今年もクリスマス時期が到来し、ドイツ発祥のシュトレンを味わえる季節になりました。川崎市中野島にある洋菓子店「マリアツェル」に例年通りシュトレンを複数個注文しました。「マリアツェル」は自分が20代の頃、滞欧中に知り合った年上の友人であるパテシェが経営をしている欧州菓子の店です。オーストリアの首都ウィーンで、当時はよく彼と遊びました。友人は帰国して店舗を構えてからも、よく外遊してスィーツを食べ歩き、菓子材料を仕入れています。「マリアツェル」のシュトレンは材料を惜しみなく使っている上、彼の技巧もあって絶品の菓子パンになっています。シュトレンとはドイツ語で坑道とか地下道の意味ですが、キリスト教関連で幼子イエスを包むおくるみのようなカタチをしているとも言われていて、実際に白い砂糖で覆われた楕円形をしています。ドライフルーツやマジパンが入っていて、どっしりとした重みもあります。発祥は古都ドレスデンで、当初は現在のような豪華なものではなかったようですが、現在売られているシュトレンは私の大好物になっていて、職場に持っていってお裾分けもしています。我が家にはこの時期だけ、友人の丹精込めたシュトレンが溢れています。私はキリスト教信者ではないので、クリスマスはしませんが、シュトレンがあるためにクリスマスが近づいたんだなぁと感じているこの頃です。
週末 もうひとつの新作に向けて
2016年 12月 11日 日曜日
現在作っている新作は全てテーブル彫刻で、背の低いテーブル彫刻と背の高いテーブル彫刻です。背の低いテーブル彫刻は4畳大のテーブルを設えた1点のみで、テーブル上に陶彫部品を複数配置して、架空都市をパノラマにして見せようとしています。一方、背の高いテーブル彫刻のテーブルは、面積で言えば1畳くらいの正方形ですが、テーブルの下に陶彫部品を吊り下げて、地下に広がる世界を表現しようとしています。背の高いテーブル彫刻は2点あって、両方並べて一対として展示する予定です。ただし、もうひとつのテーブル彫刻が個展に間に合うかどうか微妙だったため、1点だけ集中的に作っていました。最近になって制作状況が充実してきて、もうひとつのテーブル彫刻も制作可能と判断し、今日からもうひとつの新作に向けて猛ダッシュでスタートを切りました。テーブルの下に吊り下がる大きな陶彫部品が、今までの2倍必要になったわけですが、初めに作っていた陶彫部品とは、彫り込みを異なる加飾にしようと決めていて、当初のイメージをもう一度確認しました。今後は時間との勝負になります。今月後半に控えている休庁期間でどのくらい制作が進むのか、ここまで身体を酷使して大丈夫か、その都度折り合いをつけて頑張ってみようと思っています。気力は充満していて、今が人生を謳歌する時なのかもしれないと思いつつ、工房を一歩出ると疲労に襲われて弱気にもなります。明日から5日間は公務員管理職としての仕事が待っていますが、猛々しくなった創作活動に小休止を入れて、来週末にもう一度意欲を確かめようと思っています。
週末 昼夜の制作
2016年 12月 10日 土曜日
週末がやってきました。このところ週末の創作活動は充実しています。集中力によって周囲が気にならなくなる状態が続き、心の充足感を得ています。今日も例外ではなく作業中は時が経つのを忘れました。最近の土曜日はウィークディの疲労が残り、身体が思うように動かず、いつものように焦燥感がありました。今日もその兆候はあったにも関わらず、何とか集中できたのが不思議です。ただし、制作工程のノルマは朝から夕方までの制作では終わらず、夕食後、再び工房にやってきて夜間制作で今日のノルマを達成しました。今日はどのくらい工房にいたのでしょうか。夜9時前に自宅に帰ったら、身体は完全に動かなくなりました。手もガサガサでした。昼間の制作と夜間の制作では気分が変わります。まず陽光が入るかどうかは大きな変化で、心理的な作用が影響します。人によっては人工照明の方が作業に集中できる人も多いのではないかと思うところです。私もきっと夜間の方が、陶彫の部分を作るには効果的ではないかと思っています。とりわけ彫り込み加飾は夜間の方が進みます。全体を眺めるのは昼間の光が必要です。今日のように昼夜を通して常に制作できるならば、その効果を狙うことができますが、なかなか今日みたいなわけにはいかないのが現状です。明日は元に戻して通常の制作にしようと思っています。
漱石没後100年に思う
2016年 12月 9日 金曜日
文豪夏目漱石が亡くなって今日が100年目にあたる命日だそうです。大学の研究室が開発した漱石のアンドロイドがマスコミに紹介されていました。齢49歳で逝去した漱石は、早くして世を去った印象を拭えません。中学生の頃から読書癖があった自分は、漱石の小説に親しみました。日本の文豪の中でも一番作品に親しんだ作家と言えます。漱石ワールドの導入として「坊っちゃん」と「我輩は猫である」を読み始めました。その2つの小説は中学生だった私の気持を掴み、大変面白く読んだ記憶があります。言い回しの古さにも感銘して、当時の私の文章は恥ずかしいほど影響を受けていました。猫の眼を通して人間観察する場面では、その表現の巧みさに何度も笑わされてしまいました。20代でもう一度読み返したときには、中学生の頃には気づかなかった奥深い意味が理解できて、これは愉快なだけで終わってはいない小説であることを認識しました。抱腹絶倒な文章に多少苦みを感じたのもその頃でした。晩年の「こころ」に見られる倫理観の葛藤のような内面に迫る小説は、中学生の頃には完全に理解できず、年齢を重ねて漸く分かった次第です。夏目漱石が時代を超えて愛されている理由は、自己を含む人間の寄る辺ない存在の描き方が現在でも通用していて、年齢ごとの読書選択によって深い深層心理へと導かれるからではないかと思っています。「我輩は猫である」を傍らに置いて、飼い猫を観察していると、猫が逆に私を観察していて、その場その時の行動や思考を猫が批判しているように思えてきます。じっと遠くから私を見つめる猫の目力に、つい意識してしまう情けない自分がいます。
北斎 傘寿の表現力
2016年 12月 8日 木曜日
東京両国にある「すみだ北斎美術館」は、葛飾北斎のあらゆるジャンルの作品を集めていて、北斎ファンならずとも一見の価値がある美術館です。建築は近未来的な装いがあり、またICT活用により楽しく北斎ワールドを堪能できるようになっています。北斎と言えば長寿を全うした画家として有名ですが、私が何より注目しているのは傘寿、つまり80代に描かれた作品の表現力の凄さです。寛永2年の春に90歳で世を去った北斎でしたが、「天我をして十年の命を長ふせしめば」さらに「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」と死ぬ間際に語ったそうです。あと寿命が10年あれば、いや5年あれば本当の画家になれるのに、という意味です。画工への道半ばという意識があればこそ、傘寿に描いた「南瓜花群虫図」(84歳制作)「朱描鍾馗図」(87歳制作)「柳に燕図」(88歳制作)に見られる卓抜した観察眼と和漢洋の技法を巧みに操った凄まじい表現力が表出しているのも納得できます。言うなれば、北斎の傘寿を晩年と呼ぶには、あまりにも強烈な作品群があって躊躇されるところです。私事になって恐縮ですが、私は60歳になって彫刻のことが少し分かってきたように思えています。20歳で彫刻の手ほどきを受けて40年が経ち、紆余曲折があっても東京銀座で個展開催も11回目を数えています。それでも本当に彫刻家と言えるのか自問自答するところですが、彫刻家になりきれていない自分を自覚する度、真の立体芸術を掴むのはまだまだ先のことと感じます。今が折り返し地点かなぁと何の衒いもなく思っています。北斎に倣うのは烏滸がましいのですが、あと30年自分に寿命が許されれば、きっと納得がいく彫刻ができると信じているのです。
東京両国の「北斎の帰還」展
2016年 12月 7日 水曜日
先日、東京両国にある「すみだ北斎美術館」に行ってきました。目的はTVで放映された「須佐之男命厄神退治之図」の復元された絵をこの眼で見たかったことでしたが、美術館が企画した「北斎の帰還」展にも眼が奪われました。帰還とはどういう意味かと言えば、百年余りも行方不明になっていた幻の絵巻「隅田川両岸景色図巻」が再発見され、海外から日本へ里帰りをしたこと。もうひとつは世界に散逸した北斎の名画の数々が、北斎生誕の地に再び集められ、北斎専門の美術館で展示されたこと、この二つが帰還としての意味を表しているのです。私が印象深かったのは「隅田川両岸景色図巻」で、陰影に西洋画の技法を取り入れていて、錦絵とは違う写実性に富んだ絵画をじっくり味わえたことでした。図録によると「本絵巻は、両国橋から大川橋(現在の吾妻橋)、山谷掘、木母寺辺りまでの隅田川両岸の風景と、新吉原における遊興の様子を描いた639.9㎝に及ぶ北斎の肉筆画に、画中に登場する名所を読み込んだ横幅76.1㎝の江戸後期の戯作者、烏亭焉馬の狂文が付されている。」とありました。さらに「隅田川の水面に橋や船、岸辺の影がうつる様子が丁寧に描き入れられている点などは、西洋画法の研究を重ね、洋風風景版画も多く制作している北斎の研鑽の結果といえよう。」(奥田敦子 著)と内容を表す文章に、北斎の卓抜した画力を知ることができます。実に精緻で雄大な絵巻だろうと自分も溜息が出ました。遊郭に集う人々の様子もよく分かり、風俗を知る上でも最高の資料になると思いました。日本が世界に誇る葛飾北斎。その専門美術館が今まで無かったことが不思議です。北斎をもう一度堪能するなら東京両国の「すみだ北斎美術館」に再び足を運ぼうと思います。
「写生雑録帖」と「写生図巻」
2016年 12月 6日 火曜日
根津美術館で開催されている「円山応挙展」に、応挙のエスキースと言うべき写生の原本が出品されています。応挙の完成度の高い写実的な絵画は、写生の原本に見られるような研鑽と修練によって到達した境地と言えます。私は完成した作品と併せて、その資料や下図となったメモを見るのが大好きで、そこには創作の秘密が隠されているからです。筆の運びや抑揚、色彩の濃淡、形態の把握、いずれをとっても真摯な学習姿勢が見られて、私自身も意欲を掻き立てられました。図録にこんな説明がありました。「『写生雑録帖』は、応挙が日頃携えて写生し、あるいはメモを取った、唯一残る原本と思われる。~略~実物写生を行うことにより、奥行、立体感、距離感、存在感等に現実味を付与しようとしたと考えられる。そこから生じる実在感のある応挙の絵が当時の人々に歓迎されたのである。」(木村重圭 著)今回の展覧会には「写生雑録帖」と「写生図巻」があって、余白を埋め尽くすスケッチの数々に、私は眼を凝らしてじっと見つめていました。「写生雑録帖」では、プロポーションの寸法をメモしたものや視点を変えて複数個描いたものがあって、対象を前に気軽ながら真剣に向き合う応挙の姿勢が見て取れました。「写生図巻」は部分を綿密に描いたものが多く、葉の捲れ方や枯れた状態や花と茎の関係を描いたもの等、観察の方法を示す手本になりそうな例が多くありました。カタチを徹底的に描写把握しているからこそ省略もありうる、ということを改めて感じました。
東京青山の「円山応挙展」
2016年 12月 5日 月曜日
先日、東京青山の表参道にある根津美術館で開催中の「円山応挙展」に行ってきました。江戸時代に活躍した写生派の絵師円山応挙は、自分には思い入れの深い画家で、それまでの格式高い絢爛たる狩野派の絵師に比べると、作風に時代の新しさを感じさせるため、学生時代から各美術館に所蔵された応挙の作品に注目していました。ちょうど私は素描を習い始めた頃だったので、応挙の「写生雑録帖」に見られる対象の把握に驚嘆していました。図録によると「『雨月物語』の作者として知られる上田秋成が、早く応挙に関連して『写生』という言葉を使っているように、応挙という画家を歴史的に把握する際に『写生』の概念を抜きにしてはできない。~略~応挙は、時間をおいてよく似た作品をいくつも制作する一方で、ある時には一見異なる画風を共存させ、また時として突出して新奇な技法を披露する。段階的な画風展開でとらえるのが難しい画家なのであるが、それにも理由があるはずだ。気韻生動への渇望、それこそが応挙の写生画を更新し続けたのではないだろうか。」(野口剛 著)とありました。また「神仏、仙人、肖像、和漢の人物画、山水、風景、花木、鳥獣魚など。画面も色絵、扇面の小品から、掛物、衝立、屏風、襖、絵馬等、これもほぼすべてに描いている。画家は今日と違い、依頼を受けて描くものであるから、求められれば何でも描かなくてはならなかった。大きさもである。ほぼすべての画題を描いているということは、それだけ注文が多かったことを意味しているのである。~略~そんな応挙であるが、生涯、作品の出来に余りムラがないのも、画家として特異な存在といえよう。作品の大小、粗密はあっても、いわゆる手抜きと感じられるものは極めて少ない。無いというと言い過ぎか。それだけ応挙は真面目な人であったと見ている。」(木村重圭 著)ともあって、応挙その人を捉えた箇所は興味津々です。草一本描く時の、何でもない一筆が周囲の空気までも感じさせ、平面上に空間芸術を創出する凄さに自分はただ見とれるばかりでした。
週末 陶土との対話
2016年 12月 4日 日曜日
以前のNOTE(ブログ)に、素材との対話が何を意味しているのか書いた記憶があります。制作に集中した状態が続き、疲れも何も感じなくなり、周囲の状況も見えなくなる高揚気分を、素材との対話という表現で自分は言い表しています。心中穏やかでなかったり、気がかりなことがあったり、意欲が伴わなかったり、腰が引けている時は、そうした素材との対話はやってくることはありません。精神の安定と意志の強さがないとその気分にはならないのです。自分の眼は、自分の手になり、素材だけを捉えて無我夢中で何かを探っている状態です。前後の見境がなくなるので、時間も空間もそこには存在しません。今日はそんな素材との対話が続きました。朝からいつものように工房に篭って制作を開始しました。今日も大学院生が一緒で、締め切りの迫った切羽詰った彼女の横顔を見ていると、自分も気合が入りました。私にとって素材は陶土です。自宅にいる時は手の皸(あかぎれ)が気になっていましたが、工房では身体を省みることはなく、陶土以外は眼に入らなくなっていました。タタラや紐作りで大きな陶彫部品を成形し、柱陶の彫り込み加飾を行っていました。昨日は乾燥した陶彫部品に仕上げや化粧掛けを施し、窯に入れたり、制作工程の確認をしたりして過ごしましたが、今日は陶土に立ち向かうだけの一日だったので、そのような精神状態になったのだと思います。工房での7時間弱は我を忘れて成形に没頭しました。夕方、我に返った時に肩や腰が痛んでいて車の運転がやっとでした。大学院生を車で送った後、自宅で動けなくなりました。心も身体も緩急があって当然ですが、今日は極端な一日だったようで、明日からの勤務に影響するのではないかと心配しているところです。
週末 手の皸が始まった日
2016年 12月 3日 土曜日
12月になって初めての週末ですが、先月のモチベーションを保ったまま、今日も朝から夕方まで陶彫制作に明け暮れました。今日は暖かい一日でしたが、工房内は寒々としていたので、大型ストーブを点けました。いつものように大学院生が来ていて、彼女は来月早々に修了制作の締め切りが迫っているので、緊迫した雰囲気を纏っていました。私は彼女に背中を押されるように制作に没頭しました。私にとってはこれは有り難い状況で、彼女の姿勢は好影響を齎せてくれているのです。一日7時間近く陶土に触れていると、手がガサガサになって皮膚に皸(あかぎれ)が始まり、私には薬用クリームが欠かせなくなっています。クリームを塗ると皮膚がピリピリ痛みます。もうこの時期からクリームが必要になっているのは、それだけ制作にかける時間が長くなっている証拠かもしれません。作業は柔らかい陶土ばかりではなく、乾燥した陶土にもヤスリをかけることがあり、手を酷使しているなぁと思っています。創作は精神の成せる技なので、手がどうであれ作業を止めることはしません。制作が乗ってくると身体を省みないことも暫しあります。ただし、創作活動は精神的な快さを齎せることがあって、制作中に空腹を感じたり、便意を催すこともよくあります。こうした体調に関することは、本能的なものだけではなく、精神に負うところが多いのではないかと思うのです。しかしながら手の皸は精神性で片付くものではありません。酷くならないうちに養生したいと思います。
金曜夜は美術館へ…
2016年 12月 2日 金曜日
今日は夜になって東京の美術館から帰ってきました。実は今日は美術館巡りではなく、別の用事があって仕事を早めに切り上げ、午後は年休を取得したのでした。用事が意外に早く終わったので、家内を誘って東京の美術館巡りを決行しました。上野の国立西洋美術館は20時まで開館しているので、ここは最後に回しました。金曜日の夜は美術館の開館時間が延長しているため、通常の勤務時間が終わってからでも充分見に行けるので、今まで何回も夜の鑑賞をしているのです。今日は早めに東京に出て来られたので、まず表参道にある根津美術館に行きました。前から見たいと思っていた「円山応挙展」に行きました。ウィークディだというのに館内は混んでいました。円山応挙の画力に、自分は学生時代から傾倒していて、鯉の絵を模写をしたこともありました。自分の学生時代は、伊藤若冲は現在のように有名ではなく、画力を誇る画家の代表格と言えば円山応挙だったのでした。展覧会の詳しい感想は後日改めます。次に両国に向かいました。新設のすみだ北斎美術館に行って、前にTVで見た「須佐之男命厄神退治之図」の復元された絵をこの眼で見たかったのでした。ここも館内は混んでいました。北斎の木版画だけではなく肉筆画にも触れ、画家が発する創造のパワーに打たれました。これも展覧会の詳しい感想は後日改めます。ここまで美術館を2つ回ると疲れも出てきますが、身体に鞭を打って、最終地点の上野に向かいました。国立西洋美術館に着いた時は、日も暮れていましたが、「クラーナハ展」を見てきました。クラーナハは北方ルネサンスの巨匠で、日本では馴染みの薄い画家ですが、私は20代の頃オーストリアにいたためクラーナハには親しんでいました。私にはイタリアルネサンスの巨匠より身近な存在なのです。クラーナハの独特で硬質な裸体画が好きになったのはウィーン留学中のことでした。彼の地にある母校の美術館から1点作品が来日していました。これも詳しい感想は後日改めます。たまにはこんな日があってもいいのかなぁと思いながら、職場から緊急な連絡も入っていなかったので、そのまま帰宅しました。今月に入ったばかりで、大きな展覧会を3つも網羅してしまいました。
12月に期待すること
2016年 12月 1日 木曜日
早いもので2016年も残すところ1ヶ月となりました。12月は先月以上に充実した1ヶ月にしたいと思っています。今月末には、今月から来月にわたる6日間の休庁期間があります。毎年この休庁期間をフル活用して創作活動に勤しんでいます。今回も例外ではありません。晦日の家の用事は家内に任せ、正月の年始や親戚の集まりも最小限に留めて、浮世離れした創作活動一辺倒でやっていける幸せを感じながら、制作を進めていきたいと思います。連続した休日では工房の照明など電気の関係で窯入れはできません。陶彫部品の成形や彫り込み加飾を延々と続けていくしかありませんが、真冬は陶彫部品の乾燥が遅くなるので、ちょうど良いと思っています。背の高いテーブル彫刻の下部に吊り下がる大きな陶彫部品を作り切れたらいいなぁと思っていますが、柱陶の制作も併行してあるので、時間的には無理だろうと予想しています。ただし、目標としては大きな陶彫部品全部の成形・加飾の完成を掲げたいと思います。RECORDは今月も継続ですが、ひらがな4文字によるテーマは今月が最後です。今年最後を飾るに相応しいRECORDにしていきたいと思っています。鑑賞はまだ行っていない大きな展覧会があります。今年中にいくつ見られるのか分かりませんが、会期が終わらないうちに行きたいと思っています。読書は精神分析の書籍をまだ読んでいます。そろそろ次の書籍を探そうかなぁと思っているところです。
充実していた11月
2016年 11月 30日 水曜日
11月の最終日になりました。今月を振り返ると、勤務を要しない日が10日間あり、創作活動に邁進していました。背の低いテーブル彫刻の天板の設置、テーブル上部に置く陶彫部品の仕上げと焼成、背の高いテーブル彫刻の天板の加工とテーブル下部に吊り下げる陶彫部品の成形・加飾、仕上げと焼成など、ともかく頑張って作っていた感覚が今も残っています。朝から夕方まで工房で集中して制作し、自宅に帰ると疲れて倒れてしまう日々でした。修了制作を抱えた大学院生との社会的促進も影響していました。新作の窯入れは今月だけで5回やりました。その分RECORDが微妙で、日程の遅れがあったり、下書きが緩慢になったりしていました。彩色の新しい試みもしましたが、今ひとつ成功していません。まだまだ実験の余地があると思っています。RECORDの内容はともかく、実験的試行錯誤があったことは評価してもいいかもしれません。鑑賞は充実の極みでした。展覧会には5回出かけました。現代彫刻では「鈴木久雄展」(武蔵美大美術館)と「新宮晋展」(横須賀美術館)、現代アートでは「杉本博司展」(東京写真美術館)、伝統美術では「平安の秘仏展」と「禅展」(東京国立博物館)の計5回でした。今月出かけた展覧会は、どれも自分にとって印象に残るものばかりでした。これも多忙な中でよく出かけたもんだなぁと振り返っています。制作と鑑賞は車の両輪とも言うべきもので、お互いを通して思索を深め合うものだと自分は考えています。読書はシュルレアリストの精神分析に関する書籍を読んでいます。大変面白い内容で、NOTE(ブログ)で芸術家別にまとめて文章にしています。来月は晦日を迎え、休庁期間があります。制作は今月以上の成果が期待できるのではないかと楽しみにしています。
素の自分でいたい時…
2016年 11月 29日 火曜日
社会人となって30年以上過ぎましたが、職場で私はすっかり仕事上の顔をして、立場でモノを申すことに時間を費やしています。仕事には熱心に取り組んできたと自負しているし、私のような者でも背中を追ってくる後輩がいます。ただ、私はたとえ懇親会でも仕事の匂いがすれば素の自分を出しません。素の自分とはどんな自分なのか、創作活動をしていないとしたら、私はそんなことを考えることもなく自分自身をどこかで押しやっているのではないかと思うことが暫しあります。たとえ一時的な自己喪失感があっても、仕事が穴埋めをしてくれるから、そんな考えも出てくるのです。私の仕事には定年があります。仕事を退いたらどうするのか、退職者全員が直面することですが、私には公務員になる前から培った創作活動があります。それは素の自分を出す時でもあり、たまに幸福を感じる瞬間もやってきます。現在でも週末になれば素の自分に戻ります。創作活動の世界では自分は専制君主になり、時に暴君になり、素材の奴隷にもなって翻弄される時もあります。これは人に迷惑のかからない、昨今言われている「おひとりさま」の成せる技で、内面的には地獄から天国まで振幅の大きい精神世界に生きています。素の自分が住む世界は、社会システムからの解放がありますが、精神の深淵を覗き込むと、それはそれで大変な労苦を背負うことにもなります。素の自分でいたい時や素の自分でいてもっと生き甲斐を感じたい時には、チャランポランですまない生真面目すぎるナイーヴな自分がそこにいると常々感じています。
猫の仕草
2016年 11月 28日 月曜日
今は空前の猫ブームです。それに倣ったわけではないのですが、我が家では数年前に捨てられていた子猫を拾い、トラ吉と名づけて育てています。普段の生活を観察していると、猫は一日のほとんどを寝て過ごしています。狩りに瞬発力を使うので、エネルギーを溜め込むために寝て、体力を温存しているのかもしれません。鳴き声を発するのは、人間に何かを伝えようとする時だけで、猫同士の会話では鳴かないといっても過言ではありません。猫が集まっていても無言でいる場合が多く、何かしら意思の疎通をしているのか、猫界に疎い自分にはよくわかりません。猫は飼われると人の見分けはつくようになって、私が仕事から帰るとトラ吉は玄関に迎えに出てきます。そのまま私の足元に絡みつき、私の前を歩いたり併走したりして、私が主人であることがわかっているような素振りを見せます。食事をあげる家内にもじゃれついていきます。猫の行動は人に媚を売っているように思えます。しかし、猫の風貌は知性を感じさせるものがあって、その眼でじっと見られていると、何事かを思考しているように思えます。夏目漱石が猫を「我が輩」としたのも分かります。偉そうにして自信たっぷりに闊歩する様子は、まさに学者然としているからです。そのうちトラ吉をモデルにして彫刻を作ろうと思っているうちに数年が経ってしまいました。猫の仕草をすっかり把握したので、実行に移すばかりですが、私は時間に追われていて、トラ吉のように悠然と学問や芸術を思索できる風貌が自分に未だ備わっていないのに気づきました。一日のほとんどを寝ていられる身分になったら、自分も猫をモデルに彫刻できるのではないかと思うこの頃です。
11月最後の週末に思うこと
2016年 11月 27日 日曜日
11月の振り返りは最終日に行うつもりですが、週末としては今日が最後なので、制作状況を踏まえながら週末の成果を振り返ってみたいと思います。今月は週末8日間に文化の日、勤労感謝の日を加えて10日間の制作を行いました。内容としては、背の低いテーブル彫刻の天板の設置、背の高いテーブル彫刻の天板の切断と、吊り下がる大きな陶彫部品の制作、窯入れも4回行い、10日間の制作はかなり充実していたのではないかと自負しています。休日出勤がなかったことも、制作を進められた一因だろうと思っています。新作の制作工程は厳しいことに変わりはありませんが、なかなか理想通りにいくことは今までもなかったので、現状ではまずまずの成果が得られていると判断しています。今日も朝から夕方まで工房に篭りました。6時間以上も陶土に触れていると手がガサガサになってきます。寒くなってきたので、そろそろ手を保護する薬用クリームが必要かなぁと思っています。大型ストーブも点けていて、時折身体を暖めています。背の高いテーブル彫刻に吊り下がる大きな陶彫部品の成形も5点目に入りました。焼成は1点完成していて、2点目が現在窯に入っています。今日も大学院生が来て、修了制作を頑張っていました。彼女の締め切りは1月初旬で、今まさに佳境に入っている状況です。年末年始の休庁期間は、おそらく私は大学院生と2人で競うように制作に没頭することになりそうです。クリスマスも大晦日も正月もあるというのに、若くて綺麗な彼女はこんな素っ気の無い工房で絵の具だらけになっていて平気なのだろうかと思うことがあります。彼女がアートの道を選んだのは私の影響が大きく、一般的な女子の感覚から外れてしまったことに申し訳ないと思いつつ、生きている証を実感しているこの瞬間を大切に出来れば悔やむことはないのではないかとも思っているのです。それは私も同じです。そんなことを思いながら今日の作業を終え、彼女を駅まで車で送りながら工房を後にしました。
週末 制作サイクルの遂行
2016年 11月 26日 土曜日
漸く週末がやってきました。週末は創作活動をやれるぞと思うと心が高まります。私は限られた時間の中で一生懸命制作に取り組むことに慣れていて、全ての時間が自由になったら、果たして創作活動が真っ当に出来るのかどうか疑問です。公務員との二足の草鞋生活は、私の中では定着してしまっていて、その縛りの中で緊張感を孕む作品が生まれるのではないかと思うことがあるのです。私にとって週末の2日間は貴重です。2日間でやるべきことはしっかりやらなければ来年5月の新作完成が厳しくなるのです。今年の制作サイクルは既に出来上がっていて、それに従って今日も頑張りました。陶彫は土練りから焼成に至るまで制作上の順序があります。しかも集合彫刻なので、次々と陶彫部品を作り出すために1番目の部品制作と2番目の部品制作をずらしてやっています。それが制作サイクルと私が言っているもので、たった一人による流れ作業です。問題は私自身に休む暇が与えられないことで、こればかりは健康に留意しなければならないと思っています。朝から夕方まで6時間から7時間やったところで、明日へ継続していきます。陶彫部品を作るときに当然悩みが生じますが、何時間も悩むことはありません。寧ろ完成に近づくと全体構成での悩みを抱えます。部品を差し替えることもあります。今日はまだ全体を考えるよりは近視眼的になって只管陶彫部品を作ることに専念しています。今日も精一杯作業をしました。土曜日はウィークディの疲れを引きずっていて身体が動き辛いのですが、何とか夕方までやっていました。明日はもっと頑張れるはずと思っています。
積雪の思い出が甦る
2016年 11月 25日 金曜日
昨日は橫浜で雪が積もりました。11月に積雪があったのは54年ぶりだそうです。雪が降って気分が高揚したのは子どもの頃の話で、社会人になってからは交通の乱れや転倒もあるので、私はいい気分はしません。そこで思い出すのは数年前の出勤途中に転倒し、背中を思いきり打ってしまった事故です。自宅は小高い丘の上にあります。バスの停留所まで急な坂道を降りていかなくてはなりません。自分が出勤する6時半では、まだ道は凍結していて滑りやすくなっているのです。今回の積雪でも道の状態を心配しました。自宅から道を挟んだ向かい側に亡父の残した植木畑があって、そこに工房があります。窯に作品を入れているときは毎朝窯の温度を確認してから出勤しています。昨日も今日も窯の温度を確認してから職場にやってきました。自宅の前の急な坂道を降りていくより、工房に立ち寄ってから別の道を選んだ方が勾配が緩やかで安全なのです。その道には階段もあり、手すりもついています。雪が降ると、私はその道を選んでバスの停留所まで歩いて行きます。例年なら12月か1月に少し遠回りになるその道を選ぶのですが、今年は早くも今日からその道を通って出勤しました。積雪の苦い思い出は忘れることはありません。
大作復元 「ロスト北斎」より
2016年 11月 24日 木曜日
昨晩、何気なく見ていたTVで思わず見入ってしまった番組がありました。NHKの「ロスト北斎」という番組で、葛飾北斎の失われた大作を2年間にわたって復元したプロジェクトを追ったものでした。副題は「幻の巨大絵に挑む男たち」で、ICTを駆使する人や修復にかける人が分野の垣根を越えて連携する場面では、濃密な雰囲気が漂っていました。また僅かな手がかりで原画を復元していく手法にも溜息が出ました。北斎が86歳の時に描いた幅3メートル近い大作「須佐之男命厄神退治之図」(弘化2年 1845年制作)が関東大震災の時に焼失され、残ったのは白黒写真一枚だけでした。そんな中で立ち上がった復元プロジェクト。写真の明暗差から色彩を割り出し、修復家が手製の色見本を作っていく微細な仕事に驚かされ、また絵の輪郭に強調する重複した線を発見したことで、絵全体の緊張感を高めていく技法に辿りつくまで私は固唾をのんで見ていました。完成した実際の復元絵を「すみだ北斎美術館」に行って見てみたいと思いました。それにしても北斎は晩年に至るまで奇跡としか言いようのない生命感に溢れた絵を多作した画家で、世界が認めるのも納得ができます。86歳の時に描いた「須佐之男命厄神退治之図」の構成や人物の躍動感に、私は改めて感嘆しています。人々を病の恐れから救済するため描かれ、向島の牛嶋神社に奉納された同絵は、堂内の光を取り込む時に輝いたであろう推測のもとで、金泊を貼ることにしたのでした。それは江戸の人々に希望の光を与えたのではないかという学者の意見を取り入れた結果でした。番組にはアニメーションが挿入されて、北斎その人に迫るストーリーもありました。90歳で死の床にある北斎が発した言葉が印象的でした。これからもう10年、いや5年の寿命を与えてくれたなら真の画工になれたであろうという言葉です。これは自分も耳にしたことがあるので真実の言葉だったろうと思います。自分もこうありたいと願うばかりです。
勤労感謝の日に創作に感謝する
2016年 11月 23日 水曜日
今日は勤労感謝の日で勤務を要しない休業日です。勤労感謝の日は文字通り、労働を尊ぶ日ですが、その年の新穀を天地の神に供え,天皇みずからも食する儀式の旧新嘗祭に所以があるようです。今年の勤労感謝の日は、暦の関係で週の真ん中になりましたが、焼成を始めている新作にとっては、とても都合の良い休日です。陶彫制作は闇雲に作るだけではなく、成形した作品を乾燥のために放置し、化粧掛け等の仕上げを施し、最後に焼成のために窯に入れる工程があります。焼成は3日間窯に入れておくので、週の真ん中で窯の出し入れをするのがいいのです。今日は日曜日の夕方窯に入れた作品を出して、焼成の具合を確認をしながら、今日窯入れを予定している作品に仕上げを施しました。今日の創作活動は新しい陶彫部品を作るのではなく、仕上げた陶彫部品を窯に入れたのでした。新作の窯入れは4回目になりましたが、背の高いテーブル彫刻の下部に吊り下げる大きな陶彫部品を初めて窯に入れました。次の窯出しは3日後の土曜日になります。柱陶も4点窯に入れました。工房には朝から篭りましたが、次第に工房内が寒くなっていき、夕方には雨か雪が降り出しそうな按配になりました。7時間工房で過ごして今日の作業を終えました。週末の時と同じように身体は疲労でクタクタです。ただ身体はよく動きました。週の真ん中の休日は創作活動には大変効果的だったと思っています。
ダリの精神分析考察
2016年 11月 22日 火曜日
現在読んでいる「シュルレアリスト精神分析」(藤元登四郎著 中央公論事業出版)の中で、ボッシュの次にダリが登場してきました。偶然にも東京で「ダリ展」を開催していて、今年の下半期はダリの世界に浸って終わりそうです。本書ではSF作家荒巻義雄の作品を通じて、ダリの生い立ちや精神分析を考察している箇所があって興味をもちました。それは生涯の伴侶となるガラとの出会いから、ダリの世界観が構築されていき、最後は名作「記憶の固執」の重要なモティーフである柔らかい時計を通して、ダリの精神分析を試みる内容でした。ダリの精神状態を示す文章を抽出して掲載いたします。「ガラは、おそらく聖母のようにダリに君臨し、支配している。このことは、精神的に未熟なオナニストのダリが母親的女性に依存しなければ生きていけなかったことを示している。~略~彼女と出会う前までは、ダリは精神的に幼くて口唇段階にあった。しかし彼は、そのおかげで乳歯が取れた程度の精神的な独立を果たすことができたのであった。~略~ガラの助けによって、ダリは、これまでまだ形のはっきりしなかったパラノイアック・クリティック活動を構造化して行うことができるようになった。~略~こうしてダリは商売熱心な、金に魂を売った芸術家となり、まさに資本主義の化身となった。~略~シュルレアリスムを唱える人々は、ダリに、自分の才能を利益に変えることしか念頭にない『ドル亡者』というレッテルを貼ったのである。」これがダリの生い立ちで、愛妻ガラとの関わりによってダリは良くも悪くも美術界の地位名誉を築いたのでした。次にダリの絵画を考察し、ダリその人の精神分析に迫る箇所がありました。「ダリは、柔らかいものと固いものとを結合するという思考方法でしか、人生を意味あるものにすることができなかった。すなわち、意味のない生の不条理を絵画の中で調和させることが、生の価値を肯定することであった。したがって、ダリのやり方は、生きていくための自然な吐息のようなものであり、生まれつきのシュルレアリスムであったことを示している。」
横須賀の「新宮晋 宇宙船」展
2016年 11月 21日 月曜日
先日、横須賀美術館で開催中の「新宮晋 宇宙船」展を見てきました。彫刻家新宮晋氏は、風や水によって動く彫刻を作る作家として内外に知られています。とくに自然現象を扱うために作品は野外に設置される場合が多く、私も駅の広場や公園で悠々と動く新宮氏の作品を拝見してきました。作品はメカニックな構造を持つものが多いのですが、動力は風や水によるので、電動装置のような決まった動きはなく、気儘に不規則に動きます。そこが見ていて飽きない新宮ワールドの醍醐味だと思っています。展覧会の会場では、まず水が天井から降り注ぐ部屋がありました。タイトルは「雨の光線」、奥に「小さな惑星」。日本古来の鹿威しの現代版とも言えるステンレスの彫刻で、水を受けてクルクル回る楽しさに思わず見とれてしまいました。次に私が注目したのが「風」というタイトルのついた集合彫刻で、床から少し離れた場所に矩形の同じサイズの板が数多く設置され、それが風を受けてさざ波のようにハタハタと波打つ様子を見ていると、暫し時間を忘れて心に安らぎを与えてくれました。図録に哲学者梅原猛氏が一文を寄せています。抜粋して掲載します。「新宮晋の芸術には日本文化の思想の原理が含まれていると思う。それは『草木国土悉皆成仏』という鎌倉時代以降の日本の宗教や芸術を特色づける理念であり、一木一草にいたるまで神仏が宿っているという意味である。そしてそれは自然征服を原理とする西洋の自然観とはまったく反対の思想であり、そのような思想が人類共通の思想にならなければ、今の人類の文明は遠からず滅びざるを得ないと私は考える。」図録も他の展覧会に見られないような工夫がありました。彫刻の展覧会は撮影された写真が中心になるのが定番ですが、これは彫刻のデッサンや図形が中心になった図録で、返ってコンセプトが伝わってきて、この方法もいいなぁと思いました。
週末 陶彫による橋の造形
2016年 11月 20日 日曜日
今日は昨日と打って変わって好天に恵まれ、気温も20度近くまで上昇しました。工房周辺の紅葉が青空に美しく映えていました。朝から大学院生と制作に没頭し、我を忘れる時間が到来しました。今日は大学院生だけでなく、職場の人が水彩画を描きに来ていたので昼食の休憩時間は和みました。私は背の低いテーブル彫刻に置く陶彫部品の窯入れを行っていました。背の低いテーブル彫刻は、都市の雛型のような造形で、私は掘り込んだ地面からいくつもの構築物が突き出た世界を作ろうとしています。その構築物に橋を渡そうとしていて、陶彫で成形した橋を6体作ったのでした。橋は構造を剥き出しにしたイメージで、鉄骨で出来ているような造形にしました。画家松本竣介の代表作に「Y市の橋」という油彩があります。油彩に描かれた橋そのものはコンクリートですが、その上に鉄骨のような構造物があって、太い鉄骨の印象が強く残る作品になっています。Y市というのは横浜市のことで、今は繁華街になっている西区あたりの河川を描いたものではないかと言われています。その殺風景で寂寥感漂う画風が、自分の新作に影響しています。そんな風情の橋を6体作りましたが、橋の構造体を崩したり、欠損させてみたりして所謂建築模型とは違うものにしました。今日は新作の3回目となる窯入れで、水曜日の勤労感謝の日あたりで窯出しができそうです。やはり陶彫は焼成が命です。焼成後、窯から出した陶彫は、人の手が及ばない炎神の世界を旅した勇ましさが滲み出ています。私の混合する陶土は紫がかった濃い褐色になって私の眼前にやってくるのです。敢えて欠損させた無骨な橋が、この姿で私の前にやってくるのを今から楽しみにしています。
週末 制作&横須賀へ…
2016年 11月 19日 土曜日
漸く週末がやってきました。冷たい雨が降る中、朝から工房に出かけ制作に没頭しました。このところ頻繁に来ている大学院生もいて、お互い作業に集中していました。今日の作業は午後3時までと決めていました。そのせいか周囲が見えなくなる緊張状態が早くもやってきて、素材との対話の時間が続きました。そうした雰囲気は伝染するのか、大学院生も無我夢中になって自らの修了制作に取り組んでいました。乾燥した陶彫部品の仕上げと化粧掛け、次の成形用の土練り、タタラと順々に制作サイクルが回っていき、何とか午後3時には制作工程のノルマを終わらせました。緊迫の6時間、ウィークディの疲労が残る土曜日にも関わらず、よくぞ頑張ったと自分を褒めて、明日の工程へと繋げることにしました。実は今日午後3時には工房を出て、横須賀美術館に行こうと大学院生と約束していました。横須賀美術館で開催中の「新宮晋 宇宙船」展を見に行きたかったのでした。彫刻家新宮晋氏は風や水を利用した可動彫刻を作る作家として知られた存在です。各地に野外設置されている作品は数知れず、私はいろいろな場所で新宮氏の作品に出会っています。まとまった作品を見るのは初めてで、期待に胸が躍りました。横浜の工房を出発し、横浜横須賀道路を使い、ほぼ1時間足らずで横須賀美術館に到着しました。雨のせいか人影はまばらで、じっくりと作品を見ることが出来ました。新宮氏の作品はモビールの発展形です。モビールは米彫刻家アレキサンダー・カルダーの考案による彫刻ですが、動きのバリエーションは新宮氏の方が勝っていて、構造的な面白さに加え、実に美しい景観を見せてくれます。最初の展示室にあった水で動くステンレスの彫刻に眼が奪われました。詳しい感想は後日改めたいと思います。美術館を夕方5時ごろ出て、大学院生を送りがてら帰宅しましたが、今日は充実していました。自宅ではいつものように心地よい疲労に襲われてソファに倒れ込んでしまいました。明日も制作続行です。
「十大弟子立像」写実の面白さ
2016年 11月 18日 金曜日
昨日に続いて、東京国立博物館平成館開催中の「禅ー心をかたちにー」展で、心に響いた作品について述べてみたいと思います。今回取り上げたのは、やや小さめの仏像が10体並んでいた「十大弟子立像」です。全体のプロポーションを漫画サイズにしたような按配で、一体一体のキャラクターが全面によく表れていて、思わず立ち止ってしまいました。この写実的な造形は運慶かなぁと思いましたが、どうでしょうか。図録によると「十大弟子立像」は京都嵯峨野の鹿王院が所蔵している仏像で、たびたび破却の憂き目にあったようです。「腰をかがめて右手で沓の縁をつかむ像、伏せた両手を腹前で重ね、顔を左に向ける像などの動きは十大弟子立像には異例である。羅漢像の一部が残った可能性が高いが、こうした姿勢は羅漢像にも見当たらない。老若やそれぞれの個性的な容貌、動きのある姿勢を巧みに表現している。表情に生気があり、現実感に富む作風から鎌倉時代半ば頃の慶派仏師の作とみられる。」と作品解説が図録に掲載されていました。とにかく写実の面白さ満載で、ユーモラスでさえありました。慶派の仏師の作品は、西欧の彫刻に通じる表現があって、学生の頃から西欧文化に馴染んでいる自分は、形態把握に懐かしささえ感じるのです。「禅ー心をかたちにー」展で、「十大弟子立像」に目が留まったのは、技巧的な掌握が容易であったことばかりではなく、そこに人間らしさを見て取り、他者に対する悩みの共感やら説法に十大弟子が励んでいた様子が伝わったからです。
「竹林猿猴図屏風」に心響く
2016年 11月 17日 木曜日
現在、東京国立博物館平成館で開催中の「禅ー心をかたちにー」展で、心に響いた作品について述べてみたいと思います。私は展覧会ではタイトルや作者名をほとんど見ません。気になった作品を確認する時にだけ作者名を見ています。まず余計な知識を入れずに直視して、その作品がもつ表現力に心を浸そうとしているのです。おや?これはいいぞ、と心に響く感覚を大切にしているのです。ましてや音声ガイドは使ったことがありません。何らかの手引きは必要と思える時もあるのですが、10代の終わりから美術の道を歩んできた自負が、或いはそうさせているのかもしれません。本展でも直感を信じて展示を見て回りました。いくつか有名な作品があって思わず足を止めましたが、これは知識があったばかりの妨げか、それとも直接心に響いたのか自分でも定かではありません。たとえば雪舟の「慧可断臂図」や「秋冬山水図」がそれです。これはいい、と思うと同時に、これは雪舟だからいいのだと瞬時に思ってしまうのです。その中で目についたのが「竹林猿猴図屏風」でした。作者の長谷川等伯は知っていましたが、有名な「松林図屏風」ではなかったのが幸いでした。作者名は後で確認して、やっぱり等伯かぁと思ったのでした。竹葉や竹の節の描写に用いた墨の濃淡が、湿潤な空気や竹林の遠近を感じさせてくれました。画面の省略が「松林図屏風」に通じる雰囲気がありました。猿の親子は妙に可愛らしくて現代のゆるキャラのようでした。京都の相国寺所蔵の水墨画で、本展で「竹林猿猴図屏風」に出会えて良かったと思えた瞬間でした。
東京上野の「禅」展
2016年 11月 16日 水曜日
禅という思想は、日本人より寧ろ外国人、とりわけ欧米人に人気が高く、東京国立博物館平成館で開催中の「禅ー心をかたちにー」展にも多くの外国人が訪れていました。本展ではずっしりと重い立派な図録を用意していて、展示の内容も充実したものになっていました。よくぞ日本全国の禅寺からこれだけ多くの収蔵品を集めたなぁと会場を巡りながら感じました。その中には有名な作品も含まれていて、私は旧友に出会えたような喜びもありました。禅の思想はおよそ1500年前に達磨大師によってインドから中国に伝えられ、臨済義玄禅師によって広まり、日本には鎌倉時代に入ってきたようです。図録の冒頭には「臨済宗・黄檗宗の源泉に位置する高僧、臨済義玄禅師の1150年遠諱、ならびに日本臨済宗中興の祖、白隠慧鶴禅師の250年遠諱を記念する本展」というのがあります。そもそも禅は、言葉では説明できない、つまり言葉による論理的説明に価値を認めない宗教で、坐禅を通した体験を重視しています。以心伝心の言葉通り、口に出して言わなくても言いたいことは相手に伝わるという概念を宗教まで高めたというわけです。そうした心を扱うのは何も禅に限ったことではなく、中国で禅と対立関係にあった儒教も心を扱っています。図録によると禅と儒教のニュアンスの違いがあるようですが、ここでは深追いはしません。禅による心のかたち、書を含めた視覚表現について書いてみたいと思っています。「臨済義玄は『心にはこれといった形は無い』と述べているが、たとえば、京都の源光庵に有名な二つの窓がある。四角の『迷いの窓』と円形の『悟りの窓』で、迷いと悟りの心を示すとされている。心の様態をデフォルメして象徴化したものであり、ある意味分かりやすい。類似したものとして想起されるものに、仙厓義梵が描いた『〇△□』の墨蹟がある。」(野口善敬 著)という一文が図録にありました。これが心にかたちを与えた動機として平易に理解できるものかもしれません。展示されていた作品は、写実というより象徴化された世界が数多くありました。心にかたちを与えるのは、現在私たちがやっている現代美術にも通じるものがあると思っています。現在の眼で見ても新しさを感じる要因はそこにあるのでしょう。気に留めた作品は数々ありましたが、次の機会があれば取り上げてみたいと思います。
東京上野の「平安の秘仏」展
2016年 11月 15日 火曜日
私の仏像好きは今に始まったことではありませんが、最近でも大きな仏像企画展にはよく足を運んでいます。理由は博物館で見る仏像と、所蔵されている寺院で見る仏像とは違う印象を受けるためで、博物館の照明の下で鑑賞する仏像には、祈りの対象ではない美術品としての価値を見出すことが出来るのです。今回の「平安の秘仏 櫟野寺の大観音とみほとけたち」展も、照明の演出によって細部までじっくり鑑賞することができ、平安時代の仏像に見られる穏やかで優美な顔立ちを味わえました。ひとつの寺から20体もの仏像がやってくるのは珍しいのではないかと思える企画で、博物館本館の広い空間に一堂に会した壮観な眺めは一見に値すると感じました。とりわけ中央に位置する十一面観音菩薩坐像は高さは3m以上、さらに光背まで入れると5mを超える巨大な仏像で、圧倒的な存在感がありました。櫟野寺は延歴11年(792年)、日本に天台宗を広めた最澄上人によって創建されたと伝わっています。図録によると20体の仏像は「製作時期によって大きく2つのグループに分けることができます。一つは十一世紀半ばの像で~略~特に等身大の像の長身で美しい立ち姿は魅力的です。~略~櫟野寺を中心とした甲賀の寺院の仏像に広くみられることから甲賀様式と呼ばれています。~略~特徴は、なで肩で長身の体形、下膨れの顔、目尻を吊上げた細く厳しい目、太い鼻、厚い唇といった面部の表現が挙げられ、そのもとになったのは、櫟野寺本尊の十一面観音菩薩坐像とみられます。もう一つのグループは、十一世紀後半から十二世紀につくられた像です。時代の様式を反映して優しい表情ですが、やや鄙びた表現といえるでしょう。」(丸山士郎 著)とありました。前期と後期でやや異なる表現が見受けられる仏像ですが、当時の時代背景も大きく関わったのではないかと推測されます。また図録より引用いたします。「前期の優れた表現の像は櫟野の地を治める人による発願であったと思われます。一方、後期の像は経済力や政治力が十分でない櫟野に根ざした人が発願者だったのではないでしょうか。」仏像の様式の変遷から時代を読み取ることもでき、美術品としての価値もさることながら、歴史を紐解く証拠にもなると感じた展覧会でした。
HPのGALLERYに「群塔」アップ
2016年 11月 14日 月曜日
昨年制作した「発掘~群塔~」をホームページのGALLERYにアップしました。無数の塔が連なって点在しているイメージは、一昨年の「発掘~層塔~」を制作している頃からありました。塔の点在を屏風と床置きにしようと計画し、技巧的な方法と湧き出たイメージの融合を図りながら、屏風に接合をする小さめの塔と、床に置くための2層になった塔のバランスを考えながら、昨年は制作を進めてきたのでした。当初、鑑賞者が床置きの塔の周りを歩き回れるようにしようと思ったのですが、画廊のスペースの関係と、作品が散漫になることからこれは断念しました。また床置きのための床の造形も考えて、下敷きになる厚板の彫り込みを始めていましたが、そこまで設定するのはどうなのか迷いが生じ、床の造形も途中で止めました。このように制作工程で、最終仕上げが二転三転していったわけですが、イメージがブレないように常にコンセプトを確認していました。架空の心象風景を集合体で作るという私の制作方針は、ともすると全体がバラバラになってしまうことがあります。そうしないために完成に近づくほど全体を眺めて、全体をひとつのオブジェとして緊張感を高めていくことをしています。今回アップした「発掘~群塔~」の画像を見ていただけるなら、このNOTEの左上にある本サイトをクリックするとホームページに入れます。それからGALLERYを選んでクリックすれば、今回アップした画像の一部が出てきます。そこを再びクリックしていただけると動画による「発掘~群塔~」が出てきます。ご高覧いただけると幸いです。
週末 小春日和の工房
2016年 11月 13日 日曜日
日中は20度前後の気温となり、工房で制作するのには絶好の日でした。きっと道路は紅葉狩りで混雑していたのかもしれず、行楽地に出かけたい気分にもなりますが、こういう時こそ制作に明け暮れるのが自分にとって幸せと思っています。今日は朝から大きな陶彫成形に取り組みました。集中力が増すと周囲が見えなくなり、自分と素材との対話が始まるのです。自分のモチベーションと気候等の環境要因が合致したときに、こうした精神状態になるのかなぁと思っています。彫刻の世界でよく言われる素材との対話という比喩表現は、なかなか良いものだなぁと思っていて、素材との対話では普段の疲労や個人的な事情はどこかに吹っ飛んでしまって、目の前にある素材しか見えず、手が自然と動いてしまうのです。どこか別の力が働いているようにも思えてきます。今日はいつも来ている大学院生の他に職場の人が水彩画を描きに工房に来ていました。食事の時のお喋りが楽しいと思いました。自分ひとりの時は究極の状態に陥ることもあるので、他者がいるのは自分にとって救いです。アートを極めようとしている大学院生にとっても同じことが言えるのかもしれません。自己内面の深遠を覗き込み、思考が錯綜する創作活動は、聖と俗の世界を行き来するようなものです。自己過信や自己喪失で天国から地獄へ失墜することも暫しあります。そうした骨が折れる作業が延々と続くのが制作だと言えます。時折フラリと散歩に出て、植木畑を周遊してくると気分が変わります。その繰り返しで制作が進んでいくのです。自分は作業を終えて自宅に帰ると、疲労で倒れてしまいます。ここ2・3年ほど前からこんな状態が続いています。加齢のせいでしょうか、さっきまで元気一杯だったのに不思議です。小春日和の工房で思う存分創作活動をやってきた満足感もあるように思います。
週末 大型陶彫の成形
2016年 11月 12日 土曜日
今日は好天に恵まれた爽やかな一日でした。工房がある植木畑周辺でも紅葉が始まり、木々の色合いが美しく感じられました。朝から大学院生が来ていて修了制作に励んでいました。私も彼女に背中を押されるように制作を頑張りました。先週から背の高いテーブル彫刻の下部に吊り下がる陶彫部品を作っていますが、窯に入る最大限の大きさで作っているため、かなりの大きさと重量になっています。これをボルトナットで逆さ吊りさせるのかと思うと、難しい設置になることが予想され、辛い仕事の前に立ち尽くす姿が思い浮かびます。また大きな陶彫なので、陶土の収縮が心配になっています。多少の皹割れは修整剤で何とかなりますが、大きく割れた場合は作り直しになります。彫り込み加飾をするため、薄く作ることが出来ないのも気にかかるところです。それでも今までさまざまな難題をクリアしてきたので、今回も何とかしたいと思っています。新作第1回目の焼成は無事終わり、窯出しをしました。これは背の低いテーブルの上面に置く陶彫部品ですが、まずまずの出来だったと思っています。今日は大きな陶彫部品の成形と併せて柱陶も作らなければならず、なかなか大変なスケジュールでした。毎回書いていますが、ウィークディの疲労のため土曜日は身体が動きません。それでも制作工程のノルマは非情にもやってきます。工房の一角で制作している若い大学院生は疲れ知らずのように見えて羨ましい限りです。彼女は何時間でも凸面の厚板に絵を描いていて、いつも涼しい顔をしています。私は午後になると溜め息が増えてきます。作業を終えると自宅のソファに倒れ込んで動けなくなります。大学院生は今日25歳の誕生日だと言って、友人にお祝いしてもらうため元気に帰っていきました。25歳かぁ。自分にもそんな頃があったなぁと思いつつ、精神性をそのまま保持して身体だけが若返らないものかと都合の良いことを思っていました。明日も頑張ります。