「池田宗弘展」における芸術と信仰

昨日、長野県麻績に住む彫刻家池田宗弘先生から、「池田宗弘展」の新聞批評の切り抜きが送られてきました。電話でも芸術と信仰について池田先生と長々と会話したことがあります。池田先生は私の大学時代の師匠で、人体塑造の基礎を教えていただきました。その頃はまさか先生と芸術や信仰について議論するとは思いもよらないことでした。「池田宗弘展」は長野県の朝日美術館で開催されていましたが、先月は私が自分の個展準備で多忙を極めていて、展覧会に行けずじまいで先生には失礼なことをしてしまいました。東京銀座のギャラリーせいほうの田中さんも展覧会には行けなかったと仰っていました。新聞記事によると今回の展覧会は、信仰をテーマにした先生の彫刻の集大成のような展覧会だったようで、時期がずれていれば必ず行っていたのにと思った次第です。池田先生は従来のキリスト教のテーマに加え、川崎大師に観音像のレリーフを制作されたようで、今では宗教を超えた信仰そのものをテーマにしています。信仰とは何か、実のところ私には難しい課題です。私は信仰の何たるかを知りません。そのため宗教の知識はあっても本当の信仰には至らないのです。人間はどこかで何かに縋りたい心を持っています。自己と向き合うと、耐えられぬほどの自分の脆弱さに気づき、それを補うために特定宗教の虜になったりするのではないでしょうか。芸術は私にとって精神安定剤のひとつですが、自己表現が自己都合ではなく、社会的な発言が可能になった環境を得た時に、己の考える芸術と信仰についての思索と実践が実を結ぶのではないかと、先生の意見を聞いて思うようになりました。私は自分の人生が急展開をしない限り、信仰をテーマにした作品は作れないだろうと思っています。一般的な信仰心を持っていても、それが今のところ自分の中心課題にならないからで、展覧会を通して先生から投げかけられたテーマを基に、自分の芸術にとっての主たる内容は何だろうかを考える契機にしたいのです。

17’図録の完成

やっと今年の図録が刷り上がってきました。職場には例年案内状と図録をセットにして配っているのですが、今年は案内状を先に配らせていただきました。今年度の図録も今まで通りの定番サイズにしてあります。同じサイズ、同じページ数の図録が過去を含めて12冊あります。毎年作品が異なるので、画像の雰囲気は違っていますが、撮影場所やレイアウトは同じです。今年の撮影は6月4日(日)の晴れ渡る空の下で行いました。以前の図録と画像処理を変えたのは、作品の切り取り加工をせずに、周囲の環境をそのまま使うことにしたことです。これは昨年からやっていることで、彫刻は作品そのものを明瞭に見せるより、光や陰影や空気までを取りこんだ風景全体で見せた方が、作品の存在感が増すと言う意見を取り入れたためです。その通りだと思いました。そうであるなら撮影日の天候が気になって仕方なかったのですが、幸運にも天候に恵まれたおかげで、今回の図録が完成できたと言えます。野外で設置準備をしている状況を撮影した見開きがあります。若いスタッフ総勢で動いていたことが記憶に甦り、今となっては楽しい一幕と感じます。いろいろな思いが交差する図録で、これが自分としてはひとつの区切りになります。個展に来ていただいた方に無料で配布しています。

体内時計の変化

周囲の高齢な方々を見ていると不眠症に悩んでいる人が結構います。60歳定年を過ぎても自分は再任用管理職として現役で仕事をしているため、定年前とまるで変わらない生活を送っています。まして30年も続いている彫刻家との二足の草鞋生活は、自分の年齢を忘れさせてくれる要素にもなっていて、創作活動に急き立てられる生活が日常化しています。そのため自分は不眠症に悩まされることが今までありません。寧ろ今はその逆で、夜になると眠くて仕方ないことが多いのです。誰にでも体内時計があって、睡眠時間と活動時間を自身が感知していると理解しています。体内時計は昼間浴びる太陽光線が影響しているとも言われています。10代終わりから20代初めの頃の自分は深夜に起きていることが多く、昼夜逆転の生活もありました。受験勉強しているとも言えない自分だけの時間で、正直なところは情緒不安を紛らわせるために創作の小宇宙に触れていたとも言えます。彫刻の専攻が始まると、夜は疲れて眠ることが多くなり、やがて社会人になって体内時計は標準に戻りました。それでも仕事から帰った夜の時間帯は、自分自身を取り戻せる貴重な時間でした。今も毎晩RECORDを描き、NOTE(ブログ)をやっているのはそのためです。最近はその貴重な時間さえ起きているのが辛くなり、睡魔と戦いながらRECORDやNOTE(ブログ)をやっている有り様です。明らかに体内時計が変化したと思っています。その代わり朝は目覚まし時計が鳴る前に起きてしまうことが多く、これは加齢によるものかなぁと根拠のないことを考えたりしています。若い頃は出来なかった早寝・早起き・朝ご飯を60代で漸く遂行している自分がいます。

何故奇想に惹かれるのか?

フランドルの画家ボスやブリューゲルの奇想天外な版画を、先日まで東京で開催していた「バベルの塔」展で見て、空想の産物を面白がる気質が自分にはあることを改めて認識しました。現在読んでいる「奇想の系譜」(辻 惟雄著 筑摩書房)に深く傾倒しているためか、奇想の独特なカタチやフォルムに惹かれてしまうのです。日本が世界に誇るアニメのキャラクターも、その発想の原点は東西の美術家が創造した魑魅魍魎であろうと思っています。自分が子どもの頃は、住んでいる地域にも闇が残っていました。雑木林は夜になると外灯もなく、何かが潜んでいても不思議ではない異様な雰囲気が漂っていました。狸や狐に人が化かさせることを本当に信じていました。人智を超えた創造物が身近にいること、それらに親近感を持っていること、霊界と交信できる手段があること、その他諸々の理解不能な出来事を、理解してはいけないものとして認識していることがたくさんありました。森林が開発されて宅地化が進み、空想の産物が美術やアニメの世界でしか出会えなくなった現在はどうなのか、パソコンの中の仮想現実に棲む魑魅魍魎しか身近にいなくなったため、自分は幼い頃の記憶を引っ張り出して、空想の産物を面白がっているのかもしれません。管理されている社会の中で閉塞感を覚える度に、もう一度出会いたい不思議な創造物。そこに生活の活性化を感じるのは自分だけではないはずです。奇想を扱った展覧会が盛況なのは、大自然が織り成す闇が、現代人に求められているのではないかとさえ思っています。

週末 次なる新作に向けて

昨日、個展出品用の梱包が終わり、今日から来年の新作へ向けて準備を始めました。私はひとつ作品が終わると、隙間を空けず次作に入ります。今までずっとそうしてきました。区切りがつくと心情的に休みたくなるものですが、そこを堪えて次作へ一歩踏み出してしまうのです。休みは制作途中で入れていきます。気持ちが乗ってきた時に、敢えて制作を休むのです。そうすればいくら休んでも必ず制作に気持ちが戻ります。社会的なニーズがなく、自分の意思ひとつでどうにでもなる世界、それがアートの世界なので、間髪をいれずに新作を作り、自分のモチベーションを保つのです。既に来年発表する新作のイメージは頭にあります。自分はエスキースを残しません。頭に仕舞っておいて、イメージが熟成するまで待つのです。さまざまなイメージが去来しますが、呆気なく消えてしまうものや、忘れてしまうものがあり、それらは具現化するまで辿り着けない淡いイメージだと言えます。そうした複数イメージの中から際立って強烈で忘れられないイメージが最終的に心に残るのです。さて、その強烈なイメージをどう具現化していくのか、今日はそこを考えました。工房内の温度が気になって土錬機の調子を見ないとマズイなぁと思いつつ、結局今日は思案しただけで一日が終わってしまいました。考え続けることは工房でなくても出来るので、明日以降もイメージの世界を彷徨います。職場の仕事との両立が暫く大変ですが、心の中は誰も見られないので、自分は上手く分けていこうと思っています。夕方は職場へちょっと顔を出し、自宅に戻ってからダイレクトメール(案内状)の宛名印刷の最終をやりました。個展まであと1週間なので、もう職場関係の人たちにもダイレクトメール(案内状)を送らなければなりません。今晩は160枚宛名印刷を行いました。

週末 梱包作業終了

17日(月・祝)から始まる個展に出品する作品の梱包が今日全て終わりました。明日は組立てに必要なビスやボルトナット、電動工具の確認チェックを行います。宛名印刷も残りは職場関係だけになりました。いろいろな意味で彫刻は大変な労力を伴い、搬入まで気が許せない状況なのです。今日は朝から真夏のような気温で、工房は茹だるような暑さに見舞われました。若いスタッフが自らの課題をやりに来ていましたが、昼食は2人で近くのファミリーレストランに避難しました。ファミレスにいると空調が効いているので、汗が消えてホッと出来るのです。明日も熱中症にならないように気をつけたいと思います。夜は職場関係の仕事があって出かけましたが、工房から夕方帰ってきたら、暫く身体が動かなくなりました。夜になって職場に出かけるのが辛かったのですが、職員分担があるので仕方なく出かけました。工房は断熱材や空調がないので、毎年蒸し暑くなります。汗を滴らせながら作業するのが、夏の風物になっています。大きな扇風機の他に、小さな冷蔵庫があって飲み物を冷やすことが出来ます。これは唯一の救いです。飲み物は多めに用意する必要があるなぁと思っています。明日は余裕が生まれそうなので、土錬機の調子をみようと思っています。ここ3週間ばかり土練りをしていません。おまけにこの暑さなので、土錬機を回して内部にこびりついた陶土を柔らかくしておかなければなりません。土練り用のプロペラが錆びつかないようにしたいと思います。

7月RECORDは「うかぶ」

何か得体の知れないモノが浮揚しているイメージが私にはあります。別に眼科疾病を伴う飛蚊症のことを言っているわけではありません。自分の造形イメージは長年関わってきた彫刻としてのイメージが主で、それは大地から立ち上がり、重量や量感のある物体のことです。RECORDにはそうしたイメージを描き留めているシリーズもありますが、重力から解き放たれ、モノが浮かんでいる状態を描きたくなる衝動が湧き上がることもあるのです。二次元世界はそういう意味では自由です。モノとモノが空間の中に点在している様子は、壮大な宇宙であったり、または顕微鏡で覗き込んだミクロの世界だったり、空想を冗長させる楽しいイメージです。今月のRECORDはそんなテーマで取り組んでいます。もうひとつ、今月こそ山積みされたRECORDの仕上げをやっていきます。一日1点制作のRECORDの初めの主旨が失われつつある現状を何とか変えたいのです。個展が終われば、多少ゆとりが持てるのではないかと思っています。7月から来月にかけて初心を取り戻すべく、RECORDに重みをつけて頑張りたいと思います。ポストカード大の小さな世界だからこそ可能な表現方法もあります。実験的な試みも出来るはずです。今まで皺寄せがあったRECORDが、今月は脚光を浴びるような集中した制作をやっていきます。

17’個展案内状の宛名印刷

個展開催まで2週間を切ったので、昨晩からダイレクトメール(案内状)の宛名印刷を始めています。住所の確認があって一晩だけでは印刷が終わりません。ダイレクトメール(案内状)はギャラリーせいほうに1000枚、私の手許に500枚あります。ギャラリーから美術関係者や関連出版社等に送られるはずで、私からは友人や知人に送っています。住所がわからなくなっている方々もいらっしゃいますので、このホームページをご覧になっていられたら、扉に情報をアップしていますので、よろしくお願いします。内容は「相原裕展 陶彫・『発掘』シリーズⅨ 2017年7月17日(月・祝)~22日(土)AM11:00~PM6:30 ギャラリーせいほう 〒104-0061東京都中央区銀座8-10-7」です。ギャラリーせいほうの最寄り駅は、JR新橋駅銀座口または地下鉄銀座線1番出口です。新橋駅から歩いて数分のところにあり、ビルの1階でガラス張りになったギャラリーなので、比較的分かりやすい画廊かなぁと思っています。銀座大通りの「天國」という老舗の天ぷら屋さんの裏です。12年間ずっと個展を開催していると、銀座も毎年のように風景が変わってきているのを実感しています。新しい商業施設「銀座シックス」が出来たり、ギャラリーの向かいにあった真珠店のビルがなくなっていたり、伝統的でお洒落な街ですら移り変わりの激しい世相を反映しているようです。外国人観光客は相変わらず多いと感じますが、買い物の種類が変わってきているのではないかと思っています。個展の開催時期は夏季休暇前になってしまいますが、一度東京銀座に足を運んでいただけたら幸いです。

ボスとブリューゲルについて

私が滞欧していた1980年代は、ウィーン幻想派の流行がやや下火になっていた頃でした。ウィーンの旧市街はゴシックやバロック時代の建造物が軒を並べていて、その装飾に富んだ建物の面構えは、異文化の中で彷徨う東洋人を圧迫するのに充分な迫力がありました。昼間は情緒がある街角でも、夜の帳が降りると建物はさながら怪物のような容貌に変化するのでした。そんな環境なら魑魅魍魎が入り込む余地がありそうで、幻想絵画が登場する素地があったように思います。ウィーンには美術史美術館があり、ブリューゲルのコレクションが有名です。ブリューゲルの絵画は宗教性より風俗性が目立っていて、農民生活の風習や諺も隠されていて、私は飽きることなく眺めていました。美術館に行くと、ブリューゲルの絵の中に入り込み、絵画空間を散歩することが当時の私の密かな趣味でした。その先達のボスも私が大好きな画家で、在籍していたウィーン国立美術アカデミーに隣接する付属美術館に「最後の審判」がありました。ボス(私にとって馴染みがあるのは独語のボッシュです。)は渡欧前に知識を仕入れていたわけではなかったので、美術館で初めて見たときは本当に驚きました。ウィーン幻想派と見違えるくらいでしたが、これが中世に描かれたことを知って興味津々になりました。スペインを旅行した時に、どうしてボスのコレクションに気を留めなかったのか悔やみました。東京では閉幕してしまった「バベルの塔」展にもボスの「放浪者(行商人)」と「聖クリストフォロス」の2点が来日していました。時代的には宗教画としての伝統が見て取れますが、それ以上にボスは奇妙な創意をつけ加えていて、ボス特有の怪物たちが跋扈する世界に、現代に通じる幻想世界を認めるのは私だけではないでしょう。幻想絵画を生み出したウィーンの美術館で見たボスとブリューゲル。あまりにも合致する環境の中で私が魅了されたのも自然だったのではないかと振り返っています。

上野の「バベルの塔」展

既に東京で展覧会が終わっている「バベルの塔」展をここで取り上げて大変恐縮ですが、展覧会の会期終了間近に慌てて見に行ったため、感想が後になったことをお許しください。これから「バベルの塔」展は大阪に巡回しますので、大阪に行った折にご覧いただく機会があれば幸いと存じます。自分は今回来日していたブリューゲルやボスの絵画には思い入れが強く、過去のNOTE(ブログ)にも幾度となく取り上げています。20代の頃、ウィーンにいた自分はウィーン美術史美術館で、今回来日していた「バベルの塔」より前に描かれた1563年制作「バベルの塔」を何度も見ていて、印象が目に焼き付いています。オランダのボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館の1968年制作の作品はウィーンのそれより小さいながら極めて緻密に描かれていて、その超絶技巧に目を見張りました。とりわけ東京藝大による3DCGによる建築的解説は、非常に面白く、名画に一層の興味を湧かせる効果がありました。ウィーンの作品と今回来日したロッテルダムにある作品の比較が図録にありましたので引用いたします。「より広く親しまれているのは、1563年に制作されたウィーン美術史美術館の作品であり、画集で目にする機会も遥かに多い。それに比べてボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館の絵は、サイズが小さいうえに基本的にはウィーンの絵の『焼き直し』と捉えられているせいか、知名度の点では後塵を拝しているが、実際には創意を欠いた『縮小再生産』からは程遠い、独自の存在意義を備えた傑作である。大気と光の精妙な描写、明暗のグラデーション(諧調)の豊かさ、そして色彩の鮮やかさの各点において、このロッテルダムの絵は第1作を上回る出来栄えを誇っている。」(高橋達史解説)私はウィーンの絵よりも、さらに完成に近づいたバベルの塔をそこに見取り、さらに深みのある色彩により空間の幅が生まれているように感じました。構築性のあるものが好きな私には、ずっと見ていても見飽きない魅力がありました。

HPに17’個展案内状をアップ

先日、個展のダイレクトメール(案内状)の印刷が出来上がってきて、東京銀座のギャラリーせいほうに届けたところですが、ホームページにも案内状をアップすることにしました。私の手許に残っている案内状は僅かなので、多数の人に広報するために例年ホームページを使っています。今回の案内状の画像は野外で撮影した「発掘~宙景~」です。工房の前に野外制作が出来るようにコンクリートを敷き詰めた空間があります。陶以外の石材や金属を加工するために作った場所でもあるのですが、今のところ作業には使っていません。規模が違い過ぎますが、「イサムノグチ庭園美術館」で見た石壁サークルが野外工房の発想になっています。いずれ陶彫と石彫を組み合わせることはあるのでしょうか。もしそんな機会が訪れたら、野外工房に石を点在させて制作に励みたい意向が自分にはあります。案内状の撮影に話を戻しますが、この日は晴れて気持ちのいい陽気でした。新緑が美しかったので、案内状にはそんな風景も入ってきています。野外での撮影は光と影が織りなす美しさがあり、そこに空気感も感じられて作品が豊かな表情を見せるのです。案内状は個展のイメージアップに繋がるかなぁと密かな思いを抱いています。

週末 工房付近にいた陸亀騒動

新作の梱包が終盤を迎え、朝から工房に行こうとしたところ、工房のある植木畑に見慣れない物体が動いていました。長さは40cmもあろうかという陸亀でした。陸亀は工房への路を塞いでいて、私はちょっと驚きました。確か先週だったか、仕事から帰ってくると、家内が驚いたことがあったとその日の顛末を私に話して聞かせました。その日、自宅に隣接する小さな十字路に大きな亀がいて、郵便局員が知らせてくれたと言うのです。警察に連絡をした後、近所の人たちも出てきて、区の土木事務所にも連絡をしたようです。土木事務所の人が陸亀を引き取っていったそうですが、今回の陸亀はそれと同じものかどうかはわかりません。その時と同じ巡査がやってきて、前回とは違う陸亀かもしれないと言っていました。今日は日曜日なので土木事務所はやっていませんでした。警察が来るまで陸亀がぐんぐん移動してしまうので、私は畑にあった鉄柵を捥ぎ取って、陸亀の前を塞ぎました。陸亀をよく観察すると、小さな目が可愛らしくて気に入りましたが、拾った陸亀を飼うわけにはいかず、警察官が数人で捕獲してパトカーに乗せていきました。拾った猫のトラ吉の次が拾った亀のカメ吉では洒落になりません。ただし陸亀をそのまま放置しておくと路上に出て行く可能性もあり、陸亀の命が危険に曝されるので、警察に連絡をしたのでした。どこかの家で飼っていた陸亀が逃げ出したのではないかと思っていますが、近所迷惑なことです。この騒動があって工房での梱包作業のヤル気がなくなりました。来週末でも間に合うので、最終的な梱包は次回にしようと思います。今日は時間ができたので、家内と夏季休暇をどこに行こうか話し合いました。私は故宮博物院を見に台湾に行きたいと家内に言いました。たまにはこんな余裕の日があっても良いのではないかと思いました。

週末 7月個展開催と次のステップへ

7月になりました。今月は東京銀座のギャラリーせいほうで個展を開催いたします。毎年やっていて、今年で12回目の個展になります。これも例年のことですが、今月は来年に向けた最新作を始める第一歩となります。最新作のイメージは既にあります。今月は創作活動の次へ繋がるステップになる1ヶ月でもあるのです。次のステップとして、さらにテーブル彫刻を極めたいと思っています。最新作は大小のテーブル彫刻を複数作ろうと考えています。まだ朧気なイメージしかありませんが、思索がまとまれば制作を始めます。出来れば個展開催の前から最新作に入りたいと思っています。今日は個展に出品する「発掘~宙景~」の梱包が全て終わりました。陶彫用の木箱は7箱作りました。「発掘~座景~」は陶彫部品のひとつずつが小さいので、箱数は少なくて済むかなぁと思っています。これは明日やっていきます。ともかく今月は、彫刻の展開が今年の個展出品作から来年の出品作へバトンを引き継ぐ1ヶ月になるので、充実した時間を過ごしたいと願っています。展覧会も大きな美術展が開かれていて、鑑賞も充実させたいと思っています。RECORDは下書きだけで山積みになったものを何とかしたいと考えています。ほぼ3週間分はあるでしょうか。毎晩数日分ずつ彩色や仕上げをやっていけば追いつくのではないかと思います。読書も新しい書籍に挑みたいと考えています。毎年夏になると読書三昧になるのが学生時代からの習慣ですが、ここ数年はなかなか夏休み気分になれなくて、そのままの生活が続いています。夏季休暇はしっかり頂いているのですが、念願のアジア旅行に行ってしまうことが多くて、読書には時間が割けません。今年の夏こそ夏らしくしたいと思っています。

6月は鑑賞が充実

今日は6月の最終日です。今月を振り返ると4日に新作の写真撮影がありました。多くのスタッフが来てくれて、撮影は何とか無事に終えることが出来ました。その画像をもとに案内状を印刷し、先日図録の校正を済ませたところです。ギャラリーせいほうとの打ち合わせも行いました。週末はもっぱら新作の梱包作業に追われました。梱包は来月も続きます。今月は新作の完成まで封印した鑑賞を充実させた1ヶ月でもありました。今日も金曜日の延長開館時間を利用して東京上野の「バベルの塔」展に行ってきました。入館まで30分待ちという、以前の「若冲展」を髣髴とさせる混雑ぶりでした。内容に関する詳しい感想は後日に回します。その他にも京都の細見美術館の「杉浦非水展」や京都国立近代美術館の「戦後ドイツの映画ポスター展」とジュエリーを扱った展覧会、神奈川県立近代美術館葉山の「砂澤ビッキ展」、横須賀美術館の「デンマーク・デザイン展」、東京ステーション・ギャラリーの「アドルフ・ヴェルフリ展」、千葉のDIC川村美術館の「ヴォルス展」、今日行った東京都美術館の「バベルの塔」展と7つの展覧会を見て回りました。映画鑑賞ではアカデミー賞作品賞に輝いた「ムーンライト」、実存する人物を扱った「ローマ法王になる日まで」、民族楽器を通して国々の事情と伝統継承を扱った「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」の3本を、いずれも橫浜市中区のシネマジャック&ベティに観に行きました。1ヶ月で展覧会7つと映画3本は今までにない充実ぶりでした。新作が終わった安堵感と表現への渇望が、この展覧会や映画鑑賞に繋がっていると思っています。来月には個展開催と同時に来年に向けた最新作に取り組む予定で、制作と鑑賞の両輪をバランス良くやっていきたいと思っています。RECORDは下書きが山積みされているので、少しでも完成に到達するように取り組みたいと考えています。読書は2冊同時に読んでいますが、これは継続です。

「伊藤若冲論」幻想の博物誌

自分の鞄に携帯している書籍は「聖別の芸術」(柴辻政彦・米澤有恒著 淡交社)と「奇想の系譜」(辻 惟雄著 筑摩書房)で、その時の気分によって交互に読んでいます。今回は「奇想の系譜」に登場する江戸時代の絵師伊藤若冲を取り上げます。伊藤若冲は最近、東京都美術館で大きな展覧会があって、その混雑ぶりが話題になったほど私たちに定着している有名絵師ですが、私が学生だった40年前は今のような圧倒的な人気を誇ることはなく、ほとんど知られていなかったように記憶しています。伊藤若冲を広めたのは1970年に初版された本書でなかったかと想像しています。写生画としては円山応挙が有名ですが、若冲は写実の正確さより画面全体を構成する象徴的なフォルムに独特な感性があって、それが現代の鑑賞眼からすると斬新で面白い印象を与えるのではないかと推察しています。本書にこんな文章がありました。「『綵絵』の画面構成は、どれも共通した特色を持っている。それは一種の無重力的拡散の状態に置かれたといってよいような空間である。波状型曲線の組み合わせに還元された動物、植物、鉱物のさまざまなフォルムが、そのつかみどころのない空間のなかで、蠕動し浮遊する。それらのなかには『蓮池遊鮎図』の蓮のように、海底都市とか、火星の植物とかいったSF的な連想を喚び起こすものや、あるいは『老松白凰図』の鳳凰の尾羽の桃色のハート型の乱舞のように、それこそサイケデリックな幻覚を誘い出すものすらある。」(辻 惟雄著)あたかもシュルレアリスムを論じているような文章で、それが現在の若冲人気を裏付けている要素であろうと思っています。

12冊目の図録作成

今月4日に新作の写真撮影が終わり、17日に案内状や図録用の写真を選び、23日に案内状の印刷と図録のレイアウトが出来上がってきました。案内状1000枚はギャラリーせいほうに既に届けてあります。今日は図録の色校正を確認する打ち合わせがありました。先日のNOTE(ブログ)に東京銀座のギャラリーせいほうとの付き合いが12年になったと書きましたが、カメラマンとの付き合いも12年になったわけです。気心が知れた仲というのは、こういうことを言うのでしょうか。画像処理をカメラマン任せでやってもらっても、自分の好みに合う仕上がりになっています。私はずっと同じ大きさ、同じページ数で図録を作ってきました。当初図録のサイズを揃えることに拘るつもりはなかったのですが、同じシリーズの図録が12冊あれば、それなりに説得力をもつものになっていると感じます。よくぞこんな図録を12冊も作ってきたなぁと思っています。図録の最終ページにセルフポートレイトを掲載していますが、12年前に比べると自分の加齢を意識せざるを得ません。今後アップはやめておこうと思いました。私の気に入っているページは、野外工房にスタッフ総勢が出てきて、作品を組み立てている場面を撮影した見開きが好きです。それから室内工房で作品全体を撮影した見開きも気に入っています。図録は集合彫刻を作る者には重要なもので、解体して倉庫に仕舞いこんでしまうと作品を確認できるのは図録だけなのです。図録は自分とカメラマンが協働する作品のひとつです。図録の印刷は2週間を見積もっています。

「土谷武論」 閑寂のかたち

野外展示された彫刻家土谷武の颯爽と空間を切る作品を、折に触れて見てきました。鉄と石を組み合わせ、大きく空間を捉えた作品は、ハッと眼に焼きつく印象を私に与えました。生前の作家を40年も前に一度だけ自分が学んでいた大学でお見受けしました。その時は保田春彦先生に呼ばれてきた感じで、土谷先生は手持ち無沙汰に佇んでおられました。「シルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田 遺作・遺稿」(世代工房刊)に保田先生の奥様への追悼文を土谷先生が書かれているのを発見して、保田先生とは公私にわたってお付き合いがあるんだなぁと思っていました。1998年の東京国立近代美術館であった「回顧展」で土谷先生の作品が大きく変貌を遂げていて驚きました。重い鉄を薄く伸ばし皺くちゃにして、まるで紙のようにフワッと置いているのを見て、これはどうやって作るんだろうと不思議に思っていました。その意図するところや制作状況を「聖別の芸術」(柴辻政彦・米澤有恒著 淡交社)に記されていたので、引用いたします。意図するところは「土谷は閑寂というような、たとえ誰かがよほどの感性を密かに自負していたとしても、聞こうとして聞けず、触れようとしても、見ようとしても、探そうとしても、空に空を切るように手応えとてない、だだっ広い宙空の、しかし現にある八百万の無のかたちを正視して、そのかたちを目に見える彫刻に響かせて我々の前に提出してくれる。」というもので、成程こういうことかと思いました。制作に関しては作者の言葉が掲載されていましたので、そのまま載せます。「私は鉄のトンネルの外側からバーナーで炙り、手伝ってくれる若い彫刻家たちがトンネルの内と外に分かれ、真赤になった鉄をハンマーで叩く側と当て金をもって支える側になる。もちろん耳栓をしてヘルメットをかぶり、作業用眼鏡、革手袋、作業服、安全靴で身を固め、内と外は適宜に交替し、休息も十分とりながらとはいえ、延々といつ終わるとも知れない仕事が続く。時には我慢の限界を超えることもあったかと思うが若い仲間たちはよくついてきてくれた。我々は力を尽くして得心のゆくまで、つまり、虫の領域の出現するまで真赤に炙って叩きに叩くのである。」凄まじい制作振りが伺える文章でした。

DM持参でギャラリーへ

個展のダイレクトメール(案内状)が先週金曜日に出来上がってきました。それを1000枚持参して東京銀座のギャラリーせいほうへ行ってきました。職場で半日年休をいただいて、久しぶりに銀座に出かけ、ギャラリーせいほうの田中さんに会ってきました。私は個展を毎年開催していて、今回で12回目の個展になります。田中さんとの付き合いも12年になりました。初めの頃は作品のストックもかなりあって、余裕のある中で個展を開催していましたが、毎年発表しているためストックがなくなり、今では自転車操業になって完成まで危ない綱渡りをしながら、何とか個展に間に合わせています。週末になると制作に鬼気迫るものがあり、精神的に自分を追い詰めていくのが当たり前になっています。「1年間かけて制作してきて、これが限界だ。」と個展中自分がつい言葉にしてしまう台詞ですが、これが本音であり、また雑念を取り除いてフロー状態に自分をもっていく快感でもあるのです。集中力にも緩急があることが12年もの長い間に極意がわかってきました。さほど緊張を伴わない労働の蓄積が暫く続いて、そこを生かすために最終的に緊迫した制作になっていくのです。図録撮影日の2ヶ月くらい前が緊張のピークです。実はその時は職場も年度末と年度当初の過渡期になって多忙を極めているのです。公務員と彫刻家の二束の草鞋生活が上手くいかないと感じるのは、この時だけです。それでも何とか乗り切れば、人間らしい生活を取り戻してきて、美術館や映画鑑賞を楽しむことができるのです。今日は搬入の打ち合わせもしてきました。今回が12回目となると搬入や搬出も慣れたもので、自分の作品のことをよく知ったスタッフたちが手伝ってくれるのが有り難いと感じます。いよいよ7月個展に向けて自覚が芽生えてきました。

週末 陶彫用木箱を作り始める

工房は朝からスタッフが2人来ていて活気がありました。中国籍のスタッフは日本の浴衣が欲しくて、家内が知り合いの呉服屋に彼女を連れて行き、浴衣選びをしたようです。気に入った浴衣を購入して、工房に帰ってきた彼女は上機嫌でした。彼女は呉服屋で浴衣を選んでいる最中も、中国の母親に画像を送って、母親にも意見を求めていたらしく、家内と中国の母親の趣向が一致したので、これにしたんだと私にも画像を見せてくれました。ネットで世界は狭くなったなぁと思いつつ、美人で細身の彼女には浴衣がよく似合っていました。工房では新作の梱包が進み、シートで覆う木彫部品の梱包は終了しました。残るは陶彫部品の梱包で、このために毎年木箱を用意しています。最初の頃は陶彫部品のサイズによって木箱の大きさを変えていましたが、板材に無駄が出るので、ここ数年は同じ大きさの木箱を作っています。木箱には複数個の陶彫部品を入れるようにしていますが、あまりひとつの箱に重量がかからないように調整しています。昨日購入してきた板材を組み立て、とりあえず3箱作りましたが、今回はどのくらいの木箱が必要なのか、陶彫部品を箱に収めながら作っていきたいと思っています。同時に個展搬出後、倉庫に新作が収まるかどうか考えていかなければなりません。売れないことを前提にしている自分が情けないのですが、倉庫はかなり狭くなってしまっていて、工夫しなければ収まりません。また来週末に考えていきます。

週末 梱包に明け暮れる

週末になりました。集合彫刻を分解したカタチでそれぞれ梱包するのは、かなり手間がかかる作業ですが、個展に向けて安全な搬入・搬出と、作品を倉庫に保管をするためには仕方のないことだと割り切っています。梱包は創作活動のような面白みはありません。他の彫刻家はどうしているのかなぁと思いつつ、ひとつずつ柱陶をエアキャップで覆ってシートに包みます。台座や柱陶はシートに包みますが、陶彫部品は木箱を作って入れています。そろそろ木箱を準備しなければならず、夕方は板材を買いに専門店に行きました。梱包をしている時は、創作をしている時以上に店に出かけて、材料の追加購入があります。今日は運搬業者との打ち合わせもありました。あれこれやっているうちに時間が流れていきます。梱包作業は、創作活動のような精神の高揚がないため漫然と時間を過ごしているので、早く新しい作品に取り組みたいと思っています。新作を併行してやってしまうと、梱包は遅々として進まない状況に陥るので、梱包が3分の2以上終わったところで、新作に手を出そうと思っています。前まで同時に作っていた「発掘~宙景~」のもうひとつの作品が傍に置いてあって、気になって仕方がありません。今日来ていた若いスタッフは自らの作品のための実験を繰り返していて、私は遠くから羨ましいそうに見ていました。新作に早く取り組みたいという思いを堪えて、明日も梱包作業の続きです。

映画「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」雑感

仕事から帰った夜の時間帯にミニシアターに出かけ、「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」を観て来ました。これは家内が希望した映画で、家内は胡弓奏者としてこの映画が主張する伝統継承についての確認をしたかったようでした。家内は「私がやろうとしているのは間違っていない」と何度も感想を洩らしていました。世界的なチェロ奏者として知られるヨーヨー・マは幼い頃から才能を発揮し、クラシック界では神童と呼ばれるようになりました。彼が高いモチベーションを保つため、世界の民族楽器を集めてアンサンブルを行ったのが、シルクロード・プロジェクトでした。実験的だったプロジェクトは高次元で融合されるようになり、映画では終始その響きが流れていて、その豊かな楽想に魅了されました。社会情勢が微妙なアジアや中東の音楽家たちは、伝統楽器の巧者になっても後進を指導することは叶わず、幾多の試練を乗り越えて、プロジェクトに参加していました。準主役のケイハン・カルホールはイラン出身の伝統弦楽器奏者、同じく中国出身のウー・マンは女流の中国琵琶奏者、クラリネット奏者のキナン・アズメはシリア出身、女流バグパイプ奏者のクリスティーナ・パトはスペインのガリシア出身、その他にも多彩な音楽家たちが自国の文化とともに取り上げられていました。伝統はそのままでは廃れる一方で、常に新しいコラボレーションを探り、融和と対峙を繰り返しながら、現代の民衆に合った多彩な表現を手中におさめなければなりません。これがこの映画が求めている伝統継承の姿だろうと思います。音楽の意義を問う場面が随所にあり、それは私がやっている造形美術にも通じる要素で、自分は何のために創作活動を行っているのか、この映画を観てその根幹を問いただすことになりました。家内も私も有意義な時間を過ごせたと思っています。

アンフォルメルとヴォルスの関係

先日、DIC川村記念美術館で開催されていた「ヴォルス展」に行き、ヴォルスが生きた時代に興った美術の潮流に思いを馳せる機会を持ちました。それはアンフォルメルという一連の動きで、仏語で非定型な芸術という意味です。代表される芸術家はデュビュッフェやフォートリエ、マチュー等でフランスを起点に活動しましたが、アメリカでもポロックに代表されるアクション・ペインティングが始まりました。第二次大戦後の都市破壊が夥しい混沌とした社会情勢の中で、アンフォルメルは戦争による不条理を経験した人々が、自己の存在や実存を探る動きでもありました。そうであるならヴォルスが産み落とした痛々しい作品の数々は、まさにアンフォルメルそのものであったように思います。図録によると「ヴォルスの作品こそが『アンフォルメル絵画』の最深の地平にまで到達していると仮定するなら、『アンフォルメル絵画』とは、ひたすら『感覚』によってだけ人間の崩壊を追求しようとした、不可能に挑んだ偉大な、しかし必敗を運命づけられた試みのことではないだろうか。」(千葉成夫解説)とありました。私が40年前に読んだ「見えない彫刻」(飯田善国著 小沢書店)にはこう記されています。「ヴォルスは戦後美術の出発点である。近代的自我の泥沼の中の格闘から彼は自我を解放した。彼はヨーロッパ二千年の文化の崩壊をその眼で確かに見たのである。『虚無』を媒介にして彼は自我の袋小路から超越の世界へ一歩踏み出して死んだ。彼は『零』の意識そのものである。そこから戦後の美術家たちは出発した。~略~ヴォルスが表現した空間は『虚無の深淵に漂っている意識の宇宙』とでもいうよりほかいいようのない怖ろしい悪魔の世界であったが、そこでは近代的自我は粉々に砕け散って暗黒の宇宙にさながらきれぎれに飛び散る星雲の細片のように見えるが、仔細に見ると粉々に砕け散った自我の微小な細片を一つの中心に収斂する重力が存在しているのであって、これを超自我と名付けてよいかもしれない。」(飯田善国著)些か難しい言い回しもありますが、ヴォルスの現代絵画史での立ち位置がわかる論評ではないかと思います。

千葉佐倉の「ヴォルス展」

DIC川村記念美術館は、千葉県佐倉市の森の中にあって中世の城を彷彿とさせる美しい景観を持つ美術館です。ここでは私の感覚を擽る企画展が時々あって、橫浜から遠い美術館でもよく出かけます。箱の造形作家コーネルや、黒い家具のような彫刻を作ったニーヴェルスンの展覧会は、この美術館で見ることが出来ました。今回の「ヴォルス展」も同様で、自分にとっては長い間、謎に包まれた画家の全貌を知ることが出来た展覧会でした。先日のNOTE(ブログ)で書いた通り、20代初めに私はまず評論でヴォルスを知りました。絵画を見ることがその後になってしまったので、先入観を払拭することが出来なかった画家でしたが、今回まとまった作品を見て、漸く自分なりのヴォルス・ワールドを捉え直すことが出来ました。ドイツの裕福な家庭に育ったヴォルスは、音楽や学問に長けていたようですが、父亡き後は家を離れ、フランスに渡り、どこまでも彷徨を続けていました。第二次大戦が勃発して、収容所生活を送る羽目になったヴォルスでしたが、15歳年上のフランス国籍を持つ女性と結婚したことで釈放され、写真で稼ぎながら内面を吐露した絵画も始めていました。睡眠を取らず、酒に溺れ、自暴自棄とも思える生活の果てに腐りかけた馬肉で食中毒を起こして38歳で他界、これがヴォルスの人生でした。図録によると「本当は、たぶん、自身の内面に向かってしか彷徨できなくなった彼が絵画に捉われてしまった、ということなのだ。~略~そう考えなければ、そこから死までわずか12年あまりの、作品数からいってもそのなかみからいっても濃密な、濃密というよりあまりにも集中的で、没我的で、見方によっては自己滅却的ないし自己放棄的な制作のありようをうまく理解することができない。」(千葉成夫解説)とあります。まさに作品は危険な要素を孕んだ切迫感のあるものばかりで、このNOTE(ブログ)では語り尽くせないため、また機会を改めてヴォルスの世界観を探りたいと思います。

映画「ローマ法王になる日まで」雑感

私が常連になっている橫浜のミニシアターには夜の時間帯に上映するレイトショーがあって、仕事から帰ってから映画を楽しむことが出来るのです。今回観た映画は「ローマ法王になる日まで」という実在の人物を扱った映画でした。これは単なる立身出世のドキュメンタリーではなく、制作スタッフが法王の若かりし頃の行動を現地で丹念に調べ上げた探求の成果であろうと思いました。監督のインタビューに「多くの素材をもとにした解釈」「現実と架空のあり得る要素のミックス」という言葉があります。また人々の中には法王を「仮面を被った保守主義者」や「見た目ほど革新的な人物ではない」という評もあって、法王の人物像に迫るのに大変な苦労を伴ったことが垣間見れます。第266代ローマ法王フランシスコは、アルゼンチン出身の異色の人で、彼ベルゴリオが軍事政権の中で司祭として不当な仕打ちを受けたり、貧困と寄り添う状況が、映画では危機感をもって迫ってきます。時に政府に苦言を呈し、立ち退き住民と市との交渉役をしたり、現実と架空が入り交じる映画ではあるけれども、ベルゴリオの憤りはリアルに伝わってきました。映画のパンフレットから言葉を引用いたします。「本作は、いかにも英雄として彼を描き出すことはしない。自分の無力さに打ちのめされ、時に信条に反して仲間を説得し、怒りに震えて嗚咽を漏らすベルゴリオの姿や息遣いを、等身大の人間としてリアルに映し出す。それによって我々は、遠い国の過去の出来事としてではなく、非常にエモーショナルに彼が生きた時代を追体験させられることになる。」

横須賀の「デンマーク・デザイン展」

横須賀美術館は海に面した美しい景観をもつ美術館です。今まで何回か訪れた中で、今回の展覧会は美術館の美しい雰囲気をそのまま投影したような洒落た内容で、若い女性スタッフを連れた私は、ちょっといい気分で「デンマーク・デザイン展」を見ることが出来ました。デンマークのデザインは個性を強烈に出すものはなく、全てが洗練され、使い勝手が良さそうなモノが並んでいました。室内全体を統一したトータル・デザインがスタンダードな形で生活の中に馴染んでいるような印象を受けました。枠に囚われない現代アートの展覧会を見てきた者の眼には物足りなく感じられがちですが、じっくり鑑賞するとデンマーク人のデザイン性の高さが分かります。図録によると「大きなものから小さなものまで、デンマークには優れたデザインが数世紀にわたって浸透しています。それはデンマーク・デザインの特質であり、そしてそれこそが社会を支える力を育んできたのです。こうした視点に立てば、デンマーク・デザインは福祉国家の物理的な等価物といえます。」(アネ=ルイーセ・ソマ解説)とありました。また「古くから無駄を省いたプロテスタントの農耕文化であったデンマークでは、単純さの追求と素材の最適な活用は自然なことでした。デンマークが巨万の富によって特徴づけられることは決してありません。そして単純さと合理的な素材の適用は、インターナショナル・スタイルの特徴であるミニマリズムにうまく合致しました。」(クレスチャン・ホルムステズ・オーレスン解説)とある通り、デンマークは合理的でシンプルな魅力に溢れたモノを昔から作り出してきたと言えそうです。

週末 梱包作業&美術館鑑賞

今日は梅雨らしい鬱々とした天気でした。午前中は昨日から続いている作品の梱包作業をやっていました。今日は若いスタッフが2人朝から来ていて、それぞれ制作に励んでいましたが、10時半頃スタッフ2人と家内を連れて、千葉県佐倉市にある美術館に行くことにしました。車で走ること1時間半、首都高速と東関東自動車道、京葉道路を使って、目指すDIC川村記念美術館に到着しました。まず美術館内の洒落たレストランで昼食をしました。私以外は女性ばかりなので、今回は充分なランチタイムを取ってから企画展を見ることにしました。私がどうしても見たかったのは「ヴォルス展」で、彼女たちにとっては初めて耳にした芸術家でした。私もヴォルスのまとまった作品を見たのは初めてで、学生時代から現在に至るまで少ない機会を捉えて見てきた謎の作家の全貌に触れて、心より感銘を受けました。ヴォルスは私が彫刻を学んでいた20代初めに知り得たドイツの芸術家で、当時バイトで貯めた金銭でやっと購入できた書籍「見えない彫刻」(飯田善国著 小沢書店)によりヴォルスという名前を記憶したのでした。初めに飯田善国氏の評論による先入観から出発した私のヴォルス観でしたが、その後滞在したヨーロッパで小さな作品に触れる機会があり、その独特な世界を味わうことが出来ました。帰国後も企画展でヴォルスの作品に偶然出会うことがありました。その震えるような心象と痛々しく感じられる非対象の絵画は、どうして生まれたのか今まで考えたこともなく、ヴォルスは私の心に細々と生き続けてきました。その生い立ちや背景が今回の展覧会で漸く分かりました。詳しい感想や雑感は後日に回します。夕方は雨になってDIC川村記念美術館の美しい庭園を散策することが出来なかったのが残念でしたが、スタッフたちは美術館コレクションにあったアメリカの現代アートにも満足したらしく、楽しいお喋りをしながら美術館を後にしました。因みに東京方面に向かう高速道路が渋滞し、帰途は3時間以上もかかってしまいました。

週末 梱包作業&図録打ち合わせ

週末になりました。今日は朝から工房に篭って作品の梱包作業に精を出しました。シートの内側にエアキャップを貼り、柱陶の作品を包み込む作業でした。途中でシートや養生テープが足りなくなって、店に追加購入に出かけました。梱包は創作活動とは違い、とても退屈な作業ですが、搬入や搬出だけではなく倉庫で保管するためには必要な作業なのです。創作が佳境を迎えた時のような高揚感はありません。職人の如く坦々と仕事をしています。明日も継続です。今日は夜8時に自宅にカメラマン2人がやってきました。先日撮影した作品の写真が出来たので、多数の写真の中から図録用に選定するためにやってきたのでした。私は勘に頼っているので、写真の選定は昔から早い方です。迷っていると判らなくなるので直感を信じるようにしています。今年もいい図録が出来そうで嬉しく思いました。集合彫刻を作っている私は、図録を作品紹介の大切なアイテムにしています。理由は彫刻を組立てることが容易でないため、図録でしか作品を見せられないからです。昨年から野外で撮影することが増えていて、全体写真も部分写真も全て野外の陽光が影響しています。今年の撮影日は素晴らしい天気だったので、作品が美しい陰影を作っていました。写真を見ていると撮影した日のあれこれを思い出し、手伝ってくれたスタッフの皆さんに、心でもう一度手を合わせて感謝してしまいます。何しろ「発掘~宙景~」の陶彫部品の重量や「発掘~座景~」のテーブルの支えが心配だったので、無事に作品が組立てられた時は、ホッと胸を撫で下ろした次第でした。案内状が刷り上がったら東京銀座のギャラリーせいほうに1000枚持参する予定です。

東京駅の「アドルフ・ヴェルフリ展」

東京駅内にあるステーションギャラリーは面白い企画展が多く、今まで私は幾度となく足を運びました。とりわけ2階の煉瓦壁に掛けられた作品の数々は、独特な雰囲気を纏って鑑賞する者に心地よさを与えてくれます。金曜日は遅くまで開館しているので仕事帰りに立ち寄ることが出来て、勤め人にとって有り難い配慮です。今日見に行った「アドルフ・ヴェルフリ展」は精神疾患を患ったスイス人画家の日本初の個展でした。画面全体に埋め尽くされた不思議な記号や文様、ほとんどパターン化されていると言ってよいほど執拗に繰り返される絵画は、どう見ても狂気を感じさせるものがありました。作者は31歳の時に精神科病院に収容されて、そこから66歳で没するまで延々と病院で絵画を描いていたようです。展覧会の副題は「二萬五千頁の王国」。その膨大な量はアール・ブリュットの絵画では括りきれない存在感がありました。ヴェルフリは1864年に7人兄弟の末っ子として生まれ、貧困家庭であったため里子に出されますが、なかなかの問題児であったようです。少女に対する性的暴行未遂で投獄され、その後に統合失調症という診断によって精神科病院に送られますが、そこでも暴力行為があって独房に入ったりしています。その頃漸く絵を描き始めていて、もしもヴェルフリに絵画表現がなかったら悲惨な人生が待っていたことでしょう。彼にとって創作活動は魂の救済だったのでしょうか。彼は連作を試み、「揺りかごから墓場まで」「地理と代数の書」「聖アドルフ巨大創造物」というテーマで、それぞれ多量な絵画や文章、作曲による作品が残されています。25.000ページの王国という、架空の世界を思い描いたヴェルフリは、確かに常軌を逸した芸術家であったと思いました。自分の辛い過去を自分の物語で作り変えて、創造の世界で遊ぶことは私も大好きです。それは常人にとっては現実逃避なのかもしれませんが、私も架空都市を彫刻しているので、ヴェルフリに通じる世界観を持っているのかもしれないと勝手に思い込んでいます。

葉山の「砂澤ビッキ展」

先日、神奈川県立近代美術館葉山で開催されている「砂澤ビッキ展」に行ってきました。副題に「木魂を彫る」とあって、生前巨木に挑んだアイヌ人彫刻家の痕跡を辿ることが出来る優れた展覧会でした。私は導入の部屋にあった「神の舌」と、海が見える部屋にあった「風に聴く」という大作2点に心を奪われました。「神の舌」は巨木全体に刻まれた彫跡が、作者の身体感覚を惹起させて圧倒的な存在感を放っていました。「風に聴く」は水平になった舟形の巨木に4点の立木が独特な空間を演出していて、これが何を象徴するものか考えさせられました。美術館が海辺にあり、大きな窓から眺められる景色と相まって、「風に聴く」は風を待つ船出のようにイメージされたのは私だけではないはずです。図録から気になったコトバを引用いたします。「(砂澤ビッキは)当初、渋澤龍彦周辺のシュルレアリスムへの傾倒を共有していたと思われるが、木彫に本格的に取り組む頃から、徐々に動物に触発されたバイオモルフィック(生命形態的)なかたちへの探求が本格的に開始されたと考えられる。~略~おのれの生活の原点を見つめ、幼い記憶を蘇らせ、自分自身の身体と動物たちを含む生命体のからだを作品の中で同調させる道筋を、より自由で大胆な木彫表現を駆使して探り始めたのだ。」(水沢勉解説)彫刻家砂澤ビッキは独学で彫刻表現を学び、希有な存在になった人でした。それは自身の生育歴とも関係し、北海道の広大な自然を背景に現代彫刻界の新世代を担った人でもありました。

映画「ムーンライト」雑感

先日、橫浜市中区にあるミニシアターで米映画「ムーンライト」を観てきました。この映画はアカデミー賞授賞式の際に作品賞を間違えられたエピソードがあり、賞レースで心躍る完成度の高いミュージカルに競り勝った映画です。映画を観た感想は「ラ・ラ・ランド」の対極とも思える内容に、賞はどちらが取ってもおかしくないのではないかと思いました。「ムーンライト」の場面設定は困窮した家庭と麻薬によって引き裂かれた母と息子、その息子を取り囲むいじめ集団が描かれていて、この上なく悲惨な環境がありましたが、それを超越する愛と美しい映像と情感のある音楽によって人間味溢れる傑作になっていました。主人公シャロンは小学校時代、仲間からいじめられていて、駆け込んだ廃墟でファンに助けられます。それが契機となりファンと同居している恋人のテレサがシャロンの心の拠り所となりましたが、ファンは麻薬のディーラーで、シャロンの母親にも麻薬売買を仄めかされていました。高校に入ったシャロンは相変わらず、いじめを受けていましたが、テレサに諭されたり、親友のケヴィンとの親密な関係で自分を保てていました。シャロンは同性愛者でもあったのでした。ところが親友が絡んだ事件を起こしたところで場面は一転します。大人になったシャロンはファンのような麻薬のディーラーとなって、筋骨逞しい男になっていました。久しぶりにケヴィンから連絡があり、2人は再会しますが、別の人生を歩んできた2人にもう一度訪れた親密な状況…。シャロンのアイデンティティを探し求める旅がこの映画の大きなテーマであろうと思います。黒い肌は月の光でブルーに輝くという詩情が、視覚的要素を伴い、深く印象に刻まれました。

京都の「戦後ドイツの映画ポスター」展

先日、京都国立近代美術館で見た「戦後ドイツの映画ポスター」展は、時代背景を考える上で興味をそそる企画でした。第二次世界大戦後、ドイツは東西に分断されました。1990年に統一されるまで、ドイツの映画は東西の社会体制の影響を受け、それぞれ独自の展開を余儀なくされました。私は1980年代にオーストリアにいましたが、西ドイツに出かけた折にギュンター・グラスの「ブリキの太鼓」(フォルカー・シュレンドルフ監督)を観て、ドイツ映画には内省的で表現主義的な要素があって大変気に入りました。戦前公開された「メトロポリス」(フリッツ・ラング監督)も再上映で観て、自分に衝撃を与えた作品でした。この時代に美しいアンドロイドを出現させている未来的な発想と技巧に驚きました。それら斬新な感性がポスターにも反映されているように思えました。東西に分断されたドイツの映画事情はどうだったのか、図録から文章を拾ってみます。「そもそも映画は自由に越境し移動していくものであり、一国内の映画史記述には収まらない。しかも敗戦とともにゼロから出発するわけでもなく、過去の時代との連続性の中にある。~略~1960年代は東西ドイツ間での大きな断絶の始まりである。まず1961年ベルリンの壁建設に象徴される東西ドイツ間の国境封鎖は、人的・文化的交流のとりあえずの終焉を意味した。~略~物理的および精神的な壁に分断されたとはいえ、東西ドイツそれぞれに1960年代の政治の季節、1970年代のポップ文化の台頭を体験し、ある種の世界的同時性の中で生きていたことはやはり紛れもない事実だろう。このような時代と空間を縦横に結び合うダイナミックな視野によって、国境や壁を越えて様々な影響関係を見出すことができるのは戦後の東西ドイツにおいても例外ではない。」(渋谷哲也解説)とある通り、東西ドイツのポスターを眺めても質的に変わるものは感じられず、独自の道を歩みながら、それぞれが新しい視覚表現を目指したことが今回の展覧会から感じられました。