東京上野の「平安の秘仏」展

私の仏像好きは今に始まったことではありませんが、最近でも大きな仏像企画展にはよく足を運んでいます。理由は博物館で見る仏像と、所蔵されている寺院で見る仏像とは違う印象を受けるためで、博物館の照明の下で鑑賞する仏像には、祈りの対象ではない美術品としての価値を見出すことが出来るのです。今回の「平安の秘仏 櫟野寺の大観音とみほとけたち」展も、照明の演出によって細部までじっくり鑑賞することができ、平安時代の仏像に見られる穏やかで優美な顔立ちを味わえました。ひとつの寺から20体もの仏像がやってくるのは珍しいのではないかと思える企画で、博物館本館の広い空間に一堂に会した壮観な眺めは一見に値すると感じました。とりわけ中央に位置する十一面観音菩薩坐像は高さは3m以上、さらに光背まで入れると5mを超える巨大な仏像で、圧倒的な存在感がありました。櫟野寺は延歴11年(792年)、日本に天台宗を広めた最澄上人によって創建されたと伝わっています。図録によると20体の仏像は「製作時期によって大きく2つのグループに分けることができます。一つは十一世紀半ばの像で~略~特に等身大の像の長身で美しい立ち姿は魅力的です。~略~櫟野寺を中心とした甲賀の寺院の仏像に広くみられることから甲賀様式と呼ばれています。~略~特徴は、なで肩で長身の体形、下膨れの顔、目尻を吊上げた細く厳しい目、太い鼻、厚い唇といった面部の表現が挙げられ、そのもとになったのは、櫟野寺本尊の十一面観音菩薩坐像とみられます。もう一つのグループは、十一世紀後半から十二世紀につくられた像です。時代の様式を反映して優しい表情ですが、やや鄙びた表現といえるでしょう。」(丸山士郎 著)とありました。前期と後期でやや異なる表現が見受けられる仏像ですが、当時の時代背景も大きく関わったのではないかと推測されます。また図録より引用いたします。「前期の優れた表現の像は櫟野の地を治める人による発願であったと思われます。一方、後期の像は経済力や政治力が十分でない櫟野に根ざした人が発願者だったのではないでしょうか。」仏像の様式の変遷から時代を読み取ることもでき、美術品としての価値もさることながら、歴史を紐解く証拠にもなると感じた展覧会でした。

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