エゴン・シーレ

クリムトの弟子とも言えるエゴン・シーレは若干28歳で病死しています。シーレの絵を見たのは渡欧前でしたが、衝撃を受けたのを覚えています。デッサンの線はシーレとわかる独特なもので、人物のポーズにしろ画面構成にしろ斬新な感覚を持ちました。ウィーンの美術館でクリムトの隣の部屋にシーレの作品がたくさんあって、つい師弟を比較して見てしまいます。クリムトはブルジョアの人々を描き、シーレは貧困をテーマにしたと感じてしまうのは自分だけでしょうか。クリムトは完成されたタブローが多く、夭折のシーレは未完のデッサンが多く残されています。シーレは息せき切って走る短距離選手のように生涯を走りぬけ、時間をかけて完成させることより、描く行為そのものを作品化したと思います。

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