大作復元 「ロスト北斎」より

昨晩、何気なく見ていたTVで思わず見入ってしまった番組がありました。NHKの「ロスト北斎」という番組で、葛飾北斎の失われた大作を2年間にわたって復元したプロジェクトを追ったものでした。副題は「幻の巨大絵に挑む男たち」で、ICTを駆使する人や修復にかける人が分野の垣根を越えて連携する場面では、濃密な雰囲気が漂っていました。また僅かな手がかりで原画を復元していく手法にも溜息が出ました。北斎が86歳の時に描いた幅3メートル近い大作「須佐之男命厄神退治之図」(弘化2年 1845年制作)が関東大震災の時に焼失され、残ったのは白黒写真一枚だけでした。そんな中で立ち上がった復元プロジェクト。写真の明暗差から色彩を割り出し、修復家が手製の色見本を作っていく微細な仕事に驚かされ、また絵の輪郭に強調する重複した線を発見したことで、絵全体の緊張感を高めていく技法に辿りつくまで私は固唾をのんで見ていました。完成した実際の復元絵を「すみだ北斎美術館」に行って見てみたいと思いました。それにしても北斎は晩年に至るまで奇跡としか言いようのない生命感に溢れた絵を多作した画家で、世界が認めるのも納得ができます。86歳の時に描いた「須佐之男命厄神退治之図」の構成や人物の躍動感に、私は改めて感嘆しています。人々を病の恐れから救済するため描かれ、向島の牛嶋神社に奉納された同絵は、堂内の光を取り込む時に輝いたであろう推測のもとで、金泊を貼ることにしたのでした。それは江戸の人々に希望の光を与えたのではないかという学者の意見を取り入れた結果でした。番組にはアニメーションが挿入されて、北斎その人に迫るストーリーもありました。90歳で死の床にある北斎が発した言葉が印象的でした。これからもう10年、いや5年の寿命を与えてくれたなら真の画工になれたであろうという言葉です。これは自分も耳にしたことがあるので真実の言葉だったろうと思います。自分もこうありたいと願うばかりです。

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