彫刻家としての羨望と共感

「保田龍門・保田春彦 往復書簡1958ー1965」(武蔵野美術大学出版局)を職場の休憩時間に読んでいて、自分の学生時代に教壇に立っていられた保田春彦先生になかなか近づけなかった理由が自分なりに分かってきました。御父上である龍門氏は明治以降の近代彫刻史に荻原守衛や中原悌二郎とともに登場し、当時の東京美校(現東京芸大)で教壇に立っていた石井鶴三氏と知己であり(春彦先生は石井鶴三門下生)、さらにフランスからザッキンが来日した折に、お世話をする立場であったことが本書に描かれています。まさに自分にとっては雲上の人。彫刻家を目指す学生にとって、父が同業者でしかも自分が習った師匠と意見を交わし、また留学先の師匠とも父が交流するとなれば、その環境たるや自分の想像が及びません。春彦先生には父を乗り超えたいという意志もあるのでしょうが、やはり彫刻界とは縁遠い自分が、その端くれで根も葉もない世界に対して意志一つでやっていくには、あまりにも環境が違いすぎることを、当時の自分は感覚として分かっていたのではないかと述懐しています。まさに彫刻界のサラブレッドである保田先生と草競馬にもならない自分。ただ、日本彫刻界を俯瞰できる親子に羨望はありますが、本書を読んでいると共感する部分もあります。海外での慎ましい生活を自分も送っていたこと、また自分には彫刻に無知であってもそれを盲目的に許してくれた親がいたことが、自分に彫刻家としての道を歩かせてくれているのだと改めて思い返しています。自分が本書に惹き付けられる理由は、たとえ生育歴の違いはあっても、彫刻という大きな世界に没頭する姿勢に違いはないこと、保田先生と自分は同じ人間であって意志一つで芸術を極め続けることが出来ること、そこに血縁関係など微塵も存在しないことを自分は認識しつつ、気持ちをしっかり持ちながら本書を読んでいるところです。

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