追悼 中島修 様
2013年 5月 16日 木曜日
オーストリア在住の石彫家中島修さんが4月4日に急逝しました。自分にとって中島さんはウィーン時代の師匠でした。もうひとりの師匠池田宗弘先生と中島さんは学校で共に彫刻を学びあった仲間で、この2人の巨大な先輩がいてくれたおかげで、自分は彫刻の道を歩いてこれたと言っても過言ではありません。鋭角な幾何抽象形態を作り続けた中島さん。オーバーエスタライヒの工房を訪ねてからもう30年経ちます。2012年には中島修作品集出版を記念した展覧会が、リンツ州立美術館で開催されたと聞き及んでおります。ギャラリーせいほうで自分が初めて個展をした8年前、オープニングパーティーに中島夫妻が来てくださっていて本当に驚きました。その後、下野昇叔父の声楽リサイタルでもお会いしました。その上野の文化会館で一緒に叔父の歌を聞いたのが最後だったのか、ギャラリーせいほうでの中島修展でお会いしたのが最後だったのか、自分の記憶は定かではありませんが、気さくなお喋りと石に向かう厳しい眼光が交互に現れるお人柄に、自分はいつも刺激を頂いていました。稀有な才能が失われていくのは残念でなりません。長年助手を務めてこられた奥様はどんなお気持ちでいらっしゃるのでしょうか。ご冥福を心よりお祈りいたします。
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Tags: ウィーン, 個展, 工房, 彫刻, 留学
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