週末 留学の思い出に耽る

工房によくやってくる若手スタッフで、先日海外留学から帰国した子が久しぶりに顔を見せました。彼女は再び相原工房での制作を始める予定ですが、留学先で得た体験が今後どう作品に影響してくるのか楽しみです。私も留学経験がありますが、私に比べて彼女は留学時期として大変有意義だったと思っています。東京芸大大学院を休学して半年間インドネシアに出かけ、この4月から芸大に復帰して卒業制作に挑むことは、自己表現の方向を探る上で絶好の機会に恵まれていると思うのです。ジョグジャカルタで個人的な制作として始めた大きな描写表現を、現地のアーティストたちによって、作品をオープンスペースに移されて、そこで公開制作となったようです。つまりコミュニケーションとしての創作行為を余儀なくされたことになります。その濃厚な日々の経験は、きっと彼女にとって自己の枠を壊し、さらに大きな表現を獲得する契機になるだろうと推察しています。今日は工房で制作をしながら、私にとって留学とは何だったのかを考えた一日になりました。私の場合は大学卒業後に5年間の留学期間がありました。日本の大学で人体の塑造をやっていた私は、ヨーロッパの美術学校で人体による具象表現に意義を感じなくなりました。私にとって彫刻による人体表現は、高校時代に受験勉強の一環で突如登場したものです。人体表現の構築性や肉付けは西洋を起源としています。ヨーロッパは都市環境も具象的な人体表現によく合っていて、それだからこそ彫刻による人体表現が自然に知識や実習として入ってくるのです。日本でそんな当たり前なことを考えたことはなく、大学の工房では人体表現の巧みさを競っていた時代でした。人体表現で言えば、自分を取り巻く環境や生育歴にはないもので、その不自然さに当時は嫌気がさしつつありました。日本人として何をすべきか、自分に相応しい立体表現は何なのか、憂鬱に押しつぶされそうになりながら、街を散策していたことを思い出します。自分の当時の年齢は24歳、インドネシア留学から帰国した彼女もあの時の自分と同じ年齢です。本当の自己表現へ向かう道はここから始まるのかもしれません。

関連する投稿

  • 「作らない」と「作れない」 週末だけ彫刻制作をしている自分は、今は「作らない」も「作れない」もなく、ひたすら作り続けることのみです。二束の草鞋で制作時間が充分に確保できないので、流暢なことを言っていられないというのが本音です。 […]
  • 創作活動に対する思い 昨日の続きのようなブログです。大学で彫刻を学び、おまけに海外の美術学校に5年間籍を置いていた自分は、結局30歳を過ぎてから日本での就職活動に入りました。今でこそ就職活動する年齢はさまざまですが、当時 […]
  • 旅立ちに向けて 最近工房によく出入りしている若いアーティストが2人います。時にはスタッフとして私の作品を手伝ってくれますが、通常は創作活動をやっています。一人は中国籍の子で都内の美大に副手として勤務しています。もう […]
  • 週末 3点目の陶彫成形 日曜日は毎回美大受験生が2人工房へやってきます。彼女たちのうちの一人は予備校の夜間コースに通っていて、そこで出された課題を工房に持ち込んでくるのです。昼間は高校に通い、夜は予備校、そして週末は工房に […]
  • 三連休 大きな新作が佳境 昨日はいろいろな用事があって、制作時間が充分確保できず、その分を今日はやや長めの制作時間を取って、制作工程の辻褄を合わせました。午前9時から午後5時までの8時間、工房に篭っていました。昨日降った雪は […]

Comments are closed.