエス・キリストの生誕を祝う日で、私が30年前に住んでいたオーストリアのウィーンでは、家族でゆっくりと過ごす日とされていました。クリスマスのグッズは市庁舎前に市場が立って、そこで販売していました。先日ベルリンであったトラックによる襲撃事件は、人で賑わうクリスマスの市場であったものでした。市場の楽しい雰囲気を知っている自分にとって、それは許すことの出来ない惨劇でした。イエスの生誕を喜びをもって祝うクリスマスの儀式は、ルーマニアのマラムレシュ県で忘れられない思い出として今も私の心に残っています。あの時は村人たちの祈る姿勢に心打たれました。木造の正教会は今も村に残っているのでしょうか。ガラス絵に描かれたイコンは今もそこにあって村人の接吻を受けているのでしょうか。宗教の違いはあっても、人々が願う家内安全や五穀豊穣、平和な暮らしは世界共通ではないかと思っています。救済を待ち望む人々の上に、一刻も早く安堵できる環境が与えられて欲しいものです。日本でイルミネーションが楽しめるのは安心安全あってのことだなぁと思いつつ、毎年この時期になると外国で出会った敬虔な信者たちに思いを馳せている自分がいます。

冬季三連休の制作目標

職場の仕事が一段落したところで、今日から大晦日までの9日間を可能な限り、創作活動に充てていこうと思います。職場に顔を出さなければならない時は仕方ないにしても、新作「発掘~宙景B~」の大きな陶彫部品を作り上げるべく努力をしていきたいと思います。制作目標としては「発掘~宙景B~」の一段目になる大きな陶彫部品全ての成形と彫り込み加飾を終えることです。陶彫部品は全部で6個必要です。土練り、タタラ、成形、彫り込み加飾を制作サイクルにのせて次から次へと作っていく予定です。併せて「発掘~宙景A~」と「発掘~宙景B~」の柱陶も作っていこうと思っています。これは大きな陶彫部品の余った陶土を再生してやっていこうと考えています。柱陶は果たしていくつ出来るのか、制作サイクルにないちょっとした頑張りが必要だと思います。差し詰め今日から始まる三連休の制作目標としては陶彫成形を2個作ろうと思っています。今日はそのためのタタラと次に使う陶土を土練りして準備を行いました。朝9時から夕方4時までという制作時間も決めました。長丁場の制作には規則正しい時間が有効で、気分次第で制作時間を変えることをしないようにしたいと思っています。工房に通ってくる大学院生は、いよいよ修了制作の締め切りが迫ってきていて、彼女の横顔には緊張感が漂っていました。今回長丁場の制作にはこの大学院生も一緒にやっているので、張り合いがあります。大晦日まで体調管理に気をつけながら頑張っていこうと思っています。

ちゃんこ鍋コミュニケーション

今年は29日(木)から休庁期間が始まりますが、今日で仕事が一段落し、職員全員が昼食を囲む場面を設定しました。私の職場運営の手法の一つに、全員が鍋をつついて語り合う大鍋コミュニケーションがあります。現在の職場に境川部屋にいた元力士がいます。彼の力を借りて、今回は「ちゃんこ鍋コミュニケーション」にしました。今年さまざまな課題に対応し、それをひとつずつ丁寧に解決してくれた全職員に、私からのささやかな感謝の気持ちを表すため、「ちゃんこ鍋コミュニケーション」は海鮮を使った高級鍋にしました。毎回私のポケットマネーでやっているのですが、蟹や海老をふんだんに使った鍋は通常の倍以上の費用がかかりました。それでも職場を支えてくれた職員に頭が下がる思いです。職場は人と人の関係性で成り立っています。ひとり一人の職場に対する思いが、分掌の係を超えた連携に現れているのを見るにつけ、お互いの仕事をカバーする部分が大きいと見ていて感じます。そうしたカバー部分の幅が大きいほど仕事環境は良好であると言えます。「お節介な人が多いほど良い職場」と私が持論する所以です。このような職場文化がずっと継続していって欲しいと願うばかりです。

M・Cエッシャーの夢

現在読んでいる「シュルレアリスト精神分析」(藤元登四郎著 中央公論事業出版)の4人目に登場する画家はオランダ人のM・Cエッシャーです。エッシャーの絵画に関しては、自分が10代の終わり頃、トロンプルイユを多用した版画作品を知って衝撃を受けた記憶があります。今年の10月に橫浜のそごう美術館で「エッシャー展」があり、久しぶりにエッシャーの世界に触れて、心底楽しみました。本文の中にエッシャーの世界観を語る上での夢の精神分析を引用した箇所がありました。精神分析と言えばフロイトですが、ここではさらに分析を先に進めたフーコーの理論が用いられていました。フーコーは、夢の源泉が無意識の抑圧ばかりではなく、「特殊な形式の経験としての特権」であることを主張して、エッシャーの夢性を裏付けていました。カーターによる認知科学の一文も併せて引用します。「認知科学によれば、物がどうみえるかを決めるのは二つの要素がある。ひとつは遺伝子で、もうひとつは経験を経て形成された脳のパターンであるといわれている。したがって、私たちがみるものはそこに厳然と存在しているものであると限らないのである。『人が見る場合には、認識しやすい要素だけを拾いだし、頭の中で構築した図像に過ぎない』(カーター)こういう次第で、私たちの意識には『内と外』、『上と下』、『直線と曲線』などの基本的なパターンを反射的に認識するのである。エッシャーの作品は、これらの反射的認識の回路を解体し、認識のプロセスを混乱させるので、常に衝撃を与えるのであろう。~略~エッシャーの作品の非合理性あるいは認知感覚は、夢と同様に、認知の反射的回路を攪乱するのである。しかし夢とエッシャーの作品の根本的な違いは、夢の出来事が驚きや恐怖を引き起こすのに対して、彼の作品は自己の存在を脅かすような感情を引き起こすことはないということである。このことは、彼の作品がきわめて知的で緻密に計算されたものであることを示している。」

造語タイトル「宙景」と「座景」

このところ自作のタイトルは造語にするしか考えが浮かばず、漢字を繋げて造形イメージに近づけようとしています。「層塔」「群塔」「環景」など、過去のタイトルを振り返ると、造形イメージとの一体化を図る意志があります。私はタイトルのもつ思索的意味に拘りません。私にとってタイトルとは造形そのものを分かり易く伝えるためのアイテムです。そのため簡潔なコトバを選んでいるつもりです。現在作っている背の高いテーブル彫刻は、天板の下に陶彫部品を吊り下げているので「宙」というコトバが頭にありました。背の低いテーブル彫刻は、机上に広がる世界を表そうとしているので「座」というコトバが頭にありました。それぞれに景観の「景」をつけて、宙吊りの世界と机上の世界を「宙景」と「座景」にしようと考えました。作家によっては謎めいたタイトルをつけて、造形作品の深遠なる哲学に導入していく人もいますが、私の場合は極めて単純です。「発掘シリーズ」として出土品のような効果を狙った陶彫を作り続けているので、「発掘~宙景~」「発掘~座景~」というタイトルにしようと決めました。さらに「発掘~宙景~」は2点あるので、どういうふうにタイトルを分けようか悩んでいます。これも単純にA・Bとして表記しようかとも思っています。タイトルを考えるのは楽しみのひとつで、いくら簡潔なものでも詩的要素があると考えています。ましてや造語ならば尚更で、ホームページのGALLERYにアップする際にタイトルをイメージしたコトバを紡ぎだすことをしています。それは造形以上に頭を悩ませる世界でもあります。

北方ルネサンスの継承

先日見に行った「クラーナハ展」が、NHK番組で取り上げられて、クラーナハが得意としたヌード絵画の分析を行っていました。肢体がリアルではないのは自分も理解していましたが、カタチの象徴化や色彩の艶めかしさを日本の写実画家が実証していて興味津々でした。クラーナハのきわどい妖しさは自分も感じていました。M・ルターによる宗教改革によって宗教画が排除され、ルターと親しい仲であっても、カトリックの宗教画の注文を受けていたクラーナハが考えた手段が、それまで踏み込んだことがないヌード画だったという時代の流れもよくわかりました。顧客の秘めたる楽しみに若い娘のヌードがあったというのも、現代の性風俗に通じるものがあって、男性の所有欲に成程と思った次第です。クラーナハは北方ルネサンスの旗手として存在を示していましたが、自分がオーストリア在住時代に度々ドイツを旅した時に感じた現代画家の画風が、クラーナハと通じるものがあるような気がしていました。北ドイツを中心に活躍しているP・ヴンダーリッヒやH・ヤンセン、J・シュマイサー、作家として実績があるG・グラス等は、まさにヌードや他のモティーフを描いても象徴的で自省的な思索が感じられて、クラーナハが蒔いた種が現代に継承されているような感覚を持ちます。彼らには個人的な秘技として表現された世界観があって、それ故デッサンや版画に特化した表現活動が盛んなのではないかと思うところです。「クラーナハ展」には現代作家の作品も併せて展示されていましたが、自分は北ドイツで出会ったそれら芸術家の表現に、クラーナハの精神性が脈々と受け継がれているように思えてなりません。

週末 大きな陶彫部品の制作計画

今日も朝から工房に篭って制作三昧でした。12月末まで何日間工房で制作できるのか、休庁期間も含めて試算し、大晦日までの制作計画を立てました。現在は背の高いテーブル彫刻の天板に吊り下がる大きな陶彫部品を作っています。背の高いテーブル彫刻は2つあって、それぞれ一段目に吊るす陶彫部品は6個あります。2つあるので合計12個です。そのうち焼成まで終わっている陶彫部品は4個あるので、残り8個です。それらを大晦日までに全て作れないかと考えました。昨日、栃木県益子町から陶土600kgが届いたので、材料はたっぷりあります。連続して制作する時には窯入れは出来ません。窯に入れてしまうと3日間くらいは放置しなければならず、工房の電気も使えなくなるからです。そのため焼成を除く制作を可能な限りやっていこうと思っています。成形や彫り込み加飾した後、乾燥のための時間確保も必要なので、制作をどんどん進めるのがいいと思っています。私にとってクリスマスも晦日もその気分になれず、毎年工房で制作に追われて過ごしています。街のイルミネーションを楽しむ余裕もありません。そこに今回は大学院生が付き合ってくれます。彼女の修了制作も次第に表現的な凄みを増してきました。作品が自己イメージの具現化に向かって産声を上げていく瞬間は、気分は意気揚々としてきて他に目移りがすることはありません。これが創作の醍醐味です。この根源的で生命の証に匹敵する魅力に比べれば、何をやってもうわべだけの楽しさは感じなくなり、創作の魔力に心身ともに憑かれてしまうのです。大晦日まで身体が動く限り頑張っていきたいと思います。次は天皇誕生日から始まる三連休です。土練りと成形・加飾を繰り返す計画を遂行したいものです。

今年も週末に陶土600kg届く

昨年は12月5日に栃木県益子町にある明智鉱業から陶土600kgが届いていました。今年は今日の昼ごろ陶土600kgが届きました。実はまだ使い切れていない陶土がありますが、念のため早めの措置を取ったのでした。以前大雪が降って運送会社から陶土を届けられないと連絡を受けたことがありました。材料を使い切ってしまった後だったので、大いに困りました。私の陶彫作品は陶土がなければ何も始まりません。まずは材料があることが基本なのです。陶土はどこにでも売っている代物ではありません。画材店さえ置いていない所が多いのです。横浜から比較的近いのは栃木県益子町で、昔から馴染みの明智鉱業に注文をしています。今日は陶土が届いただけでなく、職場関係の人の奥様が亡くなられ、私は午前中に告別式に行ってきました。工房に帰ってから早速制作に取りかかり、土錬機を回したり、タタラを準備しました。今日はいつものように大学院生が来て修了制作をやっていたり、職場の人が来て水彩画を描いていました。週末の工房は活発な創作活動があって、それぞれが充実した時間を過ごしています。土曜日はいつもウィークディの疲労で身体が動きづらいのですが、陶土が届いたことが嬉しくてパワーが出ました。明日も継続です。

「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」

現在、国立西洋美術館で開催中の「クラーナハ展」に展示されている絵画「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」の前で私は足を止めました。同じようなポーズを持つ作品に「ホロフェルネスの首を持つユディト」という絵画があって、こちらの方はポスターにもなっていて、多くの鑑賞者が群がり、大変盛況でした。ユディトの方は悪魔を打ち負かせたマリアとも称されて美徳を表しているそうですが、一方で女の企みと解釈されていて、描かれた内容を議論する楽しさがあります。「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」は、ユディトのように美徳を賛美するヒロインのイメージはなく、女性の残忍さの化身を表しています。サロメの物語は有名で、私もウィーン滞在中に何度も国立歌劇場で上演されたR・シュトラウス作曲による歌劇「サロメ」を観ました。実はウィーンに到着して間もない頃、人に勧められて初めて観たのが「サロメ」でした。暗い舞台に展開する過激な物語に、オペラとは何とキツいものだろうと辟易したのを覚えています。そのうち楽しいオペレッタを知って気分はいくぶん回復傾向にありましたが、R・ヴァーグナーの「リング」連作を観て、再び奈落の底に落ちていきました。そうした当時の鬱蒼とした気分がクラーナハの絵画と重なり、「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」を見つけた時に、憂鬱な想い出が甦ってきたのでした。でも今回は東京でサロメに遭遇したので、ダークな気分にはなりませんでした。聖書にある西欧民族の血生臭さを、防御ガラス越しに観るような感覚でした。アウエーで観る絵画は、触れてくる皮膚感が違うものだなぁと感じられた一場面でした。それにしても聖書にはさまざまな寓話が盛り込まれていて、異教徒である自分には憧れにも似たエキゾティズムを感じます。「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」には男の生首が描かれていて、ゾッとすると同時に、肉体に関しての文化の相違を感じてしまいます。「クラーナハ展」に出かけた日は、円山応挙や葛飾北斎を見た後だったので、なおさら西洋の絵画空間の捉えや構図の用い方が浮き彫りになったように思えます。ただし、秀逸な作品は洋の東西を問わず心に残るものだと思いました。

東京上野の「クラーナハ展」

東京上野にある国立西洋美術館は、金曜日に開館時間を延長していて、仕事帰りに立ち寄れるので有り難いと思っています。先日は職場で午後年休をもらって幾つかの美術館を回り、最後に国立西洋美術館に辿り着いたのでした。夜になっても「クラーナハ展」には大勢の人がいました。日本でルカス・クラーナハは知名度がないと思っていたので、鑑賞者は疎らではないかと想像していました。クラーナハ絵画の独特な表情や肢体をもつ裸婦像に魅了されている人が、日本でも増えているのは嬉しい限りです。私は30年前、ウィーン国立美術アカデミーに学んでいました。同校付属美術館にクラーナハの絵画がありましたが、そこから環状道路(リング)を歩いて数分のところにウィーン美術史美術館があって、クラーナハのコレクションが充実していました。今回来日していたクラーナハの絵画は、その特徴を余すところなく表出していて、北方ルネサンスの中核を担った巨匠の世界を堪能できました。クラーナハの工房で請け負った絵画は数多く「もっとも素早い画家」と称えられていたようです。図録には生産力向上の工夫が書かれていて興味をそそられました。「この高い生産力は、ヴィッテンベルグの工房内で制作作業の合理的な経済化と規格化がはかられたことによって可能となったものである。顧客の需要をほかと比べて速く充たすため、規格化された絵の寸法や構図、ならびに定型化された人物像や風景モティーフからなる、とても狭く限定された表現のレパートリーが導入された。これらのレパートリーは積み木のようにもちいられ、簡単に変化をつけることができた。絵画の仕上げはしかし、もっぱら効率化された作画技術の導入によってのみなされたのではなかった。そうした手法とならんで、クラーナハは宮廷画家の任務を引き受けてからわずか数年にして早くも、さまざまな協働制作者たちが容易に適用できる、なかば拘束力のあるひとつの工房様式を確立したのである。」(グイド・メスリング著)職業画家だったクラーナハは、同時代に版画を頒布して名声を得ていたA・デューラーに匹敵するほど広域にわたって絵画を提供していたのでした。

マグリットの超幻想的世界

現在読んでいる「シュルレアリスト精神分析」(藤元登四郎著 中央公論事業出版)の3人目に登場する画家はベルギー生まれのルネ・マグリットです。マグリットの生い立ちの中で彼自身が語る次の文章に、その後の創作活動を示唆するものがあります。「私が体験し、記憶に留めている最初の感情は、神秘の感情である。ある日、私は自分が眠っている揺りかごのそばにあった箱をみていて、その感情を覚えた。その箱は私が目にした最初のものであった。私にとっては、それは、視覚世界の最初の現れである」というものです。文中に文筆家渋澤龍彦によるマグリット評があり、マグリット絵画は熱狂的なものが取り除かれていて、一種の哲学的絵画であることを指摘しています。「たとえ女の裸体が描かれていても、それは肉の官能性の輝きを賛美するために描かれたのでもなければ、また作者の欲望や感情や、潜在意識やコンプレックスの投入されたものでもあり得ないから、この冷たい裸体は要するに、ただのオブジェにしかすぎないのである」と渋澤は語っています。冷静に事物を捉えつつ、またイメージを裏切っていくマグリット絵画は「一般に、眼は物の表面や形にだまされて、その裏側にある神秘を忘れさせてしまう。マグリットにとって、絵は現実をコピーするのではなく、哲学者のように思索し、『神秘を呼び出す』ものであった。」と著者も綴っているように、マグリット絵画のユニークな特徴が今までの引用で浮き彫りになっています。さらに引用を続けます。「マグリットが、ある異様な天性の感覚を持っていることは確かである。すでに述べたように、彼の最初の記憶は、揺りかごのそばにあった箱であり、母親の顔ではなかった。また、隠された物をみることができるともいっている。彼が、この異様に研ぎ澄まされた感覚で、意識が眠りに隠されようとする瞬間に、その向こう側を感じ取ることができたこともあり得ることである。」

12月RECORDは「つながる」

今月のRECORDのテーマを「つながる」に決めました。今年はひらがな4文字による年間テーマを設定して、日々RECORDを作っています。年間の締め括りとして「つながる」というテーマにした訳ですが、職場でも人と人の連携、コミュニケーションを最も大切にしています。私たちの職種では、連携や協働がなければ仕事が進められないのです。そうした人との関係性を視覚表現にするのは難しく、数多の現代美術家がさまざまな試みをしてきたと言っても過言ではないでしょう。たかだか小さなRECORDですが、人と人、人とモノ、モノとモノが繋がっていく状態を象徴的に描ければいいなぁと思っています。10年近くもやってきたRECORDなので、似たテーマは過去にもありました。テーマが似ていれば、絵柄も似てくるのは当然ですが、何度繰り返してもいいのではないかと最近は思うようになりました。今月は忘年会や納会などの夜のコミュニケーションも多く、その日のうちにRECORD制作時間の確保が出来るのか、微妙な1ヶ月になります。それでも頑張って継続したいと思っています。

友人パテシェのシュトレン

今年もクリスマス時期が到来し、ドイツ発祥のシュトレンを味わえる季節になりました。川崎市中野島にある洋菓子店「マリアツェル」に例年通りシュトレンを複数個注文しました。「マリアツェル」は自分が20代の頃、滞欧中に知り合った年上の友人であるパテシェが経営をしている欧州菓子の店です。オーストリアの首都ウィーンで、当時はよく彼と遊びました。友人は帰国して店舗を構えてからも、よく外遊してスィーツを食べ歩き、菓子材料を仕入れています。「マリアツェル」のシュトレンは材料を惜しみなく使っている上、彼の技巧もあって絶品の菓子パンになっています。シュトレンとはドイツ語で坑道とか地下道の意味ですが、キリスト教関連で幼子イエスを包むおくるみのようなカタチをしているとも言われていて、実際に白い砂糖で覆われた楕円形をしています。ドライフルーツやマジパンが入っていて、どっしりとした重みもあります。発祥は古都ドレスデンで、当初は現在のような豪華なものではなかったようですが、現在売られているシュトレンは私の大好物になっていて、職場に持っていってお裾分けもしています。我が家にはこの時期だけ、友人の丹精込めたシュトレンが溢れています。私はキリスト教信者ではないので、クリスマスはしませんが、シュトレンがあるためにクリスマスが近づいたんだなぁと感じているこの頃です。

週末 もうひとつの新作に向けて

現在作っている新作は全てテーブル彫刻で、背の低いテーブル彫刻と背の高いテーブル彫刻です。背の低いテーブル彫刻は4畳大のテーブルを設えた1点のみで、テーブル上に陶彫部品を複数配置して、架空都市をパノラマにして見せようとしています。一方、背の高いテーブル彫刻のテーブルは、面積で言えば1畳くらいの正方形ですが、テーブルの下に陶彫部品を吊り下げて、地下に広がる世界を表現しようとしています。背の高いテーブル彫刻は2点あって、両方並べて一対として展示する予定です。ただし、もうひとつのテーブル彫刻が個展に間に合うかどうか微妙だったため、1点だけ集中的に作っていました。最近になって制作状況が充実してきて、もうひとつのテーブル彫刻も制作可能と判断し、今日からもうひとつの新作に向けて猛ダッシュでスタートを切りました。テーブルの下に吊り下がる大きな陶彫部品が、今までの2倍必要になったわけですが、初めに作っていた陶彫部品とは、彫り込みを異なる加飾にしようと決めていて、当初のイメージをもう一度確認しました。今後は時間との勝負になります。今月後半に控えている休庁期間でどのくらい制作が進むのか、ここまで身体を酷使して大丈夫か、その都度折り合いをつけて頑張ってみようと思っています。気力は充満していて、今が人生を謳歌する時なのかもしれないと思いつつ、工房を一歩出ると疲労に襲われて弱気にもなります。明日から5日間は公務員管理職としての仕事が待っていますが、猛々しくなった創作活動に小休止を入れて、来週末にもう一度意欲を確かめようと思っています。

週末 昼夜の制作

週末がやってきました。このところ週末の創作活動は充実しています。集中力によって周囲が気にならなくなる状態が続き、心の充足感を得ています。今日も例外ではなく作業中は時が経つのを忘れました。最近の土曜日はウィークディの疲労が残り、身体が思うように動かず、いつものように焦燥感がありました。今日もその兆候はあったにも関わらず、何とか集中できたのが不思議です。ただし、制作工程のノルマは朝から夕方までの制作では終わらず、夕食後、再び工房にやってきて夜間制作で今日のノルマを達成しました。今日はどのくらい工房にいたのでしょうか。夜9時前に自宅に帰ったら、身体は完全に動かなくなりました。手もガサガサでした。昼間の制作と夜間の制作では気分が変わります。まず陽光が入るかどうかは大きな変化で、心理的な作用が影響します。人によっては人工照明の方が作業に集中できる人も多いのではないかと思うところです。私もきっと夜間の方が、陶彫の部分を作るには効果的ではないかと思っています。とりわけ彫り込み加飾は夜間の方が進みます。全体を眺めるのは昼間の光が必要です。今日のように昼夜を通して常に制作できるならば、その効果を狙うことができますが、なかなか今日みたいなわけにはいかないのが現状です。明日は元に戻して通常の制作にしようと思っています。

漱石没後100年に思う

文豪夏目漱石が亡くなって今日が100年目にあたる命日だそうです。大学の研究室が開発した漱石のアンドロイドがマスコミに紹介されていました。齢49歳で逝去した漱石は、早くして世を去った印象を拭えません。中学生の頃から読書癖があった自分は、漱石の小説に親しみました。日本の文豪の中でも一番作品に親しんだ作家と言えます。漱石ワールドの導入として「坊っちゃん」と「我輩は猫である」を読み始めました。その2つの小説は中学生だった私の気持を掴み、大変面白く読んだ記憶があります。言い回しの古さにも感銘して、当時の私の文章は恥ずかしいほど影響を受けていました。猫の眼を通して人間観察する場面では、その表現の巧みさに何度も笑わされてしまいました。20代でもう一度読み返したときには、中学生の頃には気づかなかった奥深い意味が理解できて、これは愉快なだけで終わってはいない小説であることを認識しました。抱腹絶倒な文章に多少苦みを感じたのもその頃でした。晩年の「こころ」に見られる倫理観の葛藤のような内面に迫る小説は、中学生の頃には完全に理解できず、年齢を重ねて漸く分かった次第です。夏目漱石が時代を超えて愛されている理由は、自己を含む人間の寄る辺ない存在の描き方が現在でも通用していて、年齢ごとの読書選択によって深い深層心理へと導かれるからではないかと思っています。「我輩は猫である」を傍らに置いて、飼い猫を観察していると、猫が逆に私を観察していて、その場その時の行動や思考を猫が批判しているように思えてきます。じっと遠くから私を見つめる猫の目力に、つい意識してしまう情けない自分がいます。

北斎 傘寿の表現力

東京両国にある「すみだ北斎美術館」は、葛飾北斎のあらゆるジャンルの作品を集めていて、北斎ファンならずとも一見の価値がある美術館です。建築は近未来的な装いがあり、またICT活用により楽しく北斎ワールドを堪能できるようになっています。北斎と言えば長寿を全うした画家として有名ですが、私が何より注目しているのは傘寿、つまり80代に描かれた作品の表現力の凄さです。寛永2年の春に90歳で世を去った北斎でしたが、「天我をして十年の命を長ふせしめば」さらに「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」と死ぬ間際に語ったそうです。あと寿命が10年あれば、いや5年あれば本当の画家になれるのに、という意味です。画工への道半ばという意識があればこそ、傘寿に描いた「南瓜花群虫図」(84歳制作)「朱描鍾馗図」(87歳制作)「柳に燕図」(88歳制作)に見られる卓抜した観察眼と和漢洋の技法を巧みに操った凄まじい表現力が表出しているのも納得できます。言うなれば、北斎の傘寿を晩年と呼ぶには、あまりにも強烈な作品群があって躊躇されるところです。私事になって恐縮ですが、私は60歳になって彫刻のことが少し分かってきたように思えています。20歳で彫刻の手ほどきを受けて40年が経ち、紆余曲折があっても東京銀座で個展開催も11回目を数えています。それでも本当に彫刻家と言えるのか自問自答するところですが、彫刻家になりきれていない自分を自覚する度、真の立体芸術を掴むのはまだまだ先のことと感じます。今が折り返し地点かなぁと何の衒いもなく思っています。北斎に倣うのは烏滸がましいのですが、あと30年自分に寿命が許されれば、きっと納得がいく彫刻ができると信じているのです。

東京両国の「北斎の帰還」展

先日、東京両国にある「すみだ北斎美術館」に行ってきました。目的はTVで放映された「須佐之男命厄神退治之図」の復元された絵をこの眼で見たかったことでしたが、美術館が企画した「北斎の帰還」展にも眼が奪われました。帰還とはどういう意味かと言えば、百年余りも行方不明になっていた幻の絵巻「隅田川両岸景色図巻」が再発見され、海外から日本へ里帰りをしたこと。もうひとつは世界に散逸した北斎の名画の数々が、北斎生誕の地に再び集められ、北斎専門の美術館で展示されたこと、この二つが帰還としての意味を表しているのです。私が印象深かったのは「隅田川両岸景色図巻」で、陰影に西洋画の技法を取り入れていて、錦絵とは違う写実性に富んだ絵画をじっくり味わえたことでした。図録によると「本絵巻は、両国橋から大川橋(現在の吾妻橋)、山谷掘、木母寺辺りまでの隅田川両岸の風景と、新吉原における遊興の様子を描いた639.9㎝に及ぶ北斎の肉筆画に、画中に登場する名所を読み込んだ横幅76.1㎝の江戸後期の戯作者、烏亭焉馬の狂文が付されている。」とありました。さらに「隅田川の水面に橋や船、岸辺の影がうつる様子が丁寧に描き入れられている点などは、西洋画法の研究を重ね、洋風風景版画も多く制作している北斎の研鑽の結果といえよう。」(奥田敦子 著)と内容を表す文章に、北斎の卓抜した画力を知ることができます。実に精緻で雄大な絵巻だろうと自分も溜息が出ました。遊郭に集う人々の様子もよく分かり、風俗を知る上でも最高の資料になると思いました。日本が世界に誇る葛飾北斎。その専門美術館が今まで無かったことが不思議です。北斎をもう一度堪能するなら東京両国の「すみだ北斎美術館」に再び足を運ぼうと思います。

「写生雑録帖」と「写生図巻」

根津美術館で開催されている「円山応挙展」に、応挙のエスキースと言うべき写生の原本が出品されています。応挙の完成度の高い写実的な絵画は、写生の原本に見られるような研鑽と修練によって到達した境地と言えます。私は完成した作品と併せて、その資料や下図となったメモを見るのが大好きで、そこには創作の秘密が隠されているからです。筆の運びや抑揚、色彩の濃淡、形態の把握、いずれをとっても真摯な学習姿勢が見られて、私自身も意欲を掻き立てられました。図録にこんな説明がありました。「『写生雑録帖』は、応挙が日頃携えて写生し、あるいはメモを取った、唯一残る原本と思われる。~略~実物写生を行うことにより、奥行、立体感、距離感、存在感等に現実味を付与しようとしたと考えられる。そこから生じる実在感のある応挙の絵が当時の人々に歓迎されたのである。」(木村重圭 著)今回の展覧会には「写生雑録帖」と「写生図巻」があって、余白を埋め尽くすスケッチの数々に、私は眼を凝らしてじっと見つめていました。「写生雑録帖」では、プロポーションの寸法をメモしたものや視点を変えて複数個描いたものがあって、対象を前に気軽ながら真剣に向き合う応挙の姿勢が見て取れました。「写生図巻」は部分を綿密に描いたものが多く、葉の捲れ方や枯れた状態や花と茎の関係を描いたもの等、観察の方法を示す手本になりそうな例が多くありました。カタチを徹底的に描写把握しているからこそ省略もありうる、ということを改めて感じました。

東京青山の「円山応挙展」

先日、東京青山の表参道にある根津美術館で開催中の「円山応挙展」に行ってきました。江戸時代に活躍した写生派の絵師円山応挙は、自分には思い入れの深い画家で、それまでの格式高い絢爛たる狩野派の絵師に比べると、作風に時代の新しさを感じさせるため、学生時代から各美術館に所蔵された応挙の作品に注目していました。ちょうど私は素描を習い始めた頃だったので、応挙の「写生雑録帖」に見られる対象の把握に驚嘆していました。図録によると「『雨月物語』の作者として知られる上田秋成が、早く応挙に関連して『写生』という言葉を使っているように、応挙という画家を歴史的に把握する際に『写生』の概念を抜きにしてはできない。~略~応挙は、時間をおいてよく似た作品をいくつも制作する一方で、ある時には一見異なる画風を共存させ、また時として突出して新奇な技法を披露する。段階的な画風展開でとらえるのが難しい画家なのであるが、それにも理由があるはずだ。気韻生動への渇望、それこそが応挙の写生画を更新し続けたのではないだろうか。」(野口剛 著)とありました。また「神仏、仙人、肖像、和漢の人物画、山水、風景、花木、鳥獣魚など。画面も色絵、扇面の小品から、掛物、衝立、屏風、襖、絵馬等、これもほぼすべてに描いている。画家は今日と違い、依頼を受けて描くものであるから、求められれば何でも描かなくてはならなかった。大きさもである。ほぼすべての画題を描いているということは、それだけ注文が多かったことを意味しているのである。~略~そんな応挙であるが、生涯、作品の出来に余りムラがないのも、画家として特異な存在といえよう。作品の大小、粗密はあっても、いわゆる手抜きと感じられるものは極めて少ない。無いというと言い過ぎか。それだけ応挙は真面目な人であったと見ている。」(木村重圭 著)ともあって、応挙その人を捉えた箇所は興味津々です。草一本描く時の、何でもない一筆が周囲の空気までも感じさせ、平面上に空間芸術を創出する凄さに自分はただ見とれるばかりでした。

週末 陶土との対話

以前のNOTE(ブログ)に、素材との対話が何を意味しているのか書いた記憶があります。制作に集中した状態が続き、疲れも何も感じなくなり、周囲の状況も見えなくなる高揚気分を、素材との対話という表現で自分は言い表しています。心中穏やかでなかったり、気がかりなことがあったり、意欲が伴わなかったり、腰が引けている時は、そうした素材との対話はやってくることはありません。精神の安定と意志の強さがないとその気分にはならないのです。自分の眼は、自分の手になり、素材だけを捉えて無我夢中で何かを探っている状態です。前後の見境がなくなるので、時間も空間もそこには存在しません。今日はそんな素材との対話が続きました。朝からいつものように工房に篭って制作を開始しました。今日も大学院生が一緒で、締め切りの迫った切羽詰った彼女の横顔を見ていると、自分も気合が入りました。私にとって素材は陶土です。自宅にいる時は手の皸(あかぎれ)が気になっていましたが、工房では身体を省みることはなく、陶土以外は眼に入らなくなっていました。タタラや紐作りで大きな陶彫部品を成形し、柱陶の彫り込み加飾を行っていました。昨日は乾燥した陶彫部品に仕上げや化粧掛けを施し、窯に入れたり、制作工程の確認をしたりして過ごしましたが、今日は陶土に立ち向かうだけの一日だったので、そのような精神状態になったのだと思います。工房での7時間弱は我を忘れて成形に没頭しました。夕方、我に返った時に肩や腰が痛んでいて車の運転がやっとでした。大学院生を車で送った後、自宅で動けなくなりました。心も身体も緩急があって当然ですが、今日は極端な一日だったようで、明日からの勤務に影響するのではないかと心配しているところです。